Skip to content

英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

  • Contact
  • Privacy Policy
  • 自己紹介 / About me

タグ: 玉城ティナ

『 窓辺にて 』 -愛を巡っての珠玉の対話劇-

Posted on 2022年11月20日 by cool-jupiter

窓辺にて 75点
2022年11月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:稲垣吾郎 中村ゆり 玉城ティナ 若葉竜也
監督:今泉力哉

 

『 愛がなんだ 』の今泉力哉がオリジナル脚本で映画化。本作でも愛の不条理さを独特の感性で描き出すことに成功した。

あらすじ

フリーで物書きをしている市川茂巳(稲垣吾郎)は、小説編集者である妻・紗衣(中村ゆり)が担当作家と浮気していることを知るが、そのこと自体にショックを覚えなかった自分自身にショックを受ける。一方で、茂巳は新進気鋭の女子高生作家・久保留亜(玉城ティナ)へのインタビューをきっかけに、彼女の作品のキャラクターのモデルとなった人物と合うことになり・・・

ポジティブ・サイド

なんだかんだで稲垣吾郎あっての映画だなと感じた。と、ちょっと待て。よくよく思い返してみると、Jovianが稲垣吾郎をスクリーンで観るのは、なんと『 催眠 』以来ではないか。4中年の危機とは無縁そうに見えるが、その内面を大きくかき乱された、しかしそのことを決して表面には出さない大人を好演したと言える。

 

本作のテーマは愛の形。それは今泉力哉監督が一貫して追求しているテーマである。妻が浮気をしている。そのことに腹を立てない夫は、妻を愛していると言えるのか。茂巳がサッカー選手である友人・有坂とその妻にそのことを相談するが、その有坂自身も芸能人女性と実は浮気をしている。妻もそのことに気付いている。妻は夫に腹を立てつつも、最終的には許してしまう。なぜなら夫を愛しているから。観ている我々からすれば「なんだ、この茂巳というキャラは。変な奴だなあ」と感じるが、それがいつの間にやら「なんだ、有坂の妻は。変な奴だなあ」に変わっていく。そう。愛とは元々変なものなのだ。愛しているから許せないこともあるし、愛しているからこそ許してしまうこともある。本作はそのことをドラマチックな展開もなく、淡々と見せていく。

 

茂巳は茂巳で、女子高生作家の久保留亜に大いに振り回される。小説のキャラクターのモデルに会わせてもらう中で、ボーイフレンドを紹介され、なぜか二人で軽くバイクのツーリングに出ることに。そうなんだよなあ。人と人とが触れ合い、分かり合うのに、毎回毎回たいそうな理屈が必要なわけでもない。事実、二人は後に思わぬ形で触れ合うことになる。その光景がまたとても微笑ましい。

 

茂巳は誰かに何かを言われるたびに「え?」と素っ頓狂な返事をするばかりで、まったく主体性のある人物には見えない。にもかかわらず、物語は静かに、しかし確実に彼を軸にして進んでいく。茂巳が誰に対しても真摯に耳を傾け、真摯に受け答えする姿勢によって、相手は自分なりに答えを見つけていく。

 

本作は一つひとつの対話の場面が非常に長く、しかもその多くがロングのワンカット。まさに演出する監督と演じる役者のせめぎ合いという感じだが、そのどれもが実に自然に映る。留亜と茂巳がホテルのスイートの一室で語らう場面でぶどうの実がひとつ房から落ちてしまい、それを茂巳が自然に拾い上げる。これは演出なのか、それともアドリブなのか。色々なキャラクターと茂巳がカフェや公園などで語り合うばかりの2時間半の映画が長く感じないというのは、対話の一つひとつがそれだけ真に迫っているからだ。

 

本作は物語論についても非常に含蓄のある示唆を与えてくれる。Jovianの兄弟子(と勝手に思っている)奥泉光は「論文を書くと、自分の中で知識が体系化されていく。小説を書くと、自分の中が空っぽになる」と『 虚構まみれ 』で書いていた。本作でもこのことが強く示唆されていて、今泉力哉は小説家としても相当な書き手であることを窺わせる。書くということは、思いや考えを固定してしまうことであり、それが小説、就中、私小説であれば美しい思い出としてキープしておきたい自身の物語を失ってしまうことになる。このあたりの物書きの機微を茂巳から読み取れた。稲垣吾郎と今泉力哉、なかなかのケミストリーだ。

