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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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月: 2019年5月

『 カメラを止めるな!スピンオフ「ハリウッド大作戦!」 』 -柳の下に二匹目のドジョウを探すな-

Posted on 2019年5月6日 by cool-jupiter

カメラを止めるな!スピンオフ「ハリウッド大作戦!」 65点
2019年5月4日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:濱津隆之 真魚 しゅはまはるみ 笹原芳子 秋山ゆずき
監督:上田慎一郎

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『 カメラを止めるな! 』の上田慎一郎監督自身によるスピンオフ作品である。というよりも続編である。今作によって、上田慎一郎という監督の嗜好がよりはっきり見えたような気がする。

 

あらすじ

前作から半年。千夏(秋山ゆずき)はショックのあまり、声を出せなくなってしまっていた。失意のうちに、髪を金髪に染め、名前もホリーとして、ハリウッドのとあるレストランで働くようになった千夏。しかし、そこにもゾンビが現れてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

今作ではゾンビ以外の要素として、ドラキュラもパロディ化されている。上田監督もベラ・ルゴシの『 魔人ドラキュラ 』などを観て、映画オタクになったのだろう。なぜ彼がオタクであると推測、というよりも断言してしまうのか。それは上田監督がマーティン・スコセッシ監督の『 タクシードライバー 』の最も有名な台詞(というよりも、映画史においても最も有名な台詞の一つ)を、劇中で堂々とパロっているからだ。トラヴィスとは違った意味で狂ってしまった男をぜひ堪能されたい。

 

本作でもロングのワンカットは健在である。いわゆるメインストリームの映画でも『 きばいやんせ!私 』の対話シーンや、『 愛がなんだ 』のピロートーク(事後ではないが・・・)のシーンなどでも用いられている。しかし、これほどダイナミックなワンカットは珍しい。これが上田監督の持ち味なのだろう。『 ベイビー・ドライバー 』の冒頭でアンセル・エルゴートがコーヒーを買いに行くシーンも、30回撮影を重ねて編集したものだと聞く。それを思えば、ワンカットを本当にワンカットで撮り切るというのは、ポリシーなのだろう。カメラワークに凝る人もいれば、照明に凝る人もいる。台詞回しに凝る人もいれば、役者の自由裁量にゆだねる人もいるし、反対に役者には自分のビジョンを共有し、体現してもらうように強く求める人もいる。監督が名を上げるには作品を売ることだが、それ以外にも特徴=個性を持つという方法もある。北野武ならば、暴力を媒介した人間関係を描くことだろうし、是枝裕和ならば、家族という最も小さく最も奇妙な共同体をテーマにすることだと言える。上田慎一郎は、見えている部分を見せることで、逆に見えない部分をよりはっきりと浮き上がらせることを目指しているのではないか。Jovianは『 カメラを止めるな! 』を「映画を作っている人たちを撮影する映画を撮影している人たちが映画を作っている映画」と評したが、続編たる本作もその路線を踏襲している。

 

続編というよりも、同窓会という言葉が似合うのかもしれない。前作の台詞や必殺技がそのまま使われているところがあり、これらによってJovianはスター・ウォーズにおける“I’ve got a bad feeling about this.”やターミネーターにおける“Come with me if you want to live.”などの台詞を聞いた時と同じ感慨にふけったからである。前作を堪能したという向きは、ミニシアターなどで公開されているので鑑賞してみてはどうか。

 

ネガティブ・サイド

英語が頂けない。“Do you listen me?”としか聞こえないシーンがあったが、脚本段階で専門家と言わずとも、誰か少しは英語ができる人間にチェックはしてもらわなかったのか。Jovianなら、よほどの量でなければ手弁当で引き受けるけどね。

 

全体的に前作の焼き直しで、なおかつ説明不足なところが少々見受けられた。最初のゾンビの「オエッ」は前作では巧みに説明されていたが、今作ではそれはなし。また、ポンッ!のキレももう一つだったように見えた。また真魚は、もう少し表情の練習および基礎的な発声練習を積んだ方が良いと思われる。また父親および監督役の濱津隆之の出番も思ったより少なかった。前作はしゅはまはるみとこの人のリードで成立していたのだから、今作でももう少し登場シーンおよび台詞があっても良かったように思う。

 

