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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: ロマンス

『君が君で君だ』 -この映画に共感する人は犯罪者予備軍か熱心な映画ファンか-

Posted on 2018年7月20日2022年2月20日 by cool-jupiter

君が君で君だ 65点

2018年7月19日 梅田ブルク7にて観賞
出演:池松壮亮 キム・コッピ 満島真之介 大倉孝二 YOU 向井理 高杉真宙 光石研
原作・脚本・監督:松居大悟 

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韓国から日本にやってきたパク・ソンヨン(キム・コッピ)にストーカー行為をする尾崎豊(池松壮亮)、ブラッド・ピット(満島真之介)、坂本龍馬(大倉孝二)の話である。以上、終わり。で、済ませてもよいが、それではあまりに芸が無いし、不親切であるし、記録にもならない。ストーカー映画というジャンルが映画において確立されているかどうかは寡聞にして知らないのだが、小説には傑作がいくつもある。Jovianの印象に強く残っているのは大石圭の『アンダー・ユア・ベッド』と吉村達也の『初恋』である。Amazonの関連商品を見るに、まだ他にもたくさんの未読の傑作がありそうだ。

元々、ブラピが恋人に振られた日に、尾崎とやけくそカラオケをしていた店で働いていたのがソンヨン、通称ソンであった。その夜、繁華街で酔った勢いで誰かれ構わず難癖をつけて行くブラピと尾崎は、女性に絡むチンピラに勢いで特攻する。当然返り討ちにあうわけだが、ソンがビール瓶を割って、男たちを脅かすことで事態は収拾。怪我で流れた血をハンカチで拭ってくれたソンに、二人は一気に恋に落ちる。そこにソンの元彼の坂本龍馬も加わり、ソンの家の裏手のアパートを借り、3人でソンを守る国を建国し、日夜ストーカー行為に励む。そんな奇妙な生活も10年目になっていた・・・

ストーカーという概念が認知されるようになったのはいつごろだったか。個人的に思いだせるのは、確かテニス選手のマリー・ピアースが元彼だったか父親だったかに付きまとわれていて、警察に相談した。裁判所は男の方に、半径20mだか50mだかに近づいてはならないと命じた、というような話をテニス中継の実況中に聞いた覚えがある。現代ではストーキングは、単に物理的に付きまとうだけではなく、ゴミ漁りや盗聴、無言電話および実際の電話、さらにはSNSでのストーキングなど、その行為のエスカレートする一方のようだ。

尾崎、ブラピ、坂本の三人は、ソンを姫に、そして自らを兵士に譬える。これは上手い比喩だ。軍の格言に「良い兵士とは考えない兵士だ」というものがある。言い得て妙であろう。軍の作戦行動には大抵の場合、損耗が織り込まれている。その現実を頭から追い出せないような者は従軍などできはしない。この三人組も同工異曲である。自分たちの好意を客観視できれば、このような犯罪行為を続けられはしないし、ソンが同居の恋人(高杉真宙)から虐待されるのを盗聴していながら、それを助けず、通報もせず、不気味な祈祷に耽る姿には嫌悪感を抱くしかない。

ことほど然様に狂った男たちを現実に呼び戻せるものは何か。本作のその回答として、カネと暴力を提示する。ソンの恋人が作った借金の取り立てにやって来る。友枝(向井理)とそのボスの星野(YOU)である。2人は彼らの国の入管を経ずに文字通り土足で入り込んでくる。それでも3人組は偏執な愛情を変えることなく、なぜか王子に借金返済の手伝いをさせて下さいとまで申し出る。ここまで来るとコメディだが、彼らの執拗な愛情に純粋さと美しさを見出した借金取りたちにも変化が表れ始める・・・

この映画の結末は賛否両論を巻き起こす。それは間違いない。しかし、純愛派が賛成するわけではないだろうし、否定派が異常な愛情そのものを否定するわけではないだろう。そのことは友枝というキャラクターの「自分は半端でいいっすわ」という台詞とその後の言動に現れる。おそらく中途半端なスタンスを取る、この結末を受け入れることができる自分と受け入れられない自分がいるというモヤモヤ感を良しとできれば、それで良いのではなかろうか。