 

オープニングとエンディングで茂巳が見せる、ある光のアクセサリがまぶしい。愛はそこにあったが、今はない。けれど、愛は確かにそこに存在した。そして、その瞬間は光り輝いていたのだ。手放してこそ実感できる愛、それもまた一つの愛の形ではないか。

 

ネガティブ・サイド

城定秀夫監督の『 愛なのに 』ぐらいのベッドシーンがあっても良かったのでは?また、玉城ティナのシャワーシーンも曇りガラスの向こうにうっすら見える程度に撮影できなかったのかな?ドロドロの不倫と中年とは思えない純朴さの対比が、稲垣吾郎演じる茂巳というキャラをより引き立たせるように思うのだが。

 

DINKSにしても、えらい良い家に住んでいるなと感じた。ロケーション協力に狛江と見えたが、あのエリアでも家賃あるいは月々のローンはかなりのものだろう。二馬力とはいえ、茂巳が一切家で仕事をしているシーンがないのは、少々現実離れしているように見えた。

 

総評

観終わってすぐに思い浮かんだのは B’z の LOVE & CHAIN の歌詞を思い出した。初期からのB’zファンなら

 

愛するというのは信じるということであっても

相手のすべてに寛容であるということではない

束縛された時に感じる愛もある

 

という間奏中の語りを知っているはず。愛というのは難しい。束縛された時に感じる愛もあれば、手放したことで感じる愛もあるはず。シニアのカップルで鑑賞していただきたい逸品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

perfect

日本語にもなっている語。カナダではウェイターが頻繁に使っていた。

 

A:I’ll have this breakfast set.
B:Perfect!

 

A:Two glasses of beer, please.
B:Two glasses of beer? Perfect!

 

など。Good と相槌を打つ際に、時々 “Perfect!” と言ってみよう。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 ザ・メニュー 』
『 ザリガニの鳴くところ 』
『 ある男 』

 

 にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, ラブロマンス, 中村ゆり, 日本, 玉城ティナ, 監督:今泉力哉, 稲垣吾郎, 若葉竜也, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 窓辺にて 』 -愛を巡っての珠玉の対話劇-

『 地獄少女 』 -いっぺん、観てみる?-

Posted on 2019年11月21日2020年9月26日 by cool-jupiter

地獄少女 25点
2019年11月21日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:玉城ティナ 森七菜 仁村紗和
監督:白石晃士

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191121203728j:plain

 

隙間時間が生まれたので映画館へ。そんな暇があれば仕事をすべきなのだろうが、たまには羽を伸ばすことも必要である。季節外れのホラー映画に特に期待はしていなかったが、やはりダメ作品であった。しかし、暇つぶしとちょっとした目の保養になったので良しとすべきなのだろう。

 

あらすじ

誰かに強い恨みを抱いて午前0時にネットで「地獄通信」にアクセスすれば、憎い相手を地獄送りにできるという都市伝説が出回っていた。そんな時に、美保(森七菜)は南條遥(仁村紗和)と知り合う。しかし、遥が歌手の魔鬼のバックコーラスになった時から、美保は遥から引き離されてしまい・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191121203752j:plain

 

ポジティブ・サイド

『 天気の子 』の陽菜のvoice actingを務めた森七菜も、それなりに眼福。大人と子どもの中間的な存在をよくよく体現していた。

 

先行するアニメもドラマも一切観たことが無いが、玉城ティナは地獄少女の閻魔あいというキャラクターをよくよく理解しているなと感じた。劇中で昔懐かしの童謡を歌う玉城ティナの声(本人の声?)は実に美しい。わらべ歌のサウンドスケープは夕焼けである。そして夕焼けは『 君の名は。 』で言うところの誰そ彼時の入り口に通じている。閻魔あいの登場シーンは、毎回それなりに凝っていた。エキゾチックな顔立ちの美少女が和服を着ると、それだけで絵になる。

 

