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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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『 ジオラマボーイ・パノラマガール 』 -主題にフォーカスを-

Posted on 2020年11月11日2022年9月19日 by cool-jupiter

ジオラマボーイ・パノラマガール 40点
2020年11月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:山田杏奈 鈴木仁 森田望智
監督:瀬田なつき

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『 リバーズ・エッジ 』の原作者・岡崎京子の作品を瀬田なつきが脚本および監督として映画化。岡崎京子の作品にそれほど親しんできたわけではないが、それでも本作は原作の読み込み不足あるいは瀬田監督自身の自分のカラーの出し過ぎであることは分かる。主題が読み取れないのだ。

 

あらすじ

渋谷ハルコ(山田杏奈)はある夜、倒れている神奈川ケンイチ(鈴木仁)に一目惚れしてしまう。これは世界の運命をも変えてしまう恋に違いないと舞い上がるハルコ。しかし、ケンイチはマユミ(森田望智)というオトナの女性に強く惹かれており・・・

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ポジティブ・サイド

『 わたしに××しなさい! 』や『 小さな恋のうた 』で確かな存在感を示してきた山田杏奈が主演だと、テアトル梅田のパンフレットで知った。ならば、あらすじも不要だし、トレイラーも劇場で目に入ってきたもの以外はシャットアウト。その上で鑑賞した。山田杏奈のありふれた女子高生としての存在感には説得力があるし、恋に恋をするという乙女チックな顔も上手く描出できていた。

 

ラストの手前、早朝の街をトボトボと歩く際の「つまらない男とつまらないセックスをしてしまった」という顔の演技は素晴らしかった。10代でこれだけ細やかな顔面の演技ができる役者は珍しいと思われる。瀬田監督が山田からこの顔を引き出すことができたのなら、それは自身の体験談をよくよく彼女に言い聞かせたのだろう(と下世話な邪推をしてみる)。10代俳優の中ではフロントランナーであることは間違いない。

 

謎めいた女性ナオミを演じた森田望智も独特の存在感を発揮した。最初はチョイ役なのかと思ったが、物語が進むにつれて「ああ、こういう話なのか」とすんなりと納得できた。それはナオミの放つ妖艶な雰囲気によるところが大で、童顔かつ幼児体形なハルコ(あくまで比較の上である)とのコントラストが大いに際立っていた。それは容姿だけではなく、異性との向き合い方、恋愛観やセックス観にも当てはまり、10代同士のピュアな恋物語の予感を良い意味でも悪い意味でも叩き壊している。『 影踏み 』の中村ゆりのような30代に成長していってほしいものである。

 

無秩序な東京の街の片隅で秘かに繰り広げられる人間模様だけは、それなりにしっかり描けていたのではないか。

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ネガティブ・サイド

なんでこんなにキャラクターがどいつこいつも、文字通りにクルクルと回るのか。舞台劇のノリなのか。特定キャラクターだけの動きであれば、そのキャラの特徴なのかなとも感じられるが、誰もかれもがクルクル回るのは不自然以外のなにものでもない。

 

一体全体、いつの時代にフォーカスしているのか。全体的に初期平成臭が漂う。小沢健二の“ラブリー”とは古すぎる。おそらく「いつか誰かと完全な恋に落ちる」ということを強調したいのだろうが、今どきの女子高生が小沢健二を歌うだろうか?やっているゲームも最新作であるが、ストⅡ。それもコンソール型。一方で、インスタグラムやタピオカも同時に存在している。様々な点で時代とガジェットにずれを感じてしまうのである。

 

神奈川ケンイチというキャラクターの思考や行動の原理も謎だ。いきなり高校を辞めるのは、まあ、そういう衝動に駆られることもあるだろうと一応の納得はできるが、男性教師にキスをすることに何らかの意味があるのか?「だって17歳なんですから」というケンイチの台詞は何も説明していない。ここからゲイへの道を歩んでいく、あるいは『 サタデーナイト・チャーチ 夢を歌う場所 』のようにクィアの世界に旅立っていくというのなら、全く違和感はない。しかし、まず最初にやることがスケボー、そしてナンパ。ここでもノリが平成である。90年代&スケボーなら『 mid90s ミッドナインティーズ 』で十分に満たされた。

 

ハルコというキャラの見せ方も古い。一目惚れを表現するのに、雷鳴の効果音というのはどうなのだろうか。しかも音だけ。そうした演出が全編で満遍なく使われているというのならそれも構わない。それが本作のテーマにマッチする作劇術だと監督が判断したのだろうから。しかし、その後にそんな演出は皆無。どうせ一か所だけ馬鹿馬鹿しいのなら『 岸和田少年愚連隊 血煙り純情篇 』のような落雷演出でもすればよかったのではないか。それに友達2人と一緒に常に3人組というのも冗長だ。実際に一人はクラブの後にフェードアウト。だったら最初から親友は一人でいい。Jovian嫁も「親友2人おって、片方は誕生日パーティーに呼んで、もう片方は呼ばへんなんかありえへん」と全く納得していなかった。

 

もっとも意味が分からないのは「知的生命体がいるとされる小惑星の接近」である。成海璃子のキャラが自分たち家族の写真を眺めるハルコに「それね、今となっては貴重でしょ」という思わせぶりな台詞や、ケンイチが学校を辞めたのと同じノリで自殺してしまう学生のニュースなど、何か一筋縄ではいかない世界観が暗示されるが、それがすべて無秩序に拡大する東京のスプロール現象にかき消されている。この世界観も90年代まんまだが、オリジナルを尊重するにせよ自身の解釈を盛り込むにせよ、やるならもっと上手にやるべきだろう。ケンイチの部屋のポスターが『 2001年宇宙の旅 』とはこれいかに。だったら『 E.T. 』、『 未知との遭遇 』、『 遊星からの物体X 』、『 妖星ゴラス 』、『 ブロブ/宇宙からの不明物体 』、『 アルマゲドン 』など、宇宙から何かが地球に接近しつつあることを暗示する映画のポスターを貼るべきではないのか。

 

最初から最後まで、一貫して世界観についていけないし、一部のキャラクターの行動原理が理解できない。端的に言って映画化失敗であろう。

 

総評

映像もストーリーもキャラクターも中途半端である。おそらく瀬田監督自身、原作を十分に消化しきれていないのではないか。しかし、発展途上の才能たちの演技に魅力を感じたり、あるいは岡崎ワールドの造詣が深い人であれば、本作を十二分に堪能することができるかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Are you having fun?

成海璃子がクラブで山田杏奈に言う「楽しんでる?」という台詞。Have fun. = じゃあね、楽しんできてね、という使い方も併せてマスターしておきたい。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, ラブロマンス, 山田杏奈, 日本, 森田望智, 監督:瀬田なつき, 配給会社:イオンエンターテイメント, 鈴木仁, 青春Leave a Comment on 『 ジオラマボーイ・パノラマガール 』 -主題にフォーカスを-

無料のZoomレッスンやります

Posted on 2020年11月9日 by cool-jupiter
無料のZoomレッスンやります

知人のオーストラリア人の主催するグループで、
簡単な英語のレッスンをやります。
多分、オール・イングリッシュで。
ただし、そのあたりは参加者の方の数やレベルに合わせて、
日本語も少しだけ使うかも?

