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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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月: 2021年3月

『 アフタースクール 』 -大人になれる者、なれない者-

Posted on 2021年3月11日 by cool-jupiter

アフタースクール 75点
2021年3月10日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:大泉洋 佐々木蔵之介 堺雅人
監督:内田けんじ

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確か劇場公開当時に観た。今回レンタルしてきたのは『 騙し絵の牙 』で大泉洋に騙されないように備えたかったため。そして『 シン・エヴァンゲリオン劇場版 』にも備えたかったから。大人になるというのは、なかなかに難しい。

 

あらすじ

神野(大泉洋)は中学からの友人の木村(堺雅人)にクルマを貸すも、その木村が姿を消してしまう。そんな折、同級生の島崎を名乗る探偵(佐々木蔵之介)が神野の勤務先の中学校を尋ねてくる。木村を探しているという島崎に、神野は同行することになり・・・

 

ポジティブ・サイド

これは素晴らしいアンサンブル・キャストだ。大泉洋のどこか軽佻浮薄な印象や、佐々木蔵之介の胡散臭さ、堺雅人の外面の良い人ほど・・・感。役者がナチュラルに放つ雰囲気を映画世界に見事に取り込み、それを活かしたドンデン返しは鮮やかの一語。

 

劇場で観た時は、序盤から中盤にかけてのスローペースに少々厭いてしまったが、今回はストーリーを把握した上での鑑賞のため、伏線の再チェックの意味合いが強かった。その意味で、細かな仕込みの数々には改めて驚かされた。最も「上手いな」と感じたのは、言葉の意味が人間関係によって変わるところ。いや、人間関係というよりも、その人間が・・・おっと、これ以上はネタバレか。

 

もしもまだ未見の人がいれば、前情報は極力仕入れずに観るべし。大人の仕事を味わえることは間違いない。大人というのは「逃げ出さない」、「守り抜く」ことなのだ。

 

ネガティブ・サイド

序盤の保守政治家の演説シーンだけはあからさま過ぎたように思う。これは劇場でも再鑑賞でも感じたこと。また「悪いのは秘書」という(間接的な)図式が大昔も当時も今も通じてしまうのが少し悲しい。本作とは関係ないが。

 

後は警察の逮捕劇がちょっと強引すぎる。というか、飲酒検問は何とかなっても(多分ならない、呼気検査もしてない)、車内の私物を押収はできない。大企業の社長なら顧問弁護士をその場で呼んでもおかしくないし、実際そうされたら「違法捜査だ」と指摘されてすべて終了。日本の警察はミランダ警告もしないし、弁護士を呼ぶという権利行使も認めないという悪しき慣習を黄門様の印籠のように扱うのは個人的に頂けなかった。

 

総評

小説『 騙し絵の牙 』は未読なのだが、映画の方はおそらく似たような仕掛け、つまりキャラクター同士の騙し合いを通じて観る者を騙す、が施されているものと思われる。予習というか、準備に本作は最適だと思われる。もちろん、『 騙し絵の牙 』の鑑賞予定があってもなくても、大泉洋、佐々木蔵之介、堺雅人のファンなら要チェックである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

classmate

「同級生」という意味だが、読んで字のごとく「同じクラスにいる/いた者」を指す。日本語の同級生にあたる英単語はちょっと見当たらない。Schoolmateというのは学校が同じでも学年が違う場合がある。なので、同級生という日本語の持つニュアンスを出すためには、

 

They are in the same grade.

あいつら、同じ学年だよ。

We went to the same school together.

俺ら、同じ学校だったよな。

 

のようなセンテンスにするしかない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2000年代, B Rank, ミステリ, 佐々木蔵之介, 堺雅人, 大泉洋, 日本, 監督:内田けんじ, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 アフタースクール 』 -大人になれる者、なれない者-

『 野球少女 』 -もう少し野球の要素に集中を-

Posted on 2021年3月8日 by cool-jupiter

野球少女 65点
2021年3月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:イ・ジュヨン イ・ジュニョク
監督:チェ・ユンテ

