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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 怪獣映画

『 ガメラ2 レギオン襲来 』 -レギオンの造形美を見よ-

Posted on 2021年2月14日 by cool-jupiter

ガメラ2 レギオン襲来 80点
2021年2月11日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:水野美紀 永島敏行 藤谷文子
監督:金子修介

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『 ガメラ 大怪獣空中決戦 』の続く第二弾。怪獣ジャンル、そして特撮の素晴らしさをあらためて教えてくれる傑作である。コロナ禍でレイトショーも事実上禁じられているなか、ブルク7は子ども連れからオッサンの一人鑑賞組(Jovianもこれだ)で、かなり込み合っていた。やはり、ガメラという大怪獣にはそれだけの魅力がある、あるいは時代が求める何かがあるのだろう。

 

あらすじ

北海道に隕石が落下したが、自衛隊が探索しても発見できない。穂波碧(水野美紀)は隕石が動いたとの仮説を立てる。その後ほどなくして、札幌市内の通信に異常が起き始める。そして、地下鉄の線路上で謎の生物が現れ・・・

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ポジティブ・サイド

何をおいてもレギオンという怪獣の特異性に触れないわけにはいかない。隕石の正体が怪獣というのはキングギドラでお馴染みだし、宇宙出身の怪獣というのはガイガンやスペースゴジラ、ヘドラなどが先行しており、真新しいものではない。また小さな個体が巨大な個体へと変貌を遂げるのも1995年にデストロイアが先行して行っている。ただ、その小個体と巨大個体が別々の存在で、なおかつ旺盛に繁殖するというのは、これまでの怪獣映画には見られなかった特徴だ。

 

レギオンがケイ素生物であるという設定も秀逸。21世紀前の時点でケイ素生物を構想していた作品は漫画『 BLAME! 』ぐらいしかなかったと思うが、本作は『 BLAME! 』よりも前に発表されている。今でこそ宇宙生物学が花開きつつあり、ケイ素生物の実在が理論上で予測されているが、1990年代の時点でこのような世界観を構想していた人は少数だったはず。脚本家・伊藤和典の炯眼には恐れ入るほかない。そのレギオンの造形も素晴らしい。Jovianは割と昆虫の一部=宇宙由来という説を支持しているが、レギオンの甲虫的な外観はそうした考えを強力にバックアップしてくれているようで嬉しくなる。

 

本作も前作に劣らず謎の提示から謎解きまでのテンポがよく、観る者をぐいぐいと世界に引き込んでくれる。レギオンが作る草体のスケールの大きさよ。前作が『 シン・ゴジラ 』の模範的先行作品としてポリティカル・サスペンス要素を盛り込んで自衛隊出動へのハードルを下げてくれていたおかげで、本作の自衛隊の出動は非常にスムーズ。警察とビミョーに仲が悪いところもリアルで良し。ガメラと人間の共闘で侵略的宇宙生物を撃退するというのは、怪獣映画としてもSF映画としても、非常に質の高いエンターテインメントに仕上がっていると言える。

 

破壊のスケールもさらにアップ。『 ゴジラvsデストロイア 』で、ゴジラがメルトダウンして地球を吹っ飛ばしてしまうかもしれないというシミュレーションはあったが、本作は本当に仙台を吹っ飛ばしてしまった。ヘドラを除けば、怪獣映画としてはシン・ゴジラと並んで最も甚大かつリアルな被害をもたらしたと言えるかもしれない。

 

ミニチュアの街並みや建物の小道具を実際に破壊してしまうことから、一発で撮影するしかないという緊張感がある。それゆえに特撮によるバトルやエフェクトには、CGには絶対に出せない味がある。前作で宿敵ギャオスを倒したガメラは、本作では地球の敵を倒した。『 ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃 』の護国聖獣が日本国民を殺しながらも日本という国土を護ろうとしたというバックボーンを、金子修介監督は本作によって確立したのだろう。日本怪獣映画史に記録されるべき傑作である。

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ネガティブ・サイド

水野美紀が若い。広瀬アリスとすずの姉妹によく似ているように思うが、ということはあの姉妹も水野美紀のような熟女になっていくのだろうか。それはさておき、水野美紀がやはり大根である。前作の藤谷文子も登場するが、こちらも大根。金子監督は役者の演出よりも樋口特技監督との打ち合わせで忙しかったのだろうと苦しい擁護をしておきたい。

 

子どもからダイレクトに力をもらうという昭和ガメラの様式美を映像美と合体させたが、このようなシーンをもう少し増やして欲しかった。首都圏絶対防衛ライン前での攻防や、ウルティメイト・プラズマ発射前にマナを集めるシーンで子ども達に「ガメラ、頑張れ」と言ってもらうシーンが数秒で良いので欲しかったと個人的に思う。

 

総評

『 ガメラ3 邪神覚醒 』もDolbyCinemaで再上映されるのだろう。そうでなければ嘘だ。『 シン・ウルトラマン 』の公開を今夏に控え、令和時代に特撮ジャンルの復活なるか。かつて大映から「ゴジラとガメラの対決を」と呼びかけられた際に東宝は「貫目が違う」といって退けたが、もうそんな見栄やプライドの時代ではないだろう。GW明けには『 ゴジラvsコング 』も公開予定なのだ。邦画界は怪獣および特撮の“ユニバース”を真剣に考えるべき時に来ている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

situation

状況、の意。単なる状況ではなく、まずい状況を意味する。イラクや南スーダンの日報問題で「戦闘」という言葉が使われてしまったが、自衛隊は元々この言葉を使えなかった。代わりに使っていたのが「状況」で、「状況を開始する」とか「状況を終了する」と言い換えていたわけだ。その英語がsituationである。“We’ve got a situation.”=「まずいことになった」である。状況=situationという丸暗記は絶対にやめておこう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 1990年代, A Rank, 怪獣映画, 日本, 水野美紀, 永島敏行, 監督:金子修介, 藤谷文子, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 ガメラ2 レギオン襲来 』 -レギオンの造形美を見よ-

『 ガメラ 大怪獣空中決戦 』 -特撮映画の金字塔の一つ-

Posted on 2021年1月27日 by cool-jupiter

ガメラ 大怪獣空中決戦 80点
2021年1月24日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:伊原剛志 中山忍 藤谷文子 小野寺昭
監督:金子修介

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邦画の落日が叫ばれて久しい。いつの間にか小説や漫画の映像化を作業のように淡々とこなすようになってしまったのは何故なのか。「日本にはアニメがある」という声も聞こえないではないが、『 ウルフウォーカー 』や『 羅小黒戦記~僕が選ぶ未来~ 』のような傑作が海の向こうで作られていること、そして『 劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編 』(未見)が映画界の救世主のように扱われていることに一掬の、いや多大な不安を覚える。だが、日本にはまだ特撮映画、そして怪獣映画というジャンルが残されている!

 

あらすじ

太平洋上で巨大な漂流環礁が発見された。時を同じくして姫神島で住民が消失する事件が発生。その直前の無線では「鳥」が言及されていた。島を訪れた鳥類学者・長峰(中山忍)の前に、羽毛の無い巨大な鳥を発見する。同じ頃、海上保安庁の米森(井原剛志)と保険会社の草薙(小野寺昭)は、環礁で発見された碑文を解読。環礁はガメラ、怪鳥はギャオスという古代怪獣であることが判明して・・・

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ポジティブ・サイド

これは確か高校生の時に岡山市内の映画館で父親と観た記憶がある。その後、20代後半にDVDでも観た。今回で3度目の鑑賞である。ガメラと言えば「 強いぞガメラ♪ 」の歌詞がJovianの脳内に響いてくるが、Jovianはリアルタイムで昭和ガメラは鑑賞できていない。すべてVHS鑑賞である。そうした意味で、本作を劇場、しかもDolbyCinemaで鑑賞できたことは僥倖以外の何物でもない。

 

まず、タイトルロゴの演出が恐ろしくカッコいい。『 ゴジラvsデストロイア 』のそれを彷彿させる(というか、こちらの方が後発)素晴らしい出来栄え。そこから謎の環礁、そして巨鳥の出現と矢継ぎ早の展開で、観る側をぐいぐいと引き込んでくる。そのタイミングで中山忍演じる長峰を登場させることで青年から中年までの怪獣オタクのハートもがっちりとゲット。少年層には藤谷文子を配するなど、手抜かりはない。ここが『 ゴジラ 』シリーズとの違い。『 ゴジラ 』世界でヒロインと呼べるのは、おそらく三枝未希だけだろう。

 

閑話休題。本作は怪獣映画であると同時に政治的なリアリズムを追求した『 シン・ゴジラ 』の先行作品とも言える。ガメラやギャオスといった怪獣を捕獲するか駆除するかといった議論の生々しさは、確かに『 シン・ゴジラ 』に受け継がれている。もうひとつゴジラつながりで言えば、本作は『 ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃 』、いわゆるGMKの先行作品的な側面も有している。つまり、人間と怪獣の戦いを経て、人間と怪獣の共闘に至るという点だ。

 

その怪獣バトルも、樋口真嗣の手腕もあって、特撮の醍醐味が存分に味わえる。CGでは決して出せない建物が破壊されるときの臨場感、そして大規模なミニチュアのセットの中で繰り広げられる着ぐるみvs着ぐるみのぶつかり合いの質感。これらが高精細になった映像とクリアな音質によって、より迫真性を増している。特にラストのコンビナートの大爆発シーンは、『 ゴジラ対メカゴジラ 』のコンビナートの爆発に勝るとも劣らない。これらの大迫力を体験させてくれた梅田ブルク7様々である。

 

人間キャラクターが魅力的だが、やはりそれ以上に怪獣たちが個性を発揮しているところが素晴らしい。ギャオスの雛が共食いをするところ、成長したギャオスが人間を貪り食うところに、ギャオスという怪獣が紛れもないヴィランであることが伝わって来る。同時に、小難しい理屈をこねる環境庁の役人の屈折と変節に、人間、特に大人もあてにならない、信用できないという思いを(オッサンになった今も)強くする。そんな中で、子どもの味方であろうとするガメラ、人間に攻撃されても一切反撃しないガメラは、やはり純粋にヒーローである。単に敵対的な怪獣を攻撃してくれる=善という図式ではない。人間の愚かさをそこに挟むことで、ガメラの立ち位置がより明確になっている。

 

