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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 中村倫也

『 ファーストラヴ 』 -窪塚洋介に惚れろ-

Posted on 2021年2月15日 by cool-jupiter

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ファーストラヴ 50点
2021年2月14日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北川景子 中村倫也 芳根京子 窪塚洋介
監督:堤幸彦

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原作は島本理央の同名小説で、『 望み 』の堤幸彦監督作品。俳優陣に旬の役者をそろえたが、その役者たちの奮闘と監督による演出や編集がかみ合っていないと感じられるシーンが多かったのが残念。

 

あらすじ

公認心理士の真壁由紀(北川景子)は、父親を刺殺した容疑者、聖山環菜(芳根京子)を取材する。真相を究明しようとする由紀と国選弁護人にして義理の弟の庵野迦葉(中村倫也)は、二転三転する環菜の供述に翻弄されていく。環菜の過去を探る過程で、由紀は封印した自身の心の闇に向き合うことになり・・・

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以下、ネタバレに類する記述あり

 

ポジティブ・サイド

俳優陣の演技合戦が堪能できる。主演の北川景子はここ数年で最もコンスタントに売れている女優で、わざとらしさが残るものの、その演技も円熟味を増してきた。本作でも20歳ぐらいの大学生を(おそらくデジタル・ディエイジング無しに)演じ切った。仕事に燃えるキャリアウーマン、使命感に燃えるプロフェッショナル、夫と仲睦まじい妻といった成熟した女性と、男性恐怖症の大学生を同時に演じるというのは、かなりのチャレンジだったはず。だが、見事にその大仕事をやり遂げた。特に夫の腕の中で改悛と安堵の涙に濡れるシーンは本作の白眉の一つ。

 

芳根京子も圧巻の演技。凄惨な登場シーンから、ちょっと不思議ちゃんを思わせる最初の接見。そこから闇を心の奥底に隠した女子大生の顔を小出しにしていき、ある一点で心のbreaking pointを迎えるシーンは圧倒的だった。環菜の初恋には、触れざるべきものがあるのだと思わせるに十分な壊れっぷり。この役者は若いに似合わず、追い込めば追い込むほど実力を発揮できる役者なのではないか。法廷での弁論シーンも印象的。裁判官に正対して語りながら、その目は裁判官を見ていない。弱く、それでいて守られることのなかった自分に向き合っている。そのことがもたらす辛さや痛みが観る側にも如実に伝わってくる。芳根のキャリアの中でも最高に近い演技になったと思う。

 

最も印象に残ったのは、なんと窪塚洋介。堤幸彦監督作品の常連ながら、外連味のある役柄ばかりを演じていたという印象があったが、本作で過去のそうしたイメージを一気に払拭してしまった。忍耐力、包容力、理解力、共感力、家事家政能力。男が持つべき(などと書くとセクシズムに聞こえかねないが、これはロマンチシズムであると解されたい)能力を全て備えた男を好演した。Jovianの嫁さんも窪塚演じる我聞にいたく感じ入っていた。男としてどうかと思わざるを得ない野郎どもでいっぱいの本作の中で、窪塚洋介は一人で主要キャラクターたちのバランスメイカーとして有効に機能した。

 

物語(プロット)も、謎が提示され、その謎を解く。それによって新たな謎が生まれ、そのことが由紀の過去と不思議なフラクタル構造を成していることで、ミステリ要素とサスペンス要素を巧みに融合させている。単なるラブロマンスではなく、サスペンス色強めの愛の物語として、大学生以上の年齢の男女にお勧めできる。

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ネガティブ・サイド

物語(ストーリーテリング)の面でアンバランスになっているとの印象を受けた。由紀が環菜を同一視していく過程に説得力がない。確かによく似た境遇の二人ではあるが、由紀と環菜で決定的に異なるのは、由紀は父親から直接的にも間接的にも虐待はされていないということ。そして、由紀の性体験に関するトラウマは環菜のそれの比ではないということ。正直なところ、なにが由紀をそこまで環菜の取材および真相究明に駆り立てるのかが分からなかった。『 さんかく窓の外側は夜 』や『 名も無き世界のエンドロール 』も映像化に際してかなり原作が改変されているようだが、本作もやはり原作には映像化しづらいエピソードがあるのだろう。事実、「あなたは母親に愛されなかったからセックス依存症になった」という由紀の指摘は、やや的外れに感じた。「母親に虐待されたから、暴力的なセックスをするようになった」という分析なら理解できる。また、由紀は環菜のような“笑うこと”、“自分で自分を傷つけること”といった防衛機制を作り上げていない。そこからどのように自分自身のファーストラヴにたどり着いたのかが見事なまでに抜け落ちている。原作におそらくあったであろう、そうしたエピソードこそ映像化にトライしないと、単に映画人が小説からネタだけ頂戴しているだけに思える。

