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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 杉咲花

『 片思い世界 』 -余計な設定は不要-

Posted on 2025年4月21日2025年4月21日 by cool-jupiter

片思い世界 40点
2025年4月18日 T・ジョイ梅田にて鑑賞
出演:広瀬すず 杉咲花 清原果耶
監督:土井裕泰

 

『 花束みたいな恋をした 』の土井裕康監督作品ということでチケット購入。事前情報はほとんど仕入れずに臨んだが、思っていた作品ではなかった。

あらすじ

美咲(広瀬すず)、優花(杉咲花)、さくら(清原果耶)の3人は仕事、大学生活、アルバイトに勤しみながら、共同生活を送っていた。ある日、美咲が心寄せる幼馴染みの男性を見つけたことから、優花とさくらは美咲に告白を促すが・・・

 

以下、わずかなネタバレあり

ポジティブ・サイド

設定自体は割とありふれている。パッと思いつくだけでも



『 A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー 』

『 アザーズ 』

『 ザ・メッセージ 』

 

などが思い浮かぶ。本作のユニークなところは、それを3人娘の物語にしたところ。美咲、優花、さくらの三人が異なるパーソナリティを持っていて、それぞれに愛する人、会いたい人、憎むべき人を追っていくというサブプロットも悪くない。

 

魂魄この世にとどまりて怨み晴らさでおくべきかと言うが、生きていればどうしたって未練が残る。それは思慕の念であったり怨念であったりする。それを昇華して生きることの難しさや美しさが本作では存分に描き出される。

 

ストーリーに没入してもいいし、単純に目の保養のためにチケット購入するのもいいだろう。

ネガティブ・サイド

冒頭の回想シーンで「イマジナリーフレンドかな?」と思い、清原果耶の帰宅シーンで「ん、〇〇か?」と予感し、的中。もう少し導入部分を上手く組み立てられなかったか。

 

設定を必要以上に説明しようとするのは完全に蛇足であると感じた。おそらく『 TENET テネット 』にインスパイアされたのだと思われるが、脚本家は量子力学と素粒子物理学を弁別できていない。前者はミクロのレベルでは物理現象は量子化(離散的な値しか取れない)されるという前提に立つ学問で、後者は超ミクロの粒子は様々な力によって相互に作用することを研究する学問。両者は等価ではない。にもかかわらず、他世界解釈的な描写(それ自体が矛盾しているのだが)があったりと釈然としない。また素粒子物理の講義なのにシュレディンガー方程式を扱ったハンドアウトが配布されたりしている。何故だ?

 

また、3人が互いには触れ合えるのに他人に対してそうではないというのは、素粒子物理学で言うところの斥力のように感じられて興味深かったが、そうであれば3人は一定の距離以上には離れられないといった制約があればより説得力があった。

 

ラジオ放送も意味不明。ここのサブプロットは不要だった。もしくはここを追求するのであれば、合唱コンクールを録画あるいは録音した音声に子どもたち以外の声があった、という方がプロット上はより整合性が感じられるのではないだろうか。

 

優花の母の暴走を母の愛以上に描けたはずだが、そうしなかったのか、できなかったのか。「理由を知りたい」というのは実はエゴで、理由ではなく、理由を知ろうとすることそのものが自分の生きる理由になる。『 ゼロ・ダーク・サーティ 』でも、憎むべき敵をついに追い詰めた時、主人公の胸に去来したのは充実感ではなく喪失感だった。人間とは往々にしてそういうもの。もっと人間のドロドロの情念に踏み込んでほしかった。

 

美咲の書いたオペラは美しいのは美しいが、10代前半で可能な描写ではない。

 

総評

不条理な世界の設定を詩や戯曲を通じて語るのはよい。しかし、サイエンスを絡ませるのならそこも徹底すべきである。あるいはサイエンスはすべて排除すべきだった。物語世界の設定は悪くないのだから、そこに生きるキャラを徹底的に描写すべきで、世界がどうなっているのかを追究するのは不要だった。鑑賞する際は、キャラクター達だけに集中のこと。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

relocate

引っ越しする、の意味。moveよりも少しフォーマル。I am scheduled to relocate to Tokyo due to my job transfer. のように使う。語彙力増強のためには類義語を覚えるのが早道だが、その際、レジスター(カジュアルな表現なのかフォーマルな表現なのか)を意識できれば中級者以上である。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 RRR:ビハインド&ビヨンド 』
『 異端者の家 』
『 今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は 』

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ラブロマンス, 広瀬すず, 日本, 杉咲花, 清原果耶, 監督:土井裕泰, 配給会社:リトルモア, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 片思い世界 』 -余計な設定は不要-

『 市子 』 -それでも静かに生きていく-

Posted on 2023年12月19日 by cool-jupiter

市子 75点
2023年12月16日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:杉咲花 若葉竜也
監督:戸田彬弘

 

簡易レビュー。

あらすじ

市子(杉咲花)は同棲している恋人の長谷川(若葉竜也)からプロポーズを受けて快諾する。しかし、市子は翌日に姿を消してしまう。市子を探し求める長谷川は、市子がかつては月子と名乗っていたことを知り・・・

 

ポジティブ・サイド

本作の扱うテーマはレバノン映画の傑作『 存在のない子供たち 』と同じ。戸籍=身分証明=アイデンティティというのが現代社会だが、そこからこぼれ落ちてしまった者はどう生きていけばよいのか。本作はそれを追究しようとしている。

 

これまで少女役ばかりだった杉咲花がやっと一皮むけたかなという印象。弱さと強かさの両方を併せ持つ女性を演じきったのは見事。傾城の美女ではなくともファム・ファタールにはなれるのだ。