総評

基本的に前作の焼き直しなので、前作を楽しんだという人にはお勧めできるとも言えるし、できないとも言える。ただユーモアの点では確実に前作に劣る。それでも笑うべきポイントや感心するべきポイントはしっかりとあるので、初見の人でなければ、つまり前作を観た人であれば、1時間を費やして損をすることは無いだろう。そうそう、露骨にネスレが宣伝されるが、そこは大人の事情というやつで我慢しましょう。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, C Rank, コメディ, しゅはまはるみ, 提供会社:ネスレ日本, 日本, 濱津隆之, 監督:上田慎一郎, 真魚, 秋山ゆずき, 笹原芳子Leave a Comment on 『 カメラを止めるな!スピンオフ「ハリウッド大作戦!」 』 -柳の下に二匹目のドジョウを探すな-

『 ある少年の告白 』 -自らの頭と心に問いかけるべし-

Posted on 2019年5月5日 by cool-jupiter

ある少年の告白 70点
2019年5月4日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ルーカス・ヘッジズ ニコール・キッドマン ジョエル・エドガートン ラッセル・クロウ
監督:ジョエル・エドガートン

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ルーカス・ヘッジズとティモシー・シャラメが、Jovianの考える20代のアメリカ人俳優のトップランナーの二人である。『 マンチェスター・バイ・ザ・シー 』では嫌なガキンチョでありながら傷心を隠せない少年、『 レディ・バード 』では可愛い男子からのゲイ、『 スリー・ビルボード 』では、姉の喪失と母親の支配に何とか抗おうともがく少年と、非常にゲイ達者・・・ではなく、芸達者であることが分かる。Jovian一押しのH・スタインフェルドとの共演を早く実現して欲しいものである。

 

あらすじ

ジャレッド(ルーカス・ヘッジズ)はカーディーラーにして牧師の父マーシャル(ラッセル・クロウ)と母ナンシー(ニコール・キッドマン)によって、同性愛矯正プログラムを実施している施設に送られる。そこで彼が体験したのは、プライバシーの侵害やマッチョイズムへの盲信、体罰に近い行為や言葉の暴力だった・・・

 

ポジティブ・サイド

こうした事実は小説よりも奇なりを地で行く物語には、ドラマチックさは必要であっても、シネマティックさは不要かもしれない。そう感じさせるほどに、全編に乾いた空気が流れている。光や音の鮮やかさによって魅せるのではなく、それらの欠如によって逆に浮かび上がってくる人間の心の仄い領域を本作は映し出す。単なるダークサイドではなく、それを正義であると思い込む人間の恐ろしさが、静かに、しかし確実に伝わってくる。監督も務めたジョエル・エドガートンは、ジャレッドの送り込まれる施設の長をしているのだが、この男の言動に漂う危うさは何なのか。それは、言葉に論理性も一貫性もないところである。同性愛を忌避の対象と最初から決め付け、なおかつその性的志向の源を家族のアルコール歴、ドラッグ歴、その他諸々に求める姿勢は滑稽千万である。しかし、観る側からすれば吐き気すら催すような男が、劇中ではそれなりにリスペクトされ、権威と権力を有し、数多くの子女に教育的指導を行っている。ジョエル・エドガートンはそうした“矛盾”を内包したキャラクターを卓越した演技力で体現してみせた。

 

彼の課すプログラムの一つにこのようなものがある。アルコール中毒や薬物中毒、刑務所での服役などを経た男による講話である。エドガートン演じるサイクス施設長によれば、地獄から生還した男は、男の中の男である。その男の話は、同性愛者にとって有意義である、ということだ。普通に考えれば、まともな男なら、酒にも薬物にも溺れないし、塀の向こうで過ごすようなことはしない。『 セッション 』におけるJ・K・シモンズとサイクスの共通点は、両者ともに信念に基づいて行動していること。相違点は、前者の虐待的行為にはプロの信念があるが、後者の虐待的行為には何の裏付けもないということである。ホームワークとしてジャレッドが過去を回想することと、現在進行形の矯正プログラムを交互に映し出していくことで、サイクス施設長の存在感が徐々に薄れ、その化けの皮が剥がれていく。いかに不条理なプログラムなのかがどんどんと浮き彫りになっていき、最後には魔女狩り、異端審問的なところにまでたどり着く。

 

