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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 海外

『 トップガン マーヴェリック 』 -マサラ上映-

Posted on 2022年11月13日 by cool-jupiter

トップガン マーヴェリック 90点 
2022年11月12日 塚口サンサン劇場にて鑑賞 
出演:トム・クルーズ マイルズ・テラー ヴァル・キルマー 
監督:ジョセフ・コジンスキー

 

劇場鑑賞7回目。マサラ上映への参加は実は初めて。『 バーフバリ 王の凱旋 』のマサラ上映を神戸国際松竹で鑑賞しようとするもタイミングが合わなかった。ボリウッド映画以外でもマサラ上映はありだなと感じた。

あらすじ

マーヴェリック(トム・クルーズ)は、予定されていたダークスターのテスト飛行がキャンセルされると聞いたが、クルーと共にフライトを強行し、マッハ10を達成する。処罰の対象になるかと思われたマーヴェリックだが、盟友であり提督となったアイスマンの取り計らいにより、トップガンにおいて難関ミッションに挑む若きパイロットたちの教官となる。しかし、そこにはかつての相棒グースの息子、ルースター(マイルズ・テラー)も加わっており・・・

ポジティブ・サイド

入り口で「マサラ上映ですけど、大丈夫ですか?」の問いに然りと回答。するとクラッカーを2つ渡される。なるほど、良きタイミングで鳴らせというわけか。劇場内はほぼ10割の入り。初対面のおじさんから「これ、使ってください」と紙吹雪の束を渡される。前後左右にサイリウム持ちもチラホラ。異様な熱気である。

 

マサラ上映前の劇場スタッフのコスプレとインストラクションが素晴らしかった。どこまで本当か分からないが、『 トップガン マーヴェリック 』のマサラ上映は世界でも塚口サンサン劇場だけとのことだった。スクリーン上の “Don’t think, just do. It’s today.” の文言にテンションが上がる。

 

オープニングの『 ミッション:インポッシブル 』の最新作のトレイラーの時点で、紙吹雪が舞い、クラッカーがパンパンと鳴らされる。特にあのテーマ曲に合わせてポン、ポン、ポンポン、ポン、ポン、ポンポンとクラッカー鳴らしていた集団はマサラ上映のプロ参加者たちか。

 

”トップガン・アンセム” からの “Danger Zone” で劇場のテンションは最高潮。紙吹雪も上がる上がる、クラッカーも発射されまくり。今回の参加者の大半は、おそらく劇場鑑賞5回以上、または配信もしくは円盤で本作を相当回数観ている人たちだろう。機関砲射撃やミサイル発射、その他の印象的なシーンでドンピシャでクラッカーが鳴らされる。いったい何発用意してきたのだろうか。

 

思いがけない副産物としてMX4D鑑賞の時以上に火薬の匂いが感じ取れた点が挙げられる。ジェットがアフターバーナーに点火した時、フレアをばらまく時、爆弾投下した時などに漏れなくクラッカーが鳴り響き、むせかえる程の火薬の匂いが臨場感をいや増すのを感じた。

 

最近、YouTubeでずっと「Fighter Pilots React to TOP GUN MAVERICK」という動画シリーズを視聴していて、映画のどこが現実に即していて、どこが現実離れしている、あるいは完全なフィクションなのか、かなり細部まで study していた。そのことで鑑賞時の楽しみが薄れるかと懸念していたが、それは杞憂だった。本作は何回観ても面白いし、軍人さんのツッコミ内容を知っても尚面白い。またインド映画以外でもマサラ上映と相性の良い作品があることを映画ファンに知らしらめたというのは素晴らしい。あらためて今年のベストであると確信した。

 

ネガティブ・サイド

あまりにもクラッカーがうるさいのが幸いして、台詞を聴くのではなく、字幕を読むことに集中できた。そのうえであらためて感じたのが、戸田奈津子御大の英訳のまずさ。Talk to me, dad. や He called you a man, Phoenix. などの字幕は酷い。これは作品の問題ではないので減点はしない。

 

本番ミッションで渓谷内に橋があるが、事前の調査で分かっておらず、現場でとっさに判断してかいくぐったようだった。これは海軍情報部の重大な落ち度、というよりも脚本上の重大な欠点だろう。

 

総評

マサラ上映は後片付けがなかなか大変だが、上映終了後は観客に一体感が生まれているので、一致団結して掃除も順調に進んだ。記念写真も良い思い出。SNSにアップ不可ということは、多分ブログにもアップ不可だろうと解釈した。もしも本上映の参加者がいたら、ほとんど全員が空軍式の敬礼をしている中、数少ない海軍式の敬礼をしている中の一人がJovianである。本作の劇場公開もさすがに全国的にも終わりつつあるが、劇場で映画を観るということの楽しさを思い出させてくれた功績は計り知れない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

joyride

乗り物に乗って楽しむことを指す。特に盗難車の場合が多い。マーヴェリックがペニーをF-18に乗せ、それがバレたせいでボスニア送りにされたエピソードが披露された。この場合、盗んだのは戦闘機。しかも一般人(といっても軍のお偉いさんの娘ではあったが)を乗せたというのだから、無手勝流のマーヴェリックらしい。Take me on your mighty wings ならぬ Take me on a joyride とペニーが頼んだのだろうか。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 窓辺のテーブル 彼女たちの選択 』
『 警官の血 』
『 窓辺にて 』

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, S Rank, アクション, アメリカ, ヴァル・キルマー, トム・クルーズ, マイルズ・テラー, 監督:ジョセフ・コジンスキー, 配給会社:東和ピクチャーズLeave a Comment on 『 トップガン マーヴェリック 』 -マサラ上映-

『 キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱 』 -伝記映画の佳作-

Posted on 2022年11月3日 by cool-jupiter

キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱 70点 
2022年10月30日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ロザムンド・パイク サム・ライリー アニャ・テイラー=ジョイ
監督:マルジャン・サトラピ

 

怪作『 ハッピーボイス・キラー 』の監督が、マダム・キュリーを料理するという。そして演じるは円熟味を増したロザムンド・パイクということでチケット購入。

あらすじ

マリ・スクウォドフスカ(ロザムンド・パイク)は、大学で満足なラボを与えられずにいた。そんな中、マリはピエール・キュリー(サム・ライリー)と出会い、交際し、結婚してキュリー夫人となる。二人は共同で研究を積み重ね、ついにマリは大発見を行うが・・・