 

市子の過去をめぐって様々な人物の物語を移していく手法は『 正欲 』と同じ。また、エンドロールの際に流れる声で物語を想起させる手法は『 カランコエの花 』と同じ。content ではなく form が重なるのは個人的には全然OKである。

 

ネガティブ・サイド

いくらなんでも最初の事件は簡単に事の真相がばれてしまうと思うのだが。そうなると月子→市子というメタモルフォーゼも無理ということなってしまう・・・

 

また次の事件では死んだ人間の仕事がそちら関係なので、必然的に市子およびその周辺も捜査されてしまうと思われる。

 

総評

ウィリアム・アイリッシュの昔から「消えた女」を追うというプロットはハズレが少ない。本作もいくつかの点に目をつぶればOKだ。作劇の面ではいくつかの先行作品とそっくりだが、中身の点では『 さがす 』に似ていると感じた。邦画の世界でも陰影の深い作品が生み出されつつあるのは好ましいことだと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

hug

ハグするというのは日本語にもなっている。意味は「抱きしめる」である。劇中の長谷川の印象的なセリフに「抱きしめたい」というものがあったが、あれは I want to hug her. となるはず。よりドラマチックかつロマンチックな言い方をするなら I want to wrap her in my arms. となる。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 PHANTOM/ユリョンと呼ばれたスパイ 』
『 怪物の木こり 』
『 きっと、それは愛じゃない 』

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, サスペンス, 日本, 杉咲花, 監督:戸田彬弘, 若葉竜也, 配給会社:ハピネットファントム・スタジオLeave a Comment on 『 市子 』 -それでも静かに生きていく-

『 サイダーのように言葉が湧き上がる 』 -平安貴族的恋愛の勧め-

Posted on 2021年8月16日 by cool-jupiter

サイダーのように言葉が湧き上がる 70点
2021年8月14日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:市川染五郎 杉咲花
監督:イシグロキョウヘイ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210816234221j:plain

 

予告編の映像の色使いと”俳句”の要素に惹かれた。公開からしばらく経ってしまったが、だからこそ密になりにくいだろうとチケットを購入。

あらすじ

俳句は詠めるがコミュニケーションが苦手なチェリー(市川染五郎)。快活だが、矯正している前歯がコンプレックスになっているスマイル(杉咲花)。郊外のショッピングモールのアクシデントで互いのスマホが入れ替わってしまった二人は、徐々に交流を深めていく。ある時、チェリーのバイト先の介護施設のフジヤマさんが長年探しているレコードをチェリーとスマイルの二人も探すことになり・・・

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ポジティブ・サイド

少女漫画の映像化に精を出す業界人にこそ告げたい。本作のような作品こそ「等身大」と形容されるのですよ、と。まず主人公二人の名前が良い。チェリーは『 さくら 』で紹介した”pop one’s cherry”的な意味でのチェリーだろうし、スマイルというのもそのまま劣等感の表れだ。つまり、主人公たちが持っているコンプレックスが、複雑な人間関係(『 ママレード・ボーイ 』など)や社会的な立場の違い(『 センセイ君主 』や『 まともじゃないのは君も一緒 』など)に起因しないからである。それこそちょっとしたコミュ障だったり、ちょっとした外見の悩みは、青春を過ごす者にならほとんど100%当てはまるわけで、こういうキャラクターたちを通じてこそ「ああ、俺にもこんな青春があったなあ」と思えるわけである。

 

舞台が郊外のショッピングモールというのも、『 君が世界のはじまり 』のような地方都市の楽しさと物悲しさが同居していてリアリティがある。そこにいたいけれども、そこから抜け出しくもある。チェリーが引っ越し(トレイラーでも出てくるのでネタバレにはならないだろう)に対して、極めてニュートラルに振る舞っているのも、そうしたアンビバレントな気持ちの表れだろう。幹線道路沿いで完結する世界というのも『 ここは退屈迎えに来て 』で、日本の多くの地方都市に共通する風景であり生活世界である。つまり、多くの人が自分を重ね合わせやすい。東京23区内あるいはその周辺というのは、実はほとんどの人間にとっては非日常だ。

 

老人介護や外国人移民、地場の店の閉鎖。多くの地方都市に共通する現在進行形の事象を交えながらも、物語は決して陰鬱にはならない。一つにはアニメーションにおける鮮明な色使いがある。原色のアピールが強い画作りが、現実との距離感を生み出している。誰もが理解や共感をしやすい状況を整え、しかし、そこに映し出される世界には適度なフィクション感がある。だからこそ感情移入はできるが、あくまでもチェリーとスマイルの物語として鑑賞することができる。

 

もう一つには not real time, not real space なコミュニケーションの可能性だろう。物語の鍵としてYAMAZAKURAというレコードの存在があるわけだが、レコードという媒体に込められたメッセージの有効性は、時間や場所には縛られない(だからこそ、その媒体自身=レコードの円盤が壊れてしまうと一巻の終わりなのだが・・・)。同じく、俳句という発話の形式も、それをTwitterなどにアップすることで半永久保存が可能になる。俳句をテーマにした邦画をJovianはほとんど知らない。ライブ配信という real time の、ある意味ではとても刹那的なコミュニケーションを楽しむスマイルが、チェリーの俳句に対して「Like」とポチるシーンは、彼女の conversion を見るようで面白かった。俳句、配信、レコード探しといった極めて間接的なコミュニケーションだけでチェリーとスマイルの関係が深まっていくところが逆にリアルに感じられる。

 

