Skip to content

英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

  • Contact
  • Privacy Policy
  • 自己紹介 / About me

タグ: 河合優実

『 ナミビアの砂漠 』 -現代人の心象風景-

Posted on 2024年9月20日 by cool-jupiter

ナミビアの砂漠 70点
2024年9月16日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:河合優実 寛一郎 金子大地
監督:山中瑶子

 

『 あんのこと 』の河合優実主演作ということでチケット購入。

 

あらすじ

カナ(河合優実)は甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる恋人のホンダ(寛一郎)と同棲しつつ、ハヤシ(金子大地)とも逢瀬を繰り返していた。ある時、出張から帰ってきたホンダがあることを告白してきて・・・

 

以下、軽微なネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

21歳の奔放女子ながら、その中身は空虚で、仕事にも友情にもどこか身が入っていない。その一方で健全にセクシャルな魅力も放っているカナというキャラクターは、おそらく一種のサイコパスなのだろう。そうでなければ離人症か。カナというキャラを一言で表すなら「自分で自分が分からない」、これである。誰もが経験する感覚だが、それを非常にリアルに体現している。

 

友達もいるし、恋人もいるし、浮気相手もいるし、職場の上司や同僚もいる。それでもカナは孤独である。なぜか。満たされないからだ。ホンダから注がれる愛情にも満足できず、ハヤシから愛情を注がれないことにも満足できない。そのハヤシとの喧嘩のシーンは圧巻だ。というのも、言い争いではなく取っ組み合いだからだ。それもかなりロングのワンカットで、リハーサルは大変だったと思われるが、それを見事にやってのけている。

 

喧嘩するほど仲がいいと言うが、カナとハヤシはある意味で冷めてしまった夫婦のような関係であると思う。劇中でも「二人ではなく、一人と一人」という台詞があるが、これが実に腑に落ちる。この二人でいるはずなのに独りでいるように感じてしまうカナの背景には何があるのか。それが少しずつ明らかになっていく中盤以降の展開は非常に重苦しい。

 

本作は撮影面でもユニークだ。家の中では手ぶれが見て取れる一方で、家の外のシーンでは定点カメラで撮影されている。『 幼な子われらに生まれ 』でも家の中ほど手ぶれしていて、それが臨場感、つまりその場に自分も居合わせているかのように感じさせるのと同じ手法がここでも見られた。家の中と外のギャップ、それを絶妙に橋渡しする存在としての隣人が非常に良い味を出している。

 

カナの抱える悲しい過去や、少し人と異なるバックグラウンドを持つことが、カナを追い詰める。しかし、そのことが逆に希望にもなっている。ナミビアの砂漠というのは古い歌謡曲『 東京砂漠 』の現代版ということだろう。砂漠に点在するオアシス。そこにわずかばかりの動物が集まってくる。動物たちは決して仲睦まじく交わろうとはしない。ただ、相手を追い払うこともない。広い砂漠で偶然に出会った。その相手の存在を決して否定しないこと、その相手と共存すること。それが現代人の生き方の一つのモデルになるのではないだろうか。

 

ネガティブ・サイド

カナがある意味で現代人の脆さを体現しているのは分かるが、カナの精神の均衡を壊すきっかけが、うーむ・・・ もちろんショッキングな出来事であることは間違いないが、それをあたかも女性だけが重く受け止められる事象であるかのように描くのはいかがなものか。

 

また、カナの精神的な不調をそのままメンタルの病に還元してしまうのも安易というか安直というか。中島歩演じる心療内科医がいくつか鑑別を挙げて、その後の方針も示していたが、ここはもっとダイレクトに心の不調の原因となる出来事や、それを維持させている環境についてダイレクトに示唆を与えても良かったのではないか。そのうえで、オンライン診療よりも、人と人との出会いと交わりにこそ意味があるのだ、という幕引きはありえなかっただろうか。

 

総評

『 あんのこと 』と並ぶ河合優実の代表作であることは間違いない。現代社会の一種の病理を非常に分かりクリエイターたちがあぶり出した作品。ただし『 カランコエの花 』のように、時間の経過と共に作品のテーマ自体が新奇性を失うものでもない。カップルのデートムービーには決して向かないと思うが、同棲前に一種のシミュレーションとして鑑賞してみるのも、それはそれでありかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント中国語レッスン

ティンブトン

I don’t understand. の意。つまり、「理解できない」「言っていることが分からない」ということ。劇中でこの台詞が使われることでカナの孤独がより際立っていた。現代人の病理(と言っていいのかどうか・・・)に、他の人と一緒にいる時により強く孤独を感じる、というものがあると思うのだが、どうだろう。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 愛に乱暴 』
『 侍タイムスリッパ- 』
『 ヒットマン 』

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村    

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 寛一郎, 日本, 河合優実, 監督:山中瑤子, 配給会社:ハピネットファントム・スタジオ, 金子大地Leave a Comment on 『 ナミビアの砂漠 』 -現代人の心象風景-

『 あんのこと 』 -社会の一隅の現実-

Posted on 2024年6月19日 by cool-jupiter

あんのこと 75点
2024年6月15日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:河合優実 佐藤二朗 稲垣吾郎
監督:入江悠

 