ジャレッドがこうしたプログラムに対して突き付ける拒絶の反応は痛快ですらある。それは彼が自身の考えや感情に基づいて行動するからである。彼は宗教的に厳格な父親との間に葛藤を抱えている。父親の言葉は全くの正論ではあるが、それは聖書の権威の押し売り以外の何物でもない。劇中で旧約聖書のヨブ記が言及されるが、これは誠に象徴的である。義人ヨブはある時、突然に神からすべての祝福を奪われ、財残を無くし、家族も無くし、自身の身体にもダメージを負う。それでもヨブは神を呪わなかったのだが、友人達との対話の末に、理不尽な仕打ちを止めるようにと遂に神に異議申し立てを行う。我々は神をしばしば「彼」と男性化して呼び表すが、ジャレッドが異議申し立てを行った相手は誰だったのか。これが本作の真のテーマなのではないだろうか。自分の心に問いかけよ。権威に盲目的に従うなかれ。同性愛者に向ける眼差しは、自分のものなのか、それとも他人のものなのか。

 

ニコール・キッドマンは母親役ばかりをオファーされ、受けているようだが、その演技は実に堂に入ったもの。キャリアの円熟期を迎えつつあるようだ。ラッセル・クロウもルーカス・ヘッジズもジョエル・エドガートンも素晴らしい仕事をしていたのに、最後にニコール・キッドマンがすべて持っていた感じがした。彼女のファンなら最後の最後まで席を立ってはならない。

 

ネガティブ・サイド

原作の書籍もこのように起伏に乏しいのだろうか。施設で行われていた矯正プログラムはどれも衝撃的というか、少年院もしくは刑務所と見紛うような代物なのだが、観る側が受けるショックと、作り手側が与えたいショックの種類が異なっていたようである。いや、Jovianのこの見方もずれている可能性がある。というのも、隣の隣の席にはえらい年配の男性同士が来ており、上映後に「あんなん日本では考えられんで。やっぱりアメリカやからやろうなあ」という感想を漏らしていた。Jovianからすれば、アメリカのような合理主義の国が、何の根拠もなく単純にマッチョイズムを信仰しているだけの人間に、かくも多くの人間が同性愛者の子女の矯正を依頼するところに驚きがある。逆にこの舞台が現代日本なら、そもそも施設など存在しないだろう。対象の子は座敷わらしになるだろうからだ。元々、織田信長や武田信玄の頃から同性愛は盛んだったはずだが、ハンセン病と同じく、そうしたものは忌避の対象になってしまったからだ。

 

神様と犬のネタでサイクスを攻撃する場面も見てみたかった。施設の恐ろしさは、何の学問的な裏付けも存在しないにもかかわらず、堂々と「治療する」「矯正する」というポリシーが罷り通ってしまっているところだった。それを可能にするのが、神への過剰ともいえる帰依、信仰である。そうした連中へのレジスタンスとして、神と犬ネタを使わなかったのはなぜだったのだろうか。尋常ではないダメージを与えられたと思うのだが。

 

総評

ルーカス・ヘッジズの静的な演技よりも、ジョエル・エドガートンの怪演が勝ってしまった。そんな印象である。しかし、だからこそ本作のメッセージ性はよりクリアになったも言える。異質な者を見る時、なぜ自分はその対象を異質だと感じるのか。異質だとして、それが矯正や、究極的には排除の対象になるのか。同性愛者に向ける眼差しを、乳幼児や高齢者、外国人に向けていないか。自分がそうだったらという想像力を持てるかどうか。特定の事象だけではなく、もっと普遍性のあるテーマが本作には隠れている。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, ルーカス・ヘッジズ, 監督:ジョエル・エドガートン, 配給会社:パルコ, 配給会社:ビターズ・エンドLeave a Comment on 『 ある少年の告白 』 -自らの頭と心に問いかけるべし-

『 お米とおっぱい。 』 -栴檀は双葉より芳し-

Posted on 2019年5月4日 by cool-jupiter

お米とおっぱい。 65点
2019年5月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:高木公佑
監督:上田慎一郎

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『 カメラを止めるな! 』の上田慎一郎監督のキャリア初期の実験的作品である。こういう作品を見ると、上田慎一郎監督という人は、ビッグバジェット・ムービーにはあまり興味は無く、自分の信頼できるスタッフと共に、自分の思い描くビジョンを生み出すのが好きな映画人のようだ。近いタイプとしてはM・ナイト・シャマランが挙げられるだろうか。