 

ポジティブ・サイド

キュリー夫人というとラジウム発見のイメージが強い。というか、それしか知らなかった。本作を鑑賞して、かなり脚色されている点はあるのだろうが、単なる科学者ではない人間マリ・キュリーが分かった気がする。

 

本作は非常にユニークな構成だ。いきなりキュリー夫人の死亡直前から始まる。そして、彼女が自身の人生を走馬灯のように振り返る形で、物語が提示されていく。不遇の研究者時代に出会った夫ピエール、結婚、出産、放射能の発見、ノーベル賞受賞などがドラマチックに描かれていく。印象的なのは、明らかにキュリー夫人の死後のイベントも回想されるところ。たとえばヒロシマへの原爆投下や、チョルノービリ(チェルノブイリ)の原発事故などがある。自身の発見が、世界を良い方向にも悪い方向にも変えうるということは作中でも言及されていたが、それを具体的なビジョンとして見せることで、キュリー夫人の卓越した想像力を見事に表していた。

 

ロイ・フラーとピエール・キュリーの交流も個人的に興味深かった。フラーが当時の最先端科学と踊りを融合させようとしたことはよく知られている。その後、スピリチャルな方面に傾倒していったのも史実。観ているうちは「自分には興味深いが、このパート要るかな?」と感じてしまったが、これは浅慮だった。このフラーとの交流が、中盤以降に思いがけない形で人間マリ・キュリーをクローズアップすることにつながる。マルジャン・サトラピ監督はかなりの手練れである。ロイ・フラーについて知りたいという人は『 ザ・ダンサー 』を鑑賞されたし。

 

悲惨極まる戦争に対しても、殺傷のためではなく人命救助のために物理学の知識と技術を応用したことを不勉強にして知らなかった。フローレンス・ナイチンゲールより2世代ほど下のマリ・キュリーであるが、ほぼ同時代人と言ってよいだろう。ナイチンゲールも知識と技術をクリミア戦争の野戦病院で発揮したが、マリ・キュリーもそうだったのか。女性として、妻として、母として、そして科学者として生きるマリ・キュリーの生涯と、過去・現在・未来をすべて俯瞰するかのような構成がよくよくマッチしている。『 ドリーム 』よりもシリアスさは上だが、そちらを楽しめた向きは、きっと本作も堪能できるはず。

ネガティブ・サイド

マリ・キュリーの苦闘を描くことに多大な時間を費やしているが、厳しさや険しさが前面に出すぎていたと感じる。彼女にもほのぼのとした家族の団らんや、夫婦としての睦まじい関係性はあったはず。そうした面に光を当てることがなかったのは残念である。当時の世相や、彼女自身の在フランスのユダヤ系ポーランド人というバックグラウンドがあったのは事実だろうが、もう少し想像力を発揮して、人間味のあるマリ・キュリーを描き出してほしかった。

 

娘夫婦もノーベル賞を受賞したことに触れられなかったのは何故なのだろう。

 

邦題が今一つ。キュリー夫人というのは馴染みのある名前であるが、敢えて「マリ・キュリー 天才科学者の愛と情熱」のような邦題にしても良かったのではないか。映画が描いたのは夫人としての面だけではなく、母親や科学者としての面も多かったのだから。

 

総評

猿橋勝子も苦労したが、それよりもっと苦労したのがキュリー夫人なのだなと、しみじみ思う。こうした作品を観ると、人類は進歩しているのか、それとも進歩していないのか分からなくなってくる。一つ言えるのは、作り手はそんな短絡的な結論は求めていないということ。放射能の放つ妖しい光を、美しいものにできるのか、それとも破滅的なものにしてしまうのか。それはマリ・キュリーの後半生の生き方を参考にしてください、というのがマルジャン・サトラピ監督のメッセージなのだろうと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

speak for oneself

「自らのために語る」が直訳だが、これはしばしば無生物を主語に取る。

His achievement speaks for itself.
彼の業績は(誰かが語るまでもなく)素晴らしいものである。

These facts speak for themselves.
これらの事実を見れば(誰かが説明しなくても)分かる。

The results spoke for themselves.
結果がすべてを物語っていた(誰かが説明せずともすぐに分かった)。

のように使う。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 窓辺のテーブル 彼女たちの選択 』
『 天間荘の三姉妹 』
『 王立宇宙軍 オネアミスの翼 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アニャ・テイラー=ジョイ, イギリス, サム・ライリー, ヒューマンドラマ, ロザムンド・パイク, 伝記, 歴史, 監督:マルジャン・サトラピ, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱 』 -伝記映画の佳作-

『 アムステルダム 』 -ファシズムの萌芽を摘めるか-

Posted on 2022年10月30日 by cool-jupiter

アムステルダム 50点
2022年10月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:クリスチャン・ベイル ジョン・デビッド・ワシントン マーゴット・ロビー
監督:デビッド・O・ラッセル

アメリカ史の知られざる闇に迫る作品。戦争の時代に逆戻りしつつある現代、思いがけずタイムリーな作品になった。

 

あらすじ

1930年代のニューヨーク。復員兵のバート(クリスチャン・ベイル)とハロルド(ジョン・デビッド・ワシントン)は、軍時代の恩人の死の原因を調べてほしいという依頼を、その恩人の娘から受ける。しかし、その依頼人が殺害され、バートとハロルドが被疑者にされてしまう。二人は身の潔白を晴らそうと奔走するが・・・

ポジティブ・サイド

第一次世界大戦中のベルギーでのバートとハロルドにアメリカらしさ、そしてある意味での現代ロシアらしさも垣間見える。少数派をあからさまに差別し、排除する姿勢が見えるからだ。クリスチャン・ベイルが、本家デ・ニーロの前でデ・ニーロ・アプローチを披露。心身共にボロボロの平氏、復員兵かつ医師を渾身の演技で体現した。カリスマ性ではなく、普通の人間性の持ち主だからこそ、ハロルドや黒人兵士たちも彼と共に従軍できたことがよくよく伝わってくる。看護師であるヴァレリーとの出会いも極めて印象的。兵士の体から摘出した弾丸でアートを作るというのはユニークなのか、それとも戦争のもたらす狂気なのか。