題材は IELTS のリーディング・パッセージの攻略法について。
簡単なディスカッションやグループワークもやる予定。

詳細は以下を参照のこと。

2020年11月15日(日)

19:30~20:30:30

Zoom URL: https://usq.zoom.us/j/81198482324

Lesson Details: 

tesoljapan.com

一応、本業は英語関連の仕事だということをたまには証明しないと、ですかね。

 

Posted in 英語Tagged IELTS, IELTS対策, 英語Leave a Comment on 無料のZoomレッスンやります

『 ジーザス・クライスト・スーパースター 』 -賛否両論を呼んだ革新的ミュージカル-

Posted on 2020年11月8日2020年11月8日 by cool-jupiter

ジーザス・クライスト・スーパースター 80点
2020年11月4日 Amazon Prime Videoにて鑑賞
出演:テッド・二―リー カール・アンダーソン
監督:ノーマン・ジュイソン

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嫁がHuluで『 イエス・キリストの生涯 』に偉く感じ入っていた。曰はく、『 世界ふしぎ発見! 』のクイズが無いバージョンで全8話構成らしい。時々、イエスその人や父ジョセフ。母マリア。当時のユダヤ世界について質問をしてくる(Jovianは宗教学専攻だったのだ)。色々と質問に答えているうちに、「これを見せた方が早いのではないか?」と本作を久しぶりに嫁さんと鑑賞。嫁はこれまた痛く感じ入っていた。

 

あらすじ             

ユダ(カール・アンダーソン)は懸念していた。ナザレのイエス(テッド・二―リー)がその卓越した教えをもって勢力を膨らませることが、ローマを刺激しかねないことに。ユダはなんとかイエスを諫めようとしつつも、一行はさらなる宣教のためにエルサレムへと向かうことになり・・・

 

ポジティブ・サイド

初めて観たのはVHSだった。当時は小学校の高学年ぐらいで、物語の意味はちんぷんかんぷんだったが、イエス・キリストの名前は何となく知っていたし、イスカリオテのユダは漫画『 北斗の拳 』で知っていた。それでも本作のキャラクターたちのドラマには圧倒されたし、『 キャッツ 』や『 オペラ座の怪人 』と同じく、アンドリュー・ロイド・ウェバーの音楽には激しく魅了された。

 

大学で宗教学(といっても専攻は東洋思想史)やら聖書学を学んでユダヤ教やキリスト教に関する知識を得ていたころ、大学の劇団「黄河砂」が本作を舞台劇として英語で公演もした(Jovianの寮の先輩も鞭を振るう役で出演した)。はっきり言ってクオリティはイマイチだったが、それでも物語の骨格の意味がはっきりと伝わってきたことを覚えている。同時に、ノン・クリスチャンや宗教学専攻ではない者にとっては、やはりチンプンカンプン物語であることも周囲の反応から分かった。

 

そこで恩師である旧約聖書学の異端の大家・並木浩一と新約聖書学の碩学。永田竹司にそれぞれ『 ジーザス・クライスト・スーパースター 』を観たか、そしてどのように感じたかをオフィス・アワーにインタビューするという暴挙に出た。今にして思えば愚行であるが、そんな学生にも対応してくれるところが我が母校の懐の深さだったか。並木先生は「あんなものは論評に値しない」と言い、永田先生は「あのような形式でしか語れないものもある。発表当時は賛否両論あったが、自分は賛である」とおっしゃった。Jovianも永田先生の意見に与すものである。

 

前置きが長くなりすぎた。本作の魅力は、繰り返しになるが、アンド・ロイド・ウェバーの音楽である。“Jesus Christ Superstar Overture”は、イエスが権威や威厳ではなく、熱狂の源であったことを感じさせてくれる(そしてその解釈はおそらく正しい)し、マリアが歌う“I Don’t Know How To Love Him”も、イエスの神性と人間性の両方のはざまで揺れ動く心情を、百万言を費やすよりも雄弁に語っている。熱心党のサイモンの姿にSEALDsを見出すのは行き過ぎかもしれないが、『 三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実 』の大学生たちのような熱量を感じ取ることは十分に可能だろう。

 

しかし、本作の最大の魅力は、Jovianの好物ジャンルである「映画を作る映画」になっているところである。こうしたメタ構造を冒頭のシーンからあっけらかんと見せてしまうことで、たとえば我が恩師・並木のような評論は、それ自体が的外れになってしまう。エンディングでユダが歌う“Jesus Christ Superstar”は奥深い。小説および映画の『 ダ・ヴィンチ・コード 』の作者ダン・ブラウンは本曲にインスパイアされたというのがJovianの勝手な推測である。今、見直しても十分に面白いし、キリスト教に興味のあるという人は、本作をお勧めしたい。そこらの凡百の書籍よりも遥かに面白く核心を突いている。

 

ネガティブ・サイド

Amazon Prime Video版は音声と映像が若干ではあるが、ずれている。これはVHSでもそうだったが、せっかくデジタル化するなら、現代の技術を使ってより精緻に仕上げるべきではなかったか。モノクロ映画のカラー化に反対したジョージ・ルーカスも、リップシンクの精度を高めるのには反対すまい。また、泉下のカール・アンダーソンも“Israel in 4 BC had no mass communication”ではなく“America in 1970 AD had no personal computers”と言ってくれるのではないか。

 

ヨーロッパや中南米、アメリカや韓国のような根っからのキリスト教国であれば、本作をすんなりと消化できるのだろうが、それ以外の国の人にはきついと思われる。特に、イエスが弟子たちに「この愚か者ども」、「嘘つきめ」などと怒鳴るシーンは、一般人にはポカーンであろう(新約聖書では、イエスがペテロあたりに「悪魔よ、黙れ」みたいに言う描写がいくつもあったりする)。イエスの人間性について、もう少しだけ掘り下げる歌や演出が必要だったのでは?また、裏切り者とされるユダが、いかにインテリで、いかにイエスの信頼を得ていたかの描写も欲しかった、というか必要だった。1分半で描けるはずだ。

 

総評 

ロック・ミュージカルの金字塔であると断言する。歴史的、宗教的背景を押さえておかないと物語の深みを味わえないが、それでも本作の音楽と歌、そして俳優陣の鬼気迫る演技、そして“現代視点からの再解釈”を楽しむことは十分に可能である。キリスト者の一部には本作の演出を嫌う人もいるのは事実であるが、人物や社会の描写はおおむね性格であるということは、国際基督教大学で宗教学を専攻したJovianが勝手に保証する。ミュージカル好きなら must-watch である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

sit on the fence

字義通りの意味は「フェンスの上に座る」であるが、本当の意味は「あいまいな態度でいる」、「どっちつかずの状態でいる」ということである。カヤパの台詞で、ジーザスをどうすべきかについて自分たち取るべき姿勢をはっきりさせてこなかった際に放たれる台詞。

How long has our client been sitting on the fence about our offer?

うちのクライアント、どれだけこちらのオファーについての態度を保留させているんだ?

