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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 未分類

『ラ・ラ・ランド』 -LAの街に夢を見る者たちの苦悩と幸福の物語-

Posted on 2018年8月4日2019年11月28日 by cool-jupiter

ラ・ラ・ランド 55点

2018年8月1日 WOWO録画観賞
出演:ライアン・ゴズリング エマ・ワトソン J・K・シモンズ ローズマリー・デウィット ソノヤ・ミズノ 
監督:デイミアン・チャゼル

『セッション』のJ・K・シモンズ演じるフレッチャーに違う形で再会してみたいと思い、本作を見返す。タイトルの『ラ・ラ・ランド』は、原題でも“La La Land”、LA=Los Angelesでもあり、現実から遠く離れたファンタジーの世界であり、そうした世界に住まう恍惚感を表わすTriple Entendreなのである。

ジャズ・ピアニストとして自分の店を持ちたいと願うセブ(ライアン・ゴズリング)と女優として大成したいと望むミア(エマ・ワトソン)は、最悪の形で出会いながらも、互いの夢へのリスペクトから惹かれ合うようになる。しかし、夢を追いかけるミアと、ミアとの将来のために、ジャズの店ではなく売れ筋バンドでの演奏を選択するセブは、すれ違い始める・・・

主題は至ってシンプルである。しかし、我々に投げかけられる問いは重く深い。男と女、お互いの夢を追求することがお互いの関係を疎遠にしてしまう時、自分なら何を選択するのか。相手の夢を叶えるサポートをしたいと心から願うのか。そのためには自分の夢をあきらめることも厭わないのか。しかし、自分が夢をあきらめることを、自分のパートナーが認めてくれない時、自分はどうすればよいのか。何もミュージシャンや俳優志望でなくとも、普通に誰にでも起こりうる事象である。Jovian個人としては、ミアが最後に夢見たラ・ラ・ランドのあまりの都合の良さに正直なところ、辟易してしまったが、逆にそうした一瞬のまどろみの中に見出した、ありうべきだった幸福な生活のビジョンこそが、観客へのメッセージだとの見方も成り立つ。夢よりも現実の幸せを選べ、と。いや、セブが最後に見せた一瞬の表情の陰りこそがメッセージなのかもしれない。自分こそが彼女の夢の後押しをしてしまったのだ、と。いずれにせよ、歌と踊りに彩られた華やかさの裏には、ほろ苦い悔恨の念がある。様々な意味を持つラ・ラ・ランドという言葉だが、本作が最も提示したかった意味はファンタジー世界のことだったのかもしれない。

J・K・シモンズは、『セッション』のノリと同じく、口うるさいレストランの支配人で、ジャズを何よりも愛するセブに、クリスマス・ソングを演奏しろとプライドを傷つける要求をする。セブのちょっとした反骨心に火がついてしまった時には、あっさりとクビを言い渡す。ほんのちょっとしたやり取りに、フレッチャーの姿がちらついてしまうのは、それだけの怪演、本人からすれば会心の演技だったからだろうか。

それにしても本作はゴズリングに尽きる。「ジャズは死につつある!」と、まるで「哲学は死につつある!」などと叫ぶ真面目過ぎる学徒の如く熱弁を振るう様に、究極的なギークの姿を見出せるが、それを微塵も感じさせず、逆に女性を惹きつけてしまうのだから大したもの。『博士と彼女のセオリー』でも、花火を見ながらホーキングが物理学を語って、女性を口説くシーンがあったが、ギークであっても、いや、ギークだからこそ惹きつけられる女性もいるのか。共通点は、どちらの映画でもヒロインは結局主人公の元を去ってしまうということ。

色々と示唆に富む映画で、観るたびに発見がありそう。『グレイテスト・ショーマン』とは違って、囁くような、呟くような歌が多いのもポイント高し。TOHOシネマズ梅田のDOLBY ATMOSでいつか再上映やってくれないかな。2800円でもチケット買うよ。

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, D Rank, J・K・シモンズ, アメリカ, エマ・ワトソン, ミュージカル, ライアン・ゴズリング, 監督:デイミアン・チャゼル, 配給会社:ギャガ, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『ラ・ラ・ランド』 -LAの街に夢を見る者たちの苦悩と幸福の物語-