 

彼らがアムステルダムで享受する自由と平和、そしてそこで育む友情が、その後のニューヨークでの不可解な殺人事件につながっているという筋立ては、まさに王道ミステリ的。となれば、ここから先は謎解きとなる。実際にハロルドとバートは様々な伝手をたどり、事件の調査を行い、有力者や協力者にあたっていく。このあたりは非常にテンポが良く、次々と新たな人物が現れ、その人物から新たな事実、新たな人間関係が明らかになっていく。

 

そしてたどり着いた殺人事件の真相。これに説得力を感じるかどうかは人それぞれだろうが、史実だというのなら受け入れるしかない。人間の欲は思想信条や平和な社会体制よりも優先されてしまう。100年近く前のアムステルダムで育まれた友情の意味を、今一度回顧すべき時期に我々は来ている。

ネガティブ・サイド

早い話が、アメリカを全体主義国家にして、戦争でバンバン儲けたいという企業経営者、富裕層による社会変革論を、主人公たちが期せずして暴いていくというストーリー。日本でも「不景気だから、そろそろ戦争でも起こってもらわないと」と発言した経団連参加者がいたと報道されたこともあったが、そういうストーリーだ。なので、一定のリアリティはある。問題は、その目的達成のために取るべき手段があまりにも回りくどいことだ。軍人を担ぐよりも、政治家を担ぐ方が確実だと思うが。また、バートやハロルドを指して「お前たちは常に監視下にある、いつでも殺せる」と脅しておきながら、そうした脅威を実際に感じさせるシーンもわずかしかない。陰謀史観論者から見たもう一方の陰謀史観論的に見えてしまう。あまりにもご都合主義的だ。

 

豪華キャストをそろえた割りにはケミストリーが生まれていない。アニャ・テイラー=ジョイとマーゴット・ロビーの二人には演技対決と呼べるようなシーンはなかったし、いぶし銀のマイケル・シャノン(この人が出ている作品はハズレが少ない)とベイル、ワシントンのコンビの間に何らかの連帯感が生まれるような展開もなかった。シーンとシーンの移り変わりのテンポの良さのために豪華俳優陣を無駄使いしている。

 

総評

『 アメリカン・ハッスル 』同様に、荒唐無稽なプロットにリアリティを与えるデビッド・O・ラッセル監督の持ち味が出ている。ただし、あくまでロシアによるウクライナ侵攻や、中国の習指導体制の強化など、ファシズムの萌芽を世界が目撃しつつある瞬間が味方したことも忘れてはならない。今作は悪があまりにも間抜けすぎて、最後は fizzle out してしまった。ただ、序盤から中盤にかけての展開はミステリアスかつスリリング。キャストも非常に豪華なので、楽しむこと(だけ)はできる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

wear it well

作中で、ラミ・マレック演じる富豪トム・ヴォーズの言葉。これは直訳すると「それを上手に着ている=着ているものが似合っている」ということだが、もう一つ、「性格や境遇が合っているという意味もある。Rod Stewart がそのものズバリ  “You wear it well” という歌を歌っている。その中で、And I wear it well. = 俺にはそういうのがお似合いなんだよ、という歌詞があるので、興味のある人は聴いてみよう。 

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 窓辺のテーブル 彼女たちの選択 』
『 天間荘の三姉妹 』
『 王立宇宙軍 オネアミスの翼 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アメリカ, クリスチャン・ベール, サスペンス, ジョン・デビッド・ワシントン, マーゴット・ロビー, ミステリ, 歴史, 監督:デビッド・O・ラッセル, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 アムステルダム 』 -ファシズムの萌芽を摘めるか-

『 秘密の森の、その向こう 』 -フレンチ・ファンタジーに酔いしれる-

Posted on 2022年10月29日 by cool-jupiter

秘密の森の、その向こう 70点
2022年10月26日鑑賞 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ジョセフィーヌ・サンス ガブリエル・サンス
監督:セリーヌ・シアマ

予備知識ゼロで鑑賞。あらすじすら読まなかった。Twitter友達から勧められたからなのだが、そういう人からのお勧めは当たり率が非常に高い。

 

あらすじ

ネリー(ジョセフィーヌ・サンス)は両親に連れられ、祖母が住んでいた森の中の一軒家を片付けに来る。しかし、母は自分の母を喪失した悲しみから、家を出て行ってしまう。残されたネリーは森を散策するうちに、母と同じ名前の少女マリオン(ガブリエル・サンス)と出会い、友達になる。ネリーはマリオンの家に招かれるが・・・

ポジティブ・サイド

何とも言えない余韻を残す作品。鑑賞中に思い浮かんだのは『 思い出のマーニー 』と『 リング・ワンダリング 』の二作。時を巡る、そして自らのルーツに図らずも迫ってしまう物語である。

 

BGMはほとんどない。しかし、それが使われる際の情景の美しさとキャラクターの心象風景とのマッチング具合は素晴らしいの一言。キャラクターも少なく、さらに台詞も多くない。台詞が発されたとしても、多くの場合は何らかの比喩というか婉曲的な表現が多く、それが観る側をぐいぐいと惹きつける。フランスといえば少ない登場人物にもかかわらず読者を翻弄するミステリの良作を生み出す国だが、映画でもその技法は存分に活かされている。

 

母マリオンが姿を消した直後に現れる、母と同じ名前の少女マリオン。ネリーとマリオンの子ども同士の無邪気な交流が、いつしか魂の交感にまで昇華される。普通なら2時間はかかりそうなものだが、シアマ監督は70分でそれをやってのける。ここまで研ぎ澄まされた演出と編集は見たことがない。

 

「人はいつか死ぬ。早いか遅いかだけだ」とは『 もののけ姫 』のジコ坊の言。死ぬ時期を知ってしまうというのはシビア極まりないことだが、同時に確実に出会える人間がいるのだ、という希望にもなる。なるほど、これは男を主軸にしては作れない物語。男の自分でも心揺さぶられるのだから、女性視点ではどうなるのだろう。有休を使って一人で観に行ったことがある意味で悔やまれる佳作だ。

