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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 国内

『 ビッグシック ぼくたちの大いなる目ざめ 』 -我々も目を覚ますべし-

Posted on 2019年10月3日 by cool-jupiter

ビッグシック ぼくたちの大いなる目ざめ 75点
2019年9月30日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:クメイル・ナンジアニ ゾーイ・カザン
監督:マイケル・ショウォルター

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191003224355j:plain

 

Jovianはインド映画好きである。だが、インドの隣国パキスタンのことはよく知らない。せいぜい『 バジュランギおじさんと、小さな迷子 』でインドから宗教的に分離した国であるということぐらいしか知らなかった。そんなパキスタン出身のクメイル・ナンジアニ自身の逸話が映画化された。外国人が増加しつつある日本においても非常に示唆的な作品であると言えよう。

 

あらすじ

スタンダップ・コメディアンのクメイル(クメイル・ナンジアニ)はパキスタン出身。アメリカで芸人としてのキャリアを追求する一方、因習にうるさい母親たちを断り切れず、形だけの礼拝、形だけのお見合いをしていた。ひょんなことからアメリカ人のエミリー(ゾーイ・カザン)と知り合い、逢瀬を重ね、親しくなるが・・・

 

ポジティブ・サイド

脚本を書いて、それを自分でも演じる映画人としてM・ナイト・シャマランが思い浮かぶが、彼はチョイ役専門である。シャマランの本業は監督であるが、クメイル・ナンジアニはコメディアンにして、映画の主演も張る。そして、見事な演技力。自分で自分を演じるのは存外に難しいものと思う。なぜなら、そんな練習は普通はしないから。そこはしかし、スタンダップ・コメディアンのキャリアが生きている。あらゆる状況を自分の言葉と仕草と小道具で説明し、受け手に何らかの変化(特に笑い)を励起させるという意味ではお笑い芸人は案外、役者の素養を備えているものなのかもしれない。クメイルを見ていて感じるのは、彼は誰に対しても気後れしないのだな、ということ。異国で暮らすことは難しいことだ。異国だからこそ、自国のらしさにこだわってしまうことが人間にはよくある。『 クレイジー・リッチ! 』でも指摘したが、異邦人は自らのユニークさ、違いを殊更に強調しようとする傾向がある。クメイルはパキスタンそしてイスラムの伝統や因習を一方的には否定しない。しかし、それらを受け入れもしない。個人として自立している。アメリカ的と言えばアメリカ的だし、現代的と言えば現代的である。こうした個の強さを兼ね備えた人間の物語にはインスパイアされることが多いが、その逆に「こうした種類の人間にはとても敵わないな」とも思わされる。けれど、よくよく考えてみれば勝つだとか負けるだとかに思いを巡らせてしまうこと自体がおかしなことだ。クメイルの生き様から学ぶべきことは「自分らしくあれ」ということ。これは現代の日本人にとっても inspirational で motivational なことだろう。9.11はきっかけになっているが、たとえあのテロがなくとも、クメイルは自国および自分をネタにした可能性は高い。

 

そうそう、こんな辺境のブログを読んでいる英語教育関係者がいるかどうかは知らないが、multi-national students を教えるに際しては、外国および外国人のイメージをその国の出身者でない者に尋ねるのはタブーである。TESOL、またはそれに類した教授法を学んだ人であればお分かり頂けよう。外国のことはその国の人間に語ってもらう。生徒、受講生には自国のステレオタイプを語ってもらい、それをクラスでシェアするのが原則である。クメイルのパキスタンネタのコメディを笑うのは時に難しいかもしれないが、大坂なおみをネタにした芸人が壮絶に滑ったり、ダウンタウンの浜田がブラックフェイスを批判されても「差別の意図はなかった」として反省しなかったことを、我々はもっと真摯に受け止めねばならない。外国語の教育に携わる人間こそ、語学ではなく国際的な歴史と人権意識を学んでほしいと切に願う。この国では、文法と形式に拘泥するくだらない教育者もどきが余りにも数多く跋扈している。

 

Back on track. ゾーイ・カザンは相変わらずキュートである。プリティーである。こんな女性をバーで口説き、そのままベッドインできれば最高であろう。美人だから最高なのではない。語るのが辛い過去があり、クメイルを好いているが故に、自分を棚に挙げつつも、彼が秘密を打ち明けなかったことに激怒する人間らしさが魅力なのである。男という生き物は、なぜか女性に幻想を抱きがちである。そういった幻想をぶっ飛ばす(性的な意味ではない)夜の語らいシークエンスは、実話か、もしくはそれに近い逸話があったのだろう。このあたりが凡百のラブロマンスとは異なるところであり、我々が人種や宗教、国籍などを飛び越えて、クメイルとエミリーというカップルを好ましく思える所以である。

 

本作はアメリカ版『 8年越しの花嫁 奇跡の実話 』でもある。破局してはいるもののクメイルはエミリーのステディだった。そんな男が相手の女性の両親とどのように向き合い、どのように語り合い、どのように信頼を勝ち得ていくのか。たいていの男性既婚者が通る道ではあるが、見ていて大変に辛い展開もあり、微笑ましくなれるところもある。これらを通して、我々小市民もクメイルとエミリーのドラマに共感できるのである。確かに、我々はinternational / interracial な関係をなかなか築くことができる社会には生きていない。しかし、個としての強さを学ぶことはできるし、実は人種や宗教といった面を取っ払えば、我々一人ひとりは同じく等しく人間なのだというよく分かる。そのような見方を本作は許してくれる。『 8年越しの花嫁 奇跡の実話 』とセットで見比べてみるのも面白いかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

次から次に現れるお見合い相手のパキスタン人女性が揃いも揃って、とてつもなく美人である。そんなことがありうるのだろうか。パキスタン人女性に美人は少ないと言っているわけではない。念のため。アメリカにいるパキスタン人の皆が皆、クメイルのような男ばかりではないだろう。Jovianなら、あの母親が見繕ってきた一人目の相手に一目惚れしてしまったかもしれない。結婚するかどうかは別にして、好意的な気持ちは間違いなく抱く。そういった美女をすべてつれなく袖にしたというのは実話なのだろうか。どうにも信じがたい。『 ボヘミアン・ラプソディ 』や『 ロケットマン 』のように、存命の人間を描くと、その部分はどうしても美化されがちである。お見合いプロットに出てきた女性たちは、文字通りに美化されすぎていると推測する。そんなことをしなくても、エミリーの魅力は外見ではなく内面にあることは充分に伝わってきた。自身を持ってほしい。

 

クメイルのコメディアン仲間たちとエミリー、そしてエミリーの両親のinteractionはなかったのだろうか。コメディアン連中は全員、白人。これは事実に即してのキャスティングなのだろうが、無意識のうちに我々が異なる人種の間に感じ取ってしまう緊張感のようなものが、単なる虚妄に過ぎないという展開が、もっと欲しかった。

 

総評

これは傑作である。なぜ劇場公開をスルーしてしまったのか。痛恨の極みである。事実は小説よりも奇なりと言うが、そうした事実の一つひとつは、実は結構、陳腐なエピソードだったりする。例えば、ガールフレンドの父親と会話をするというのは、たいていの男にとっては必須の通過儀礼だ。そうしたイニシエーションは陳腐だが、一つとして同じものはない。クメイルとエミリーの関係も類型的ではあるが、とてもユニークだ。上質のロマンスに興味があれば、是非本作を観よう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I get it, man.