のように使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1970年代, アメリカ, カール・アンダーソン, テッド・二ーリー, ミュージカル, 伝記, 歴史, 監督:ノーマン・ジュイソン, 配給会社:CIC『 ジーザス・クライスト・スーパースター 』 -賛否両論を呼んだ革新的ミュージカル- への2件のコメント

『 息もできない 』 -暴力の連鎖は止められるのか-

Posted on 2020年11月7日 by cool-jupiter

息もできない 80点
2020年11月2日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ヤン・イクチュン キム・コッピ チョン・マンシク
監督:ヤン・イクチュン

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インディーズの名作として名高い本作。保守的な日本の家族観、風変わりな日本の家族観、新時代の日本の家族観を提示する作品を立て続けに観たので、外国が提示する「家族像」を消化してみたいと思い、レンタル。前評判通りに、暴力的な面白さを持った作品であった。

 

あらすじ 

借金の取り立て人のサンフン(ヤン・イクチュン)は女子高生ヨニ(キム・コッピ)と最悪の形で出会う。だが、二人はいつしか惹かれ合い始める。お互いが家族、特に父に問題を抱えていたからだ。ヨニとの交流からサンフンは借金取り稼業から足を洗おうと考え始めるが・・・

 

ポジティブ・サイド

主演かつ監督のヤン・イクチュンがサンフンというキャラクターを完璧な形で描出したことに満腔の敬意を表したい。目つきから歩き方、平手打ちの食らわせ方からストンピングまで、まさにチンピラとしか言えない。そして、路上ですれちがっただけのヨニにつばを吐きかけ、あまつさえ頭部にパンチさえお見舞いする。真正のDV体質としか思えない。事実、サンフンは暴力に憑りつかれている。暴力を能動的、自発的に振るっているのではなく、何かに突き動かされて暴力を振るっている。その何かが劇中で徐々に明らかにされると共に、サンフンも徐々に変わり始めていく。そのきっかけがヨニである。

 

『 君が君で君だ 』のソンでも薄幸の女性を演じたが、本作では薄幸でありながらも勝ち気で強気な女子高生を100点満点で演じ切った。はっきり言って『 サニー 永遠の仲間たち 』のミン・ヒョリンや『 建築学概論 』のスジのような、息を吞むような美人ではないのだが、だんだんと惹きつけられると言うか、どんどんと魅力的に見えてくるから不思議である。最近の映画だと、『 はちどり 』のキム・セビョクにも同じことを感じた。

 

この二人が出会い、徐々に惹かれ合っていく過程に言葉は要らない。屋台で飲み食いし、ちょっとしたウィンドウショッピングをして、街を練り歩くだけでいい。それまで色彩などほとんど感じられなかったサンフンの世界が、急に色づき始める。画面にはほとんど他者はおらず、サンフンの世界では他者とは殴る対象だったはずが、普通の人たちの普通の営みで画面が覆いつくされる。それだけでサンフンとヨニの距離が縮まったということの説得力は十分である。

 

ヨニは言葉使いも粗く、服装も地味なのだが、そうした自分と共通する外面にサンフンの荒れ果てた心が癒されるわけではない。ヨニの健気さや屈託のなさがそうするわけでもない。サンフンは自分が憎いのだ。憎むべき父親と同じことを繰り返してしまっている自分が憎くてたまらない。自分が好きではないから、本当は可愛がってやりたいと思っている甥っ子や気にかけている姉に対して素直になれない。だからこそ、自分に対してどこまでも素直に接してくるヨニの存在が突き刺さるのだ。そうしたサンフンの心情が手に取るように分かるのである。主演のヤン・イクチュンは脚本・監督を務めているため、キャラを誰よりも巧みに表現することは当然とはいえ、これほど固い殻に覆われた心の内を、言葉ではなく表情や動作、ちょっとした所作で表現するのは見事である。ヨニに膝枕をしてもらうシーンは、動物が腹を見せる=降伏の意思表示にも見えた。同病相憐れむ二人のシーンはあまりにも王道すぎて反則ではないか。

 

ストーリーも期待に応えてくれる展開と予想を裏切ってくれる展開が入り混じっていて良い。ヨニの弟ヨンジェとサンフンが同じ事務所で働き始めることで生じる不穏な空気。そこで同時に生じる淡い期待。少し先への展開を読ませやすくすることで敢えて読ませにくくしているところも印象深い。

 

また高利貸し事務所のマンシク社長という存在のおかげで、ストーリー全体が裏社会のそれに引っ張られず、社会の一隅の現実であるという領域に留まっていることも大きい。自分の生活世界のどこかでこんな物語が起きている、または起きてもおかしくないと感じられるからである。

 

エンディングのシークエンスは文字通りに「息もできない」もの。ヨニの目にした光景は、ヨニにある心象風景をもたらした。ヨニの心情がヨニ自身によって語られることはなく、物語は閉じていく。それを想像せよ!ということが本作のメッセージなのだろう。暴力とは受け継がれるものなのか。人は暴力に引き寄せられるのか。暴力に憑りつかれた者は暴力からは逃れられないのか。観る者の心に何かを沈殿させることは間違いない作品である。

 

ネガティブ・サイド

一つだけ不満を述べさせてもらえるなら、サンフンの過去を回想するシーンのいくつかをもっと短く、もっと断片的にできなかったかということだろうか。サンフンの過去を詳細に描写する必要はない。それこそヨニが母を思い出すシーンぐらいでよかった。ほんのちょっとした記憶しかもはや残っていない、それでも自分はその過去、体験に突き動かされてしまっているという描写の方が、暴力の原体験の根深さを逆に想像しやすくなるのではないだろうか。

 

総評

まさに「息もできない」物語である。劇中で展開される暴力は、『 マーターズ 』で見せつけられる“目的のある暴力”ではなく、無意味で衝動的な暴力である。そのことが観る者の心を抉る。憎むべき暴力を愛する家族に向けてしまう、そしてその暴力性が子に引き継がれる。この連鎖が思いがけない形で連鎖してしまうところに本作の悲劇性があり、それが本作を衝撃的な作品に押し上げている。悲恋の物語としても純愛の物語としても王道作品にして一級品である。『 血と骨 』を見事に映像化した北野武に本作をリメイクしてほしいという夢想を抱いてしまう。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

シバル

主人公サンフンが劇中で使いまくる卑罵語。意味は英語でf**cぐらいの意味らしい。『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』のディカプリオがFワードを連発していたのと同じようなインパクトを感じる。英語であれ韓国語であれ、ネイティブスピーカーの真似は効果的な学習方法であるが、状況や文脈を無視した安易な真似はご法度である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, A Rank, キム・コッピ, チョン・マンシク, ヤン・イクチュン, ラブロマンス, 監督:ヤン・イクチュン, 配給会社:ビターズ・エンド, 韓国Leave a Comment on 『 息もできない 』 -暴力の連鎖は止められるのか-

『 朝が来る 』 -新時代の家族観を提示する野心作-

Posted on 2020年11月3日2022年9月19日 by cool-jupiter

朝が来る 80点
2020年11月1日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:永作博美 井浦新 蒔田彩珠
監督: 河瀬直美

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あらすじ

清和(井浦新)と佐都子(永作博美)の夫婦は子どもを持とうとするも上手く行かない。清和が無精子症だったのだ。夫婦は、ベビーバトンという団体を通じて、養子を迎え、朝斗と名付け、愛情を注いで育てていくが・・・

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ポジティブ・サイド

永作博美と井浦新の夫婦像はとてつもなくリアルだ。中年の域に差し掛かるDINKsである二人だが、子どもを持つことはあきらめていない。そこで夫が無精子だと分かった時、そして顕微授精に何度も取り組みながらも上手く行かず、「本当はもっと早くにやめたかった」と泣き崩れるシーンには、ノックアウトされた。このあたりの男の心の在りようの描き方に関しては、河瀬直美監督は随一である。『 母が亡くなった時、僕は遺骨を食べたいと思った。 』の大森監督よりも、実は男という生き物がよく理解しているかもしれない。かといって女性の描き方に穴があるかと言えば、さにあらず。フェミニスト的な意味ではない包容力や理解力がある女性像というものを永作博美から引き出している。息子である朝斗がちょっとしたトラブルに巻き込まれた時にも、毅然と対応した。そこあるのは血のつながり云々ではなく、ただただ絆だった。人は母親に「なる」のではなく、母親で「あろうとする」のだろう。無論、父親も同じである。

 