クライマックスは予想どおりは言え、十分なカタルシスを得られる出来栄え。『 ちはやふる 』の時代の平安貴族は、このようなコミュニケーションで逢瀬に勤しんだのである。最後に一句。

 

おもがくす やまざくらこそ いとあはれ

 

ネガティブ・サイド

ビーバーのグラフィティ行為はさすがにやりすぎでは?あそこまで街中に落書きしまくっていたら、補導では効かないだろう。間違いなく逮捕されるはず。冒頭のモール内での狼藉も防犯カメラにばっちり映っているのは間違いない。ビーバーのグラフィティ行為はモール屋上に留めておくべきだった。その方がクライマックスのメッセージがより際立ったと思う。

 

YAMAZAKURAのレコードがかかる瞬間は、本作のハイライトの一つ。しかし、聞こえてきたのは完全なるデジタル音声とは、これいかに。監督・脚本・演出を務めたイシグロキョウヘイはJovianと同世代。ミレニアル世代ならまだしも、レコードを一度も聞いたことがないのだろうか。フェードインで始まる感じや、ところどころに入る「プツプツ」という音が一切なかった。完全なる拍子抜けである。なかなか言語化しづらいのだが、古い写真が色褪せて味わいが出てくるのと同様に、音に味わいがある。そうしたものが一切なかったのは大きなマイナスである。

 

総評

邦画というのは、やはり良くも悪くもアニメが大きな力を持つ分野なのだなと思い知らされる。韓国映画やインド映画、最近では中国映画にもまもなく抜かれることが確定している邦画だが、アニメのクリエイターたちに適切に投資すれば、まだまだ佳作は生み出せるし、そこから世界に転送可能な才能も養成できるだろう。小難しいことは抜きにして、本作のような作品こそ、デートムービーにふさわしい。あるいは、友達以上恋人未満な相手を誘うのにこそふさわしい一本である。さあ、コミュ障男子たちよ。一歩を踏み出せ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

A haiku goes five seven five.

ア・ハイク・ゴウズ・ファイヴ・セヴン・ファイヴ、と発音する。意味はそのまま「俳句は5・7・5である」。なぜ go という動詞を使うのか、ここでの go とはどういう意味かを説明するのは至福の関係で省略させていただく。日本文化を説明する際の一節として、上のセンテンスは丸暗記しておいて損はないかもしれない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, 市川染五郎, 日本, 杉咲花, 監督:イシグロキョウヘイ, 配給会社:松竹, 青春Leave a Comment on 『 サイダーのように言葉が湧き上がる 』 -平安貴族的恋愛の勧め-

『 青くて痛くて脆い 』 -意識狭い系の青春映画-

Posted on 2020年8月31日2022年9月15日 by cool-jupiter

青くて痛くて脆い 50点
2020年8月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:吉沢亮 杉咲花 岡山天音 松本穂香
監督:狩山俊輔

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『 君の膵臓をたべたい 』は良作だったが、同作のイメージをぶっ壊すと宣言して書いたとされる本作も、まばゆく輝く女の子に憧憬を抱く男の物語という点では目新しいものではなかった。おそらく、高校生や大学生が観れば異なる感想になるのだろうが、おっさんには刺さらなかった。

 

あらすじ

田端楓(吉沢亮)は他人を傷つけたくない、他人に傷つけられたくないという大学一年生。そんな楓が、世界から暴力・貧困・差別をなくそうと願う秋好寿乃(杉咲花)に出会い、彼女に引っ張られ、秘密結社サークル「モアイ」を立ち上げるが・・・

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ポジティブ・サイド

まさにタイトル通りの男、青臭くて、言動が痛くて、そのくせハートだけは妙に脆いという、誰にとっても思い当たるところのあるキャラクターを吉沢が見事に怪演した。他人に関心がないというのは自意識過剰の裏返しで、他人にどうこう思われるぐらいなら、他人から距離を取ってしまえという思考もまた自意識過剰の裏返しである。おっさんになって自らの過去を振り返れば、「ああ、自分にもそんな時期があったな」と一笑に付すことができるが、10代後半、あるいは20歳前後のまだ何者にもなれていない若者の中には本作の楓に魂を持っていかれるほどの影響を受ける者がいてもおかしくない。それほど吉沢の演技は際立っている。人間の心の非常にダークな部分を隠すことなくさらけ出しているからだ。特に、他人とのつながりを「間に合わせ」と表現するところでは唸らされた。ちょっと愚痴を聞いてほしい相手、ちょっと一緒に酒を飲んでほしい相手、一晩だけ一緒に過ごしてほしい相手(という相手は本編には出ないが)等々の間に合わせ的な人間関係は極めて一般的だが、子どもにはそうではない。それこそ、一瞬一瞬の人間関係が宝石のような価値を持っている。そうした輝きに背を向ける楓というキャラクターの屈折っぷり=闇の深さは、近年の漫画や小説の映画化作品の中でも突出している。

 

また、一種の叙述トリックが仕掛けられているところも野心的だ。なにがどういうトリックなのかには言及できないが、これはなかなかに気の利いた演出である。

 

モアイを潰そうと画策する過程で悪友役の岡山天音も好演。一匹狼の楓に共感してモアイに潜入するも、ミイラ取りがミイラになるの諺通りにモアイにオルグされる様はまあまあ見応えがあった。そのモアイの幽霊部員役の松本穂香が物語を地味に、しかし確実に盛り上げる。無防備に見えて隙が無く、難攻不落に見えて落ちる時はあっさりと陥落。しかし、男の掌の上で踊ることは決してなく、逆に男を手玉に取る悪女の雰囲気すらも醸し出す。『 君が世界のはじまり 』と比較すれば、その演技の幅の広さは同世代(20代前半)では頭一つ抜けている。テンさんこと清水博也も味わい深い。『 愚行録 』や『 屍人荘の殺人 』に出てきそうな大学生と見せかけて・・・というキャラクターである。人は見かけによらない、あるいは人を見かけで判断してはならないという好個の一例である。