空中決戦という、ゴジラにはほぼ不可能な(といっても、ゴジラも空を飛んだことはあるが)スペクタクルはまさにスリル満点。成長したギャオスが東京の空を縦横無尽に飛び回り、自衛隊の放ったミサイルがギャオスを追尾する最中、東京タワーに命中してしまうといアイデアは、もしかすると海を越えて『 GODZILLA 』(1998)をインスパイアした可能性もあるのではないか。折れた東京タワーの中腹あたりに鎮座するギャオスのシルエットはまさに邪竜。地の底から現れたガメラとの空中戦、そしてクライマックスの爆発散華へと至るシークエンスは、特撮および怪獣映画のエッセンスのすべてが詰まっている。まさに金子修介監督および樋口真嗣特技監督の面目躍如である。邦画は死につつあるが、怪獣ジャンルまで死なせてはならない。

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ネガティブ・サイド

漂流環礁の調査シーンの引きのショットでは、海とプールの合成の粗さが目立つ。時代的な制約か。他にも橋の上でギャオスが米森、長峰、子どもを襲おうとするシーンではギャオスの飛行による衝撃波が生じないところが気になった。直前に犬やおばちゃんを襲うシーンでは、自転車を吹っ飛ばすほどの威力の衝撃波を生み出しているのに。この橋の上のシーンで、風で米森や長峰が風で子どもから引き離されたところにギャオスが突撃、子どもが大ピンチという瞬間にガメラが子どもをかばって負傷する、という流れなら、ガメラ=子どもの味方という図式がもっと理解しやすくなったと思われる。

 

あとは中山忍と藤谷文子の棒読み演技か。ビジュアルは文句なしだが、セリフ回しが拙すぎる。といっても『 ゴジラvsビオランテ 』の沢口靖子ほど酷くはないのだけれど。

 

そうそう、エンドクレジットでは“アニマトロニクス”であるべき箇所が“アニマトロクス”となっていた。シミュレーションがしばしばシュミレーションと言われていたように、英語とはまだまだ距離があった90年代を思い出させてくれた。

 

総評

知名度ではゴジラに劣るが、ガメラもまた日本の誇るべき怪獣の一方の雄である。実際に、ブルク7で本作鑑賞後に「大画面で観られて良かった!」「崇高な映画!」と感想を述べあう若い男子三人組を目撃した。おそらく元々怪獣ファンなのだろうが、それでも令和の時代に昭和生まれの怪獣(平成ガメラだが)の雄姿を映画館で拝めるということには、歴史的な意義がある。工場で大量生産するかの如くテンプレ的な映画が量産される邦画の世界の関係者は、怪獣、そして特撮というジャンルにかつてどれほどのエネルギーが注ぎ込まれていたのかを思い返すべきだろう。そして、60代以上の世代はぜひ孫たちにガメラを体験させてあげてほしい。いわゆる昭和のプロレス的なノリのゴジラ映画とは違い、かなり現実的な考察がなされている平成ガメラであるが、そうした作品こそ子どものうちに味わわせてあげてほしい。そのように切に願う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

How dare you!

環境活動家のグレタ・トゥーンベリの決め台詞。意味は「よくもそんなことができますね」である。中山忍演じる長峰が、ギャオスの捕獲から駆除へと方針転換した木っ端役人に対して「勝手過ぎます!」と一喝した台詞の私訳。逐語訳ならば“Too selfish!”とか“So egoistic!”となるのだろうが、より丁寧に“How dare you say that!”または“How dare you change policies!”となるだろうか。相手の言動に悪い意味で驚いたりした時、呆れたりした時に“How dare you!”と心の中で叫ぼうではないか。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 1990年代, A Rank, 中山忍, 伊原剛志, 小野寺昭, 怪獣映画, 日本, 監督:金子修介, 藤谷文子, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 ガメラ 大怪獣空中決戦 』 -特撮映画の金字塔の一つ-

『 グエムル-漢江の怪物- 』 -怪物を生み育てたのは誰か-

Posted on 2020年11月21日 by cool-jupiter

グエムル-漢江の怪物- 75点
2020年11月18日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ソン・ガンホ ペ・ドゥナ ピョン・ヒボン パク・ヘイル オ・ダルス
監督:ポン・ジュノ

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『 ゴジラ 』がそうであるように、怪獣は戦争や災害、あるいは人間の業の象徴である。本作を通じてポン・ジュノは何を描こうとしたのか。英語タイトルが“The Host”であるところから、『 パラサイト 半地下の家族 』の対になる作品であることは間違いない。

 

あらすじ

在韓米軍基地は毒薬を漢江に垂れ流していた。その数年後、突如として漢江から巨大なオタマジャクシのような怪物が出現し、人間を襲っていく。怪物に娘ヒョンソをさらわれたカンドゥ(ソン・ガンホ)は家族総出でヒョンソを救出しようとするが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 パラサイト 半地下の家族 』が韓国人家族と韓国人家族(と韓国人家族)の寄生関係を描いたものであるとすれば、本作の英語タイトルが指し示す“宿主”とは何か。それは歪な韓国社会そのものだろう。歪とはどういうことか。それは宗主国たるアメリカの軍部に言われれば、自らの国土を猛毒で汚染することもいとわない国家の体質だ。いわば、このグエムルは韓国社会の鬼子なのだ。

 

本作は怪獣映画にしては珍しく、怪獣の登場を引っ張らない。開始10分も経たないうちに怪獣が姿を現す。そして人々を襲っていく。ゴジラ級のサイズではなく、マイクロバス程度の大きさの怪獣が白昼堂々と全身を晒して人間を食べていく様は爽快ですらある。凡百の作り手ならば、グエムルの初登場は夜、それも酔っぱらって、ひとり夜風にあたろうと川べりにやってきた者を尻尾でヒュンと引き寄せて終わり、のような焦らす構成にするはず。ポン・ジュノ監督はそれをせず、怪獣の見せ場をいきなり序盤に持ってきた。そうして怪獣の社会に与えるインパクトを最大限に観客に見せつけ、そこから怪獣に対処していく韓国政府や米軍、そして娘を奪われた家族の動きに視線をフォーカスしていく。『 GODZILLA ゴジラ 』のサブプロットになりそうだった「怪獣出現によって離散してしまった(主人公とは赤の他人の)親と子の物語」を、『 エイリアン2 』でリプリーがニュートを救出せんとする勢いで展開される家族の奮闘物語は、日本の怪獣映画ジャンルではあまり見られなかったものだろう。怪獣が暴れていなくても、カンドゥの家族が当局や軍を向こうに回して奮戦して、緊張感が途絶えない。

 

ダメ男であるソン・ガンホが娘のために立ち上がり、一度はあきらめかけた家族が、それでもヒョンソ救出のために一致団結して、韓国の当局や米軍をも相手に回して、堂々とグエムルに立ち向かっていく描写は、リアリスティックとは言えないが、非常に力強く上質なファミリードラマになっている。ぺ・ドゥナがアーチェリー選手というのもいい。映画の世界では『 ロード・オブ・ザ・リング 』のレゴラス、『 ハンガー・ゲーム 』のジェニファー・ローレンスに次ぐ射手で、スマートに標的を素早く射抜くのではなく、泥まみれになって必中のタイミングを待つタイプである。終盤の一撃はひたすらにかっこいい。

 

本作の背景には『 サニー 永遠の仲間たち 』で描かれたような、軍事政権に圧迫されていた民衆の蜂起の歴史がある。グエムルは鬼子であって奇形生物であり、その原因は米軍が作ったとなると、どうやってもベトナムを想起しないわけにはいかない。『 息もできない 』で描かれたように、戦争は人間の心を壊すのである。本作は、家族の再生物語でもあるのだ。『 ブリング・ミー・ホーム 尋ね人 』にも通じる、というか受け継がれたエンディングがそこにある。邦画の世界が『 朝が来る 』で提示したテーマを、韓国は10年以上前に先取りしていたようである。さらにCOVID-19やMERS以前でありながら、マスク姿の市民のパニックを正確に描き出してもいる。ポン・ジュノの慧眼、恐るべし。

 

ネガティブ・サイド

結末がちょっと・・・ 韓国の家族観には感動させられることもあるが、困惑させられることもある。本作はその両方を味わわせてくれるが、感動3:困惑7の割合である。

 

グエムルを倒すための最終兵器もやや???である。グエムルに効いて、人間相手には効いたり、効かなかったりする。もちろん米軍への皮肉なのであろうが、気象条件によっては使用できない兵器というのはいかがなものか。いっそのこと、漢江に対グエムルの物質を大量に放流するぐらいのエクストリームな展開にしてもよかったのではないかと思う。

 

最後に米軍サイドの人間にもなんらかの勧善懲悪的な展開があってほしかった・・・ これは大人の事情で難しいか。

 

総評

シンプルに面白い一作。コロナ禍の今だからこそ再鑑賞する意味や機運が高まっていると言えそう。怪物グエムルのCGっぽさに2000年代を感じさせるが、その他の家族ドラマの部分には普遍性が感じられるし、国家や社会の怪物(およびウィルス)への反応には先見性が感じられる。年末年始は里帰りせずstay homeの予定であるという向きは、本作をwatch listに入れておかれたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be broad-minded

『 罪の声 』で三頭竜=Three-headed Dragonなど、分詞の形容詞的用法の例を紹介させてもらった続きである。序盤の米軍科学者が“The Han River is a broad river. Let’s be broad-minded.”=漢江は広い川だ。我々も広い心を持とう(そして汚染物質を川に流そう)と言うシーンがある。narrow-minded=偏狭な、狭量な、心の狭い、とセットで覚えよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, オ・ダルス, ソン・ガンホ, パク・ヘイル, ヒューマンドラマ, ピョン・ヒボン, ペ・ドゥナ, 怪獣映画, 監督:ポン・ジュノ, 配給会社:角川ヘラルド映画, 韓国Leave a Comment on 『 グエムル-漢江の怪物- 』 -怪物を生み育てたのは誰か-

『 三大怪獣グルメ 』 -ミシュランの格付けでマイナス二つ星-

Posted on 2020年7月4日2021年1月21日 by cool-jupiter

三大怪獣グルメ 30点
2020年7月1日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:植田圭輔
監督:河崎実

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シネ・リーブル梅田でパンフレットを見た瞬間に「間違いなくクソ映画だ!」と直感した。『 哭声 コクソン 』でグチャグチャにかき回された脳みそを回復させるためには、脳みそを使わず、ただ1時間半暗転した劇場の椅子に座っている時間が有効だろうと素人の民間療法を実施。案の定のクソ映画だったが、別の意味で脳の活性化に役立ったと思う。

 

あらすじ

寿司屋の息子、田沼雄太(植田圭輔)は神社に奉納するイカ、タコ、カニの配達中にそれらを紛失してしまう。同時に東京にイカ、タコの巨大怪獣が出現してしまう。イカラ、タッコラと命名された怪獣を倒すべく、SMATが結成され、元・超理化学研究所員だった田沼も参加を要請されるのだが・・・