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日本プロ野球の歴史上、印象的な韓国人助っ人と言えばソン・ドンヨルだろうか。千葉ロッテマリーンズファンのJovianはイ・スンヨプも忘れがたい。そんな韓国から、プロを目指す野球女子のストーリーが届けられたので、興味津々でチケットを買った。

 

あらすじ

女子高生チュ・スイン(イ・ジュヨン)は、プロ野球選手になることを目標にしていた。しかし時速130kmという速球も「女子にしては」という但し書き付きの評価で、トライアウトも許可されない。そんな時に、独立リーグ出身のチェ・ジンテ(イ・ジュニョク)が新人コーチとしてチームに加わり・・・

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ポジティブ・サイド

野球少女というタイトルではあるが、決して過度に主人公スインの女性性を強調したりはしない。もちろん更衣室が別だとか合宿に行くと個室が必要だから余計に金がかかるだとか、そういう描写や説明はある。しかし、スインが学校や野球部で「女子であること」が明確なハンディキャップになっている描写はない。それをやってしまうと、スインの努力が、韓国野球史上で前例のないことへの挑戦ではなく、学校や部を見返してやることに矮小化してしまう。そこを避けたのは賢明だった。むしろ、スインの友人女子がオーディションで落ちたことを通じて、歌やダンスの練習をどれだけ積み重ねても見た目で拒絶されてしまうという現実を突きつけてくる。これは効果的だった。セクシズムだけではなくルッキズムも含まれる、いや、もっと言えばチャンスを与えてもいい人間とチャンスを与えるまでもない人間がいるという考え方を厳しく批判することになっているからだ。

 

コーチが微妙に負け犬設定なところもいい。これが元プロだとか、元大学野球のスターとか、釈迦人野球で実績を残したという人物だと、観る側も共感しづらい。だがチェ・ジンテは独立リーグ出身。プロに近い世界ではなく、プロからかなり離れたところ出身のコーチだからこそ、自分の果たせなかった夢を追うスインが最初は気に食わなかった。しかし、そんな自分がスインを育成することこそがredemptionになるのではないかと腹を括るシーンはよかった(校庭を30周も走らせるのはどうかと思うが)。その後の「短所はカバーできない、長所を伸ばせ」というアドバイスは適切だったと思う。

 

クライマックスをトライアウトに持ってきたのは正解。本作は『 野球少女 』というタイトルだが、実際に描かれているのは固定観念の打破、機会均等(≠結果の平等)の追求なのだ。スインの目標はトライアウトの合格だが、物語が描き出したいのはトライアウトにこぎつけること。チェ・ユンテ監督がスインの物語と映画の物語を一致させなかったのは英断だと思う。スインが実際にプロ野球選手として活躍できるかは誰にも分からない。というか、むしろその可能性は限りなく低い。球団のお偉いさんの「スインが本当に大変なのはこれからですよ」という言葉が真実だろう。ただ、エンドロールの最後に聞こえてくる鳥の鳴き声に、長かった冬の終わりが予感させられる。それは季節が変わったということだけではなく、一つの新しい時代が到来したということの暗示でもあるのだろう。

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ネガティブ・サイド

もっと野球そのものにフォーカスしてほしかったと思う。スインがナックルを選択するようになったのは当然だが、そのナックルの魔球ぶりをもっと分かりやすく見せてほしかった。日韓のファン、特にJovianとほぼ同世代の本作監督チェ・ユンテならボストン・レッドソックスのティム・ウェイクフィールド投手をテレビでリアルタイムに観ていたはず。その時も捕手はボールをミットのど真ん中ではなく、先っぽや土手でキャッチすることがしばしばあった。トライアウト時に捕手がミットを大きいものに変えるシーンがあったが、同じようにナックルをミットの真ん中でなく先っぽや土手でかろうじて受けているという描写が欲しかった。

 

スインの野球選手としての苦悩の部分の見せ方も弱かったと思う。たとえばスインのリトル・リーグや中学時代の練習や試合の風景を映し出す。そこで得た野球選手としての称賛に「女の子なのに」や「女の子でも」といった枕詞が必ずついてくる。そうした経験をスインがしてきたという説明は、セリフだけではなく実際に映像として見せるべきだった。その方がスインの感じる抑圧感、今風の言葉で言えばガラスの天井の存在を、より強く観る側に印象付けることができたはずだ。