ネガティブ・サイド

ネリーとマリオンはなかなか見分けがつかない。双子のキャスティングというのは吉とも凶とも出るが、今作ではその中間ぐらいだろうか。

 

ネリーの父が、終盤の手前でネリーとマリオンの両方に出会うシーン。ここにマリオンを連れてこず、ネリーと父との会話だけでもう一日だけ滞在を延ばす(予定の繰り上げをやめる、が正しいか)ようにすれば、さらにファンタジー色が強まっただろうと思う。

 

総評

『 シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢 』を鑑賞した時に近いインパクトがあった。フランス映画はたまにこういう静謐な傑作を送り出してくる。『 トップガン マーヴェリック 』では疑似的な父と息子の関係作りに失敗したマーヴェリックが、ペニーとアメリアの母と娘の関係性から学ぶ姿が印象的だったが、本作はもっと直接的に母と娘の関係性に切り込んでいく。父と息子というのは『 オイディプス王 』の時代からの古典的テーマであるが、本作は母の母と、母の娘という対極的なテーマの古典になりうる力を秘めている。

 

Jovian先生のワンポイントフランス語レッスン

Excusez-moi

エクセキューゼ・モワという感じの発音。英語で言うところの Excuse me. で、軽めの謝罪であったり、あるいはちょっと話しかけたり、ちょっと通らせてもらったり、といった時に使える。日本語の「すいません」に相当するのだろう。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 窓辺のテーブル 彼女たちの選択 』
『 アムステルダム 』
『 天間荘の三姉妹 』

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, B Rank, ガブリエル・サンス, ジョセフィーヌ・サンス, ファンタジー, フランス, 監督:セリーヌ・シアマ, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 秘密の森の、その向こう 』 -フレンチ・ファンタジーに酔いしれる-

『 グッド・ナース 』 -医療とは何かを問う-

Posted on 2022年10月26日 by cool-jupiter

グッド・ナース 65点
2022年10月22日 心斎橋シネマートにて鑑賞
出演:ジェシカ・チャステイン エディ・レッドメイン
監督:トビアス・リンホルム

傑作の誉れ高い『 アナザーラウンド 』の脚本を手掛けたトビアス・リンホルムの監督作品。主演に『 女神の見えざる手 』のジェシカ・チャステインということでチケット購入。

あらすじ

シングルマザーの看護師エイミー(ジェシカ・チャステイン)は心臓病を抱えていたが、健康保険に加入できるまで、まだ数か月の勤務を要していた。そんな時、ベテラン看護師チャーリー(エディ・レッドメイン)がやってくる。二人は意気投合し、チャーリーはエイミーを公私で支えていく。しかし、チャーリーの着任以来、病院では患者の不審死が相次いで・・・

ポジティブ・サイド

dark cinematography が冴える。普通、薄暗い画面というものはあまり歓迎されないが、物語全体を貫く疑念が、本作では暗さという形で全編にわたって視覚的に表現される。夜勤のシーンが多く、当然のように病棟は消灯されている。このことが不自然な暗さへの違和感を緩和している。

 

ジェシカ・チャステインはアクション映画に出演するよりも、サスペンスやヒューマンドラマ方面にもっと出るべき。看護師としての演技は堂に入ったもの。注射前にシリンジをコンコンとやるのは、まさに看護師あるある。最初の心臓発作の際は、患者の体位変換の只中で、急性腰痛症、いわゆるギックリ腰の発症かと勘違いした。2000年代初頭はアメリカでも体圧分散マットはまだ普及していなかったか。様々なシーンでジェシカ・チャステインの見せる多くの所作や立ち居振る舞いは看護師をよくよく研究していて、実にリアルだった。まさに good nurse 。 

 

対するエディ・レッドメインのベテラン看護師ぶりにも説得力があった。死亡した老女の体を丁寧に清拭する様には真面目な職業人で、死者の尊厳を守ろうとする人間らしさも感じられた。エイミーと友情を紡ぎ、エイミーの娘たちにも positive male figure として接する姿は、こちらもまさに good nurse 。しかし、病棟で患者の不審死が続くようになってから、徐々に観客の疑念が大きくなってくる。

 

警察の介入、そして病院の不可解な対応・・・というよりもあからさまな隠蔽工作に慄然とする。警察の捜査にこっそりと協力するエイミーだが、ここでは病院どころか市議会議員や検察までもが事件に対してみて見ぬふり。アメリカの警察が悪というのはお定まりであるが、これはフィクションではなく実話。このあたりから、エイミーとチャーリーの友情に一気にサスペンス要素が盛り込まれてくる。徐々にあらわになるチャーリーの過去、そしてチャーリー自身が語る元妻や子どもとの関係についても、観る側はエイミー同様にますます疑心暗鬼になってくる。

 

エイミーとチャーリーの最後の面会のピーンと張りつめた緊張感は素晴らしい。これ見よがしなBGMもわざとらしいカメラワークもなく、二人の役者の演技合戦に委ねた感じがした。実際、チャーリーの犯行の動機が不明である以上、下手な味付けは不要だろう。脚本家が変に出しゃばらなかったことも奏功している。最後に明かされる事実については衝撃的の一語に尽きる。アメリカのヘルスケア・システムの歪さはある程度知っていたが、ここまでだったとは・・・。まさに事実は小説よりも奇なり。

 

ネガティブ・サイド

エイミーの心筋症は物語を重くするファクターであり、彼女がチャーリーに頼るようになる重要な契機でもある。その病気がドラマ作りにあまり寄与していない。チャーリーへの疑惑が深まるか、というタイミングで心臓の発作が・・・ 娘たちに対しても親身に接してくれるチャーリーを疑うとは何事かという葛藤が・・・のようなシーンがあってもよかったのではないか。

 

チャーリーが取り調べ室でぽつぽつと語り始めるシーンは少し陳腐に感じた。そこに至るまでの過程がこれ以上ないほどにスリリングだったので、ここで拍子抜けしてしまうのは作劇上、誠に惜しいと言わざるを得ない。

 

ほんの少しだけ医学的な知識が必要になるが、最小限の説明すらなし。日本の映画やドラマのように何もかもを台詞で説明するのもどうかと思うが、まったく説明がないのもやや不親切か。