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ポジティブ・サイド

『 シン・ゴジラ 』は紛れもない傑作だったが、着ぐるみ+スーツアクターという伝統的な怪獣映画の文法に則っていないところが寂しいところでもあった。こちらの怪獣は紛れもなく日本の怪獣映画・特撮映画の伝統を重んじたオーガニックな手法で作り出されている。チープと呼ばば呼べ。一定以上の年齢の者は、本作によって少年時代のウルトラマンや何やかんやの特撮ヒーローものの記憶が呼び起こされるだろう。それは郷愁である。在りし日の思い出である。思い出は美化されているのである。

 

怪獣に食べられるではなく、“怪獣を食べる”という本作のコンセプトもなかなかに新しい。東宝怪獣のマンダやエビラを「あいつら、ひょっとしたら食べられるかも?」と思った少年少女は一定数いたと思われる。けれども、そのアイデアを作品の肝にしてしまおうという試みはほとんどなかったのではないか。小ネタとして思いつくのは漫画『 ドラゴンボール 』でヤジロベーがピッコロ大魔王の手下を食べてしまうことぐらいか。

 

そうそう、政権与党の権力者を思いっきりパロってコケにするシーンがいくつかあるが、ここはちょっと笑ってしまった。新型コロナ対策を見て分かるように、我が国の政府は恐ろしいほど無能であるという事実が白日の下に晒されてしまった。そのことを下敷きに本作を観れば、『 シン・ゴジラ 』のキャッチコピーである 現実 対 虚構 の意味が鮮やかに反転する。怪獣というのは災害の謂いであり、それをどう乗り越えるか、どう災い転じて福となすのか。そうした視点で見るといっそう興味深くなる。

 

ネガティブ・サイド

脚本が悪い。ストーリーが悪いというのではなく、何もかもが第一稿という段階で撮影に入ってしまっているのではないか。言葉の誤用などの構成のミスも目立つし、プロットの一貫性にも欠けている。たとえばSMATが使用する主兵装に酢砲という馬鹿馬鹿しいにもほどがある武器がある。それは良い。怪獣と言う存在がそもそも馬鹿馬鹿しいのだ。問題は、一万キロリットルの酢をタンクローリーに積載して、怪獣めがけて撃つという設定だ。キロリットル=1,000リットル、1万キロリットル=10,000,000リットルである。水で考えれば、その重さは10,000,000キログラム、トンに換算すれば1万トンとなる。酢も同じに考えてよいだろう。1万トンをタンクローリーで運ぼうとすれば、それこそ『 シン・ゴジラ 』のヤシオリ作戦並みの物量と機動力が必要となる。だが、実際にはジープ2台が出動とはこれいかに。

 

また主人公のライバル敵キャラが酢法の知的所有権が自分に帰属することを高らかに主張するが、政府管轄のSMATに参加しながらそれを主張するのは無理がある。また兵器は特許として出願されうるとは思うが、酢という食品を使用している点が微妙である。というよりも、料理法に着想を得たと自信満々に語っているが、これでは偶然に着想を得たとは言えない。つまり特許庁は特許を認めない可能性が極めて高いだろう。

 

プロット上の矛盾としては、SMATに正式加入していない、というか高らかに不参加を宣言した田沼がイカラやタッコラを試食するところが、まずおかしい。料理人は退院だけに振る舞ったとテレビで断言していたではないか。またSMAT隊長のナレーションで、国立競技場に追い詰めたはずが「大自然が生み出した怪獣が、予想もしない行動に出た」と語るが、三大怪獣はそもそも大自然が生み出したものではなく人間の作ったゼタップZが生み出したもの。そのセタップZも「細胞の核融合を起こす」と説明しながら、実際は細胞分裂を促進するだけ。空想科学研究所の柳田理科雄に言わせれば、全身が癌化してすぐに死亡すると断言されそうだ。また、「予想もしない行動に出た」のは怪獣ではなく人間だった。

 

ことほど左様に本作の脚本は言葉とプロットの面で稚拙である。まさに初稿のまま一切の推敲や校正を経ず、そのまま採用されたかのようである。とてもここには書ききれないが、細かな言葉のミスやプロット上の矛盾は他にも数限りなくある。怪獣の寸法が場面ごとに全然違うなどというのはその最たるものである。怪獣という巨大な虚構を成立させるためには、細かな部分のリアリティこそが肝である。イカラの肝の塩辛はきっと絶品に違いない。

 

キャラクター同士のロマンス要素もノイズだ。そもそもヒロイン役のアイドルの演技力が絶望的に低い。学芸会レベルである。そして頭も悪い。「アワビ、フォアグラ、フカヒレを巨大化させて、世界の食糧事情を改善させる」というアイデアに目を輝かせるが、ちょっと待て。アワビはまだしもフォアグラやフカヒレは生物の体の一部であって生物そのものではない。こいつは水族館では魚の切り身が泳いでいると錯覚するタイプなのか。そして完璧なシチュエーションにもかかわらず告白できない幼馴染の田沼に、それでも愛想をつかさないというキープ癖。あそこで告れない男に冷めない女子というのは、脚本家や監督の願望の投影なのだろうか。キモチワルイ。

 

序盤の何気ない会話があまりにもあからさまな伏線であることに失笑を禁じ得ない。これではまるでクライマックスの展開を読んでくださいと言っているようなものではないか。いくらなんでも、もう少し工夫した見せ方をすべきである。

 

他にも撮影や大道具小道具美術衣装に言いたいことは山ほどあるが、割愛させてもらう。本当は20点だと思っているが、怪獣ジャンルということで10点オマケしておく。

 

総評

期間限定上映である。行くなら今である。さあ、本作を観て、一週間以内に海鮮丼を食べよう。そしてきれいさっぱり本作を記憶から消してしまおうではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

in a state of emergency

主人公・田沼の「今が緊急事態宣言中ってこと、忘れてるんじゃないの?」というセリフがある意味でとても生々しい。Japan is in a state of emergency. = 日本は緊急事態にある。今年になって最も使われるようになった言葉であり、残念ながら今後も使われるかもしれない言葉である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, 怪獣映画, 日本, 植田圭輔, 監督:河崎実, 配給会社:パル企画Leave a Comment on 『 三大怪獣グルメ 』 -ミシュランの格付けでマイナス二つ星-

『 ロード・オブ・モンスターズ 』 -典型的C級怪獣映画-

Posted on 2020年1月9日 by cool-jupiter

ロード・オブ・モンスターズ 30点
2020年1月8日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:エイドリアン・ブーシェ
監督:マーク・アトキンス

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TSUTAYAのボックスカバーは、思いっきり『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』をパクっていて、これはクソ映画に違いないと確信した。I was in the mood for some American garbage, especially after watching a great Korean film and a great French film.

 

あらすじ

海底資源探査の会社を経営するフォード(エイドリアン・ブーシェ)は、偶然にも巨大な“怪獣”に遭遇してしまう。マグマを血液に持つ規格外の生物“テング”に立ち向かうため、フォードは地質神話学者や沿岸警備隊と連携する。そして、テングを倒すには伝説の怪獣“生きた山”を目覚めさせるしかないと分かり・・・

 

ポジティブ・サイド

原題はMonster Island、これだけ聞くと『 怪獣総進撃 』を思い出してしまうし、敢えてそうさせようというマーケティング上の理由があるのだろう。中身はゴジラとは似ても似つかない怪獣が現れるストーリーからである。少しでもビューワーの気を惹くためなら、多少の無理めな邦題やパッケージ・デザインでも行ってまえ!というノリは買いである。

 

設定は荒唐無稽だが、劇中で披見される科学的知識や地質神話学の知見は、まあまあ納得できる。太古、“怪獣”とは地震や火山噴火、津波の謂いであったとうのは宗教学専攻だったJovianにも首肯できる意見である。

 

また遠洋に船を出す爺さんが良い味を出している。いきなり映画『 アビス 』を持ちだして、“They are down there. = 未知の生命は海底にいる”と呟く様は渋い。海の男は、海を知り尽くしているという雰囲気よりも、海はどこまでも奥深い領域であると弁えた雰囲気を湛えているものなのだろう。その方が東洋の世界観の産物である“怪獣”とよくマッチすると、あらためて思わされた。

 

ネガティブ・サイド

科学的な知識はそれなりに正しいのに、主人公たちは自分で使っている機材やテクノロジーについての設定をすぐに忘れてしまう。間抜けにも程がある。海中探査用ROVの映像には1分のタイムラグがある、と冒頭で説明しておきながら、その後の描写ではほぼリアルタイムで映像を見ているとしか思えない反応を示す。監督兼脚本のM・アトキンスは何をやっているのか。また40メートル級の津波はどこへ行った?

 

またテングの質量が250万トンというのは無茶苦茶にも程がある。最新ゴジラが9万トンなのだから、その30倍弱の重量というのは規格外過ぎる。怪獣映画の基準はゴジラであるべきで、そこから逸脱しすぎるとファンタジーになる。

 

またテングの卵から生まれるのが、似ても似つかぬクリーチャーというのは何故だ?テングがヒトデで、なおかつメスで、オスを探しているのではないか?という仮説は「お?『 GODZILLA ゴジラ 』のMUTO的な展開か?」と期待させてくれたが、それもなし。興奮を煽っておきながら、おあずけされるとはこれ如何に。怪獣映画ファンはマゾでないと務まらないのか。

 

そしてクライマックスの“テング”と“生きた山”の激突とその結末は・・・とんでもない拍子抜けである。男性キャラクターはあっさりと死ぬ、というポリシーを持っていた本作であるが、最後の最後に来てそれを引っ繰り返した。これをドンデン返しと受け取れというのは、いくらなんでも無理である。ポリシーは一貫してこそポリシーである。ひどいクソ映画であり、ひどいクソ結末である。

 

総評

超低予算、超短期間撮影、超ローテクで作った割には、クソ映画レベルにまとまっている。決して、超絶駄作ではない。怪獣好き、洋画の中で唐突に日本語が聞こえてくるのが好き、という変わった趣向の持ち主なら楽しめるかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

They are down there.

英語のWe, You, Theyというのは奥深い人称代名詞である。日本語ではWeの用法があるが、それは主に企業や組織で使われている。保険会社やクレジットカード会社のコールセンターのオペレーターは例外なく「私ども」という言葉を使うが、複数形にすることで組織代表になるわけである。Theyには、その場にいない者たち全般の意味となり、SF映画や生物学者、天文学者たちはしばしば

“We are not alone. But where are they?”