 

あらすじ

公民館の一室に集まった互いに面識の無い5人の男。「おっぱいとお米、この世に残すとすればどちらなのか」を討議し、全員一致の結論を出すことができれば、一人につき謝礼十万円が支払われる。彼らはまずは決を取って、おっぱい派とお米派に分かれた。そして議論の戦端は開かれたのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 十二人の怒れる男 』、『 キサラギ 』、『 エグザム 』などのテイストを意識的にか無意識的にか取り入れた作品に仕上がっている。つまり、閉鎖空間内部で赤の他人同士が次第に濃密な人間関係を構築していく=濃密な対話やフィジカルな交流(それは時に暴力でもある)を行う様を映画にしたのである。上田監督は『 カメラを止めるな! 』でもその傾向は顕著だったが、一つのクローズドな空間を徹底的に撮り切るのが好きなのだろう。そして、それは本作でもある程度は成功している。

 

議論の本質はおっぱい vs お米ではない。男たちは時に功利主義的な、時に哲学的な議論を戦わせるが、その議論の根底にあるのは自らの人生観であると考えて間違いない。おっぱいに仮託して語ること、もしくはお米に仮託して語ることで、彼らのディベートは青年と壮年の世代間闘争や、フリーランサーとサラリーマン、または経営者と非正規雇用者という対立軸までも生み出していく。非常に舞台ドラマ的で、人間の心という究極の閉鎖空間の在り様を、この公民館の一室内に再現するのが監督の目論みなのだろう。それは成功した。人間の思考は根本的に分裂状態で、それらを最も巨大な意識が統合したものを、我々は通常、「自我」と呼んでいる。このような思考の過程を大仰な形で可視化することで、人は変わりうるし、現に変わるのだということを見せようとしている。好むと好まざるとに関わらず、グローバル化待ったなし、移民の増加待ったなしの日本において、対話の重要性はいや増すばかりである。そうした背景を下敷きに観れば、アホな議論に多層性が見出せるだろう。

 

ネガティブ・サイド

ところどころに意図がはっきりしないカメラワークがある。ここは天井からのショットではないだろう、ここでこそ360°のショットだろうという、少しこちらの期待と実際の撮影の間のずれがあった。こうした対話劇は、徹底的にPOVにしてしまうか、全体を俯瞰するような視点で撮り切ってしまうか、どちらかの方が良かったように思う。いずれにしろ、もっと実験的なアプローチをカメラワークにも求めたい。と感じてしまうのは、やはり『 カメラを止めるな! 』が傑作だったことの証左なのだろう。

 

暴力は、状況によっては必要な小道具だが、絵をびりびりに破るのはどうなのか。そのことについての真摯な悔悛の言葉が聞かれれば良かったのだが、そんなものはなかった。お米派の中年オヤジに対しては、どす黒い嫌悪感が募るばかりであった。もちろん、この男にはこの男なりの分かりやすい背景があるのだが、それと彼の暴挙が上手くリンクしているとは感じなかった。

 

総評

かなり観る人を選ぶ作品であろう。ドラマチックな要素はあっても、シネマティックな要素には欠ける作品なので、『 カメラを止めるな! 』に大笑いしただけの人が興味本位で鑑賞するとがっかりするかもしれない。大の男の真剣にアホな対話劇を自己に重ね合わせることができる、そうした人が鑑賞すれば、上田慎一郎の才能の一端に触れられるのだろう。

 

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, コメディ, サスペンス, 日本, 監督:上田慎一郎, 高木公佑Leave a Comment on 『 お米とおっぱい。 』 -栴檀は双葉より芳し-

『予兆 散歩する侵略者 劇場版 』 -黒沢および東出史上二番目の出来か-

Posted on 2019年5月4日 by cool-jupiter

予兆 散歩する侵略者 劇場版 50点
2019年5月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:夏帆 染谷将太 東出昌大 岸井ゆきの
監督:黒沢清

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率直に言わせてもらえば、黒沢清監督は駄作メーカーだ。『 CURE 』以外に、標準レベルより上に達している作品は無いと言わせてもらう。東出も、正直なところ大根役者だと思っている。彼が最高の演技を見せたのは、自分自身の色を出そうとせず、ある意味で羽生善治の物まねに徹した『 聖の青春 』だった。本作はそんな二人の久々のヒットだと評したい。

