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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 国内

『 覚悟はいいかそこの女子。』 -社会派要素を交えた異色ロマコメ-

Posted on 2018年11月11日2019年11月22日 by cool-jupiter

覚悟はいいかそこの女子。 55点
2018年11月8日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:中川大志 唐田えりか 小池徹平 伊藤健太郎
監督:井口昇

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181111125306j:plain

おそらく誰もが食傷気味の少女漫画の映画化を何故観ようと思い立ったのか。それは『 食べる女 』にチョイ役ながら出演することで映画sceneに帰って来た小池徹平を観るために他ならない。決して唐田えりか見たさではなかった・・・はず。

 

あらすじ

自他共に認める愛され男子の古谷斗和(中川大志)は、実はただのヘタレ男だった。彼女を作った友人に「鑑賞用男子」と揶揄されたことに発奮、彼女を作ろうと意気込んで三輪美苑(唐田えりか)に「俺の彼女になってくれない?」とイケメンオーラ全開で臨むも、あっさりと撃墜されてしまう。それでも懲りずに猛烈アタックを続ける斗和は、ある出来事をきっかけに美苑の住む部屋の隣で一人暮らしを始めて・・・

 

ポジティブ・サイド

単なる少女漫画ものと思うなかれ。意外にも社会派の側面を持った作品である。具体的には貧困問題と一人親家庭である。後者はかつては欠損家庭とも呼称されていた。離婚もしくは片親・両親の死などによって、子が親以外の血縁者と暮らす世帯は“欠損”していると看做された時代が、ほんの十年、二十年前までは確かにあった。ヒロインである美苑を取り巻く環境は、主人公の斗和のそれとは違い、重く暗い。それをどう取り除くのか。言い換えれば、斗和がどれだけ三枚目になれるのか、または汗水垂らして頑張れるのかが見所になる。ただのイケメンでは貧困も寂しさも紛わせないからだ。そして中川大志は予想を超えるとはまでは言わないが、期待を裏切らない仕事をした。特にある決意を固めるときの表情と、三枚目に「堕ちる」時の表情は味わい深く良かった。中でも『 ハナレイ・ベイ 』のサチのありがたい教えの一つ、「美味しいものをたくさん食べさせてあげる」を実行したのはポイントが高い。

 

本作は『 センセイ君主 』や『先生! 、、、好きになってもいいですか? 』と同じく、女子高生が教師に恋心を寄せる話でもある。その相手の教師・柾木隆次(小池徹平)がとある事情から舞台を去る理由も、極めて社会的である。こうした事情を受け入れられる背景には、日本の社会の成熟と国民の意識の変化(向上と呼んでも差し支えは無いだろう)があるからなのだが、それ以上に柾木先生の抱える事情が美苑の抱える事情と表裏の関係にあるからだ。同時に、虎が死んで皮を残すように、美苑の父は娘に絵画の才能を遺していった。柾木はその才能を豊かに花開かせた。子どもには positive male figure が必要になる時期があるが、美苑にとっての positive male figure の役割をすべて引き受けようとする斗和は見事である。これこそが本作が単なる少女漫画とは一線を画す理由である。好きな女を、その女が好きな男のところに敢えて連れて行ってやる男というのは、漫画『 スクールランブル 』を始め、いくつかの先行テクストが既に存在する。しかし、恋人以外の属性を積極的に担おうとする男を描く作品はあまり生産されてきていない。この点に本作の新しさが認められる。

 

ネガティブ・サイド

まず声を大にして言いたいのは、あんな漫画的な借金取りは存在しないし、存在してはならない、ということだ。というよりも普通に法律違反だ。Jovianは昔、信販会社にいたから分かる、というか誰でも知っていることだ。ちょっと見ただけでもドアの鍵を破壊する=器物損壊、関係のない住人宅に踏み込む=住居不法侵入、その他、恐喝、脅迫や大声で借金をしていることを周囲に知らしめてしまう、借金に全く関係ない高校生に支払いを促すような声かけなどなど、脚本家や監督、さらには原作者も何を考えているのか。『 闇金ウシジマくん 』ではないのだ。もちろん社会派の物語であるからには百歩譲ってこのような描写の数々を許容するにしても、その後に借金取りが人情味のある言葉を美苑にかけるシーンは必要か?散々に相手を痛めつけておきながら、ちょろっと優しさを見せるというのは、『 追想 』のレビューで指摘した「女をこれでもかといたぶったヤクザが、情感たっぷりに涙を流しながら「ごめん。ホンマにごめん。でも、お前のことを愛してるんやからこうなってしまうんや」という構図と本質的には同じである。映画の最後にでも、「借金の取り立てシーンは違法ですが、ドラマチックな演出のためのものです」という文言を入れておくべし。動物愛護の観点からの注意書き、但し書きはあるのだから、こうしたことももっとアピールをすべきだ。闇金の恐ろしさを過小評価したいのではない。闇金には関わってはいけないし、もしも闇金に関わってしまったら、ホワイト・ナイトを待って耐え忍ぶのではなく、適切に対処しなくてはならない。20万人の中高生が本作を観たとして、そのうち2,000にんぐらいが何らかの間違った理解をしてしまわないことを願う。

 

他に指摘しておくべき細かい点としては、タクシーを使えということ。最後くらいは呼び捨てをやめなさいということ。まあ、高校生というのは昔も今もこのようなものなのかもしれない。

 

総評

個人的思考および嗜好に合わない部分があることから辛めに点をつけたが、存外に見どころのある作品である。父と息子のペア、または母と娘のペアなどで鑑賞すれば、親子の対話を促進させる材料になるかもしれないし、日本社会の不都合な真実というか現実に対する関心も高められるかもしれない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ロマンティック・コメディ, 中川大志, 伊藤健太郎, 唐田えりか, 小池徹平, 日本, 監督:井口昇, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 覚悟はいいかそこの女子。』 -社会派要素を交えた異色ロマコメ-

『 日日是好日 』 -茶道の向こうに人生の真実が見えてくる-

Posted on 2018年11月9日2019年11月22日 by cool-jupiter

日日是好日 75点
201811月6日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:黒木華 樹木希林 多部未華子
監督:大森立嗣

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181109014742j:plain

樹木希林との惜別のために劇場へ。彼女の作品で印象に残っているのは『 風の又三郎 ガラスのマント 』、『 39 刑法第三十九条 』、『 東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜 』、『 海街diary 』、『 万引き家族 』。平成の日本映画史を支えた女優が逝ってしまった。合掌。

 

あらすじ

20歳の典子(黒木華)は、自分が本当にやりたいことを見つけられないまま、惰性で大学に通っていた。ある時、母が茶道を習ってみたらと提案するも乗り気になれない。しかし、従妹の美智子(多部未華子)が乗り気になったことから典子も茶道教室へ。それが典子と武田先生(樹木希林)、そして自分が探していた何かとの邂逅だった・・・

 

ポジティブ・サイド

黒木華は幸薄そうな役がよく似合う。『 散り椿 』、『 ビブリア古書堂の事件手帖 』は正直なところ、物語世界の構築には成功しなかった。しかし、そうした作品においても黒木華はキャラクターに息吹を与えていた。黒木華が出ているだけで「観ようかな」と思わせられるだけの存在感を発するようになってきた。今後も楽しみである。

 