という問いを立てる。「我々地球人は(この広い宇宙の中で)孤独ではない。だが彼ら=宇宙の他の生命体たちはどこにいるのだ?」の意である。ここまでスケールが大きくなくとも、Theyというのは英語ネイティブがあらゆるレベルで頻繁に使う言葉である。これを自然に使えるようになれば、英会話力は中級以上である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, アメリカ, エイドリアン・ブーシェ, 怪獣映画, 監督:マーク・アトキンスLeave a Comment on 『 ロード・オブ・モンスターズ 』 -典型的C級怪獣映画-

『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』 -Monsterverse本格始動を告げる傑作-

Posted on 2019年6月2日2020年4月11日 by cool-jupiter
『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』 -Monsterverse本格始動を告げる傑作-

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 85点
2019年6月1日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
2019年6月2日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:カイル・チャンドラー ベラ・ファーミガ ミリー・ボビー・ブラウン 渡辺謙 チャン・ツィイー
監督:マイケル・ドハティ

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土曜のレイトショーを観て、売店で思わず帽子とTシャツを衝動買いしてしまった。もう一度、もっと大きな画面と良質な音響で鑑賞したいという思いと、「ん?」と感じてしまった場面を検証したくなり、日曜朝のチケットも購入した次第である。最初は90点に思えたが、二度目の鑑賞を経て85点に落ち着いた。

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あらすじ

2014年にロサンゼルスで起こったゴジラとMUTOの戦いは、住民に甚大な被害を与えていた。それから5年。マーク(カイル・チャンドラー)は、酒に溺れた。その妻のエマ(ベラ・ファーミガ)はモナークと共に、各地に眠る神話時代の怪獣、タイタンたちとの意思疎通を図るための装置を作っていた。そして、中国でモスラの卵が孵るが・・・

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以下、本作および『 ゴジラ 』シリーズおよび他の怪獣映画のネタばれに類する記述あり

 

ポジティブ・サイド

Jovianが常々願っていた、「神々しいキングギドラ」が遂に降臨した!『 GODZILLA 星を喰う者 』のギドラもそれなりにまばゆい異形のモンスターであったが、とにかくアクションに乏しく、なおかつ異次元の禍々しさがなかった。Jovianの一押しである『 ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃 』で千年竜王として覚醒したギドラは赫奕たる聖獣だったが、あまりにもあっさりと爆散させられてしまった。その不遇の怪獣ギドラがついに輝く時が来た。トレイラーにもある火山の頂上で鎌首をもたげ、翼を目いっぱい広げる姿には、文字通りに身震いさせられた。また、真ん中の首はやたらと左の首にきつくあたっており、ドハティ監督が強調していた個性は確かに表現されていた。

 

そしてラドンの雄姿。『 空の大怪獣ラドン 』で活写された、戦闘機以上の超音速飛行に、ラドンの引き起こす衝撃波で街や橋などの建造物が破壊されていく描写が、ハリウッドの巨額予算とCG技術でウルトラ・グレードアップ!キングギドラが上空を飛ぶことで街に巨大な影を落とすシーンは『 モスラ3 キングギドラ来襲 』だったか。そこではギドラが飛ぶだけで子どもが消えた。また、『 ゴジラ対ヘドラ 』では、ヘドラが上空を飛ぶだけで人間が白骨化した。しかし、本作のラドンは、怪獣の飛行によって引き起こされる惨禍としては最上級のスペクタクルを提供してくれた。トレイラーはやや見せ過ぎな感があるが、ラドンの空中戦シーンは本当に凄いし面白い。迫力満点である。

 

モスラの造形も良い。『 ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃 』における蜂的な、つまり攻撃的な要素も取り込みつつ、しかし母性、慈愛にあふれるキャラクターとしても描かれている。モスラは怪獣にしては珍しく、卵、幼虫、繭、成虫と怪獣にしては珍しくコロコロその姿を変える。また平成モスラシリーズで特に顕著だったように、成虫は敵との戦いに応じて、その姿をびっくりするほど変化させる。ゴジラも各作品ごとに姿かたちは少しずつ異なるが、モスラはその変化の度合いがとても大きい。ではモスラをモスラたらしめる要素とは何か。それは何と「モスラの歌」だったようである。

 

だが本作の主役は何と言ってもゴジラだ。ハリウッドのゴジラ映画で伊福部昭の“ゴジラ復活す”と“ゴジラ登場”を聞くことができる日が来るとは・・・ これがあったからこそ、MOVIXで鑑賞した翌日に東宝のDOLBY ATMOSに追加料金を払う気になったのだ。売店では至る所でゴジラ誕生65周年を記念するグッズが売られていたが、伊福部サウンドが、もちろん編曲され、録音環境や録音技術も格段に向上しているとはいえ、65年経った今でも、何の違和感もなくゴジラという規格外のキャラクターを表現する最上の媒体として機能することに畏敬の念を抱くしかない。『 GODZILLA 星を喰う者 』で、ドビュッシーの『 月の光 』を思わせる云々などど書いて、実際にドビュッシーの『 月の光 』だと分かって一人赤面したが、これはドハティ監督が伊福部サウンドをクラシカルなものとして認めているということを表しているのだろう。2014年のギャレス・エドワーズ監督の『 GODZILLA ゴジラ 』におけるゴジラに決定的に足りなかった要素が遂に補われた。『 シン・ゴジラ 』の続編は期待薄だが、本作はゴジラが日本のキャラクターではなく、日本発にして日本初のグローバルキャラクターとして確立された記念碑的作品として評価されるべきであろう。

 

前作の反省を生かし、怪獣バトルを出し惜しみせず、真っ暗闇で何が起きているのか分からないような描写は一切ない。これは喜ぶべきことだ。また、人間など蟻んこほどにも意識しなかったゴジラが、芹沢博士を、そして人間を認識するようになったのは今後のMonsterverseの展開を考えれば、様々な可能性への扉を開いたと言えるだろう。そして『 レディ・プレイヤー1 』並みとまではいかないが、怪獣コンテンツ、特に過去のゴジラ映画へのオマージュがこれでもかと詰め込まれている。古代ニライカナイならぬアトランティス、フィリピン沖から三原山への超短時間での移動を可能にしたのはこれだったのかという地球空洞説、『 モスラ3 キングギドラ来襲 』のギドラ並みの再生力を持つモンスター・ゼロ、そして『 ゴジラvsデストロイア 』におけるバーニング・ゴジラの再来と、ゴジラが実際にメルトダウンしそうになった時に周囲で何が起こるのかを実際に見せてくれるところ、そして極めつけのオキシジェン・デストロイヤーなど、怪獣映画愛に溢れた描写がそこかしこに挿入されている。映画ファン、怪獣ファン、そしてゴジラファンならば決して見逃せない大作である。

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ネガティブ・サイド

一度目では目立たなかったが、二度目の鑑賞ではっきりと見えるようになった欠点もいくつかある。まず雨のシーンが多すぎる。本作で本当に雨、そして雲が映えるのは成虫モスラが洋上に飛来するシーンだけだろう。

 

またモナークが少し画面にでしゃばり過ぎである。秘密組織であるにもかかわらず、何故あのような巨大飛行船を所有しているのだ?『 未来少年コナン 』の空中要塞ギガント、『 ふしぎの海のナディア 』の空中戦艦、PS2ゲーム『 エースコンバット・ゼロ ザ・ベルカン・ウォー 』のフレスベルクの亜種にしか見えないが、給油や整備に成田や関空以上の空港・基地が必要になりそうだ。そんなものを所有する秘密組織があってよいのか?そしてこの巨大飛行船が、しばしば怪獣バトルに割って入るのだ。いや、割って入るだけならよい。観客の視界をふさがないでほしい。

 

また、『 GODZILLA ゴジラ 』で芹沢博士の右腕的存在だったグレアム博士(サリー・ホーキンス)を退場させる必要はあったのか?ジョー・ブロディを死なせる必要が無かったように、グレアム博士も死ぬ必要は無かった。代わりに追加された新キャラクターは、アホな台詞ばかりをしゃべる初老の科学者。

 

マーク “My God”

科学者 “zilla”

 

というやり取りはトレイラーにもあったが、Zillaにまで言及する必要はない。ここは本編からカットするべきだったのだ。ラドン登場シーンで、逃げ惑う人々の群れの中で子どもが転倒、大人が駆け寄る、轟音がして振り返るとそこには大怪獣が・・・ というクリシェはまだ許せる。しかし、軽口ばかり叩いて緊張感が感じられないキャラクターは『 ザ・プレデター 』という駄作だけでお腹いっぱいである。

 

怪獣を使って地球上化を目論むテロ組織も色々とおかしい。オルカという最重要な機器を見張りもつけずに放置して、あっさりとマディソン(ミリー・ボビー・ブラウン)に奪われるなど、あまりにも不可解だ。ご都合主義が過ぎる。また、『 ランペイジ 巨獣大乱闘 』でも見られた齟齬だが、音波というのは音速 ≒ 時速1200 km で進むわけで、ボストンから音響を大音量で鳴らしたタイミングでワールドニュースが「世界中の怪獣がいっせいにおとなしくなりました」と報じるのは、あまりにも科学的にも論理的にも常識的にもおかしい。怪獣という途轍もない虚構をリアルなものとして成立させるためには、周辺のリアリティをしっかりと確保することが至上命題なのだ。

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総評

弱点や欠点が目立ちはするものの、それを補って余りある長所が認められる。これまでは、多勢に無勢で一方的に倒されることが多かったキングギドラが、久しぶりにゴジラと1 on 1 で戦えるのだ。そして、前作で芹沢博士がゴジラを“An ancient alpha predator(古代の頂点捕食者)”と評した理由が遂に明らかになるラストは、観る者の多くの度肝を抜き、震え上がらせることであろう。Marvel Cinematic Universeが完結し、X-MENも完結間近である。しかし、Monsterverseはここからが始まりなのだ。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, カイル・チャンドラー, ゴジラ, 怪獣映画, 渡辺謙, 監督:マイケル・ドハティ, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』 -Monsterverse本格始動を告げる傑作-

『 GODZILLA ゴジラ 』 -迫力はあるが、作り込みが甘い-

Posted on 2019年6月2日2020年4月11日 by cool-jupiter

GODZILLA ゴジラ 55点
2019年5月30日 所有ブルーレイにて鑑賞
出演:アーロン・テイラー=ジョンソン 渡辺謙 エリザベス・オルセン
監督:ギャレス・エドワーズ

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『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』の前日譚にあたるのが本作である。その意味では、復習上映にちょうどよいタイミングであろう。『 シン・ゴジラ 』を劇場鑑賞したからに、USゴジラも鑑賞しないことにはバランスが悪い。

 

あらすじ

怪獣を秘密裏に調査してきた組織モナークはフィリピンで巨大生物の痕跡を発見していた。その後、日本の原子炉で不可解な事故が発生。それは巨大生物の復活の狼煙で・・・

 