 

「 気持ちは分からんでもないがな 」という感じの意味である。【『ジョジョの奇妙な冒険』で英語を学ぶッ!】という奇書で、柱の男カーズが放つ台詞である。“I got it.”=分かった、“I get it.”=分かる、である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, クメイル・ナンジアニ, ゾーイ・カザン, ラブロマンス, 監督:マイケル・ショウォルター, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 ビッグシック ぼくたちの大いなる目ざめ 』 -我々も目を覚ますべし-

『 アンダー・ユア・ベッド 』 -もっとキモメンをキャスティングせよ-

Posted on 2019年10月3日2020年4月11日 by cool-jupiter

アンダー・ユア・ベッド 65点
2019年9月29日 シネ・リーブル神戸にて鑑賞
出演:高良健吾 西川可奈子
監督:安里麻里

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ストーカーという人種、ストーキングという行為が認知されたのは、日本では比較的最近ではないだろうか。一方的に思慕の念を募らせるのは、ある意味では美しいが、それが犯罪を構成するところまで行ってしまっては、止まるに止まれなくなる。『 君が君で君だ 』はそうした止まれない、しかし思慕の対象には近づかない男たちの物語だった。それでは本作はどうか。ベッドの下にまで潜り込む男の物語である。

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あらすじ

彼は誰からも存在を忘れられた男だった。しかし、19歳の大学生の頃、ただ一人自分のことを名前で、「三井くん」(高良健吾)と呼んでくれた千尋(西川可奈子)とマンデリンを飲むことができた。その思い出に浸ること11年、30歳になった三井はもう一度だけ千尋に会いたいと願い、彼女を探し出す。しかし、見つけたのはボロボロに変わり果てた千尋だった・・・

 

ポジティブ・サイド

まずは西川可奈子を称賛しようではないか。『 火口のふたり 』の瀧内公美に優るとも劣らない脱ぎっぷりと濡れ場(というよりレイプか)、そして暴力的・被虐的シーンを演じ切った。19歳の大学生からボロボロに疲れ切った30歳の一児の母までを、わずか1時間30分という間で自在に行き来した(ように編集で見せているわけだが)のは、メイクアップ・アーティストや衣装、照明の力を借りてこそではあるが、やはり本人の繊細な演技によるところが大きい。大学生の頃のくるくると変わる表情とはじける笑顔には、三井ならずともコロッといってしまうであろう。

 

原作の小説もそうであるが、千尋に生まれたばかりの子どもがいるという設定の妙が生きている。その子が話せるようになったら、一巻の終わりだからである。だからこそ、『 君が君で君だ 』の三人組にはなかったタイムリミットが三井にはあり、それゆえに三井のストーキングはエスカレートしていく。この見せ方は実に巧みである。

 

原作小説には結構細かく描写されていた千尋の夫の職場での良い人っぷりをばっさりとカットしたところもグッドジョブだ。物語に不必要なぜい肉はいらない。

 

オムツを吐いて、ベッドの下に息を殺して潜む。それはおぞましい行為である。憧れの女性が乱暴に犯される声を聞き、ベッドの振動をその掌で感じ取る。そのことにえもいわれぬ興奮を覚える三井に、どうやって共感せよというのか。それが、物語が加速していくにつれ、できるようになるのである。この絶妙な見せ方に興味がある人は、ぜひ劇場へ足を運ばれたい。

 

ネガティブ・サイド

0歳の乳児がいるにしては、千尋が貧乳である。もちろん、そういう女性もいるにはいるだろうが、極度のストレスのせいで母乳も出せないという描写が欲しかったところである。ストーカーの怖いところは、現実離れした妄執にある。ならば、それ以外の部分は出来うる限り現実に即しているべきである。それが出来ないのなら、それを納得させるだけの描写や演出を挿入するべきである。

 

高良健吾は素晴らしい役者であるが、今作に限ってはミスキャストだと思われる。何故なら、いくら暗い、存在感の薄い男を演出しても、高良自身の面構えの良さが、三井というストーカーの負の面を中和してしまう。もちろん、外見が人間の中身を表すわけではないは、妄執という面では、変則的ストーカー(?)ものの小説および映画にもなった『 モンスター 』(主演:高岡早紀)という優れた先行作品がある。例えば、高良の顔の良さをほんの少しでも隠せるようなメイクおよび照明の使い方があったのではないだろうか。江戸川乱歩の『 人間椅子 』ではないが、こうした物語には醜男を配置すべきである。

 

原作とやや異なるラストも個人的には気に入らない。三井のレーゾンデートルでもある「喫茶店で一緒にコーヒーを飲んだ」という思い出が砕かれる瞬間が描かれるべきだった。もしくは編集でカットしたのだろうか。ラストシーンの三井の実存の回復のためにも、敢えて奈落の底に突き落とすような物語展開が直前に欲しかったと思う。

 

総評

ストーキングという行為にはある意味での普遍性がありそうだ。そうした営為が犯罪として認知されるようになったのは法律の整備やプライバシー意識の醸成などが背景にあるだろうが、なによりもテクノロジーの力により、録音、録画、動画撮影に盗聴までもが容易になったことが大きい。三井のような行為は、やろうと思えば誰でも出来るのだ。中島梓は『 コミュニケーション不全症候群 』で、我々が最終的に求めてやまず、それでも手に入らないものとして「他者」を挙げた。他者からの承認である。企業研修では存在承認や行動承認がアホの一つ覚えのように繰り返し叫ばれている。2001年刊の原作小説が現代に映画化される意味は確かに見出せる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I want to be beside her permanently.

「ずっと隣にいたい」 そんな三井の純愛とも狂気とも知れない気持ちが切なさと共に迫ってくる。ずっと=forever と暗記している人が多いが、ちょっと違う。Permanentlyも押さえておきたい語彙。パーマをかけるのパーマである。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, スリラー, 日本, 監督:安里麻里, 西川可奈子, 配給会社:KADOKAWA, 高良健吾Leave a Comment on 『 アンダー・ユア・ベッド 』 -もっとキモメンをキャスティングせよ-

『 記憶にございません! 』 -毒は少なめの政治コメディ-

Posted on 2019年10月2日2020年8月29日 by cool-jupiter

記憶にございません! 70点
2019年9月28日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:中井貴一 ディーン・フジオカ 吉田羊 石田ゆり子
監督:三谷幸喜

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「そのようなことは、えー、わたくしの記憶にはですね、えー、全くございません」 小学校高学年ぐらいだったJovianは徐々にテレビのニュースを見るようになったが、このような答弁をするオッサン連中を見て、記憶力が悪くても政治家になれるのか、と無邪気に感じたことを今でも覚えている。そんないたいけな少年だったJovianも今ではすれっからしになってしまった。だからこそ、本作を楽しめるのだとも言える。

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あらすじ

2.3%という史上最低の支持率を叩き出してしまった黒田啓介(中井貴一)は、演説中に一般人に投げられた石が頭に命中してしまい、小さな頃の記憶以外を失ってしまった。人望も人徳もなく、記憶までなくしてしまった黒田は、秘書官らのサポートの元、記憶喪失を隠しながら公務を行うのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