本作は典子と美智子の茶道に対するアプローチの対照が前半の見どころである。何でも理屈で解釈しようとする美智子と、五感で茶菓子や茶器、茶室、書、掛け軸、生け花、そしてお茶を賞翫する典子、という構図である。茶道の作法に意味があるのか、それとも無いのか。これはそのまま典子の抱える疑問、大学に行くことに意味があるのか、それとも無いのか。古い映画を観ることに意味があるのか、それとも無いのか。将来の仕事を決めることに意味があるのか、それとも無いのか。これらは頭で考えてどうにかなる性質の問いではない。もちろん、無理やり答えを出して前に進むこともできる。ただ、それは典子の性(さが)ではないのだ。前半は観る者に、「あなたは典子型ですか?美智子型ですか?」と尋ねてくるかのようだ。それが不思議と心地よい。どちらの生き方も否定されないからだろう。

 

茶道が主題となると、画的にさびしいと思ってしまうが、さにあらず。『 クレイジー・リッチ! 』でも用いられた手法だが、多種多様なガジェットを画面いっぱいに次々と映していくことでもダイナミックさは生まれるのである。『 クレイジー・リッチ! 』では色々な食べ物が印象的で、本作では茶器と茶菓子、掛け軸が特に印象的である。特に掛け軸の瀧直下三千丈は、その書の雄渾さだけではなく視覚的なイメージで典子に、つまり我々に訴えかける。こうした技法はピーター・J・マクミランが『 英語で読む百人一首 』の三番、柿本人麻呂の「足引きの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を 一人かも寝む」という有名な句を英訳する際に使用している技法である。瀧という文字を、意味ではなく視覚で受け止めるべしというメッセージであり、同時に茶道というものを理性ではなく感覚で経験すべしというメッセージでもある。ナレーションもなく、わざとらしい説明の台詞もなく、ただただ書に見入る典子の姿を映し出すことで、観る者にメッセージを送る。これこそ映画の基本にして究極の技法である。このシーンだけでもチケット代の半分以上の価値がある。

 

作中では、ある重大な出来事を受け止めた典子が、止め処なく溢れ出てくる気持ちを爆発させるシーンがある。どことなくニヒリスト的であった典子が、自分のこれまでの生を肯定できるようになる重要なシーンである。ニーチェの言うニヒリズムと永劫回帰は、茶道の一期一会と、案外と近縁の思想なのかもしれない。ゲーテの『 ファウスト 』にも通底する思想で、生の一瞬一瞬を愛でることができれば、人生に悔いを残さないようになれるのかもしれない。小説『 神様のパズル 』で綿さんがコメを食べながら得た「閉じた」という感覚を、典子も抱いたことだろう(ちなみに、映画版の『 神様のパズル 』は原作小説の改悪なので、映画はスルーして小説の方を読むことをお薦めする)。茶道の向こうに人生の真実が、確かに見えてくる。

 

ネガティブ・サイド

典子のライフコースにおける一大イベント前に、美智子が絶対に現れると思っていたが、元々の脚本になかったのか、それとも編集でカットされたのか。序盤のコメディ・タッチがどんどんと鳴りをひそめ、シリアスとまではいかないものの、それなりに重いテーマを扱う後半こそ、美智子の軽さが必要だったのではないだろうか。

 

また、シーンごとのメリハリに一貫性も欠いていた。BGMやナレーションを極力使わず、映像と音だけでストーリーを紡ぐシーンもあれば、あまりにもナレーションや心の声を聞かせすぎるシーンもあった。中学生以下ならいざ知らず、高校生以上であれば、本作の各シーンが持つ意味や意義は掴めるはずだ。もう少し、受け手を信用した作りをしてほしいと思う。

 

総評

扱う主題は茶道だが、その奥に潜むテーマは深いとも浅いとも言える。それは観る者の人生経験や哲学、識見によって変わってくる。しかし、これをきっかけに両親や祖父母に電話をしよう。あいさつをしよう。部屋をちょっと模様替えしてみよう。料理の組み合わせを少し考えてみよう。などなどの、目の前の瞬間を大切に生きてみようという気持ちにさせてくれる力を持つ作品に仕上がっている。劇場でいつまで公開されているか分からないが、是非とも多くの方に観てもらいたい映画である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 多部未華子, 日本, 樹木希林, 監督:大森立嗣, 配給会社:ヨアケ, 配給会社:東京テアトル, 黒木華Leave a Comment on 『 日日是好日 』 -茶道の向こうに人生の真実が見えてくる-

『ビブリア古書堂の事件手帖 』 -シリーズ化を狙うなら、監督と脚本の交代が必須-

Posted on 2018年11月8日2019年11月22日 by cool-jupiter

ビブリア古書堂の事件手帖 30点
2018年11月4日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:黒木華 野村周平 成田凌 夏帆 東出昌大
監督:三島有紀子

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181108004836j:plain

『 幼な子われらに生まれ 』の三島有紀子監督作品ということで期待をしていたが、裏切られた。はっきり言って、脚本の時点で失敗作になると予見できていなければおかしい。何か監督オファーを断れない事情でもあったのか。それとも自ら手を上げたものの、スタジオからこの脚本を使うように圧力があったとでも言うのだろうか。

 

あらすじ

五浦大輔(野村周平)は祖母の遺品整理をしている最中に、夏目漱石直筆の署名入りと思しき『 それから 』を見つける。それは、彼が小さな頃に手に取ったことで、祖母の勘気を被り、二発も殴られたきっかけになった本だった。鑑定のためにビブリア古書堂を訪れた大輔は、若き女店主・篠川栞子(黒木華)に出会う。物静かで陰に籠った感のある栞子はしかし、本については並々ならぬ知識と愛着を持っていた・・・

 

ポジティブ・サイド

黒木華は称えねばならない。楚々として、そこはかとない色気を感じさせながらも、どこか無防備で、だからこそ守ってあげたいと思わせる原作の雰囲気が醸し出せていた。ボソボソと話はするが、決して訥々とは語らず、社交面に弱点を抱えているものの、頭脳の明晰さは随一というキャラであることを演技で証明した。

 

また、大輔の祖母の若い頃を演じた夏帆。『 ピンクとグレー 』あたりから本格的にベッドシーンもこなし、『 友罪 』ではAVやレイプシーンにも取り組むなど、役者としての成長と充実を感じさせる。桜井ユキもそうだが、ラブシーンをこなせる女優には敬意を払わねばならない。次は広瀬アリスあたりかな?

 

ネガティブ・サイド

あまりにも原作各話の扱いに差がありすぎる。三島監督は原作を読まなかったのだろうか。いや、そんなことはあるまい。原作小説のみならず、必要とあらば漫画やテレビドラマ版(剛力は論外、演技力云々ではなく似ていない。オールデン・エアエンライクとハリソン・フォードの似ていなさ加減よりも、篠川栞子と剛力彩芽の似ていなさ加減の方が遥かに大きい)ですらチェックしているはずだ。

 

栞子の博識っぷりを引き出すためには、彼女の本に対する知識を様々な角度から様々な方法で描写する必要がある。通常の2D映画では不可能だが、嗅覚を使うシーンは面白いと思った。が、そのことをもう少し明示的に示す必要もあった。本シリーズの面白さは、栞子は本にとってのシャーロック・ホームズもしくはハンニバル・レクター博士か、とこちらに思わせるだけの静かな迫力にある。決して、カーチェイスやアクションにあるのではない。そのアクションでも大輔に見せ場は無し。というよりも、あのタイミングでこうした事件が起きるなら、犯人は必然的にこいつしかあり得ない、という論理的な思考ができないのか。そもそも警察が存在しない alternate reality での物語なのか、これは?