ポジティブ・サイド

原子炉の事故というのは、間違いなく3.11への言及だ。日本ではなくアメリカがこのことに言及したことは、それだけで意義深い。また、巨大不明生物の出す音に着目している点も興味深い。『 シン・ゴジラ 』では、「奴の知能の程度は不明だが、我々とのコミュニケーションは無理だろうな」と言われてしまったが、怪獣とのコミュニケーションの可能性を模索する方向性が2014年時点で示唆されていることは称賛に値する。三枝未希的なキャラはそう何度も生み出せるものではないのだ。

 

敵怪獣のMUTOには賛否両論があるが、EMP攻撃でF-22を面白いように落としていく様は観る側を絶望的な気分にさせてくれる。山本弘の小説『 MM9 』へのオマージュなのだろうか。常識的に考えれば、人類の科学技術の粋である現代兵器が通じない相手など存在するわけがない。それが実際に通じないところが怪獣の怪獣たる所以なのだが、そんな化け物がゴジラ以外にたくさん存在されるのも何かと不都合だ。だからこそ、攻撃がいくら命中しても効果なし、から、電気系統がすべて切れてしまう=兵器が無力化される、というアイデアに価値が認められる。

 

ゴジラが人類の攻撃を屁とも思わず、ひたすらMUTOを追いかけまわすのも良い。Godをその名に含むからには、人間とは別次元の存在であらねばならない。米艦隊を引き連れているかのように悠然と大海原を往くゴジラの姿には確かに神々しさが感じられた。

 

主人公が爆弾解体のスペシャリストというのもユニークだ。決して花形ではないが、いぶし銀的なミッションの数々に従事してきたのであろうと思わせる雰囲気が、アーロン・テイラー=ジョンソンから発せられていた。

 

ゴジラという人間を歯牙にもかけず、都市を完膚なきまでに破壊し、それでも結果的には人類を守ってくれた存在に、人はどう接するべきなのだろうか。泰然として海に還っていくゴジラを見送る芹沢博士の誇らしげな笑顔とグレアム博士の畏敬の念からの涙に、ゴジラという存在の巨大さ、複雑さ、奥深さが確かに感じ取れた。

 

ネガティブ・サイド

ジョー・ブロディを途中退場させる意味はまるでなかった。また、フォードが途中で子どもを助けるシーンも、あっという間に子どもが両親のもとに帰っていけるのであれば必要ない。どうしても人間ドラマ、家族ドラマを描きたいのは分かるし、Jovianが怪獣映画を監督する、またはそれ用の脚本を書く機会が与えられたならば、何らかのヒューマンな要素を入れるのは間違いない。なのでドラマを持ち込もうとすることは否定しない。問題はその描き方である。妻を失ったジョーは、息子や孫までは失えないと息子と協力して、これまでに個人的なリサーチで溜めこんできた情報をモナークおよび米軍にシェアする。または、フォードが電車で助けるのを子どもではなく老人にする。その老人の姿を通じて、フォードは間接的に父の愛情の深さと大きさを知ることになる。そんな風なドラマが観たかったと思ってしまう。人間パートが、どうにもちぐはぐなのだ。我々が見たいのは怪獣同士のバトルである、もしくは軍隊が怪獣に果敢に向かっていきながらもあっさりと蹴散らされるシークエンスである。

 

だが、そうしたシーンもどんどんと先延ばしにされてしまう。ハワイでの激突シーンもテレビ放送画面に切り替わり、本土決戦でもエリザベス・オルセンがシェルターに逃げ込むと同時に別画面に切り替わる。クライマックスの怪獣バトルのカタルシスを最大化したいという意図は分かるが、ちょっと焦らし過ぎではないか。だが最大の問題点は、ゴジラとMUTOの最終決戦があまりにも暗過ぎて何が起きているのかよく分からないところだ。肝心のMUTOへのトドメも、『 ゴジラ2000 ミレニアム 』とかぶっている。もしもこれがオマージュであると言うなら、もっと徹底的にやってほしかったと思う。

 

総評

決して悪い映画ではない。しかし、ゴジラというタイトルを冠するからには、ゴジラをゴジラたらしめるサムシングを備えていなければならない。それが何であるのかを定義するのは困難極まる。しかし、そうではないものはひと目で分かる。本作が描くのは、間違いなくゴジラである。ただ、少しゴジラ成分が足りないように思えてならない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アーロン・テイラー=ジョンソン, アメリカ, エリザベス・オルセン, ゴジラ, 怪獣映画, 渡辺謙, 監督:ギャレス・エドワーズ, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 GODZILLA ゴジラ 』 -迫力はあるが、作り込みが甘い-

『 シン・ゴジラ 』 -ゴジラ映画の一つの到達点-

Posted on 2019年5月31日2020年4月11日 by cool-jupiter

シン・ゴジラ 90点
2019年5月30日 塚口サンサン劇場にて鑑賞(劇場鑑賞は通算8回目)
出演:長谷川博己 竹野内豊 石原さとみ 高良健吾 大杉漣
監督:樋口真嗣
総監督:庵野秀明

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タイトル発表時、シンの字の意味が色々と推測されていた。公開前の特番で松尾諭が「進」の字を当てていたのが印象に残っている。日本で大ヒットを記録し、海外で大絶賛と大顰蹙の両方を得た本作であるが、Jovianは傑作であると評価したい。

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あらすじ

東京湾内で謎の水蒸気爆発が発生。トンネル崩落事故や、船舶航行の停止、航空機の離着陸が停止されるなどの影響が出る中、原因は巨大不明生物であることが判明。その生物は川を遡上し、ついには東京都に上陸。甚大な被害を引き起こしていく。政府の取るべき対策は・・・

 

ポジティブ・サイド

≪重低音ウーハー上映≫および≪日本語字幕付き≫上映に行ってきた。そういえば、エアカナダの機内で英語字幕版も鑑賞していたんだったか。ブルーレイで3回鑑賞しているはずなので、通算では11回観たことになる。それでも2016年当時はテレビで「14回観た」とか「18回観た」とか、東京都内ではシン・ゴジラの感想を喋りまくれる喫茶店(的な店)が臨時オープンしたというようなニュースもあった気がする。それだけの熱量ある反応を生み出せる傑作であるとあらためて感じた。完全に時期外れなので、雑感レベルの落書きになるが、ご容赦を。

 

何よりも新ゴジラである。1954年のオリジナルの呪縛から解き放たれたと言うべきか、第一作を踏襲し、その上で乗り越えてやろうという気概を以って望んだ脚本家や監督はこれまでいなかったのだろう。庵野秀明はそれを希求した。そして異論は有ろうが、部分的にはそれを成し遂げた。戦争の爪痕や負の記憶が色濃く残る時代にゴジラという怪獣を送り込んだのと同様に、震災と津波、そして原発のメルトダウンにより大被害を被った2011年の記憶も生々しい時期に、ゴジラという怪獣が日本に現れたことには意味があるのだ。佐野史郎が震災直後に東宝の関係者に「作るなら今ですよね?」と進言したところ、「実はアメリカで作る話が先行しちゃってるのよ」と返されたという逸話を深夜番組で語っていたが、映画人の中にもゴジラのゴジラ性、すなわちゴジラは時代と切り結ぶ怪獣であるということをよくよく理解している方が存在することを知って心強く思った。

 

本作は震ゴジラでもあり、侵ゴジラでもあるだろう。不明な勢力からの侵略的行為に対して、この国の政府はどのように動き、またはどのような動きが取れないのかを、本作は徹底したリアリティ追求路線で明かしてしまった。はっきり言って『 空母いぶき 』製作者たち(原作者除く)は、本作を20回は観返して勉強した方が良い。

 

ハイライトのひとつであるタバ作戦の迎撃シーンも恐ろしい。何が恐ろしいかと言うと自衛隊の錬度。『 GODZILLA ゴジラ 』における米軍とは雲泥の違いだからである。いや、昭和から平成までのゴジラ映画において、自衛隊の攻撃の命中率はかなり悪かった。それは、子ども向けの怪獣映画だからでもあっただろう。しかし、本作の自衛隊は本物の自衛隊と見紛うばかりである。ヘリコプターの射撃やミサイル、戦車の砲火、長距離ミサイル、攻撃機からの爆弾(レーザー誘導弾なので当たり前の精度と言えるが・・・)が、一発たりとも外れないのである。ゴジラファンならばどうしても想像する、「もしもこれらの火力が、ゴジラをはずして、そこらの建造物に命中したら・・・?」と。おそらく武蔵小杉駅周辺はものの数分で瓦礫の山だろう。ゴジラだけに命中する火力の凄まじさを見せつけることで、ヤシオリ作戦のゴジラ固定プロセスが光る。この構成には唸らされた。

 

本作の描き方の特徴に両義性が挙げられる。「ゴジラを倒せ!」と「ゴジラは神だ!」と叫び合うデモ隊、日本政府に事前通告なく、いきなり攻撃機を送り込んでくる米政府に、日本の住民避難の時間の無さを心から憂う米大使館関係者、冷静沈着な矢口が激昂する瞬間に、ちゃらんぽらんにしか見えなかった泉が最も冷静さを保っていたこと、中盤のタバ作戦の迫真の戦闘描写&重厚なBGMと、終盤のヤシオリ作戦の漫画的戦闘描写&宇宙大戦争マーチ、陽のカヨコ・アン・パターソンに陰の尾頭ヒロミ、などなど枚挙にいとまがい。観るほどに発見がある。日本で大ヒット、海外ではおおむね酷評というのも、そう考えれば「らしい」結果と言えるのではないだろうか。

 

ネガティブ・サイド

ゴジラの血液サンプルは、蒲田さんから取れた。それは良い。しかし、鎌倉さんゴジラがタバ作戦を乗り越えて東京都心に侵攻、米軍のバンカーバスターで傷ついたゴジラは、背びれの一部を破損した。それも良い。しかし、その後にゴジラ自身が口から放射熱戦を大量に吐き出し、あたり一面を文字通り火の海にしてしまった。その時に、背びれ表面および中の血液も蒸発してしまうはずでは?自衛隊員のすぐそばにかなりの血液まみれの肉片が背びれから剥離して落ちてきたのは、やや不可解であった。

 

もう一つ、素人でも気になったのが鎌倉さんゴジラを上陸直前まで探知できなかったこと。現実の海上自衛隊や海上保安庁が総力を以ってすれば、易々と捕捉できるはずだ。『 ハンターキラー 潜航せよ 』を思い返すまでもなく、水は空気よりも音をよく伝える。日本中の潜水艦およびソノブイをフル稼働させれば、上陸前に文字通り水際で作戦展開できたはずだ。リアル路線の中でも、ここだけはもう少し上手い言い訳を思いついて欲しかったと切に願う。