 

他にもそぎ落とせるサブプロットがいくつもあった。最も不要だと感じたのは、父親の資格試験。普通に不合格でした、で充分だった。逮捕劇によって家族にさらなる亀裂と劇的な関係改善が・・・ということもなかった。いったいあれは何だったのか。

 

総評

韓国映画が得意とするドラマチックな物語ではない。演出面でも少々物足りない。しかし、性別を理由に門戸が開放されない職業など、本来は存在しないはず。保守的とされる韓国であるが、よくよく考えれば女性大統領を輩出するなどgender equalityの面では日本の先を行っている。女性のプロ野球選手も案外、日本よりも韓国が先に輩出するかもしれない。日本も負けていてはいられない。スポーツでもその他の分野でも。そんな気にさせてくれる映画である。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

アラッソ

『 ブラインド 』でも紹介した表現。「分かった」の意。韓国映画を観ていると、ほぼ間違いなく出てくる表現。他にもアルゲッソヨ=「分かりました」もよく聞こえる表現だが、こちらは同じ意味でも丁寧な言い方。映画やドラマで語学を学ぶ利点の一つに、人間関係やストーリーの中で学べるということがある。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, C Rank, イ・ジュニョク, イ・ジュヨン, スポーツ, 監督:チェ・ユンテ, 配給会社:ロングライド, 韓国Leave a Comment on 『 野球少女 』 -もう少し野球の要素に集中を-

『 けったいな町医者 』 -超高齢・多死社会への眼差し-

Posted on 2021年3月7日 by cool-jupiter

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けったいな町医者 80点
2021年3月6日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:長尾和宏
監督:毛利安孝

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我が町・尼崎のけったいな町医者にフォーカスしたドキュメンタリー。監督の毛利安孝は『 樹海村 』や『 さよならくちびる 』で助監督、『 犬鳴村 』で監督補を務めるなどした現場上がりの人。本作は現代日本への真摯なメッセージであり、このような作品が送り出されることを評価したい。

 

あらすじ

長尾和宏は勤務医時代の患者の自殺、阪神淡路大震災を経て、兵庫県尼崎市で町医者となる。医療=往診という哲学の元、痛くない死に方、在宅での看取りを追求する長尾と患者、その家族の奮闘の日々が描かれる。

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ポジティブ・サイド

冒頭から、医療=往診であるという文言がスーパーインポーズされる。つまり、それこそが本作が一番に訴えたいメッセージだということだ。確かに我々は病気や怪我をすると、医者のところに行くということを当たり前だと感じている。しかし、それは実は違うのではないか。医師こそが患者の元に出向くべきではないのか。それこそがドクター長尾の意思である。

 

劇中で長尾医師は、現代日本の医療の根本を覆すような過激な言動を見せる。その一つが「製薬会社に魂を売ってない大学教授がいたら見せてくださいよ」というものである。大学教授の講演=薬の宣伝であると厳しくは批判しているのだ。政府や大企業に忖度など一切せず、歯に衣着せぬその言動は痛快である。誰もがうすうす「こんなに薬が必要なのかな?」と思っているが、誰もその疑問を口に出せない。医師という職業は権威だからだ。「そんなことはない、医者もただの人間だ」と思う人もいるだろうが、そうした人も「はい、では呼吸と心臓のチェックをします」と言われれば、服を上げて裸の胸を晒すし、「おなかの調子は?」と聞かれれば、便の状態などを話したりもする。警察や弁護士も権威だが、服を脱いだり、排せつ物の話をしたりはしないだろう。それこそが医師の権威というものである。ところが長尾医師は、権威の象徴たる白衣を一切着ない。その理由は本編を観てもらうとして、この町医者は患者を患者としてではなく、まず人間として看る。

 