『ウインド・リバー』 -忘却と抑圧の歴史を現在進行形で提示する傑作- 

Posted on 2018年7月31日2020年2月12日 by cool-jupiter

ウィンド・リバー 80点

2018年7月29日 シネ・リーブル梅田にて観賞
主演:ジェレミー・レナー エリザベス・オルセン ジョン・バーンサル
監督:テイラー・シェリダン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180731112507j:plain

最初にキャスティングを観た時は、何かの冗談だろうと思った。ホークアイとスカーレット・ウィッチで何を作るつもりなのだと。しかし、テイラー・シェリダンは我々の持っていた固定観念をまたしてもいともたやすく打ち砕き、『羊たちの沈黙』、『セブン』の系譜に連なるサスペンス映画を世に送り出してきた。それが本作『ウインド・リバー』である。

アメリカ・ワイオミング州のウィンド・リバー地区で少女の死体が見つかる。場所は人家から遠く離れた雪深い森林近く。発見者はコリー・ランバート(ジェレミー・レナー)、地元のハンターである。捜査のためにFBIから新米エージェントのジェーン・バナー(エリザベス・オルセン)が送り込まれてくる。ジェーンは地元の地理や人間関係に精通し、何よりも雪を読む力を有するランバートに捜査の協力を依頼する。そして二人は事件の真相を追っていく・・・

あまりにも広大なワイオミング州に限られた人員、しかし捜査は拍子抜けするほどあっさりと進んでいく。なぜなら、この土地の人口密度の希薄さとは裏腹に、人間関係の濃密さは反比例しているからだ。さらにこの土地には『スリー・ビルボード』のような地方、田舎に特有な閉鎖的人間関係のみならず、ネイティブ・アメリカン居留地であるという歴史に由来する抑圧への憤りが静かに漂っている。それは主人公のランバートにしても同じで、彼の家族との関わり、殺された娘の両親との関わりから、我々は実に多くの背景を悟ることができる。何もかも分かりやすく会話劇やナレーションで説明してしまう映画が多い中、これほど画で語る映画に出会えたのは僥倖だった。ただし、ネイティブ・アメリカンと独立国家アメリカとの関わりの歴史を知らなければ、少し理解が難しいかもしれない面はあった。『焼肉ドラゴン』についても、日本が朝鮮半島を植民地化した歴史を知らなければ、理解が追いつかない部分があったのと同様である。ネイティブ・アメリカンの強制移住、就中、涙の道=The Trail of Tearsの話は、怒りと悲しみ無しに知ることはできないので、興味のある向きはぜひ調べてみてほしいと思う。

本作を特徴づけているのはその狭く濃密な世界観だけではなく、主人公ランバートの雪読みの能力。小説『スミラと雪の感覚』のスミラを彷彿とさせるキャラクターである。このスミラも、デンマーク自治領グリーンランドで生まれ育ったイヌイットの混血児で、デンマーク社会を複雑な視線で見つめるキャラクターで、ランバートとの共通点が多い。雪という自然現象が本作『ウインド・リバー』の大きなモチーフとなっており、観る者は雪の持つ美しさだけではなく、命を容赦なく奪う冷徹性、あらゆるものの痕跡を掻き消してしまう暴力性、なにもかもを一色に染めてしまう無慈悲さを見せつけられる。特に雪が一面を白に染めてしまうという無慈悲さは、そのままずばりアメリカの歴史の負の側面を象徴している。近代国家として成立したアメリカの歴史は端的に言えば、対立と融和の繰り返しだ。植民地と宗主国との対立と融和、弱小州と強大州の対立と融和、自然と文明の対立と融和、エリートとコモン・ピープルの対立と融和、男性と女性の対立と融和、白人種とその他人種の対立と融和、そしてネイティブ・アメリカンとアメリカンの対立と融和。しかし、これらの歴史がすべて今も現在進行形であるということに我々は慄然とさせられる。そうした差別と被差別の関係が今も残っていることにではなく、我々が普段、いかにそうした抑圧された側を慮ることが無いのかを突きつけられるからだ。雪が染め上げる大地は、白人に無理やり染め上げられるネイティブ・アメリカンの悲哀のシンボルであろう。