旧シネ・リーブル梅田の頃にパンフレットを見て興味を抱いたのでチケットを購入。

あらすじ

学校にも六に通えず、母親から虐待されて育った香川杏(河合優実)は、売春と薬物使用の疑いで警察に逮捕される。しかし、そこで人情味あふれる刑事、多々羅(佐藤二朗)やジャーナリストの桐野(稲垣吾郎)と出会い、更生への道を歩み始めるが・・・

 

ポジティブ・サイド

よくもここまで暗い話を描けたものだと感心する。まるでよくできたた社会派の韓国映画を観ているようだった。それを可能にしたのは第一に脚本の力、次に役者の力だろう。

 

まず、2020年6月の朝日新聞の記事だが、これは無料登録すれば読めるので、ぜひ多くの人に(映画鑑賞後に)読んでほしい(読み終わったら、すぐに登録解除のこと)。コロナによって日本社会のセーフティネットの脆さが浮き彫りになったと言われるが、問題はそもそもセーフティネットにかからない人々が最初から一定数存在するということ。劇中でも小学校にすらまともに行けなかったという人が役所で体よく生活保護申請を却下されそうになるが、そもそも不登校の時点で登校を両親に促さない行政の怠慢があったはずなのだ。杏にしても同じこと。「自己責任」(小泉政権)やら「自助・共助・公助」(菅政権)という一種のスローガンで切って捨てるのではなく、言葉の本当の意味でのインクルージョンについて考えるべきではないのか。

 

ハナさんの人生の壮絶さは想像するしかないが、虐待、性被害、薬物使用など一人で現代社会の諸問題の総合商社をやっている杏というキャラクターの内面は想像すらできない。実際に、杏の心中がナレーションや字幕などで物語られることも一切ない。すべては杏の表情や立ち居振る舞いから推測するしかないが、河合優実は見事に演じきった。ネタバレになるので書けないが、親に愛されなかった自分を、自分自身で取り戻す機会などそうそうあるものではない。それを奪われた。絶望するには充分だ。この絶望感は観る側に間違いなく感染するだろう。

 

ネガティブ・サイド

ラストシーンが意味深。新たな家族の再生なのか。それとも新たな虐待親子関係の始まりなのか。どちらとも判断しかねるが、ここはどちらなのかを入江監督にはっきりと映し出してほしかった。『 MOTHER マザー 』のラストシーンもそうだったが、解釈を観る側にゆだねるのではなく、作家としてのメッセージを明確に示してほしかったと思う。

 

総評

鑑賞後、『 トガニ 幼き瞳の告発 』を観終わった時のような虚無感を覚えた。それだけ見る者の心に澱みを残す作品だと言える。『 ギャングース 』でも見られた入江監督の社会の底辺で生きる者たちへの眼差しは、本作でさらに透徹したものになったと評していいだろう。杏というキャラクター、そしてそのモデルとなった人物にどれだけ思いを馳せられるのか。想像力を試される作品だと言える。メンタルの調子を整えてから鑑賞されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

abuse

アビューズと発音する。本作には三つの abuse が描かれている。一つは drug abuse = 薬物乱用、もう一つは child abuse = 児童虐待、最後に power abuse = 職権乱用である。いずれも全く良い意味ではないが、現代のニュースを英語で見聞きする際には、悲しいかな、必要な語彙である。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 バジーノイズ 』
『 チャレンジャーズ 』
『 ザ・ウォッチャーズ 』

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村    

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 伝記, 佐藤二朗, 日本, 河合優実, 監督:入江悠, 稲垣吾郎Leave a Comment on 『 あんのこと 』 -社会の一隅の現実-

『 少女は卒業しない 』 -鮮烈な青春の一瞬-

Posted on 2023年3月12日 by cool-jupiter

少女は卒業しない 70点
2023年3月11日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:河合優実 中井友望 小野莉奈 小宮山莉渚
監督:中川駿

簡易レビュー。

 

あらすじ

廃校と取り壊しが決まっている山梨の高校。山城まなみ(河合優実)、作田詩織(中井友望)神田杏子(小宮山莉渚)、後藤由貴(小野莉奈)は、卒業を目前に控えながら、それぞれに秘めた想いをなかなか形にすることができず・・・

ポジティブ・サイド

キャスト全員がアイドルではなく、ちゃんとした役者である。特に印象に残ったのは作田詩織を演じた中井友望。関西のいくつかの大学で教えることがあるが、こういう子は一定数存在する。ペアワークやグループワークを呼び掛けても無言または無反応。ただし、授業の終わりに講師にちょっとした質問だけをしに来る。藤原季節演じる教師が、また良い味を出している。

 

主役はまなみだろうか。『 佐々木、イン、マイマイン 』以来、彼女の出演作は定期的にチェックしているが、本作でも鮮烈なインパクトを残した。表情や声の使い分けが素晴らしい。ちなみに、まなみの想い人の登場シーンに「ん?」と感じたが、これは非常にフェアな演出。

 

最後は不覚にも森崎という男子生徒に二重の意味で泣かされた。二重というのは「その歌声の美しさ」と「その歌声が駿に届いていた」ことを指す。久々に邦画で well up した気がする。

 

ネガティブ・サイド

場面と場面のつなぎが、やや乱暴なところが見受けられた。4組の男女のオムニバス形式なのだから致し方ないとも言えるが、静寂のシーンから大音量シーンに転換するのはいただけない。もう少し各シーンの余韻を大事にしてほしいものである。

 

やや台詞に頼り過ぎかなと感じた。『 ここは退屈迎えに来て 』の成田凌が「ずっと高校生でいたい」というのと同じ独白を由貴がするのは、なんか違うなと感じた。開花する前の桜の木々を物憂げに見つめる。そんな演出は追求できなかったか。

 

総評

青春映画の秀作。タイトルの『 少女は卒業しない 』というのは、少女時代を忘れないということだろう。男は基本的に全員アホであるため、野郎同士が再会すればすぐに少年に戻ってしまう。『 くれなずめ 』が好例だ。本作は逆に、淡い想いに決着をつけて、前に進んでいく少女たちの物語。劇場で上映している間に、ぜひともチケット購入を!