 

こうした、一癖ある面々と田端楓と秋好寿乃の織り成す物語は、現役の大学生にこそ堪能してもらいたいと思う。

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ネガティブ・サイド

編集の粗がひどく目立つシーンが多い。秘密結社「モアイ」のイメージ図をバックにした楓と寿乃のスナップショットで、寿乃はオーバーオールを着ているのに出来上がった写真はスエットだけ?になっていなかったか。また、楓目線で寿乃と向き合うショットでも、寿乃の目の角度がおかしい。二人は相当に身長差があり、いくら楓が猫背といっても、向き合って、あごを引いて笑っている寿乃の目がまっすぐ前を見つめるのはありえない。

 

モアイのとあるメンバーが行っている不正行為を内部告発することに葛藤するというのも、傍から見れば滑稽千万である。(老害と化した)ダウンタウンの松本人志が「(東出昌大の)不倫を暴いた週刊誌の記者はどんな気持ちなのか?」という疑問を発していたが、悪事(不倫が悪かどうか、悪だとしてどのような性質で、どの程度の悪なのか、それは措いておく)を暴くことに良心の呵責を感じるとすれば、その悪事が自分にとって近しい人によってなされた時、あるいは告発によって自分の近しい人がダメージを受ける時ぐらいだろう。そういう意味では、自らモアイと寿乃から距離を置いた楓は、距離こそあるものの、つながりを維持しているに等しい。やり方を間違えているのだ。本当にリベンジをしたいのなら、モアイよりも大きい、あるいは秀でた組織を作る、あるいは組織に拠らず個として強く生きていけるように精進することだ。

 

こうした見方はいい年こいたオッサンのものであることは自覚している。寿乃が作ったモアイの目指すところは究極的にはニーチェの言う「超人」であり、サルトルの言う「アンガージュマン」である。なりたい自分になった、作りたい世界を作ったという結果ではなく、その過程そのものに意味があると考える。自分が主体的に動くのと同様に、他者も自分と同じような主体であるのだと認識するところから始まるのだ。本作も2時間かけて楓がそのことを自覚する過程を描いていると受け取れなくもないが、その描写があまりにも稚拙である。創始者や共同創始者が弾き飛ばされるストーリーなど星の数ほど存在する(『 スティーブ・ジョブズ 』など)。本作はどちらかというと、【社会運動はどうやって起こすか】における最初のフォロワーとしての楓にフォーカスできなかったがために、その後の展開すべてが陳腐に見えてしまった。理屈っぽく映画を観てしまう向きには、お勧めできる作りになっていない。

 

総評

良い点、悪い点、それぞれに目立つ。ある一点やある方向には思いっきり振り切れているという印象だが、その一方でディテールには粗が目立つ。あまり深く考えず、若気の無分別の物語に身を任せれば、邦画ではなかなかお目にかかれない一種の暴走型青春サスペンスとして楽しめるのではないだろうか。『 キングダム 』のイケメン吉沢ではなく、『 リバーズ・エッジ 』のような、ちょっと頭がおかしいキャラを演じる吉沢を観たいというファンにこそお勧めしたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

make a difference

変化を生み出す、の意。往々にして「良い変化を生む」の意味で使われる。同質性を重んじる日本語とは異なり、英語圏では他との違い=良いことだという概念がある。これは頭で理解するよりも肌で実感すべきことなのだろう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, サスペンス, 吉沢亮, 岡山天音, 日本, 杉咲花, 松本穂香, 監督:狩山俊輔, 配給会社:東宝, 青春Leave a Comment on 『 青くて痛くて脆い 』 -意識狭い系の青春映画-

『 メアリと魔女の花 』 -先行ジブリ作品のパッチワーク-

Posted on 2020年8月9日 by cool-jupiter

メアリと魔女の花 40点
2020年8月7日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:杉咲花 神木隆之介
監督:米林宏昌

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『 思い出のマーニー 』の米林宏昌監督の作品。最近、ジブリが映画館に復活しているが、ジブリ退社後の氏の手腕はどうか。残念ながらさっぱりであった。公開前は、色々な劇場で死ぬほど流れていたトレイラーを観てスルーを決めた。どうにも地雷臭がしていたから。今あらためて観ても、やはりこれは地雷である

 

あらすじ

メアリ・スミス(杉咲花)は、黒猫に導かれて迷い込んだ森の中で、7年に1度しか咲かない不思議な花「夜間飛行」を発見する。それは、かつて魔女の国から持ち出された秘密の花だった。一夜限りの魔法の力を手に入れたメアリは、雲の上の世界でエンドア大学へ入学する。しかし、そこにはある秘密があり・・・

 

ポジティブ・サイド

スペクタクルとして過不足なくまとまっているので、大人でも子どもでも、飽きることなく観ることができる。古い洋館、鬱蒼とした森というだけで、なにか冒険に誘われているように感じる人は多いことだろう。某都知事の言う「特別な夏」(こんなものはただの言葉遊びだと思うが)ではない普通の夏であれば、多くの都会っ子が田舎に赴き、ひと夏の冒険に興じる時期である。本作からは、特に強く子ども向けのまなざしを感じる。

 

メアリやその大叔母さんシャーロット、召使いのバンクス、園丁のゼベディさんも素朴で純な良いキャラクターたちである。現実世界がどうかは別にして、どこか退屈な人間界とエキサイティングではあるが邪な気を感じさせるエンドア大学の教師たちの対比が映える。