 

演出もちぐはぐだった。回想シーンを印象的なBGMあるいは歌で飾るのは映画の常とう手段でそれ自体をクリシェだとか悪いものだとは思わない。問題は、同じ手法を短時間の中で連発すること。寿司屋で大将に「お任せで」と言ったら、玉子焼き→エビ→玉子焼き→エビ、と出されたようなものである。また芳根が面談の場で荒れ狂うシーンもスローモーションとBGMで誤魔化してしまった感がある。環菜の心の闇の濃さと深さを見せつけるせっかくの機会を、なぜに陳腐な演出で潰してしまうのだ?

 

最終盤の法廷シーンでもBGMがノイズになった。環菜が訥々と、しかし切実に自身の過去および心理を述べるシーンの静かな迫力は『 閉鎖病棟 それぞれの朝 』の小松菜奈のそれに比肩しうる。問題はBGM。完全に不要。「はい、ここで物語が盛り上がっていますよ~」と言わんばかりのBGMが、芳根の渾身の芝居をスポイルしていた。役者の演技はどれも悪くなかったのだから、どうすれば観客にそれが最大限伝わるのかをもっと真剣に模索すべきだ。

 

完全なる邪推なのだが、「髪を切る」というエピソードは原作には存在しないと推測する。『 花束みたいな恋をした 』でも感じたが、男が女の髪に触るというのは、今では普通のことなのだろうか。そこまでは認めてもよい。だが、出会って間もない女性の髪を切るというのは蛮行もいいところだと思うし、本当にそんなことが出来るのは腕と弁の立つ美容師か、究極のオラオラ系のホストぐらいだろう。

 

総評

俳優陣は皆、良い仕事をしている。一方で演出や編集、また原作からの脚本起こしに粗が見られる。原作小説を高く評価する人はスルーすべきかもしれない。北川景子や中村倫也のファンならば観ても損はない。得をするかどうかはファン度による。堤幸彦監督は良作だと駄作を交互に生み出すお方であるが、本作は可もあり不可もある作品に仕上がっている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

souvenir

「お土産」の意。旅先から持って帰って来るものを意味する。決して「夜遅くまで飲んでしまったから、嫁に手土産でも買っていくか」という類のものではない。それはgiftと呼ばれる。Souvenirという語に含まれるvenは、ラテン語で「来る」の意。カエサルの「来た、見た、勝った」=Veni, vidi, viciでお馴染みである。こうした語彙素の知識があれば、event = 出てくるもの = 出来事、prevent = 前に来る = 予防する、revenue = 後ろに来る = 収入、intervene = 間に来る = 介入する、などの様々な語も理詰めで覚えることができる。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, サスペンス, 中村倫也, 北川景子, 日本, 監督:堤幸彦, 窪塚洋介, 芳根京子, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 ファーストラヴ 』 -窪塚洋介に惚れろ-

『 サイレント・トーキョー 』 -竜頭蛇尾のグダグダのサスペンス-

Posted on 2020年12月9日2020年12月13日 by cool-jupiter
『 サイレント・トーキョー 』 -竜頭蛇尾のグダグダのサスペンス-

サイレント・トーキョー 30点
2020年12月6日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:佐藤浩市 石田ゆり子 西島秀俊 中村倫也 広瀬アリス 井之脇海
監督:波多野貴文

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トレイラーを観る限りはなかなか面白そうだった。だが本作は地雷であった。『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』並みに無能な警察、そして筋の通らない論理で動くテロリスト。邦画サスペンスの珍品である。

 

あらすじ

12月24日、クリスマス・イブ。恵比寿ガーデンプレイスに爆弾が仕掛けられたという通報がテレビ局に入る。アルバイトの来栖(井之脇海)ら向かったところ、山口(石田ゆり子)という主婦が座るベンチに爆弾が仕掛けられていた。すぐに警察を呼ぶが、予告通りに爆発が起こり・・・

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ポジティブ・サイド

渋谷の駅前はなんと作り物のセットだと言う。これには驚いた。ちょっと頑張ればCGでごまかせそうだが、そこにフィジカルな実体を与えるところに波多野貴文監督のこだわりを感じた。

 