コロナ禍の最中の今の目で見ると信じられないほどに、長尾医師は患者に触れる。それは患者の手だったり、顔だったり、腕だったり、肩だったりと様々だ。もちろん触れることによって得られる医学的な知見(脈拍や体温など)もあるからだろうが、それよりも目の前にいる人間を患者ではなく“人間”として見ているからだろう。長尾医師は舞台挨拶で「どうか人間を好きになってほしい」とおっしゃった。その通りのことを実践していた。『 人生、ただいま修行中 』でも述べたが、Jovianはかつて看護学生だった。そこで「304号室の胃がんだけど、~~~」のように、患者を名前ではなく病名で呼ぶ医師や看護師をちらほら見たのである。これは日本中の病院で観察される日常の一コマであると思われる。長尾医師の診療風景はかなり変わっている。診察を受けたことがある人なら誰でも、医師の第一声は「今日はどうされましたか?」だと感じている。長尾医師は症状などは尋ねない。ひたすら自分のことを語る。あるいは患者さんと家族の関係について語り、またそのことを尋ねる。最後の最後に体調や症状を聞いたり、今後の治療について話す。普通の診療とは全然違う。

 

長尾医師が追い求める平穏死についても劇中で描写される。死にたてホヤホヤの人も出てくるので、そこは事前に注意が必要かもしれない(決してグロい死体ではない)。本作で描かれるのは、死=敗北という価値観ではなく、死=生の成就という価値観である。今も訪問看護師として働くJovianの母は「人は生きたように死ぬ」と言う。あっさりと生きてきた人はあっさりと死ぬ。粘り強く生きてきた人は粘り強く死ぬ。前者はJovianの父方の祖母で、後者はJovianの母方の祖母がそうだった。本作ではある人の死が直接的に描かれるが、そこでは是非その方の背景情報を思い出してほしい。Jovianは、その死に様にその方の生き様が現れているように感じた。

 

多死社会であり、医療崩壊も現実に起きることが立証された時代である。在宅医療、終活、看取り。現代日本がヒントにすべき医療と死の問題への対処法の一端がここには描かれている。多くの人に鑑賞いただきたい労作である。

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ネガティブ・サイド

A Downtown Doctorという英語タイトルには感心しない。まず尼崎はダウンタウンの出身地ではあっても、いわゆる英語のdowntownではない。英語のdowntownはビジネスや商業の中心地のことで、長尾先生はそうしたエリアで働いているわけではない。いや、阪神尼崎周辺は確かに尼崎の中ではdowntownだが、それをdoctorに冠してしまうと、作品の持つメッセージが薄まる、というか誤解されてしまうだろう。海外セールス担当者は、もっと専門家と協働しないと。

 

長尾医師を指して「規格外の人」と、ある人物が評すシーンがあるが、このような第三者視点がもう少しだけ必要だったと思う。クスリの量や数を減らしたことで状態が良くなったという患者、あるいは家族の声などを聴くことができれば、現代の医療体制批判のメッセージがより強くなり、長尾医師のけったいさがもっと強調されただろう。

 

総評

劇場前が人でごった返していたびっくりしたが、初回も満員、Jovianが観た2回目の舞台挨拶付き上映も9割の入りだった。塚口サンサン劇場にこれほどの人が集まるのはいつ以来だろう。もちろん地元が舞台ということもあるのだろうが、実際に劇場に来ていた人の多くは、家族を長尾医師に看取ってもらった方々なのではないかと思う。あまり感心しないが、映画の台詞を先に言ってしまうおばちゃん(本人?)あり、「ああ、あん時は確かにこうやったわ」と独り言ちるおばあちゃんありと、当事者だらけでしゃべりまくりという異例の映画体験だった。コロナ禍の中、あまり感心はしないが、臨場感のある作品に仕上がっているということである。尼崎市民ならずとも必見のドキュメンタリーである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

The People’s Doctor

町医者というのは辞書ではgeneral practitionerだと記載されていることが多いが、感覚的にはtown doctorだろうと思う。Jovianは長尾医師が自身を指して言う町医者の英訳語に“The People’s Doctor”を用いたい。モハメド・アリやマニー・パッキャオといったボクサーが“The People’s Champion”と呼ばれていた、そして今でも呼ばれているのは、彼らが市井の人々に寄り添ってきたからに他ならない。長尾医師にもそうした寄り添いを強く感じるからこそ、このように呼称したい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, ドキュメンタリー, 日本, 監督:毛利安孝, 配給会社:渋谷プロダクション, 長尾和宏Leave a Comment on 『 けったいな町医者 』 -超高齢・多死社会への眼差し-