 

総評

今さらではあるが、本作は傑作である。2016年の日本アカデミー賞は本作と『 怒り 』の一騎打ちになると多くのメディアが予測していたが、蓋を開けてみれば本作の圧勝であった。それもむべなるかな。ゴジラファンのみならず、小出恵介やピエール瀧と再会したい映画ファンは、本作を観ると良い。というのは冗談であるが、シン・ゴジラは日本映画史に確実に残る一本である。怪獣というだけで敬遠するなかれ。本作を堪能できるかどうか。それが子どもと大人を見分けるためのリトマス試験紙になるはずである。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, S Rank, ゴジラ, 大杉漣, 怪獣映画, 日本, 監督:庵野秀明, 監督:樋口真嗣, 石原さとみ, 竹野内豊, 配給会社:東宝, 長谷川博己, 高良健吾Leave a Comment on 『 シン・ゴジラ 』 -ゴジラ映画の一つの到達点-

ゴジラ映画考および私的ランキング

Posted on 2019年5月29日2019年5月30日 by cool-jupiter

Jovianは小学1年生から高校3年生まで、『 ゴジラ 』映画シリーズと『 少年探偵団 』シリーズに耽溺していた。もちろんゴジラ愛や江戸川乱歩愛は今も変わらずに続いているが、流石に少年の頃のようなときめきは最早ない。しかし、今でも折に触れては観返し、あるいは読み返す。それがゴジラと少年探偵団である。Jovianの青春の二本柱の片方のゴジラ映画も何と34作品を数えるまでになった。もちろん、過激なゴジラファンは1998年のマシュー・ブロデリックverを今でも認めないらしいが、それも含めて、今一度ゴジラとは何かを、これまでのゴジラ映画に順位付けすることで考えてみたい。ゴジラ映画はアニメを除けば、どれも最低2回は観た。『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』公開前に、今一度自分の頭を整理してみたいと思う。

 

34位 ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃(1969年) 25点

私的には、これがワースト・ゴジラ映画である。いじめられっ子の一郎が夢の中でミニラと会話することで勇気づけられるというプロットは悪くない。だが、ミニラがガバラに立ち向かっていけるのは、後ろにゴジラが控えているからで、そこが一郎とは違う。肝心のゴジラの戦闘シーンも過去作の流用で、なおかつ本編プロットに誘拐犯まで絡んできて訳が分からない。なぜ一郎がここまで虐げられなければならないのか。誘拐犯といじめっ子、両方に立ち向かえというのは無理がある。ゴジラは常に時代の問題と切り結ぶ形で現れてくる怪獣だが、本作はそうしたメッセージも弱く、怪獣バトルシーンも全く盛り上がらない。非常に残念な作品である。

 

 

33位 怪獣総進撃(1968年) 40点  

Jovianだけではなく多くの人が、キングギドラのことを「実は弱い」と思っているのではないか。キングギドラというゴジラ世界(のみならず怪獣世界 ex. モスラ世界など)における最も魅力的な敵キャラが、最もあっけなく退治されてしまうのが本作である。怪獣勢ぞろいのバトルは楽しいが、もう少しギドラという神々しいまでの敵キャラモンスターを輝かせてくれてもよいのではないだろうか。

 

 

32位 怪獣大戦争(1965年) 40点

これは非常に上質なエンターテインメント作品である。シェーが恐ろしく印象的であるが、ストーリーははっきり言って意味不明に近い。ラドンとゴジラを惑星間移送できるテクノロジーがあるのなら、ギドラぐらい何とかなるだろう。宇宙人と地球人のロマンスも、もう少し美しく描写する方法は模索できなかったのだろうか。

 

 

31位 GODZILLA(1998年) 40点

1998年のアメリカ版ゴジラである。ゴジラではなくジラと呼ぶべきかもしれないが、これもまたゴジラの一つの形だろう。最大の不満は劇場公開前にあれだけ「ゴジラがニューヨークで大暴れ!」と煽っておきながら、実際にニューヨークの街を一番ぶち壊したのは米軍だったところ。ゴジラの体温が低く、熱探知型の誘導弾が外れてしまうというのは、アイデアとしては斬新で面白い。しかし、ゴジラというのはミサイルやら爆弾やらを雨あられの如く食らってもケロッとしていなければならない。ミサイル数発で絶命してしまっては本当のゴジラではない。

 

 

30位 ゴジラ対メガロ(1973年) 40点 

海底王国というところにロマンを感じないわけではないが、地上人の核実験に抗議する為にメガロを送り込んだら、核実験の申し子にして被害者のゴジラと鉢合わせというのは、何の皮肉なのだろうか。助っ人にガイガンを呼ぶのは Good idea だが、Jovianは何度観てもジェットジャガーが好きになれなかった。あの顔とエンディングの訳の分からない電波ソングが、どうにも苦手なのである。

 

 

29位 GODZILLA 怪獣惑星(2017年) 45点

アニメゴジラの記念すべき第一作。実験精神に満ちた作品であることは高く評価したい。

しかし、知恵を尽くしたとはいえ、通常兵器だけでゴジラを倒してどうする。劇場鑑賞中に釈然としない思いを抱いたことをよく覚えている。

 

 

28位 ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS(2003年) 50点

これも怪獣大乱闘劇で本来はJovianの好みにぴったり合致するのだが、クライマックスの展開が『 モスラ対ゴジラ 』の二番煎じになってしまっている。ミレニアム・シリーズの中では珍しく、『 ゴジラ(1954) 』の直接の続編ではなく、『 ゴジラ×メカゴジラ 』の続編となっている。ならば新しい世界線に踏み出せば良いのだが、ここでもオリジナル・ゴジラに回帰すべく、メカゴジラ機龍の骨を海に返してしまう。さすがにこの頃になると、「次の展開を観たい」ファンと、「次の展開を思いつけない」東宝の図式が固まってしまっていた。

 

 

27位 ゴジラ×メカゴジラ(2002年) 50点 

メカゴジラの暴走&東京破壊シーンは大スペクタクルである。しかし、メカゴジラによる破壊のオンパレードは既に見たし、『 ゴジラvsメカゴジラ 』のメカゴジラの方が確実にゴジラにダメージを与えていた印象がある。こちらのメカゴジラはその基盤にメカキングギドラを採用したのが失敗だったのかもしれない。平成ゴジラは、常に昭和ゴジラの影に付き纏われていたという印象が強く残る。

 

 

26位 GODZILLA 星を喰う者(2018年) 50点

アニメゴジラの第三作。とにかくギドラが動かない。予算が無いのは仕方がないが、それならそれで時間の流れを乱すような描写、物理法則を捻じ曲げるような描写をするべきだろう。非常に良い素材を個性派料理人に調理させたところ、好みがはっきり分かれる味に仕上がった。そんな印象である。

 

 

25位 GODZILLA ゴジラ(2014年) 55点

記念すべきアメリカ版ゴジラのリブート、というかオリジナルを尊重しながらもアメリカ版として新たに生まれ変わったゴジラの物語である。非常に野心的な作品であったが、人間パートのドラマがイマイチ盛り上がらないところ、そして怪獣同士のバトルが今まさに始まろうとしている瞬間に次のシーンに切り替わるというイライラさせられる展開、そしてクライマックスのバトルが暗過ぎて劇場では何が起きているのかよく分からないという致命的な欠陥あり。DVDやブルーレイで明度調整をすれば見やすくなるが、劇場で見えにくければ、それは失敗作である。誠に惜しいと言わざるを得ない。

 

 

24位 ゴジラの逆襲(1955年) 55点

確かアンギラスやゴジラを数万年前の恐竜の変異したものと、劇中で説明していた。時代が時代とはいえ、めちゃくちゃな科学的知識である。クライマックスの飛行機の連続爆撃シーンは素晴らしいシークエンスに仕上がっているが、第一作の『 ゴジラ 』にあった空襲から逃げ惑う人々のメタファーは、本作には存在しなかった。

 

 

23位 メカゴジラの逆襲(1975年) 60点

モスラ以外に強風でゴジラを押さえ込めるのはチタノザウルスだけだろう。また、ゴジラに噛みついて、ブン回して、その巨体を空に向かって投げ飛ばすという離れ業を演じた。メカゴジラも、首をもぎ取られても動くという、ある意味でホラー映画的展開を見せてくれた。とにかく色々な意味で子ども心に強烈なインパクトを残してくれた作品。海に去っていくゴジラのイメージを決定づけたのは、おそらく本作ではないだろうか。

 

 

22位 ゴジラvsメカゴジラ(1993年) 65点

ゴジラの生物としての側面、すなわち子孫を残すところと、メカゴジラの非生物としての側面、すなわち攻撃だけに特化したところが、見事に激突する。ゴジラに電気を逆流させる能力や、あるいはラドンの助太刀がなければ、メカゴジラの完勝だったのではないか。実際にこのメカゴジラはラドンを一捻りした。そこでゴジラの敗北を阻止する要因になったのがベビーの存在であるところが奥深い。生命の神秘の一つの到達点としての怪獣と、科学技術の粋としてのメカゴジラの対比が映える。

 

 

21位 ゴジラ対メカゴジラ(1974年) 65点

こちらのメカゴジラも恐ろしいインパクトを残した。というよりもこちらが本家である。アンギラスを一蹴したり、石油コンビナートをド派手に爆発炎上させたり、本物のゴジラを徳俵まで追い詰めたりと、印象的な活躍を見せた。キングシーサーがアホみたいに長い歌を聞かせないと目覚めないところ、なおかつ目覚めてからもメカゴジラに歯が立たないところが減点対象か。

 

 

20位 GODZILLA 決戦機動増殖都市(2018年) 65点

アニメゴジラの第二作。頼れる存在であり、邪悪な存在でもあったメカゴジラを、全く違う角度から捉え直した。ナノメタルを材料としたシティ(というか基地)全体がメカゴジラという新解釈は、確かに面白い。メカゴジラは敵でもあり味方でもあり、味方である時も勝手に暴走したりする面が見られたが、今作はそのような敵味方の境目を超越したかのようなメカゴジラが見られる。メカゴジラは善悪の彼岸に存在するのである。

 

 

19位 地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン(1972年) 65点

ガイガンがとにかく Cool なのである。悪役の雰囲気をぷんぷん漂わせているからである。ガイガンがキングギドラと共に地球の空をくるくる旋回するシーンは小学生の時に観て、ものすごく興奮したことを今でもはっきり覚えている。侵略的な怪獣から、ゴジラが地球を守るという伝統的なプロットは本作から始まったのではなかったか。プロレス的タッグチームマッチは見応え抜群である。

 

 