セットだけではなく、クリスマスの渋谷らしさもよく描けている。お上がいくら自粛を要請しても、出かける人間は出かけるのである(そう、映画館に向かってしまうJovianのように)。同じく、警察がいくら交通を規制しても、アホなYouTuberや騒ぎたいだけの若者は渋谷という街に集ってくる。そのことは例年のハロウィーンで我々は嫌というほど知っている。そうした群衆の描き方が真に迫っていた。

 

野戦病院と化した渋谷近くの病院も、まるでコロナ患者にひっ迫されている大阪の医療現場のようであると感じられた。不謹慎極まりないが、本当にそのように映った。行ってはいけないとされている場所に、自分のみならず友人を連れて行ってしまった。そこで友人がダメージを負ってしまった。コロナ禍の今という時代と映画の世界が不思議にシンクロして、そこに広瀬アリスの絶望的な表情と悲鳴がスパイスとして効いていた。

 

政治的な主張もあり、単なるエンターテインメント以上の作品を志向したことだけは評価したい。

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ネガティブ・サイド

以下、ネタバレに類する情報あり

 

これも『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』と同じで、開始5分で真犯人が見えてしまう。30キロの重さがかかっている間は爆発しない爆弾を、誰が、いつ、どこでベンチに取り付けたというのか。そして、あの爆弾の仕掛けられ方で、どのようにベンチの対する荷重を算出しているのか。そして、石田ゆり子その人が座っている時に地面にしっかりと両足をつけてやや前傾姿勢になっていたが、これだとベンチにかかる荷重は下手したら体重の半分くらいになるのでは?石田ゆり子の体重を勝手に55キロ、冬場なので服装で1キロ、手荷物も1キロと考えると57キロ。かなり雑な計算だが、それでもちょっと姿勢を変えただけでも爆発するのでは?という疑念を生むには充分だろう。もうこの時点でストーリーに入っていけなかった。

 

だいたい警察は何をやっているのか。恵比寿ガーデンプレイスの防犯カメラの記録映像を確認すれば、一発で済む話ではないか。犯人が要求する総理大臣との対話まで何時間あったのか。西島秀俊演じる刑事も無能の極み。最初のゴミ箱に仕掛けられた爆弾が真上だけに爆風が向くように行動に計算されていたのを知って、「犯人は誰も傷つけるつもりはなかった」って、アホかーーーーーーーー!!!その瞬間にごみを捨てる人がいたら、金属製のふたが顔面または前頭部に直撃して大怪我するやろ、下手したら死ぬやろ。そんな想像力すら持ち合わせず、なにを腕利き刑事ぶっているのか。この時点で捜査する側のキャラクターを応援する気が失せてしまった。

 

渋谷関連のシーンでもそう。井之脇海演じる来栖など、最重要指名手配になるだろう。パスポート写真や運転免許証写真の情報、それにYouTubeに動画をアップした経路など、あらゆるルートであっという間に身元と居場所(少なくとも動画撮影した部屋)は警察が突き止めるだろう。でなければおかしい。そして、全捜査員がこいつの顔を覚えた上で、出動しているはず。その中で渋谷駅前のビルの屋上に昇ったというのか?マスクや覆面などしていれば、絶対に警察官に呼び止められるはずだが。来栖というキャラの恵比寿から渋谷までの移動に現実味が全くない。製作者は警察をコケにしすぎやろ・・・

 

中村倫也のキャラも全く深掘りがされていないため、物語に何の深みもエッセンスも加えていない。アプリ制作で名を上げただの、叔父叔母と横浜で会うだの、母親と電話で話すだのといったシーンのいずれもが皮相的すぎる。50メートル離れていたから大丈夫って・・・ ハチ公からどちらの方向なのか。なぜ50メートルなのか。仮に50メートルが安全距離だとして、パニックになった群衆が走り出して、それに踏みつぶされてしまうといったことは想像できなかったのか。平和ボケを揶揄していたが、そういう自分も平和ボケした頭であることを露呈した非常に間抜けな瞬間だった。だいたい母親が結婚するから云々と語るぐらいなら、素直に警察に協力せよ。といっても、その警察も超絶無能集団ときては頭を抱えるしかないが・・・

 

最もうすっぺらく感じたのは「これは戦争だ」という戦争観。戦争というのは国家間でやるもの。テロリズムというのは国家ではない存在が対国家に暴力・武力を行使するもの。犯人のトラウマになった事象は、犯人側から見れば戦争の一側面だろう。しかし、もう片方の視点からすれば、それは紛れもないテロリズムである。このあたりを峻別することなく、身勝手なテロ行為に及んでも誰の賛同も得られない。もとよりテロに賛同するも何もないが、それでもテロリストが掲げる理想や大義の元にはせ参じる者が多く存在するのも事実。本作の犯人に共感する者はほとんど存在しないだろう。だいたい「あんな総理大臣を選んだ日本国民に復讐する」という時点で頭がおかしい。総理大臣を選ぶのは国民ではなく国会議員だ。狙うなら渋谷に集まった無辜で無知な民ではなく、それこそ国会議事堂や自民党本部などを狙うべきだった。

