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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 中村倫也

『 ミッシング 』 -もう少し焦点を絞り込めなかったか-

Posted on 2024年6月2日 by cool-jupiter

ミッシング 60点
2024年6月1日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:石原さとみ 青木崇高 森優作 中村倫也
監督:吉田恵輔

 

風邪がなかなか治らないので簡易レビュー。

あらすじ

沙織里(石原さとみ)と豊(青木崇高)の娘の美羽が突然姿を消した。直前まで娘と一緒にいた沙織里の弟(森優作)との関係はギクシャクしたものになり、ネットでは母親に批判的な書き込みがあふれる。唯一、ローカルTV局の砂田(中村倫也)だけは親身に沙織里に寄り添うが・・・

ポジティブ・サイド

6歳の子どもの失踪など考えただけでも胸が苦しくなる。自発的に疾走するわけがないのだから、誘拐または事故に決まっている。本作は美羽の失踪の真相を追うのではなく、そこから見えてくる人間関係の変質や社会の闇に迫っていく。

 

青木崇高の演技が特に良かった。感情の表出をあまり行わない=感情があまり動いていない、というわけでは決してない。最も印象深かったのは蒲郡のホテルの喫煙所。悲しさ、悔しさ、虚しさをないまぜにしたような表情に胸を打たれた。

 

ネット上の無責任かつ批判的なコメントについて、なぜ無関係な人間がそんなことをできるのかと憤りを覚えるが、本作は「無関係な人間だからこそそんなことができるのだ」という視点を提供している。では、我々はどうすべきなのか。関わるしかないだろう。それが直接の癒しになるかどうかはわからない。しかし、関わること、そして関わることでしか得られないものがあるのは間違いない。

 

ネガティブ・サイド

メディアの恣意的な報道とその影響については同監督の『 空白 』の二番煎じに感じられた。また、中村倫也演じる砂田という男に少し尺を割きすぎ。TV局側のサブプロットをもっと削れば、佐織里と豊の二人の物語にもう少しフォーカスできたはず。

 

石原さとみの演技はかなり過剰だったように思う。というか、演技の過剰さと化粧やヘアスタイルが矛盾していたとでも言おうか。ぼろぼろの肌、ぼさぼさの髪で壊れていく様を見せるべきだった。

 

怪しい犯人的な人物をこれ見よがしに出し入れしていたが、元々真相追求型のストーリーではないと分かっているのだから、それもノイズだと感じられた。

 

総評

吉田恵輔監督は『 BLUE ブルー 』のような、非常に小さな輪の中の人間関係を描かせる名手であると思っている。だからこそ同作や『 空白 』のように、本作ももう少しキャラクターあるいはサブプロットを絞ってほしかった。それでも人間たるもの、どうあるべきかについて非常に示唆に富む回答を本作が提示しているのは間違いない。早めに劇場鑑賞を。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

make a prank call

よほど熱心な英語学習者でもない限り知っておく必要性は薄いが、これは「いたずら電話をする」の意。いたずら電話もその悪質性によっては一発で起訴される可能性もあるのではないだろうか、と本作を観て思わされた。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 関心領域 』
『 バジーノイズ 』
『 あんのこと 』

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, ヒューマンドラマ, 中村倫也, 日本, 森優作, 監督:吉田恵輔, 石原さとみ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画, 青木崇高Leave a Comment on 『 ミッシング 』 -もう少し焦点を絞り込めなかったか-

『 ハケンアニメ! 』 -ブラック労働現場は無視されたし-

Posted on 2022年5月26日 by cool-jupiter

ハケンアニメ! 60点
2022年5月22日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:吉岡里帆 中村倫也 柄本佑 尾野真千子
監督:吉野耕平

 

「嫁さんが 観たいというので 劇場へ」と一句できた。それはさておき、辻村深月原作とは知らずに鑑賞した。『 冷たい校舎の時は止まる 』と『 かがみの孤城 』は傑作である。

あらすじ

斎藤瞳(吉岡里帆)は、とあるアニメ作品と出逢った衝撃から、務めていた県庁の職を辞し、アニメ業界に飛び込んだ。それから7年、新人監督としてデビューすることになった瞳は、プロデューサーの行城(柄本佑)の仕掛けによって、天才の誉れ高い王子千晴(中村倫也)と対談することになった。王子こそ、瞳がアニメ業界を志望するきっかけになった作品の生みの親だったのだ。対談の中で瞳は、王子の作品に勝って、覇権を手にすると高らかに宣言するが・・・

ポジティブ・サイド

Jovianは「映画を作る映画」が好きだが、アニメを作る映画というのも悪くないと感じた。アニメ制作については、ジブリ読本のようなものを読んだり、宮崎駿や庵野秀明のドキュメンタリー番組を観たりして得られる程度の知識しかない。その意味では本作の鑑賞は面白い体験でもあった。

 

冒頭は『 ER 緊急救命室 』の影響の色濃いロングのワンカットで、アニメ制作現場とそこで働く様々な職種の人間を映し出す。このシーンは非常に印象的で、アニメ業界へのイントロダクションとして素晴らしいものだったと感じる。

 

瞳と王子の対談は迫力満点。一億総オタクという言葉を「上から目線」と切って捨て、リア充という存在の対にあるのはみじめなオタクではなく別の形のリア充であるということを宣言するシーンは、アニメに限らず漫画やゲーム、ラノベなど他ジャンルのクリエイターたちの声をも代弁していたものだろう。それを受けても果敢に王子に宣戦布告する瞳の姿に、胸が熱くならずにいられようか。瞳と王子の両者の芯の強さを見せる名場面だった。

 

テレビアニメと映画の最大の違いは、その鑑賞方法にある。すなわち前者は実況中継可能で、後者は実況中継が不可能である。あるいは、前者は個人で鑑賞し集団で楽しむもの、後者は集団で鑑賞し個人で楽しむもの、と言い換えられるかもしれない。『 天空の城ラピュタ 』のテレビ放映時に一時期流行った「バルス祭り」は、その最たるものと言えるかもしれない。それを想起させるSNSへの書き込みテキストが画面を埋め尽くす様はなかなかに壮観だった。このテキストのスーパーインポーズの印象度は『 白ゆき姫殺人事件 』に次ぐ。

 

本作の一種のビルドゥングスロマンである。瞳という一人のキャリアウーマンの成長物語でもあり、同時に人間としての成長物語でもある。『 見えない目撃者 』と本作で、吉岡里帆はセクシーさを強調することなく売り出せるようになったという意味では、吉岡本人の成長にもなっている(『 ホリック xxxHOLiC 』は現時点では鑑賞予定なし)。監督だからといっても所詮は新米。絶対権力者でも何でもなく、実績やカリスマ性があるわけでもない。けれども自分のアニメ作りに懸ける想いはひたすらに真摯で、だからこそ次第に周囲のスタッフたちをも巻き込めるだけの熱量を生み出せたのだと納得できるだけの成長を見せてくれた。瞳を支えるプロデューサーを演じる柄本佑が業界人っぽさを好演。実に嫌味ったらしい男をけれんみたっぷりに演じている。最初は「なんだこいつは?」と感じるのだが、物語が進むにつれて、この男の一挙手一投足にグイグイと引き込まれてしまう。その絶妙な仕掛けを知りたい人はぜひ本作を鑑賞されたし。

 

対する王子と、彼を支えるプロデューサーの尾野真千子のコンビも魅せる。天才的なクリエイターで、初発作品があまりにも high quality だったせいで、二作目や三作目も標準以上の出来映えなのに、物足りなさを感じてしまう。映画や文芸の世界でたまにいる(森博嗣のデビュー作『 すべてがFになる 』が一例ではないか)が、アニメ界も同様だろう。そうした天才の虚飾の仮面とその奥の素顔を、中村倫也が好演している。それを支える尾野真千子が、会社上層部の指令と王子のわがままの間で悪戦苦闘する様は、サラリーマンの激しい共感を呼ぶ。