 

総評

黒木華と夏帆以外に見るべきものが無かった。そんなところでそんな映像美を演出する意味があるのか?というシーンも多く、キャラクターだけではなく映画製作者側の意図や行動原理も不明なところが多い。黒木と夏帆のファン以外には正直、鑑賞はきついだろう。どこか嫌な予感がしたので無料鑑賞クーポンを発行したが、その勘は正しかった。鑑賞する場合にはモーニング・ショーか、レイト・ショーで。正規のチケット代は払うべきではない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, ミステリ, 夏帆, 成田凌, 日本, 東出昌大, 監督:三島有紀子, 配給会社:20世紀フォックス映画, 配給会社:KADOKAWA, 野村周平, 黒木華Leave a Comment on 『ビブリア古書堂の事件手帖 』 -シリーズ化を狙うなら、監督と脚本の交代が必須-

『 走れ!T校バスケット部 』 -スポーツものとしても青春ものとしても中途半端-

Posted on 2018年11月6日2020年1月15日 by cool-jupiter

走れ!T校バスケット部 40点
2018年11月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:志尊淳 椎名桔平 佐野勇斗 早見あかり
監督:古澤健

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181106022011j:plain

監督が古澤健ということで不安はあった。この人はスリラーは作れても、漫画を映画化するとイマイチになってしまうからだ。では、実話ベースの映画作りはどうか。随所に光るものは見えたが、色々なものを追求しようとしたせいで、どれもこれも中途半端になってしまったような印象を強く持った。

 

あらすじ

子どもの頃からバスケが大好きだった田所陽一(志尊淳)は、母親を早くに亡くしたために父親(椎名桔平)と二人暮らし。特待生としてバスケ強豪校に入学したものの、ふとしたきっかけから陰湿ないじめの標的に。バスケを辞め、ただの高校・・・ではなく、多田野高校、通称T高に転校してきた。バスケはもうしないと誓っていた陽一だったが、自分に真摯に向き合ってくれる大人や級友たちのおかげでバスケを再開。しかし、そのことを父親にはなかなか打ち明けられず・・・

 

ポジティブ・サイド

もしもこれが少年漫画あるいは少女漫画なら、母親不在という設定は編集者によって強硬に反対されていただろう。息子という存在を際立たせる親は、何よりも母親だからだ。ごくごく最近の映画に限ってみても、『 ハナレイ・ベイ 』、『 エンジェル、見えない恋人 』、『 パーフェクトワールド 君といる奇跡 』など、息子に寄り添うのはたいてい母親だ。それは『 ビブリア古書堂の事件手帖 』にも共通していた。父親が息子に真剣に向き合う物語は、これまではありそうでなかなか作られてこなかったのではないか。本作の事情とは異なるが、日本の離婚率もまあまあの水準まで高まってきている。性差によって役割を固定せず、家庭内の仕事をするべき人間が行うということを明示してくれているのは非常に貴重なことであると思う。椎名桔平の演技および演出も良かった。佐々木蔵之介のテレビ映画『 その日のまえに 』で、酒の力を借りて子に語り掛けようとして、逆に一喝されてしまうというシーンがあった。父は息子相手に高圧的になっても、へりくだっても、ましてや真正面からではなく搦め手で攻めようなどとはかんがえてはならないのだ。そうした父と息子の厳しくも理想的な関係を本作は描き出す。この部分がしかし、本作のハイライトになってしまった。

 

ネガティブ・サイド

本作をどのジャンルに分類すべきかと尋ねられて、悩む人は多いだろう。ヒューマンドラマであり、スポ根物語であり、ビルドゥングスロマンであり、社会派でもあるからだ。しかし、タイトルにバスケット部とあるからにはスポーツものの要素が最も強いはずだし、実際にはバスケットボールをプレーしているシーンは、いくつか合成やCGがあったように見えたが、役者たちがかなり練習してきたことが見て取れた。それでも、いくつかのシーンには???となったことを覚えている。NBAは確かフリースローは10秒以内に放らないとバイオレーションとなるが、日本の高校の試合では何秒だ?また、フリースローはジャンプしながら放ってはならないはず・・・

 

終盤前にサプライズキャラが登場し、バスケに関するアドバイスをくれるシーンがあるが、これが全くもってちぐはぐだった。それは助言の内容ではなく、その助言が物語の展開や進行にまったく影響を及ぼさないことだ。陽一と他のチームメイトの間に実力的なギャップがある。それは分かっている。だからこそ、試合では仲間を活かそうとするよりも自分の力だけで決めに行くような決断も必要になる。一瞬の迷いが命取りになる。というアドバイスは、全く生かされなかった!白瑞高校を倒すために、非情とも言える個人技連発を予感させるような前振りをしながら、見事に伏線を回収せず。これはスポーツものでは決してない。そうそう、シュートの角度とスウィッシュの方向が一致しない描写もあった。左45度からシュートしたのに、ボールは右45度からスウィッシュしてくるとか、編集はいったい何をやっているのだ?

 

いまさら言っても詮無いことだが、T高の田所陽一にフォーカスするのではなく、日川高校の田中正幸にフォーカスするべきだった。もちろん、日大アメフト部の超悪質タックル問題を思わせるような描写もあり、時代の要請に上手く答えられている面もあったが、肝心の物語があまりにもテーマを拡散させすぎて、一貫性を欠いてしまっているという印象はどうしても否めない。実話ベースではなく、バスケ漫画を原作に映画を作るべきだったのではないか。まあ、この分野には『フライング☆ラビッツ』という珍作があるので、一定以上の水準ならどれでも良作に見えてしまうものだが。

 

最後に、志尊淳に英語くらいは喋らせよう。吉田羊に英語指導した先生を連れてきて猛特訓すれば、モーガンさんともっとスムーズにコミュニケーションが取れたはずだ。バスケの練習で忙しかったなどというのは言い訳だ。これからの世代の役者も、英語くらいある程度使えて当然にならなくてはならない。福士蒼汰が英検2級合格をネタに使うようでは、日本のエンターテイメント業界の先細りは見えている。

 

総評 

悪質ないじめ描写から、予定調和的なエンディングまで、最後まで観る者を引っ張る力はある。しかし、楽しませる力はない。特に細部のリアリティと全体像との整合性、一貫性にこだわるようなうるさい映画ファンには非常に物足りなく映ることであろう。椎名桔平ファンなら要チェックと言えるかもしれない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, 佐野勇斗, 志尊淳, 日本, 早見あかり, 椎名桔平, 監督:古澤健, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 走れ!T校バスケット部 』 -スポーツものとしても青春ものとしても中途半端-

『 スマホを落としただけなのに 』 -スマホという楔は人間関係を割るのか繋ぎ止めるのか-

Posted on 2018年11月5日2019年11月21日 by cool-jupiter

スマホを落としただけなのに 40点
2018年11月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北川景子 田中圭
監督:中田秀夫

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原作とほんの少しだけ異なるところもあれば、大胆な改変を加えたところもある。それらの変化を好意的に受け止めるか、それとも否定的に評価するかは、意見が分かれるところだろう。しかし、一つはっきりと言えることがあるとすれば、今作のトレーラーを作った人間は万死に値する・・・とまでは言わないが、はっきり言って猛省をしなければならない。これから本作を観ようと思っている人は、できるだけ予告編やトレーラーの類からは距離を取られたし。

 

あらすじ

富田誠(田中圭)は営業先に向かうタクシーにスマホを置き忘れてしまう。恋人の稲葉麻美(北川景子)が電話したところ、たまたまそのスマホを拾ったという男に通じ、横浜の喫茶店に預けるというので、ピックアップすることになった。しかし、その時から富田のクレジットカードの不正利用やSNSのアカウント乗っ取りなど、誠と麻美の周辺に不穏な動きが見られるようになる。時を同じくして、山中から黒髪の一部を切り取られた女性の遺体が次々と見つかり・・・