『 無双の鉄拳 』 -とにかく鉄拳、やっぱり鉄拳-

Posted on 2021年3月6日2021年3月6日 by cool-jupiter

無双の鉄拳 60点
2021年3月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マ・ドンソク ソン・ジヒョ キム・ソンオ キム・ミンジェ
監督:キム・ミンホ

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『 あのこは貴族 』には重苦しい清々しさがあった。そんな作品の後には軽い作品がいい。というわけで、マ・ドンソク主演作を借りてきた。

 

あらすじ

魚卸しのカン・ドンチョル(マ・ドンソク)は儲け話にはすぐに乗ってしまうお人好し。妻ジス(ソン・ジヒョ)の誕生日を盛大に祝おうとした席で、カニに投資したことがバレてしまい、ジスは怒って帰ってしまう。ドンチョルが帰宅すると、しかし、ジスは誘拐されていた。すぐに警察に向かうドンチョルだが、警察は頼りにならない。ドンチョルは弟分と胡散臭い探偵と共にジスの行方を追って・・・

 

ポジティブ・サイド

『 喜劇 愛妻物語 』のような恐妻家ではなく、正しい意味での恐妻家、カン・ドンチョルを強面だが、気は優しくて力持ちなマ・ドンソクが演じる。これだけでストーリーは半分完成している。善良な市民が、カネと、そして妻のために警察やら何やらを振り切って猪突猛進するのを楽しむ作品である。特に巨漢の男に食らわせた逆パイルドライバーには笑ってしまった。なんでもかんでも最後はマ・ドンソクの鉄拳で解決となるのはワンパターンの極みだが、それが結構面白いのだから仕方がない。体作りは大変かもしれないが、マ・ドンソクには一生このスタイルを貫いてほしいもの。

 

端正な美人の嫁ジスも、やはり韓国的。韓国映画にはおしとやかな女性はまるで出て来ず、相手に非ありと見れば、どんどんと自分の意見をぶつけてくる。韓国にはさぞかし恐妻家が多いことだろう。確かに映画の中の韓国人夫婦を見ていると、男はDV男やモラハラ男でなければ、愛妻家もとい恐妻家で妻に頭が上がらない奴がほとんどという印象だ。

 

悪の親玉のキム・ソンオは、なんと『 アジョシ 』でさんざん拷問をくらって爆死させられた悪玉兄弟の弟ではないか。ナチュラルに薬モリモリなテンションで部下を小突いていくという小者っぷり。相手を偽善者と見るや、「金をやるからお前の大切なものを寄こせ」という悪徳成金の権化のような男。こういう清々しいまでにクズなキャラだからこそ、我々は「早く誰かコイツをぶちのめせ!」と思わされてしまう。単純ではあるが、悪役は分かりやすく悪であることが望ましいのだ。

 

本作は悪役側のアクションもなかなか魅せる。終盤に出てくる竜巻旋風脚の使い手はかなりの手練れ。韓国の時代劇を見ていると、槍やら剣やらを持っているのにアクションシーンではテコンドー的な回し蹴りをしているが、そういったお決まりの回し蹴りが容赦なくパワーアップ。韓国のステゴロ自慢に実際に入るかもしれないタイプで、この対決は見ごたえがあった。

 

ネガティブ・サイド

子分と探偵のコミックリリーフが中盤以降はやや過剰だった。検事ネタではなく別キャラのネタは使えなかったか。

 

本作の最大の弱点は、カン・ドンチョルの過去のヤバさ、強さが見えないところだ。『 アジョシ 』なら、その必要はない。この若くして世捨て人になった男は何者だ?ということ自体が謎とサスペンスを生み出すからだ。マ・ドンソクは違う。こんな腕と胸板の奴が普通のわけはないのである。問題は、どれくらい普通ではないのか。序盤の魚市場のシーンで子分が「昔の俺たちを見せてやるか」というシーンで、ほんのちょっとヤバい目つきをする、そうした演出が一瞬でもあれば良かったのだが。

 