 

アホな警察にアホなテロリスト。そのテロリストにアホ扱いされる国民。製作者の描きたいものは分からないでもないが、波多野貴文その他のスタッフはもっと勉強をしなければならない。

 

総評

話の荒唐無稽さ、細部の描写の粗さを考えれば、似たようなテーマとキャストの『 空母いぶき 』よりもさらに下の作品。製作者たちの言わんとしていることは分からないでもないが、物語をプロット重視で進めるのか、キャラクター重視で進めるのか、その場合に求められるリアリティとは何なのかを、もう一度考え直してもらいたい。本作よりもゲームの『 428 〜封鎖された渋谷で〜 』の方が遥かthrillingかつunpredictableで面白い。政治に物申す爆破テロリストの物語ならガイ・フォークスにインスパイアされた『 Vフォー・ヴェンデッタ 』を観るべし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

This is war.

「これは戦争だ」の意。『 ジングル・オール・ザ・ウェイ 』でもシュワちゃんが発していた台詞。冠詞の説明ほど手間のかかるものはないので省略させてもらうが、warにaをつけるかつけないかを正しく判断できれば、英検1級レベルより上である(英検1級合格者でも間違えまくる人は数多くいる)。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, kな徳:波多野貴文, サスペンス, ミステリ, 中村倫也, 井之脇海, 佐藤浩市, 広瀬アリス, 日本, 石田ゆり子, 西島秀俊, 配給会社:東映『 サイレント・トーキョー 』 -竜頭蛇尾のグダグダのサスペンス- への2件のコメント

『 人数の町 』 -日本の片隅にあるディストピア-

Posted on 2020年9月13日2021年1月22日 by cool-jupiter
『 人数の町 』 -日本の片隅にあるディストピア-

人数の町 55点
2020年9月11日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:中村倫也 石橋静河 立花恵理
監督:荒木伸二

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『 君が世界のはじまり 』鑑賞前の予告編に本作があった。その乾いた空気感と謎めいた設定に胸が躍った。事実、本作はかなり味わい深い一品に仕上がっている。

 

あらすじ

借金取りに追われていた蒼山(中村倫也)は、不思議な男に窮地を救われる。そして、そのまま「人数の町」という不思議な町へと向かうことになった。そこでは働く必要もなく、誰にでも自由にセックスが申し込めるところだった。蒼山はそこで奇妙な生活を始めるのだが・・・

 

ポジティブ・サイド 

何とも奇妙な空間と人間たちの集まりでありながら、観る者をぐいぐいと引き込んでいく。派手な映像や音楽や演出があるわけではない。ただ、人数の町という場所のミステリだけで引っ張っていく。町にあるべき人通りや喧騒もなく、車の往来も信号もない。食料供給は謎。酒やたばこも手に入る。「ハイ、フェロー、○○○○ね」とあいさつの後に誉め言葉をつなげる決まり。フリーセックスが許されており、美女は男に苦労しない。そんな場所があるのなら自分でも住んでみたいと一瞬思うが、随所に挿入される意味深長な統計の数々が、否が応でも我々の思考を刺激する。なるほど、これはそういう物語なのか、と。一見、現実離れした人数の町だが、よくよく思い返せば日本の地方都市にはバブル時代から平成の半ばぐらいまで、アホかというほど意味のない建物を作りまくった過去がある。劇中で登場人物に説明的なセリフを一切喋らせることなく、また人数の町の秘密やカラクリを一切映像にすることもなく、ただただ現代日本と人数の町の関係を想像させる。この仕掛けは上手い。「豚が豚を食う」と揶揄するシーンがあるが、これはつまり人が人を食う社会の謂いであろう。

 

順応性が極めて低い男の役を演じた中村倫也は、『 水曜日が消えた 』よりも、さらに控えた演技が光った(というよりも『 水曜日が消えた 』のストーリーがあまりにダメだった)。状況になじめないがゆえに素直に周りの人間に尋ねてしまう。そうしたキャラ設定が状況とよくマッチしていた。観ている我々が疑問に思っていることをスッと訊いてくれる。その間がいい。そして、そうした蒼山の問いに時に優しく答え、時に冷たくあしらう謎の美女を演じた立花恵理の水着姿は眼福。というか、人数の町のフリーセックスの要素はほとんど彼女一人が体現していたが、日本人らしからぬ長身細身で出るところは出ているという役者さん。もっと(劇中とは違う意味で)追い込めば、もっとポテンシャルが発揮されそう。