18位 ゴジラvsモスラ(1992年) 65点

フィリピン沖の海底火山に沈んだゴジラがマグマの流れに乗って富士山の火口から登場するというエクストリームにも程がある超展開。「奴は我々の常識が通じる相手じゃないんだ」という台詞が、これまでの、そして今後のゴジラの超耐久力を見事に説明してくれている。一発で幼虫から成長に変身するバトラや、その成虫バトラの観覧車アタックなどが特に印象的。

 

 

17位 ゴジラ2000 ミレニアム(1999年) 65点

宇宙人そして2000年問題をも絡めた作品である。ゴジラをあっさりと退けてしまう不気味な宇宙船、そして阿部寛が主導する対ゴジラ兵器、民間人によるゴジラ観測と、エンターテインメント要素が詰まっている。佐野史郎の言う、「ゴジラ、お前は何者なんだ?」という問いは多くのゴジラファンの胸に響いていることであろう。

 

 

16位 ゴジラ×メガギラス G消滅作戦(2000年) 65点

ラドン世界のメガギラスがゴジラ世界に移籍してきて大活躍するのが非常に印象的。また、数多あるゴジラ世界の超兵器の中でも群を抜いたテクノロジーであるディメンジョン・タイドには、「本当にゴジラを消滅させてしまうのか?」という期待感と不安感があった。ゴジラのフライング・ボディ・プレスが炸裂する怪獣プロレス劇と、シン・ゴジラさながらのポリティカル・サスペンス要素を両立させた佳作。

 

 

15位 キングコング対ゴジラ(1962年) 70点

確か小学1年か2年の頃に、母方の祖母の家の白黒テレビで見た覚えがある。祖母の家にはカラーテレビと白黒テレビがあったが、子どもは白黒を観るように言われていたんだったか。長じてからも何度か見たが、テレビ屋が視聴率至上主義であることは時代を通じての普遍の真理のようである。ゴジラとキングコングのプロレスバトルの中でも、パペットゴジラの飛び膝蹴りが特に印象的だ。

 

 

14位 ゴジラ(1984年) 70点

冷戦時代の社会の空気を色濃く反映した作品。ゴジラが原子力発電所を襲撃し、恍惚とした表情で放射能を吸収するシーンがショッキングである。また、ソ連が核ミサイルを本当に発射したり、それが超上空で本当に爆発してしまうなど、怪獣映画の中でもかなりエクストリームな展開を見せる。人類の科学の粋である超兵器スーパーXと、火山という地球最大の自然エネルギーの組み合わせでゴジラに対抗しようという、非常に日本らしい哲学を反映させた作品でもある。

 

 

13位 ゴジラvsビオランテ(1989年) 70点

沢口靖子の棒読み大根演技が印象的。マッドサイエンティストをテーマにした作品は数多く生産されてきたが、人間、植物、怪獣(ゴジラ)の細胞をミックスしてしまおうというクレイジーなアイデアは一体全体誰が思いついたのだろうか。言ってしまえばリトル・ショップ・オブ・ホラーズ vs ゴジラなのだが、芦ノ湖に屹立するビオランテの神々しさと禍々しさを同時に宿した造形、そして地響きを上げながらゴジラに襲いかかり、ゴジラの腕を貫通するほどの破壊力を見せる触手の一撃などは、多くのゴジラファンに衝撃を与えたことは間違いない。

 

 

12位 ゴジラvsキングギドラ(1991年) 70点

経済大国日本が、未来において超経済大国となるという、笑えないプロット。しかし、ゴジラの起源をゴジラザウルスに求め、さらに兵器でも超兵器でもなく、タイムトラベルという全く異なるアプローチによってゴジラに対処しようとしたところが強く印象に残っている。日本を叩けるのはゴジラだけ、そのゴジラを叩けるのはキングギドラだけ、そのキングギドラを叩けるのはパワーアップしたゴジラだけ、そのパワーアップしたゴジラを叩けるのはメカキングギドラだけ、という具合に怪獣バトルの規模が際限なくレベルアップしていくことに、10代の頃とても興奮したのを覚えている。本作はキングギドラの起源を人間に求めているところがユニーク。同時に、ゴジラザウルスがゴジラになり、かつて旧日本兵であった土屋嘉男が至近距離でゴジラから熱戦を浴びて爆散するシーンは、劇場鑑賞したJovianの心にトラウマ級のインパクトを残した。

 

 

11位 ゴジラvsスペースゴジラ(1994年) 70点

柄本明と中尾彬、二人の「あきら」が渋い。MOGERAの強さがイマイチ伝わらないが、スペースゴジラの圧倒的なパワーと存在感を、人類とゴジラが共闘することで打ち破るカタルシスは、他では味わえない。三枝未希にハートを奪われた男子中高生はかなり多かったのではないかと思われる。

 

 

10位 モスラ対ゴジラ(1964年) 70点

モスラという人間に崇め奉られ、人間のために戦うという、怪獣界では異端の存在モスラがゴジラに挑む。はっきり言って勝負になるはずがないのだが、鱗粉や突風を駆使して互角の勝負になってしまうのだから面白い。また、成虫がゴジラに敗れると、幼虫が二匹がかりでゴジラに襲いかかり撃退してしまうところは、レンタルのVHSを見ながら文字通りに手に汗を握った。幼虫モスラの噛みつき攻撃もゴジラに確実にダメージを与えており、人類の通常兵器による攻撃はものともしないゴジラも、怪獣の攻撃にはダメージを受けてしまうという設定は、本作で確定したのかもしれない。

 

 

9位 怪獣島の決戦 ゴジラの息子(1967年) 70点

『 エイリアン4 』のニューボーンの原形は、本作のミニラなのではないかと密かに疑っている。ミニラをいたぶるカマキラスを圧倒的なパワーで蹴散らしていくゴジラと、そのゴジラに一撃を食らわせるクモンガのバトルは、昭和ゴジラの中でもなかなかのハイレベル。しかし、本作はゴジラの子育てシーンが何と言ってもハイライト・リールである。げんこつを振るおうとするゴジラに、尻尾縄跳びするミニラを半ば呆れたように見つめるゴジラ。クライマックスで寄り添うように、抱き合うように、雪に埋もれていく二匹に、我々の心はじんわりと温かくなるのである。ゴジラの新たな一面を追求した味わい深い一作。

 

 

8位 ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘(1966年) 70点

人間パートと怪獣パートの配分バランスが良い。というよりも、元々の企画がキングコングだったためか、美女に興味を示す、雷でパワーアップなど、ゴジラらしからぬ特性を示す。怪獣をコントロールする人間の愚かしさが、あっさりその怪獣に殺されてしまうところによく表れている。核兵器の開発にしてもそうだが、人間の業は時代を問わず深いもののようだ。そこにモスラを参加させることで物語全体のトーンが上手い具合に中和されている。世間の評判はいま一つのようだが、Jovianのお気に入り作品の一つ。

 

 

7位 三大怪獣 地球最大の決戦(1964年) 75点

ゴジラとラドンが喋った。衝撃である。いや、喋るだけではない。『 地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン 』でも、ゴジラとアンギラスが吹き出しで会話をしていた。問題は、その言葉の意味するところである。子ども心にゴジラの「人間はいつも俺たちを苛めている」という言葉にショックを受けたことは今でもよく覚えている。この言葉は幼いJovianに二重の意味で衝撃を与えた。一つには、怪獣>>>人間という強さの序列の感覚が破壊されてしまったこと。もう一つには、ゴジラという怪獣が人間らしい感性の持ち主であったということだ。ゴジラは時代と切り結ぶ存在、様々な意味を未分化なままに内包する象徴的な存在であったが、本作で人間らしさをも獲得した。賛否がはっきり分かれるであろう作品であるが、Jovianは賛である。そうそう、ラドンがキングギドラを体当たりで撃墜するシーンは、数ある怪獣映画のアクションシーンの中でも白眉である。

 

 

6位 ゴジラ FINAL WARS(2004年) 80点

人間パート=バトル、怪獣パート=バトル。もう全てがバトルで、哲学やメッセージ性などをお構いなしの娯楽120%作品。ケイン・コスギにドン・フライをキャスティングしているところから、演技で見せる意図はゼロであることは明らか。全ては演出である。ゴジラが過去作に登場した怪獣をちぎっては投げ、ちぎっては投げしていく疾走感と爽快感は30作を超えるシリーズ作品の中でも間違いなくトップクラス。

 

 

5位 ゴジラvsデストロイア(1995年) 80点

オープニングのタイトルシーンが物語を全て語っている。バーニング・ゴジラの暴威と最強デストロイアの激突、そこに参戦する人間勢力の三つ巴大合戦はまさに世紀末的な様相を呈している。「これで、我々の来年の予算はゼロだな。来年があればの話だが」の名セリフを淡々と吐く黒木特佐がひたすらに渋い。進化する生物の強かさ、核の恐怖、人間と怪獣の共闘など、シリーズの醍醐味の全てが詰まっている。ゴジラの終わりと始まりを同時に描く、記念碑的傑作。

 

 

4位 ゴジラ対ヘドラ(1971年) 80点

個人的に最も好きな作品。レンタルビデオで初めて視聴した時、人間が白骨に変わる瞬間、さらにはゴジラの片目を潰し、片腕を溶かすというゴジラ史上最大級のダメージをゴジラに与えたことにショックを受けた少年少女は多かったに違いない。Jovianもその一人だった。また一千万人単位で人が死ぬという、天変地異を超えるダメージを列島にもたらしたヘドラが、単なる公害の象徴にとどまらないところもポイント高し。なぜ猫は助かり、人間は死んだのか。ヘドラの歌の「か~えせ~」が英語版では“Save the Earth”になっているところが興味深い。ヘドラは宇宙からやってきた侵略怪獣ではなく、地球が呼び寄せた救世主だったとの解釈も成り立つわけである。怪獣バトルあり、人間の参戦あり、哲学的なメッセージの発信ありと、個人的に大満足の一作。

 

 

3位 ゴジラ(1954年) 85点

言わずと知れたオリジナル。白黒でありながらも、そのリアリティに圧倒される。小学生たちが歌う鎮魂歌、「もうすぐお父さんに会えるよ」と言いながら、従容として死んでいく母と娘、ゴジラの襲来に逃げ惑う人々に姿に、何をどうやっても戦争の災禍に思いを馳せずにはいられない。当たり前だ。戦争終結から10年と経たないうちに、戦争をその身で知る人々によって作られたのが本作なのだ。10分ほどだろうか、ゴジラがただひたすらに東京の街や建物を破壊していく様に、理不尽な暴威への怒りや無念が湧いてくるが、一方で山根博士は「なぜ皆、生物としてのゴジラを理解しようとしないんだ」と呟く。マッドサイエンティストの言にして、真っ当な科学者としての言でもあろう。怪獣は基本的には災害や戦争の象徴だが、生存本能に従う巨大な生物であるという視点が第一作の段階で見られることに驚かされる。『 ジョーズ 』は駆除の対象になるが、鮫に尋ねれば「俺はただ生きているだけだ」と言うことだろう。怪獣を戦争のメタファーであると同時に、畏怖すべき動物という極めて日本的な視点をも内包している。オキシジェン・デストロイヤーという、ある意味で核兵器以上の威力を持つ武器を持つこと、それを使うことへの逡巡も非常に日本的である。白黒映画と侮るなかれ。邦画の到達点の一つである。