 

ポジティブ・サイド

犯人の怪演。まずはこれを挙げねば始まらない。少年漫画と少女漫画を原作に持つ映画が溢れ、役者というよりもアイドルの学芸会という趣すら漂う邦画の世界で、それでもこのような役者が出て来てくれることは喜ばしい。頑張れば香川照之の後継者になれるだろう。

 

童顔と年齢のギャップでかわいいと評判の千葉雄大もやっと少し殻を破ってくれたか。刑事として奮闘するだけではなく、序盤に見せた容疑者を鼻で笑う表情に、何かが仕込まれた、もしくは何かを背負ったキャラなのかと思わされたが、その予感は正しかった。役者などというものはギャップを追求してナンボの商売なのだから、もっともっとこのような演出やキャスティングを見てみたいものだ。

 

本作は観る者に、現代の人間関係がいかに濃密で、それでいていかに空虚で希薄なのかを思い知らせてくれる。ちょっとした録音メッセージ、メール、テキスト、スタンプなど、生身の触れあいなどなくとも、スマホを介在して何らかのコンタクトをするだけで、人は人を生きているものと考えてしまうことに警鐘を鳴らしている。この点について実にコンパクトにまとめているのが、THIS IS EXACTLY WHAT’S WRONG WITH THIS GENERATIONというYouTube動画である。英語のリスニングに自信がある、または自動生成の英語字幕があれば意味は理解できるという方はぜひ一度ご視聴いただきたい。

 

ネガティブ・サイド

原作小説と映画版では色々と違いが見られるが、その最大のものは麻美の設定であろう。はっきり言ってネタばれに類する情報なのだが、なぜかトレーラーで思いっきり触れられている。なぜこのようなアホなトレーラーを作ってしまうのか。そのトレーラーの北川景子も髪の長さが全く違って、なおかつ踏切の中に佇立するという、いかにもこれから死にますよ的な雰囲気を漂わせている。もうこれだけで、原作を既読であろうと未読であろうと、仕込まれた設定がほぼ読めてしまう。実際にJovianは観る前からこの展開の予想はできていたし、そのような人は日本中に1,000人以上はいたのではなかろうか。原作のその設定が映画的に活かしきれない、難しい、微妙だ、というのなら、その痕跡自体も消し去ってほしかった。なぜ冒頭のシーンで北川景子のキャット・ウォークをヒップを強調するカメラアングルで捉える必要があったのか。それは麻美がアダルトビデオに出演していた過去を持っていたからに他ならない。このあたりは中高生も注意喚起の意味で見るべき作品としての性格からか、全く別の設定に変えられているが、それなら痕跡すら残さず一切合財を変えてしまうべきだった。この辺りはエンディングのシークエンスでも強調されていることなので、なおのことそう思ってしまった。

 

また犯人像があまりにも分かりやす過ぎる。これも原作の既読未読にかかわらず、分かる人にはすぐ分かってしまう。もちろん、トリックらしいトリックを使う、いわゆるミステリとは異なるジャンルの作品なのだから、そこは物語の主眼ではない。しかし、驚きは最も強烈なエンターテインメントの構成要素なのだ。だからこそ我々は「ドンデン返し」というものに魅せられるのである。本作はこの部分が圧倒的に弱い。これはしかし、同日に『 search サーチ 』という近いジャンルに属する圧倒的に優れた作品を鑑賞したせいであるかもしれない。いや、それでも映画化もされた小説『 アヒルと鴨のコインロッカー 』というお手本であり、乗り越えるべき先行作品もあるのだから、そのハードルは超えて欲しかったが、本作はそのレベルにも残念ながら達していない。

 

総評

もっともっと面白い作品に仕上げられたはずだが、残念ながら原作小説以上の出来にはならなかった。時間とお金に余裕があるという人は、是非『 search サーチ 』と本作の両方を観て、比較をしてみよう。前者の持つ突き抜けた面白さが本作にはなく、極めて無難な映画になっていることに否応なく気付かされてしまうだろう。北川景子ファンならば観ておいても損は無い。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, サスペンス, ミステリ, 北川景子, 日本, 田中圭, 監督:中田秀夫, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 スマホを落としただけなのに 』 -スマホという楔は人間関係を割るのか繋ぎ止めるのか-

『 タイヨウのうた 』 -深夜ドラマのクオリティから脱却できていない残念な作品-

Posted on 2018年11月3日2019年11月21日 by cool-jupiter

タイヨウのうた 30点
2018年10月31日 レンタルDVD鑑賞
出演:YUI 塚本高史 麻木久仁子 岸谷五朗 通山愛里
監督:小泉徳宏

 

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181103235056j:plain

『 ミッドナイト・サン タイヨウのうた 』の元ネタである。近所のTSUTAYAがリコメンドしていたので借りてみたが、色々な意味で残念な作品であった。『 ちはやふる 』の脚本/監督を努めた小泉徳宏も、こういった作品を撮ることて腕を磨いていたと思うべきなのだろう。

 

あらすじ

太陽光アレルギーの薫は、いつも窓からバス停を眺めていた。そこに気になる男の子がいるからだ。夜に外出しては駅前で歌う薫(YUI)は、しかし、ひょんなことからいつも見ていた男子高校生の孝治(塚本高史)と出会い、パニックに。素っ頓狂な猛烈アピールをしてしまうのだが、そこを親友に制止されてしまう。しかし、薫と孝治の距離は確実に縮まっていく・・・

 

ポジティブ・サイド

岸谷五朗はアメリカ版のリメイクと比較しても、説得力のある父親像を描出できていた。言葉と行動が直結しているタイプ、直情型の親父で、だからこそ娘への愛情が時には大声であったり、大げさなアクションであったりという分かりやすい形で表出されていた。我が子が難病だからといって自分まで暗くなるまい。病気の娘にはできるだけ普通の形で接してやりたい。そうした気持ちをストレートに出す父親として良い味を出せていた。しかし、諸手を上げて褒められるのはそこまでで、後はことごとく後発のリメイクに軍配が上がる。

 

ネガティブ・サイド

酷評をさせてもらえるならば、これは映画ではない。ミュージック・ビデオだ。薫はキャラクターであって、YUIという歌手ではない。映画製作側にどのような思惑があったのかは邪推するしかないが、映画は歌手のプロモーションのために製作されているのではない。なぜ薫の歌を聴かせなければならないシーンで、スタジオ録りの歌のアフレコを聞かされなければならないのか。もちろん、YUIを見たくて本作を見る人も一定数存在することは確かだ。しかし、銀幕の中では本人ではなくキャラクターになってもらいたい。

 

更に指摘せねばならないことは、総じて役者の演技力が低いということ。特に薫の親友役の通山愛里は、高校の学芸会並みの棒読み演技を披露する。というよりも、脚本家の罪も重い。日本語のネイティブスピーカーが、「彼」とか「彼女」といった三人称を使うことがあるのかどうか、普通の頭で普通に考えてもらいたい。

 

さらにドラマ版にある程度、忠実であろうとした結果、存在感・・・というよりも存在意義の疑われるキャラクターも出てきた。その最たるものは母親、ついで孝治の悪友2人。リメイクはこれらをバッサリと切り捨ててしまうことで、かえってドラマ性を高めることに成功した。なぜなら家族の団らんシーンを削り、その分、ケイティ(=薫)とクイン(=美咲)のガールズ・トークに時間を割くことで、ケイティは卑屈でも何でもない、非常に少女らしい感性や思考の持ち主であることが強調されていた一方で、元祖の方では病気持ちの可哀そうな女の子として見られたくないという心理を示唆する場面がほぼゼロという有様。もちろん観る側としてはそこを想像できるわけだが、ドラマ的なノリであれもこれもと詰め込んだせいで、主役にとって、もしくは物語全体にとって不可欠な描写が削られては本末転倒だろう。Re・リメイクを期待したいが、10年後でも厳しいだろうなと思わざるを得ない。