この撮影の仕方は通常の映画撮影のそれではない。舞台演劇を映画化するような際に用いられる撮影技法がふんだんに使用されている。たとえば『 オペラ座の怪人 』の舞台の映画化などが好例である。光と影のコントラストを鮮やかに映し出したり、遠景と近影を使い分けたりといったことは、ほとんどしない。その代わり、ロングのショットで忠実にキャラクターの仕草や表情を映し出す。物語の冒頭や締めにドラマ『 ER 』的なキャラクターの入れ替わり立ち替わりショットを入れることはよくある。『 恋は雨上がりのように 』で、あきらのバイト先でそのようなショットが使われたし、ドラマ(および映画)の『 コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命- 』のエンドクレジットのシーンはまんまERのパクリである。しかし、全編これ、ロングのショットでキャラクターの近影を映し続けるというのは、邦画ではかなり斬新なアプローチである。それゆえに中井貴一の表情の演技が抜群の輝きを放っている。I take my hat off to撮影担当の山本秀夫氏。

 

キャラクター同士の掛け合いも適度な笑いを喚起する。特に黒田総理が自身の家に帰ってきたシーンや家族との団らんになっていない団らんシーンは、プッと吹き出さずにはいられないおかしさがある。小池栄子のコミック・リリーフも効果的に各シーンを和ませ、吉田洋と中井貴一の“現場”から放たれる期待感と失望感は、漫画的な面白さだけではなく「本当にこういう現実があるのかも?」というリアリティを有していた。実際に山尾志桜里議員を思い起こした観客も多いだろう。ちなみに不倫はある種の普遍性を有した文化であることは『 ウィーナー 懲りない男の選挙ウォーズ 』からも分かる。

 

永田町や官邸内の権力闘争、ジャーナリズムと権力の関係、政治と庶民の関係など、かつてないほどに政治に対する期待が高まっている中で、肝心の政治がそれにほとんど答えられていない。そんな中で、一種の清涼剤的な役割を本作が果たしていることが現在の快調な興行収入につながっているのかもしれない。事実、法人税を少し上げれば消費税を下げられるのではないかという黒田の無邪気な疑問は、まさにれいわ新撰組の主張そのものである。こうした現実へのうっ憤を、本作はある程度晴らしてくれるのである。

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ネガティブ・サイド

英語で ”all persons fictitious” disclaimer と呼ばれる注意事項がある。日本語では「この物語はフィクションで登場する人物・団体・出来事等は架空であり実在のものとは関係ありません」というアレである。本作は開始早々に「この物語はフィクションで登場する人物・団体・出来事等は架空ですが、類似のものがあるとすれば、それはたまたまです」と宣言する。こちらは期待に胸を躍らせて『 新聞記者 』のパロディもしくはコメディのような現政権批判が見られるのかと期待したが、不発だった。念のために言っておくが、Jovianは自民党が嫌いなわけではなく、権力全般が嫌いなのである。特に権力を正しく使わない人間が嫌いである。

 

Back on track. 「総理の奥さんになれば、何でもできるんですねえ」という黒田の台詞は、当然のことながらアッキード事件を指しているわけだが、三谷幸喜はもっともっと現実の政治を面白おかしくパロディにできるはずだし、そうすべきだった。K2プロジェクトというのも、正直なところ期待外れ。もっと国立競技場だとか、五輪絡みのアホな建設プロジェクトをパロって、現実を鋭く抉りながらも、笑いに昇華できたはずだ。

 

全体的に役者は良い芝居をしているが、一部、ディーン・フジオカの台詞はアフレコになっていた?唇の動きと発せられる言葉が一致しないように見えるシーンが序盤にあった。確かにロングのショットを多用していて、ひとつNGがあれば最初から全てやり直しという、非常に難しい撮影現場であったと思うが、もしもアフレコするのであれば、もっとリップシンクに厳密になってもらいたいと思う。『 空飛ぶタイヤ 』でフジオカを指して、スーツ以外の衣装はまだ着こなせないと評したが、逆に言えばスーツは着こなせているのだ。

 

総評

中学生にはちょっとアレな描写もあるが、高校生ぐらいからならOKだろう。政治とは何か。誰のために政治が行われるのか。もちろん、気に入らない政治家に石を投げつけるのは論外であるが、大して毒でも刃でもない言葉を浴びせるだけで警察に排除されてしまうのが昨今の日本なのである。政治ネタを笑うと共に、政治に対する意識をもう一度高めるためにも、本作を見て大いに笑い、そして政治に対する目を厳しく持とうではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I don’t recall.

 

ドナルド・トランプ米大統領の選挙戦でロシア側と接触したとされる人物が、この台詞を連発したことは記憶に新しい。rememberという動詞を使いたくなってしまうが、覚えているものをそのまま思い出せるならremember、頑張って頭の中をあれこれ探って思い起こす時にはrecallを使うべし。車に欠陥が見つかればリコールされる、というアナロジーで理解しよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, コメディ, ディーン・フジオカ, 中井貴一, 吉田羊, 日本, 監督:三谷幸喜, 石田ゆり子, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 記憶にございません! 』 -毒は少なめの政治コメディ-

『 見えない目撃者 』 -韓国映画のリメイク成功例-

Posted on 2019年9月29日2020年4月11日 by cool-jupiter

見えない目撃者 75点
2019年9月23日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:吉岡里帆 高杉真宙 大倉孝二
監督:森淳一

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吉岡里帆主演の『 パラレルワールド・ラブストーリー  』は文句なしに駄作だった。なので『 音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!! 』はスルーさせてもらった。今回もスルー予定だったが、結果的にチケットを買ってよかった。

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あらすじ

浜中なつめ(吉岡里帆)は配属直前の警察官。しかし弟を補導した帰りに、事故を起こして、弟は死亡、自身も視力を失ってしまう。それから3年。とある車の接触事故の場に居合わせたなつめは、車内から助けを求める少女の声を聞く。だが警察は視覚障害者のなつめの言うことをまともに取り合わない。なつめは独自に接触被害にあったスケボー少年の春馬(高杉真宙)に会うが・・・

 

ポジティブ・サイド

これは近年の邦画(韓国映画のリメイクだが)サスペンスの中では出色の出来映えである。現代日本社会の闇を浮かび上がらせつつも、単なる社会派としてだけではなくミステリ要素あり、スリラー要素ありと、非常に野心的な作品に仕上がっている。

 

個人的には事件を追う刑事たちと夏目と春馬の民間人ペアのチームワークが見どころだった。暇があれば靴磨きに余念がない定年間近でやる気のないベテランと、メンドクセーという空気を醸し出す中年刑事が、徐々に吉岡演じる盲目女性とスケボー少年ペアと chemistry を起こしていく展開の見せ方が上手い。特に非行少年の春馬が成り行きから捜査に加わり、犯人に狙われ、これ以上は深入りするなと言われながらも警察となつめに協力していく様は、物語のサブプロットでありながらも、最終的には春馬自身のビルドゥングスロマンにつながっていく。この脚本は見事である。

 

このリメイクはオリジナルよりもミステリ要素が強めである。というよりも、オリジナルは完全なるサイコ・サスペンスだが、森淳一監督は松本清張的な社会派ミステリ要素を加えてきた。そして、それが奏功している。例えば『 チワワちゃん 』は本作のようなストーリーをたどって、本作のような犯人に殺されたとしても不思議はなかったのである。そして、そのことが単なるニュースとして消費されるような社会に我々は現に生きている。日本という国の近現代の歴史の大きな一面は都市化だった。綾辻行人がしばしば指摘することであるが、都市という空間では人間は基本的に他者に無関心である。より正確に言えば、社会の規範から外れた者に無関心である。それは時に家出少女であり、非行少年であり、障がい者であり、特殊な嗜好の持ち主である。本作が社会派たり得ている理由はこれだけでもお分かり頂けよう。

 