閉鎖社会の中でさらに抑圧された存在として描かれるネイティブ・アメリカンの女性は、我々に忘却することの残酷さを否応なく突き付けてくる。ジェレミー・レナーが被害者の娘の父親に語る彼自身の逸話は胸に突き刺さる。我々が初めてこの父親を目にする時、どこか無機質で非人間的とも思える印象を受けてしまうのだが、そうしたイメージをいかに容易く我々が形成してしまうのは何故なのか、そしてそうしたイメージを一瞬で粉々に打ち砕くようなシークエンスがすぐさま挿入されるところに、テイラー・シェリダンの問題意識が強く打ちだされている。人間とは何であるのか、人間らしさとは何であるのか。傑作SF『第9地区』でも全く同じテーマが問われているのだが、我々は人間であることを簡単に忘れ、獣に堕してしまう。そんな獣を撃ち抜くランバートとともに、本作を堪能してほしい。今年、絶対に観るべき一本である。

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, アメリカ, エリザベス・オルセン, ジェレミー・レナー, ジョン・バーンサル, ヒューマンドラマ, 監督:テイラー・シェリダン, 西部劇, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『ウインド・リバー』 -忘却と抑圧の歴史を現在進行形で提示する傑作- 

『BLEACH』 -続編の製作は必要なし-

Posted on 2018年7月23日2020年1月10日 by cool-jupiter

BLEACH 20点

2018年7月22日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:福士蒼汰 杉咲花 吉沢亮 長澤まさみ 江口洋介 真野恵里菜 田辺誠一 早乙女太一 MIYAVI
監督:佐藤信介

* 以下、ネタバレあり

Jovianは原作を読んだことがないし、これからも読む予定は無いが、残念ながら本作は2018年の邦画ワースト5に入るであろうということは直感的に分かる。『修羅雪姫』に始まり、『図書館戦争』『GANTS』『アイアムアヒーロー』『いぬやしき』で我々を魅了してくれた佐藤信介はどこに行ってしまったのだ?まあ、『デスノート Light up the NEW world』のような珍作もこの人は作ってしまったこともあるのだけれど。もしかして青年漫画は上手く映画化できても、少年漫画は不得手なのだろうか。

黒崎一護(福士蒼汰)は、幼い日に母(長澤まさみ)を亡くしてしまう。その原因が何であるのかを知ることがないままに高校生になったが、一護には霊が見えるという特異体質があった。ある時、突如自宅に大穴が空き、妹が謎の存在に攫われる。その化け物、虚(ホロウ)と闘う謎の少女の姿をした死神、朽木ルキア(杉咲花)。そのルキアから死神の力を与えられることになってしまった一護は、人間世界の理とは異なる存在たちとの戦わなくてはならなくなってしまう。

これだけなら、なかなか面白そうな導入である。実際に日本のエンタメCG製作では間違いなく最高峰の白組が手掛けるホロウたちの迫真性は見事なものである。ただ、白組に関しても『寄生獣』、『シン・ゴジラ』では素晴らしい仕事をしたと思うが、『DESTINY 鎌倉ものがたり』はあまりにもCG臭さがあふれていて、全てを手放しで評価できるわけではないと思っている。本作の問題点は大きく3つに大別できる。

1つは、登場人物たちの関係の描写があまりにも希薄であるということ。その最たるものは一護の母(長澤まさみ)と父(江口洋介)であろう。冒頭のシーンは一護という男の子の心根の優しさを描くことはできていたが、母の愛情についてはあと一歩踏み込んだ描写がなかった。それが無かったが故にか、「時々母の夢を見る」と呟く一護に対して、父は「俺は毎日見る」と返す。そのコントラストは父親の大きさの影に隠れた弱さと、生意気盛りの息子の奥底に隠れている母への思慕を浮き彫りにする非常に重要なシーンだ。だが、その冒頭とクライマックスバトル直前の江口のキャラのあまりの軽さと軽率さが、せっかくの良いシーンの余韻を台無しにした。その他で目立った欠点は、一護とクラスメイトたちの関係性。ここが深掘りされないままなので、一護が死んだという冗談を繰り返す級友や、一護が好きであるというキャラ(真野恵里菜)やチャド?というポテンシャルを秘めていそうで結局そのポテンシャルを発揮しなかったキャラが、クライマックスで輝けなかった。