エンドクレジットは絶対にその目に焼き付けてほしい。こういう効果を狙って松居大悟監督はこのようなキャスティングにしたのだろうか。自分がストーカー被害に遭うことも、自分自身がストーカーになることも、これはどちらも起こりうる。観客という立場からこの物語を眺めていた自分の頭を、監督にガツンと殴られたかのような衝撃を感じるクレジットであった。あのタイミングで、最後にYOUとか表示されたら、「え、俺もこの映画に登場してたの?」みたいになるでしょうよ、そりゃあ。惜しむらくは、“女子高生の頃から20年間同じ女性にストーカー行為をしていた男が逮捕された”というニュースが割と最近あったことで、映画のインパクトが薄まってしまった感は否めない。そういえば福山優治の『そして父になる』も、そんな感じだったな。現実は時に映画よりも奇なり。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, キム・コッピ, ロマンス, 日本, 池松壮亮, 監督:松居大悟, 配給会社:ティ・ジョイLeave a Comment on 『君が君で君だ』 -この映画に共感する人は犯罪者予備軍か熱心な映画ファンか-

『コクリコ坂から』  -戦争の傷跡残る時代の青春群像劇-

Posted on 2018年7月19日2020年2月13日 by cool-jupiter

コクリコ坂から 65点

2018年7月18日 レンタルDVDにて観賞
声の出演:長澤まさみ 岡田准一 竹下景子 石田ゆり子 柊瑠美 風吹ジュン 内藤剛志 風間俊介 大森南朋 香川照之
監督:宮崎吾朗 

ジブリっぽいイントロから、韓国ドラマにありがちな展開に進み、最後はきれいに着地をした。そんな印象の作品である。1963年という第二次大戦の終了後10年を経ていない時代に生きる高校生の海(長澤まさみ)、通称メル。フランスで海の意である。よく言われることであるが、日本語では「海」の中に「母」がおり、フランス語では「母」の中に「海」がある。イントロはまさに無言のままに海というキャラクターの属性を描き切る。それは母親の不在を見事にカバーする母としての海である。海たちが住むコクリコ荘は太平洋に臨み、妹の空と弟の陸、祖母の花、その他の居候たちと穏やかに暮らしていた。陸海空と聞けば、それだけで軍を想起するが、海の父親も海軍の軍人で、朝鮮戦争で戦死していた。海はそれでも父の眠る海に向けて、信号旗を毎日上げる。それに応える詩が、学校で発行される週刊カルチェラタンに掲載され、それを読んだ海は顔を赤らめる。私情ではなく詩情にほだされるところが時代の違いをあらためて浮き彫りにしている。

そんな海はある日、学生食堂で友達と食事をしている時に、カルチェラタンという学校の部室棟を取り壊すという計画に抗議するため、校舎の屋根から貯水池に飛び込んだ男子に手を差し伸べた。風間俊(岡田准一)との邂逅である。田舎育ちの今の70歳代ぐらいの親戚に言わせれば、「手をつないだら、もう相手には妊娠するものぐらいに感じていた」と言う空気が当時はあったらしい。しかし舞台は横浜。神戸や長崎と同じく、いやそれ以上に先進的で開けた都市だ。メルもそこまでうぶではなかった。本当の意味でメルが俊にキュンとなるのは集会の場だったのだろう。カルチェラタンの取り壊しに賛成する生徒と反対する生徒の弁論による対決である。俊は高らかと述べる、「古いものを壊すのは、そこにある文化や歴史を壊すのと同じではないのか」と。何というマルキズム! 何という唯物史観的思考!おそらく今の(2010年代)の高校生でも同じように考える者はいるだろうし、それは原作発刊当時の1980年代でも同様だろう。ただ、そうした知識や思考を彼ら彼女らがどこでどのように得たのかを思うと、感動に近いような気持ちになる。Wikipediaがあるような時代ではないのだ。戦後10年も経ない時代、脱亜入欧政策は失敗だったと認めつつも、学ぶべきものは素直に学び、間違いであると思えるものに対しては疑義を差し挟むことを恐れない若者が本当にいたかどうかは別にして、学生運動とはそういうものだったはずだ。現に我々は、かなり頼りない存在および現象に映っていたが、SEALDsという物言う若者の集団に、ポジティブな意味でもネガティブな意味でも、大いに刺激を受けたではないか。そういうわけで、メルが弁論する俊にコロッといってしまっても不思議は無いわけだ。というか、相手を曲学阿世と罵ることができる高校生が今日日、どれくらいいるだろうか。まあ、こうした言葉がどのような人間を指すのかを、我々が原発擁護に血道を上げる東大教授達の姿を見て知るわけである。

閑話休題。メルと俊の二人は順調に距離を縮めるが、ある戦争の傷跡が二人の間に壁を生じさせる。それでもカルチェラタンの大掃除や週刊誌のガリ版の原稿作りなどを通じて健気につながりを保つ二人にしかし、そのカルチェラタン取り壊しが正式に決定したという悲報が届く。生徒会長の水沼と二人は理事長に直談判しに、東京へ向かうが・・・