 

最後に、物語後半のバス停のシーンで、影の向きが決定的におかしいシーンがある。なぜ人間の影の向きだけがその方向にその長さで伸びるのだ?と思わされるシーンが存在するのだ。もちろん、その反対方向に照明がいるからなのだが、編集時点で誰もこれに気がつかなかったのだろうか。本作はある意味、XPという悲劇的な病気のせいで、太陽光の有無、その強弱、向きなどに過敏にならざるを得ないのだ。それは登場人物にしても観客にしても同じ。にも関わらず、このような初歩的かつ致命的なミスを犯してしまっては・・・

 

総評

深夜ドラマのダイジェストだと思えば鑑賞に堪えないことはない。しかし、これ一作で原作の世界観を受け手に伝えられているかというと甚だ疑問が残る。本作を見たならば、その直後にアメリカ版リメイクも直後に観るべし。作品の優劣に関して、残念なコントラストが見出されるであろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2000年代, E Rank, YUI, ラブロマンス, 塚本高史, 岸谷五朗, 日本, 監督:小泉徳宏, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 タイヨウのうた 』 -深夜ドラマのクオリティから脱却できていない残念な作品-

『 ハナレイ・ベイ 』 -異国の島で見出すは夢か現か幻か-

Posted on 2018年11月3日2020年9月21日 by cool-jupiter

ハナレイ・ベイ 70点
2018年10月28日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:吉田羊 佐野玲於 村上虹郎 佐藤魁 栗原類 
監督:松永大司

 

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181103194219j:plain

原作は村上春樹とのこと。Jovianは読書家であると自負しているが、村上春樹は読んだことが無い。これからも読まないだろう。同じことは東野圭吾にも当てはまる。彼の作品は2冊だけ買ったが、どちらも最初の20ページで挫折した。本作品を鑑賞するに際して、一抹の不安があったが、それは杞憂であった。

 

あらすじ

サチ(吉田羊)は一人息子のタカシ(佐野玲於)がハワイのハナレイ・ベイで死亡したと連絡を受ける。サメに襲われ、右足を噛みちぎられた死体の身元確認を粛々と行うサチ。手形を取ったので持ち帰ってほしいという地元の女性の声も聞き入れることができない。息子との関係は決して良好なものではなかった。しかし、あまりに突然の息子の死を受け止める術を知らないサチは、それから10年間、毎年ハワイのハナレイ・ベイを訪れ、日がな一日、読書をして過ごすようになる。ある時、日本人サーファーから「片足の日本人サーファーがいる」との噂を耳にしたサチは・・・

 

ポジティブ・サイド

ハワイの自然の美しさと恐ろしさは誰もが知るところである。キラウエア火山からの噴石が遊覧船を直撃したというニュースもあった。しかし、そんな自然の猛威、暴威などは描写されない。冒頭のタカシの死で充分だ。島民が「この島を嫌いにならないでほしい」という切なる願いは、しかし、サチには受け入れられない。まるでDV被害に遭った妻が、それでも家に帰ってしまうように、カウアイ島を毎年訪れてしまうサチに対して、無性に悲しみと憐れみを感じてしまった。サチは島を愛しているのではない。島を受け入れようとしても、それができない。息子の命が絶たれた呪われた土地に縛りつけられているのだ。一人息子を失ったという、行き場を無くした悲しみを胸にハワイを彷徨するサチは、まるで鬼子母神のようですらある。

 

鬼夜叉にも心は有る。E・キューブラー・ロスの『 死ぬ瞬間 』の考え方を敷衍、援用するとすれば、サチはタカシの死を「 受容 」する段階の手前で止まってしまっている。死とは、『 君の膵臓をたべたい 』や『 サニー 永遠の仲間たち 』で述べたことがあるが、生物学的な意味での生命活動を終えること=死では決してない。死とは、相手が生き生きとしていた記憶をこれからも持ち続けるのだという決意によって規定される現象である。葬式とは死を確認する儀式ではなく、思い出を共有する儀式だ。その意味で、サチは息子の死を受け入れられない。タカシの生の記憶があまりにもネガティブなそれであるからだ。そんな形で息子と離別したくはなかった。そのような後悔の念に心の奥底で苛まされている女の心情を、あてどもなく彷徨い続けることでこれ以上なく描出してくれた吉田羊は、表現者としての階段をまたさらに一歩上ったのではないか。『 ラブ×ドック 』や『 コーヒーが冷めないうちに 』といった珍品への出演が目立っていたが、ここに来て一気に株を上げてきた。この母親像は『 スリー・ビルボード 』のミルドレッドに迫るものがあるし、片親像としては『 ウィンド・リバー 』のランバートと相通ずるものがある。

 

本作は大人の映画でもある。安易にナレーションや、説明的な台詞を使わない。ドラマチックなBGMを挿入しない。兎にも角にも、ひたすら吉田羊にフォーカスすることで、いかに彼女の抱える闇が暗く、深いものであるのか、それが逆説的に愛の大きさを表すのだということ、観る者に明示しない手法を称賛したい。何でもかんでも説明したがる作品が増えてきている中、もう少し観客を信用してもよいのではないかと常々思っていた。本作には我が意を得たりとの思いをより一層強くさせられた。

 

そうそう、吉田羊の英語。あれこそが、日本の普通の学習者が目指す姿であるべきだ。はっきり、ゆっくり、難しい語彙などは用いずに、相手の目を見て話す。外国語を話すときは、この姿勢が大切だ。自身の英語力の低さに悩まされるサラリーマンも、ここから何某かのインスピレーションを得られるはずだ。

 

ネガティブ・サイド

これは監督の意向なのだろうが、サーファー役の二人は、少し滑舌が悪いのではないだろうか。素人っぽさを意識したと言えばそれまでなのだろうが、この2人組が喋ると、ただでさえゆったりと感じられるハワイの時間が、さらにスローに感じられた。また、ブルーシートを使った疑似サーフィンシーンでのカメラ目線は必要だったか。全体的にスリムダウンすれば、もう5~10分は短縮できたはずだ。本作のように、ただひたすらに歩くシーンを追う映画は、存外に観る者の体力を消費させる。90分ちょうどぐらいが望ましかった。

 

総評

これは高校生~大学生ぐらいの男子向けなのではないだろうか。男という生き物は、どういうわけか何歳になっても、母親に何か言われると反発してしまう性の持ち主だ。だが、本作を見て何かを感じ取れれば、それは男として一皮むけた証になるかもしれない。静かだが、力強い余韻を残してくれる傑作である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, ファンタジー, 吉田羊, 日本, 監督:松永大司, 配給会社:HIGH BROW CINEMALeave a Comment on 『 ハナレイ・ベイ 』 -異国の島で見出すは夢か現か幻か-

『 ここは退屈迎えに来て 』 -青春と現実の光と影のコントラストが映える-

Posted on 2018年10月29日2019年11月4日 by cool-jupiter

ここは退屈迎えに来て 50点
2018年10月25日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:橋本愛 門脇麦 成田凌 渡辺大知
監督:廣木隆一

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以下、ネタばれに類する記述および私的考察あり

 