だがエンターテインメント性も忘れてはならない。本作はサスペンス要素がてんこ盛りである。過剰とも思えるほどに主人公およびそのパーティーメンバーに危機が訪れる。そして物語の中で、上手く小道具を使い、危機をくぐりぬけていく。特にクライマックスのシークエンスは見事の一語に尽きる。このアイテムを使って何かをするだろうな、ということは観ている時からすぐに分かるが、その使い方が素晴らしい。

 

本作で主演を張った吉岡里帆はJovianの中では redeem された。Shawshank Redemption and Rita HayworthならぬShawshank Redemption and Riho Yoshiokaである。光を失いながらも、その他の感覚研ぎ澄ませ、警察官ではなくともその身は軽く、頭脳も明晰。そして、一度は失ってしまった弟を再び失うことはすまいと、自らの信じる正義に愚直なまでにその身を投じていく様に、女優としての階段を着実に一歩上ったという印象を受けた。満腔の敬意を表したいと思う。

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ネガティブ・サイド

盲導犬パムとなつめの触れあいの描写が不足している。原作と違い、失明後も母親と暮らしているにもかかわらず、犯人に襲われ、病院で目覚めた後に真っ先にパムを気遣うのがやや腑に落ちなかった。もちろん、失明している人間には盲導犬が最高のパートナーであることは分かるが、その間に培われてきた絆の描写がもう少し欲しかった。

 

そして、上の流れにつながる流れ、トレイラーにもあった電車のシークエンスはサスペンスフルではあるが、論理的に考えればご都合主義以外の何物でもない。なつめがどこの駅で降りるかなど、分かりようがないのだから。サスペンスが途切れないのが本作の最大の長所であるが、この点だけは劇場鑑賞中に???となってしまった。

 

クライマックスのとある豪邸でのシークエンスでも、オリジナルではライターが小道具として有効に機能していたが、今作ではスマホのライト機能を使っていた。これも時代に合わせた変更であろうが、それにしても本来光で照らされているべき箇所が、とてもそのようには見えなかった。また、実際に強烈な光を対象に浴びせてしまうと、ある小道具の存在がばれてしまうということもあったのだろう。だが、このような盲目のキャラクターが登場する作品こそ、光の扱いに注意してもらいたい。文字通りの意味での光と闇のコントラストが本作最大のクライマックスで、そこに至る過程は座頭市の決闘さながらのサスペンスを生み出したが、実際とは異なる演出のせいで、またもご都合主義を感じさせてしまった。

 

ポスターについても一言。『 マスカレードホテル 』でも指摘したが、ハードコアな映画ファンやミステリファンの中には、あらゆる角度から情報を収集・分析して、鑑賞に臨む者もいるのである。販促物で犯人を暗示することはご法度である。劇中でも不自然なさりげなさを醸し出すシーンがあるが、一部の販促物と合わせて考えれば、物語の中盤前に犯人にピンと来てしまう。実際にJovianはピンと来た。うーむ・・・

 

総評

弱点・欠陥を抱えた作品であることは間違いないが、劇場の大画面、大音響で鑑賞すれば、そんなものは一瞬で吹っ飛ぶほどの緊迫感溢れるシーンの連続である。『 SUNNY 強い気持ち・強い愛 』が原作韓国映画の換骨奪胎に失敗した轍を、本作は踏まなかった。『 クリーピー 偽りの隣人 』や『 ミュージアム 』よりも面白いと勝手に断言させてもらう。ただ、グロいシーンもいくつかあるので、それに耐性のない人だけは注意を。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Whatever you do, don’t cause me trouble.

 

「何をしようと勝手だが、俺に迷惑だけはかけるな」とは、スケボー少年の春馬の教師の面談の場での発言である。異物排除の論理が日本社会、特に大人の価値観を支配していることを端的に表す言葉である。「何をしてもかまわんが、~~~だけはするな」と言う場合には “Whatever you do, don’t V.”というのが公式のようなものである。

 

Whatever you do, don’t borrow money from him.

Whatever you do, don’t touch my computer.

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, サスペンス, スリラー, ミステリ, 吉岡里帆, 大倉孝二, 日本, 監督:森淳一, 配給会社:東映, 高杉真宙Leave a Comment on 『 見えない目撃者 』 -韓国映画のリメイク成功例-

『 HELLO WORLD 』 -安心の野崎まどクオリティ-

Posted on 2019年9月25日2020年4月11日 by cool-jupiter

HELLO WORLD 70点
2019年9月22日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北村匠海 松坂桃李 浜辺美波
監督:伊藤智彦

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Jovianは野崎まどのファンである。メディアワークスが出している作品はすべて読んだ。『 2 』を除けば、一番のお気に入りは『 小説家の作り方 』である。氏のテーマは一貫している。人間の姿をした人間以上の存在である。そのことを念頭に置いておこう。

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あらすじ

2027年の京都。堅書直美(北村匠海)の前に、10年後の未来からやってきた自分、ナオミ(松坂桃李)と共に一行瑠璃(浜辺美波)に迫っている落雷事故を回避することを目指すが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 二ノ国 』という超絶駄作の超絶クソ voice acting の後なので、ある程度は評価が上方修正されているかもしれないが、北村も松坂も浜辺も及第以上の声の演技をしていた。特に浜辺美波はJovianの贔屓目も入っているが、渡辺徹のようにナレーション業も頑張れば行けそうだ。頑張って欲しい。

 

トレイラーの段階から「この世界は全部、データだった」という直美の独白があるので、その設定そのものに驚く必要はない。我々が本当に観たいのは、【 この物語(セカイ)は、ラスト1秒でひっくり返る 】ところなのである。そして、これから本作を観ようとする諸賢におかれてはご安心されたい。ちゃんとひっくり返ってくれる。厳密にはラスト1秒というわけではないが、怒涛のコンビネーション・ブローを観る側の脳に叩き込んでくれる。

 

これは言葉の正しい意味でのSFである。アニメ作品としては『 イブの時間 劇場版 』に並ぶクオリティである。SFとは何か。人類と文明の関係性を描くフィクションである。アニメとは何か。手塚治虫に言わせれば、「物語が先に存在して、それを伝えるために絵が動くもの」である。その意味では本作は実に正統派のSFアニメである。我々が生きているこの世界が実はデータだったというのは、『 マトリックス 』以来、手垢のついたテーマではあるが、だからこそドンデン返し = big twist に挑戦してみたくなる分野でもある。繰り返すが、本作にはしっかりとしたドンデン返しが存在する。期待して欲しい。

 

本作に採用されている様々なガジェットやキャラクター造形、ショットの構図などは、優れた先行作品の影響を色濃く受け継ぐものである。まずは敵の量産型キャラクター。これは『 BLAME! 』のセーフガードを思い起こさせてくれた。つまり、非常に不気味で、恐怖を感じさせてくれた。それらが最終的にはミラクル卵の最終形態になり、シシ神のデイダラボッチバージョンになり、エヴァンゲリヲンにもなった。これは大迫力だった。エージェント・スミスがこれをやっていたら、彼の名作は更に名作の誉れ高くなったのか、一気に駄作に堕ちてしまったのか、どちらだろうか。

 

物語世界とキャラクターの真実については、アニメではないが映画化されそうでされなかった(できなかった)小説『 ループ 』が思い浮かんだし、ちょっと古い映画で言えば『 13F 』も下敷きにあったのかな。またこうした一種の入れ子構造の作品としては『 イグジステンズ 』や『 トロン 』、『 主人公は僕だった 』や『 ルビー・スパークス 』なども思い起こされた。それでいて、オリジナリティある作品に仕上がっているという、そのこと自体が最も素晴らしい点であると言えるかもしれない。伊藤智彦監督に拍手!