玉城ティナよりもエキゾチックに感じられたのは仁村紗和。暴力上等で暴力常套の謎めいた美少女役がはまっていた。高校生役はかなり無理がありそうだが、大学生ならまだまだ全然通じる。超絶駄作だった足立梨花主演の『 アヤメくんののんびり肉食日誌 』をリメイクするなら、仁村紗和で是非どうぞ。

 

まあ、白石監督という人は、個性的な顔立ちの美少女を集めて、わーわーキャーキャーな映画を作りたい人なのかな。そうした妙なポリシーは嫌いではない。

 

ネガティブ・サイド

これって一応、ホラーやんな?なんで開始1分で笑いを取りにくるんや?おもろい顔の禿げちゃびん爺さんがいきなりブレイクダンスを始めて、思わず劇場で

 

( ゚∀゚))、;’.・ブハッ!!

 

ってなってもうたわ。一応ホラー映画観にきたのに、コメディかギャグを見せつけるのは勘弁してや。看板に偽りありやで。ハイソな尼崎市民のJovianが、思わず大阪の天下茶屋のおっちゃんみたいな喋りになってもうてるやないか。

 

冗談はここまでにして、『 不能犯 』の宇相吹正の視線と同じく、出来そこないの万華鏡をCGで再現したかのようなエフェクトは何とかならんのか。CGを否定しているのではない。それを用いて効果的な視覚効果を生み出せていないことを批判しているのである。異界に通じる、または異界に送り込む視覚効果において『 2001年宇宙の旅 』のスターゲート・シークエンスを乗り越えるようなアプローチを、ほんの少しでも構想したか。観る者の心胆を寒からしめる地獄送りエフェクトを考案したか。そうした努力が残念ながら見られない。色使いにおいても蜷川実花監督のビジュアル感覚の方が優っている。

 

魔鬼というキャラクターにもオリジナリティが感じられない。映画化もされた漫画『 日々ロック 』のMAREがもう少しいろいろ拗らせた感じのキャラにしか見えない。ただ、MDMA所持で沢尻エリカ逮捕のニュースは、もしかすると本作のパブリシティに少しは貢献してくれるかもしれない。

 

本作品では様々な人物が様々な動機から地獄通信にアクセスし、憎い相手を地獄に送っていくが、その動機をどうしても理解しがたい人物がいる。なぜ死体があがったわけでもない行方不明の段階で、その人間の死亡を確信するのか。なぜ、あの段階で地獄通信にアクセスできるだけの「強い憎しみ」を持てるのか。

 

そして肝心かなめの地獄のイメージも今一つである。おいおい、『 ザ・フライ 』かというシーンあり、タイトルを思い出せないが、ネクロノミコンがうんたらかんたらのC級ホラー映画そっくりのシーンありと、オリジナル作品の割にオリジナル要素が不足している。また本作は人間が描けていない。クラスメイトに不満のある美保、母親と確執のある遥をはじめ、ライターの工藤もそうであるが、人間関係に鬱屈したものを抱えている人間の苦悩の描写が弱い。特に工藤に至っては、母親の遺影を飾っている部屋の中で、堂々と女子高生の美保に「一発やらせろ」と迫る。泉下の人となった母も、これでは草葉の陰で泣いている。世界が腐って見えるのは、その人間の世界観と人間観が腐っているからである。そのことは、やはり玉城ティナ出演の『 惡の華 』が既に明らかにしている。またそうした世界の悪意から逃避先が音楽であることも『 リリイ・シュシュのすべて 』の焼き直しである。人間描写とオリジナリティ不足。これでは高い評価は与えられない。

 

総評

ジャンル不明の珍作である。『 来る 』よりも、更にもう一段つまらない。個性的な顔立ちの美少女達を大画面で鑑賞したいという向きにしかお勧めできない。心されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

How about you die?