 

アニメで覇権を取ろうとする少々珍しい作品だが、それも大切な日本文化の一つ。感動的な作品ではあるので、週末の予定に入れておくのも良いだろう。意外にデートムービーにも使えるはず。そうそう、ポストクレジットシーンがあるので、慌てて席を立たないように。

ネガティブ・サイド

冒頭で気になったのが「アニメ」の発音、そのアクセントの位置。ナレーションはアに強勢を置いていたが、キャラクターの多くはメに強勢を置いていた。統一する必要はないだろうが、それでも業界人はメに強勢、その他の人々はアに強勢と、使い分けを徹底することもできただろうにと思う。

 

アニメ作りの現場で声優の収録シーンにばかりフォーカスが当たっていたが、もっとBGMや効果音にも焦点を当ててほしかった。特に瞳が作る『 サウンドバック 奏の石 』は、音がテーマなのだから、コンポーザーやミキサー、フォーリー・アーティストこそ脚光を浴びるべきではなかったか。

 

冒頭でプロデューサーがオープニング・ロゴのデザインにケチをつけていたが、そんな越権行為が現実に存在するのか。プロ野球チームのGMが選手の打撃フォームや投球フォームを力づくで矯正したら大問題だろうと思うが。

 

本作の最大の欠点は日本的デスマーチをある意味で礼賛してしまっているところ。そして、有能なクリエイターに正当な対価ではなく情でもって仕事を依頼するところだろう。神作画と称賛されるようなクリエイターをこんな風に使うからこそ大企業なのかもしれないが、これでは日本のクリエイターは国内向け資本相手に仕事しなくなる。もしくはクリエイター志望者そのものが減って、ピラミッドの頂点がどんどん低くなる。由々しき問題だ。デスマーチを是とするのもいかがなものか。助監督が味噌汁を作って頑張ると同レベルの、元・制作進行、現プロデューサーがおにぎりを作って頑張るというのは美しいことは美しいが、そこに美徳を見出せるのはせいぜい1980年代生まれまでではないか。今の30代以下は、本作に映し出される労働の現場をどう見るだろうか。好意的に見る者がマイノリティであることは間違いない。

 

総評

良くも悪くも『 バクマン。 』そっくりである。個の力を最大限に称揚するのは確かに美しいが、そこに芸術的な美しさは見えない。また、日本的な超人的な個の働きへの依存と現場の空気に染まるという「失敗の本質」が色濃く出た作品でもある。だが、それはそれ、である。そうした日本の伝統的にダメな部分はいったん忘れて物語世界に没入できさえすれば、クリエイターたちを取り巻く豊かな人間ドラマが味わえるだろう。鑑賞時には思い切って片目をつぶろうではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

emerge victorious

瞳が王子に「勝って、覇権を取ります!」と宣言した台詞の私訳。 I will emerge victorious. = 私が勝者になる、という意味で覇権うんぬんではないのだが、そこは訳出不要と判断。emerge victorious というのはボクサーが計量後の記者会見などで使うのをよく聞く。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, ヒューマンドラマ, 中村倫也, 吉岡里帆, 尾野真千子, 日本, 柄本佑, 監督:吉野耕平, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 ハケンアニメ! 』 -ブラック労働現場は無視されたし-

『 ウェディング・ハイ 』 -ペーシングに改善の余地を残す-

Posted on 2022年3月24日 by cool-jupiter

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ウェディング・ハイ 60点
2022年3月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:篠原涼子 中村倫也 関水渚
監督:大九明子

 

『 町田くんの世界 』でJovianの心を射抜いた関水渚の出演作、さらに『 勝手にふるえてろ 』や『 私をくいとめて 』の大九明子の監督作ということでチケットを購入しない理由はなかった。

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あらすじ

石川彰人(中村倫也)と新田遥(関水渚)の二人は、ウェディング・プランナーの中越真帆(篠原涼子)と共に結婚式と披露宴を計画する。しかし、式の当日、招待客たちの思いがけぬあいさつやスピーチなどで進行は大混乱。果たして中越は、新郎新婦の期待に応えて、全ての参列者たちに満足してもらえる式を実現できるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

結婚式そのものがテーマという映画はパッと思いつかない。『 マンマ・ミーア! 』も、結婚式というよりは、結婚式に至るまでの過程のストーリーが主眼である。式の中身で魅せる映画は希少価値があるのではないだろうか。

 

本作は特に若い、未婚の男性にとって良い教材となるだろう。序盤で彰人が結婚式の中身や引き出物などを遥と一緒に決めていくわけであるが、そこで見せる「めんどくさいけど、めんどくささを見せないようにする」という演技には、男性の結婚式経験者の95%が共感できるはずだ。若き女性たちよ、男性がウェディング・プランを練る際にあれやこれやと発話しているのは、ほとんど全部演技である。「真面目に考えてよ!」などと思ったり口にしたりすることなかれ。若き男性たちよ、演技力を磨くべし。こうした場面で意中の女性の心が離れてしまうことほど人生の中で大きな損失はないのである。

 

結婚式にやってくる面々も非常に濃くてよい。Jovian自身は非常に簡素な結婚式および披露宴を行ったが、だからと言ってスピーチや余興で大いに盛り上がる結婚式も決して否定はしない。そうした場の盛り上がりを楽しんだこともあるし、先輩や友人の結婚式で、それこそ『 くれなずめ 』並み、あるいはそれ以上の余興に加担したこともあるのだ。そこにある想いは一つ、人生に(おそらく)一回しかない機会を memorable なものにしたい、というものだけである。本作の登場人物たちも、ほとんど全員が悪意など持っていない。ただ、ひたすらに自分の熱い思いを吐き出しているに過ぎない。

 

そうはいっても、式場は貸し切りというわけではない。次の結婚式や披露宴の予定も当然にあるわけで、善意の行動だからといって結果的に他人に迷惑をかけて良いわけではない。そこでプランナーである中越の奮闘が始まるわけであるが、ここはなかなか見応えがあった。日本企業の多くは社是やら何やらに「創意工夫」なる四文字熟語を使いたがるが、本当にそれができている企業は少数であろう。中越は、しかし、その創意工夫を次々に実践していく。あまり書いてしまうとネタバレになるが、料理の時間短縮のところでは「ほう」と唸らされた。Jovian自身も披露宴の際に「皿が空いた人から順に次の料理を出してください」とお願いし、快く引き受けてもらったことがあるが、こうしたオペレーションというのは実は結構大変なことなのだ。これをちょっとした知恵と工夫で乗り越えていく様は爽快感があった。

 

終盤近くの関水渚の両親への手紙の朗読が、まんまJovian妻の結婚式での手紙の朗読と内容がまるかぶりで、苦笑しながらも感じ入ってしまった。同じように感じる男性は多いのではないだろうか。

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ネガティブ・サイド

主人公が分かりにくい。ウェディング・プランナーの篠原涼子が主人公で、中村倫也と関水渚の夫婦が準主役かと思ったが、ドタバタ群像劇だった。例えは悪いが、珍作『 ギャラクシー街道 』のようなちぐはぐさというか、アンバランスさを感じた。

 

ペースにも大いに難ありだった。多士済済の披露宴であるが、物語の前半に登場してくるキャラクターの背景は割と丁寧に描かれる一方で、物語の後半のキャラについてはおざなりな印象を受ける。序盤、中盤、終盤に隙がない・・・ではなく、序盤、中盤、終盤でテンポがガラリと異なる。もちろん変奏曲的な構成が効果的なこともあるが、本作の、特に終盤では失敗だった。