 

石橋静河演じる紅子が異物として人数の町にやってきたところから物語は大きく動き出す。日本の闇というか、光と影が交錯する部分に「人数」が存在しているのだということが示される。人が社会的に存在するためには、人の役に立たなければならないという、一歩間違えれば功利主義・全体主義へ一直線の価値観を壊そうとあがく物語が展開される。何が言えば即ネタバレという種類の作品であり、なおかつ解釈の余地を狭めてしまうという、なんとも通好みの作品ではある。弱点は色々と見えているが、脚本がオリジナルな邦画として、非常に野心的な作品が生み出されたと言える。

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ネガティブ・サイド

BGMや音響が使用される頻度が極めて低い。それはある演出のためでもあるのだが、それでもこの謎めいた町を描写するのには映像やセリフだけではなく、それにふさわしい音楽が必要だったと思う。ピアノ独奏のBGMはなかなかに雰囲気があってよかったが、もっと人数の町という異様な空間を際立たせるBGMが求めらていたように思う。例えば、どういうわけかJovianの耳には北野武の『 その男、凶暴につき 』のあのBGMが流れてきた。それだけ耳が寂しかったのと、人間の発する音が排除された人数の町そのものが発する音を感じたかったのだろう。

 

人数の町そのものにはリアリティがあったが、町の外の行動にはリアリティがなかった、ツッコミどころは色々とあったが、一番は(疑似)テロ事件だろうか。なぜわざわざ目立つ方法で人数を得ようとするのだろうか。意味が分からない。

 

他にも“戸籍が無い”という理由で色々と住民サービスを受けられなくなる描写があるが、これは個人的にはあまりピンとこなかった。戸籍がなくとも自分という存在を証明する方法はいくらでもあるからだ。小学校や中学校だと顔が変わっている可能性が高いが、高校生にもなれば大人の顔が出来上がっているはず。中村倫也は役所でダメなら、自分の出身学校を頼るべきだった。あるいは、メディアや弁護士同伴で警察に出向くべきだった。町の外のあれやこれやの考証が不足していたように思う。おそらく、全編が町の中で展開されるストーリーなら、もっと違う味わいが生み出せたのではないかと思う。

 

石橋演じる紅子が人数の町にやってくるまで、そして人数の町で中村と共闘するようになるまでの流れや、町の外への逃亡後の展開も粗っぽいことこの上ない。いくら追い詰められているからといっても、成熟した大人の行動には見えなかった。バス内であっさりとスマホを没収されるが、点検係には最後にもう一度金属探知機をかざせと言いたいし、怪しげな治験を担当しているコーディネーターっぽい女性も、相手が薬を飲んだ直後に「今日はもう結構です」とは・・・。そこから3時間ごとに定期的に血液検査などをするのが常道だろう。明らかに国家権力が絡んだ町にしては、ディテールに穴が多すぎた。

 

総評

中村倫也というスターの素材を十分に料理できたとは言い難いが、中村でないと出せない味は確かに出ていた。また現代日本に対する独特の視線も感じられ、それが何とも言えない余韻を残す。細かい点には目をつむって観るのが吉である。あれこれと自分の脳内で情報を補完するのが好きなタイプの映画ファンにお勧めしたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

fellow

日本語でフェローと言えば大学や研究機関に身分を持った者を指すが、英語では「仲間」や「同士」を意味する。特定の組織や共同体に属する仲間という意味合いが強い。極端なフェローの物語が観たければ『 グッドフェローズ 』(原題はGoodfellas)をお勧めしておく。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ミステリ, 中村倫也, 日本, 監督:荒木伸二, 石川静河, 立花恵理, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 人数の町 』 -日本の片隅にあるディストピア-

『 水曜日が消えた 』 -竜頭蛇尾の邦画ミステリ-

Posted on 2020年6月22日2021年1月21日 by cool-jupiter
『 水曜日が消えた 』 -竜頭蛇尾の邦画ミステリ-

水曜日が消えた 30点
2020年6月20日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:中村倫也 石橋菜津美 深川麻衣
監督:吉野耕平

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多重人格ものと記憶喪失もの、そしてタイムトラベルあるいはタイムパラドックスものは、たいてい始まりは抜群に面白い。その面白さをいかに維持するか、それが共通のテーマとなるが、それに成功した作品はごく少数である。本作はどうか。Fizzle outした。