 

How about S + V? という表現は、受験英語に出てくるのだろうか?出て来ないのならば、それは日本の英語教育の夜明けがまだ来ていないことを意味する・・・というのはさすがに大袈裟すぎるか。How about if S + V? という形はTOEICに時々出てくるので、学生よりもビジネスパーソンの方が、この表現には馴染みが深いだろう。「いっぺん」という二音節にHow aboutを、「死んでみる」の二音節にyou die?を乗せて発声すれば、あなたも閻魔あいの気分を味わえるかもしれない。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, ホラー, 仁村紗和, 日本, 森七菜, 玉城ティナ, 監督:白石晃士, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 地獄少女 』 -いっぺん、観てみる?-

『 惡の華 』 -クソ中二病によるクソ中二病展開のクソ物語-

Posted on 2019年10月6日2020年4月11日 by cool-jupiter

惡の華 20点
2019年9月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:伊藤健太郎 玉城ティナ 秋田汐梨
監督:井口昇

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191006020327j:plain

 

劇場で予告編を何度か観ただけで鑑賞。予備知識ほぼ無し。なぜこんなクソ作品を観ねばならんのかとも思うが、カネを出して観てみないことには良いか悪いか分からない。大切なのは、作品を鑑賞した上で意見を述べることであろう。

 

あらすじ

春日高男(伊藤健太郎)は自分が灰色の無味乾燥した世界に生きていると感じる中学生。ボードレールの『 惡の華 』に惑溺することで自尊心を満たしていた。ある日、衝動的に憧れの女子である佐伯奈々子(秋田汐里)の体操服を盗んでしまったところを、問題児の仲村佐和(玉城ティナ)に目撃されてしまう。佐和に脅迫される形で契約を結んだ春日は、仲村に翻弄され、徐々に暴走していく・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191006020359j:plain


 

ポジティブ・サイド

『 L・DK ひとつ屋根の下、「スキ」がふたつ。 』や『 青夏 きみに恋した30日 』で、うっすらと秋田汐里は印象に残っている。どことなく南沙良を思わせる獣性が感じられ、個人的には良い感じである。『 町田くんの世界 』の関水渚の良いライバルになりそう。切磋琢磨して頑張って欲しい。彼女らのハンドラーはしっかりと仕事をしてほしい。中高生あたりにありがちな意図しないお色気シーンや水着姿を楽しむ向きもあるかもしれない。というか10代半ばなのに、よくこんな○○○○(未遂?)シーンの撮影を引き受けたものだと素直に感心する。

 

飯豊まりえも、登場シーンはそれほど多くないものの、地に足のついたキャラクターを好演した。『 暗黒女子 』よりも、こういうキャラクターの方がより説得力を出せる。女王蜂キャラにはまだ足りないが、クラスの人気者キャラならば充分に見ることができた。

 

ネガティブ・サイド

主人公たる春日高男の中二病の根の深さが全く伝わらない。冒頭の街のシーンを多少セピア調に加工しても、そんなものは小手先のテクニックに過ぎない。街に自分の意識を閉じ込められて、精神に変調をきたしていく物語ならば『 タクシードライバー 』という不朽の名作(怪作?)もある。仲村さんが叫ぶ「どいつもこいつもセックスことしか考えてねえ!」という言葉は、原作を改変してでも高男の心の声にしてしまうべきだった。そうでないと高男が精神の平衡を失ってしまう過程に説得力が生まれない。または邦画の例に倣うなら『 ここは退屈迎えに来て 』で描かれたような、どこまで車で走っても全く変わり映えのしない同じような街並みがエンドレスで続いていくという地方都市の没個性さも使えたはずである。他にも小学生から中学生になっても街並みが何一つ変わっていかないという時系列的な描写があれば、それも高男の精神の変調を説明する役には立ったはずだが、それもなかった。ボードレールを読み耽っているだけの自意識過剰少年には何の共感も抱けないし、彼が壊れていく過程にもリアリティを認められない。「今この瞬間に抑圧された青春を過ごしている、またはかつてそうだった大人たちに本作を捧ぐ」みたいな序文から作品は始まったが、そのメッセージは果たしてどれくらいの人にどれくらいの迫真性をもって届いたのだろうか。疑問である。

 

佐和がエキセントリックなキャラクターであることは分かるが、そんな佐和と高男が共依存のような関係になる描写が決定的に弱い。自分が特別であると思い込まなければやっていられないような家庭環境で育ったわけでもなさそうだし、なにより高男のような読書家がこのような狭量な世界観を持つのだろうか。Jovian自身も相当に鬱屈した青春を過ごしたという自覚症状は今でもあるし、当時もそうした自覚はあったし、はっきり言って根拠のない自信に基づいて周囲の人間をクソムシ扱いしていた。けれどそれが自分の弱さであるという自覚もあった。自分が他人と何も変わるところがないとは認めたくないという過剰な自意識を、自分で意識することができていた。高男と佐和の物語にどうしても入り込めなかったのは、テロ紛いのことでしか意見表明ができない、遅れてやって来たプチ過激派にしか見えなかったからだろう。だが、そうした物語にも名作はある。リブート(続編?)に期待と不安の両方を抱かせる『 ぼくらの七日間戦争 』が好個の一例である。