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

commencement

卒業=graduation で覚えている人も多いと思う。ぜひもう一つ、commencementも押さえてほしい。graduationは卒業に至るまでの過程に重点を置くのに対し、commencementは修了そのもの、さらにそれが含意する「何か新しいことの始まり」も意味する。年配のテニスファンなら、松岡修造が引退会見で「これはコメンスメント、終わりであると同時に始まりである」という趣旨の発言をしたことを覚えておられると思う。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 湯道 』
『 Winny 』
『 シン・仮面ライダー 』

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村    

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, 中井友望, 小宮山莉渚, 小野莉奈, 日本, 河合優実, 監督:中川駿, 配給会社:クロックワークス, 青春Leave a Comment on 『 少女は卒業しない 』 -鮮烈な青春の一瞬-

『 PLAN 75 』 -姥捨て山は他山の石たりえるか-

Posted on 2022年6月25日 by cool-jupiter

PLAN 75 75点
2022年6月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:倍賞千恵子 磯村勇人 河合優実
監督:早川千絵

 

なんかこんな小説読んだなと思っていたが、小説『 七十歳死亡法案、可決 』と本作は全く別物だった。それでも10年前に提起された問題が、そのまま2022年に持ち越されているところが日本らしいと言えば日本らしい。

あらすじ

社会保障費増大の原因とされる高齢者が殺害される事件が頻発。満75歳から安楽死を選択できる法律、通称「プラン75」が施行された。客室清掃員の角谷ミチ(倍賞千恵子)は突然、ホテルを解雇されてしまう。仕事や、それまでの人間関係も失ってしまたミチはプラン75への申し込みを検討するが・・・

ポジティブ・サイド

冒頭でショッキングな事件が描かれる。高齢者施設に銃を持った男が侵入し、大量殺人を犯す。その後、速やかにプラン75成立までが描かれる。ここの描写に時間を使わなかったのは英断。『 図書館戦争 』で昭和から正化への移り変わりをダイジェスト的に描いていたのと同様の手法である。

 

ホテルの客室清掃員のミチを演じる倍賞千恵子が、どこまでも真に迫っている。70代後半でありながら年金暮らしではなく、日々あくせく仕事をしながら、同僚や友人を持ち、社会とつながりを保っている。しかし、同僚の一人が仕事中に倒れてしまったことから「高齢者を働かせるとは何事か」との投書があり、ミチらは解雇されてしまう。ここから日本社会の冷たさというか、早川千絵監督の描きたいものが見えてくる。社会参加の意思があり、その能力もあるにも関わらず、拒絶される。このあたり、Jovianは仕事柄、よく経験している。語学企業の教務トレーナーとして、学校・企業・官公庁でレッスンを担当する講師を採用・育成・オブザーブ・研修しているが、特に学校は65歳あるいは70歳以上の講師はNGというところが本当に多い。能力的にも体力的に、もちろん認知の面で問題ない講師でも、年齢だけで弾かれる。人間が人間ではなく数字で判断されてしまう世の中なのである。

 

そうして社会から孤立を深めていくミチとは対照的に、プラン75の受付業務に精勤するヒロム(磯村勇人)が描かれる。典型的な役人なのだが、そこに長く音信不通になっていた叔父が現れ、プラン75に申し込んでくる。ここで黙々と職務に励むヒロムと、叔父の死への旅路を自分が用意してしまうことに葛藤を覚える。このあたりの対照も非常に際立っている。なぜなら、叔父のプラン75を受け付けつつも、その一方で公園のベンチでホームレスが寝られないようにする仕切り金具をあれやこれやと試して、「ああ、これはもたれにくい」、「これなら寝られないな」と無邪気に感想を述べる。名前のない人間に対して、人はいともたやすく冷酷になれる。それは職務に忠実だからこそで、それこそまさにハンナ・アーレントが呼ぶところの「凡庸な悪」である。悪意のない悪と言ってもいい。

 

もう一人の重要人物として、フィリピンから来日したマリアの存在が挙げられる。祖国にいる病気の子どもを助けるための治療費捻出のために、教会から非常に shady な仕事を紹介される。それがプラン75で亡くなった人々の遺品処理。キリスト教の教会がそんな仕事の仲介をしているのにもビックリするが、では遺体の処理はどうなっている?という疑問が、ヒロムやミチの物語に絡んでくる。なるほどなと思わされた。脚本の妙である

 

切った爪をゴミ箱に捨てずに植木鉢=土に還すミチの姿に、命に対する彼女の考え方が静かに、しかし如実に表れている。人間だれしも年老いてしまえば「吾日暮れて途遠し」となる。しかし、そこで国家が「故に倒行して之を逆施す」となってはならない。残念ながら、日本は逆施倒行している。「年金は100年安心」と言いながら、「老後に自分で2000万円貯めろ」とも言っている。正直なところ、プラン75のような法案が日本で可決される可能性は2〜3%あるのではないかと疑ってしまう。社会派の硬質な映画が送り出されてきたなと思う。