 

伏線回収が光るという評もあるようだが、これは別に伏線でも何でもなく、単なる前振りだである。この展開に度肝を抜かれるようなら、まずは普通のミステリを10冊ほど読んでみたらよい。綾辻行人、米澤穂信、湊かなえあたりが良いだろう。

 

その終盤の展開も長いし、くどい。さらに下ネタを使ってくる。下ネタは否定しない。だが、演技者の岩田がどうにも振り切れていない。『 町田くんの世界 』では良い感じにダメ男だったのに、本作ではいつものイケメン気取りが足を引っ張って、ダメ男になりきれていなかった。

 

総評

Jovianは民放テレビには疎いので、バカリズムが何なのか良く分からない。『 地獄の花園 』は珍品にしか見えないが、いつかチェックしてみるか。色々と課題を残す作品ではあるが、老若男女問わず勧められる点では良作だろう。『 喜劇 愛妻物語 』などはかなり観る人を選ぶ作品だったが、本作はそれこそ高校生ぐらいからシニアのカップルまで、非常に楽しく鑑賞できるはずだ。ぜひパートナーと共に劇場で鑑賞されたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Speak now, or forever hold your peace. 

「声を上げるならば今である、さもなければ永久に黙っていなさい」の意。牧師(プロテスタント)あるいは神父(カトリック)が結婚式の際に使う口上。要は、「この結婚に意義があるなら、申し出よ」ということ。一昔前、COCO塾のCMで Speak now を実践するCMがあった。興味がある人は観てみよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, コメディ, 中村倫也, 日本, 監督:大九明子, 篠原涼子, 配給会社:松竹, 関水渚Leave a Comment on 『 ウェディング・ハイ 』 -ペーシングに改善の余地を残す-

『 美人が婚活してみたら 』 -婚活男よ、本作を教材にせよ-

Posted on 2021年6月6日 by cool-jupiter

美人が婚活してみたら 60点
2021年6月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:黒川芽以 臼田あさ美 中村倫也 田中圭
監督:大九明子

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シネ・リーブル梅田で上映時に見逃していた作品。『 勝手にふるえてろ 』、『 私をくいとめて  』の大九明子が監督した作品とあって、準新作になったことから即座に借りてきた。予想通りの内容ではあるものの、随所にリアリティがあって良かった。

 

あらすじ

なぜか既婚者とばかり付き合って、気が付けば三十路を超えていたタカコ(黒川芽以)は、親友のケイコ(臼田あさ美)の勧めで婚活に乗り出す。そして園木(中村倫也)、矢田部(田中圭)という二人の気になる男に出会うのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

Jovianは婚活したことはないが、かつての受講生の方が婚活半年で見事にゴールインされたのをつぶさに見たことがある。その方から色々と婚活のあれやこれやを教えて頂いたことが懐かしく思い出された。本作のどこにリアリティがあるかと言えば、美人に対する男性の態度。ある者は極度に緊張し、ある者は「こいつはチョロい」と舐めてかかる。本作では前者は園木、後者は矢田部である。

 

男性諸賢、特に結婚願望があるのに結婚できていない諸君に老婆心ながら伝えておきたい。女性に対して「美人であること」を褒めてはいけない。それは外見を褒めたにすぎず、人間を褒めたことにはならない。女性に対して「かわいい」や「きれいだね」とだけ伝えるのも得策ではない。具体的にどこがどうかわいいのか、きれいなのかを言語化せよ。「その前髪、いつもと違う?」、「ネイル、この間と違う?」というところまで目配せせよ。それができない男は、女性の好感度を上げるのが難しくなると心得よ。そうしたことを本作の中村倫也を通して学ぶべし。

 

黒川芽以がリアルな30代女子に思えた。実際、Jovianの過去の受講生の中には、英会話スクールに出会いを求めてきているのかというぐらい、しょっちゅうクラスレベルを変えたり、クラスの曜日や時間帯を変える人がいた。それも複数。ほとんど全員30歳前後の女性で、結構な器量よしばかり。実際に同じクラスのサラリーマンと付き合っている人もいた。何故そんなことが分かるのか?それは、そうした女子と付き合っているサラリーマン受講生からダイレクトに情報が入るからである。

 

脱線するが、英会話スクール、それも大都市の中心部にあるスクールにスーツ姿で通うサラリーマンは結構な高給取りがほとんど。Jovianの前の勤め先でも、継続受講料金30万円ほどをポンとクレジット一括で払う人ばかりだった(もちろん、中には『 次回に支払いはしますが、一応嫁に許可をもらってから、ハイ・・・ 』という人も多かったが、こういう既婚者は年収が800万でも1000万でも嫁さんの許可を取るのである)。製薬会社やメーカー勤務の独身貴族がだいたいこのパターンだった。そうした男性を狙う30歳前後のOL女子をそれなりに見てきたが、彼女らとタカコの違いは明白である。彼女は結婚したいが、タカコは結婚したくないのである。本作でタカコが婚活を思い立つ理由は実に薄っぺらい。そのこと自体は何も悪くない。思い立ったが吉日で、何事も始めないよりは始めた方がいい。

 

既婚中年の視点から言わせてもらえば、タカコのような婚活女子が「誰にしようかな」と考える時点で誤った結婚観を持っている。結婚というのは、いみじくもケイコの言う通りに「忍耐」なのだ。Jovianも結婚前に同僚アメリカ人にアドバイスを求めたことがあったが、”Marriage is about sharing the same toilet.”だと言われたことがある。これは言いえて妙。確かに結婚とは家族になるということで、家族以外と便器を共有するのはなかなか難しい。なので、婚活するとなると行動方針は二つ。1つは、条件面(職業や年収など)。もう1つは、価値観(趣味嗜好など)。このどちらにも的を絞れない時点で、タカコの婚活がうまくいかないのは必定である。このあたりのリアリズムの追求は上手いなと感じた。また親友ケイコが結婚のダークサイドを一身に背負っているところもナイス。結婚とは、その程度は現代になって薄れたとはいえ、個人と個人ではなく、家と家の取り組みなのだ。

 

20~30年前のトレンディドラマだと「給料3か月分なんだ」みたいな台詞でクライマックスになっていたが、現代はそこにゴールはない。結婚は一つの生き方ではあっても唯一の生き方ではない。恋愛というのは終わってみれば往々にして甘酸っぱいものだが、夫婦の仲というのは、それこそ漬物みたいなもの。ある程度の時間をおかないと味が出てこないし、その味も別にびっくりするほどおいしいものでもない。けれど、手入れされしっかりすれば長持ちはするのだ。今食べておいしい肉ではなく、漬け込むと味が出る白菜やキュウリを探すべし。そういうことを教えてくれる作品である。

 

ネガティブ・サイド

中村倫也や田中圭の好演に比べて、主役の女子二人の演技力が正直なところ、もう一つかな。一番の見せ場である二人のガチのケンカのシーンで、二人とも声が張れていないし、全身で不満を表現しきれていない。監督の演出が弱かったのか、それとも監督の演出に黒川も臼田もついてこれなかったのか。そういう意味ではのん(能年玲奈)や松岡茉優の演技力というのは大したものだったのだなと再確認できた。

 

タカコと矢田部の濡れ場はちょっと淡白すぎる。恋愛でもなく結婚でもなく、セックスが目的だったとタカコが賢者になるところも???。だったら、ケイコとの色々なトークで、結婚とは何かを尋ねて「忍耐」という答えを得た先に、「いや、そういうことじゃなくて、夜の方は?」みたいなことを尋ねる一幕があってしかるべきだったと感じる。