 

クライマックスからの展開もスピーディーで良い。だらだらと見せ場になりにくいシーンをつなぎ続けるのではなく、きりの良いところでスパッと終わるのも大切である。

 

ネガティブ・サイド

冒頭からエンディングまで、驚くほど、いや呆れるほどの過剰なまでの先行ジブリ作品へのオマージュに満ち満ちている。いや、これはもうオマージュではなくパッチワークである。オープニングからして『 天空の城ラピュタ 』でシータが飛行船の窓から逃げるシーンであり、そこからホウキにまたがって逃げるシーンは『 魔女の宅急便 』、そして追撃してくるのは『 千と千尋の神隠し 』から抜け出てきたかのようなクリーチャー。場面が変わって映し出される洋館の趣は『 思い出のマーニー 』と同じ匂いが漂い、ちょっといけ好かない男の子との出会いは『 となりのトトロ 』のカンタや『 魔女の宅急便 』のトンボのそれとの劣化バージョン。これらが意図的なパッチワークでなければ、米林監督は重度のジブリ・コンプレックスに罹患していたと見て間違いはない。

 

エンドア大学も『 ハリー・ポッター 』のホグワーツとラピュタと油屋とその他B級SF映画に死ぬほど登場してきたガジェットのごった煮。そもそもエンドアも『 旧約聖書 』の「サムエル記」に描かれるエン・ドルで、『 スター・ウォーズ 』のエピソードⅥのエンドアの月でもお馴染み。原作の児童小説があるとはいえ、アニメ映画化に際してのオリジナリティはいずこに・・・

 

マダム・マンブルチュークとドクター・デイの追究しようとする究極魔法が“変身魔法”というのも狙い過ぎである。バイオテクノロジーや核技術、コンピュータ技術への皮肉が込められているのは明白であるが、もっとさりげない形で提示できなかったのかと思う。なぜドクター・デイが脳を半分いじくったようなマッド・サイエンティストなのか。脳を改造した設定は、ファンタジーには不要である。また変身がもたらす不幸や悲劇については『 美女と野獣 』がすでに十二分に描いており、なおかつ本作が否定している“変身”そのものの先に幸福があることも示している。変身をテーマにしていながらも、メアリが自分を好きになれない一面である赤毛の扱いが弱い。

 

赤毛についてもう一つ。冒頭で逃走する魔女も赤毛であるが、そのことをもっと大胆に、なおかつさりげなく示しておくシーンは不可欠だった。何故それがないのか。たとえばバンクスさんとシャーロットの会話の中で「私たちも若い頃には・・・」といった台詞などがあれば、中盤の展開にもっと得心がいったはずである。

 

最も腑に落ちないのはピーターとメアリの関係である。メアリが罪悪感に苛まれるところまでは納得できるが、ピーターがメアリを救い出そうと必死になる理由や背景がほとんど見当たらない。ボーイ・ミーツ・ガールにしても不可解だし、それを予感させるシーンもなかった。せめてカンタがサツキに傘を無理やり渡すようなシーンとまでは言わずとも、ほんのちょっとだけでよいので二人の関係性が発展する芽を描いてくれていれば、すべて納得できたはずなのに・・・

 

総評 

大人には大人なりの見方が成り立ち、子どもには子ども向けの見方が成り立つ作品。それを子ども騙しと見るかどうかは受け取り手次第だろう。小学生ぐらいの子どもがいるならば劇場で真正ジブリ作品を見せてやるのがベストだとは思うが、「特別な夏」を#StayHomeで過ごすのならば、本作も一応、選択肢に入るのではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

go in the woods

森に入る、の意味。同じく、go into the woodsもよく使われる。『 もののけ姫 』に出てくる、人里離れた森は forest 、人の住むところの近くにある森は woods であると理解しよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, アニメ, ファンタジー, 日本, 杉咲花, 監督:米林宏昌, 神木隆之介, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 メアリと魔女の花 』 -先行ジブリ作品のパッチワーク-

『 弥生、三月 君を愛した30年 』 -表現〇、内容×-

Posted on 2020年3月22日2020年9月26日 by cool-jupiter

弥生、三月 君を愛した30年 45点
2020年3月21日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:波瑠 成田凌 杉咲花
監督:遊川和彦

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一つの物語の中でキャラクターの成長や老いを描く作品は星の数ほどある。だが、本作は三月の一日から三十一日の1日を経るごとに、1年(何年か飛ばすところもあるが)が経過していく。この見せ方と構成は非常にユニークである。

 

あらすじ

山田太郎(成田凌)と結城弥生(波瑠)は、心の奥底では惹かれ合いながらも、親友のサクラ(杉咲花)の病気、そして死によって、いつしか別々の人生を歩むことになった。互いに結婚や別離を経験しながらも、二人はいつしか引き寄せられて・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200322230911j:plain
 

ポジティブ・サイド

専門家は映画を評価する際には Form と Content の面から行う。Formとは本で言うならば、装丁であり、文字のサイズやフォントであり、テキストのレイアウトであると言える。一方でContentは物語の中身そのものである。一般に映画や本の面白さは、コンテンツで決まる。だが、時にFormそれだけで桁違いの面白さやユニークさを生み出す作品が現れることがある。クリストファー・ノーラン監督の『 メメント 』が好個の一例である。本作の、一日経つごとに一年が過ぎていくという見せ方は非常に面白い。

 