ネガティブ・サイド

プラン75に対して「最初は反発していたけれど、孫のためならしょうがないかな」という女性の声があったが、こうした pro-Plan 75 の声をもっと紹介するべきだったと感じる。別にプラン75そのものが素晴らしいからという意味ではなく、プラン75へのニーズは潜在的に存在するという現実もあるからだ。Jovianの祖母が亡くなった数年後に、Jovian父はNHKの老老介護の番組を観ながら「おふくろは寝たきりになる前に死んでくれたなあ」と口にしたことがある。なんちゅうこと言うんや、と思いはしたものの、老老介護による共倒れという現実がそこにある以上、一個人の極めて健全な感想と受け取るしかない。そうした市井の声を劇中でもっと紹介してくれれば、個人の声も国家に届くということが逆説的に示されたのではないだろうか。

 

河合優実演じるコールセンター職員・成宮とミチが実際に出会う展開は興ざめ。必要なのはコールセンター側の人間の想像力であって、想像力を喚起するのは出会いではなく、声だけの触れ合いの方だろう。ミチとの電話のやり取りを通じて、成宮の社会を見る目、人を見る目が変化しつつある、ということを感じさせる演出こそがふさわしかったのでは?

 

総評

劇場はかなりの入りで、その多くが中年以上、あるいは高齢者だった。彼ら彼女らは本作が高齢者を虐げる物語ではないと直感的に感じ取ったのだろう。だからといって、高齢者を肯定する物語でもない。淡々と進行しながらも、物語の奥行きが広い。命についての深い考察がある。『 Arc アーク 』や『 いのちの停車場 』で慨嘆させられた映画ファンは、本作で大いに留飲を下げることができるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

abort

「途中でやめる」の意。プラン75はいつでも止められるということだが、この場合の止めるに当てる訳語は abort がふさわしい。stop と言ってしまうと restart してしまう可能性があるが、abort は止めてしまって、もう元には戻らない。中絶を abortion という言うわけである。  

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 国内, 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, カタール, ヒューマンドラマ, フィリピン, フランス, 倍賞千恵子, 日本, 河合優実, 監督:早川千絵, 磯村勇人, 配給会社:ハピネットファントム・スタジオLeave a Comment on 『 PLAN 75 』 -姥捨て山は他山の石たりえるか-

『 愛なのに 』 -不思議な愛の物語-

Posted on 2022年5月13日 by cool-jupiter

愛なのに 75点
2022年5月8日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:瀬戸康史 さとうほなみ 河合優実 中島歩
監督:城定秀夫

テアトル梅田で見逃してしまった作品。塚口サンサン劇場にて上映中。R15作品だからなのかどうか知らないが、観客の中高年男性率が非常に高かった。

 

あらすじ

古本屋を営む多田(瀬戸康史)は女子高生の岬(河合優実)に突如プロポーズされる。「自分には好きな人がいるから」と丁重に断る多田だが、岬はあきらめない。一方、ただの想い人である一花(さとうほなみ)は婚約者の亮介の浮気を知ってしまい・・・

ポジティブ・サイド

事実は小説より奇なりと言うが、この脚本は実際にはなかなか現実にはならないだろう。アラサー男が女子高生に求婚される。丁重にお断りする。またまた求婚される。丁重にお断りする。その理由は他に好きな人がいるから。しかし、その好きな人は婚約者に浮気をされていた。しかも浮気相手が自分たちの結婚式のプランナー・・・。よくこんな人間模様を構想できるなと感心する。この設定だけで面白いと感じられる。

 

女子高生を演じる河合優実が本作でも鮮やかな存在感を放つ。恋に恋する女子高生で、多田にストレートに「結婚してください」と伝える。「そんなこと(=淫行)したら俺、逮捕されちゃう」という多田に、「あ、そういうのは無しで」とぬけぬけと言ってのける。もうこれだけで笑えてしまう。微笑ましい気分になる。その後も同級生男子と多田の間を行きかい、さらには親まで出張らせる始末。まさにおぼこさと小悪魔さの両方を遺憾なく発揮している。

 

極めて対照的なのがさとうほなみ演じる一花。こちらはトップレスを披露し、妖艶な濡れ場も熱演。『 RED 』の夏帆を上回る色気を存分に堪能させてもらった。多分、劇場に来ていた中高年たちも、さとうほなみを見に来ていたのだと思われる。いや、それにしても河合優実が小悪魔なら、こちらは悪魔というか魔女、いや魔性の女?婚約者に浮気されたからと、自分も同じことをしてやろうという発想もなかなかユニークだし、その相手に自分を一途に想い続ける男を選ぶというのも、ナチュラルに鬼畜だ。元々ミュージシャンということだが、表現方法が独特。無表情なようで表情がある。感情の起伏に乏しそうで、しかし感情が時に爆発する。自然体と言おうか、演技が上手いなあと感じない。等身大の悩めるアラサー女子を act しているのではなく、等身大の悩めるアラサー女子に be しているからだろう。素晴らしいとしか言いようのない performance である。

 