ここまででクライマックスの手前になるのだが、かなりテンポよく物語が進む。近所のTSUTAYAで借りてきてから1回通して観て、その後英語字幕で2回観た。ペーシングが素晴らしい。無駄なカットや台詞が一切排除され、物語を引き締めている。その一方で、主題は若い2人のほろ苦すぎる青春である一方、戦争の残した爪痕がテーマとして重くのしかかるストーリーでもある。話の重要な舞台装置であるカルチェラタン同様に、かなり衒学的な要素もあり、正直なところ、中高年がノスタルジアに浸るには良い作品だが、現代の青少年に、上辺の物語の底に流れる重いテーマを消化してほしいと願うのは少々しんどいかもしれない。お盆の帰省で田舎に帰る大学生や、もしくはそうした都会から帰って来て携帯をいじるくらいしかすることがない大学生と一緒に、家族や親せきと観賞するのも一興かもしれない。『火垂るの墓』では重たすぎるから。

本作は、観終った直後にもう一度、イントロのシーンに戻って欲しい。全く同じ構図のシーンが音楽の違いだけで観る者に全く異なる印象を与えてくれることに軽い驚きを覚えることだろう。その他、複数回の観賞に耐えるディテールへのこだわりも多い。観る人は選ばないが、楽しめる、もしくは何かを得られるという人をかなり選びそうな作品である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, アニメ, ロマンス, 岡田准一, 日本, 監督:宮崎吾朗, 配給会社:東宝, 長澤まさみLeave a Comment on 『コクリコ坂から』  -戦争の傷跡残る時代の青春群像劇-

『虹色デイズ』 -裏のヒロインは日本版スウィート17モンスター-

Posted on 2018年7月19日2020年2月13日 by cool-jupiter

虹色デイズ 60点

2018年7月16日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:佐野玲於 中川大志 高杉真宙 横浜流星 吉川愛 恒松祐里 堀田真由 坂東希 山田裕貴 滝藤賢一
監督:飯塚健

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180719003056j:plain

男子校のノリを共学に持ちこんだら、きっとこんな感じなのだろう。もしくは男子寮か。Jovianはどちらもよく知っているのでなおさらそう感じた。男は基本アホな生き物だが、恋は盲目とはよく言ったもので、片思い中の男は本当にアホになる。ここで言うアホというのは認知的不協和を起こしているということ。毎朝必死で自転車をこいで、目当ての子の乗る電車に追い付いて、何とか話をして、タオルを貸してもらえるところまで行ったのに、連絡先も訊けない。なぜなら「そんなことはしてはいけないんじゃないか。不純ではないのか」と思いこんでしまうから。何も心理学用語を使うまでもなく、思考と行動に矛盾があることは分かる。

主人公は一応、羽柴夏樹=なっちゃん(佐野玲於)ということらしい。この男が上のような行動に出て、小早川杏奈(吉川愛)といかにお近づきになるのか。それがメインの物語である。ではサブのプロットは何なのか。夏樹の親友(悪友というか悪童連というか)に松永智也=まっつん(中川大志)、直江剛=つよぽん(高杉真宙)、片倉恵一=恵ちゃん(横浜流星)は夏樹の恋を応援しながらも、高2=17歳という難しい局面にいかに対峙すべきか、自分なりに模索し始める時期を自覚していた。進学どころか進級も疑わしい者、進学するにしても地元に残るのか東京を目指すのか、女友達に囲まれてそれなりに楽しく過ごすのか、恋をするのかしないのか、エトセトラエトセトラ。

はっきり言って、どこかで観たり読んだりしたようなサブプロットのモンタージュである。メインのストーリーも少年漫画の王道と少女漫画の王道を足して2で割ったような話である。だが古い革袋に新しい酒を入れると、存外に芳醇な味わいに仕上がることもある。そしてその味わいの多くは、ヒロインである小早川杏奈(吉川愛)ではなく、その友人の筒井まり(恒松祐里)から来ている。このまりは、まさに日本版の『スウィート17モンスター』のネイディーンである。もちろん、杏奈が自分の兄と衝動的に寝てしまうという展開などは無いので安心してほしい。ただ、この兄という存在が、まりがひねくれてしまった大きな原因であると同時に、その歪みを正すべき相手に対して、まさに兄らしい言葉を投げつけるところが本作のある意味で最も重要なハイライトである。山田裕貴は良い仕事をした。まりの変化と、それを引き起こし受け止めたまっつん(中川大志)も良い仕事をした。『ちはやふる 上の句』冒頭で野村周平に啖呵を切っただけの女子高生がここまで来たかと感慨深くなる。特に本屋では、このキャラの内面と周囲との関係性を一瞬で描き切る素晴らしいシークエンスがあるので注目して見てほしい。