 

 

2位 シン・ゴジラ(2016年) 90点

社会現象にもなった一作。Jovianも劇場で7回観た。近く8回目を観に行く予定である。これまでに散々繰り返されてきた第一作の続編という作りではなく、全く新しいゴジラ誕生の物語という点がまず目を引く。そのうえで、『 ゴジラ(1984) 』と同じく、上質なポリティカル・サスペンスに仕上がっている。本作の特徴として、ゴジラの質感、存在感、迫真性を生み出すために、様々なショットを駆使していることが挙げられる。例えば、鎌倉さんゴジラが家屋をパッカーンと蹴り上げるシーン、悠然と大地を闊歩するゴジラを車から見上げるシーン、そして逃げ惑う人々の遠景に小さく、しかし確実に接近してくるゴジラが確認できるシーンなど、まさに「神は細部に宿る」ことを実感させてくれる。自衛隊の火力を総結集させたかのようなリアルな描写を中盤に持ってくることで、最終盤のトンデモ作戦を受け入れられるようになっている。これも緻密な計算の賜物。新ゴジラ、真ゴジラ、神ゴジラ、進ゴジラ(松尾諭)、芯ゴジラ(石原さとみ)などと様々に解釈されているが、Jovianは震ゴジラおよび侵ゴジラという漢字をあてたい。問答無用の大傑作である。

 

 

1位 ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2001年) 90点

シリーズ全作品を通じて、唯一の白目オンリーのゴジラ。ゴジラの目には、愛らしいもの、恐ろしいもの、こちらの理解を拒む爬虫類的なものなど様々なものがあったが、この白目のゴジラが最も不気味な存在であるように思う。今作はゴジラを非常に複雑な悪の権化として描く。というのも、先の戦争で亡くなった旧日本兵の霊魂がゴジラに乗り移っているからだという、非常に屈折した説を採用しているからだ。ゴジラは戦争のメタファーとして描かれることが多かったが、英霊のメタファーであるとの解釈は本作が最初にして最後であろう。自衛隊を蹴散らし、護国聖獣を一体ずつ撃破していくゴジラの圧倒的なまでの破壊の化身としての姿は、メメント・モリ、死を忘るるなかれとの教訓を観る者に思い起こさせる。日本がアジア諸国で振るった猛威と暴威が、そのままゴジラの姿で現代日本に蘇ってくることは、取りも直さず靖国の英霊を無条件に賛美する政治家連中への痛烈な批判に他ならない。そう思えてならない。本作は、お仕事ムービーでもある。各人が各様に各々の仕事をこなしていく姿を描き出す。ある者は虚構を報じ、ある者は虚飾を虚飾で糊塗する。しかし、ある者は真実を伝えんとし、ある者は命を捨てて使命を完遂せんとする。それこそがゴジラを複雑な悪の権化と評する所以である。ゴジラは破壊の限りを尽くす悪逆無道の怪物であるが、ゴジラはゴジラとしての使命を果たそうとしているに過ぎないのかもしれない。護国の聖獣も、無辜の日本国民を殺しながらも、ゴジラを撃退せんとして戦う。単純に善と悪の戦いと人間の理屈で割り切れない怪獣同士の戦いを本作は強烈なインパクトとメッセージで以って描出する。異論は多々あろうが、Jovianはゴジラ映画の私的ナンバーワンとして、本作を強く推したい。

 

Posted in 国内, 映画, 海外Tagged アメリカ, ゴジラ, 怪獣映画, 日本, 配給会社:東宝Leave a Comment on ゴジラ映画考および私的ランキング

『 GODZILLA 星を喰う者』 -本当は副題で「星を継ぐもの」と言いたかったのでは?-

Posted on 2018年11月14日2019年11月22日 by cool-jupiter

GODZILLA 星を喰う者 50点
2018年11月10日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:宮野真守 櫻井孝宏
監督:静野孔文 瀬下寛之

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181114014335j:plain

ゴジラ映画におけるアニメーションと言えば、『 ゴジラ対ヘドラ 』の劇中において挿入された謎の銀河解説アニメが強烈な印象として残っている。そして、このアニメ・ゴジラ三部作も遂に完結。どれほどのインパクトを世のゴジラファンに与え、植え付けるのか。どのように着地するのか。『 GODZILLA 決戦機動増殖都市 』でも触れたが、怪獣の怪獣性をどのように描き切るのか。本作に期待される点は多い。しかし、その期待は応えられたと言えるのだろうか・・・

 

あらすじ

決戦機動増殖都市メカゴジラ・シティとヴァルチャーによる攻撃でゴジラ・アース打倒まであと一歩に迫るハルオらであったが、ビルサルドとの対立により、ゴジラ抹殺の千載一遇の機を逃してしまう。もはやゴジラを倒す手段は無いのか・・・ 一方、エクシフの宗教家メトフィエスは信者を着実に増やし、遂にはギドラを降臨させる・・・

 

ポジティブ・サイド

怪獣とは何であるのか。怪獣の怪獣性とは何なのか。そのことに一定の答えが提示された。怪獣は、人間によってどうこうできる存在ではないということ。怪獣は闘うべき相手ではないということ。怪獣とは死と滅びと終焉の究極のメタファーであるということ。怪獣に対する勝利とは、対象の抹殺ではなく、自らの生存と繁殖、繁栄であるということ。行き過ぎた文明の発達に対する歯止めとしての怪獣ではなく、人間を含めた文明ですら、怪獣を産み出す下地に過ぎないということ。結局は「怪獣惑星」に回帰するということ。どこか『 シン・ゴジラ 』にも通底するテーマである。これこそが製作者の呈示する世界観の論理的帰結であるというなら受け入れようではないか。

 

今作の最大の注目点ギドラである。ギドラと言えばゴジラ映画シリーズに7回の登場を誇る、もはやお馴染みの怪獣である。そして、ゴジラ映画の文法から外れることが多いアニメゴジラ世界のギドラが、恒例の三大特徴をしっかりと踏まえていることもポイントが高い。ギドラの三大特徴とは

 

1.宇宙からやってくる

2.操られている

3.実は弱い

 

である。ゴジラ・アースという規格外のゴジラのが存在する宇宙に、規格外ながらもゴジラ世界の文法に則ったギドラが登場してくれたことは、大いなる安息であった。

 

ゴジラがグローバルなコンテンツになってしまった今、日本版のゴジラが立ち返るべきは本多猪四郎の発したメッセージ、すなわち行き過ぎた文明はそれ自身によるしっぺ返しを食らう、という教えである。実際に『 シン・ゴジラ 』は震ゴジラであった。本作においても、ハルオが選択した生命主義的行動は、芹沢博士がオキシジェン・デストロイヤーを発明してしまったことに対して責任を自ら取った行動と重なる。『 宇宙戦艦ヤマト 完結編 』における古代進を彷彿とさせるその決断と行動には胸を打たれた。

 

ネガティブ・サイド

元々いかがわしさと胡散臭さを撒き散らしていたエクシフであるが、ゲマトリア演算については最後の最後までJovianの理解を超えていたようだ。計算の結果、この宇宙は有限であり、いつか必ず終焉を迎える。であるならば美しい終焉を求めてギドラを召喚するところが特に意味が分からない。とにかくゲマトリア演算というと、小林泰三の『目を擦る女』所収の短編「あらかじめ決定されている明日」のような、とてつもなく胡散臭さを感じる。この宇宙が有限でも、別の宇宙が存在するならば、何とかしてそちらに移住する方法を編み出そうとは考えないのか?

 

ギドラ登場シーンにも不満が残る。アラトラム号を混乱の極みに陥れ、破壊した描写は圧倒的であったが、観る側に何もかもを説明するかのようなキャラクターの不自然な(=やたらと説明的な)台詞が耳障りだった。ギドラという別宇宙の怪獣によって異なる物理法則が支配する領域に叩き込まれたアラトラム号を描写するならば、それこそ観る側をも混乱させるような演出が必要だった。例えば、音声や効果音と絵が一致しない、時間の経過を非連続的にする、などが考えられる。観る者までも混乱に叩き込み、地上でゴジラに噛みつき絡みついたところで、マーティン・ラッザリにあれこれと実況および解説させればよかった。ギドラの圧倒的なビジュアルと存在感はしかし、残念ながらアクションにはつながらなかった。非常に静的な画面が続くので、なおさら上述したような混乱の演出が欲しかった。

 

ギドラの存在の位相についても不満がある。もともとゴジラの攻撃が当たらないのであれば、熱戦を捻じ曲げる必要もないわけで、素通りさせればよかった。その上で、ゴジラの攻撃が当たるようになってしまった時、熱戦に対して最初の数発はディフレクトできたものの、最終的にその圧倒的な火力とエネルギーに屈してしまったという描写にできなかったのだろうか。まるで『 ダイの大冒険 』の死神キルバーンと『 HELLSING 』にてアーカードを消滅させたシュレディンガー准尉を想起させるアイデアは良いのだが、その見せ方が映画的ではなく娯楽的ですらなかった。本作の成功の大部分はギドラに負っているのだから、ギドラに関する演出のマイナス面は、そのまま作品全体の評価へのマイナス点に直結する。

 

総評

前作、前々作を観た者からすれば、これを観ないということはありえない。しかし、それは本作が素晴らしいということを主張するものではない。むしろ、このアニメゴジラの一応の着地点を確認するしかないという、やや消極的な理由である。全体的には残念な作品に仕上がってしまっているが、しっかりとしたメッセージを受け手に送ってくれる作品にはなっている。

 

追記

すでにYouTubeで観た方も多いと思われるが、USAゴジラの正統続編『ゴジラ:キング・オブ・ザ・モンスターズ』のトレーラーを大画面で見られたのは、やはり胸躍るものだった。ドビュッシーの『 月の光 』を思い起こさせるBGMと共に、ゴジラの姿、モスラ、ラドン、キングギドラのシルエットを観て、ふと思った。こいつらが登場した後にキングコングの出る幕は果たしてあるのか、と。やはり『 ランペイジ 巨獣大乱闘 』の生物巨大化メカニズムをコングに無理やりにでも適用するのだろうか。

 

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