小説でも映画でもゲームでも、まず手に取ってみたくなる、もしくはクリックしてみたくなるのは、そのタイトルが魅力的なものである時だ。タイトルが魅力的というのは、こちらがそのタイトルの意味をもっと深く知りたい、と思わせるような妖しい力を持っているということだ。少年時代に『 ドラゴンクエスト 』や『 ファイナルファンタジー 』と出会った方々ならば、そのタイトルの不可思議さに惹き付けられた記憶、印象が鮮明であると思う。本作はしかし、先行する魅力的なタイトルを持つ映画と同じレベルに達しなかった作品である。

 

あらすじ

私(橋本愛)は東京で過ごすこと10年、「何者」かになることができず地元に帰り、フリーのタウン誌の記者をしている。ある時、友人の誘いで高校時代の憧れの存在だった椎名(成田凌)に会いに行くことになる。一方では、高校時代の椎名の彼女「あたし」(門脇麦)は、地元の冴えない男と付き合いながらも、椎名のことを吹っ切れずにいる。青春の輝き、東京への憧憬、椎名という太陽のような存在。誰もが何かを抱えて生きていく姿を、時系列を変えて、オムニバス的に活写していく作品。

 

ポジティブ・サイド

まず、最も強く印象に残ったのは渡辺大知演じる新保だった。Jovianの気のせいなのかも知れないが、おそらくゲイもしくはバイセクシャル、もしかしたらトランス・ジェンダーなのではなかろうか。本人がそれを自覚できていないのかもしれないが。煙草の吸い方が、男のそれではないように思えて仕方がなかった。また、終盤に新保が原付きで疾走する場面があるのだが、そこでの光の使い方には是非とも注目してほしいと思う。あれは乳房の象徴にしか見えなかった。独特の哲学を持つキャラで、「幸福であるためには、まず何よりも孤独であれ」などとまるでアリストテレス哲学のような思想を披歴してくれる。彼の幸福論および死生観は、Jovianのそれと近く、ある観客によっては非常に強く共感でき、また別の観客によっては嫌悪の対象となろう。どう感じるか気になる方は、劇場へ行くべし。

 

本作は『 桐島、部活やめるってよ 』と同工異曲の青春群像劇である。青春というよりも、モラトリアムと言った方が近いだろうか。椎名という太陽のような存在に照らされていた高校時代が、ある者にとっては神話的な崇高さを帯びているところが、滑稽ではあるがリアリティの源泉にもなっている。程度の差こそあれ、こうした傾向は青春を完全な過去という遠近法で見られる人にならば、ある程度共通してみられるものだ。アメリカのちょっとしたテレビドラマや映画の同窓会シーンでは、アメフトの試合のあのパスが云々、野球の試合のあの補殺が云々、プロムで誰それと誰それが云々・・・ 人は誰もが否応なく成長するが、その成長を拒む人もいるし、個人の内面レベルで成長を拒む部分も存在する。そうした、ある意味では非常にダークな心の領域を本作は見事にあぶり出す。同様のテーマの作品に興味があれば、『ワン・ナイト』(原題は”Ten Years”)をお勧めしたい。

 

この作品の特徴として、閉鎖空間でのロングのワンカットを多用するということが挙げられる。ワンカットと言えば『 カメラを止めるな! 』が近年の白眉だが、こちらは車内、室内、ファミレス内、ラブホ内、ゲーセン内と、とにかく閉鎖空間での撮影にこだわりを見せる。このことが、観る者に否応なしに最も閉鎖された空間=人間の心を意識させる。本作は椎名という太陽に照らされた者たちと、椎名の陽の部分にまったく興味のない者たちとに二分される。そんな彼ら彼女らの紡ぐアンソロジーを、時系列をバラバラに描くのだが、全てが終盤近くのとあるシーンに収斂するにつれて、その意図が見えてくる。製作者が観客を信頼しているということで、私的に評価したい。

 

そうそう、本作はタイトルをスクリーンに映し出すシーンが完璧なのである。『 アメリカン・アサシン 』並みに素晴らしい。これがあるから、色々とケチをつけたくなる箇所があっても、上手くまとまったなという印象を持てるのだ。

 

ネガティブ・サイド

残念ながら、すでに『 勝手にふるえてろ 』で使われたネタである。こうしたトリックというかツイストは、どうやっても最初に使った者/物の勝ちなのである。もしも『 勝手にふるえてろ 』を未見なら、すぐに観よう。

 

渡辺大知と片山友希以外の若手キャストが、全体的に力不足である。特に橋本愛は、役者業は厳しいかもしれない。『 貞子3D 』や『 Another アナザー』のように、あまり喋らない役であれば良いが、基本的に台詞に抑揚が無さ過ぎる。棒読みとまでは言わないが、どんな作品に出ても、結局は「ああ、いつもの橋本愛か」と思えてしまう。これがニコラス・ケイジやトム・クルーズのレベルにまで突き抜けてしまえば良いのだが、日本でそんな俳優はあまり見当たらない。強いて言えば北野武ぐらいか。本人が本人を演じるのが一番うまいというタイプの役者だ。あるいは、どんな役も自分色に染めてしまうという、演技力ではなく素の存在感、カリスマ、オーラ、そういったもので勝負できる力。橋本愛はそのレベルにはいないし、今後も行かないだろう。と書いてきて、もう一人思い当たった。樹木希林である。一癖あるおばあちゃんキャラは全部この人だった。『 万引き家族 』然り、『 海街Diary 』然り、『 我が母の記 』然り。合掌。

 

閑話休題。本作の最大の弱点(になっているかもしれない)ポイントは、東京に住んでいる人間に、果たしてどれだけ響くかということだろう。ここで言う東京とはもちろん東京都のことではない。地理的あるいは行政的な区分での東京は、東京ではない。Jovianも東京のど真ん中(地理的な意味で)に10年半住んでいたことがあるから分かる。我々が東京と言う時、それは往々にして山手線の内側もしくは周辺であったり、吉祥寺、高円寺、中野などのちょっとした離れ、隠れ家的な雰囲気の街までである。立川は決して東京ではない。況や奥多摩をや。実際にJovianの大学のクラスメイト(正確にはセクションメイト)が、「私は浦和(当時はまだ浦和市だった)に住んでるから、池袋まで40分ぐらい。八王子の人は新宿に出るのに50分ぐらいかかるから、その意味では浦和は八王子より東京なんだよ」と言ったのをよく覚えている。また寮の同級生も「木更津は確かに遠いけど、アクアライン通ったら近いんだっつーの」と言っていたのも覚えている。東京には強烈な重力がある。東京までの距離の近さを競うような意識が近隣の県や市町村にあり、それは東京都内でも同じだった。そうした東京の内部にどっぷり浸かっている人は、本作を見て「超楽しい」と言うだろうか。それとも悲憤慷慨するだろうか。おそらくどちらでもない。無関心を装うか、無関心を貫くかだろう。東京に住んだことがある、あるいは東京の空気がどんなものかを知っていなければ、本作のアイロニーが届かないというのは残念なことだ。

 

総評

観る人を相当に選ぶだろうなと思う。高校生以下はおそらく除外されるし、40代以上の男性にとっては精神的にきつい描写がある。ガールズトークが花開くシーンはそれなりに楽しめるので、「私」もしくは「あたし」に近いアラサー女子にこそ観られるべき作品であるのかもしれない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ヒューマンドラマ, 成田凌, 日本, 橋本愛, 渡辺大知, 監督:廣木隆一, 配給会社:KADOKAWA, 門脇麦Leave a Comment on 『 ここは退屈迎えに来て 』 -青春と現実の光と影のコントラストが映える-