 

矢田部にはきっちりと別れを告げるのに、園木に対して究極の放置プレーをかますのも納得がいかない。せめてLINEでも留守電メッセージでもいいから、なにかアクションをしてあげなさいよ。婚活男の中には百戦錬磨もいれば、純情少年のまま年齢だけ重ねた男もいてるんやで。自分が百戦錬磨側だからといって、そうでない人間に対してあの仕打ちはないわ。それとも別れのシーンは撮影したものの、編集でカットした?大九監督、それはあかんわ・・・

 

黒川芽以はかなりの美人だと思うが、どうせ演技力的にイマイチなら、思い切って別の女優というか、モデル、果ては一般人の超絶美人をオーディションで募っても良かったのではと思う。同じ30代なら、中村ゆりとか桜井ユキなんかどうだろうか。

 

総評

びっくりするような事件などは起きないが、ただの婚活でそんなことがあっては大変である。また、本当にしっかりとした婚活サイトは、登録時に源泉徴収票や戸籍謄本の写しを提出させるから、トラブルも少ない。ある程度、婚活のリアルを頭に入れて、こうすれば失敗するのかということを、特に男性側が学ぶべきだろう。女性側は・・・よくわからない。Jovian嫁に本作のあらすじを語ったところ、鼻で笑っていた。まあ、そういうことなのだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Ms. Right

ミズ・ライトと読む。無理やりに直訳すると「正しい女性」となるが、現実的には「結婚したいと思える理想の女性」と訳すべきだろう。長すぎるなら「結婚したい人」でよい。なお男性の場合は、Mr. Rightとなる。I finally met Ms. Right. = ついに結婚したいと思える人で出会えたよ、のような形で使う。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, ヒューマンドラマ, 中村倫也, 日本, 田中圭, 監督:大九明子, 臼田あさ美, 配給会社:KATSU-do, 黒川芽以Leave a Comment on 『 美人が婚活してみたら 』 -婚活男よ、本作を教材にせよ-

『 ファーストラヴ 』 -窪塚洋介に惚れろ-

Posted on 2021年2月15日 by cool-jupiter

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ファーストラヴ 50点
2021年2月14日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北川景子 中村倫也 芳根京子 窪塚洋介
監督:堤幸彦

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原作は島本理央の同名小説で、『 望み 』の堤幸彦監督作品。俳優陣に旬の役者をそろえたが、その役者たちの奮闘と監督による演出や編集がかみ合っていないと感じられるシーンが多かったのが残念。

 

あらすじ

公認心理士の真壁由紀(北川景子)は、父親を刺殺した容疑者、聖山環菜(芳根京子)を取材する。真相を究明しようとする由紀と国選弁護人にして義理の弟の庵野迦葉(中村倫也)は、二転三転する環菜の供述に翻弄されていく。環菜の過去を探る過程で、由紀は封印した自身の心の闇に向き合うことになり・・・

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以下、ネタバレに類する記述あり

 

ポジティブ・サイド

俳優陣の演技合戦が堪能できる。主演の北川景子はここ数年で最もコンスタントに売れている女優で、わざとらしさが残るものの、その演技も円熟味を増してきた。本作でも20歳ぐらいの大学生を(おそらくデジタル・ディエイジング無しに)演じ切った。仕事に燃えるキャリアウーマン、使命感に燃えるプロフェッショナル、夫と仲睦まじい妻といった成熟した女性と、男性恐怖症の大学生を同時に演じるというのは、かなりのチャレンジだったはず。だが、見事にその大仕事をやり遂げた。特に夫の腕の中で改悛と安堵の涙に濡れるシーンは本作の白眉の一つ。

 

芳根京子も圧巻の演技。凄惨な登場シーンから、ちょっと不思議ちゃんを思わせる最初の接見。そこから闇を心の奥底に隠した女子大生の顔を小出しにしていき、ある一点で心のbreaking pointを迎えるシーンは圧倒的だった。環菜の初恋には、触れざるべきものがあるのだと思わせるに十分な壊れっぷり。この役者は若いに似合わず、追い込めば追い込むほど実力を発揮できる役者なのではないか。法廷での弁論シーンも印象的。裁判官に正対して語りながら、その目は裁判官を見ていない。弱く、それでいて守られることのなかった自分に向き合っている。そのことがもたらす辛さや痛みが観る側にも如実に伝わってくる。芳根のキャリアの中でも最高に近い演技になったと思う。

 

最も印象に残ったのは、なんと窪塚洋介。堤幸彦監督作品の常連ながら、外連味のある役柄ばかりを演じていたという印象があったが、本作で過去のそうしたイメージを一気に払拭してしまった。忍耐力、包容力、理解力、共感力、家事家政能力。男が持つべき(などと書くとセクシズムに聞こえかねないが、これはロマンチシズムであると解されたい)能力を全て備えた男を好演した。Jovianの嫁さんも窪塚演じる我聞にいたく感じ入っていた。男としてどうかと思わざるを得ない野郎どもでいっぱいの本作の中で、窪塚洋介は一人で主要キャラクターたちのバランスメイカーとして有効に機能した。

 

物語(プロット)も、謎が提示され、その謎を解く。それによって新たな謎が生まれ、そのことが由紀の過去と不思議なフラクタル構造を成していることで、ミステリ要素とサスペンス要素を巧みに融合させている。単なるラブロマンスではなく、サスペンス色強めの愛の物語として、大学生以上の年齢の男女にお勧めできる。

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ネガティブ・サイド

物語(ストーリーテリング)の面でアンバランスになっているとの印象を受けた。由紀が環菜を同一視していく過程に説得力がない。確かによく似た境遇の二人ではあるが、由紀と環菜で決定的に異なるのは、由紀は父親から直接的にも間接的にも虐待はされていないということ。そして、由紀の性体験に関するトラウマは環菜のそれの比ではないということ。正直なところ、なにが由紀をそこまで環菜の取材および真相究明に駆り立てるのかが分からなかった。『 さんかく窓の外側は夜 』や『 名も無き世界のエンドロール 』も映像化に際してかなり原作が改変されているようだが、本作もやはり原作には映像化しづらいエピソードがあるのだろう。事実、「あなたは母親に愛されなかったからセックス依存症になった」という由紀の指摘は、やや的外れに感じた。「母親に虐待されたから、暴力的なセックスをするようになった」という分析なら理解できる。また、由紀は環菜のような“笑うこと”、“自分で自分を傷つけること”といった防衛機制を作り上げていない。そこからどのように自分自身のファーストラヴにたどり着いたのかが見事なまでに抜け落ちている。原作におそらくあったであろう、そうしたエピソードこそ映像化にトライしないと、単に映画人が小説からネタだけ頂戴しているだけに思える。

 

演出もちぐはぐだった。回想シーンを印象的なBGMあるいは歌で飾るのは映画の常とう手段でそれ自体をクリシェだとか悪いものだとは思わない。問題は、同じ手法を短時間の中で連発すること。寿司屋で大将に「お任せで」と言ったら、玉子焼き→エビ→玉子焼き→エビ、と出されたようなものである。また芳根が面談の場で荒れ狂うシーンもスローモーションとBGMで誤魔化してしまった感がある。環菜の心の闇の濃さと深さを見せつけるせっかくの機会を、なぜに陳腐な演出で潰してしまうのだ?