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ネガティブ・サイド

ストーリーテリングや世界観の構築の面では素晴らしいが、一方ではグラフィック面に大きな課題を残した。特に物語が舞台を文字通り大きく様変わりさせるシーンのグラフィックは、そのまんま『 2001年宇宙の旅 』の劣化バージョンである。というよりも、あからさまに『 LUCY/ルーシー 』(監督:リュック・ベッソン)をパクっているとしか思えないものもあった。オマージュとパクリは似て非なるものである。これらのシーンに関しては、製作者側のリスペクトが感じられなかった。そこが残念である。邦画に似せるとオマージュ、外国産の映画に似せるとパクリという判断をJovianはどうやらしているようである。

 

トレーラーにもあった街が崩壊していくビジョンは、まんま『 インセプション 』と『 ドクター・ストレンジ 』だった。もっと独創性ある映像を作って欲しかった。

 

あとは、男女が恋に落ちるプロセス、あるいは恋愛感情を自覚するプロセスに、もう少しオリジナリティが欲しい。多くのアニメ作品では身体、特に特定部位の接触が契機になることが多いように思われるが、そのようなclichéからはそろそろ卒業すべきではないだろうか。近年でも『 夜は短し歩けよ乙女 』や『 打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか? 』などが、まさにこうした手法を使っていた。もっと『 耳をすませば 』のような、ピュアで、それでいてロマンティックな関係性を、宮崎駿以外のクリエイターも描けるはずだ。もっと受け手を信頼すべきだし、あるいは作り手が受け手を啓蒙してやるぐらいの気概を持ってもいい。

 

総評

アニメ作品としては、個人的には年間ベスト級であると感じる。ただし、かなり人を選ぶ作品だろう。関西人、特に京都にゆかりのある人は、「これはあそこだ」、「ここは、あれだな」という見方を楽しめる。ただし、関西弁原理主義者(若い世代にはいないと思うが)の方にはお勧めできない。京都弁などは微塵も出てこない。また、ある程度のSFの素養も必要だろう。野崎まどファンなら、見逃すべきではない。 

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I did it.

 

「やってやりました」= I did it. である。何かを行って、そのことを誇らしく思うのなら、こう言おう。相手が何か素晴らしいことをやってくれたなら、“You did it.”と言おう。ただ、この do it という表現には落とし穴もある。しばしば、does itという形で、「~~が悪い」、「~が元凶だ」のような意味になる。Wedding is fine. It’s living together that does it. 結婚は問題ない。悪いのは一緒に住むことだ、のようになる。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, SF, アニメ, 北村匠海, 日本, 松坂桃李, 浜辺美波, 監督:伊藤智彦, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 HELLO WORLD 』 -安心の野崎まどクオリティ-

『 The Fiction Over the Curtains 』追記とその他雑感

Posted on 2019年9月19日2020年8月29日 by cool-jupiter

『 The Fiction Over the Curtains 』の制作関係者の方と少しお話をさせて頂く僥倖を先日得ることができた。作品には様々な意図が込めらられているが、一番はフクシマであるということだった。それはあまりにも安易かつ安直だろうと思ったが、確かに得心できないこともない作りであった。Jovianが鑑賞直後に直感したのは、発展途上国への支援の問題だった。我々は物資を送ることにはそれほどやぶさかではない。現に、大型ショッピングモールなどでは、着古した衣類(下着除く)の寄付を定期的に募っていたりするではないか。そして結構な量の衣服が無造作に箱に放り込まれていたりするではないか。けれど、我々は現地に赴いて、自ら汗水垂らそうなどとは毫も思わない。そうした発展途上国に生きる人々も、しかし、スマホを持ち、極東の島国の住民を珍奇の対象として見ているかもしれないのだ。それがJovianが作品から得た解釈であった。「そういう見方も可能だし、そのように観てもらいたい意図もある」という有り難いお言葉を頂いたが、やはり芸術作品は送り手と意図と受け手の解釈にずれが生じるものなのだなと感じた次第である。

 

余談ではあるが、その関係者の方は映像芸術家の小泉明郎のファンで、その小泉明朗はJovianの大学の先輩にして同じ寮で時間を共有したdorm mateでもある。何たる奇縁!

 

その小泉が【 あいちトリエンナーレ2019 】の中止で、にわかに注目を浴びている。その小泉はFacebookの投稿で「作家にとって作品を観ないで批判されることが、なによりも腹立つことです。観てから批判されるのはいいですが、観ずにはナシです」、「アートとは、作品と個人が対峙する鑑賞体験があって初めて評価され、議論されるものという、前提が否定されてしまいます」と憤っている。何故か?【あいちトリエンナーレのあり方検証委員会】アンケート調査を実施しますというグロテスクな行政の介入ゆえだ。展示を見ていない人でも回答できてしまうことは大きな問題、というよりも、情報操作の余地を残していることからも、危険、有害とすら言える。Yahoo!ニュースのコメント欄すら内調によって操作・誘導されていることが『 新聞記者 』で示唆されていた。愛知県の実施するアンケートが操作・誘導されないという保証がどこにあるというのか。

 

芸術論については、Jovianが時々見ている映画批評YouTuberのChris Stuckmannの

youtu.be

を観て欲しい(ちなみに『 ミスター・ガラス 』のネタばれレビューなので注意。一応、リンクは動画の13分48秒時点に設定してある)。Stuckmannの台詞を一部、書き出して訳してみよう。

 

You don’t have to have permission to express yourself through an art form.(略)You never never never never take someone’s right to express themself through an art form away. Just don’t do it. (原文ママ)

 

芸術という形で自分自身を表現するのに許可など不要。芸術という形で自分自身を表現する権利を奪うことは絶対にあってはならない。それだけは勘弁してくれ。

(themselfに突っ込み無用。ネイティブは分かっていて敢えてこう言っている)

 

是枝裕和監督の『 万引き家族 』に関しても、外野からあれこれと批判の声が上がった。作品の中身について論じるならばよい。それには是枝氏も耳を傾けるだろう。だが、文化庁から補助金を得ていることを理由に作品の方向性云々にケチをつけるのは、成熟した民主主義社会の市民の取るべき行動ではない。税金が投入されているからという理由で、国にとってセンシティブな事柄を想起させる芸術作品を規制するべきではない。芸術や言論を封殺する社会の行きつく先は独裁だ。「国はお前たちに無料で教育を授けてやっただろう?」という理由で国家に精神を従属させ、肉体を国への奉仕に差し出してしまえば、人間が歴史を通じて希求してきた「自由」、「主体性」、「尊厳」などのフィクションはどうなってしまうのか。

 

現実世界でもネット空間でも良い。言葉を発しよう。人によっては、それが歌だったり、絵だったりするかもしれない。要は、誰かに強制された形ではなく、自発的な意志で自分を表現しようということだ。ブログというツールは、そうした可能性を追求するプラットフォームになりうるし、それは別にTwitterでもInstagramでも何でも良い。日本人はもっともっと語ることそのものに熱心になるべきだ。社畜リーマン英会話講師の雑感である。

Posted in 国内, 映画Leave a Comment on 『 The Fiction Over the Curtains 』追記とその他雑感

『 火口のふたり 』 -歪な実写版セカイ系物語-

Posted on 2019年9月4日2020年4月11日 by cool-jupiter

火口のふたり 65点
2019年8月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:柄本佑 瀧内公美
監督:荒井晴彦