本作のテーマはタイトル通りに「愛」なのだが、『 愛なのに 』という逆接の通りに、きれいに成就することがない。愛する相手から愛のない求められ方をされることがどれほど酷なことか。それでいて、その求めに応じざるを得ないというジレンマ。瀬戸康史の渾身の演技に我あらず感情移入してしまった。男性の99%は恋を引きずった経験があるはずだが、そうした気持ちがわずかでもあれば、きっとこの多田という男とシンクロできはずだ。

 

本作の撮影はおそらく三鷹市だろう。Jovianの母校は三鷹市の国際基督教大学で、見覚えのある街並みがいくつかあった。おそらくゲーセン(芸術文化センター)あたりなのではないかと思う。上連鳥というバス停にも思わず笑ってしまった。上連雀など、まさにかつての庭である。さらに物語終盤の神父様の説教が笑える。Jovianは霊肉一致の神学論を打ち出した関根正雄の弟子の並木浩一門下だったので、この神父の説教が何であるのかよく理解できた。なので一花が盛大な勘違いをしているのをニヤニヤしながら映画を鑑賞していた。おそらく濃厚なベッドシーン目的にチケットを購入していたどのオッサン連中よりも、Jovianの方がキモイ表情をしていたはずだ。まあ、それだけ刺さる人には刺さる作品になっているということである。

ネガティブ・サイド

現代風のLINEと古風な手紙。昔からの想い人である一花とのやりとりがスマホで、Z世代の女子校生の岬とのやりとりが手紙というコントラストが十全に追究されていたとは言い難かった。このあたりを愛のないセックスとセックスのない結婚との対比にまでつなげられていれば、年間ベスト級に仕上がったのではないだろうか。

 

終盤近くの多田のある台詞があまりにも陳腐である。ここはそれこそタイトル通りの「愛なのに!」でよかった。

 

総評

R15ということは、場合によっては高校生や大学生のカップルでも鑑賞できるわけだが、子どものデート向きではない。むしろ30代以上の夫婦で余裕をもって鑑賞するべき作品であると思う。愛の形はそれぞれで、何が正解というものでもない(不正解はありうるが)。男女のあれやこれやを赤裸々に語り、男にとっては非常にショッキングなセリフも聞こえてくるが、世の男性諸賢に提案したい。逆にそうしたシーンこそ呵々と笑ってしまおうではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

To err is human, to forgive divine. 

「過つは人の常、許すは神の業」の意。確か高校生の時に学校で配られた『 WORD BANK 4000 』という単語帳で初めて見たと記憶している。大学の寮生活でネイティブ連中が何度か ”To err is human” と言って自己弁護しているのを聞いて「ああ、ホンマに使うんやなあ」と感動したのも覚えている。今度、仕事でミスった時に同僚ネイティブ相手に使ってみようと思う。

 

 にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, さとうほなみ, ラブロマンス, 中島歩, 日本, 河合優実, 瀬戸康史, 監督:城定秀夫, 配給会社:SPOTTED PRODUCTIONSLeave a Comment on 『 愛なのに 』 -不思議な愛の物語-

『 ちょっと思い出しただけ 』 -鮮やかな回想劇-

Posted on 2022年2月20日2022年2月20日 by cool-jupiter

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220220213816j:plain

ちょっと思い出しただけ 75点
2022年2月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:池松壮亮 伊藤沙莉 河合優実
監督:松居大悟

 

『 くれなずめ 』や『 君が君で君だ 』など、終わらない青春、あるいは青春を引きずる姿を追究してきた松居大悟監督の最新作。またJovianの大学の後輩がプロデューサーも務めている。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220220213839j:plain

あらすじ

ダンサーだったが、怪我で舞台の照明係に転身した照生(池松壮亮)。タクシー運転手としてコロナ不景気に翻弄される葉(伊藤沙莉)。葉はある客を乗せたことで、照生と付き合っていた、かつての日々を思い起こして・・・

 

ポジティブ・サイド

一年の特定の日付だけを映し出していく構成というと『 弥生、三月 君を愛した30年 』に少し似ているところがあるが、それを名作『 ペパーミント・キャンディー 』のように過去に逆行していく形で提示していくところがユニークだと感じた。作品によっては、視点が今なのか、それとも回想なのか分かり辛いものもあるが、本作はマスク着用や手洗いが生活様式として定着したところから始まっているので、現在と回想の見分けが容易。これは思わぬコロナの副産物だろう。

 

池松壮亮演じる照生が夢と現実の狭間でもがく姿に激しく共感する。同時に軽蔑のような念も覚える。それはおそらく、多くの男が持つ大人になってしまった自分と若者のままでいたい自分の葛藤を具象化させられたかのように感じるからだ。男は基本アホなので、付き合っている女性はいつまでも自分を好いてくれると思い込んでいるし、相手の言う「何があっても好き」のような言葉も鵜呑みにしてしまう。鑑賞中に何度「照生、このアホ、そこはそうちゃうやろ」と思ってしまったか分からない。

 

葉を演じた伊藤沙莉は、これが代表作になるのではないか。決して美人ではないのだが、ある瞬間にめちゃくちゃ可愛く見えるのは本人の力なのか、それともメイクアップアーティストやカメラマンの力なのか。『 息もできない 』のキム・コッピのように、大声を張り上げることも、とびきりチャーミングな笑顔を見せることもできる女優。ラブシーンも普通にいけそう。一番可愛らしいと感じたのは、タクシーを降りるところを照生に止められるシーン。ここでの葉のはしゃぎっぷりは恋する女子の演技としては白眉だろう。浮かれていながらも「言葉にしてほしい」という女子が共通して持つ強烈な願望が駄々漏れになっていて、非常に微笑ましく、かつ恐ろしい。男性諸君、言葉にすることの重要性をゆめ忘れることなかれ。