 

何らかの場面の転換が、すべてキャラクターの絶叫で締めくくられるのもワンパターンすぎる。雨の中で叫べば、確かに何かが決定的に終わってしまったようにも感じられるが、一つの作品の中で似たような展開を繰り返すのはいかがなものか。そもそも高男自身にほんのちょっとの勇気があれば、佐伯さんに「付き合ってください」ではなく「ずっとずっと好きでした」と言えれば、円満に解決していた。というか、最近は「好きだ」と伝えずに、「付き合ってください」だけで男女の交際が始まるものなのか。『 勝手にふるえてろ 』でも松岡茉優による「付き合ってくれとは言われたが、好きだとは言われていない」と高揚が一気に冷めるシーンがあった。結局は高男がチキンなだけである。あるいは読書家ではあっても、書物から人間模様を学ぶことができなかった愚か者である。

 

総評

酷評させてもらったが、確かにこうした共依存の関係や過剰な自意識の防衛機制に共感を覚える人もいるだろうとは想像できる。すべては波長が合うかどうかだ。Jovianは、はっきり言ってクソ映画であるとは思うが、それはキャラクターがクソなのであって、演じる役者やそのキャラの生みの親たる原作者、さらに監督その人までがクソとはまでは思わない。『 覚悟はいいかそこの女子。 』では“欠損家庭”、“貧困家庭”といった社会派の要素を込めてきた井口監督であるが、個人の内面を描く物語に関しては、さらなる精進が必要ということだろう。捲土重来に期待。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I am a pervert, too.

 

劇中で仲村さんは「私も変態なんだ」と言っていたように記憶している。変態=pervert、と覚えておけば、ほぼ間違いはない。もう一つ、kinkyという単語もある。英語圏の人間に妙な勘違いをされたくないということから、近畿大学は英語名をKinki UniversityからKindai Universityにしたということである。変態は hentai という International Language にも実はなっている。これも、ある意味ではクール・ジャパンだろう。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, サスペンス, 伊藤健太郎, 日本, 玉城ティナ, 監督:井口昇, 秋田汐梨, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 惡の華 』 -クソ中二病によるクソ中二病展開のクソ物語-

『 Diner ダイナー 』 -映像美は及第、演出は落第-

Posted on 2019年7月8日2020年4月11日 by cool-jupiter

Diner ダイナー 50点
2019年7月6日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:藤原竜也 玉城ティナ 窪田正孝 本郷奏多
監督:蜷川実花

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190708122949j:plain

漫画原作で藤原竜也が出演する作品はハズレが少ないという印象を持っている。『 カイジ 』シリーズしかり、『 デスノート 』シリーズしかり、『 るろうに剣心 』シリーズしかり。それでは原作は小説で、漫画化もされている本作はどうか。かなり微妙な出来栄えである。

あらすじ

人間不信だったオオバカナコ(玉城ティナ)は、ある時、異国の色鮮やかな光景に魅了された。どうしてもそこに行きたいと願ったカナコは即日30万円というバイトに応募する。しかし、それは殺し屋のgetaway driverの仕事だった。裏社会の連中に始末されそうになったカナコは料理の腕をアピールする。すると殺し屋専門のダイナーに送り込まれ、凄腕シェフのボンベロ(藤原竜也)と出会う・・・

 

ポジティブ・サイド

このDinerの内装のサイケデリックさよ。常識ではありえない設定のレストランだが、馬鹿馬鹿しいまでの工夫を施せば、それもリアリティを生み出す。壁のピンクを基調にシックに決めたカウンターとテーブル席から、カビ臭ささえ感じさせる薄暗い個室まで、このDinerは確かに狂っている。客もシェフも狂っている。そんなサイケでサイコな世界に足を踏み入れたカナコが全裸になって全身を清めるのも蓋し当然である。これは禊ぎなのである。そして眼福でもある。『 わたしに××しなさい! 』ではYシャツのボタンをはずして首元、胸元をあらわにしたが、本作ではさらなるサービスをしてくれている。この調子で頑張って欲しい。

