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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 二階堂ふみ

『 翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~ 』 -社会批判コメディの良作-

Posted on 2023年11月28日 by cool-jupiter

翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~ 70点
2023年11月25日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:GACKT 二階堂ふみ 杏 片岡愛之助
監督:武内英樹

 

『 翔んで埼玉 』の続編。前作には劣るものの、コメディの中にも社会批判の精神が垣間見られる良作だった。

あらすじ

埼玉解放戦線の活躍により通行手形が廃止されて3か月。埼玉県人は東京を目指すばかりで、横のつながりを欠きつつあった。麻実麗(GACKT)は埼玉の心をひとつにすべく、海を作ることを画策。和歌山の白浜から良質な真砂を持ち帰るために出航するが・・・

ポジティブ・サイド

埼玉県民がラジオ放送の物語に耳を傾けるという前作のフォーマットを踏襲。しかし、今回は舞台が滋賀ということで今度は関西人をビジネスターゲットにした。そしてそれはかなり成功していると感じた。とにかくローカルネタのオンパレードで関西人の笑いのツボを的確に刺激してくる。尼崎にもなぜか平和堂があり、よく行くところなので、HOPカードには我あらずプッと吹き出してしまった。

 

前作でのネタも適度に引き継いでいるので、埼玉に海を作るという突拍子もないアイデアもすんなりと受け入れられた。また麗がマイアミ帰りという設定がまさかこのような形で説明されるとは思わなかった。左フックをあごに食らったような衝撃だが、これは滋賀県民ならゲラゲラ大笑いしてしまうのかもしれない。

 

そんな麗と仲間たちが、なんだかんだで関西上陸。そこで大阪の横暴と圧政に苦しむ滋賀その他の住民たちと解放戦線を組むというのはワンパターンではあるが面白い。そしてその面白さは、ヴィランがヴィランとして躍動しているからこそ際立つ。

 

本作では吉村大阪府知事の冷酷さや身勝手さが、嘉祥寺というキャラを通じてよくよく表現されていた。タイガースの優勝や大阪万博など、タイムリーなネタも満載。特に大阪府民以外が道頓堀に飛び込むのは許さない、という姿勢には唸った。コロナ爆発の前、かの知事が兵庫県民と京都府民に「大阪に来るな」と発言したことを覚えている関西人は多いだろう。この傲岸不遜な姿勢、心根をとことんパロディ化することに成功した武内監督および脚本家の徳永友一は透徹した人物眼の持ち主であると評したい。

 

この極悪大阪に対して、「琵琶湖の水を止める」という鉄板ネタで立ち向かう滋賀解放戦線には笑うしかない。そして前作でも繰り広げられたご当地出身の有名人合戦もユーモア抜群。特に西宮出身であるにもかかわらず神戸出身を公言していた女優が、実は別の土地と非常に深い関わりを持っていたというシーンには腹の底から笑わせてもらった。

 

最後は「白い粉」で全世界の大阪化を画策する府知事の目論みを、まさかの方法で文字通り粉砕するギャグ漫画かいなという超絶展開。というか元々はギャグ漫画だったな。大阪のシンボルを埼玉の自虐ネタが粉砕するという展開にイライラさせられた大阪人もいたことだろうが、最後に大阪人の面倒見の良さをアピールするという抜かりなさ。生粋の大阪人のJovian妻は「やっぱり大阪人は人情あるわ」と、すっかり製作者の掌の上で踊らされていた。散々大阪をディスりながら、最後にコロッと態度を変えさせる。作り手は大阪人をよくわかっている。大阪人だけではなく、神戸市民以外の兵庫県民、京都市民以外の京都府民、そして滋賀県民や和歌山県民にもお勧めしたい改作である。

ネガティブ・サイド

尼崎の劇中での描かれ方はなんだったのだろうか。大阪市尼崎区と揶揄されることもある我が街であるが、こんな意味不明な描写をされるのならカットしてほしかった。もしくは大阪最強軍団の補欠的扱いで姫路と一緒にむりやり動員される、というのなら笑えたのだが。

 

甲子園を脱出した麗がいきなり京都の祇園にワープしたのは何故なのか。梅田の地下ダンジョンは全カット?うーむ・・・

 