 

総評

これが実話というのだから恐れ入る。エンディングで明かされる数字には震えあがるしかない。近年、エッセンシャル・ワーカーとして看護師という職業への認知がアップデートされているが、元より看護は医行為を含み、医行為は侵襲を伴うものが多い。今も現役看護師であるJovian母は、よく胸骨圧迫で患者さんの肋骨を折っていた(本人談)。

J「それでどうやったん?」
母「アカンかったわ」

みたいな会話は普通だった。チャーリーのような bad nurse を擁護するつもりは毛頭ないが、人間にダメージを与える行為への看護師の心理的閾値が低いのは間違いない。ではどうすればよいのか?その答えが本作である。看護師はペアで働かせるべし。一人でなにもかもさせてはならない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

At the end of the day

その日の終わりに、という意味ではない。これは「結局は」、「最終的には」、「つまるところ」のような意味。劇中では

At the end of the day, we are here for you.
結局のところ、我々は皆さんの味方です。

のように使われていた。結論や重要な点を述べる前に、At the end of the day と言うようにしてみよう。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 秘密の森の、その向こう 』
『 窓辺のテーブル 彼女たちの選択 』
『 アムステルダム 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アメリカ, エディ・レッドメイン, サスペンス, ジェシカ・チャステイン, 伝記, 監督:トビアス・リンホルム, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 グッド・ナース 』 -医療とは何かを問う-

『 アフター・ヤン 』 -アンドロイドを悼むということ-

Posted on 2022年10月23日 by cool-jupiter

アフター・ヤン 75点
2022年10月22日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:コリン・ファレル ジョディ・ターナー=スミス ジャスティン・H・ミン マレア・エマ・チャンドラウィジャヤ 
監督:コゴナダ

 

妻のリクエストで大阪ステーションシティシネマへ。客層はほぼ中高年といった感じ。

あらすじ

茶葉店を営むジェイク(コリン・ファレル)と妻カイラ(ジョディ・ターナー=スミス)、幼い養女ミカ(マレア・エマ・チャンドラウィジャヤ)、アンドロイドのヤン(ジャスティン・H・ミン)は幸せに暮らしていた。しかし、ある日、突然、ヤンが故障してしまう。ヤンを修理する方法を探す過程で、ジェイクはヤンに毎日数秒だけの映像記録が残るメモリーが内臓されていることを知り・・・

ポジティブ・サイド

シンボリズムに溢れた作品。白人の父、黒人の母、アジア系の養子にアジア系のアンドロイドと、diversity を象徴するような家族が冒頭から映し出される。その家族がそろって踊る、しかし、皆が躍るのを止めてもヤンだけが踊り続ける。最初は戸惑ったが、後にこれが本作の Establishing Shot であると分かった。

 

ヤンの故障に最も過敏に反応するのがミカというのも、当たり前と言えば当たり前だが、その反応には注意を払う必要がある。I want him back! と叫ぶミカは、ヤンが死んだとは理解していない。あくまで故障であって、修理すれば元に戻ると信じている。ミカはほんの子どもであるが、死の概念が理解できないほど幼いわけではない。この世界にどれほど深くアンドロイドが根付いていて、しかしその歴史はまだそれほど古くはないことが示唆されている。本作は常に、説明することを拒否する。観る側に絶えず考察することを要求する。

 

ヤンの修理を試みる過程でジェイクはヤンに内蔵された数々の過去の映像を掘り起こすことになる。その中でクローンの存在についても観る側は知ることになる。人間同士の関係、人間とアンドロイドの関係、人間とクローンの関係の記憶の断片の数々から浮かび上がってくるのは、我々が生きるこの世界には未知の領域がいくらでもあるということ。たとえば自分の父と母の幼少期、自分の親友の家庭内での姿、自分の子どもの初恋など。これらの、本来であれば知り得ないような家族の秘密、さらに他人の秘密のようなものをわずかでも垣間見た時に明らかになるもの、それが歴史ではないだろうか。我々の知らないところで誰かが生きているし、我々が死んだ後も誰かが生きていく。

 

Every new beginning comes from some other beginning’s end. という歌詞がある。セミソニックの『 Closing Time 』という楽曲のそれで、結構ヒットした曲なので30代以上なら知っている人も多いだろう。本作のテーマはまさにこれで、何かが終わったとしても、それは別の何かの始まりなのかもしれない。芋虫にとっての終わりは、蝶にとっての始まり。ならばアンドロイドにとっての終わりも、何か別の事象の始まりなのではないか。本作は答えを語らない。答えは鑑賞者それぞれが想起するのだろう。

ネガティブ・サイド

個人的にはクローンに関する云々は不要であると感じた。おそらくだが、人間にとっては遠くの人間を愛するよりも、近くの動物やメカを愛する方が易しい。同様に、人間はクローンよりもロボットの方に愛着を感じやすいと考えられる。本作はロボットに焦点を集中させるべきだと感じた。

 

全編が非常に淡々と進んでいくが、もう少し何らかの起伏というか、分かりやすい起承転結があっても良かった。

 

総評

観終わって、しばらく席で沈思黙考する作品は多くない。しかし本作はそうさせてくれた一本。家族とは?生とは?死とは?文学や芸術、果ては哲学や宗教の領域にまで亘る問いが本作ひとつの中に収められている。近い将来(20~50年後ぐらいか?)に到来するであろうアンドロイドやクローンとの共生社会の一つありうべきシミュレーションとして、本作の価値は高い。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

wrap one’s head around ~

~を理解する、の意。『 ゴーストランドの惨劇 』や『 スタントウーマン ハリウッドの知られざるヒーローたち 』でも紹介した表現。

I still can’t wrap my head around what this movie is all about.
この映画のテーマがなんなのか、今でも分からない。

のように使う。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 秘密の森の、その向こう 』
『 窓辺のテーブル 彼女たちの選択 』
『 アムステルダム 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, SF, アメリカ, コリン・ファレル, ジャスティン・H・ミン, ジョディ・ターナー=スミス, マレア・エマ・チャンドラウィジャヤ, 監督:コゴナダ, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 アフター・ヤン 』 -アンドロイドを悼むということ-