もう一人、滝藤賢一演じる数学教師も、ほんのわずかしか登場しないものの、強烈なインパクトを残した。実際にこういう教師はいたし、今もいることだろう。特に追試に関しては、合格者ではなく落第者を発表するというところに、アメリカ横断ウルトラクイズ的な意地の悪さを感じた。この男が進路相談で直江に投げかける言葉は案外と重い。あの一言をポジティブに受け取るかネガティブに受け取るかで、その後の直江がガールフレンドとの関係を維持できるかどうかを問われて、返す言葉に対する解釈がまるっきり異なってくるからだ。これは脚本の大いなる勝利であろう。

メインを張った佐野と吉川は大いに奮闘したものの、あの決定的なシーンにあれだけのわざとらしさ-もしくは不自然さと言い換えても良い-が残ったまま、劇場で放映されてしまったというのは、監督が妥協したか、もしくは佐野か吉川のどちらかがギブアップしたのであろう。この点は大いにプロフェッショナリズムを欠いたとしか判断できず、減点材料だ。『娼年』を10回見てこいと言いたくなる。

サブのはずの中川と恒松の物語が、メインの佐野と吉川よりも前に出てきてしまったという、オムニバス形式で作ろうとしたものが、どこかで破綻してしまったような作品で、ヒロインの吉川は漂わせる橋本愛または堀北真希のような雰囲気に辛うじて救われたという印象である。戦国武将を思わせる名字だらけのキャストのいずれかを見たいというのであれば、チケット代分の満足は得られるだろう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, ロマンス, 佐野玲於, 日本, 監督:飯塚健, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『虹色デイズ』 -裏のヒロインは日本版スウィート17モンスター-

『耳をすませば』 -心の原風景の夢と将来叶えるべき夢-

Posted on 2018年7月15日2020年2月13日 by cool-jupiter

耳をすませば 70点

2018年7月11日 レンタルDVDにて観賞
出演:本名陽子 高橋一生
監督:近藤喜文

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180715141611j:plain

『故郷』に歌われるような、兎を追いかけられるような山も小鮒を釣れるような川もほとんど絶えて久しくなった現代でも、何故かこの歌には我々の本能的な部分に訴えかけるような力を有している。同じことが『カントリー・ロード』(原題:“Take Me Home, Country Roads”)についても言えるのだろう。この歌を聞いて『キングスマン:ゴールデン・サークル』を思い出す人もいれば、マニアックなところでは『エイリアン・コヴェナント』を思い起こす人もいるだろう。だが、日本の映画ファンの心に最も深く強く刻み込まれているのは本作『耳をすませば』ではなかろうか。

月島雫(声:本名陽子)は中三の受験生。家庭環境からか読書好き(bibliophile)に育った。Cinephile=映画好き、Bibliophile=本好き、ということである。自分が図書室から借りてくる本のいずれもが天沢聖司(声:高橋一生)という男子生徒に先んじん手借りられていることから、雫は相手をどんな男だろうと淡い幻想を抱くようになる。ある日、電車に乗っている奇妙な猫を追いかけていくと、「地球屋」という不思議な店に行きつく。その店の主人の孫が、何という奇縁か ― それとも必然か ― 天沢聖司だった。聖司の弾くバイオリンに合わせてオリジナルの作詞を施した『カントリー・ロード』を歌う雫、そこにimprovisationalに加わってくる店主とその音楽仲間たち。アンサンブルとしては日本アニメの中でも白眉であると思う。

中学を卒業したら、イタリアでバイオリン職人を目指すという聖司。『羊と鋼の森』は、もしかしたら本作に少し着想を得ていたりするのかもしれないと、ふとあらぬことも考えた。現代でも、本作の時代(色々と鑑みるに1980年代半ばか)でも、中学生にして職人の道を志す者は少ないだろう。しかし聖司の決意は固く強い。その確乎たる姿勢は好ましいものとして映るが、聖司に惹かれる雫にはどう映るのか。雫は聖司を引き留めようなどとはしない。むしろ、自分の進路が空虚なものであるかのように感じてしまう。しかし、雫には物語を紡いでみたいという欲求があった。学校の勉強などをほったらかして、全てを物語の著述に費やしてみよう。そして出来上がった作品を、まず聖司のお祖父さんに読んでもらおうと決心する雫。自分が中学生の頃、ここまで純粋にひたむきに、何かに打ち込んだ、誰かに感動させられたことがあっただろうかと自問させられた。

猫が重要な役割を演じる本作であるが、その猫がまた良い。まるで漫画およびアニメの『じゃりン子チエ』に出てきても違和感の無さそうな不思議な猫なのだ。もちろんムーンのことであって、バロンのことではない。バロンはというと、『銀河鉄道の夜』(猫アニメの方)に出てきそうなキャラだ。両方とも日本アニメーションの一つの到達点と言える作品なので、興味のある向きは一度ご観賞を。