大阪府知事の怪しい儀式は不要だったかな。

総評

前作が東京のジャイアニズムをとことん皮肉ったように、今作では大阪のジャイアニズムをとことんコケにしている。その象徴が片岡愛之助演じる大阪府知事。大阪もしくは関西圏以外の方々には吉村大阪府知事がどのように受け止められているのかは分からないが、彼の本性が本作では非常にコミカルに、しかりリアルに描かれていると思って頂いて結構だ。思えばこうした大都市に搾取される地方という構図は日本の問題の縮図である。ぜひ本作を見て大いに笑ってもらい、最後に少しヒヤッとしてもらいたい(特に都会人)。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take someone away

誰かを連行する、の意味。『 スター・ウォーズ 』の冒頭でダースベイダーがトルーパーにレイア姫を連行するように言う時に “Take her away!” と言っていた。映画でしょっちゅう聞こえてくる表現なので、意識して聞いてみよう。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 花腐し 』
『 首 』
『 市子 』

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, GACKT, ブラック・コメディ, 二階堂ふみ, 日本, 杏, 片岡愛之助, 監督:武内英樹, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~ 』 -社会批判コメディの良作-

『 リバーズ・エッジ 』 -生の実感を得ようともがく青春群像劇-

Posted on 2020年1月3日 by cool-jupiter

リバーズ・エッジ 65点
2019年1月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:吉沢亮 二階堂ふみ 森川葵
監督:行定勲

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200103202714j:plain

 

2018年に劇場で見逃してしまった作品。決して二階堂ふみのヌード目当てではない。『 チワワちゃん 』原作者の岡崎京子の作品であるということに惹かれたのである。

 

あらすじ

若草ハルナ(二階堂ふみ)は、いじめられっ子の山田一郎(吉沢亮)をひょんなことから助ける。そのお礼に山田の宝物である、川原の死体を見せてもらうことになる。そこから、闇を抱える高校生たちの物語は徐々に暗転し・・・

 

ポジティブ・サイド

『 ママレード・ボーイ 』、『 BLEACH  』、『 あのコの、トリコ。 』という、2018年の邦画20点トリオの全てに出演してしまった吉沢の、これはベスト(当時)である。吉沢のキャリアハイは『 キングダム 』だと思うが、本作はそれに次ぐパフォーマンスである。無表情で、ぶっきらぼうな口調で話す。そして基本的に他者と目を合わさない。そのことが終盤のあるカットで大きな効果をもたらす。

 

時折映し出される工場廃水や煙、オゾン層破壊のニュース、そして携帯電話が普及している気配がないところから、舞台は1990年代の半ばだろうか。当時の空気では、同性愛は個性ではなく疾患、障害(敢えてこの字を使う)、異常と考えられていたように思う。そして、いじめによって中学生がどんどんと自殺をしていた時代でもあった。TVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン 』もこの頃だったか。本作に登場する若者達は皆、リビドーとデストルドーの狭間にたゆたう、とても儚い存在だ。そのことは随所に挿入されるドキュメンタリー風のインタビューで問われる、「生きていることの実感はあるか?」との問いに対する応答に、ぼんやりと表れている。「生きる」という行為もしくは状態は、心臓が動いているだとか呼吸をしているという生理現象とイコールではない。仕事で疲れ切っている時、ひとっ風呂した後のビールで「生き返ったような気分」になる、そういった体験が「生きる」ということである(高校生に飲酒を推奨しているわけではない、念のため)。その意味では、死体=宝物と認識する若者3人の奇妙な絆には、妙な説得力がある。

 

全編これ、キラキラとまばゆい青春映画とは全く違う、ドロドロのドラマの連続である。だが、それもまた青春の一つの形だろう。アスペクト比4:3の映像が、古さを思い起こさせる。ちょうどDVDレコーダーの出始めの頃、VHSをDVDに移したりしていたことを思い出した。エンディングのポエムのシーンはフルサイズである。つまり、生きづらさは過去だけではなく現在にもある、普遍的なサムシングなのですよというのが行定監督と岡崎京子のメッセージなのだろう。Jovianはその見解に賛成である。

 