 

回想を経るごとにちょっとした小道具の存在の有無や照生の行動の違いなどが明らかになっていき、どんどんと物語に引き込まれていく。ただ時間をさかのぼりながらも、未来に向かっている部分もあった。永瀬正敏演じる、待っているおじさんがそれで、このサブプロットはなかなかにパンチが効いている。妻を待ち続ける=妻に執着し続ける姿は、そのまま照生の未来に見えてくるし、事実その通りである。というか、男全般に当てはまるわ、これ。『 パターソン 』でも何気ない日常の連続をある意味で壊す役割を演じた永瀬が、今度はその何気ない日常を延々と続ける姿はある意味で感動的でもあった。

 

男女の幸せだった日々が、理想と現実のはざまで少しずつずれていってしまうという意味では『 花束みたいな恋をした 』とも共通するところがある。しかし、本作では男の情けなさというか、女々しさ(この言葉が不適切でないことを祈る)が存分に表出されていて、かなり酸っぱさ濃いめの甘酸っぱい物語に仕上がった。松居大悟は作家性とエンタメ性をバランスよく表現できる監督で、氏の作品は今後も要チェックであると感じた。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220220213855j:plain

ネガティブ・サイド

言葉とダンスに関する問答が印象的だったが、特にダンスに関する部分はもっと突き詰められたのではないかと思う。外国映画は字幕か吹き替えかは、それこそ観る側が自由に選択すればよいと思う。ただ、言葉にしてくれないと分からないという時の言葉というのは、言語に関係があることなのか?とは感じた。何語で発話しようとも、なんらかの感情や思考が表現されたという事実は変わらないだろう。

 

もうひとつ、ダンスは言語を超えるというのにも大いに納得したが、ぜひ照生が葉に踊って見せるシーンをもっと取り入れてほしかった。愛情を踊りで伝える照生と、そのメッセージを受け取りながらも十分に解釈しきれない葉のコントラストがあれば、甘酸っぱさの甘さと酸っぱさが両方増しただろうと思う。

 

総評

男性の過去の恋愛への執着を描いた『 僕の好きな女の子 』と対を成すかのような作品。女性が過去の恋愛をいかにカジュアルに忘却できるかを、非常に説得力のある形で描き出している。男性が覚えているのに対し、女性は思い出す(その前提には「忘れる」がある)ものなのだ。そういうわけで、デートムービーにはあまり向かないかもしれない。どちらかというと、男女ともにおひとり様での鑑賞が望ましいと思われる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

pop the question

直訳すれば「例の質問をポンッと出す」の意、意訳すれば「プロポーズする」の意。プロポーズの言葉は十中八九、”Will you marry me?”(最後は falling tone で)である。疑問文=質問であるが、語尾は上げずに下げて言うべし。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ラブロマンス, 伊藤沙莉, 日本, 池松壮亮, 河合優実, 監督:松居大悟, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 ちょっと思い出しただけ 』 -鮮やかな回想劇-

『 サマーフィルムにのって 』 -青春の勧め-

Posted on 2021年8月14日 by cool-jupiter

サマーフィルムにのって 75点
2021年8月8日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:伊藤万理華 河合優実 祷キララ 金子大地
監督:松本壮史

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210814180902j:plain

Jovianの好物ジャンルである「映画を作る映画」である。中国映画の傑作にあてられたタイミングなので、従来であれば面白不感症になっているはずなのだが、本業のあまりの多忙さのせいで、面白いと感じる閾値が下がっているのだろうか。粗削りかつパクリのにおいも強烈に漂っているが、秀作であると感じた。

 

あらすじ

時代劇好きのハダシ(伊藤万理華)は、ある日名画座で自分の描く武士のイメージぴったりの青年、凛太郎(金子大地)を見つける。出演交渉するも、渋る凛太朗。しかし、ハダシは親友のビート版(河合優実)とハワイ(祷キララ)と共に、夏をかけて時代劇制作に乗り出すが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210814180920j:plain

ポジティブ・サイド

ハダシを演じた伊藤万理華がアイドルと言うにはビジュアル的に華がなく、だからこそ彼女が自分なりの青春を追い求める姿が神々しい。同じ映研で男が女に「好き」とだけ語りかけるだけの極めて陳腐(見方によっては実験的、前衛的)な映画を作るばかりの女子との対比が映える。脇を支えるビート版は『 佐々木、イン、マイマイン 』で短時間の登場ながら強烈なインパクトを残した河合優実。ハワイ演じた祷キララには『 町田くんの世界 』に出演した日比美思に通じる雰囲気を感じた。多分、ヒロインも脇役も両方こなせる女優になりそう。

 

時代劇をこよなく愛するというハダシの設定が良い。時代劇というジャンルは、西部劇と同じく、ある時代に固定されているがゆえに時を超える。その時々の流行りすたりを映像化した作品には出せない味がある。たとえば『 サッドヒルを掘り返せ 』ではエンニオ・モリコーネが『 続・夕陽のガンマン 』を指して「1000年先も残る」とある意味で自画自賛していたが、それはおそらく正しい。それは映画のクオリティはもちろんだが、ジャンルに依るところも大きい。その意味で、勝新太郎への愛とリスペクトをハダシと凛太郎の両方が共通して持っていることの説得力は大である。