『 少林サッカー 』 -突き抜けた馬鹿馬鹿しさ-

Posted on 2022年10月22日 by cool-jupiter

少林サッカー 75点
2022年10月20日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:チャウ・シンチー
監督:チャウ・シンチー リー・リクチー

大学で教えている教材のユニットの中に The Changing Face of Kung Fu というものがあった。カンフー映画はたくさんあるが、その中でも本作は群を抜いて異彩を放っている。久しぶりに鑑賞せんと、近所のTSUTAYAで借りてきた。

 

あらすじ

かつてはスター選手だったが、八百長を飲んだことから落ちぶれたファン。しかし、少林拳の求道者である青年シン(チャウ・シンチー)と出会い、彼はシンにサッカーを教えることに。シンは少林拳の仲間を集めてチームを結成する。しかし、かつてのファンの因縁の相手であるハンも異能のサッカーチームを率いていて・・・

 

ポジティブ・サイド

拳法それ自体は中国映画、特に香港映画の主要なモチーフ。ブルース・リーにジャッキー・チェン、ドニー・イェンとスターが定期的に生まれてもいる。しかし、本作は拳法とサッカーを混ぜるのだから、言葉の正しい意味でのジャンル・ミックスと言えるだろう。ある意味『 えびボクサー 』や『 ミスターGO! 』に近いのかもしれない。

 

拳法家としてのシンの純朴さが光る。そのため、少林サッカーの馬鹿馬鹿しさが余計に映える。よくこんな大真面目にアホな構図の数々を構想したなと呆れてしまう。これは誉め言葉である。大空翼のドライブシュートか!と思うほどに脚を大きく後ろに反り返した状態から放つスーパーシュート一発でチンピラをのしていくシンに笑わずにはいられようか。

 

シンの仲間の拳法家たちも惜しむことなく笑いを提供してくれる。その一方で、彼らも彼らなりに生活は苦しい。この対比が彼らの快進撃が大きなカタルシスを生む要因になっている。太極拳の達人のムイの変化も見逃せない。醜女から始まって、ジュリアナ系に変身し、最後には坊主に変化する。何をどうやったらこんなプロットを思いつけるのか。

 

チームデビルの面々がアメリカ式のドーピングを使って強化されているのも笑ってしまう。強化されているということにではなく、その強化の見せ方だ。特に長髪ゴールキーパーの守護神ぶりはもはや漫画の領域。ただ、当時はMLBでもど派手なホームラン・ダービーが展開されていて、しかもその多くがステロイド使用者だった。なので、薬を使えば極限までパワーアップできるというアホな設定にも説得力があった時代だった。

 

ブルース・リーのオマージュあり、漫画『 ドラゴンボール 』かと思えるほどの過剰なCG演出ありと、観る者をまったく飽きさせない。22世紀にもカルト映画として鑑賞されていることだろう。

 

ネガティブ・サイド

序盤の展開が少々もたつく。いきなり皆が踊り始めるのは愉快だが、そこは別になくてもいい。皆が心の奥底に封じ込めてしまった夢が、シンたちの活躍によって解き放たれるというのは、別に序盤で示唆しなくてもいい。

 

シンが素でムイの勇気ある告白をスルーするシーンは何度見てもキツイ。ある意味、少林シュートが肉体に与えるダメージ以上に、観る側の精神を削るシーンだ。シンをここまで朴念仁に設定しなくてもよかっただろう。

 

勧善懲悪ものではあるが、悪役であるハンが懲役5年というのは短すぎではないだろうか。

 

総評

コメディの傑作。拳法というのはCGを極力排して、可能な限りレトロな手法で現実的に見せるものだという思い込みを軽々と打ち破ってくれた作品。そう、本作は固定概念をぶち壊してくれるのだ。「拳法を流行させたい」というシンの夢をあっさりと否定するファン。年を取ると夢が見られなくなるが、夢は見ないことには絶対に叶わない。そういう意味で、本作は10年に1回は観た方がいい気がする。本作にインスパイアされて、神韻芸術団の西宮公演のチケットを買ってしまった。単純やね、俺も。

 

Jovian先生のワンポイント中国語レッスン

モウマンタイ

無問題と書いてモウマンタイと読む。ある程度以上の年代なら、ナイナイの岡村の映画『 無問題 』でお馴染みのはず。読んで字のごとく No problem の意味である。タイ語でマイペンライ、韓国語でケンチャナヨーのように、中国旅行をする前に覚えおきたいフレーズ。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 ドライビング・バニー 』
『 秘密の森の、その向こう 』
『 窓辺のテーブル 彼女たちの選択 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, コメディ, チャウ・シンチー, 中国, 監督:チャウ・シンチー, 監督:リー・リクチー, 配給会社:ギャガ・コミュニケーションズ, 配給会社:クロックワークス, 香港Leave a Comment on 『 少林サッカー 』 -突き抜けた馬鹿馬鹿しさ-

『 スターリンの葬送狂騒曲 』 -ブラックコメディの秀作-

Posted on 2022年10月20日 by cool-jupiter

スターリンの葬送狂騒曲 75点
2022年10月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:サイモン・ラッセル・ビール スティーブ・ブシェーミ オルガ・キュリレンコ
監督:アーマンド・イアヌッチ

安倍元総理の国葬儀が終わった。故人の政治家としての評価は10年後に(ネガティブなものとして)定まるのだろう。面白いのは安倍氏の死に際して、多くのメディア関係者や政治関係者が我先にと情報発信の競争をしていたこと。そこが本作と似ているなと感じて、この度レンタルで再鑑賞。

 

あらすじ

ソ連を長年支配してきたスターリンが急死した。国葬がしめやかに執り行われるが、舞台裏ではフルシチョフ(スティーブ・ブシェーミ)やベリヤ(サイモン・ラッセル・ビール)といった実力者たちが、次期最高権力者の座を狙って暗闘を繰り広げつつあった・・・

 

ポジティブ・サイド

『 バイス 』では危機に際して権力の拡大を模索する副大統領の姿が描かれたが、本作ではガッツリと権力闘争が描かれる。しかもその闘争がまさに政治的で、それをさらに英国流のブラックユーモアたっぷりに描写するものだから、面白くないわけがない。

 