ネガティブ・サイド

残念ながら主要な登場人物のほとんどが高校生に見えない。『 THE DUFF/ダメ・ガールが最高の彼女になる方法 』ではメイ・ホイットマンがアラサーにして女子高生を演じたが、彼女はかなりの幼児体型なのでそれなりに説得力があった。だが小山ルミを演じた土居志央梨に高校生を演じさせるのは無理がある。彼女は悪い役者ではないが、制服を着て学校にいるだけで、とてつもない異物感を放っている。もちろん、多様なセックスシーンやフェラチオシーンなどを未成年に演じさせるのは難しいだろうが、『 惡の華 』における秋田汐梨のような素材は探せば見つかったのではないだろうか。本作のテーマの一部は、セックスでしか陳腐な承認欲求を満たせない若者の存在である。だからといって、セックス描写に力を入れる必要はない。いかに薄っぺらいセックスをしているのかを伝えるだけで充分で、必ずしもそれを見せる必要はなかった。極端な話、脱ぐのは二階堂ふみだけで良かった。

 

また、その二階堂ふみは煙草を吸い過ぎである。いや、それは構わない。Jovianもかつては喫煙者だった。だが、一度高校生の時に自室のゴミ箱をかなり焦がしてしまい、父親にしこたま怒られた。当たり前である。それ以来、止めはしなかったものの、煙草が怖くなったものだ。そのため、煙草の火の不始末をしでかしたハルナが、煙草をポイ捨てしまくるのには、かなりの嫌悪感を抱いた。

 

総評

暗い青春を送った人にお勧めである。というのは冗談で、若者よりも、むしろ青年や壮年が我が身の青春を振り返ってあれこれ考えるのに適している気がする。雨の日の室内デートにはあまり向いていないので、高校生や大学生カップルは注意されたし。逆に1990年代に高校生だったという層には刺さるだろう。Jovianには一部チクリと刺さった。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You’re annoying.

一郎がガールフレンドの田島に「うるさいなあ!」と切れる時の言葉である。うるさい=noisyなどと短絡的に結び付けてはいけない。ここでは、うるさい=ウザい、である。そして、ウザい=annoyingである。Annoyingはかなり強い不快感を表明する言葉なので、使用する際には注意が必要である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, ヒューマンドラマ, 二階堂ふみ, 吉沢亮, 日本, 森川葵, 監督:行定勲, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 リバーズ・エッジ 』 -生の実感を得ようともがく青春群像劇-

『 生理ちゃん 』 -男性、観るべし-

Posted on 2019年12月6日2020年9月26日 by cool-jupiter

生理ちゃん 60点
2019年12月5日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:二階堂ふみ 伊藤沙莉 松風理咲 豊嶋花
監督:品田俊介

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191206025334j:plain
 

性に関する情報や議論はずいぶんとオープンになってきた。「性癖」という言葉の意味も曲解されるようになって久しいし、LGBTを公言する人々や、そうした人々にフォーカスする作品も近年とみに増えてきた。だが、そのテーマはマイノリティとしての苦悩や葛藤という精神的なものだった。全人類の半分である女性の「生理」という身体的な現象を描いた作品というのは、本邦では史上初ではないだろうか。

 

あらすじ

編集者の米田青子(二階堂ふみ)は、仕事に追われながらも、恋人との交際も順調だった。しかし彼は二年前に妻と死別し、11歳の娘、かりんを抱えていた。かりんとの距離感をなかなか把握できない青子。そんな日々の中でも月に一度の「生理ちゃん」は律義にやってきて青子にボディブローを見舞う・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191206025357j:plain
 

ポジティブ・サイド

『 存在のない子供たち 』のゼインは、初潮を迎えた妹に対して、実にテキパキと行動した。このように即座にアクションを起こせる男性は日本にどれくらい存在するだろうか。医療従事者や研修を受けた学校教諭以外で、どれだけの男性が生理のメカニズムを理解しているのだろうか。本作は無神経な男性の代表として青子の上司を描くが、これは製作陣からの日本の中高年向けの痛烈なメッセージであるように思えてならない。男というのは生来アホな生き物であるが、可愛げのあるアホか、ただの嫌味なアホかで、男の価値は上下する。前者でありたいと切に願う。

 

本作は20代半ばと思しき青子、同年代と思しき山本さん、青子の妹での17~18歳のひかる、青子の交際相手、久保の娘で11歳のかりんらが、「生理ちゃん」と向き合っていくストーリーである。

 

青子にとっての「生理」とは、仕事の邪魔をしてくる厄介な存在であり、同時に自分は母親にまだなれていないことを示すサインであり、多くの人に望まれているわけでもないのにきっちり自分の役割を果たすバリキャリの象徴でもある。