その意味で最も印象に残ったのは蒔田彩珠。『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』で南沙良との共演の印象が今でも戦列に残っているが、この年齢にして早くも代表作を手に入れたか。きらきらと輝く青春真っただ中の中学生を等身大に演じたかと思えば、家族の輪から外れ、似た境遇の者と連帯して何とか都会で生き延びる社会的弱者もリアルに描出した。物語の半分は彼女の背景描写に費やされている。幼くして母親になってしまった者が、どうして母親になり、そしてどうして母親になることをあきらめ、そして何故今また母親になろうとしたのかが克明に描かれる。そのすべてに尋常ではないほどのリアリティがあった。それは演じた蒔田彩珠の演技力。弱弱しい目と声の少女が、恋を知ってまばゆい光を放ち、そして心の内側を隠すかのように化粧を身にまとっていく様が、まるでドキュメンタリーであるかのように感じられた。

 

実際に養子縁組のテレビドラマやセミナー、ベビーバトンの施設のある島の住民や施設利用者の大半は、役者ではなく当事者、つまりは一般人だろう。彼ら彼女らが語る言葉、見せる所作、そして涙に、観る側は否応なく「子どもを産む」ことと「子どもを育てる」ことの難しさを思い知らされる。そして、産むのが誰であれ、育てるのが誰であれ、命は尊ばれるものだということを痛感させられる。こうした役者と普通の人の境目を積極的に取り除く演出をすることで、スクリーンのこちら側とあちら側の境目を揺らいでいく。観る側がどんどんと蒔田彩珠演じるひかりと同化していく。

 

栗原夫妻の元に現れる母親を名乗る女性、それが果たしてひかりなのかどうか。そのミステリでもストーリーをぐいぐいと引っ張っていく。ひかりが知り合うことになるともかが持っている革ジャン。そして、「これを着てれば、なんでもできる気になるんだ」というセリフが、意味深長に聞こえる。前半の栗原夫妻との顔合わせでも彼女の顔は明確には移されず、またマンションに訪問してくるシーンでもその顔はしかとは映されない。彼女はいったい誰なのかという疑問は最後まで明かされない。しかし、その謎の答えを我々ではなく佐都子が出す瞬間、あらゆる感情の波に押し流されることは必定である。

 

本作は朝斗との親子関係や親権についての物語ではない。逆だ。ベビーバトンの代表は「養親が子を選ぶのではない。子が親を選ぶのだ」と言う。その通りだと思う。エンドロールは最後まで絶対に席を立ってはならない。これこそが新時代の日本のあるべき親子観、家族観となるべきなのだろう。

 

ネガティブ・サイド

ひかりが借金の保証人になり、厳しい督促を受けることになるシーンを、より残酷に仕上げられたのではないか。ひかりはともかの保証人に仕立て上げられたが、連帯保証人であるとの言及はなかった。ということは、ひかりさえ突っぱねてしまえば、借金取りはそれ以上の取り立ては(法律上は)できないはずだ。まずは主債務者のともかのところに行かねばらなず、なおかつともかが行方不明ならば、その行方をまずは債権者が探さなければならない。ひかりからの取り立てに成功した借金取りがそうしたことを語ってやれば、ひかりの絶望がもっと深まったはずだ。これはJovianが意地悪すぎるか。

 

ひかりの家族や親族がちょっと硬直的すぎる。特に父親の言動には疑問符がつく。普通なら、ひかりの相手の男の家に乗り込んで、相手の父親や本人を張り倒さんばかりの剣幕で迫るものではないか。別に地元の名士や素封家であるようには見えないが、何をそんなに大人しくしているのか。ひかりの家族や親族があまりにもステレオタイプな保守であることが少々気に食わない。

 

総評

日本社会の行く末について、非常に示唆に富む視点を包含しており、そのことが本作のカンヌをはじめとした様々な国際映画祭への出品や米アカデミーの国際長編映画賞へのノミネートにつながっているのだろう。『 万引き家族 』に続いて、日本の家族観を問い直す作品である。紛れもなく傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Nothing lasts forever.

『 スプリング・ブレイカーズ 』で紹介した慣用表現。意味は「何事もいつかは終わりを迎える」。ベビーバトン代表者の言葉である。こうした慣用表現を自然に会話に織り込むことができれば、英語学習中級者の卒業も間近と言える。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 井浦新, 日本, 永作博美, 監督:河瀨直美, 蒔田彩珠, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 朝が来る 』 -新時代の家族観を提示する野心作-

『 罪の声 』 -グリコ・森永事件の独自再解釈ミステリ-

Posted on 2020年11月2日2022年9月19日 by cool-jupiter
『 罪の声 』 -グリコ・森永事件の独自再解釈ミステリ-

罪の声 75点
2020年10月31日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:星野源 小栗旬
監督:土井裕泰

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Jovianは1979年生まれなので、本作で言うギンガ・萬堂事件のモチーフとなったグリコ・森永事件はリアルタイムではあまり覚えていない。しかし、1980~1990年代、三億円事件と並んで雑誌やテレビで頻繁に特集されていたので、事件がどういったものであったかはよく覚えている。ミステリと人間ドラマの要素をほどよくブレンドさせて、2時間20分ほどの長丁場をよくもたせている。

 

あらすじ

テーラーとして慎ましく生きていた曽根俊也(星野源)は、35年前の叔父のカセットテープに吹き込まれた自分の声が、ギンガ萬堂事件に使用されていたことを知ってしまう。同じ頃、大日新聞の記者、阿久津(小栗旬)は平静という時代の終幕に際して、昭和最大の未解決事件であるギンガ萬堂事件の再取材に動き出していた・・・

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ポジティブ・サイド

『 殺人の追憶 』と同じく、全国を震撼させた未解決事件に焦点を当てた作品。ただ、こちらはリアルタイムで事件を捜査する過程を追うのではなく、事件から35年後、二つの異なる視点から事件を再構築していこうという試み。その意味では『 JFK 』に近いとも言える。

 

苦悩しながらも独自に事件を追う曽根と、事件を再取材する阿久津が、一つの流れに合流していくまでがとても緻密に丁寧に描かれていることに好感が持てる。35年経ったからこそ口を開く関係者がいるというのも首肯できる。『 22年目の告白 -私が殺人犯です- 』ではないが、過去の未解決事件の真相というものは常に魅力的である。『 JFK 』の如く、過去の関係者たちから独自の証言を引き出していく過程は非常にスリリングである。証言者Aから証言者Bの存在が浮かび上がり、証言者Bの提示するアイテムから証言者Cの存在が浮かび上がっていく。その糸を、曽根は当事者として、阿久津は新聞記者として、丹念に手繰り寄せる手法に説得力がある。事件によって傷ついた人々への共感や理解が感じ取れるからである。

 

曽根と阿久津が合流してからの取材は変則のバディ・ムービー。曽根は仲間、一種の共犯者的存在を阿久津に見出す一方で、そのことが人生を奪われた「罪の声」のもう一人の主とのコントラストをより残酷に際立たせている。このことが、曽根が疑問に感じ、阿久津が答えを出せなかった、「真実を明らかにする意義」につながっている。真実によって不利益を被る人間もいれば、真実によって救済される人間もいるのだ。そのジレンマを冗長なセリフではなく細やかな表情や情景の描写で描き切ったのは見事である。

 

犯人および真犯人の背景や因果も納得できる。意外性と同時に真実味もあり、時代の移り変わりに際して、時代に取り残された者の末路が見せつけられる。それに理解を示すこともできるし、怒りを抱くこともできる。人間の業の深さを知るとともに、人間の懐の深さも示される。結末は、これ以外に無いというほど締まっている。

 