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あらすじ

幼い頃の交通事故の影響で“僕”(中村倫也)は曜日ごとに異なる人格に入れ替わるようになってしまった。成長し、各人各様に生きるようになった“僕”だが、その中でも火曜日は掃除やゴミ捨てなど損な役回りを押し付けられていた。だが、ある日、目覚めてみると、水曜日だった。“水曜日”が消えて、“火曜日”が火曜と水曜を生きるようになったのだ。火曜日はいなくなった“水曜日”を不審に思いながらも、水曜日の生活を堪能するのだが・・・ 

ポジティブ・サイド

“火曜日”と深川麻衣とのロマンティックな関係が、平凡ながらも幸せの意味を実感させる良いシークエンスだった。テレビドラマ『 まだ結婚できない男 』でなかなか売れない芸能人役がハマっていたように、元がアイドルとは思えない地味さが深川麻衣の魅力だ。褒めている。決してけなしてなどいない。実際に本人を目の前にしたとすれば、相当にキュートであろう。しかし、スクリーンで見ると地味なのだ。そのギャップが良いのである。

 

“僕”の友人を演じた石橋菜津美もなかなかに奥ゆかしい。ベリーショートで、体の曲線をまったく感じさせない服装で、言動もかなりの男前。その一方で、そうした態度はすべて“僕”への好意の裏返しであることがバレバレというとても分かりやすいキャラ。そんな人物が「じゃあ、深夜らしいことするか」というシーンは、「お?お色気シーンがあるのか?」と期待させてくれた。もちろん、そんなものはない。『 月極オトコトモダチ 』はやはりファンタジーだ。そういったサバサバ系女子の因果は、ちゃんと後半に明らかにされるし、そこにはそれなりの説得力がある。

 

“火曜日”が別の人格とコミュニケーションを取るシーンの演出はそれなりに斬新か。どこか初代『 グレムリン 』を思わせる深夜のルールも、序盤から中盤のサスペンスを効果的に盛り上げている。

 

ネガティブ・サイド

なんというか、プロットだけ見れば『 セブン・シスターズ 』と『 ジョナサン -ふたつの顔の男-   』を足して2で割ったようなストーリーである。つまり、オリジナリティが無い。他に類似作品としては新城カズマの小説『 サマー/タイム/トラベラー 』の某キャラや漫画『 嘘喰い 』の某キャラなどが挙げられる。とにかくキャラクター設定が陳腐だ。

 

また多重人格ものの定石として、物語の割と早い段階でそれぞれの人格がいかに異なり、独立したものであるのかをオーディエンスに明確に示す必要がある。観客の一定数は役者の演技力を堪能したいがために鑑賞しているからだ。そうした意味でも、本作の構成には不満が残る。『 スプリット 』のジェームズ・マカヴォイのレベルは別に求めない(そんなことができる役者は世界的にも40~50人しかいないと思われる)。しかし中村倫也の一人七役というのは過剰広告であった。実質的には一人二役で、それも正反対のキャラクター。こういうのは非常に演じ分けやすく、はっきり言って役者のポテンシャルをとことんまで引き出す演出にはなりにくい。スマホの録画機能で対話するシーンは現代的だが、それも『 ジョナサン -ふたつの顔の男- 』が似たようなことを先に行っている。スマホと対話するのではなく、スマホで録画するシーンを交互に映し出せなかったか。あるいは、スマホを右手に構えながらシームレスに人格同士が語り合うシーンは撮れなかったか。そこまでやらないのなら多重人格ものを撮る意味は薄い。

 

映像演出の面でも不満が残る。割れたサイドミラーに映る鳥が分裂していくのは、どう考えても『 スプリット 』のジャケットやポスターの二番煎じだし、そもそもそのシーンを繰り返し再生しすぎである。またキーとなる図書館が『 図書館戦争 』 のそれ。もっと別の図書館を探せなかったのか。同じ図書館を使うにしても、上方からの俯瞰のショットや、円周部分の書棚など、『 図書館戦争 』で飽きるほど見た構図である。もっと別の角度からのショットを監督や撮影監督は模索すべきでなかったか。

 