 

最終盤の法廷シーンでもBGMがノイズになった。環菜が訥々と、しかし切実に自身の過去および心理を述べるシーンの静かな迫力は『 閉鎖病棟 それぞれの朝 』の小松菜奈のそれに比肩しうる。問題はBGM。完全に不要。「はい、ここで物語が盛り上がっていますよ~」と言わんばかりのBGMが、芳根の渾身の芝居をスポイルしていた。役者の演技はどれも悪くなかったのだから、どうすれば観客にそれが最大限伝わるのかをもっと真剣に模索すべきだ。

 

完全なる邪推なのだが、「髪を切る」というエピソードは原作には存在しないと推測する。『 花束みたいな恋をした 』でも感じたが、男が女の髪に触るというのは、今では普通のことなのだろうか。そこまでは認めてもよい。だが、出会って間もない女性の髪を切るというのは蛮行もいいところだと思うし、本当にそんなことが出来るのは腕と弁の立つ美容師か、究極のオラオラ系のホストぐらいだろう。

 

総評

俳優陣は皆、良い仕事をしている。一方で演出や編集、また原作からの脚本起こしに粗が見られる。原作小説を高く評価する人はスルーすべきかもしれない。北川景子や中村倫也のファンならば観ても損はない。得をするかどうかはファン度による。堤幸彦監督は良作だと駄作を交互に生み出すお方であるが、本作は可もあり不可もある作品に仕上がっている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

souvenir

「お土産」の意。旅先から持って帰って来るものを意味する。決して「夜遅くまで飲んでしまったから、嫁に手土産でも買っていくか」という類のものではない。それはgiftと呼ばれる。Souvenirという語に含まれるvenは、ラテン語で「来る」の意。カエサルの「来た、見た、勝った」=Veni, vidi, viciでお馴染みである。こうした語彙素の知識があれば、event = 出てくるもの = 出来事、prevent = 前に来る = 予防する、revenue = 後ろに来る = 収入、intervene = 間に来る = 介入する、などの様々な語も理詰めで覚えることができる。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, サスペンス, 中村倫也, 北川景子, 日本, 監督:堤幸彦, 窪塚洋介, 芳根京子, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 ファーストラヴ 』 -窪塚洋介に惚れろ-

『 サイレント・トーキョー 』 -竜頭蛇尾のグダグダのサスペンス-

Posted on 2020年12月9日2020年12月13日 by cool-jupiter
『 サイレント・トーキョー 』 -竜頭蛇尾のグダグダのサスペンス-

サイレント・トーキョー 30点
2020年12月6日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:佐藤浩市 石田ゆり子 西島秀俊 中村倫也 広瀬アリス 井之脇海
監督:波多野貴文

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トレイラーを観る限りはなかなか面白そうだった。だが本作は地雷であった。『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』並みに無能な警察、そして筋の通らない論理で動くテロリスト。邦画サスペンスの珍品である。

 

あらすじ

12月24日、クリスマス・イブ。恵比寿ガーデンプレイスに爆弾が仕掛けられたという通報がテレビ局に入る。アルバイトの来栖(井之脇海)ら向かったところ、山口(石田ゆり子)という主婦が座るベンチに爆弾が仕掛けられていた。すぐに警察を呼ぶが、予告通りに爆発が起こり・・・

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ポジティブ・サイド

渋谷の駅前はなんと作り物のセットだと言う。これには驚いた。ちょっと頑張ればCGでごまかせそうだが、そこにフィジカルな実体を与えるところに波多野貴文監督のこだわりを感じた。

 

セットだけではなく、クリスマスの渋谷らしさもよく描けている。お上がいくら自粛を要請しても、出かける人間は出かけるのである(そう、映画館に向かってしまうJovianのように)。同じく、警察がいくら交通を規制しても、アホなYouTuberや騒ぎたいだけの若者は渋谷という街に集ってくる。そのことは例年のハロウィーンで我々は嫌というほど知っている。そうした群衆の描き方が真に迫っていた。

 

野戦病院と化した渋谷近くの病院も、まるでコロナ患者にひっ迫されている大阪の医療現場のようであると感じられた。不謹慎極まりないが、本当にそのように映った。行ってはいけないとされている場所に、自分のみならず友人を連れて行ってしまった。そこで友人がダメージを負ってしまった。コロナ禍の今という時代と映画の世界が不思議にシンクロして、そこに広瀬アリスの絶望的な表情と悲鳴がスパイスとして効いていた。

 

政治的な主張もあり、単なるエンターテインメント以上の作品を志向したことだけは評価したい。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201209180256j:plain
 

ネガティブ・サイド

以下、ネタバレに類する情報あり

 

これも『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』と同じで、開始5分で真犯人が見えてしまう。30キロの重さがかかっている間は爆発しない爆弾を、誰が、いつ、どこでベンチに取り付けたというのか。そして、あの爆弾の仕掛けられ方で、どのようにベンチの対する荷重を算出しているのか。そして、石田ゆり子その人が座っている時に地面にしっかりと両足をつけてやや前傾姿勢になっていたが、これだとベンチにかかる荷重は下手したら体重の半分くらいになるのでは?石田ゆり子の体重を勝手に55キロ、冬場なので服装で1キロ、手荷物も1キロと考えると57キロ。かなり雑な計算だが、それでもちょっと姿勢を変えただけでも爆発するのでは?という疑念を生むには充分だろう。もうこの時点でストーリーに入っていけなかった。

 

だいたい警察は何をやっているのか。恵比寿ガーデンプレイスの防犯カメラの記録映像を確認すれば、一発で済む話ではないか。犯人が要求する総理大臣との対話まで何時間あったのか。西島秀俊演じる刑事も無能の極み。最初のゴミ箱に仕掛けられた爆弾が真上だけに爆風が向くように行動に計算されていたのを知って、「犯人は誰も傷つけるつもりはなかった」って、アホかーーーーーーーー!!!その瞬間にごみを捨てる人がいたら、金属製のふたが顔面または前頭部に直撃して大怪我するやろ、下手したら死ぬやろ。そんな想像力すら持ち合わせず、なにを腕利き刑事ぶっているのか。この時点で捜査する側のキャラクターを応援する気が失せてしまった。

 

渋谷関連のシーンでもそう。井之脇海演じる来栖など、最重要指名手配になるだろう。パスポート写真や運転免許証写真の情報、それにYouTubeに動画をアップした経路など、あらゆるルートであっという間に身元と居場所(少なくとも動画撮影した部屋)は警察が突き止めるだろう。でなければおかしい。そして、全捜査員がこいつの顔を覚えた上で、出動しているはず。その中で渋谷駅前のビルの屋上に昇ったというのか?マスクや覆面などしていれば、絶対に警察官に呼び止められるはずだが。来栖というキャラの恵比寿から渋谷までの移動に現実味が全くない。製作者は警察をコケにしすぎやろ・・・

 

中村倫也のキャラも全く深掘りがされていないため、物語に何の深みもエッセンスも加えていない。アプリ制作で名を上げただの、叔父叔母と横浜で会うだの、母親と電話で話すだのといったシーンのいずれもが皮相的すぎる。50メートル離れていたから大丈夫って・・・ ハチ公からどちらの方向なのか。なぜ50メートルなのか。仮に50メートルが安全距離だとして、パニックになった群衆が走り出して、それに踏みつぶされてしまうといったことは想像できなかったのか。平和ボケを揶揄していたが、そういう自分も平和ボケした頭であることを露呈した非常に間抜けな瞬間だった。だいたい母親が結婚するから云々と語るぐらいなら、素直に警察に協力せよ。といっても、その警察も超絶無能集団ときては頭を抱えるしかないが・・・

 