大阪の街が随所に映し出されるのも、地元民にとっては楽しい。1980年代の事件でありながら、今でも迫真性を伴って観る側に迫ってくるからだ。堂島や心斎橋周辺の景色に馴染みがある人は、本作をそうした視点から楽しめることだろう。

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ネガティブ・サイド

35年という時間に隔てられた過去と現在を行き来する物語であるが、序盤に出てくるラジカセがもうダメである。35年前のアイテムが、まるで昨日使ったものであるかのように、埃一つかぶっておらず、テープに吹き込まれた音声も経年によって変化していないこともポイント減である。そんな馬鹿な・・・ 製作陣の誰一人として、10年ぶり20年ぶりにカセットテープを再生してみたいという経験の持ち主はいなかったのだろうか。

 

株価操作説は説得力がない。『 マネー・ショート 』や『 国家が破産する日 』のように、国家的な動乱や危機であれば、反動も期待できる。しかし、事件が未解決である期間が長くなればなるほど、企業倒産のリスクは高まり、株が紙切れとなるリスクも同時に高まる。実際にリアルタイムで模倣犯が多数発生していたわけで、株価が底値を打つタイミングを読んだり、空売りを仕掛けるタイミングを読んだりするのは、著しく困難だったはずだ。だからこそ、「思ったより儲けが出なかった」もだろうが、それらの模倣犯の中に本当に予告も何もなく菓子に毒を混入する輩がいて被害者が出ていたならば、株価も企業価値もすべてが吹っ飛ぶではないか。また、事件の真相と犯人が明らかにされても、「中央」にまで取材が及ばなければ、画竜点睛を欠くと言わざるを得ない。

 

メディアの役割を問い直すシーンはあるが、警察の役割を問い直すシーンも欲しかった。犯行グループに警察くずれがいることの是非を、架空の現役警察官キャラクターに語らせることはできなかったかと少々残念に思う。

 

総評

終盤のカタルシスにもう一押しが足りないが、それでも本作は十分に面白いと評することができるだろう。一つの謎が解かれるたびに新たな謎が生まれていく過程は、ミステリとしても上質で、実在した歴史的な背景から人間の業を説明するところにヒューマンドラマとしての重厚さを味わえる。小栗旬は少々奇矯なキャラを演じることが多かったが、今回は押さえた演技を優先することで、言葉ではなく行動で語るジャーナリスト像を深掘りできていたし、星野源は市井の小市民ながら職業人として、父として、夫として、息子としての側面全てを出し切った。『 鬼滅の刃 』で劇場に足を運んでくれるようになったライトな映画ファンには、本作にも注目をしてほしいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

fox-eyed

「キツネ目」の意味の形容詞。何らかの語にハイフンで分詞をくっつけることで、日本語お得意の複合形容詞を英語でも作ることができる。

 

翼を持ったペガサス=Winged Pegasus
一つ目小僧=One-Eyed Child
三足烏=Three-Footed Crow
三頭竜=Three-headed Dragon
八岐大蛇=Nine-headed Dragon

 

など、色々とかっこいい表現が可能になる。そういえばFFⅦのセフィロスのテーマ音楽も“One-Winged Angel”(発音注意 ウィングド× ウィンギード〇)だった。こうした複合語を違和感なく消化できれば、立派な英語中級者である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, ミステリ, 小栗旬, 日本, 星野源, 監督:土井裕泰, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 罪の声 』 -グリコ・森永事件の独自再解釈ミステリ-

『 星の子 』 -信仰深い少女のビルドゥングスロマン-

Posted on 2020年11月2日2022年9月19日 by cool-jupiter

星の子 65点
2020年10月30日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:芦田愛菜 蒔田彩珠 永瀬正敏 原田知世 岡田将生
監督:大森立嗣 

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新興宗教に傾倒する家族、特にその娘にフォーカスした物語。個人的に観ていて精神的に消耗させられた。Jovianの大昔のガールフレンドも、まさに本作のちひろのような感じだったからだ。

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あらすじ

ちひろ(芦田愛菜)は未熟児として生まれ、アレルギーにも苦しんでいた。しかし、「金星のめぐみ」という水の力でちひろが回復したと信じた両親は、その水への傾倒を深めていく。中学3年生とったちひろも水への信仰を持っていたが、学校の数学教師に恋心を抱くようになり、信仰心と恋心の間で揺れ動き始めていた・・・

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ポジティブ・サイド

宗教と聞くと『 スペシャルアクターズ 』のようなインチキ宗教を思い浮かべる向きが多いだろう。日本人は基本的に無宗教だと言われるが、それは「神」や「法」といった抽象概念への信仰が薄いだけで、何かを信じる気持ちは普通に持っている。そして、それは圧倒的多数が往々にしてそのことに無自覚である。テレビでちょっと「納豆がダイエットに良い」、「バナナがダイエットに効く」とやるだけでスーパーから商品が消える。最近でもどこぞのアホな府知事が「イソジンでコロナが消えていく」と大真面目に語ったことで、薬局やドラッグストアでイソジンが品薄になった。こうした日本人の傾向を自覚するか、それとも宗教は胡散臭いし、それを信じる人はキモチワルイと思うか、それによって本作の意味(≠評価)は大きく変わると思われる。

 

最初はかなり良い家に住んでいるちひろの一家が、ちひろが中学生になる頃にはあばら家・・・とは言わないまでも、かなりグレードダウンした家に住んでいることが目につく。寝所を変えなければならないほどに、「金星のめぐみ」にカネを使っているということだろう。ちひろの父親は職場関係の人から勧誘され、その父も妻の兄を勧誘する。我々はこうした勧誘行為にうさん臭さを感じるわけだが、本作に描かれるちひろの両親には悪意は認められない。アレルギーに苦しむ娘を救ってくれた奇跡の水に感謝しているという、善意からの行動なのだ。

 

そうした両親に育てられたちひろが「水」の力を信じる一方で、姉のまーちゃんは信仰や宗教に反発し、家を出て、自身の選ぶべき道を模索し、それを掴み取っていく。その過程が詳細に描写されるわけではないが、まーちゃんがどれほど普通を渇望し、それに魅せられているかを幼いちひろに訥々と語る長回しのシーンは、『 真っ赤な星 』での小松未来と桜井ユキの天文観測所での語らいを思い起こさせてくれた。

 

非常に閉じた世界に住むちひろが、岡田将生演じる数学教師に恋をする描写も好ましい。少女漫画原作とは趣が全く異なり、甘酸っぱさを前面に出したりはしない。イケメンだからと言って、内面が素晴らしい人間かと言えば、必ずしもそうではない。見た目に奇行が目立つからと言って、内面的に悪であったり薄汚れていたりするわけでもない。ある意味、常識的な人間社会や人間関係の在り方を見せているだけなのだが、そこにちひろというフィルターを通すだけで、世界の在りようが大きく異なって見える。自分が好きな相手が、自分に対して好意を抱いているわけではない。当たり前のことだ。けれども、そうした当たり前を受け止められないちひろの感情の発露は、見ていてとてもショッキングで痛ましい。逆にそれは、ちひろが両親に注ぎ込まれた愛情の大きさを逆説的に表してもいる。一つひとつの人間関係や事象に安易な善悪のラベリングをしない点で、本作のドラマは深みを増している。高良健吾や黒木華の演じる教団幹部の言動から

 

母を探すちひろ、ちひろを探す母。最終盤の二人のすれ違いは、そのまま彼女らの住む世界が徐々に異なってきていることの表れなのだろう。切れそうで切れない紐帯。それが信仰心によるものなのか、それとも家族愛によるものなのか。大森監督はそこを我々に見極めてもらいたがっている。そのように思えてならない。