 

あらすじ

悦子(夏帆)は、同僚のみゆき(岸井ゆきの)の「幽霊が見える」という相談を受ける。困惑しつつも、宿を提供する悦子だが、みゆきは悦子の夫、辰雄(染谷将太)に対しても異常な反応を見せる。不安を覚えた悦子は、夫の勤める病院にみゆきを連れていくが、そこにいた新任の外科医、真壁(東出昌大)に悦子はただならぬ何かを感じ取り・・・

 

ポジティブ・サイド

『 散歩する侵略者 』の不可解な点に、長澤まさみを妻に持つような男が浮気をするのか?というものがあった。まあ、男女、夫婦の仲には色々あるが、浮気を疑っていた夫とやりお直すチャンスをそこに見出す妻、というのも個人的にはリアリティを感じなかった。本作にはそうした要素はない。ちょっと歪な夫婦の形がそこにあるだけである。これならば許容できる。

 

夏帆のキャラが良い。マイケル・クライトンの小説『 アンドロメダ病原体 』でも、一部のキャラが感染を免れたように、宇宙人の概念泥棒が通用しない地球人個体というのは、非常にリアリティのある存在である。本編の長澤まさみは、個体として特殊なのか、それとも抱いていた愛の概念が特殊なのか、今一つ判断ができなかった。今回の、特殊な個体の存在を描写するというのは、良い試みであると言えよう。

 

東出も中盤まではいつもの東出なのだが、最終盤に魅せる。『 散歩する侵略者 』の長谷川博己が爆撃を食らった後に文字通り人間離れした動きを見せたのと同じような動きを見せる。また、概念を盗む際にまばたきを一切しなくなるというのも、『 ゴジラ FINAL WARS 』のX星人ネタではあるが、キャラを立たせる要素として機能していた。東出は演じるよりも真似をする方が良い仕事をする。本作では久々に良い東出を見た気がした。

 

本編では宇宙人が動物に乗り移りながら最終的に人間に寄生し、奇妙な装置を作り上げて、本隊と交信していたが、本作ではより直接的な描写を見せる。こちらの方が感覚的に分かりやすい面もあり、これはこれでありだと思えた。

 

宇宙人同士のコミュニケーションの噛み合わなさ加減や、支配-被支配の関係の不気味さ、また実質的に3人しか出てこなかった本編とは異なり、こちらはそこかしこに宇宙人のガイドがいるのではないかと予感させるサスペンスフルな作りになっていて、観る側の想像力をより喚起させてくれる。個人的にはこういう構成も好みである。

 

ネガティブ・サイド

染谷将太の右腕ネタは不要だったかもしれない。どうしたって『 寄生獣 』を連想する。そうしたメタなネタを取り入れるのならば、監督や原作者、他キャストなどに何らかの共通点がある時だけにしてもらいたい。

 

同じく染谷将太演じる辰雄があまりにも人間的すぎる。概念を盗むターゲットを選ぶのに、バックストーリーは必要だったのだろうか。ほんのちょっとした違和感の積み重ねが不安やサスペンスを盛り上げてくれるのだが、観る側が共感してしまうようなエピソードを放り込んできては、「概念」を盗むという非常に奇抜なアイデアの良さが損なわれてしまうではないか。彼我の思考にはどうしようもない違いがある、というところが散歩する侵略者の特徴なのだから、そんな侵略者に共感を覚えるような要素は極力排除すべきだと個人的には考える。

 

また低予算だったためか、全体的な作り込みにしょぼさを感じる。逃げ惑う人々のショットがわずか一つだけ、時間にして2秒程度というのはいかがなものか。また、『 シン・ゴジラ 』とまでは言わないが、都市部でグリッドロック現象が起きているような描写も必要だろう。テレビやラジオ放送の声にも緊迫感が足りず、侵略の予兆を感じ取るのが難しかった。

 

総評

スピンオフというよりもリメイクまたはリブート的なもののように感じられた。スピンオフならば、本編に登場した警察官もしくは医療従事者たちの視点からストーリーを捉え直すようなものであるべきだろう。ただ、『 散歩する侵略者 』と本作の両方を鑑賞することで、物語の理解が深まったり、異なるものが見えてくるのも事実である。本編が気に入ったという人ならば、鑑賞して損をすることは無いだろう。

 