高校生から50歳手前までを同一の役者で描く試みもユニークだ。『 ぼくは明日、昨日のきみとデートする 』でも、小松菜奈が大学生から35歳ぐらいまでを演じていた。本作はその幅をはるかに上回っており、ある意味で大河ドラマ並みである。こういった大胆な試みにもっともっと邦画も取り組んでもらいたい。たとえその作品が大ヒットはしなくても、たとえばメイクアップアーティストやヘアドレッサーの技、照明の調節や光の当て方といった裏方スタッフの技術は確実に蓄積され、向上していくことだろう。その先に、第二第三のカズ・ヒロを生む土壌ができていく。突然変異を待ってはならない。豊かな才能の種を発見し、開花させなければならない。

 

本作では光と影の使い方も印象に残った。明るい背景では明るい場面と心情、薄暗い場面ではどこか沈みがちな心情、黄昏時の西日には関係の終わりが暗示されていたり、あるいは西日で満たされた病室を去る人物が完全に黒いシルエットとして映しだすことで、キャラクターの内面の闇、虚無感を表すなど、随所に工夫が目立った。なんでもかんでも光あふれる演出を施す作品が邦画には特に多い(『 君は月夜に光り輝く 』などはダメな一例だ)。真っ暗な映画館で見るからこそ光を強くしたいと思うのは理解できる。だが、真っ暗な映画館だからこそ光と影のコントラストも映えるのである。

 

今作はいまのところ波瑠のベスト・パフォーマンスになるのかな。笑顔よりも仏頂面の方が絵になる女性も一定数いる。波瑠はそんな一人だろう。『 コーヒーが冷めないうちに 』では、神経質な女性役だったが、どちらかというと感情表現を抑えた役柄の方が似合っている。ドラマや映画なら社長秘書や医師がマッチしそう。クール・ビューティー路線ではなく、満島ひかりや南果歩のような実力派路線を目指してほしい。

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ネガティブ・サイド

フォームには感銘を受けたが、コンテンツ=内容には少々興ざめした。ストーリーのほとんどはトレイラーで分かってしまう。なぜにあのような予告編を作ってしまうのか。様々なシーンの演出やメッセージも、古今東西の映画で使い古されてきたものばかり。あらゆるシーンでデジャヴを感じたと言うと大げさに聞こえるかもしれないが、本作がオリジナリティに欠けるのは確かである。

 

まずもって病気で死んでいく高校生の名前が「サクラ」という時点で『 君の膵臓をたべたい 』の桜良ともろにかぶっている。そして、満開の桜に過ぎ去った幾星霜とかつての友の姿を見出すのも『 君の膵臓をたべたい 』の二番煎じである。

 

また、ラストの教室のシーンは『 傷だらけの悪魔 』と『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』のクライマックスをそれぞれ足して10で割ったような迫力のなさ。というか震災をプロットに組み込むのはまだしも、放射能関連のイジメを絡める必要はあるか?いや、それをやるなら『 風の電話 』並みに取り組んでもらいたい。

 

サクラの好きだったという歌が作中の随所で重要な役割を果たすが、最後のデュエットは必要だったか。それに最後の最後のスキットも必要だろうか。日が昇り、そして沈んでいく。時は流れ、また物語が繰り返す。普遍的な事象であり、それゆえに既に陳腐化したテーマである。現に近年でも『 ライオンキング 』が再制作され、“Circle of Life”が熱唱されている。敢えて邦画がそれを繰り返す必要はない。

 

細部のリアリティに関しても改善の余地を認める。特にサクラの墓や、そこに佇立する桜の木が30年にわたって変化なしに見えるのはいかがなものか。サンタか、あるいは弥生が墓をきれいにしているという描写が一瞬でもあれば、まだ納得できたのだが。

 

電車のドアが閉まる瞬間に抱きよせる、あるいは飛び出るという描写もクリシェ以外の何物でもない。ボールを追いかけて車道に飛び出る子どもというのも、いい加減見飽きた。新しい形の表現を模索することにエネルギーの大半を費やしたのかもしれないが、中身にもほんの少しでいいから新奇さを求めてほしかった。

 

サンタの息子の歩の台詞にもおかしいところがあった。「おばさんに、『 ボールを蹴れ! 』って叱られた」と回想していたが、そんなシーンはなかった。あるいは撮影段階ではあったにせよ、編集作業の段階で誰もこの矛盾に気が付かなかったのだろうか。細部の詰めが甘いという印象ばかりが残った。

 

総評

このような新しい表現の形態は歓迎されるべきである。一方で、中身がほとんどすべてどこかで見た構図や展開のパッチワークである。評価が非常に難しい。ただ、固定電話が携帯電話に代わっていく時代の流れは面白い。40~50歳ぐらいの世代の人は本作の時間の流れに違和感なく入っていけるだろうし、若い世代は逆に古い世代のもどかしい恋愛模様を客観的に見て楽しめるのではないだろうか。ストーリーは陳腐だが、だからこそ万人に受け入れられやすいとも考えられる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Let’s not meet anymore.