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ネガティブ・サイド

岡田将生に両親を変人扱いされたちひろが、混乱のあまりに街を駆けるシーンは、邦画お馴染みのクリシェでもう見飽きた。全力で走る主人公を真横からのアングルで並走するクルマから撮らないと映画人はじんましんでも出るのだろうか。

 

アニメーションで空から落ちていくちひろの描写も、ストーリー全体の流れからするとノイズに感じられた。ちひろの千々に乱れる心象風景を描写するなら、それこそ浜辺で黄昏を見つめるような、映画的な演出がいくらでも考えられたはずだ。

 

『 MOTHER マザー 』で顕著だった、子が親を慕う無条件にも近い愛の描き方が弱かったように思う。自ら家族を捨てたまーちゃんが一報だけを寄こしてくるシーンを映して欲しかった。その報を受けた永瀬なり原田なりが破顔一笑する、または感涙する一瞬を映し出してくれれば、紐帯としての家族というテーマがよりくっきりと浮かび上がってきたことだろう。

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総評

かなり賛否両論が分かれる作品だろう。それは宗教というものに関する嫌悪感が背景にあるからだが、その嫌悪感の裏には無知や無理解、無関心が潜んでいる。本作が今というタイミングで映画化されたことの意義は決して小さくない。宗教=何かを強く信じることだ。停滞・低迷する日本の社会で興隆しつつあるオンラインサロンは一種の教団ではないのか。Jovianは時々そのように感じる。宗教的な背景や信仰心を受容できず、関係を途絶えさせてしまった経験を持つJovianには本作は色々な意味で突き刺さった。ぜひ諸賢も鑑賞されたし。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

put ~ away

『 マリッジ・ストーリー 』でも紹介した「~を片付ける」という表現。「その目障りな水を片付けろ!」という一喝は

Put that goddamn water away!

という感じだろうか。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, ヒューマンドラマ, 原田知世, 岡田将生, 日本, 永瀬正敏, 監督:大森立嗣, 芦田愛菜, 蒔田彩珠, 配給会社:ヨアケ, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 星の子 』 -信仰深い少女のビルドゥングスロマン-

『 きみの瞳が問いかけている 』 -オリジナル超え、ならず-

Posted on 2020年10月29日2022年9月16日 by cool-jupiter
『 きみの瞳が問いかけている 』 -オリジナル超え、ならず-

きみの瞳が問いかけている 65点
2020年10月25日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:横浜流星 吉高由里子
監督:三木孝浩

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『 ただ君だけ 』の日本版リメイク。かなり原作に忠実に作りこまれているが、余計な演出になってしまっているところが数か所あったのが残念である。

 

あらすじ

不慮の事故で失明した明香里(吉高由里子)と過去の過ちからアルバイトで日々を食いつなぐだけの塁(横浜流星)は、ふとしたことから出会い、距離を縮めていく。しかし、明香里の失明は塁の過去に原因があり・・・

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ポジティブ・サイド

『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』や『 坂道のアポロン 』で印象的な光と影の使い方を見せた三木孝浩監督は、本作でも光を巧みに操った。邦画の夜のシーンは不自然なほどに明るいことが多いが、本作の夜の場面はそれを感じさせないし、本作の昼の場面は陽光を画面いっぱいに映し出す。原作の前半は暗、後半は明というコントラストにはこだわらず、各シーンで監督の持ち味が上手く発揮されていた。光だけでこれほど映える絵を撮れる人はそう多くない。

 

横浜流星も空手のバックグラウンドを活かして、見事なキックボクシングシーンを披露した。特に復帰二戦目のフィニッシュシーン、右ストレートで相手を仕留めた後の返しの左フックまで打っていた(空振りというところがリアルだ)。エンドクレジットで見逃したが、かなり本格的なボクシングの手ほどきを受けたのだろう。普段からどれくらい鍛えているのかは想像するしかないが、まさに鋼と呼べる肉体美も披露。これは女性客を呼べる。間違いない。山下智久の矢吹ジョーは正直イマイチだったが、横浜流星をジョーにしてリメイクできないものか。バンタム級やフェザー級に見えない?それは山下もそうだったでしょ?

 

閑話休題。吉高由里子の視覚障がい者の演技も良かった。決して合わない目線は基本であるが、聴覚だけではなく嗅覚も敏感であるところがなんともユーモラス。原作通りにデート前に浮き浮きするところや、「一人では行けない」という店をチョイスするところが何とも微笑ましい。障がい者をことさらに障がい者扱いしていないところに、今というタイミングで日本でリメイクする意味があるのだと感じた。少々脱線するが、Jovianは縁あって、大学で英語を教えている。もちろん、このご時世なのでオンライン授業である。視覚障がいや聴覚障がいの学生もいるのだが、彼ら彼女らはAcrobat Readerの読み上げ機能や、Google Meetの字幕オン機能やリアルタイム翻訳は、障がいを障がいでなくしている。原作でも本作でも、ヒロインが仕事をしている様は大いに輝いて見える。もちろん、ちょっと間の抜けたシーンのおかげで人間らしさが色濃く出ている。何をどうやれば排水溝にパンティが詰まるのかは大いなる謎だが、ハン・ヒョジュのように上着を脱がなかった代わりに、下着を見せてくれたのだと理解しようではないか。

 

二人が不器用に育んでいく恋の描写も、原作にかなり忠実で丁寧だ。二人でどこかに出かける約束をした帰り道の塁の「ひゃっほう!」感も微笑ましいし、美容室で髪を手入れする明香里もまた微笑ましい。原作同様に視覚障がい者に対して、思いがけずきつい言葉を浴びせてしまうシーンには少々こたえるものがあるが、それも塁の過去の因果によるものだと思えば納得できるし、横浜流星はそうした影のある男を上手く描出できていた。格闘家から地下世界のバウンサー的な存在に落ちてしまった男が、さりげなく明香里の部屋をバリアフリー化しているところもポイントが高い。壊すだけではなく直せる男でもあるのだ。賃貸住宅でそんなことをして大丈夫かと不安になるが、大丈夫だった。ちょっとした工夫が大きな助けになるという物語全体のテーマを表している良いシーンと演出だった。

 

クライマックスで文字通りにすれ違ってしまう二人には、胸がつぶれそうになった。原作とほとんど同じなのに、あらためてそう思えるということは、それだけ芝居のレベルも高く、その他の演出も効果的だったということだろう。特にリメイク要素として追加された“視覚以外の要素”が特に印象的だった。原作を観た人も、横浜流星ファンも、吉高由里子ファンも、かなり満足できるクオリティに仕上がっていると言えるだろう。

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ネガティブ・サイド

横浜流星の格闘シーンには迫真性があったが、顔はそうではなかった。原作のチョンミルの恵まれた体躯と野獣性、武骨な顔つきと低い声。これらがあったればこそ、アジョシ=おじさんという呼称が成立していた。蚊の鳴くような小さな声だったが、それでも塁の声を聞いて、聴覚が人一倍鋭い明香里が直感的に「この声は40代の男性だ」などと思うだろうか。ここにどうしても無理があり、その違和感は中盤までつきまとう。

 

また明香里が塁の顔の良し悪しに言及するたびに、塁がムッとする演出は不要だろう。日本版リメイクは横浜流星のキャスティングによって若い女性客を劇場に呼びたいという意図が見え見えだが、それは現実世界の話。銀幕の中では、塁は顔の美醜を気に掛けるようなキャラではないし、そうしたキャラであるべきでもない。

 