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, SF, 夏帆, 岸井ゆきの, 日本, 東出昌大, 染谷将太, 監督:黒沢清, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『予兆 散歩する侵略者 劇場版 』 -黒沢および東出史上二番目の出来か-

『 映画 賭ケグルイ 』 -続編ありきの序章-

Posted on 2019年5月4日 by cool-jupiter

映画 賭ケグルイ55点
2019年5月3日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:浜辺美波 高杉真宙 池田エライザ
監督:英勉

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元は漫画、そしてテレビドラマ化された作品が満を持して銀幕に登場。これが意味するところは、よほど原作およびドラマが面白いということか。Jovianが南沙良と並んで最も買っている若手女優の浜辺美波が主演とあらば、観ないという選択肢は存在しない。

 

あらすじ

 

舞台はギャンブルの強さで学園内の序列が決まる百花王学園。そこに転校してきた蛇喰夢子(浜辺美波)は、学園の頂点に君臨する生徒会長、桃喰綺羅莉(池田エライザ)とのギャンブル勝負を渇望していた。しかし、学園にはギャンブルを拒絶する集団「ヴィレッジ」も台頭しつつあった。夢子とヴィレッジ、両方を一挙に叩き潰そうと画策する生徒会は、「生徒代表指名選挙」を開催する。夢子は鈴井涼太(高杉真宙)を相棒に参戦するが・・・

 

ポジティブ・サイド

前向きなヒロイン像から少女漫画の定型を外れるヒロイン像、それらの加えてギャンブルにエクスタシーを感じるヒロイン像を浜辺美波は開拓した。これはファンとして大いに歓迎したい。天然で、それでいてシニカルで、ユーモラスでもあり、賢しらさを隠さない狡猾さを、その口調や佇まいで悟らせない。そんな複雑なキャラをしっかりと演じた浜辺をまずは称えようではないか。

 

歩火樹絵里を演じた福原遥の演技力にも舌を巻いた。彼女はテレビや映画よりも、舞台上で演じる方が映えるのではないか。カリスマ性すら感じさせる演技で、今後も多方面での活躍を期待できるだろう。今作のような世界観の作品やキャラクターばかりを演じると、藤原竜也のように chew up the scene の役者になってしまう恐れがあるので、彼女のハンドラー達には注意をしてもらいたいものである。ちなみにJovianは藤原竜也を高く買っていることをを申し添えておく。

 

その他には小野寺晃良、中村ゆりか、秋田汐梨らも印象に残った。この世代の若手俳優は、一頃のサッカー日本代表とは異なり、人材難ではなさそうだと思えた。それが一番の収穫だったと言えるかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

個人的な嗜好の問題も多分にあるのだろうが、先行作品の世界観の構築の点で『 カイジ 人生逆転ゲーム 』に劣り、勝負の駆け引きや頭脳性の描き方において『 ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ 』に劣る。ライアーゲームやカイジは原作を読んでいて、こちらに関しては原作漫画、テレビドラマ、いずれも鑑賞していないので、このあたりの評価に偏りが生じているのは承知している。

 

浜辺美波は良い仕事をしたが、クライマックスのシーンを販促物に載せる必要は一切ない。究極のドヤ顔を、上映前に見せまくってどうする。それをするのであれば、プロローグの夢子の紹介シーン全てで賭け狂っている時の必殺の顔として観る側に認知させておくべきだった。こういうのは出し惜しみしておくべきだと切に思う。

 

肝心のギャンブルについても突っ込みどころが満載である。票争奪じゃんけん勝負を先手必勝とあるキャラクターコンビは結論付けたが、これはおかしい。普通に考えれば、1/3の確率で敗北する勝負に先手必勝などあり得ない。まずは自分の手札を秘密にし、素早く勝負が発生する場に行き、誰がどの手を有しているかを観察しなければならない。1/3の確率であいこが発生するのだから、その勝負を見届けてから動く方が合理的だ。というか、自分から真っ先に手札をばらしに行くというのは、どうなのだろうか。誰か他の者に獲物をさらわれるのがオチだと思うのだが。

 

トランプの1~7+ジョーカーを使うデュアルクラッシュ・ポーカーにも突っ込みたい。これも普通に考えれば、チームで相談し、第1ターンは2人そろって最弱の1を出して、相手チームの手札を削りにかかるのではないだろうか。というか、チームで相談することなく、つまりバッティングをいつ起こすのか、もしくは起こさないようにするのかを相談しないなどということは、ゲームの性質上、ありえないし、考えられない。このあたりが本作がライアーゲームに及ばないと感じる一番の理由である。