『 泣き虫しょったんの奇跡 』 -実話ベースだが、細部にリアリティを欠く-

Posted on 2018年10月24日2019年11月3日 by cool-jupiter

泣き虫しょったんの奇跡 60点
2018年10月21日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:松田龍平 渋川清彦 イッセー尾形
監督:豊田利晃 

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将棋界が熱い。昨年2017年の羽生善治の前人未到、空前絶後の永世七冠達成と藤井聡太フィーバー、さらに加藤一二三の完全タレント化、それ以前にも映画化された『 聖の青春 』やアニメおよび映画化された『 三月のライオン 』など、将棋ブームが到来し、定着しつつあるようだ。もちろん、コンピュータ将棋の恐るべき進化、特に将棋電王戦でのプロ棋士の通算成績での負け越しや叡王戦での名人・佐藤天彦の完敗を忘れるべきではないだろう。もちろん将棋は偉大なるボードゲームで、その目的の第一は楽しむことである。当然、そこから派生するエンターテインメントも豊かに生まれてきた。近年だけでも小説『 盤上のアルファ 』がNHKでテレビドラマ化される見込みであるし、元奨作家による『 サラの柔らかな香車 』、『 サラは銀の涙を探しに 』も上梓された。そんな中、満を持して瀬川晶司の『 泣き虫しょったんの奇跡 』が映画化と相成った。

 

あらすじ

しょったんこと瀬川晶司は、勉強でも運動でも特に取り柄のない小学生。しかし将棋が大好きな子だった。兄やクラスメイト、隣の家の子らと切磋琢磨するうちに、プロ棋士の存在を知り、それに憧れ、奨励会に入会する。しかし、そこは天才少年、神童たちが鎬を削る過酷な世界だった。しょったんは青春を将棋に懸けるのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

松田龍平の演技が光る。顔は瀬川棋士に似ているとも似ていないとも言えるのだが、それはオールデン・エアエンライクがハリソン・フォードに似ている程度には似ていると言えよう。つまり、それほど似ていない。が、雰囲気が実によく似ている。

 

だが、松田よりも特筆すべきは豊川孝弘役(と敢えて書く)を演じた渋川清彦だ。豊川はNHK杯での二歩による反則負けで一躍その名を全国に轟かせ、その後も地味にB1に昇給したり、バラエティやネット配信などで得意の親父ギャグを連発するなど、加藤一二三には及ばないものの、棋界の変人の末席に連なる人物と言える。風貌も相当に似ているし、話し方や表情などもかなり似せる努力をしていたのが見て取れる。その豊川本人が久保役で出演していることにも笑ってしまった。

 

しかし、本作で最も強烈なインパクトを残してくれたのはイッセー尾形である。しょったんの通う将棋道場の席主であり、将棋の技術ではなく、心構えの師匠役を完璧に演じてくれた。はっきり言って序盤の主役はイッセー尾形である。人によっては松たか子であると言うかもしれないが、Jovianの目にはイッセー尾形がより強力な輝きを放っているように映った。

 

将棋というのは躍動感にはどうしても欠けてしまう。それは『 聖の青春 』や『 三月のライオン 』でも、しっかりと描くことはできなかった部分だが、本作は飛車が盤の端から端まで動くのを接写することで、躍動感を生み出した。ありきたりなようでいて、実は新しいこの撮影手法には大いに喝采を送りたい。漫画『 月下の棋士 』の氷室将介のように大きく振りかぶって駒を打ちつけてしまうような演出は一二三だけで十分だ。

 

瀬川の少年時代に少し時間を割きすぎとの印象も受けたが、松たか子演じる小学校の担任の言葉が瀬川にとっての心の拠り所でもあり、またある意味での呪いになってしまっていることを描き出すためには致し方なかったのだろう。実際に将棋指し=芸術家+研究家+勝負師なわけで、この勝負師という部分の弱さ=優しさが対局の相手を利することになってしまう場面がある。情けを知るトップのプロ棋士ならいざ知らず、奨励会の、しかも3段リーグという鬼の棲家では、この甘さは致命傷だ。実際に妻夫木聡演じる奨励会員が「ここでは友達を無くすような手を指さないと勝てない」とこぼすが、これは紛れもない事実だ。激辛流で名人位まで獲った男もいるのだ。そうした弱さを、非常に分かりやすい形で観客に伝えることは、将棋指しの世界の厳しさをそれだけ浮き彫りにしてくれる。元奨の監督ならではであろう。

 

なお、もしもまだ本作を未見で劇場鑑賞を考えている方がいれば、ぜひこちらのニコニコ動画を参照されたい。原作書籍『 泣き虫しょったんの奇跡 』以外に予習しておくべきものがあるとすれば、この動画である。1から5まであるが、ぜひ参照されたい。

 

ネガティブ・サイド

残念ながら、いくつかの弱点も存在する。現実世界に符合しないものが多々描写もしくは説明されるのだ。いくつか気になった点を挙げると、しょったんと親友が将棋道場に足繁く通う描写と説明だ。土日になると開店時間の11:00にすぐに入店したと言うが、瀬川が小学校高学年から中学生にかけての時代はまだ学校週休二日制は導入されていなかった。小学校でも5-6年生は3~4時間目までは授業があったはずで、土曜の11:00に入店は難しいのではないか。また1980年代初頭(‘80~’82)に、電車の駅にはアイスクリームの自販機は無かった。

 

他にも明らかに事実とは異なる描写が見られた。プロ編入試験がプロ相手に3勝と説明されたが、実際は奨励会員に女流棋士も試験官を務めたのだから、この説明はおかしい。一般人の監督であればリサーチ不足と切って捨てるだけだが、元奨の監督なのだから、ここは厳しく減点せざるを得ない。他にも、棋士や奨励会員が一手を指す時に、持ち駒を使う描写がやけに多い。素人のへぼ将棋ならまだしも、プロ一歩手前の実力たちの対局を描くにあたって、この辺は少し気になった。

 

また、瀬川のプロ編入試験の5局目で席主や元奨連中が一様に瀬川のニュースを知って驚くのだが、これも不自然極まりない演出だ。将棋の駒の動かし方すら知らない人間であればいざ知らず、瀬川のプロ編入試験は大々的に報じられていたし、一局ごとにテレビやネットで中継され、藤井聡太の連勝中ほどではないが社会現象化していたのだ。

 

最後に、日本将棋連盟執行部にプロ編入を嘆願する際のプロ側の態度。あれはどれほど事実に即しているのだろうか。当時の連盟会長の米長は、常に“行乞の精神”を説いていた。名人戦の移管問題でとんでもない騒動を引き起こしたが、逆に言えば話題作りに長けた男でもあった。名人位には特権的な意識を抱いていただろうが、プロ棋士という地位や肩書に胡坐をかいて、あれほどの特権意識をひけらかす男だっただろうか。このあたりに豊田監督の限界を見るように思う。元奨の残念さという点では、電王戦FINALで21手で投了した巨瀬亮一を思い出す。FINALはハチャメチャな手が飛び出しまくる闘いの連続で、特に第一局のコンピュータの水平線効果による王手ラッシュ、第二局のコンピュータによる角不成の読み抜け(というか、そもそも読めない)など、ファンの予想の斜め上を行く展開が続いた。特に第二局は、▲7六歩 △3四歩 ▲3三角不成 という手が指されていれば一体どうなっていたのか。

 

閑話休題。元奨の中には将棋界に憎悪を抱く者も少なくない。豊田監督は駒の持ち方、指し方に強いこだわりを示していたそうだが、心のどこかに将棋および将棋界へのネガティブな感情がなかっただろうか。監督が強くこだわるべきリアリティにこだわれなかったせいで、傑作になれたであろうポテンシャルを発揮できないままに本作は完成させられてしまった。そんな印象を受けた。