 

山本にとっての「生理」は、性交をしなかったこと、すなわち身を寄せ合い一つになれる異性の不在を告げる忌々しい存在である。彼女は真正のヲタクであり、その事実が彼女自身の殻になってしまっている。演じた伊藤沙莉は『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』では場末のクラブではじけていたが、このような陰キャも見事に演じられるのかと感心させられた。

 

ひかるにとっての「生理」は、肉体的に性行為が可能であるということの証明であり、同時にそれが来たら性交は不可であるとのサインでもある。

 

かりんにとっての「生理」=初潮は、子どもという存在からの脱却の始まりである。母親の死からわずか2年のかりんは、「私はお母さんの子どもだ!」という事実に固執する。

 

四者四様に自身の生理現象と向き合う女性たちの物語は、性=セックスもしくは好きになるタイプの人間の嗜好性・志向性と規定されがちな現代において、非常に根源的である。Jovian含めアホな男たちは、彼女らへの思いやりを決して忘れてはならない。

 

『 ジョーズ 』や『 オペラ座の怪人 』をパロったBGMが使われたり、ファミコン・ソフトの【 アトランチスの謎 】や【 いっき 】に、アラフォーのJovian夫婦は映画館の片隅で盛り上がってしまった。自分と同世代の人間たちがクリエイティブな世界でも主導権を握るようになってきたのかと、エンパワーされたように感じた。

 

ネガティブ・サイド

『 空の青さを知る人よ 』でも、姉妹の物語が描かれたが、年齢の離れた姉はしばしば妹にとっては母親代わりとなる。青子を25歳と見積もれば、高3の受験生であるひかるとの年齢差は7~8歳。妹の様々なライフステージで青子が母親代わりに positive female figure の役割を果たしてきたはずではないか。かりんとの適切な距離を探るのに難儀するのは当然としても、そのことをまったくの初めての事柄のように捉えている姿には少々違和感を覚えた。

 

本作には生理ちゃんだけではなく、その他のゆるキャラも登場する。性欲くんはまだしも、童貞くんとは何なのだ?処女ちゃんがいないにも関わらず童貞くんが存在する世界というのは、バランスに欠けるのではないか。また、ひかるのボーイフレンドについて回る「性欲くん」があまりにもおとなし過ぎる。10代の男子の性欲など、ほとんど動物のそれと同じである。製作陣はほとんど全員男性のはずだが、なぜこのような大人しい描写に落ち着いてしまったのか、あるいは妥協してしまったのか。また、このボーイフレンドの「性欲くん」が呟く一つひとつのエロ単語が、あまりにも笑えない。いや、それらを単体で聞く分には充分に面白いのだが、この物語の中では不協和音である。ガールフレンドの部屋にいるなら「ブラチラ」、「パンチラ」、「うなじ」といったようなワードを呟きそうだが、実際の「性欲くん」のつぶやきはエロ動画につけられていそうなタグばかり。女性の女性性(=妊娠と出産が可能な生命体であること)をテーマにした作品なのに、女性の性的な部分だけを取り出して呟くような「性欲くん」のノイズであるように感じられた。製作した男性陣が、自身の男性性に向き合えていない証拠である。

 

また青子と父との会話のシーンにも不満が残る。高校生の愛娘が、部屋に男を招き入れているというのに、この父親はそのことを従容として受け入れているかのようだ。不器用な男であることは分かるが、無関心または鈍感である必要はない。ひかるのボーイフレンドに対して、複雑な感情を抱いているシーン、または青子の交際相手に関心を持つシーンが描けていないことで、男女のコントラストがぼやけてしまっている。本作には「夫」という属性が出てこない。それは「妻」が不在だからである。生理とは、母親への予感である。だからこそ、「父」という属性をもう一段上の鮮烈さで描く必要があったと思えてならない。そこが残念である。

 

総評 

『 パッドマン 5億人の女性を救った男 』は、インド社会の慣習や因習の打破を願った傑作であったが、女性の身体的な苦痛やストレス、また生理によって否応なく思い知らされる生殖機能までは描いていなかった。本作はそこを描いた。本作は中国や台湾でも配給されるとのこと。日本人の男性が原作を描き、日本人男性がそれを脚本化し、日本人男性がその映画化を監督し、その作品が海外でも公開されることの意義は大きい。東京オリンピック開催を前にコンビニからグラビア表紙の雑誌を撤去するらしいが、多くの国の人間が日本人のそうした「性癖」をすでに知っている。だからこそ、日本人男性像が変わりつつあることをアピールできる本作のような作品を、当の日本人、特に男性諸氏に強くサポートしてもらいたいと思うのである。生理バッジも試験的に導入され始めている。時代の変化に敏感になるとともに、最も身近なパートナーたちに敏感になろうではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’m late.