 

まるっきりCGだったが、最も原作に忠実に再現されていたのは菊千代であろう。一家に一頭、菊千代。店一軒に一頭、菊千代。こんな犬を番犬に飼ってみたい。また窪田正孝演じるスキンも再現度は高かった。極めてまともに見えるところから、殺人鬼の本性が解き放たれる刹那の演技はさすが。『 東京喰種 トーキョーグール 』でも大学生をまったくの自然体で演じていたが、その演技力の高さを本作でも見せつけた。漫画では悪魔的、サイボーグ的な活躍を見せたキッドも、本郷奏多が好演。菊千代をボコらなかったのは動物愛護法に引っかかるからなのか。続編があるとすれば、キッドの狂気が爆発するのだろう。

 

しかし最大のハイライトは真矢ミキと土屋アンナであろう。『 ヘルタースケルター 』でも顕著だったが、訳あり女、一癖も二癖もある女、凶暴な女を狂気の極彩色で描き出すのが蜷川実花監督の手腕にして真骨頂なのだろう。クライマックスのバトルアクションは彼女の美意識が暴発したものである。ここは必見である。宝塚ファンは劇場へGo! である。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190708123038j:plain
 

ネガティブ・サイド

Jovianは原作小説未読で、週刊Young Jumpに連載していた漫画(良いところでWeb送りになったが・・・)を読んでいた。そのイメージで語らせてもらえるなら、藤原竜也はボンベロには似ていない。顔およびイメージの近さで言うなら、高良健吾、山田裕貴、要潤、松田翔太あたりではないだろうか。もしかすると原作小説内のボンベロの外見描写に藤原竜也にマッチするものがあるのかもしれないが、あくまで漫画ビジュアルに基づいた感想で言えば、ミスキャストに思えた。演技ではなく、あくまで外見についてである。

 

そして漫画のオオバカナコのビジュアルと玉城ティナも、何か違う。弱々しくも肝っ玉が据わっており、おぼこいながらも巨乳であるというアンバランスさが特徴だったはずだ。このイメージに当てはまる女優というと、仲里依紗、新川優愛あたり、さらに門脇麦もいけそう。いや、やはり違うか・・・。とにかくメインを張る二人のイメージがしっくりこないのである。

 

また内装や客連中の服装、コスチューム、アクセサリーの派手派手しさ、毒々しさ、色鮮やかさに対して、肝心の料理のビジュアル面での迫力が決定的に不足している。4DXやMX4Dがどれほど進化しても、味は伝えられないだろう。匂いも、火薬や油のそれならまだしも、料理となると相当に難しいのではないか。だが味については料理を堪能する役者の演技で間接的に伝えられる。映画が観客に直接に料理の旨さを伝えるには、映像と音を以ってするしかない。そのことはクライマックスでのボンベロの台詞にも表れていた。ならばこそ、ボンベロの料理シーンにもっとフォーカスした絵が欲しかった。肉の表面に焼き色や焦げ目がついていく様、肉汁の爆ぜる音、包丁が食材の形をどんどんと変えていくところ、野菜や果物、肉の芯に刃が通る音、こうした調理のシーンがあまりにも少なすぎた。ドラマの『 シメシ 』や『 深夜食堂 』、『 孤独のグルメ 』よりちょっと映像を派手目にしてみました、では不合格である。元殺し屋が命がけで作る料理のディテールを伝える絵作り、演出、それこそが求められているものなのだ。

 

最後のアクションは素晴らしい部分は素晴らしいが、クリシェな部分はクリシェである。特に、『 マトリックス 』のようなバレットタイムを今という時代に邦画でこれほどあからさまに取り入れる意味は何なのか。まさかとは思うが、真矢ミキその他のキャストのアクションに注力するあまり、主役のボンベロのアクションは途中からネタが尽きたとでも言うのか。

 