本作のもう一つのモチーフは冒頭でも言及した『カントリー・ロード』だ。オリジナルの歌詞には“Country roads, take me home to the place I belong. West Virginia, Mountain Mama, take me home, country roads”とあるが、雫は作中でこれを「コンクリート・ロード」や「ウェスト東京」と読み替える。笑ってしまう言い換えだが、故郷と聞いた時に我々がつい思い浮かべてしまう自然豊かな郷里の里はもはや存在しないも同然である。ただ、故郷というもののイメージを創造的に破壊することはできる。コンクリート・ロードに郷愁を感じる者がいても良いではないか。故郷のイメージはそれを想う者の心の中にある。その原風景を雫は紙とペンで再現しようとしていたのだ。英語に”Home is home”という表現がある。聖司も自分の心の原風景に雫が刻みつけられたのだろう。だからこそイタリアに旅立てるのだ。

中高生ぐらいで普通に観賞してしまえば見過ごしてしまいそうなメッセージがあふれている。それでも、中高生ぐらいが最も観るべき層である作品であると思うし、家族そろって観ても良いし、小中学校あたりで道徳の授業、もしくは進路について考える時間に上映してやっても良いのではないだろうか。Timeless Classicである。

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Posted in 国内, 映画Tagged 1990年代, B Rank, アニメ, ロマンス, 日本, 本名陽子, 監督:近藤喜文, 配給会社:東宝, 高橋一生Leave a Comment on 『耳をすませば』 -心の原風景の夢と将来叶えるべき夢-

『 恋は雨上がりのように 』 -おっさん映画ファンはとにかく観るべし-

Posted on 2018年5月27日2020年2月13日 by cool-jupiter

『恋は雨上がりのように』 70点
2018年5月26日 MOVIXあまがさきにて観賞
主演:小松菜奈 大泉洋
監督:永井聡

*本文中に映画のプロットに関するやや詳しい記述あり

小松菜奈のキャリアにおいて、この作品はベストである。原作の橘あきらの再現度の高さもさることながら、その目力を遺憾なく発揮することのできる作品と監督にようやく巡り合えたか。これまでの出演作、たとえば『 ぼくは明日、昨日のきみとデートする 』にせよ『 バクマン 』にせよ、小松の存在感に頼っていた感があった。しかし本作はまぎれもなく小松の演技力によって成立した力作である。

小松菜奈演じる橘あきらは陸上選手として優秀な記録も持ち、将来も嘱望されていたが、アキレス腱断裂により部活動は半引退状態。ファミレスのアルバイトに精を出す日々。バイト仲間や職場の古株は大泉洋演じる店長をうだつの上がらない男として全く評価しない。しかし、そんな冴えない中年男に惹かれ、思い切り素直に気持ちをぶつけていくも、最初の告白は全くの空振り(ここまではトレイラーにあるのでネタバレにはならないと判断)に終わってしまう。

「誰かのことをたまらなく好きだ」という気持ちが溢れ出る時、人はとんでもない行動を取ってしまうことがある。しかし、それが恋愛感情というモノなのだ。シャツのシーンはドン引きする向きよりも、共感出来てしまう向きの方が遥かに多いのではないか。なぜなら恋する若者であのようなことをできたら・・・と夢想しない者はいないだろうし、好きな女の子のリコーダーを実はこっそり吹いたことがある、などというのはこの数十年間、日本の津々浦々で実際のネタとして報告されてきているではないか。そして病院に連れて行ってもらったその日の夜の悶々とした様子や、車中での小悪魔的な目線など「小松菜奈って、ここまで色気あったっけ?」と思わされた諸兄も多いはず。永井聡監督、なかなかの手練れである。同工異曲の面白作品ではアメリカ映画の『 スウィート17モンスター 』がある。十七歳の女子高生が暴走してしまうシーンだけなら、こちらも負けていない。

一方の店長は、くたびれた大人の男よろしく、頭で考えた結果、色々なものを拒絶する。それはあきらとの仲であったり、別れた妻との関係修復であったり、あるいは小説家への志してあったり、会社での出世もそうである。年齢や世間からの目(「その世間様っつうのを連れてこんかい!!」と怒鳴る『 焼肉ドラゴン 』も楽しみである)などを理由に、まっすぐに迫って来るあきらをとにかく受け流そうとする姿勢に、元TOKIOの山口メンバーにもこのような思料があれば・・・と不謹慎にも考えてしまった。