脳梗塞で倒れたスターリンを見て、ベリヤは元米国副大統領のチェイニーさながらにチャンス到来を予感する。フルシチョフやマレンコフ、モロトフなど有力政治家が次々に現れるが、誰も本気でスターリンのことを心配していない。このあたり、本邦の元総理が教団凶弾に倒れた時の多くの政治家や取り巻きだったメディア関係者、曲学阿世の徒たちとそっくりではないか。今の清和会の中身なんか、案外こんな感じなのではないだろうか。

 

別にスターリン時代のソ連について詳しくしらなくても本作は楽しめる(本当は楽しんではいけない内容だが)。ポイントは粛清である。まあ、それも北朝鮮を見ていれば分かるか。もしくは韓国の時代劇ドラマでもよい。スターリンの娘に誰が一番最初に駆けつけるかという、まさに dick measuring contest をソビエト連邦の権力者たちが大真面目にやっているのには笑うしかない。国葬にも弾圧されていた宗教関係者がゾロゾロと参列。これも社会主義以外の権威を認めないソ連ならでは。このあたりのブラックユーモアも英国流か。

 

ジューコフ元帥が登場してきたあたりがコメディのピークで、そこから先は英国俳優たちの演技バトルに突入していく。特に権力奪取に邁進するベリヤと、それを止めんとするフルシチョフの狡猾な立ち回りの緊迫感よ。そして失脚したベリヤと、彼を一気に粛清せんとする勢力の最後の舌戦はまさに演技合戦と呼ぶにふさわしい。

 

今、プーチンが失脚したらどうなるのか。そうしたことを考えてみるのに格好の材料だろう。

 

ネガティブ・サイド

これを全部ロシア語でやったら、あるいはロシア人キャストでやったら90点をつけたくなるだろうな。英語だから理解できる、英語だからより面白さが増す面はあるにしても、ロシア語でやってくれたら、きっともっとユーモアやサスペンスが増したに違いない。

 

中盤から終盤にかけては一種のポリティカル・サスペンスで、『 シン・ゴジラ 』並みの台詞に応酬になる。もっと目で味方と意思疎通し、目で政敵を刺すような、そんな演出が欲しかった。

 

総評

不謹慎かもしれないが、特別軍事作戦におけるロシアの劣勢や安倍元総理の国葬(と言っていいだろう)を下敷きに本作を観ると、公開当時とは見え方が著しく異なる。今だからこそ余計に面白いわけだが、それはタイムリーな作りになっているからではなく、ソ連特有の病理と見せかけて、実は普遍性のある事象を扱っているからだろう。ソ連史などの予習は不要。極端な話、暴力団や企業の代替わりだと思って鑑賞してもいい。大学生以上なら本作の本質を理解できるはずだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

faction

「派閥」の意。ラテン語の facio = 「行う、作る」から来ている。事実=fact も facio を語源に持つ。日本だろうとソ連だろうと、人間というのは派閥を作ってしまう悲しい生き物のようである。 

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 ドライビング・バニー 』
『 秘密の森の、その向こう 』
『 グッド・ナース 』

 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, イギリス, オルガ・キュリレンコ, サイモン・ラッセル・ビール, スティーブ・ブシェーミ, ブラック・コメディ, 監督:アーマンド・イアヌッチ, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 スターリンの葬送狂騒曲 』 -ブラックコメディの秀作-

『 LAMB/ラム 』 -神話を大胆に読み替える-

Posted on 2022年10月10日2022年10月10日 by cool-jupiter

LAMB/ラム 70点
2022年10月9日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ノオミ・ラパス ヒナミル・スナイル・グブズナソン
監督:バルディミール・ヨハンソン

今年の頭ぐらいから気になっていた作品。劇場に赴くと、9割ほどの入りという大盛況でビックリした。

 

あらすじ

人里離れた山中で暮らす羊飼い夫婦のマリア(ノオミ・ラパス)とイングヴァル(ヒナミル・スナイル・グブズナソン)。ある日、二人は羊の出産の手助けをしていた。順調なお産だったが、一頭の羊が奇妙な子どもを生んだ。二人はその羊の子を密かに育て始めるが・・・

以下、ネタバレと個人的な物語解釈あり

 

ポジティブ・サイド

2017年にカナダのアルバータ州に旅行で赴いたが、そこで目にした山の景色と本作で目にする山の景色が非常によく似ている。緯度が近いからだろうか。荒々しい自然はまさに wilderness と呼ぶにふさわしい。そこで生きる羊飼いの夫婦に起きる怪異。雰囲気としては『 ウィッチ 』に近い。 

 

Jovianは国際基督教大学で宗教学専攻(キリスト教専攻ではなかったが)だったので、どうしても本作は聖書的な世界観で構築されたものとして観てしまう。すなわち、イングヴァル=アダム、マリア=イヴである。失楽園後の二人が荒涼たる辺境の大地で羊飼いをしているというイメージである。

 

あるいはマリア=聖母マリア、イングヴァル=アベル、イングヴァルの弟ペートゥル=カインのように考えてしまう。もちろんマリアが処女懐胎するわけでもないし、ペートゥルがイングヴァルを殺害するわけでもない。しかし、第2章以降の人間関係からはどうしてもカインによる兄アベル殺しの物語を想起せずにはおれない。

 

何故だか生まれてしまった半羊半人の子どもにアダと名づけ、育てるイングヴァルとマリアの姿に寒々しさを感じるのは、背景のアイスランドの山々のせいばかりではない。マリアが見せる羊飼いにあるまじきとある行動や、あるいはアダが身に着ける衣服の原料が〇〇であったりと、本作が象徴するのは聖書的な世界だけではないことが徐々にあらわになってくる。

 

最終盤でマリアから”観客に対して”向けられる射貫くような目線に、我々は凍り付く。飼われる側、毛を利用される側、命を奪われる側だった羊と人の立場が一気に逆転する。「ああ、これは壮大なイサク献供物語の逆バージョンなのか」と、Jovianはひとり茫然自失した。人間が羊を食い物にしていいのなら、羊が人間を食い物にしてはいけない理由など見当たらない。何とも秀逸な寓話である。

 

ネガティブ・サイド

R15指定なので、何か強烈なシーンでもあるのかと思ったが、映し出されたのは夫婦の営み。この場面は不要、カットしてよかった。

 