最もうすっぺらく感じたのは「これは戦争だ」という戦争観。戦争というのは国家間でやるもの。テロリズムというのは国家ではない存在が対国家に暴力・武力を行使するもの。犯人のトラウマになった事象は、犯人側から見れば戦争の一側面だろう。しかし、もう片方の視点からすれば、それは紛れもないテロリズムである。このあたりを峻別することなく、身勝手なテロ行為に及んでも誰の賛同も得られない。もとよりテロに賛同するも何もないが、それでもテロリストが掲げる理想や大義の元にはせ参じる者が多く存在するのも事実。本作の犯人に共感する者はほとんど存在しないだろう。だいたい「あんな総理大臣を選んだ日本国民に復讐する」という時点で頭がおかしい。総理大臣を選ぶのは国民ではなく国会議員だ。狙うなら渋谷に集まった無辜で無知な民ではなく、それこそ国会議事堂や自民党本部などを狙うべきだった。

 

アホな警察にアホなテロリスト。そのテロリストにアホ扱いされる国民。製作者の描きたいものは分からないでもないが、波多野貴文その他のスタッフはもっと勉強をしなければならない。

 

総評

話の荒唐無稽さ、細部の描写の粗さを考えれば、似たようなテーマとキャストの『 空母いぶき 』よりもさらに下の作品。製作者たちの言わんとしていることは分からないでもないが、物語をプロット重視で進めるのか、キャラクター重視で進めるのか、その場合に求められるリアリティとは何なのかを、もう一度考え直してもらいたい。本作よりもゲームの『 428 〜封鎖された渋谷で〜 』の方が遥かthrillingかつunpredictableで面白い。政治に物申す爆破テロリストの物語ならガイ・フォークスにインスパイアされた『 Vフォー・ヴェンデッタ 』を観るべし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

This is war.

「これは戦争だ」の意。『 ジングル・オール・ザ・ウェイ 』でもシュワちゃんが発していた台詞。冠詞の説明ほど手間のかかるものはないので省略させてもらうが、warにaをつけるかつけないかを正しく判断できれば、英検1級レベルより上である(英検1級合格者でも間違えまくる人は数多くいる)。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, kな徳:波多野貴文, サスペンス, ミステリ, 中村倫也, 井之脇海, 佐藤浩市, 広瀬アリス, 日本, 石田ゆり子, 西島秀俊, 配給会社:東映『 サイレント・トーキョー 』 -竜頭蛇尾のグダグダのサスペンス- への2件のコメント

『 人数の町 』 -日本の片隅にあるディストピア-

Posted on 2020年9月13日2021年1月22日 by cool-jupiter
『 人数の町 』 -日本の片隅にあるディストピア-

人数の町 55点
2020年9月11日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:中村倫也 石橋静河 立花恵理
監督:荒木伸二

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『 君が世界のはじまり 』鑑賞前の予告編に本作があった。その乾いた空気感と謎めいた設定に胸が躍った。事実、本作はかなり味わい深い一品に仕上がっている。

 

あらすじ

借金取りに追われていた蒼山(中村倫也)は、不思議な男に窮地を救われる。そして、そのまま「人数の町」という不思議な町へと向かうことになった。そこでは働く必要もなく、誰にでも自由にセックスが申し込めるところだった。蒼山はそこで奇妙な生活を始めるのだが・・・

 

ポジティブ・サイド 

何とも奇妙な空間と人間たちの集まりでありながら、観る者をぐいぐいと引き込んでいく。派手な映像や音楽や演出があるわけではない。ただ、人数の町という場所のミステリだけで引っ張っていく。町にあるべき人通りや喧騒もなく、車の往来も信号もない。食料供給は謎。酒やたばこも手に入る。「ハイ、フェロー、○○○○ね」とあいさつの後に誉め言葉をつなげる決まり。フリーセックスが許されており、美女は男に苦労しない。そんな場所があるのなら自分でも住んでみたいと一瞬思うが、随所に挿入される意味深長な統計の数々が、否が応でも我々の思考を刺激する。なるほど、これはそういう物語なのか、と。一見、現実離れした人数の町だが、よくよく思い返せば日本の地方都市にはバブル時代から平成の半ばぐらいまで、アホかというほど意味のない建物を作りまくった過去がある。劇中で登場人物に説明的なセリフを一切喋らせることなく、また人数の町の秘密やカラクリを一切映像にすることもなく、ただただ現代日本と人数の町の関係を想像させる。この仕掛けは上手い。「豚が豚を食う」と揶揄するシーンがあるが、これはつまり人が人を食う社会の謂いであろう。

 

順応性が極めて低い男の役を演じた中村倫也は、『 水曜日が消えた 』よりも、さらに控えた演技が光った(というよりも『 水曜日が消えた 』のストーリーがあまりにダメだった)。状況になじめないがゆえに素直に周りの人間に尋ねてしまう。そうしたキャラ設定が状況とよくマッチしていた。観ている我々が疑問に思っていることをスッと訊いてくれる。その間がいい。そして、そうした蒼山の問いに時に優しく答え、時に冷たくあしらう謎の美女を演じた立花恵理の水着姿は眼福。というか、人数の町のフリーセックスの要素はほとんど彼女一人が体現していたが、日本人らしからぬ長身細身で出るところは出ているという役者さん。もっと(劇中とは違う意味で)追い込めば、もっとポテンシャルが発揮されそう。

 

石橋静河演じる紅子が異物として人数の町にやってきたところから物語は大きく動き出す。日本の闇というか、光と影が交錯する部分に「人数」が存在しているのだということが示される。人が社会的に存在するためには、人の役に立たなければならないという、一歩間違えれば功利主義・全体主義へ一直線の価値観を壊そうとあがく物語が展開される。何が言えば即ネタバレという種類の作品であり、なおかつ解釈の余地を狭めてしまうという、なんとも通好みの作品ではある。弱点は色々と見えているが、脚本がオリジナルな邦画として、非常に野心的な作品が生み出されたと言える。

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ネガティブ・サイド

BGMや音響が使用される頻度が極めて低い。それはある演出のためでもあるのだが、それでもこの謎めいた町を描写するのには映像やセリフだけではなく、それにふさわしい音楽が必要だったと思う。ピアノ独奏のBGMはなかなかに雰囲気があってよかったが、もっと人数の町という異様な空間を際立たせるBGMが求めらていたように思う。例えば、どういうわけかJovianの耳には北野武の『 その男、凶暴につき 』のあのBGMが流れてきた。それだけ耳が寂しかったのと、人間の発する音が排除された人数の町そのものが発する音を感じたかったのだろう。

 

人数の町そのものにはリアリティがあったが、町の外の行動にはリアリティがなかった、ツッコミどころは色々とあったが、一番は(疑似)テロ事件だろうか。なぜわざわざ目立つ方法で人数を得ようとするのだろうか。意味が分からない。

 

他にも“戸籍が無い”という理由で色々と住民サービスを受けられなくなる描写があるが、これは個人的にはあまりピンとこなかった。戸籍がなくとも自分という存在を証明する方法はいくらでもあるからだ。小学校や中学校だと顔が変わっている可能性が高いが、高校生にもなれば大人の顔が出来上がっているはず。中村倫也は役所でダメなら、自分の出身学校を頼るべきだった。あるいは、メディアや弁護士同伴で警察に出向くべきだった。町の外のあれやこれやの考証が不足していたように思う。おそらく、全編が町の中で展開されるストーリーなら、もっと違う味わいが生み出せたのではないかと思う。

 

石橋演じる紅子が人数の町にやってくるまで、そして人数の町で中村と共闘するようになるまでの流れや、町の外への逃亡後の展開も粗っぽいことこの上ない。いくら追い詰められているからといっても、成熟した大人の行動には見えなかった。バス内であっさりとスマホを没収されるが、点検係には最後にもう一度金属探知機をかざせと言いたいし、怪しげな治験を担当しているコーディネーターっぽい女性も、相手が薬を飲んだ直後に「今日はもう結構です」とは・・・。そこから3時間ごとに定期的に血液検査などをするのが常道だろう。明らかに国家権力が絡んだ町にしては、ディテールに穴が多すぎた。