「もう会わないようにしよう」の私訳。~しよう = Let’s ~。~しないようにしよう = Let’s not ~ である。Let’s not V. というのは実際によく使う表現なので、積極的に使っていきたい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ラブロマンス, 成田凌, 日本, 杉咲花, 波瑠, 監督:遊川和彦, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 弥生、三月 君を愛した30年 』 -表現〇、内容×-

『 パーフェクトワールド 君といる奇跡 』 -テーマの重さを描き切れていない-

Posted on 2018年10月8日2019年8月24日 by cool-jupiter

パーフェクトワールド 君といる奇跡 30点

2018年10月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:岩田剛典 杉咲花
監督:柴山健次

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 本作の主題は、「障がい者と恋愛できるか」ということ。そしてその奥にあるテーマは、「障がい者を見る目線は、自分が障がい者になった時に人から向けられる目線である」ということ・・・ではなかった。一瞬でも良いので登場人物の行動を通じて、そのような心理を描写して欲しかったと思うのは贅沢というものだろうか。

 川奈つぐみ(杉咲花)は、職場の同僚との飲み会に高校の先輩にして初恋の人である鮎川樹(岩田剛典)が来ることを知り、飲み会に参加する。再会した樹はしかし、車イスに乗っていた。大学3年生の時に交通事故にあり、脊髄に損傷を負ったのだ。仕事に真摯に、健気に気高く生きる樹に、つぐみは抑えていた思慕を募らせる。二人の距離は縮まる。果たして恋人になれるのか。そしてその先には・・・

 結論から言うと、本作は失敗である。何よりも訴えたいテーマが無い。いや、原作の漫画にはあるのだろうが、それを2時間弱の映画に過不足なく織り込むことには失敗している。この分野にいくつかの優れた先行作品がある。その最たるものは『 博士と彼女のセオリー 』であると思っている。そこには肉欲もあり、愛情だけでは乗り越えられないケアの問題もあり、愛情を超えた互いへのリスペクトもあり、さらには美しい後悔もあった。また『 ブレス しあわせの呼吸 』でも、夫婦(もしくはカップル)としてのドロドロとした人間関係の部分というか、閨房も映しだしていた。もしくはある意味でこの部分に特化した作品として『パーフェクト・レボリューション』を挙げても良いだろう。映画はだいたいにおいてフィクションであるが、その面白さは虚構性よりも迫真性、真実味、現実感などから生まれてくるものだからだ。

 脊髄損傷のため歩けない、移動は車イス、ということがどれほどのハンデになるのかという描写からしてまず弱い。たとえば車イスを押したことがある人なら、もしくはベビーカーを押したことがある人なら、減ってきたとはいえ、日本の街にどれほどのバリアが残っているかをしみじみと実感したことがあるはずだ。そうしたネガティブな感覚というのはいつしか降り積もり、そのストレスが思わぬ形で噴出されてしまう。ベタだが、そうしたシーンを挿入する余裕もなかったか。いや、それでもテレビドラマだが、この分野には『 Beautiful Life 〜ふたりでいた日々〜 』という先行テクストもある。何故つぐみは樹を好きになったのか。そして、その好きという感情が車イスに乗る樹を目の当たりにした時、どう揺らいだのか。そしてその揺らぎが収まり、想いが溢れるまでに至ったきっかけは何であったのか。つぐみが本来感じなくては不自然な、感情や思考のジェットコースターが、ほとんど描写されないままに二人は恋人となる。それは確かに胸を打つのかもしれないが、非常に皮相的な感動だ。樹が排泄障害について言及するところなど、本当はぼかしてはいけないシーンなのだ。つぐみが樹の抱える様々な困難に対して、人間的に葛藤し、苦悩し、それでも寄り添っていたいと自律的に考ねばならないのに、それを樹自身の強さに仮託してしまってはいけない。パースの仕上げに、元美術部員として腕を奮うようなつぐみが、もっと随所に出てこなくてはいけなかった。

 本作の弱点は他にもある。エンドクレジットは一応全て見たつもりだが、医療監修がいなかった。これは致命的だ。物語の面白さは細部のリアリティへのこだわりで補強されるのだから、樹の病院での処置シーンにはもっと監督はこだわるべきだった。最も眩暈がしたのは、樹の初期段階の褥瘡にガーゼを貼付するシーンだ。劇場で鑑賞した医師、看護師、その他の医療従事者の方々は映画製作者の不勉強に頭を抱えたことだろう。また、軽度とはいえ、つぐみの父がおそらく左脳に脳梗塞を発症させ、おそらく右側に軽い麻痺が残ってしまったのだろうが、そのことによって父が何か苦労するシーンが無かった。健常者から障がい者となった時、どのように自己像が揺らぐのかを描写しない限り、ただの嫌な中年わがまま親父にしか見えない危険性がある。また、爪切りはないだろう、爪切りは。ただでさえ樹が感覚障害から足先に知らぬ間に怪我を負ってしまう(重度の糖尿病患者にはよく見られるものなので、ご存知の方も多いだろう)描写があるのに、ちょっとした怪我につながりかねないパチンといくタイプの爪切りを使うとは・・・爪やすりの存在を知らないのか。原作が、時代背景があってそうなっていないのかもしれないが、現代の映画として改作するのであれば、リアリティを増す方向に行ってもらいたい。映画は小説やアニメと違って、現実を最も忠実に描写する文化芸術なのだということを、日本の映画製作者はもっと心してもらいたい。

 良いテーマを持つ作品を映画化したとは思うが、そのテーマの重さを映画製作者側が受け止めきれなかった、もしくは中高生向けにライトな内容だけに絞り込みすぎてしまった、という印象はどうしたって拭えない。柴山監督には猛省と次作へ向けての一層の奮励を促したい。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, ラブロマンス, 岩田剛典, 日本, 杉咲花, 監督:柴山健次, 配給会社:LDH PICTURES, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 パーフェクトワールド 君といる奇跡 』 -テーマの重さを描き切れていない-

『BLEACH』 -続編の製作は必要なし-

Posted on 2018年7月23日2020年1月10日 by cool-jupiter

BLEACH 20点

2018年7月22日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:福士蒼汰 杉咲花 吉沢亮 長澤まさみ 江口洋介 真野恵里菜 田辺誠一 早乙女太一 MIYAVI
監督:佐藤信介