細かい粗というか、オリジナル超えをできていない点もあった。横浜流星がミンチョルではなく『 アジョシ 』のテシクになってしまっている。何故だ。もじゃもじゃ頭を再現しようとしても、こうはならないだろう。浣腸少年を消してしまうのは別に構わないが、だったら塁の心根の優しやを表してくれる代替の存在が必要だろうと思う。明香里の上司の指をへし折るシーンでも、相手の口のふさぎ方を間違えている。あれでは噛みつかれた時に自分がダメージを受けるではないか。オリジナルにあったベッドシーンというか、ハン・ヒョジュが上半身の上着を脱いでチョンミルと抱き合う場面に相当するシーンがなかったのは何故なのか。せっかくの色っぽいシーンではなく「美しいシーン」だったのに、それを再現しようという意気込みが監督になかったのか、それとも吉高サイドがNGを出したのか、まさか編集で削ったのか。納得がいかない。仕事を辞めざるを得なかった明香里に「気晴らしにどこかに連れて行って」と言われて、シリアスな記憶の場所である浜辺に連れて行ってしまう塁のセンスを疑う。原作通りにアミューズメントパークで良いのに。

 

総評

残念ながらオリジナルのクオリティには少々届かない。『 SUNNY 強い気持ち・強い愛 』の広瀬すずが『 サニー 永遠の仲間たち 』のシム・ウンギョンを巧みにコピーしていたように、吉高由里子はハン・ヒョジュをかなり巧みにコピーできていた。しかし、横浜流星のビジュアルおよび声質がダメである。ただ、オリジナルを意識しなければそれなりに良い出来に仕上がっている。本作だけを見ても、十分にロマンス要素および悲恋の要素も堪能できる。『 見えない目撃者 』ほどのリメイク大成功とは言わないまでも、まずまずのリメイク成功例と言えるのではないだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be on a crutch / on crutches

松葉杖をついている、の意。単数か複数かは使っている松葉杖の数で使い分けるべし。今後は車椅子だけではなく松葉杖にも優しい環境作りが求められるものと思う。駅へのエレベーターの設置などはかなり進んだが、今後は自動改札の幅を少し広くしたり、電車とプラットフォームの間の隙間をさらに小さくするような工夫が必要だと思われる。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, ラブロマンス, 吉高由里子, 日本, 横浜流星, 監督:三木孝浩, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 きみの瞳が問いかけている 』 -オリジナル超え、ならず-

『 スタートアップ! 』 - 韓流・腕力コメディ-

Posted on 2020年10月25日2022年9月16日 by cool-jupiter

スタートアップ! 55点
2020年10月24日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:マ・ドンソク パク・ジョンミン チョン・へイン ヨム・ジョンア
監督:チェ・ジョンヨル

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序盤はコメディ色が強めだが、終盤はやはり腕力で全てを解決売る展開に。ある意味予想通りの作りである。シネマート心斎橋は9割以上の入り。『 鬼滅の刃 無限列車編 』も熱いが、韓国映画、そしてマ・ドンソクも固定客をガッチリと掴んでいる印象。

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あらすじ

テギル(パク・ジョンミン)とサンピル(チョン・へイン)の悪童連は、大学にも予備校にも行かず自堕落な日々を過ごしていた。サンピルはカネを稼ぐために就職するが、そこはヤクザの高利貸しだった。一方のテギルも地元を飛び出し、偶然に立ち寄った中華料理屋で異彩を放つ料理人、コソク(マ・ドンソク)に出会うが・・・

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ポジティブ・サイド

しょっぱなから主人公のテギルが殴られまくる。まずはヨム・ジョンア演じる母親からビンタを食らいKOされる。そして、謎の赤髪サングラス女子にもボディーブローでKOされる。極め付きは住み込みバイトをすることになった中華料理屋でもマ・ドンソク演じるコソク兄貴にもKOされる。いったいどこまで殴られるんだ?さらにこいつはどれだけ打たれ強いんだ?と、笑ってしまうほどに思わされる。しかし、住み込み初日明けの朝、逃げ出そうとするテギルにコソク兄貴が、拳ではなく言葉で語ってくる。それによって、殴られるよりも効いてしまうテギル。負け惜しみで「逃げるんじゃねえ。ウンコに行くだけだ」と言うのだが、このセリフが終盤のちょっとした伏線になっているのはお見事。

 

このテギルとコソク兄貴の関係を軸に、多種多様な人間関係が描かれていくが、実は彼ら彼女らは皆、社会のメインストリームから外れた者たちである。つまり、本作は「連帯」を描いているわけだ。社会の一隅には、こんな人たちがいる。しかも健気に生きている。そこにヤクザ者や半グレ集団が絡んできて、そしてそのヤクザ者の中に旧知の間柄の人物が・・・という、ある意味では陳腐な物語ではある。だが、非常に示唆的だなと感じたのは、弱い立場の人間を虐げる者の中にも、実は弱い人間がいるということ。誰も初めから弱者を虐げ搾取しようなどとは思わない。ヤクザの高利貸しがドスを効かせて言う「どんな仕事も長く続ければ、それが天職になるんだ」というセリフには、そうしたヤクザ者たちも最初はその仕事を嫌がっていたということが仄めかされている。

 

なんだかんだで最後はマブリーが腕力と胆力で解決するわけだが、テギルとサンピルの悪ガキコンビの成長も併せてしっかり描かれている。また、それを見守る中華料理屋のオーナーの渋みと深みよ。この人、『 エクストリーム・ジョブ 』のチキン店オーナーだったり、『 暗数殺人 』のマス隊長だったりと、見守る役を演じさせると天下一品だなと感じる。日本で言えば『 風の電話 』の三浦友和の雰囲気に通じる。陳腐な人間ドラマではあるが、感じ入るものがある。マ・ドンソクのファンなら観ておきたい。

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ネガティブ・サイド

テギルとサンピルのキャスティングは、逆の方が良かったのでは?これはJovianの嫁さんも同感だったようである。イケメンが反抗期で、ケンカの腕もたいしたことないのに、ところかまわず生意気盛りにケンカを売って殴られまくる方がより笑えるように思う。絵的にも、生傷が絶えない金髪テギルの方が借金取りに似合っている。というか、この男、DNA的に菅田将暉と遠い共通のご先祖様を持っている・・・???

 

テギルの母が元バレーボール選手という設定もあまり活きていない。ビンタよりも脳天唐竹割りの方がバレーのスパイクと似ているし、絵的にも笑えるのではないかと思うが、いかがだろうか。

 

個人的にはマ・ドンソクのおかっぱ頭にはそれほど笑えなかった(TWICE好きでノリノリで踊るには笑ったが)。いかつい風体の男が、目を開けて寝たり、中華鍋を華麗に振るったりするだけで十分にギャップがある、つまり面白い。おかっぱ頭はビジュアル的にはインパクトがあるが、それなしで勝負することも十分にできたと思うのだが。結局、最後はいつものマ・ドンソクに戻るわけだし。

 

社会的弱者の連帯を謳った本作であるが、未解決の問題も数多く残されたままストーリーは完結する。もっと荒っぽくてもよいので、無理やりにでも大団円にできなかったか。一部の問題は、まるで最初から存在しなかったかのようですらある。

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総評

序盤のギャグには面白いものとつまらないものが混在している。『 エクストリーム・ジョブ 』は劇場内のあちこちから「ワハハ」という声が聞こえてきたが、本作はそこまでではない。ちょこちょこ「クスクス」という笑いが漏れてくる程度だった。もっと振り切った笑いを追求できたはずだし、あるいはもっと容赦の無いバイオレンス描写も追求できたのではないか。マ・ドンソクの魅力やカリスマに頼りすぎた作品という感じがする。ファンなら観ておくべきだが、コメディ要素を期待しすぎると少々拍子抜けするかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