 

総評

中村倫也というスターの素材を十分に料理できたとは言い難いが、中村でないと出せない味は確かに出ていた。また現代日本に対する独特の視線も感じられ、それが何とも言えない余韻を残す。細かい点には目をつむって観るのが吉である。あれこれと自分の脳内で情報を補完するのが好きなタイプの映画ファンにお勧めしたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

fellow

日本語でフェローと言えば大学や研究機関に身分を持った者を指すが、英語では「仲間」や「同士」を意味する。特定の組織や共同体に属する仲間という意味合いが強い。極端なフェローの物語が観たければ『 グッドフェローズ 』(原題はGoodfellas)をお勧めしておく。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ミステリ, 中村倫也, 日本, 監督:荒木伸二, 石川静河, 立花恵理, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 人数の町 』 -日本の片隅にあるディストピア-

『 水曜日が消えた 』 -竜頭蛇尾の邦画ミステリ-

Posted on 2020年6月22日2021年1月21日 by cool-jupiter
『 水曜日が消えた 』 -竜頭蛇尾の邦画ミステリ-

水曜日が消えた 30点
2020年6月20日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:中村倫也 石橋菜津美 深川麻衣
監督:吉野耕平

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多重人格ものと記憶喪失もの、そしてタイムトラベルあるいはタイムパラドックスものは、たいてい始まりは抜群に面白い。その面白さをいかに維持するか、それが共通のテーマとなるが、それに成功した作品はごく少数である。本作はどうか。Fizzle outした。

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あらすじ

幼い頃の交通事故の影響で“僕”(中村倫也)は曜日ごとに異なる人格に入れ替わるようになってしまった。成長し、各人各様に生きるようになった“僕”だが、その中でも火曜日は掃除やゴミ捨てなど損な役回りを押し付けられていた。だが、ある日、目覚めてみると、水曜日だった。“水曜日”が消えて、“火曜日”が火曜と水曜を生きるようになったのだ。火曜日はいなくなった“水曜日”を不審に思いながらも、水曜日の生活を堪能するのだが・・・ 

ポジティブ・サイド

“火曜日”と深川麻衣とのロマンティックな関係が、平凡ながらも幸せの意味を実感させる良いシークエンスだった。テレビドラマ『 まだ結婚できない男 』でなかなか売れない芸能人役がハマっていたように、元がアイドルとは思えない地味さが深川麻衣の魅力だ。褒めている。決してけなしてなどいない。実際に本人を目の前にしたとすれば、相当にキュートであろう。しかし、スクリーンで見ると地味なのだ。そのギャップが良いのである。

 

“僕”の友人を演じた石橋菜津美もなかなかに奥ゆかしい。ベリーショートで、体の曲線をまったく感じさせない服装で、言動もかなりの男前。その一方で、そうした態度はすべて“僕”への好意の裏返しであることがバレバレというとても分かりやすいキャラ。そんな人物が「じゃあ、深夜らしいことするか」というシーンは、「お?お色気シーンがあるのか?」と期待させてくれた。もちろん、そんなものはない。『 月極オトコトモダチ 』はやはりファンタジーだ。そういったサバサバ系女子の因果は、ちゃんと後半に明らかにされるし、そこにはそれなりの説得力がある。

 

“火曜日”が別の人格とコミュニケーションを取るシーンの演出はそれなりに斬新か。どこか初代『 グレムリン 』を思わせる深夜のルールも、序盤から中盤のサスペンスを効果的に盛り上げている。

 

ネガティブ・サイド

なんというか、プロットだけ見れば『 セブン・シスターズ 』と『 ジョナサン -ふたつの顔の男-   』を足して2で割ったようなストーリーである。つまり、オリジナリティが無い。他に類似作品としては新城カズマの小説『 サマー/タイム/トラベラー 』の某キャラや漫画『 嘘喰い 』の某キャラなどが挙げられる。とにかくキャラクター設定が陳腐だ。

 

また多重人格ものの定石として、物語の割と早い段階でそれぞれの人格がいかに異なり、独立したものであるのかをオーディエンスに明確に示す必要がある。観客の一定数は役者の演技力を堪能したいがために鑑賞しているからだ。そうした意味でも、本作の構成には不満が残る。『 スプリット 』のジェームズ・マカヴォイのレベルは別に求めない(そんなことができる役者は世界的にも40~50人しかいないと思われる)。しかし中村倫也の一人七役というのは過剰広告であった。実質的には一人二役で、それも正反対のキャラクター。こういうのは非常に演じ分けやすく、はっきり言って役者のポテンシャルをとことんまで引き出す演出にはなりにくい。スマホの録画機能で対話するシーンは現代的だが、それも『 ジョナサン -ふたつの顔の男- 』が似たようなことを先に行っている。スマホと対話するのではなく、スマホで録画するシーンを交互に映し出せなかったか。あるいは、スマホを右手に構えながらシームレスに人格同士が語り合うシーンは撮れなかったか。そこまでやらないのなら多重人格ものを撮る意味は薄い。

 

映像演出の面でも不満が残る。割れたサイドミラーに映る鳥が分裂していくのは、どう考えても『 スプリット 』のジャケットやポスターの二番煎じだし、そもそもそのシーンを繰り返し再生しすぎである。またキーとなる図書館が『 図書館戦争 』 のそれ。もっと別の図書館を探せなかったのか。同じ図書館を使うにしても、上方からの俯瞰のショットや、円周部分の書棚など、『 図書館戦争 』で飽きるほど見た構図である。もっと別の角度からのショットを監督や撮影監督は模索すべきでなかったか。

 

腑に落ちないのは、“火曜日”の態度。普通は“水曜日”が消えたら、第一に「自分も消えてしまうのではないか」という恐怖、第二に「他にも消えている曜日がいるのではないか」という疑念を抱くはずである。そうはならずに、いきなり未知の水曜日を楽しんでしまうところに、とんでもないご都合主義およびDIDへの無知と無理解を感じた。『 スプリット 』のカウンセリングシーンや『 ISOLA 多重人格少女 』を観ろ、そして原作小説『 十三番目の人格 ISOLA 』を読めと吉野耕平監督に強く言いたい。『 セブン・シスターズ 』も“月曜日”が姿をくらませたことで残りの曜日たちは大混乱に陥ったではないか(あちらは七つ子だが)。普通に考えれば10年単位で付き合いのある人間がいなくなれば困惑するだろう。あるいは、“水曜日”が水曜日を拒否したくなるような出来事があったのかと、水曜日に警戒することはあっても、ウキウキはしないだろう。七重人格という設定だけを先走らせて、人間というものが描けていない。

 

“僕”の面倒を看るべき医療関係者たちの目も節穴なのだろうか。脳への器質的なダメージでDIDを発症した、あるいは器質的なダメージの回復過程でDIDを発症したということは、“各曜日”との面談(カウンセリング)とメディカル・チェックが人格の独立あるいは統合という、いわゆる治療への道筋を立てるための大きなカギとなる。それを火曜日に“火曜日”相手にしか行っていない。アホなのだろうか。脚本および監督を務めた吉野耕平は、どこまで取材し、どこまで考察し、どこまで七重人格へリアリティを付与しようと努力したのか。おそらく満足にしていない。様々な先行作品の色々な要素をつまみ食いしただけの企画に予算とゴーサインを出した配給会社と制作委員会の罪である。ということは邦画という産業構造の罪でもある。勘弁してくれ。

 