腑に落ちないのは、“火曜日”の態度。普通は“水曜日”が消えたら、第一に「自分も消えてしまうのではないか」という恐怖、第二に「他にも消えている曜日がいるのではないか」という疑念を抱くはずである。そうはならずに、いきなり未知の水曜日を楽しんでしまうところに、とんでもないご都合主義およびDIDへの無知と無理解を感じた。『 スプリット 』のカウンセリングシーンや『 ISOLA 多重人格少女 』を観ろ、そして原作小説『 十三番目の人格 ISOLA 』を読めと吉野耕平監督に強く言いたい。『 セブン・シスターズ 』も“月曜日”が姿をくらませたことで残りの曜日たちは大混乱に陥ったではないか(あちらは七つ子だが)。普通に考えれば10年単位で付き合いのある人間がいなくなれば困惑するだろう。あるいは、“水曜日”が水曜日を拒否したくなるような出来事があったのかと、水曜日に警戒することはあっても、ウキウキはしないだろう。七重人格という設定だけを先走らせて、人間というものが描けていない。

 

“僕”の面倒を看るべき医療関係者たちの目も節穴なのだろうか。脳への器質的なダメージでDIDを発症した、あるいは器質的なダメージの回復過程でDIDを発症したということは、“各曜日”との面談(カウンセリング)とメディカル・チェックが人格の独立あるいは統合という、いわゆる治療への道筋を立てるための大きなカギとなる。それを火曜日に“火曜日”相手にしか行っていない。アホなのだろうか。脚本および監督を務めた吉野耕平は、どこまで取材し、どこまで考察し、どこまで七重人格へリアリティを付与しようと努力したのか。おそらく満足にしていない。様々な先行作品の色々な要素をつまみ食いしただけの企画に予算とゴーサインを出した配給会社と制作委員会の罪である。ということは邦画という産業構造の罪でもある。勘弁してくれ。

 

メインキャスト以外の演技が総じて学芸会レベルである。特にきたろうと若い医者。これで出演料を受け取っていいと感じているのか。監督も何テイク撮ったのか。編集にどこまで関わったのか。どこまで現場で演出や演技指導をしたのか。せっかく昨今珍しい小説や漫画原作ではない邦画だというのに、この出来はあまりにも無残であり残念である。

 

総評

邦画のダメなところが凝縮されたような作品である。映画館が徐々に日常(withコロナだが)を取り戻しつつある中、割と楽しい気分で劇場に向かったのだが。これがTOHOシネマズ梅田のScreen 1というスクリーンの大きさと画質、そして音質に優れた劇場でなければ、もうマイナス5点したい。それぐらいの酷い出来である。某映画サイトなどで好評レビューが多いが、サクラだと思いたい。そうでなかれば映画ファンの劣化も甚だしい。というのはさすが言い過ぎか。はっきり言って中村倫也のファンでなければ、観る価値は極小である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

get along

劇中で火曜日の言う「僕たち、仲良いんだよ」を英語にすれば、“We get along.”となるだろうか。A and B get along. = AとBは仲良くやっている、We get along = 僕たちは仲良くやっている、である。一定以上の世代の人間ならば“We can get along together.”と言えば通じるだろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, ミステリ, 中村倫也, 日本, 深川麻衣, 監督:吉野耕平, 石橋菜津美, 配給会社:日活Leave a Comment on 『 水曜日が消えた 』 -竜頭蛇尾の邦画ミステリ-

『 屍人荘の殺人(映画) 』 -原作をさらにライトに仕上げた映像作品-

Posted on 2019年12月15日2020年4月20日 by cool-jupiter

屍人荘の殺人 50点
2019年12月14日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:神木隆之介 浜辺美波 中村倫也
監督:木村ひさし

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『 屍人荘の殺人(小説) 』の映画化である。しかし、原作小説の忠実な映像化ではなく、一応ちょっとした変化を織り交ぜている。なので原作を読んだ人も、興味があれば映画館に足を運んでもよいだろう。それなりに面白い出来に仕上がっている。

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あらすじ

大学のミステリ愛好会の明智恭介(中村倫也)と葉村譲(神木隆之介)は、同じ大学の探偵少女・剣崎比留子(浜辺美波)の誘いで、ロックフェス研究会の夏合宿に参加することとなった。宿泊先は紫湛荘。しかし、その別荘が屍人荘に変貌。外部の人間も数人交えて閉じこもるメンバーたち。そこで密室殺人が起きてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

『 センセイ君主 』で強く感じたことだが、浜辺美波の真骨頂はコメディエンヌを演じることかもしれない。本作でも非常に理知的な探偵を演じながらも、本質的には普通のお茶目なところもある女子大生になれていた。

 