また、一部の販促物に「殺人ゲームが始まる」という惹句があったが、それは漫画もしくは原作小説の展開であって、今作にはそんなものは存在しない。看板に偽りありである。

 

総評

かなり評価が難しい作品である。おそらく絶賛する人と困惑する人に分かれるのではなかろうか。もしくは悪くは無いが、決して傑作ではないという評価に落ち着くのだろう。ただし、結構なビッグネームが出演していながらもあっさりとぶち殺されたり、宝塚女優が脳みそイッてる演技を見せてくれたりするので、芸術作品ではなく、純粋な娯楽作品を観に行く姿勢で臨めばよいだろう。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190708123013j:plain

 

 にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, アクション, スリラー, 日本, 玉城ティナ, 監督:蜷川実花, 藤原竜也, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 Diner ダイナー 』 -映像美は及第、演出は落第-

『わたしに××しなさい!』 -ポスターのようなシーンは無いから、スケベ視聴者は期待するな-

Posted on 2018年6月25日2020年2月13日 by cool-jupiter

わたしに××しなさい! 50点

2018年6月24日 梅田ブルク7にて観賞
出演:玉城ティナ 小関裕太 佐藤寛太 山田杏奈 金子大地 佐藤寛太
監督:山本透 

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180624213244j:plain

*以下、ネタバレに類する記述あり

まず、こんなポスターを作った配給会社の担当者および責任者は記者会見を開いて謝れ。景品表示法違反の疑いがある。というのは冗談だが、別に過激ミッションでも何でもない。単なるこじらせウェブ小説家女子高生(雪菜=玉城ティナ)が、自身の作品に恋愛要素を織り交ぜていくために、自分でも恋愛的な体験をしていくことで、作品の質も上がるだけではなく、当初予想もしていなかった自分自身の変化に戸惑いを感じ初めて・・・という、そこだけ見ればよくある話。むしろ、このストーリーを支えるのは、疑似恋愛の相手役である生徒会長(北見時雨=小関裕太)や、ウェブ小説のライバルである氷雨(=金子大地)、雪菜の従兄弟の霜月晶(=佐藤寛太)、さらには時雨の幼馴染の水野マミ(=山田杏奈)や小説の編集者(=オラキオ)などだ。

主人公は『 暗黒女子 』で輝けそうで輝けなかった玉城ティナ(清水富美加に光をかき消されたという印象)。『 あさひなぐ 』の西野七瀬もそうだったが、メガネが似合う女子というのは、一昔前に比べて確実に増えているらしい。それでもこのメガネ女子は、冒頭のクレジットシーンで見事なキャットウォークを披露して、独立不羈で我儘、甘えたい時に甘えて、無視する時は無視しますよ、というキャラクターであることを観る者に予感させてくれる。そして、その期待は裏切られない。

ウェブ小説が好評を博している雪菜は、編集者や読者からの要望もあり、恋愛要素を作品に取り入れようとする。しかし、空想するばかりで実体験の無い自分にはそれはできそうにない。そうか、それなら疑似恋愛体験をして、それを自作に盛り込めばよい、と考える。ここで候補として従兄弟の昌が浮上してくるが、雪菜はあっさりと拒絶。その代わりに、ひょんなことからダークサイドを秘めていた北見時雨の弱みを握り、ミッションと称して、手を握らせたり、ハグさせたりして、その心象風景を小説に取り入れていく。それにより、ライバル作家の氷雨に一歩リードするものの、時雨の幼馴染には何かを感づかれ・・・

というように、どこかで見たり聞いたりしたようなプロットのモンタージュ作品である。それによってある意味、安心して観賞もできるが、興奮させられたり驚かされたりすることも少ない作品である。したがって、観る側の興味は畢竟、役者の演技や作品の演出に移行していく。

まずは主演の玉城ティナ。何度でも言うが、メガネが似合う。そして定番中の定番、女友達がいない。これは安心して見ていられる。女の友情は一定年齢以上の男には共感できないところが多い(理屈である程度の理解はできるのだが、長々と大画面で見せつけられるのは正直キツイ。『 図書館戦争 』での柴崎と笠原の関係ぐらいが清々しくていい)。特徴的なのは容姿だけではない。話し方もだ。当り前だが、活字と発話は異なる。漫画や一部のライトノベルなどでおなじみの手法として、特徴的な語彙を多用する、または語尾を特定の形に統一する、などがある。雪菜の喋りは、この文法に映画的に正しく則っており、メガネ以外のもう一つの特徴としてキャラ立ちに大きく貢献しており、彼女の役者としての力量を見た気がする。