 

総評

ライトな将棋ファンには良いだろう。特に観る将ならより一層楽しめるだろう。将棋は何も指すだけが魅力ではなく、それを指す人間の面白さも大事なのだ。でなければ、誰が棋士の食事にまで関心を持つというのか。一方でディープでコアな将棋ファンの鑑賞に耐えられる作品かと言うと、そこは難しい。シネマチックにすることとドラマチックにすることは似て非なるもので、リアリティをそぎ落とすことでしか追求できない面白さもあるが、本作には当てはまらない。良い作品ではあるが、将棋ファンを唸らせる逸品ではない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, イッセー尾形, ヒューマンドラマ, 伝記, 日本, 松田龍平, 渋川清彦, 監督:豊田利晃, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 泣き虫しょったんの奇跡 』 -実話ベースだが、細部にリアリティを欠く-

『 散り椿 』 -傑作に成り切れなかった作品-

Posted on 2018年10月16日2019年11月1日 by cool-jupiter

散り椿 50点
2018年10月13日 大阪ステーションシネマにて鑑賞
出演:岡田准一 西島秀俊 麻生久美子
監督:木村大作

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散り椿

すっかりアイドル路線から俳優路線にシフトした岡田准一である。しかし、出身地である大阪府枚方市ではご当地ひらパー園長を務め、大真面目に面白おかしいひょうきん兄さんを演じる好漢でもある。ヒット作品もイマイチな作品も、岡田准一なのだからと妙に納得できる力をつけてきている。そして、出番こそ少ないものの麻生久美子である。『 ぼくたちと駐在さんの700日戦争 』では男子高校生の欲情を微妙に、絶妙にそそる駐在妻を演じ、『 シーサイドモーテル 』では娼婦を、『 モテキ 』、『ニシノユキヒコの恋と冒険』、『 ラブ&ピース 』あたりでは幸薄い大人の女を演じるなど、常にそこはかとない色気を振りまいてきた麻生久美子である。これだけで映画の成功は半分は約束されていたはず、だったが・・・

 

あらすじ

剣の達人にして清廉の武士、瓜生新兵衛(岡田准一)は、藩の上層部の不正を届け出た。しかし調査の最中、ある藩士が殺害された。その下手人としての疑いが新兵衛にかけられたことで、新兵衛は、妻の篠(麻生久美子)と共に出奔。それから八年、篠の死を看取った新兵衛は、藩政の正道化を目指すかつての仲間にして出奔の原因ともなった榊原采女(西島秀俊)のいる国もとを訪れる。藩政の行方が懸かった権力闘争に、新兵衛も巻き込まれていく・・・

 

ポジティブ・サイド

殺陣の迫力と、その長回しでの収録には恐れ入った。西部劇にドンパチ対決がなくてはならないように、時代劇には必ず殺陣がなくてはならない。その殺陣を、編集の力を極力借りることなく一気に描き切り、撮り切ったことに、役者、照明、音声収録、カメラオペレーターらの苦労を思い知る。武士を描く、もしくはチャンバラを描く映画は定期的に生み出されるが、これほどしっかりとした時代劇は『 一命 』以来である。

 

岡田准一の存在感は相変わらず高いレベルで安定している。本来ならば馬を称えるべきなのだろうが、暴れ馬を一瞬で御してしまうシーンを冒頭に持ってくることで、新兵衛は単なる剣術馬鹿なのではなく、一廉の武士であることを明示した。これがあることで悪代官の権化のような石田玄蕃(奥田瑛二)と対峙しても、その格を保っていられる。また悪役側の雄たるべき新井浩文の役に対しても格上であることを観客に一瞬で知らしめた。これこそが映画の技法である。

 

篠の妹の里美(黒木華)や、新兵衛や采女の盟友の娘、美鈴(芳根京子)らの女優陣も作品に落ち着きと生活感をもたらしている。『 クレイジー・リッチ! 』でも顕著であったが、ある特定の地域や時代、もしくは家庭や生活の背景を物語る際に、家政のシーンを描写するというのは非常に効果的である。もしくは『 万引き家族 』を思い出しても良いだろう。あのごちゃごちゃした空間は、生活レベルの低さ、貧しさを言葉ではなく映像で如実に説明した。本作も里美が忙しなく動き回るシーンをいくつか挿入することで、新兵衛が帰ってきた藩、そして家に生活感があることが感じられる。最愛の妻を亡くした新兵衛が、落ち着いて逗留できる場所を見つけられたことの新兵衛の安堵の気持ちを、縁側のシーンで鮮やかに描き切った。これもまた映画の技法である。

 

ネガティブ・サイド

一方で、指摘しておかねばならない弱点もある。物語が余りにも特定の人物の周辺だけで展開されている。農民のために新田を開墾するというのなら、武家の坂下家だけではなく、ほんの数ショット、時間にして20秒で良いので藩の農民の生活ぶりを映し出す必要があったと思う。それがあれば、後半の殿の江戸からの帰還の重みと采女の心情と信条の強さがより際立ったであろうと思う。

 

もう一つ残念なのは、後半に颯爽と登場する殿がデウス・エクス・マキナになるのかと期待させながら、狂言回しにすらならないことだ。また石田玄蕃の終盤での行動の必然性が分からない。何故あそこで、このキャラクターを狙ったのか。それは玄蕃の思惑というよりも作者の思惑だ。物語を進め、ドラマを盛り上げたい以上の意図が読み取れない事件が発生するのである。ここから本作は一挙に陳腐化する。水戸黄門であれば印籠を出して最後にシャンシャンで済むわけであるが、本作はテレビドラマではなく、小説を基にした映画である。殺陣の迫力のみでクライマックスを押し切ってしまうのは大したものと言えなくもないが、悪役の玄蕃の言動や行動原理が首尾一貫せず、また死に様にも美しさが無い。もっと陳腐な死に方でよいのだ。結局は小物だったのだから。もしくは福本清三や、あるいは斬られ侍の藤本長史が決して出来ない(してはならない)顔芸で死んでいっても良かった。クライマックスに至る過程とその決着の必然性と美しさの欠如が、本作から大きく減点しなくてはならない要素になってしまっている。

 

最後にもう一つ細かい点を追加するなら、雪のシーンは何とかならなかったのだろうか。黒と白のコントラストは映画館では特に映えるものだが、そこに映像美以外のものが込められていなければ、それは製作者の自慰に過ぎない。手を血で染め、愛する人もなくし、友を支えることもできずに悶々とした日々を過ごして新兵衛と、前途に洋々たる希望を抱く若武者の坂下藤吾(池松壮亮)が対比されるシーンがあったが、これで良いのだ。逆にオープニング早々の雪がしんしんと降るシーンは画としては美しくとも、映画としては失敗であると断じさせていただく。

 

総評

時代劇というのは年々難しくなっているジャンルである。水戸黄門すら打ち切られて久しい。今後も戦国時代をパロディ化した原作を基に映画を作るというトレンドは続くと思われるが、本格的な時代劇映画の再興は遠いと思われる。が、岡田准一、西島英俊というキャスティングからも、製作者たちは本作をカジュアルな女性ファンにも届けたいと願っているのは明白である。そうした層に向けてのヘビーな絵作り、ライトな物語というのであれば、納得できないことはない出来である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, 岡田准一, 日本, 時代劇, 監督:木村大作, 西島秀俊, 配給会社:東宝, 麻生久美子Leave a Comment on 『 散り椿 』 -傑作に成り切れなかった作品-

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