この手の映画ではやや珍しくあきらは女友達と対立してしまう。部活とバイト、友情と色恋、どちらが大切なのだ、と。しかし、唐突ではなく、ほんのちょっとした前振りを積み重ねて行きながらのケンカなので、たとえば『 ママレード・ボーイ 』であったような唐突過ぎるケンカになっていない。この対立の構図そのものが、まさに雨降って地固まるを描いており、ここでも作品全体に通低する”雨”が現れてくる。

雨で印象的なシーンは2つ。学校からの帰り道で店長との出会いを回想するシーンと、バイトのシフト外で店長を訪ねてしまうシーン。特に後者では、そろそろフィジカルコンタクトを描く頃合いかと思わせて・・・ 割と簡単に手をつないだりキスしたりしてしまう最近のコミックの映画化作品は、今作のビルドアップから大いに学ぶべきだろう。こうした積み重ねが停電シーンという一つのピークに向けて、上手く収斂されていっている。

最近の邦画(などと書くと自分がオッサンになってしまったことを白状しているようだが)が少しおざなりにしている風景や街中のワンショット、ワンカットが時間の経過や登場人物の心情、物語の行く末をさりげなく、しかし確実に描写することに成功しており、これは大学の映画学科の教科書に載せるのは大袈裟にしても、アマチュア作家などは大いに真似をすべき解りやすさだ。

脇役陣では、淡々と、しかしせっせと母親役に勤しむ吉田羊に何故かホッとさせられ、店長の旧友役を好演した戸次重幸に勇気をもらった。しかし、この映画はやはり小松菜奈の出演作ではベストである。そう断言する根拠はエンディングの邂逅シーンに凝縮されている。陸上競技の描写については門外漢なので避けたいが、あなたが小松菜奈ファンであるならば文句なしにお勧めできるし、特に小松菜奈のファンではないというのなら、これを機に彼女のファンになってほしい。近年の漫画原作の映画化では『 坂道のアポロン 』に並ぶ、いや超える作品だ。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, ロマンス, 大泉洋, 小松菜奈, 日本, 監督:永井聡, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 恋は雨上がりのように 』 -おっさん映画ファンはとにかく観るべし-

『 娼年 』 -性愛を通じての承認-

Posted on 2018年5月26日2020年2月13日 by cool-jupiter

娼年 65点
2018年4月30日 大阪ステーションシティシネマにて観賞
主演:松坂桃李
監督:三浦大輔

賛否両論入り乱れる本作だが、自分としては好意的に評価したい。この作品が焦点を当てているのは様々なセックスではなく、様々な満たされない人、様々な日蔭者、様々な虐げられている者たちではないか、と感じたからである。これはまさに『 シェイプ・オブ・ウォーター 』が是々非々の意見にぴったりと別れてしまったように、観る側が何を見るのか(何を見たがっているのか)によって、作品そのものの見え方も大きく変わってしまう好個の一例と言える。作品の多面性や奥深さの証明になるからだ。

松坂演じるリョウはバーでバイトしながら、大学にもあまり顔を出さず、特に決まった交際相手も持たず、お気楽に暮らしていた。そこへ中学の同級生が御堂静(真飛聖)を伴ってバーへやって来る。そしてひょんなことから御堂にスカウトされたリョウは娼婦ならぬ娼年としての生き方を模索するようになる・・・

ここで「なんだ、松坂桃李が次から次に客を抱いていくだけの話か」と思うなかれ。彼が出会う女性は皆、心の隙間とも言うべきものを抱えており、セックスはそれを埋めるための一つの手段にすぎない。最も分かりやすいのは最初の顧客、大谷麻衣演じるヒロミだろう。課題は、年上の女性に欲情できるかではなく、年齢と魅力は決して反比例するわけではない、ということを再確認させてやることなのだ。某レビューで「出来の悪いAVを見せられているようだ」というものがあったが、それはあまりにも皮相な見方であると思う。

松坂桃李の大学生役というのは少々無理があるのではないかと思ったが、不思議のもので桜井ユキと並ぶことで、かなり違和感が緩和された。『 今日、恋をはじめます 』で武井咲と並んだ時には、どう頑張っても高校生に見えなかったが、このあたり、まさにキャスティングの妙であると言える。

もしもあなたが自分の心に空虚さを感じるのであれば、性別・年齢を問わず、本作が何某かの正の影響を与えてくれるだろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, ロマンス, 松坂桃李, 監督:三浦大輔, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 娼年 』 -性愛を通じての承認-

『 君の名前で僕を呼んで 』 -映像美と音声美と一夏の恋-

Posted on 2018年5月17日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:君の名前で僕を呼んで 80点場
所:2018年5月6日 MOVIX尼崎にて観賞
主演:アーミー・ハマー ティモシー・シャラメ
監督:ルカ・グァダニーノ