* 以下、ネタバレあり

Jovianは原作を読んだことがないし、これからも読む予定は無いが、残念ながら本作は2018年の邦画ワースト5に入るであろうということは直感的に分かる。『修羅雪姫』に始まり、『図書館戦争』『GANTS』『アイアムアヒーロー』『いぬやしき』で我々を魅了してくれた佐藤信介はどこに行ってしまったのだ?まあ、『デスノート Light up the NEW world』のような珍作もこの人は作ってしまったこともあるのだけれど。もしかして青年漫画は上手く映画化できても、少年漫画は不得手なのだろうか。

黒崎一護(福士蒼汰)は、幼い日に母(長澤まさみ)を亡くしてしまう。その原因が何であるのかを知ることがないままに高校生になったが、一護には霊が見えるという特異体質があった。ある時、突如自宅に大穴が空き、妹が謎の存在に攫われる。その化け物、虚(ホロウ)と闘う謎の少女の姿をした死神、朽木ルキア(杉咲花)。そのルキアから死神の力を与えられることになってしまった一護は、人間世界の理とは異なる存在たちとの戦わなくてはならなくなってしまう。

これだけなら、なかなか面白そうな導入である。実際に日本のエンタメCG製作では間違いなく最高峰の白組が手掛けるホロウたちの迫真性は見事なものである。ただ、白組に関しても『寄生獣』、『シン・ゴジラ』では素晴らしい仕事をしたと思うが、『DESTINY 鎌倉ものがたり』はあまりにもCG臭さがあふれていて、全てを手放しで評価できるわけではないと思っている。本作の問題点は大きく3つに大別できる。

1つは、登場人物たちの関係の描写があまりにも希薄であるということ。その最たるものは一護の母(長澤まさみ)と父(江口洋介)であろう。冒頭のシーンは一護という男の子の心根の優しさを描くことはできていたが、母の愛情についてはあと一歩踏み込んだ描写がなかった。それが無かったが故にか、「時々母の夢を見る」と呟く一護に対して、父は「俺は毎日見る」と返す。そのコントラストは父親の大きさの影に隠れた弱さと、生意気盛りの息子の奥底に隠れている母への思慕を浮き彫りにする非常に重要なシーンだ。だが、その冒頭とクライマックスバトル直前の江口のキャラのあまりの軽さと軽率さが、せっかくの良いシーンの余韻を台無しにした。その他で目立った欠点は、一護とクラスメイトたちの関係性。ここが深掘りされないままなので、一護が死んだという冗談を繰り返す級友や、一護が好きであるというキャラ(真野恵里菜)やチャド?というポテンシャルを秘めていそうで結局そのポテンシャルを発揮しなかったキャラが、クライマックスで輝けなかった。

問題の2つ目は、まさにそのクライマックスシーンである。なぜ一護は郊外の山奥もしくは山頂近くに現れた因縁のホロウを市街地に誘い込む、もしくはそのホロウ相手に市街地に逃げ込むのか。原作もおそらくそうなっているのだろうが、なぜそうしたアホな行動を取ってしまうのかについての合理的な、あるいは論理的に納得できる説明も描写もなかった。それ以外にも細かい部分ではクインシー?とかいう種族の生き残りの石田雨竜(吉沢亮)がホロウを多数おびき寄せるシーンがあったが、結局退治したホロウは一匹だけで、後はどうなったのか説明は一切なし。また田辺誠一のキャラも、異様な雰囲気を発することには成功していたが、ルキアに謎のアイテムを渡したり、一護のクラスメイトに唐突に話しかけたりと、とても身を隠していなければならない元・死神とは思えない行動の数々。とにかく各キャラの行動原理や関係性があまりにも浅く薄く、とても観る側の共感や納得を得られるものではない。

問題の3つ目は、あちこちで行われていた(としか感じられない)アフレコに見られる無造作としか言えない編集である。いや、アフレコ自体はありふれた技術や編集過程なので全く問題ないが、それがすぐに分かってしまうような形で世に送り出すのはプロフェッショナリズムの欠如と批判されても仕方がないだろう。その他にも、意図的としか思えない学習塾関連のステマ。最も原作ファンが多い層に、何か訴えかけたいものがあるのかも知れないが、最後のバトルシーンでも、甚大なダメージを被った駅前繁華街で、なぜか塾関連の看板や表示がやたらと生き残っていた。原作がそうなのか、それとも監督から中高生へ何らかのメッセージを送っているのか。またMIYAVIという役者はどうにかならなかったのだろうか。OKテイクを何とか継ぎ接ぎしてあの出来ならば、途中からでもキャスティングを変更することはできなかったのだろうかと頭を抱えざるを得ない程の大根役者ぶりを発揮してくれた。

もちろん収穫もある。土屋太凰に続く、アクションができる女性俳優として、杉咲花には大いに期待が持てる。吉沢亮も、『ママレード・ボーイ』では孤軍奮闘の感があったが、今作でも存在感は示した。スルー予定だったが『猫は抱くもの』を観たいと思えてきた。しかし、総じて欠点ばかりが目立つ作品となってしまった。続編を作る気満々のエンドクレジットには辟易したが、逆に『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』の続きが観たくなってしまうという、思わぬ副作用というか副産物をもたらしてくれた。まあ、それぐらい酷い作品だったということ。頼むぜ、佐藤さんよ!

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, E Rank, アクション, 吉沢亮, 日本, 杉咲花, 監督:佐藤信介, 福士蒼汰, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画, 長澤まさみLeave a Comment on 『BLEACH』 -続編の製作は必要なし-

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