文脈が無ければ「遅刻している」の意味だが、貴君のガールフレンドが突然このように言ってきたら、それは「(生理が)遅れてるの」の意である。生理とは、受精卵を受けとめるためのふわふわのじゅうたんを体外に排出する現象である。つまり生理が遅れているということは、胎内に受精卵が存在しているかもしれないということである。世の男性諸君、特に10代、20代に告ぐ。近所の病院の性教育セミナーやパパママ教室に、一度は足を運ぶべし。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, コメディ, 二階堂ふみ, 伊藤沙莉, 日本, 松風理咲, 監督:品田俊介, 豊嶋花, 配給会社:よしもとクリエイティブ・エージェンシーLeave a Comment on 『 生理ちゃん 』 -男性、観るべし-

『 翔んで埼玉 』 -私的2019年度日本アカデミー賞作品賞決定!-

Posted on 2019年3月11日2020年1月10日 by cool-jupiter

翔んで埼玉 80点
2019年3月9日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:GACKT 二階堂ふみ
監督:武内英樹

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190311032600j:plain

漫画『 パタリロ! 』の魔夜峰央が原作で、漫画『 テルマエ・ロマエ 』の映画化を成功させた武内英樹が、これまた見事な映画を世に送り出してきた。私的2019年度日本アカデミー賞作品賞受賞作は、これでほぼ決まりである。面白さだけではなく、映画的な技法の面でも非常にハイレベルなものがある。それほどの会心の傑作である。

あらすじ

かつての武蔵国から東京と神奈川が独立、その余り物で構成された埼玉県人は、通行手形なしには東京に入ることもできないという迫害を受けていた。そんな時に、東京都知事の息子の壇ノ浦百美(二階堂ふみ)の属する高校に、アメリカから謎の転校生、麻実麗(GACKT)が転校してくる。始めは反目しあうものの、麗の都会指数の高さに徐々に魅せられた百美は、麗との距離を縮める。しかし、麗が卑しい埼玉の出であることを知った百美は東京と埼玉の間で引き裂かれるような思いに・・・

ポジティブ・サイド

『 テルマエ・ロマエ 』にも共通することだが、ギャグ漫画を映画化しようとするならば、製作者は至って真面目にならなければならない。阿部寛演じるルシウスが現代日本の温泉テクノロジーやデザインに度肝を抜かれる様が面白いのは、その姿に我々がギャップを感じるからだ。ギャップとは認識のズレのことで、このズレ具合が笑いを呼び起こす力になる。駄洒落が好例だろう。

「隣の家に囲いができるんだってねえ」

「へえ、かっこいい!」

というのは、へえ=塀、かっこいい=囲い、という駄洒落になっている。同じものでありながら、それを捉える時の認識の違いが面白さの源泉である(上の例が面白いかどうかはさておき)。本作の面白さは、第一に役者陣の大真面目な演技(≠素晴らしい演技)から生まれている。真面目にアホなことを語り、真面目にアホな行動を取る。特に百美が麗に完敗を喫する某テストは、その好個の一例である。学校という舞台で序列が決まるのは、往々にしてこのような出来事なのだが、本作はそれをギャグという形であまりにも端的に描いてしまった。この学校という舞台装置が曲者で、ここの生徒たちは誰もかれもが劇団四季のオーディションもかくや、と思わせるほどに大仰な演技および発声をする。詳しくは後述するが、それは東京都、特に山手線内部に象徴される、いわゆる「東京」という空間の虚飾性および虚構性とパラレリズムを為している。東京の富、およびそれを生み出す生産力、労働力は一体どこから供給されているのか。それは埼玉であり、千葉である。東京という中心の繁栄は、周辺の協力なしには絶対に実現しないのである。百美が父から離反し、麗のもとに走ることを決断したのは、この「経済学的に不都合な真実」を知ったからである。