*注意 本文中に本作および他作品のネタバレあり

部隊は1983年の北イタリア、大学教授が大学院生のオリヴァーを別荘に招くところから物語は始まる。知的かつマッチョな大学院生(アーミー・ハマー)は教授の息子のエリオ(ティモシー・シャラメ)と徐々に距離を縮めていく。公開前や公開当初はゲイ同士の恋愛と誤解する向きもあったようだが、主演の2人はストレートもしくはバイセクシュアルである。惹かれ合うきっかけなど何でもいい。男が女に最初に、かつ最も強力に惹かれるのは往々にしてフィジカル面の魅力だ。そのことを恐ろしいほど分かりやすく我々アホな男性映画ファンに突き付けてきたのは『ゴーストバスターズ』(2016)だった。ヘムズワース演じるアホなイケメン受付男を救うのに、なぜ彼女らはあれほど血道を上げたのか。

本作品は逆に、男同士が惹かれ合うのにどれほど重大な理由が必要なのかを大いに疑問視する。北イタリアでの一夏のアバンチュールだと言ってしまえばそれまでなのだが、それがあまりにも美しく描かれている。ここでいう美しさとは”自然な美しさ”ということ。開放的・解放的な気分になって、ついついベッドインしてしまいました、的なノリではなく、芸術論や歴史的な認識に纏わる知的な会話から、一緒に街までサイクリングするなど、観る者がゆっくりと彼らの交流に同調していけるように描かれているのだ。『無伴奏』はお互いが雄になって相手を激しく求め過ぎていたように見えたし『怒り』では一方の男が他方の男を乱暴に犯しているように見えた。もちろん、異なる物語の似たようなシーンを比較しても意味は無いのだが、相手のことを徐々に、しかし確実に好きになっていくというプロセスを邦画2作は欠いていた。この交流の美しさは是非多くの映画ファンに味わってほしいと思う。

テクニカルな面で注目すべき点は2つ。一つはBGM。多くは合成されたり編集されたものだと思われるが、実に多くの小川のせせらぎ、木々のそよめき、牛の鳴き声、蝿の飛ぶ音などが効果的に使われていた。ほんの少しのオーガニックな音で、観客はその場にいるような気持ちになれるものなのだ。『ラ・ラ・ランド』の冒頭の高速道路のダンスシーンに、ほんのちょっとした風の音やクルマの走行音やクラクション、遠くの空から聞こえてくる飛行機のジェットエンジン音などがあれば、「あなたがこれから体験する世界は全て作りものですよ」的ながっかり感を味わわなくても済んだのだが。ぜひ本作では、映像美だけではなく音声の美も堪能してほしいと思う。

もう一つの注目点は、やたらと画面に映りこむ蝿だ。ほんの少しネタばれになるが、エンディングのシークエンスでエリオの肩にずっと蝿が止まっているのだ。これが何を意味するのかは見る者それぞれの解釈に委ねられるべきなのだろう。

この映画の結末部分のカタルシスは『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い 』に並ぶものがある。息子が男相手に一夏の秘め事に耽るのを、親としてはどう見守るべきなのか。ロッド・スチュワートの代表曲の一に”Killing of Georgie”というものがある。Georgieというゲイの男を人生を歌ったものだ。我が子がストレートでないということに戸惑う親は、ぜひ本作に触れてほしい。何かしらのインスピレーションを必ず受け取ることができるはずだ。

日本では、同性婚を巡っては自治体レベルで認めるところが出てきてはいるものの、国民全体で考えるべきという機運の高まりはまだ見られない。「同性とも結婚できるようになる」ということを何故か「同性と結婚せねばならぬ」と感じる人が多いようだ。また夫婦は必ず同姓であるべしという、ある意味で完全に世界に取り残された日本という国に住まう人に、なにかしらのインパクトを与えうる傑作としてお勧めできる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アーミー・ハマー, アメリカ, イタリア, ティモシー・シャラメ, ブラジル, フランス, ロマンス, 監督:ルカ・グァダニーノ, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 君の名前で僕を呼んで 』 -映像美と音声美と一夏の恋-

『 ママレード・ボーイ 』 -ダメ映画の作り方を学びたければ本作を観るべし-

Posted on 2018年5月14日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:ママレード・ボーイ 15点
場所:2018年5月3日 MOVIXあまがさきにて観賞
主演:桜井日奈子 吉沢亮
監督:廣木隆一

本来ならこの映画のレビューをもっと早くすべきだったのかもしれない。なぜなら、よほど原作もしくは俳優陣に思い入れのある方でなければ、この映画を観賞することはお金と時間の浪費になるからだ。もしくはダメ映画の教材として、大学の映画サークルなどがDVD/ブルーレイ、その他デジタルメディアであーだこーだと分析しながら観る分には良いのかもしれない。