イーセッキ

『 サスペクト 哀しき容疑者 』でも紹介した表現。意味は「てめえ、この野郎」ぐらいだろうか。本作でも何十回と聞こえてくる。邦画でここまで罵り言葉を連発するのは北野武映画くらいか。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, コメディ, チョン・へイン, パク・ジョンミン, マ・ドンソク, ヨム・ジョンア, 監督:チェ・ジョンヨル, 配給会社:クロックワークス, 韓国Leave a Comment on 『 スタートアップ! 』 - 韓流・腕力コメディ-

『 シカゴ7裁判 』 -年間最優秀海外映画候補の最右翼-

Posted on 2020年10月24日2021年1月18日 by cool-jupiter
『 シカゴ7裁判 』 -年間最優秀海外映画候補の最右翼-

シカゴ7裁判 85点
2020年10月21日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:エディ・レッドメイン サシャ・バロン・コーエン ジョセフ・ゴードン=レヴィット
監督:アーロン・ソーキン

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同僚のカナダ人とイングランド人が絶賛していた本作。“You must watch it.”と言われたからには観るしかない。Don’t get your hopes up.と自分に言い聞かせながら鑑賞した。これは年間最優秀映画候補の筆頭である。それほどのインパクトを感じた。

 

あらすじ

1968年、シカゴ。平和的な反戦抗議デモの参加者が民主党大会の会場を目指していた。だが、ふとしたきっかけで警察とデモ参加者が衝突、多数の負傷者が出る。デモの首謀者として逮捕、起訴された7人の男たちは裁判にかけられた。果たして彼らは無罪を勝ち取れるのか・・・

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ポジティブ・サイド 

2020年10月に公開(Netflixだが)されるということは、普通に考えれば映画の撮影はその約1年前。つまり、Black Lives Matter運動の発生以前。1960年代の事柄なので、構想自体は10年前に既に持っていたとしておかしくないが、それでも映画化に実際に動けるのはさらに1~2年前の2017~2018年頃だろうか。この時点でアメリカや香港のような極めて大規模な民衆主導のデモが発生するだろうということ、そしてその契機が警察などの国家権力がそれを暴力で鎮圧しようとしたことであったことを予見した映画人は『 ジョーカー 』の監督トッド・フィリップス以外にはアーロン・ソーキンぐらいだったのだろう。まさに炯眼である。

 

小難しい理屈は抜きにしても、本作は娯楽映画としても一級品である。オープニングのシークエンスからして、観客を一気に映画世界に引きずり込む。ベトナム戦争や公民権運動のことなど全く知らないという人には厳しいかとも感じたが、さにあらず。ベトナム戦争に派遣される兵士の数が「そんな馬鹿な」という勢いで増加していく。しかも、その映像がどこか明るくポップで、場面の移り変わりも小気味がいい。そしてマーティン・ルーサー・キングとロバート・ケネディの死を、どこかしらコミカルな銃撃音で片づけてしまうところで、この軽妙なテンポはさらに勢いづく。エディ・レッドメイン演じるトム・ヘイデンやサシャ・バロン・コーエン演じるアビー・ホフマンが次々にセリフをつないで、「いざ鎌倉!」とばかりにシカゴを目指していく。この10分足らずのオープニング・シークエンスだけでも何回も観たい。

 

時の政権が変わって、これまでお咎めなしだったシカゴ7ともう一人の裁判が急遽開かれる。どこかの島国の政治家夫婦を思い出させるではないか。この裁判というのが、はっきり言って出来レース。それまで接点のなかった7人を、シカゴの暴動を共謀して扇動したという、まさに「共謀罪」で吊るし上げることを目的にしているからだ。この時の判事が完全なる耄碌じじいで、軽度の認知症、人種差別主義者、弱い者いじめ、夜郎自大、傲岸不遜と、なにどうやったら人間的にこれほど欠陥のある判事になれるのかという、分かりやすすぎるヴィランである。通常、法廷ものといえば『 エミリー・ローズ 』のように、ヴィランは検察官であろう。判事が明確に敵というのは、なかなか珍しい。このホフマン判事を演じたフランク・ランジェラの卓抜した演技力のおかげで、観る側は否応なくシカゴ7の面々に感情移入してしまう。そして、国家権力の志向する正義に疑念を抱き、個々人が心に秘める正義を後押ししたくなる。それこそが本作を現代に放つ意義、監督からのメッセージである。

 

それにしても本作の検察および警察のやり口の汚さには辟易させられる。コミカルな序盤に、サスペンスフルな中盤の法廷闘争。判事の横暴だけではなく、検察の仕掛ける場外乱闘に、緊張が一気に高まっていく。それによってシカゴ7+1の代理人を務めるクンスラー弁護士の人間味と正義感が際立っている。まさに市井の弁護士という感じだが、それに対峙するエリート検察のジョセフ・ゴードン=レヴィットが、冷静冷徹ではあるが冷酷ではない、国家権力を振りかざせる立場にありながら自制心を有している。この二人が証人に対して尋問を行っていくシーンの数々は法廷ものとして見ても素晴らしい出来栄え。

 

クライマックスには心震わされた。この裁判はそもそも何を争っているのか。流血沙汰の暴動を扇動したのはデモ隊なのか警察官なのか。しかし、デモはそもそも何故組織され、行われたのか。それは、ベトナム戦争というアメリカ史における汚点(と敢えて言う)、その無益な戦傷者と戦死者のためである。国権の発動たる軍事力の行使への不信、そして国権の一角である司法への不信。アメリカ近代史の事件を描いた本作であるが、それが今日、このタイミングで公開されることの意義は大きいし、日本に住まう我々にとっても大いなる衝撃を持って迫ってくる作品である。

 

ネガティブ・サイド

シカゴ7+1であったボビー・シールの物語をサブプロットに上手く組み込めなかったのかと思う。彼の所属するブラックパンサー党への関心やその歴史的解釈や再評価への機運が、映画『 ブラックパンサー 』の公開および主演のチャドウィック・ボーズマンの急逝で高まっているからである。

 

トンデモ判事のその後の歴史的評価はまったくもって思った通りだったが、ジョセフ・ゴードン=レヴィット演じたシュルツ検察官のその後についても知りたかったと思う。

 

総評

政治サスペンスとしては『 女神の見えざる手 』と並ぶ作品で、法廷闘争劇としては『 判決、ふたつの希望 』に次ぐ大傑作である。米大統領選を前にNetflixで公開されたが、『 アイリッシュマン 』の時と同じく、こうした映画を上映してくれる劇場がある。検察官に正義感や良心はあるのか。判事に公正かつ中立的な判断力はあるのか。警察は自制心を持っているのか。本作の描く歴史を他山の石とできるかどうかが日本の分かれ目である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a contingency plan

emergency=「緊急事態」はTOEIC650点レベルの人なら8~9割は知っているだろうが、contingency=「不測の事態」となると、TOEIC800点レベルだろうか。しばしば、“Always have a contingency plan.”=「常に不測の事態に備えておけ」という警句の形で使われる。原発事故後は政府や東電が「想定外」という言葉を何とかの一つ覚えのように使っていたが、アホな政治家やインフラ事業者に対するcontingency plansを我々庶民は持てないのだろうか。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アメリカ, エディ・レッドメイン, サシャ・バロン・コーエン, サスペンス, ジョセフ・ゴードン=レヴィット, 伝記, 歴史, 監督:アーロン・ソーキン, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 シカゴ7裁判 』 -年間最優秀海外映画候補の最右翼-

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