クライマックスのカーアクションはやり過ぎ。というか、ジープで思いっきり追突をかましているのに、バンパーもへこまず、ヘッドライトも割れず、その他の外装に傷一つないというのはいただけない。ワンショットごとのつながりをしっかりと編集してこその映画だろうに。

 

総評

とにかくマ・ドンソクのアクションとその子分連中のコミックリリーフっぷりを楽しむ作品である。逆に言えば、このキャラクターの内面は?とか、この風景が象徴するものは?などということを考えずにすむわけで、アクションとユーモアだけに注目することができる。まあ、頭を空っぽにして観るべき作品であろう。こういう作品は頭のリフレッシュのために定期的に観なければならないように感じる。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

カバン

『 藁にもすがる獣たち 』でも何度も聞こえてきたが、カバンは韓国語でもカバンである。おそらく日本統治時代にそのままカバンという日本語が韓国語に組み込まれたのだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アクション, キム・ソンオ, キム・ミンジェ, ソン・ジヒョ, マ・ドンソク, 監督:キム・ミンホ, 配給会社:アルバトロス・フィルム, 韓国Leave a Comment on 『 無双の鉄拳 』 -とにかく鉄拳、やっぱり鉄拳-

『 あのこは貴族 』 -システムに組み込まれるか、システムから解放されるか-

Posted on 2021年3月3日 by cool-jupiter

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あのこは貴族 75点
2021年2月28日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:門脇麦 水原希子 石橋静香 篠原ゆき子 高良健吾
監督:岨手由貴子

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日本の経済的成長の停滞が続いて久しく、貧富の格差がどんどんと広がり、もはやそれが身分格差にまでなりつつあるようだ。上級国民なる言葉も人口に膾炙するようになってしまったが、そのような時代の空気を察知して本作のような作品を世に問う映画人もいるのである。

 

あらすじ

良家の子女として育てられてきた華子(門脇麦)は、顔合わせの当日にフィアンセと別れてしまう。次の相手を探すうちに姉の夫の会社の顧問弁護士で代議士も輩出している名家の幸一郎(高良健吾)と出会い、交際が始まる。しかし、幸一郎の影には時岡美紀(水原希子)という女性がちらついていて・・・

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ポジティブ・サイド 

門脇麦の感情を表に出さない演技が光る。フィアンセに顔合わせの当日にフラれたというのに、苛立ちや悲しみを一切見せることがない。家族や親族も華子を特に慰めるでもなく、サッサと次に行くべきと主張するなど非常にドライだ。そしてそのアドバイス通りに次から次へと色んな男との出会いを重ねていく華子の姿は、相手の男がどいつもこいつも社会不適合者気味なこともあり、滑稽ですらある。そんな華子がついに出会った幸一郎が、また存在感、ルックス、学歴、職業、立ち居振る舞いが完璧で、この出会いの時に華子が見せるかすかな瞳の輝きが実に印象的だった。

 

そんな幸一郎には、実は女の影があり、それが地方から上京してきた美紀。幸一郎に講義内容をメモしたルーズリーフを貸したところ、それが返ってくることがなかったというエピソードが印象的だ。苦学の末に慶應義塾に入学したにもかかわらず、実家の経済状態の悪化で退学。ノートもお金も時間も東京に吸われてしまったが、東京は彼女に何も与えてくれなかった・・・というストーリーにはならない。したたかに生きると言ってしまえば簡単だが、美紀が見せる生きる力、決断力、友情の深さに励まされる人は多いのではないだろうか。

 

二人の女性が幸一郎を間接的に媒介して出会うことになるのだが、そこにはドロドロとした女の情念のようなものはない。あるのは人間同士の真摯な向き合い方だ。幸一郎と婚約したという華子に、美紀は幸一郎とはもう会わないと伝え、実際に幸一郎との腐れ縁をスパッと断ち切ってしまう。男と女のドラマをいかようにも盛り上げられる機会を、物語はことごとくスルーしていく。それは本作が描き出そうとしているのが、男や女ではなく人間だからである。

 