主役の二人の演技は可もなく不可もなくといったところ。吉沢亮の方は随所にポテンシャルを感じさせる若さゆえの脆さや弱さ、不安定さを感じさせるところもあった。彼の女性ファンならその点だけでも観る価値はあるかもしれない。

この映画を駄作にしている要因は主に2つ。第一に、意図の読めないカメラワーク。3~4か所ほどかなり長めのワンショットを使っていたが、カメラが無意味にズームイン、ズームアウトを行っていた。主役2人しかそこにいないということを強調したかったのかもしれないが、そこで映す=見せるべきは2人の表情や息遣いであって、監督や撮影監督の自己満足ではない。

第二に、前後のつながりを一切欠いた杜撰な脚本。主役2人がどのタイミングで相手に好意を持ったのか、そんなものは一切描かれないまま突如、2人が付き合うようになる。また朝と思わせて昼、昼と思わせて夕方だったというシーンがあったり、わずか数分で季節を一つ二つ飛ばしたシークエンスもあった。登場人物の服装や街並みのちょっとしたワンショットなどから受け手に季節の移り変わりや時間の経過を見せるのは当たり前過ぎる手法だが、今作はそれらをほぼ一切拒否。非常に斬新だ。惜しむらくはこのメソッドを取り入れよう、と思う同業者は皆無であろうと予想されること。またクライマックスの真実が明らかになるシーンでは、明らかにそこに言及する必要のない人名や人間関係が語られる。両親が語るその内容は観客に向けてのもので子どもたちに必要なものではなかった。監督、脚本家、編集担当者の誰もこのことに気づかなかったのだろうか。

とにかく脚本が致命的に悪い。そしてところどころで使われるロングのショットが物語の進行を異様にスローテンポにし、さらに主役2人の心の動きを観る者に一切読み取らせないようにするという誰も得しないカメラワーク。努々この作品を映画館で観るなかれ。時間とカネを浪費するだけに終わってしまうであろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, F Rank, ロマンス, 廣木隆一, 日本, 桜井日奈子, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 ママレード・ボーイ 』 -ダメ映画の作り方を学びたければ本作を観るべし-

『 ミッドナイト・サン タイヨウのうた 』 ーシュワちゃん2世を堪能せよー

Posted on 2018年5月13日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:『 ミッドナイト・サン タイヨウのうた 』 65点
場所:2018年5月12日 MOVIXあまがさきにて観賞
主演:ベラ・ソーン / Bella Thorne
監督:スコット・スピア / Scott Speer

原題は”Midnight Sun、観賞後に日本の映画『 タイヨウのうた 』(2006)のリメイクだと知る。設定を見るに一部細かい部分の改変はあるようだが、ストーリーとして破綻しているところはなかった。主人公のケイティ(ベラ・ソーン)の普通であることへの執着と周囲との微妙なズレ、しかしそこがパトリック・シュワルツェネッガー(言わずと知れたアーノルドの息子)演じるチャーリーに、そして観客にも微笑ましく心地よく映る。スコット・スピア監督はミュージック・ビデオ畑出身で、音楽を劇中に効果的には配置することに長けているという印象。順調にキャリアを積み重ね、ジェームズ・ガンやエドガー・ライトの領域に達してほしいと思う。

演技者として観るべきはケイティの父親役のロブ・リグル/Rob Riggle。『インターンシップ』では数分の登場ながら老人ホームのトンデモ職員か何かの役で強烈な印象を残していたが、今作では苦悩する父親を好演。『逮捕なんかしないよ』(”I’m not a cop.”)という台詞は、ガールフレンドや妻の父親が警察官だったりするとロマンティックとは正反対の意味でドキリとさせられてしまうだろう。実際、自分は一瞬座席から跳ね上がった。

主人公の持つ病気のせいで必然的に夜を舞台に物語が描かれるが、暗さは感じられず、かといって邦画で時折見られるような「夜の不自然な明るさ」なども感じられなかった。それはクライマックス・シーンに「明るさ」を思い切りブチ込むためだったからか。物語の進行上、釈然としない部分も残るものの、画としての美しさは充分に表現されていた。

若い男一人で週末に1800円を投じるのはつらいかもしれないが、連れ合いがいるならお勧めできる。中年男性でもロブ・リグルに自分の人生を投影させることができるだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, ロマンス, 主演:ベラ・ソーン, 監督:スコット・スピア, 配給会社:オープン・ロード・フィルムズLeave a Comment on 『 ミッドナイト・サン タイヨウのうた 』 ーシュワちゃん2世を堪能せよー

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