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『 幼な子われらに生まれ 』の脚本家が監督をしていると知り、平日の昼間から映画館へ。予告編では『 娼年 』や『 殺人鬼を飼う女 』のようにエロシーンを通じて何らかのメッセージを発してやろうという作品かと思っていたが、実際はちょっと趣が異なる作品だった。

 

あらすじ

賢治(柄本佑)は父から電話を受ける。直子(瀧内公美)の結婚式への出席するか?というのだ。故郷の秋田に帰省する賢治は、直子に「一晩だけ、あの頃に帰ろう」と言われ、関係を持ってしまう。だが、それは互いの身体の言い分を呼び覚ましてしまい・・・

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ポジティブ・サイド

『 娼年 』の松坂桃李は、ちょっとその愛撫は優しさが足りないんじゃないのか?と観る側に思わせたが、柄本佑はどちらかというと成田凌タイプ。つまり、本当に彼自身がやっていそうなちょっと無理めの前戯を演じてくれる。男性ホルモンが旺盛に分泌されていそうな雰囲気を漂わせる柄本は適役である。新井晴彦が脚本を担当した『 幼な子われらに生まれ 』でも、浅野忠信という役者がナチュラルに醸し出す迫力や威圧感、いわば暴力の予感が効果的に演出されていたが、柄本もそれに近い使われ方を本作ではしている。

 

瀧内公美は『 娼年 』には勿体なかったのだろう。美女がイケメンとセックスするところを見てもあまり楽しい気分にはならないが、これほどの美女が柄本のようなムンムンの男子中学生がそのままデカくなりました的な男とまぐわうのは、言葉そのままの意味で面白い。映画撮影的にも非常にチャレンジングなショットがいくつも見られる。つまり、ワンカットの多用である。カメラアングル的に斬新なものは皆無だったが、濡れ場に繋がるシーンはほぼすべてロングのワンカットで、それにより臨場感が増している。これは監督の手腕であろう。瀧内の裸体に妙なフォーカスをすることなく、それでいて彼女の裸体の魅力をスクリーンにぶちまけている。このおっさんは流石にエロの大家である。瀧内の他の出演作もぜひ鑑賞してみたくなった。

 

本作は映画というよりもドラマである。といっても、一つひとつのサブプロットがテレビドラマの一話一話に対応しているというわけではない。登場人物は、はっきり言って賢治と直子だけで、これは舞台上で繰り広げられる対話ベースのドラマ技法で作られた映画である。ほんのちょっとした一言が、我々観る側にとっては二人の背景や関係性、過去の出来事についての実に多くの情報の流入となる。これは単に役者が台詞で状況説明をしているのではない。こうした何気ない一言ひとことが、画面上の現実の薄皮を一枚また一枚と剥いでいっているのだ。人間も様々に纏っている社会性や人間性といった薄皮を剥いでいけば、案外残るのは類人猿なのかもしれない。頭でっかちで理屈ばかり先行しがちなくせに、下半身のマグマの抑制はあまり効かないタイプの賢治と、睦み合いと愛情は別と割り切って、結婚前夜に婚約者以外の男と性交する直子は、ある意味では今の時代のアダムとイブなのかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

もっと五感に強く訴えるような映像表現が欲しかった。劇中で直子が賢治のにおいに言及するシーンがあるが、その直子の感覚を観る側と共有できるようなカットあるいは、直子のほんのちょっとした表情の変化を捉えたショットが欲しかった。これは追憶の物語で、誰にとっても、カネはあまりないが若さとエネルギーだけは有り余っていた頃があるのだ。つまり、我々は皆、賢治であり直子なのだ。そうした我々の感覚や感情、記憶を刺激する映像上の工夫が不足していた。

 

これは当事者ではない者の感想だが、東日本大震災を少し茶化しているというか、賢治の生き方、それに対する言い訳めいた「言い分」が、現実感を奪い取ったように思う。賢治の人生が上手くいっていないのは、震災のせいもあるが、本人の人間性の問題の方が原因としては遥かに大きいように感じられた。Jovianは10代半ばで阪神大震災を経験したし、Jovianの両親が経営していた焼肉屋は0-157と狂牛病のダブルパンチであえなくcrash and burnした。一個人の力ではどうしようもない不運や災害、事故などは存在する。肝心なのは、そこからどう立ち直るかだ。賢治というキャラクターには愛すべきところもあるが、その生き方や生き様には、同じ男としてとうてい共感できないところも多い。

 

総評

R18指定だが、大学生カップルが観に行くような映画ではない。セックスシーンを鑑賞する作品ではなく、セックスに至るには人間がまとう虚飾を剥いでしまわなければならないということを再確認する作品である。35~45歳ぐらいがメインとなるべきターゲットであろう。賢治と直子と同世代、またはそれより少し上ぐらいのdemographicが青春の追体験と現実からの逃避のために観る映画である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I will set you free by then.

「その頃までには解放してやるよ」と賢治は不敵に言う。つまりは直子の婚約者が帰ってくるまでには、直子の前から消えるということだ。by thenやby nowなどをさらっと口頭英作文に組み込めるようになれば、初級者は脱したと思ってよいだろう。

 

Oh, it’s 10 PM. He should by home by now.

I guess that milk will have gone off by then

 

状況を思い浮かべながら、声に出してみよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, ラブロマンス, 日本, 柄本佑, 瀧内公美, 監督:荒井晴彦, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 火口のふたり 』 -歪な実写版セカイ系物語-

『 二ノ国 』 -年間クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補の最右翼-

Posted on 2019年8月29日2020年4月11日 by cool-jupiter
『 二ノ国 』 -年間クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補の最右翼-

二ノ国 10点
2019年8月25日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:山崎賢人 新田真剣佑 永野芽郁 宮野真守
監督:百瀬義行

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実験的作品を観た後は、脳みそをノーマルな状態に戻したくなる。つまり、普通の作品を観たくなる。というわけで、いかにもジャパニメーションな本作のチケットを購入。これが大失敗だった。まさかこのような超絶駄作だとはゆめにも思わなかった。

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あらすじ

ユウ(山崎賢人)は車イスに乗る頭脳明晰な高校生。ハル(新田真剣佑)は運動神経抜群のバスケ部エース。二人は親友だった。そして、ハルには恋人のコトナ(永野芽郁)がいた。そしてユウも密かにコトナに想いを寄せていた。ある時、コトナが謎の男に刺される。ユウとハルはコトナを救おうと奔走するが、その時、二人は謎の異世界、「二ノ国」に飛んでしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

ない。

 

というのは流石に酷い。ジークフリード・キルヒアイスを見習い、ゴミ溜めにも美点を見出す努力をすべきだろう。敢えて挙げれば久石譲の音楽ぐらいだろうか。戦慄、じゃなかった、旋律の美しさを感じる瞬間は幾度かあった。

 

ネガティブ・サイド

はっきり言って永野芽郁は声優の才能がない。余りにも声の演技が下手すぎる。抑揚もつけられず強弱もつけられず、声にメリハリもなく、感情も乗せられず、端的に言って素人である。はっきりいってギャラをもらってよい仕事ではないし、これで観客からチケット代をもらおうというのも、面の皮が厚過ぎる。そもそも監督は何をどうディレクションしていたのだ?