相手役の古関は『 覆面系ノイズ 』では学ランがパツパツで、高校生役はちょっと無理では?という印象を受けたが、ブレザーなら充分に通用する。また終盤では素の顔と仮面の顔を一瞬で入れ替えるシーンがあるが、こんな演技力あったっけ?とも思わされた。どこか坂口健太郎を思わせるルックスもあって、同じぐらいの活躍を期待したい。

その他、三白眼が印象的な佐藤寛太、武田玲奈とキャラもろ被りに思える山田杏奈、普通に出版社もしくは証券会社あたりにいそうな会社員役のオラキオなど、若手を中心に今後に期待を持てるキャストが集まっていた。だからこそ、もっとユニークなテーマを追求してほしかったと思う。「誰かを傷つけたくない」というのは恋愛(に限らず人間関係全般)において、美しいお題目ではあるが、ただ臆病であることを誤魔化したいからこその台詞。そんなことは誰もが分かっている。それを乗り越えるのが青春の、醍醐味であり、ある意味では終わりでもある。実験的なテーマの作品に、ポテンシャルを秘めた若手キャストで挑むからには、監督にも何らかのチャレンジが求められるが、エンディングのあのバレット・タイムは何とかならなかったのだろうか。他にもっと印象的な絵作りはできなかったのか。監督と自分の波長が合わなかっただけなのだが、最後の最後の着地で少しミスってしまった作品、そんな感想を抱いた。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ラブロマンス, 古関裕太, 日本, 玉城ティナ, 監督:山本透, 配給会社:ティ・ジョイLeave a Comment on 『わたしに××しなさい!』 -ポスターのようなシーンは無いから、スケベ視聴者は期待するな-

最近の投稿

  • 『 28日後… 』 -復習再鑑賞-
  • 『 異端者の家 』 -異色の宗教問答スリラー-
  • 『 うぉっしゅ 』 -認知症との向き合い方-
  • 『 RRR 』 -劇場再鑑賞-
  • 『 RRR:ビハインド&ビヨンド 』 -すべてはビジョンを持てるかどうか-

最近のコメント

  • 『 i 』 -この世界にアイは存在するのか- に 岡潔数学体験館見守りタイ(ヒフミヨ巡礼道) より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に cool-jupiter より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に 匿名 より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に cool-jupiter より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に イワイリツコ より

アーカイブ

  • 2025年5月
  • 2025年4月
  • 2025年3月
  • 2025年2月
  • 2025年1月
  • 2024年12月
  • 2024年11月
  • 2024年10月
  • 2024年9月
  • 2024年8月
  • 2024年7月
  • 2024年6月
  • 2024年5月
  • 2024年4月
  • 2024年3月
  • 2024年2月
  • 2024年1月
  • 2023年12月
  • 2023年11月
  • 2023年10月
  • 2023年9月
  • 2023年8月
  • 2023年7月
  • 2023年6月
  • 2023年5月
  • 2023年4月
  • 2023年3月
  • 2023年2月
  • 2023年1月
  • 2022年12月
  • 2022年11月
  • 2022年10月
  • 2022年9月
  • 2022年8月
  • 2022年7月
  • 2022年6月
  • 2022年5月
  • 2022年4月
  • 2022年3月
  • 2022年2月
  • 2022年1月
  • 2021年12月
  • 2021年11月
  • 2021年10月
  • 2021年9月
  • 2021年8月
  • 2021年7月
  • 2021年6月
  • 2021年5月
  • 2021年4月
  • 2021年3月
  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月
  • 2020年6月
  • 2020年5月
  • 2020年4月
  • 2020年3月
  • 2020年2月
  • 2020年1月
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月

カテゴリー

  • テレビ
  • 国内
  • 国内
  • 映画
  • 書籍
  • 未分類
  • 海外
  • 英語

メタ情報

  • ログイン
  • 投稿フィード
  • コメントフィード
  • WordPress.org
Powered by Headline WordPress Theme