 

森川葵の生脚は眼福であるが、池田エライザは何故、生脚ではないのか。そして、ああいう座り方をする以上は『 氷の微笑 』の審問シーン的なサービスショットを盛り込んでくれても良いではないか。オッサン映画ファン100人に訊けば100人が賛同してくれるだろう。

 

全体的には、賭けに狂っている高校生達というよりは、ゲームを楽しんでいる若者達という印象の方が強い。そこがディレクションの一番の問題点であろう。

 

総評

浜辺の新たな一面を切り拓いた作品と言えるが、その他のキャストに関してはどうだろうか。以前にも評したが、英勉監督は『 貞子3D 』および『 貞子3D2 』という超絶クソ作品を世に送り出した。一方で、『 あさひなぐ 』のような佳作を作る力もある。今作では若手俳優たちの演技力に救われた感があるが、監督としてはかなり伸び悩んでいるのかもしれない。劇場に行く際には、ドラマもしくは漫画である程度の予習が必要かもしれない。また、続編政策にかなり色気を見せたエンドクレジットを作っているが、その時には英監督以外を起用することも選択肢に入れるべきであろう。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, D Rank, サスペンス, スリラー, 日本, 池田エライザ, 浜辺美波, 監督:英勉, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 映画 賭ケグルイ 』 -続編ありきの序章-

『 アガサ・クリスティー ねじれた家 』 -トリックを見破ろうとすべからず-

Posted on 2019年5月2日 by cool-jupiter

アガサ・クリスティー ねじれた家 50点
2019年5月1日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:グレン・クローズ マックス・アイアンズ
監督:ジル・パケ=ブレネール

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グレン・クローズが『 天才作家の妻 40年目の真実 』と同じく、マックス・アイアンズと共演。アガサ・クリスティが自身の最高傑作と公言して憚らない作品が満を持して映画化された。ケネス・ブラナーとは全く異なるアプローチで作られた本作はどうか。条件付きで佳作である。

 

あらすじ

大富豪レオニデスが急死した。しかし、殺人の疑いありとして、レオニデスの孫娘にして、元恋人のソフィアから私立探偵チャールズのもとに調査の依頼が来る。調査を始めたチャールズは、一族の誰もがレオニデスの遺産を狙う動機があることを知る。そうした中、第二の殺人事件までもが勃発し・・・

 

ポジティブ・サイド

グレン・クローズ演じる大叔母イーディスを始め、俳優陣は誰も彼もが良い味を出している。つまり、疑わしいということである。特に姉ソフィアとチャールズに肉体関係があったかを執拗に尋ねるユースタスは良かった。また期するところありげに、チャールズを誘惑するかのような素振りを見せるそのソフィアも、チャールズを華麗に振り回す。彼女も良い仕事をした。

 

ギリシャからの移民が裸一貫から億万長者に成り上がり、そして死去する様をテレビ放送で伝える冒頭のシークエンスも素晴らしい。これのおかげで、一気に作品世界に入って行くことができた。まさに自分がそのニュースを視聴しているかのような気持ちになれたからだ。

 

一族の中で愛憎入り混じった人間模様が展開される作品は星の数ほど生産されてきているが、そうしたジャンルの嚆矢の一つは間違いなく本作であろう。アガサ・クリスティと言えば、『 オリエント急行殺人事件 』や『 アクロイド殺し 』、『 ゼロ時間へ 』などで、数々のミステリの常識を打ち破ってきた先駆者。本作も、ミステリに不慣れな読者や映画ファンを驚かせるには充分であろう。

 