 

酷いのは山崎賢人や新田真剣佑も同罪だ。ただただ五十歩百歩というだけだ。もちろん永野が百歩で山崎と新田が五十歩という意味だ。

 

作画も序盤は終わっている。ユウが帰宅した後に自室に入るシーン。あれは実際に車イスの人間がドアを開ける動作を観察した結果なのか。どう考えても遠近法が崩れている。機会あれば車イスに乗ってドアノブを回して押してみてほしい。といっても、本作を二回観ようとするのは、鍛えられたクソ映画愛好家だけだろうが。また、中盤のあるシーンでは緊迫したシークエンスがあるのだが、どう考えても光の速さで車に車いすを積み込んだとしか思えない。車イスが完全にオーパーツになっている。勘弁してくれ。車イスによって、ハル&コトナとユウの間に微妙な距離があることは受け入れられるが、その他のシーンでの車イスの扱いが酷い。この監督が車イスを単なるガジェットにしか考えていないことがよく理解できた。

 

そもそもキャラクターの思考や行動原理からして意味不明で理解不能だ。なぜコトナは不審者に追われていると感じた時に自宅や親、または110番通報をしなかった?なぜ大通りに出なかった?そして何故にハルはわき腹を刃物で刺されたコトナを見るなり、ユウに向かって「お前、何やってんだ?」と叫ぶのか。そこは「何があったんだ?」または「誰がやったんだ?」だろう。頭がおかしいのか。そして、何故にハルはコトナを抱き抱え、走り去るのか。救急車を呼ぶという知恵がないのか。

 

それにしても二ノ国という設定自体にオリジナリティも捻りも無さ過ぎる。『 あした世界が終わるとしても 』や『 バケモノの子 』、『 DESTINY 鎌倉ものがたり』、『 バースデー・ワンダーランド 』のごった煮で、最初に入った酒場は、ファイナルファンタジーの酒場の音楽かと錯覚するような典型的なTavern Musicが流れ、『 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』のカンティーナと『 ドラゴンクエスト ユア・ストーリー 』の酒場兼宿屋を足したような場所。さらにそこでしゃしゃり出てくる動物キャラも面白みゼロ。せいぜい終盤の引き立て役かと思ったら、それも無し。

 

そして二ノ国はこれだけに飽き足らず、これでもかと既視感たっぷりのガジェットを繰り出してくる。船が飛び立ったシーンは「『 ハウルの動く城 』か、おい!」と劇場で我あらず声に出してしまったし、ハルの纏う鎧はどこからどう見ても漫画『 ベルセルク 』の狂戦士の甲冑のパクリで、グランディオンなる聖剣はゲーム『 クロノトリガー 』のグランドリオンと余りにも名前が似すぎている。黒幕はご丁寧にも『 GODZILLA 星を喰う者 』のメトフィエスに顔も風貌もそっくり。なんでやねん。もうちょっと捻らんかい。で、顔がデビルマンのそっくりさんって・・・ そして最後の最後も『 スターゲート 』と『 ジョン・カーター 』でフィニッシュ!って、捻らんかい!!

 

序盤にユウを頭脳派として描きながら、いきなり肉体派に華麗なる変身を遂げたり、ハルはハルで事象を正確に把握できない脳タリンちゃん。なぜコトナのわき腹に刃物が突きたてられたことで、アーシャ姫のわき腹に呪いの剣が突き立てられているのか。その因果関係は、確かにあの時点では分からない。だが、アーシャ姫の呪いを解いたことでコトナが回復したことから相関関係を読み取れないのは何故なのか。Aがダメージを負うとA´もダメージを負う。Aが回復するとA´も回復する。なるほど、A´を殺せば、Aが助かる!!って、何をどうやったらそんな思考のサーカスが展開できるのか。

 

ラストシーンも醜い。ハルとコトナ、お前らが無意識に車イスのユウに対して差別の心を抱いていたのがよく分かった。何故この場所を選んだ?何故あのような台詞を言わせた?百瀬義行という男の思考や感性に対して吐き気に近い嫌悪感を催している。

 

古今東西の映画のモンタージュで彩られたパッチワーク世界にアホ過ぎるキャラクターたち、そして返金を要望したくなるほどのヴォイス・アクティング。ここにきて年間クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補の最右翼に躍り出てきた。いや、2010年代で最低の映画と評しても良いかもしれない。それほどのクソ映画である。

 

総評

チケットを買ってはならない。時間とカネの無駄になるだけである。漫画喫茶でこっそり一休みしようかという外回り営業マンがタダ券を持っているのであれば、真っ暗な劇場で耳栓をして二時間眠るのならば良いのではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. I want to forget about this film as quickly as possible.

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, F Rank, アニメ, ファンタジー, 宮野真守, 山崎賢人, 新田真剣佑, 日本, 永野芽郁, 監督:百瀬義行, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 二ノ国 』 -年間クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補の最右翼-

『 The Fiction Over the Curtains 』 -Are you here, there, or somewhere else?-

Posted on 2019年8月28日2019年8月31日 by cool-jupiter
『 The Fiction Over the Curtains 』 -Are you here, there, or somewhere else?-

The Fiction Over the Curtains 60点
2019年8月25日 京都国立近代美術館にて鑑賞
株式会社プリコグ

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≪ドレス・コード?――着る人たちのゲーム≫という美術展が現在行われている。その無料招待券をある方から頂けたので、嫁さんと共に京都へ。たまには映画館ではなく美術館に赴くのも良いものである。『 GENJI FANTASY ネコが光源氏に恋をした 』と同じく、この作品を積極的にレビューしようという人は少ないだろう。

 

あらすじ

二枚のスクリーンの片側に、女性の顔らしきものが浮かぶ。彼女は言う、「こちらからそちらは見えません、そちらからこちらには来れません」と。そして、上半身が裸と思しき男の姿も浮かび上がる。彼は言う、「服をくれませんか?今着ているそれでいいです。こっちに投げて、寄越してください」と・・・

 

ポジティブ・サイド

何とも不思議な映像作品である。『 デッドプール 』以上に軽々と“第四の壁”を超えてくる。我々は普段、映画館で映像が我々の座る観客席の後ろから銀幕に投影されるスタイルに慣れてしまっている。本作はそこをひっくり返した。スクリーン -  というよりもタイトルにあるようにカーテンと呼ぶべきか - の裏側から映写されてくる数名の登場人物たちは、何とも言えない輪郭のぼやけを伴っていながら、確かな実在感をも備えている。平面に映し出されていながら、三次元的に感じられるのである。これは普通の映画には絶対に出せない雰囲気であろう。

 

この映像作品が提供されているセクションのテーマが【 与えよ、さらば与えられん? 】というところが非常に示唆的である。我々は上半身裸の男に服を与えようとも思わないし、与えたくても与えられない。そこには時間の壁、空間の壁、さらには実在と非実在の壁も存在する。だが、その壁をぶち壊すシークエンスが終盤近くに起こる。これには素直に驚いた。意図的にせよ無意識にせよ、我々はスマホのカメラを通じで世界を知覚している。現実でもそうだ。我々は誰かのセルフィーに映り込むこともあるし、我々が誰かを映してしまうこともある。しかし、カーテンの向こうから我々に向けられる「ある視線」は強烈なインパクトで我々の想像力を撃ち抜く。我々は否が応にもドイツの哲学者ニーチェの言、すなわち「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ」という警句を思い起こさずにはいられなくなる。途中までは『 翔んで埼玉 』よろしく、経済学的に不都合な真実を間接的に突き付けてくるだけの作品だと捉えていたので、いきなり左フックを一発、テンプルにもらった気分である。芸術とは、現実を抉ってナンボなのだと、改めて思い知らされた。

 

ネガティブ・サイド

上映時間が28分というのは、ビミョーに長い。カーテンの向こう側の世界の人間たち同士のinteractionにもう少しメリハリがあれば25分ぐらいに圧縮できるのではないか。美術館が椅子を用意してくれていれば、もっと多くの人が最初から最後まで鑑賞してくれたのではないか。