中村倫也は顔芸で、神木隆之介も心の声でコメディを盛り上げる。特にサノスばりの指パッチンは明智恭介というキャラの切れ者ぶりと間抜けっぷりの両方を描き出す効果的な演出となった。言わずと知れた明智小五郎の明智の名前を冠しているだけあり、高等遊民の雰囲気を醸し出している。そしてワトソン役の葉村は、心の声がダダ漏れの、ある意味では非常に等身大のミステリ愛好会員であった。ミステリの世界に浸り過ぎたせいで、可愛いあの子との距離の縮め方が分からないという、『 桐島、部活やめるってよ 』で橋本愛にドギマギしていたあの姿が思い起こされた。

 

原作小説からのキャラも、映画オリジナルのキャラも、本作ではとにかくユーモアを前面に押し出している。それはやはりとある「舞台装置」とのバランスの為なのだが、それが効果的に機能している要因に、昨年公開の邦画『 カメラを止めるな! 』が挙げられる。また韓国映画の『新感染 ファイナル・エクスプレス 』や『 ゾンビランド:ダブルタップ 』など、このジャンルは常に新しいアイデアが投入されるものだ。ここでもどういうわけか、とあるプロレスラーが参戦してくる。非常に滑稽であり、恐怖でもある。その比率は9:1で、もちろん滑稽が9で恐怖が1である。そこかしこで笑えるのが本作の大いなる特徴である。

 

グロいはずの描写もレントゲン写真的に処理され、グロ耐性の無い人への配慮がされている。これはありがたい。おかげでデートムービーに使うこともできる。推理を楽しみたいという向きにも、それなりにフェアな材料提示がされている。ライトなミステリ好きにとってもそこそこ楽しめるように作られている。

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ネガティブ・サイド

原作小説もそうであったが、ハードコアなミステリファンを唸らせるような出来にはなっていない。序盤でこれ見よがしに、とある人物の不在をアピールしたり、マスターキーを濫用したりと、少々過剰サービスとも思える描写や演出が気になった。また原作にはない明智の台詞、「事件はまだ起きてはいないが、犯人は分かった」という台詞は、原作を読んだ者にとっては完全なるノイズである。原作未読者でも、すれっからしの人であれば、すぐにピンと来たことだろう。ライトなファンへの配慮かもしれないが、ハードなファンには雑音である。このあたりのバランス感覚にもう少し敏感になることが木村ひさし監督には求められる。

 

また、ギャグの面で滑っているものもあった。「迷宮太郎」はその最たるものだろう。キャラクターにしても、原作ではマニアか学者かというキャラが、映画では『 ショーン・オブ・ザ・デッド 』を鑑賞しながらニヤニヤしているだけ。また、このキャラの分析によって推理が進み、またサスペンスも生まれるのだが、そうした要素をほぼ全カット。ユーモアを前面に押し出してきたのは、サスペンス路線を放棄したからだという見方も成り立つ。事実、本作の「舞台装置」に対してのキャラクター達の対策はお粗末もいいところである。

 

また映画オリジナルの要素に関しては、現実的な感覚が欠けている。一番に思うのは、「スマホの画面ロックをしないのか?」である。この映画の一番の客層あたりは、この点だけで真相はともかくも犯人を当ててしまってもおかしくない。

 

原作にあったちょっとしたお色気どぎまぎ要素をキスに置き換えているにもかかわらず、肝心のキスシーンもなし。そこは比留子に大真面目な顔で『 覚悟はいいかそこの女子。 』の小池徹平と同じで投げキッスさせれば良かったのだ。そういうサービスシーンすら思いつかなかったのか。

 

最終盤に明智と比留子が再対決。そんなアホな。原作のマイナス要素だったシリーズ化への野望が、映画本編ではかなり薄まっていたにもかかわらず、ここでそれをやるか?しかも、自分が葉村ならば、この展開で比留子についていこうとは決して思わないだろう。続編(『魔眼の匣の殺人 』)も映画化するなら、少なくとも監督は変えてもらいたい。

 

総評 

浜辺と神木の掛け合いを楽しむ作品である。推理についてはライトなファン向け、○○○要素についてもライトなファン(このジャンルにそんな層が存在するのか疑問だが)向け。結局のところ、高校生や大学生カップルが一番の客層になるだろうか。悪い作品ではない。しかし手放しで褒められる作品でもない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話

Awesome!

劇中の「すごい!」である。ただし、Awesomeは「すごい」、「素晴らしい」といった意味以外にも、リアクションで使われることも多い。

A: Can you get this job done by the end of the day?

B: Sure. No problem.

A: Awesome.

などのようにも使える。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, コメディ, ミステリ, 中村倫也, 日本, 浜辺美波, 監督:木村ひさし, 神木隆之介, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 屍人荘の殺人(映画) 』 -原作をさらにライトに仕上げた映像作品-

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