 

映画を作るに際して最も大事なのは役者ではなく裏方である。その意味でも本作には好感が持てる。マジョリティに理解や受容をされるわけではないが、自分なりに芯の通った青春を過ごす者たちの連帯は見ていて清々しい。『 鬼ガール!! 』と同じく、最後の最後に言葉そのままの意味で theatrical なスペクタクルが展開される。チャンバラは時代劇の華。舞台は文化祭。甘ったるいばかりの青春映画が量産される邦画の世界で、本作のような作品こそ、高校生や大学生たちに広く観てほしいと思う。映画を作る映画というのはJovianの好物である。本当は70点であるが、ここでは5点をオマケしておく。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210814180936j:plain

ネガティブ・サイド

プロットの大筋は法条遥の小説『 リライト 』そっくりである。オマージュではなくパクリとの誹りを免れるのは難しい。

 

ハダシと凛太郎の時代劇をめぐる会話は非常に面白いし、よく練られていたと思う。惜しむらくは、言葉ではなく動作や立ち居振る舞いでもって、座頭市や藤枝梅安などの魅力を伝えてほしかった。そうしたシーンもあったのだが、量が足りない。『 サッドヒルを掘り返せ 』でボランティアたちが決闘シーンを再現したり、『 ピープルvsジョージ・ルーカス 』で『 スター・ウォーズ 』のキャラクターやインディアナ・ジョーンズになりきる熱狂的ファンが活写されていたのと同じで、ファンならば憧れの役にもっとなりきって欲しかった。そして、ハダシと凛太郎の間でしか通じない、しかし二人の間では確実に通じるような殺陣を演じてほしかった。

 

総評

邦画の世界の青春映画というと、胸キュンものかヤンキーものだが、もっとこういった創作系の青春ものが制作されてほしいもの。ミニシアターではなくTOHOシネマズなどで公開されれば、高校生たちにも観てもらえる。映画ファンだけではなく、まさに夏休み中の若者たちに観てほしい。デートムービーにもちょうど良いだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

film

言葉そのままにフィルムの意。『 映画大好きポンポさん 』ではフィルムをスプライシングするシーンがあったが、デジタル全盛の今となってはフィルムで映画を撮る業界人はマイノリティだろう。映画一つ一つは数えることができる( a film や films と言える)が、フィルムという物質そのものを指す場合は、常に film (不可算名詞)である。理由は、切ったり貼ったりして、数が増えたり、一つになったりするから。filmは、受験英語の指導者だけではなく英会話スクールの講師などですら結構な頻度で可算不可算を間違える語である。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, 伊藤万理華, 日本, 河合優実, 監督:松本壮史, 祷キララ, 配給会社:ハピネットファントム・スタジオ, 金子大地, 青春Leave a Comment on 『 サマーフィルムにのって 』 -青春の勧め-

『 佐々木、イン、マイマイン 』 -He lives in you-

Posted on 2020年12月2日2020年12月6日 by cool-jupiter
『 佐々木、イン、マイマイン 』 -He lives in you-

佐々木、イン、マイマイン 75点
2020年11月29日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:藤原季節 細川岳 遊屋慎太郎 森優作 河合優実
監督:内山拓也

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201202173151j:plain
 

このタイトルのインパクトは大きい。『 我が心の佐々木 』でもなく『 佐々木よ、お前を忘れない 』でもなく、『 佐々木 イン マイ マインド 』でもなく、『 佐々木、イン、マイマイン 』。なんかよく分からんが、凄いタイトルであることだけは分かる。そして中身も負けず劣らずに凄かった。

 

あらすじ

役者として芽が出ない悠二(藤原季節)は、職場で偶然、高校の同級生で親友だった多田(遊屋慎太郎)と再会する。変わっていく他人。変わっていない自分。それを意識する悠二は、佐々木(細川岳)という奇妙な親友のことも思い起こしていき・・・

 

ポジティブ・サイド

何というか、まるで自身の高校時代、そして紆余曲折あった20代をまざまざと見せつけられたように感じた。もちろん、悠二の人生とJovianの人生はまったく異なるものだが、この物語には普遍性がある。プロット自体はありふれたもの。夢を追い求めているものの、その夢に届かないまま現実に埋没していく男が、過去の輝いていた、少なくとも楽しんでいた、笑えていた時期を思い起こして、今を生きるためのエネルギーを得るというもの。読み飽きた、見飽きた物語である。では、何が本作をユニークにしているのか。

 

それはタイトルロールにある佐々木である。誰しも中学や高校、または大学の同級生に「そういえば〇〇というアホな奴がいたなあ」と思い出せることだろう。だが、本作で映し出される佐々木はただのアホではない。無邪気に笑う少年で、苦悩する男で、血肉のある人間なのだ。回想シーンでは、佐々木のアホな面ばかりが強調されるが、真に見るべきはそこではない。一昔前の言い方をするならば母親のいない欠損家庭の育ちであり、父親も家にはあまり帰ってこず、命綱はカップラーメンという高校生である。佐々木コールでスッポンポンになる姿は微笑ましいと同時に痛々しい。下の名前を呼んでくれる存在がいないのだ。