アダと羊たちとの交流のようなシーンが欲しかった。特に birth mother との出会いや触れ合い、その光景に心ざわめくマリアやイングヴァルのような画があれば、このダーク・ファンタジーにもっとサスペンスが生まれたものと思う。

 

シェパード犬はそれなりに出番を与えられたが、猫は意味ありげに窓辺にたたずむだけ。もっと、猫特有の本能が発揮される場面を構想できたはず。あるいは飼い猫とアダの交流も描いてほしかった。

 

総評

北欧ダーク・ファンタジーの秀作。『 ボーダー 二つの世界 』には及ばないが、『 ハッチング -孵化- 』よりも上であると感じた。様々に解釈できるという意味で、repeat viewing も可能だ。劇場は大賑わいで、照明がついた瞬間からあちこちで「あれは✖✖✖か?」、「これって△△やんな?」などと口々に意見や考察を交換し合っていた。しかも若い観客たち。始めは軽めのホラーで彼女に「キャッ!」と言わせたい軽佻浮薄な輩たちかと思っていたが、シリアスな映画ファンが集っていたようだ。さあ、秋の夜長に本作でも鑑賞して、現代文明を批判するか、あるいは自らのライフスタイルを省みるか。非常にチャレンジングな作品がアイスランドから届いた。

 

Jovian先生のワンポイントアイスランド語レッスン

ヤー

劇中で何度か聞こえてくる。意味は「はい」、英語なら Yes の意。アイスランド語の「はい」はドイツ語と同じでヤーらしい。ちなみに No はネイと聞こえた。これは古い英語の Nay と同じなのだろうか。 

次に劇場鑑賞したい映画

『 ドライビング・バニー 』
『 ソングバード 』
『 千夜、一夜 』

 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アイスランド, ノオミ・ラパス, ヒナミル・スナイル・グブズナソン, ファンタジー, ポーランド, 監督:バルディミール・ヨハンソン, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 LAMB/ラム 』 -神話を大胆に読み替える-

『 渇きと偽り 』 -乾いた大地の人間関係-

Posted on 2022年9月27日 by cool-jupiter

渇きと偽り 70点
2022年9月25日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:エリック・バナ
監督:ロバート・コノリー

 

サイモン・ベイカー主演・監督『 ブレス あの波の向こうへ 』以来のオーストラリア映画の劇場鑑賞。

 

あらすじ

連邦警察官アーロン・フォーク(エリック・バナ)は旧友ルークの葬儀に参列するため、20年ぶりに故郷の小さな町に帰ってきた。ルークは自身の妻子を射殺した後に自殺したとされていた。プライベートで捜査に乗り出したフォークは、自分たちの若い頃に起きたある事件と、今回の事件がつながっているのではないかと感じ始め・・・

 

ポジティブ・サイド

どこまでも無慈悲に広がる乾いた大地が、よそ者を拒むかのように画面を支配する。主人公のアーロンも全く歓迎されない。アメリカの警察映画などで、FBIが片田舎の地元警察や地元住民に相手にされないのと同じような展開で、それ自体は珍しくもなんともない。本作はそこに、アーロン達の身に起きた過去のある事件を効果的に織り交ぜてくる。これによって、中央と田舎の対立以上の火種が事件そして町に潜んでいることが浮き彫りになってくる。

 

アーロン自身の捜査によって少しずつルークの事件の情報の断片が手に入ってくるが、それと並行するようにアーロン自身の過去の回想シーンが挿入される。なぜアーロンはこれほど町で歓迎されないのか。逆になにがアーロン自身をこれほど捜査に駆り立てるのか。そのあたりの事情が徐々に明らかになるペースが絶妙である。「なるほど」と「それは何だ?」と感じさせる塩梅がちょうどよい。脚本および編集の妙味だなと感じる。

 

怪しげな人間やきな臭い人間関係が浮かび上がっては消えていく。まるで町そのものが大きな闇を抱え込んでいるかのように、アーロンの捜査はいいところまで行くたびに袋小路に入ってしまう。しかし終盤に思いがけない形で真相に迫るヒントが浮上、物語は一気に最終盤へ。コロナ大流行前の世界のニュースといえば、オーストラリアの超大規模森林火災だったことを覚えている人も多いだろう。そうした大災害の予感を感じさせるクライマックスは、それまで散々干ばつに悩まされてきた土地および住民の描写のおかげで、より迫力を増していると感じた。

 

ミステリ風味たっぷりのサスペンス、サスペンス風味たっぷりのミステリとも言える。こうしたジャンルを好む向きなら、本作を鑑賞しない手はない。

 

ネガティブ・サイド

序盤の展開にもう少しテンポの良さが欲しい。少し眠気を誘われてしまった。

 

ティーンエイジャーのアーロンと現在のアーロンがまったく似ていない。なんかもう顔も体も骨格レベルで別人である。もう少し顔かたちが似た若い俳優はいなかったのか。

 

ネタバレを避けるため詳しくは書けないが、過去の事件の真相と現在の事件の繋がり方(と言っていいのかどうか・・・)には拍子抜けである。現在の事件の真犯人が最後に自暴自棄になってやろうとしたことは「まじでそれはヤバい」感があったが、犯行の理由はあまりにもありきたり。もっと衝撃的な真相が欲しかった。

 

総評

サスペンスは最後まで持続するが、ミステリ部分のカタルシスが最後はとても弱い。ただし、ちょっぴり残念な真相に至るまでの展開は very mysterious and suspensful 。様々な人間関係や人間模様は徐々にあらわになる中盤の展開は間違いなく一級品。警察ジャンルが好きな人ならきっと楽しめるはず。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

second nature

「第二の性分・習性」の意。しばしば become second nature という形で使う。

Practice this move until it becomes second nature to you.
この動きが自然にできるようになるまで練習しなさい。

スポーツ、あるいは演奏や美術品・工芸品作成の指導時に使うことが多そうな表現である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, エリック・バナ, オーストラリア, サスペンス, ミステリ, 監督:ロバート・コノリー, 配給会社:イオンエンターテイメントLeave a Comment on 『 渇きと偽り 』 -乾いた大地の人間関係-

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