 

また台詞に合わせて英語字幕が用意されるが、それがカーテン右側で、観る位置によっては実に見にくい。もう少し何らかの工夫が必要だろう。また、唐突に始まり、唐突に終わるのもマイナスである。終了時にはFinの文字、そして開始時にはタイトルシーンぐらいは設けても罰はあたらないだろう。

 

総評

映像美も音楽もない作品であるが、不思議な引力というか、一度見始めると止まらなくなった。もちろん、数秒から数十秒で去っていく人も多かったが、何名かの人は魂を吸い取られたかのように見入っていた。Jovianもその一人であった。あいちトリエンナーレ2019が、アホな脅迫およびその背景にある一種の政治的な圧力に屈してしまったのは残念である。何度でも言うが、芸術は現実を抉ってナンボなのだ。関西在住の方でも遠方在住でも、関心を持たれた方は本美術展に来場されたし。映像作品以外にも、邦画の歴代の青春映画のポスター展示などもあり、時代の移り変わりを映画ファン目線で楽しめるコーナーもあって、存外に楽しめるはず。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Can I have some clothes?

 

Can I have ~ ?については『 シークレット・スーパースター 』で触れた。今回はsomeについて。今でも中学校や一部の塾では「肯定文ではsome、否定文や疑問文ではanyを使いましょう」と教えているらしい。めちゃくちゃだ。疑問文でsomeを使うのは、答えに Yes を予想または期待している時である。Could I have some water? 

May I have something interesting to read?  

Do you happen to have some cough syrup?

色々と練習してみよう。

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『 殺人鬼を飼う女 』 -エロシーンを減らして再編集せよ-

Posted on 2019年8月23日2020年4月11日 by cool-jupiter

殺人鬼を飼う女 20点
2019年8月22日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:飛鳥凛 水橋研二
監督:中田秀夫

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シネ・リーブル梅田で『 アンダー・ユア・ベッド 』と『 殺人鬼を飼う女 』のパンフレットを目にした時は興奮した。『 君が君で君だ 』で大石圭に少しだけ触れたが、東野圭吾ではない作家の小説も映像化されるようになってきた。これは嬉しい傾向である。それでは、本作はどうか。もしかしたら、我々の愛した中田秀夫監督は、終わってしまったのかもしれない。

 

あらすじ

キョウコ(飛鳥凛)はビストロでギャルソンとして働いていたが、実は解離性同一性障害、俗に言う多重人格だった。自宅マンションの隣の住人が、たまたま大好きな小説家の田島冬樹(水橋研二)だったことで、キョウコの心は仄かにときめいた。しかし、キョウコの中の他の人格たちは、そのことを快くは思わず・・・

 

以下、映画のネタばれに類する記述あり

 

ポジティブ・サイド

主演の飛鳥凛の裸体は美しかった。ものすごく顔立ちが整っているだとか、ものすごくプロポーションが良いというわけではないが(失礼)、普通の美人が普通に脱いで、普通にエロい演技をしてくれる。それはそれで凄いことである。濡れ場を演じると、ある方面では評価が高まるが、ビッグスクリーンに出たり、あるいはお茶の間のCMに起用されたりする可能性は低くなる。そういう意味では出し惜しみせずに、見せられる部分はすべてさらけ出した飛鳥は“表現者”として認められなければならない。

 

同じくその他人格たちや、水橋研二も同様である。最後の4Pは一体どれくらいの時間をかけて撮影したのだろうか。とにかく出演者に拍手である。『 娼年 』でもそうだったが、セックスを性欲処理ではなく愛情表現あるいはコミュニケーションの一形態としてしっかりと描くことができれば、それは立派な芸術である。

 

ネガティブ・サイド

主人格と副人格たちを別の役者を使って、同時に映し出す。それ自体は別に構わない。しかし、そこにひと手間が欲しかった。キョウコは鏡に映るが、他の人格たちは映らないだとか、キョウコには影があるが、他の人格たちには影がないだとか。何かしらの仕事がそこに為されているべきだった。

 

彼女らは人格という意味では実在するが、実体は存在しない。体はキョウコのものなのだから。だからこそ、自分たち同士でまぐわう時には、キョウコが常に受けである。ここまでは理解できる。だが、別人格たちがパーティーをしながら飲食するシーンがある。これは一体どういうことだ?もちろんそれは幻なのだが、そもそもそんな幻を見ること自体がおかしいではないか。

 

多重人格ものは小説でも映画でも量産されてきた。近年でも『 スプリット 』や『 ジョナサン -ふたつの顔の男- 』などが公開された。多重人格もののクリシェは、まだ隠された人格がある、ということに尽きる。なので、その隠された人格が、いつ、どのような条件で出現するのかがサスペンスを生み出す要因になる。

 

だが、タイトルにもなっている殺人鬼の人格が現れるタイミングがよく分からない。エクスタシーを感じると出てくる?だからセックス後に出現するのか?いや、公園で小説を読んでいる最中にも出現したようだ。ならば、恍惚とした時か?だとすると、夜中にベッドから起き上がって人格交代した理由が説明できない。いや、幼少の頃から殺人鬼の人格はすでに存在していたはずだ。でなければ、冒頭のシーンも説明がつかない。人形をベランダから落とすシーンからすると、どうも一番幼い人格が一番怪しそう・・・というか、唯一、殺人鬼の人格と通じていそうだが、物語はそのあたりを明らかにしてくれない。それはそれで構わないのだが、せめて人格交代のタイミングやきっかけに一貫性を持たせる演出をしてほしい。

 

最大の不満は、エロシーンが無意味に長いことである。上映時間は83分だが、レズやセックスのシーンを5分削って、その他の細かい描写を10~12分加えて1時間半のランタイムにすることができるはずだ。その時間で、捨ててしまった本を回収するシーンを追加したり、キョウコの母と田島の会話をもっと掘り下げたり、来るべきタイミングで警察が来ない理由を説明したり、キョウコと田島が互いへの思慕の情を募らせるシーンをもっと丹念に描いたりできるはずだ。中田監督はいったい何を撮りたかったのか。本来ならば、編集に費やす時間を使って、やたらとうるさいリップ音やセックスシーンの結合部の抽送音の音量をせっせと弄くっていたのだろうか。

 

総評

一言、つまらない。多重人格ものとしてあるべき新しさがないし、ホラー要素にも欠ける。飛鳥凛その他の女優の裸体を鑑賞したいという向きには自信をもってお勧めするが、ホラー、サスペンス、ミステリ、スリラーなどのジャンルを好むシリアスな、ハードコアな映画ファンにはとてもお勧めはできない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

「後で連絡するね」

We’ll be in touch. 日本語的に考えると、主語=私となり、I’ll contact you later.となる。それでも特に問題はない。ただ実際には“We’ll be in touch.”=私たちは連絡状態になる、という表現が好んで使われる。『 ア・フュー・グッド・メン 』でも、“You’re not going anywhere, Colonel.”という台詞があるが、「大佐、あなたはどこにも行かないでしょう」ではなく、「(私はあなたを)どこにも行かせませんよ、大佐」のような訳となる。この辺の主語の感覚が英語の面白いところ。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, スリラー, 日本, 水橋研二, 監督:中田秀夫, 配給会社:KADOKAWA, 飛鳥凛Leave a Comment on 『 殺人鬼を飼う女 』 -エロシーンを減らして再編集せよ-

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