埼玉や千葉の人間が東京に対して潜在的にどのように感じているかについては『 ここは退屈迎えに来て 』のレビューで指摘したことがある。本作の面白さの第二は、まさにこのような彼ら彼女らの意識が、極端なまでに肥大化された形で表現されているところだろう。本作に描かれる埼玉は、一漫画家の想像や妄想の産物ではない。彼が観察した埼玉県人に共通する、普遍的な埼玉県人性とでも呼ぶべき性質を、とことんリアルにパロディ化したものなのである。だからこそ本作は埼玉県で驚異的なヒットになっているのであろう。これは差別の逆構造である。『 グリーンブック 』のレビューで「差別とは、その人の属性ではないものを押しつけること」と定義付けさせてもらったが、この映画は埼玉についてのネタ的なあれやこれやを執拗に描写する。これはレッテル貼りではない。逆に、自己の再発見、再認識になっている。劇中での埼玉ディスのピークは、「ダサいたま、臭いたま・・・」とエンドレスで続く駄洒落であろう。驚くべきことに、これが Motivational Speech として抜群の効果を持つのである。なぜなら、外部からそのような属性を押しつけられれば、それはすなわち差別であるが、こうした属性を自分で自分に付与していく、そして自分にそのような属性が備わっていると知ったことで、それを乗り越えようとする意志が観る者の胸を打つ。これはJovianがヒョーゴスラビア連邦共和国の住人だからなのだろうか。

本作の面白さの第三は、語りの構造のギャップにある。百美と麗の物語は、都市伝説という形でラジオ放送されている。それが、劇中のキャラクター達とそれを車中で聞くとある家族という、もう一つのパラレリズムを形成している。我々は百美と麗の物語にいちいち反応するキャラクター達を見て、無邪気に笑う。しかし、映画は最終盤で一挙に我々の生きる現実世界を飲み込んでしまう。この物語の構造と展開には唸らされた。映画を観ている我々は、実はもっと高次の存在に見られていたのか。まるで『フェッセンデンの宇宙 』のようだ。散々笑った後に、思い返してちょっぴり怖くなる。それが現実を鋭く抉る批評的映画としての本作の素晴らしさである。

エンドクレジットでも絶対に席を立ってはならない。はなわの歌に耳を傾けながら、この作品を世に送り出したスタッフの一人ひとりに感謝の念を捧げ、精一杯の敬意を表そうではないか。

ネガティブ・サイド

東京都庁の攻囲戦がやや間延びしていた。また、このパートのみアクションが真面目で、もっと振り切ったバトルシーンを観てみたかった。また、埼玉vs千葉の、それぞれ輩出した有名人合戦は、もう何名か繰り出せたはずだ。編集で泣く泣くカットしたのだろうか。

もう一つだけ気になったのは、Jovian本人は本作を観ながら、そこかしこで笑いをこらえるのに必死になったが、生粋の大阪人である嫁さんは「さっぱり意味が分からない」という態であったことだ。これはJovianが東京都在住10年半の経験を持っていて、嫁さんは生まれも育ちも全部大阪だからという背景の違いのせいでもあるだろう。しかし、それ以上に大阪という、東京には遥かに及ばないものの、それでも強力な重力を有する土地に生まれ育った者には、マージナルマンのパトスは理解できないという民俗学的、文化人類学的な理由もあるだろう。ぶっちゃけて言えば、生まれも育ちも東京(≠東京都)です、というハイソな人、あるいは児童相談所の建設に頑なに反対する、一部の南青山の住人などには、刺さるものが無いのではないか。充分に現実を批評する力を持った作品だが、もっと東京を刺すような演出があれば85点~90点もありえたかもしれない。それだけがまことに悔やまれる。惜しい。

総評

2019年もわずか3カ月しか経過していないが、本作は年間最高傑作候補間違いなしである。エンターテイメント性とメッセージ性を併せ持つ、近年の邦画では稀有な作品に仕上がっている。カジュアルな映画ファンから、ディープな映画ファンまで、幅広い層を満足させうる傑作である。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190311032624j:plain

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, A Rank, GACKT, コメディ, 二階堂ふみ, 日本, 監督:武内英樹, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 翔んで埼玉 』 -私的2019年度日本アカデミー賞作品賞決定!-

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