「私たちって東京の養分だね」と呟く美紀を見て、自分も良く似た感慨にふけったことがあるのを思い出した。多かれ少なかれ、東京以外の土地から東京へと出ていった人間は、自分は東京という幻想をさらに強固なものとするためのシステムの一部にすぎないと実感することがあるはずだ。自身がマイノリティであるという自覚をもって言うが、本作は『 翔んで埼玉 』と同工異曲なのだ。そして華子も美紀も幸一郎さえも、巨大なシステムに囚われているという点では同じ人間なのだ。

 

敷かれたレールから外れることの困難、敷かれたレールの上を走り続けることの困難。いずれの道を往くにせよ、そうした決断にこそ自分らしさというものが宿るのだろう。生きづらさを抱える現代人にこそ観てほしいと思える作品である。

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ネガティブ・サイド

慶応義塾大学という実在の大学に配慮したのだろうか。もっと『 愚行録 』のように描いてしまっても良かったはず。なにしろテーマの一側面が東京と外部。慶應内部生と慶應外部生というのは、その格好のシンボルだろう。ここのところの暗部をもう少し強調して描くことができていれば、相対的に美紀の生き方がより輝きを増したものと思う。

 

華子と美紀、それぞれの親友との友情をもう少し深めていくシーンがあれば尚良かった。特に、華子の親友のヴァイオリニストは美紀と幸一郎のつながりを目撃する以上に、華子と一笑友人で居続けるのだと感じさせてくれるようなシーンが欲しかった。

 

総評

一言、傑作である。日本の今という瞬間を切り取っていると同時に、抗いがたいシステムから抜け出し、自立的に生きようとする人間の姿を丁寧に描いている。女性ではなく、男性もここには含まれている。B’zはかつて「譲れないことを一つ持つことが本当の自由」だと歌った。その通りだと思う。これが自分の生き方だと受け入れる。そしてその通りに生きる。そうすることがなんと難しく、そして清々しいことか。2021年必見の方が作品の一つである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

set up shop

「起業する」や「開業する」の意。start one’s (own) businessという表現が普通だが、set up shopというカジュアルな表現もそれなりに使われる。これに関連するtalk shop=「仕事の話をする」という表現は『 ベイビー・ドライバー 』で紹介した。同じ表現を様々に言い換えることで、コミュニケーションがスムーズになる。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 水原希子, 監督:岨手由貴子, 石橋静香, 篠原ゆき子, 配給会社:バンダイナムコアーツ, 配給会社:東京テアトル, 門脇麦, 高良健吾Leave a Comment on 『 あのこは貴族 』 -システムに組み込まれるか、システムから解放されるか-

『 アーカイヴ 』 -低予算SFのアイデア作-

Posted on 2021年3月1日2021年3月1日 by cool-jupiter

アーカイヴ 60点
2021年2月28日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:テオ・ジェームズ ステイシー・マーティン
監督:ギャビン・ロザリー

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近所のTSUTAYAで先行レンタル作品だと謳われていた作品。たまたま一つだけ借りられていなかったので、あらすじも読まずに新作料金を払ってレンタル。低予算SFの掘り出し物とまではいかないが、それなりに楽しませてくれた。

あらすじ

アーカイヴと呼ばれる人間の意識を保存したシステムにより、一定期間だけ死者と交流可能となった近未来。ロボット工学者のジョージ(テオ・ジェームズ)は亡き妻ジュール(ステイシー・マーティン)の意識を違法にアーカイヴからダウンロードし、ロボットのJ1とJ2を開発。そして、さらに本物のジュールに近いロボットとしてJ3の開発にも着手するが・・・

ポジティブ・サイド

象牙の塔に閉じこもり、黙々と研究・開発に打ち込む科学者というのは、ホムンクルスやゴーレムの作成、ひいてはフランケンシュタインの人造人間に至るまで、古典的かつ典型的な人物像である。作品の雰囲気も『 エクス・マキナ 』のそれによく似ている。全編ほとんど山梨のラボ内で進行するが、一度だけ出てくる繁華街は、『 ブレードランナー 』を意識して作ったことは間違いない。また、J3がアップグレードされていく様子は実写『 ゴースト・イン・ザ・シェル 』の少佐のそれにそっくり。J1とかJ2は、やっぱり『 スター・ウォーズ 』へのオマージュか。