問題の2つ目は、まさにそのクライマックスシーンである。なぜ一護は郊外の山奥もしくは山頂近くに現れた因縁のホロウを市街地に誘い込む、もしくはそのホロウ相手に市街地に逃げ込むのか。原作もおそらくそうなっているのだろうが、なぜそうしたアホな行動を取ってしまうのかについての合理的な、あるいは論理的に納得できる説明も描写もなかった。それ以外にも細かい部分ではクインシー?とかいう種族の生き残りの石田雨竜(吉沢亮)がホロウを多数おびき寄せるシーンがあったが、結局退治したホロウは一匹だけで、後はどうなったのか説明は一切なし。また田辺誠一のキャラも、異様な雰囲気を発することには成功していたが、ルキアに謎のアイテムを渡したり、一護のクラスメイトに唐突に話しかけたりと、とても身を隠していなければならない元・死神とは思えない行動の数々。とにかく各キャラの行動原理や関係性があまりにも浅く薄く、とても観る側の共感や納得を得られるものではない。

問題の3つ目は、あちこちで行われていた(としか感じられない)アフレコに見られる無造作としか言えない編集である。いや、アフレコ自体はありふれた技術や編集過程なので全く問題ないが、それがすぐに分かってしまうような形で世に送り出すのはプロフェッショナリズムの欠如と批判されても仕方がないだろう。その他にも、意図的としか思えない学習塾関連のステマ。最も原作ファンが多い層に、何か訴えかけたいものがあるのかも知れないが、最後のバトルシーンでも、甚大なダメージを被った駅前繁華街で、なぜか塾関連の看板や表示がやたらと生き残っていた。原作がそうなのか、それとも監督から中高生へ何らかのメッセージを送っているのか。またMIYAVIという役者はどうにかならなかったのだろうか。OKテイクを何とか継ぎ接ぎしてあの出来ならば、途中からでもキャスティングを変更することはできなかったのだろうかと頭を抱えざるを得ない程の大根役者ぶりを発揮してくれた。

もちろん収穫もある。土屋太凰に続く、アクションができる女性俳優として、杉咲花には大いに期待が持てる。吉沢亮も、『ママレード・ボーイ』では孤軍奮闘の感があったが、今作でも存在感は示した。スルー予定だったが『猫は抱くもの』を観たいと思えてきた。しかし、総じて欠点ばかりが目立つ作品となってしまった。続編を作る気満々のエンドクレジットには辟易したが、逆に『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』の続きが観たくなってしまうという、思わぬ副作用というか副産物をもたらしてくれた。まあ、それぐらい酷い作品だったということ。頼むぜ、佐藤さんよ!

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, E Rank, アクション, 吉沢亮, 日本, 杉咲花, 監督:佐藤信介, 福士蒼汰, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画, 長澤まさみLeave a Comment on 『BLEACH』 -続編の製作は必要なし-

Hello world!

Posted on 2018年5月13日2018年10月8日 by cool-jupiter

あれこれと文章を書いては誰に見せるでもなくPC内に保存するばかりの頃があった。とある無料ブログに登録して、特定のテーマで定期的に記事をアップするようになったが、色々あってそれも止めてしまった。

しかし何かを書き遺しておきたい、それが自分のためになることもあるだろうし、誰か見知らぬ人のためになることもあるかもしれないと思い、また書き始めることにした。願わくば、今度は前より少しでも長く続けたいと思う。

自分は結構な映画好きなので、映画を見る楽しみを紹介したり、逆にこんな映画を観るのは人生の貴重な時間を無駄にすることになりかねませんよ、などの警告を発したりするのも一興かもしれないと思った。それがこのブログを開設しようと思い立った理由の一つ。もう一つの理由は、その時々の自分の思考の備忘録を作っておきたかったから。映画を観て何を感じるのかは、年齢や性別、その他個々人のバックグラウンドに大きく左右されるものだ。世の中には自分と同じような感じ方や考え方の人もいれば、全く異なる視点や感受性の持ち主もいるものだ。自分もネット上の言論空間の多様性を増す一助になれればと、ぼんやりそんなことも考えている。

Posted in 未分類Hello world! への1件のコメント

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