 

『 セトウツミ 』の川べりでのしゃべりのように、家でゲームをし、球にバッティングセンターに行く4人組。親友であることは間違いない。だが、上京する者あり、地元に残って就職する者あり、地元に残って就職しない者もありと、いつの間にか離散してしまっている。このあたりの描写が中年には結構きつい。身につまされる思いがする。あの友情はどこに行ってしまったのか。出会えば幼馴染のように一気に昔の関係に戻れるが、一方がスーツで既婚、もう一方がヨレヨレの私服でバイト暮らしでは、その関係性も昔のままのようにはなかなか行かない。そうした友情の在り方を本作は一面では問うている。その反面、そうした友情を愚直に、無邪気に、馬鹿正直なまでに大切にし、ずっと心の中で維持し続けてくれる友人もいる。それが佐々木なのだ。佐々木とは、我々中年が本当ならば保っているべき友への感謝、信頼、期待などの気持ちの代弁者であり体現者なのだ。

 

佐々木という豪快で繊細な男を演じ切った細川岳のパフォーマンスは見事の一語に尽きる。親友、そして事実上の喪主とも言える女性と巡り合えたことは僥倖だったし、そのことを我が事のように嬉しく感じられた。芝居で芽が出ない悠二も、自分の生き方と「役者」としての生き様が交錯するラストも万感胸に迫るものがある。10代20代よりも30代40代50代にこそ突き刺さる、青春映画の傑作の誕生である。

 

ネガティブ・サイド

悠二と同棲している元カノの存在が微妙にノイズであると感じた。夢の中身を「今日はどんな世界だった」と尋ねるのも奇異だ。別れた女と同棲しているのなら、そんなロマンティックな会話は慎めよと思うが、どうやらそれがルーティンらしい。だったらフラれた後にも、しっかりと口説き続けろと悠二には言いたい。

 

村上虹郎に「僕はあなたの芝居が好きだ」と評された悠二の芝居の独特なところや印象的なところ、佐々木にも「お前は続けなきゃだめだ」と言われた演技力が、回想シーンでは一度も描かれなかったのは残念である。

 

総評

佐々木には実在のモデルがいるということには驚かないが、これが長編デビュー作という内山監督のポテンシャルには驚く。次作以降へも期待が高まる。傑作を作るのに有名キャストや有名監督は必ずしも必要だとは限らないという好個の一例である。仕事にくたびれた中年サラリーマンよ、疲れているかもしれないが劇場へ行こう。その労力以上のエネルギーを本作から受け取ることができる。保証する。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

chant

日本語で言うところの「コール」である。「佐々木コールやれよ!」というのは、“Do the Sasaki chant!”または“Break out the Sasaki chant!”となり、「イチローコールは忘れられない」というのも“The Ichiro chant is unforgettable.”となる。応援などで言うcall=コールは典型的なジャパングリッシュなので注意のこと。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 森優作, 河合優実, 監督:内山拓也, 細川岳, 藤原季節, 遊屋慎太郎, 配給会社:パルコ, 青春Leave a Comment on 『 佐々木、イン、マイマイン 』 -He lives in you-

最近の投稿

  • 『 28日後… 』 -復習再鑑賞-
  • 『 異端者の家 』 -異色の宗教問答スリラー-
  • 『 うぉっしゅ 』 -認知症との向き合い方-
  • 『 RRR 』 -劇場再鑑賞-
  • 『 RRR:ビハインド&ビヨンド 』 -すべてはビジョンを持てるかどうか-

最近のコメント

  • 『 i 』 -この世界にアイは存在するのか- に 岡潔数学体験館見守りタイ(ヒフミヨ巡礼道) より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に cool-jupiter より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に 匿名 より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に cool-jupiter より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に イワイリツコ より

アーカイブ

  • 2025年5月
  • 2025年4月
  • 2025年3月
  • 2025年2月
  • 2025年1月
  • 2024年12月
  • 2024年11月
  • 2024年10月
  • 2024年9月
  • 2024年8月
  • 2024年7月
  • 2024年6月
  • 2024年5月
  • 2024年4月
  • 2024年3月
  • 2024年2月
  • 2024年1月
  • 2023年12月
  • 2023年11月
  • 2023年10月
  • 2023年9月
  • 2023年8月
  • 2023年7月
  • 2023年6月
  • 2023年5月
  • 2023年4月
  • 2023年3月
  • 2023年2月
  • 2023年1月
  • 2022年12月
  • 2022年11月
  • 2022年10月
  • 2022年9月
  • 2022年8月
  • 2022年7月
  • 2022年6月
  • 2022年5月
  • 2022年4月
  • 2022年3月
  • 2022年2月
  • 2022年1月
  • 2021年12月
  • 2021年11月
  • 2021年10月
  • 2021年9月
  • 2021年8月
  • 2021年7月
  • 2021年6月
  • 2021年5月
  • 2021年4月
  • 2021年3月
  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月
  • 2020年6月
  • 2020年5月
  • 2020年4月
  • 2020年3月
  • 2020年2月
  • 2020年1月
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月

カテゴリー

  • テレビ
  • 国内
  • 国内
  • 映画
  • 書籍
  • 未分類
  • 海外
  • 英語

メタ情報

  • ログイン
  • 投稿フィード
  • コメントフィード
  • WordPress.org
Powered by Headline WordPress Theme