要するにあまりにも陳腐なクリシェに彩られ過ぎていて、これは絶対に最後に何かあるだろうと思わせてくれる。実際に、まあまあのドンデン返しが待っていた。以下、白字。Jovianはてっきり姿を消したJ2が自身の意識をアーカイヴ化し、ジョージ自身の手によってJ3の意識が上書きされる際に、J3のボディに潜り込む・・・と予想していた。小さい頃に観た『 デモン・シード 』の影響かな。

勘の良い人なら、「ははーん、これはそういう話だな」と類似の先行作品(たとえば『 シックス・センス 』や『 パッセンジャーズ 』 、『 13F 』など)をいくつか思いつくことだろう。すれっからしのJovianはここのところを読み違えたわけだが、逆にこうしたジャンルに馴染みがない人なら、大きな驚きを体験できるかもしれない。

アーカイヴのようなシステムは、善悪の判断は措いておくとして、今後必ず誰かが開発しようとするのは間違いない。死者との交信ではなく、むしろ自分の意識をアーカイヴ化したスーパーリッチな人間が、マモーよろしく自分の意識を乗せた船で恒星間宇宙飛行に乗り出すのではないかとJovianは結構本気で考えている。オチを予想するも良し、アーカイヴの別の可能性をあれこれ想像するも良し。週末をステイホームで過ごすなら、ちょうどよい一本かもしれない。

ネガティブ・サイド

J3の最初の見た目がフリーザ様の最終形態そっくりなのは、製作者の日本へのリスペクトなのだろうか。脚がない状態で登場するところが、なおさらフリーザを連想させる。だが、このようなオマージュはノイズだろう。実写なら実写作品のオマージュをすべきで、アニメ作品まで射程に収めるなら、『 レディ・プレイヤー1 』並みに突き抜けている必要がある。むしろダース・ベイダー誕生の時のように(あれもフランケンシュタインの怪物へのオマージュだが)仰臥位で寝ているところから徐々に起き上がってくるという演出の方が個人的には好ましかった。

J2の扱いが酷い。こういうロボットとヒューマノイドの中間的な存在は、2030~2040年代には市民生活に間違いなく参加してくる存在だろう。そうしたロボに対する接し方のヒントになるようなものが何一つなかった。同時にAIが人間並みの複雑な感情(つまりは思慕や嫉妬)を持つということについての深掘りもなかった。いみじくもアーカイヴというシステムが示している通り、人間は何らかの刺激に対して適切な反応を返している。たとえば「愛している」と言われたら「私も」と返ってくる、など。AIもこうしたやりとりを学ぶことは可能なはずだ。人間から特定の感情(たとえば愛情)を引き出すように振る舞え、とプログラムされたAIと、人間に対して愛情を持っているAIを区別することは、表面上は困難だろう。ジョージがそうした哲学的な省察を一切行わない点も不満である。

総評

悪くない映画だと思う。人工知能やロボットを主題に据えたSF作品はこれまでに星の数ほど制作されてきたが、今という時代、すなわちAIやロボに関する学問や産業が爆発的な進展を見せる前夜に、このような作品が作られるのは必然だろう。本作の提示する世界観は思考実験にはぴったりである。J1、J2、J3の誰と一緒に暮らしたいかと問われれば、JovianはJ2を選ぶ。また身近な人間でアーカイヴ化できるとしたら、多分、父を選ぶように思う。単純に面白い、つまらないだけではなく、様々なことをリアルに考えさせてくれるSF映画である。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

~ is my fault

「~は私の責任だ」の意。英語学習者がよくやる間違いの一つに、

This glitch is my responsibility.

この不具合は私の責任です。

というものがある。これだと「責任もって不具合を発生させます」的に聞こえてしまうので注意のこと。日本語で言う責任には、responsibilityとfaultの二つがある。前者は責任者が負うもので、後者は過失のこと。英語でビジネスをしている人はゆめゆめ間違えないように。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, SF, イギリス, ステイシー・マーティン, テオ・ジェームズ, 監督:ギャビン・ロザリー, 配給会社:カルチュア・パブリッシャーズLeave a Comment on 『 アーカイヴ 』 -低予算SFのアイデア作-

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