メインキャスト以外の演技が総じて学芸会レベルである。特にきたろうと若い医者。これで出演料を受け取っていいと感じているのか。監督も何テイク撮ったのか。編集にどこまで関わったのか。どこまで現場で演出や演技指導をしたのか。せっかく昨今珍しい小説や漫画原作ではない邦画だというのに、この出来はあまりにも無残であり残念である。

 

総評

邦画のダメなところが凝縮されたような作品である。映画館が徐々に日常(withコロナだが)を取り戻しつつある中、割と楽しい気分で劇場に向かったのだが。これがTOHOシネマズ梅田のScreen 1というスクリーンの大きさと画質、そして音質に優れた劇場でなければ、もうマイナス5点したい。それぐらいの酷い出来である。某映画サイトなどで好評レビューが多いが、サクラだと思いたい。そうでなかれば映画ファンの劣化も甚だしい。というのはさすが言い過ぎか。はっきり言って中村倫也のファンでなければ、観る価値は極小である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

get along

劇中で火曜日の言う「僕たち、仲良いんだよ」を英語にすれば、“We get along.”となるだろうか。A and B get along. = AとBは仲良くやっている、We get along = 僕たちは仲良くやっている、である。一定以上の世代の人間ならば“We can get along together.”と言えば通じるだろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, ミステリ, 中村倫也, 日本, 深川麻衣, 監督:吉野耕平, 石橋菜津美, 配給会社:日活Leave a Comment on 『 水曜日が消えた 』 -竜頭蛇尾の邦画ミステリ-

『 屍人荘の殺人(映画) 』 -原作をさらにライトに仕上げた映像作品-

Posted on 2019年12月15日2020年4月20日 by cool-jupiter

屍人荘の殺人 50点
2019年12月14日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:神木隆之介 浜辺美波 中村倫也
監督:木村ひさし

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『 屍人荘の殺人(小説) 』の映画化である。しかし、原作小説の忠実な映像化ではなく、一応ちょっとした変化を織り交ぜている。なので原作を読んだ人も、興味があれば映画館に足を運んでもよいだろう。それなりに面白い出来に仕上がっている。

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あらすじ

大学のミステリ愛好会の明智恭介(中村倫也)と葉村譲(神木隆之介)は、同じ大学の探偵少女・剣崎比留子(浜辺美波)の誘いで、ロックフェス研究会の夏合宿に参加することとなった。宿泊先は紫湛荘。しかし、その別荘が屍人荘に変貌。外部の人間も数人交えて閉じこもるメンバーたち。そこで密室殺人が起きてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

『 センセイ君主 』で強く感じたことだが、浜辺美波の真骨頂はコメディエンヌを演じることかもしれない。本作でも非常に理知的な探偵を演じながらも、本質的には普通のお茶目なところもある女子大生になれていた。

 

中村倫也は顔芸で、神木隆之介も心の声でコメディを盛り上げる。特にサノスばりの指パッチンは明智恭介というキャラの切れ者ぶりと間抜けっぷりの両方を描き出す効果的な演出となった。言わずと知れた明智小五郎の明智の名前を冠しているだけあり、高等遊民の雰囲気を醸し出している。そしてワトソン役の葉村は、心の声がダダ漏れの、ある意味では非常に等身大のミステリ愛好会員であった。ミステリの世界に浸り過ぎたせいで、可愛いあの子との距離の縮め方が分からないという、『 桐島、部活やめるってよ 』で橋本愛にドギマギしていたあの姿が思い起こされた。

 

原作小説からのキャラも、映画オリジナルのキャラも、本作ではとにかくユーモアを前面に押し出している。それはやはりとある「舞台装置」とのバランスの為なのだが、それが効果的に機能している要因に、昨年公開の邦画『 カメラを止めるな! 』が挙げられる。また韓国映画の『新感染 ファイナル・エクスプレス 』や『 ゾンビランド:ダブルタップ 』など、このジャンルは常に新しいアイデアが投入されるものだ。ここでもどういうわけか、とあるプロレスラーが参戦してくる。非常に滑稽であり、恐怖でもある。その比率は9:1で、もちろん滑稽が9で恐怖が1である。そこかしこで笑えるのが本作の大いなる特徴である。

 

グロいはずの描写もレントゲン写真的に処理され、グロ耐性の無い人への配慮がされている。これはありがたい。おかげでデートムービーに使うこともできる。推理を楽しみたいという向きにも、それなりにフェアな材料提示がされている。ライトなミステリ好きにとってもそこそこ楽しめるように作られている。

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ネガティブ・サイド

原作小説もそうであったが、ハードコアなミステリファンを唸らせるような出来にはなっていない。序盤でこれ見よがしに、とある人物の不在をアピールしたり、マスターキーを濫用したりと、少々過剰サービスとも思える描写や演出が気になった。また原作にはない明智の台詞、「事件はまだ起きてはいないが、犯人は分かった」という台詞は、原作を読んだ者にとっては完全なるノイズである。原作未読者でも、すれっからしの人であれば、すぐにピンと来たことだろう。ライトなファンへの配慮かもしれないが、ハードなファンには雑音である。このあたりのバランス感覚にもう少し敏感になることが木村ひさし監督には求められる。

 

また、ギャグの面で滑っているものもあった。「迷宮太郎」はその最たるものだろう。キャラクターにしても、原作ではマニアか学者かというキャラが、映画では『 ショーン・オブ・ザ・デッド 』を鑑賞しながらニヤニヤしているだけ。また、このキャラの分析によって推理が進み、またサスペンスも生まれるのだが、そうした要素をほぼ全カット。ユーモアを前面に押し出してきたのは、サスペンス路線を放棄したからだという見方も成り立つ。事実、本作の「舞台装置」に対してのキャラクター達の対策はお粗末もいいところである。

 

また映画オリジナルの要素に関しては、現実的な感覚が欠けている。一番に思うのは、「スマホの画面ロックをしないのか?」である。この映画の一番の客層あたりは、この点だけで真相はともかくも犯人を当ててしまってもおかしくない。

 

原作にあったちょっとしたお色気どぎまぎ要素をキスに置き換えているにもかかわらず、肝心のキスシーンもなし。そこは比留子に大真面目な顔で『 覚悟はいいかそこの女子。 』の小池徹平と同じで投げキッスさせれば良かったのだ。そういうサービスシーンすら思いつかなかったのか。

 

最終盤に明智と比留子が再対決。そんなアホな。原作のマイナス要素だったシリーズ化への野望が、映画本編ではかなり薄まっていたにもかかわらず、ここでそれをやるか?しかも、自分が葉村ならば、この展開で比留子についていこうとは決して思わないだろう。続編(『魔眼の匣の殺人 』)も映画化するなら、少なくとも監督は変えてもらいたい。

 

総評 

浜辺と神木の掛け合いを楽しむ作品である。推理についてはライトなファン向け、○○○要素についてもライトなファン(このジャンルにそんな層が存在するのか疑問だが)向け。結局のところ、高校生や大学生カップルが一番の客層になるだろうか。悪い作品ではない。しかし手放しで褒められる作品でもない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話

Awesome!

劇中の「すごい!」である。ただし、Awesomeは「すごい」、「素晴らしい」といった意味以外にも、リアクションで使われることも多い。

A: Can you get this job done by the end of the day?

B: Sure. No problem.

A: Awesome.

などのようにも使える。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, コメディ, ミステリ, 中村倫也, 日本, 浜辺美波, 監督:木村ひさし, 神木隆之介, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 屍人荘の殺人(映画) 』 -原作をさらにライトに仕上げた映像作品-

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  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に 匿名 より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に cool-jupiter より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に イワイリツコ より

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