ネガティブ・サイド

ミステリは時代と共にその性質を大きく変える。ここで言う性質とは、キャラクターの性質、トリックの性質、そして叙述の性質(叙述トリックという意味ではない)である。ミステリにおけるキャラクターとは、まず第一に死体である。死体=ミステリであると言い切ってもよい。ミステリは人間の命を実に粗末に扱うものなのである。トリックの性質は、技術や知識の進歩に常に影響される。このあたりが突き抜けたSFやファンタジーと、ミステリとの違いである。叙述の性質なのだが、これが難しい。基本的に現代のミステリにおいては、状況が重視され、キャラクターの証言は絶対視はされない。しかし、日本でも横溝正史や松本清張の時代までは、キャラクターの記憶に基づく証言は絶対の価値を有していたのである。アガサ・クリスティ時代も同様で、だからこそ本作は光っている(光っていた?)とも言えるし、逆に忠実に映画化する意味はなかったとも言える。あまり細かく不満を述べてしまうとネタばれになってしまうのだが、この時代のミステリのキャラクタが探偵に向かって喋ることはだいたい真実だと考えて良い。ということは・・・ 本作を換骨奪胎したものを現代風に作り変えてしまうという選択肢はなかったか。

 

本作に登場するスコットランドヤードはすこぶる無能である。なぜそこでそのような判断や行動を選んでしまうのか、理解に苦しむことがある。もちろん、現代の目で見て、あるいはミステリに慣れた目で見てそう感じることなのであるが。共産主義云々の要素はバッサリと削り落して、屋敷内の人間関係をもっと映し出すことを選ぶべきだった。

 

本作はハウダニットを敢えて追及しない。フーダニットにとことん焦点を当てる。個人的には原作のそのトーンを映画に持ってきたのは失敗であると考える。すれっからしの人からすれば、犯人(というかホワイダニット)はすぐに分かってしまう。やはり、原作をベースに現代劇に作り変えるべきだった。そう思うのである。

 

総評

英国ミステリのみならず、世界のミステリの新たな境地を切り開いた巨人アガサ・クリスティの作品を映像化するなら、もっと別の作品が良かったのではないか。個人的には『 そして誰もいなくなった 』を現代風にアレンジし直した作品が観てみたい。ちなみにこのトリックは、映画化もされた『 インシテミル 』やゲームの『 かまいたちの夜 』でも再利用がされている。日本のミステリで言えば、赤川次郎の『 マリオネットの罠 』もしくは谺健二の『 未明の悪夢 』の映像化も観てみたい。何が言いたいかというと、ミステリファンであれば敬遠すべき映画である、ということである。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, イギリス, グレン・クローズ, マックス・アイアンズ, ミステリ, 監督:ジル・パケ=ブレネール, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 アガサ・クリスティー ねじれた家 』 -トリックを見破ろうとすべからず-

『 シャザム! 』 -新時代の異色スーパーヒーロー誕生-

Posted on 2019年5月1日2019年5月2日 by cool-jupiter

シャザム! 70点
2019年4月30日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ザカリー・リーバイ アッシャー・エンジェル マーク・ストロング ジャック・ディラン・グレイザー
監督:デビッド・F・サンドバーグ

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MCU(Marvel Cinematic Universe)が『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』をもって一旦は完結したが、一方でDCUE(DC Extended Universe)はやっとジャスティス・リーグが結成されて、ようやくスタンドアローンの『 アクアマン 』がリリースされたところ。そこへもってきて、異色のヒーロー、シャザムがやってきた。暗くもあり、明るくもあるヒーロー。DCの風向きも変わってきたか。

 

あらすじ

母親とはぐれ、里親のもとを転々としてきたビリー・バットソン(アッシャー・エンジェル)は、ある時、魔術師に召喚され、彼の力を受け継ぎ、シャザム(ザカリー・リーバイ)となる。同じ里親のもとに暮らすフレディ(ジャック・ディラン・グレイザー)と共に能力を無為にテストするだけの日々を送っていた。しかし、彼の身には、かつて魔術師シャザムに拒まれ、悪魔の力を追求するDr.シヴァナ(マーク・ストロング)が迫っており・・・

 

ポジティブ・サイド

ヒーローは往々にして暗い背景を有している。バットマン然り、アイアンマン然り、スパイダーマン然り、アクアマン然り、キャプテン・アメリカ然り、スーパーマン然り。シャザムとなるビリーも母親との別離を経験している。しかし、そのことが彼をして正義の使者や代弁者、執行者たらしめていない。名前こそバットソン(Batson)であるが、彼はブルース・ウェイン/バットマンとは、そこが決定的に違う。いや、そもそもアメコミ世界のスーパーヒーローは、歴史的にアメリカという国の国力(=軍事力と言っても良い)を健全な意味でも不健全な意味でも擬人化してパロディにしたものであった。だが、現実のアメリカがイラク戦争のように正義の無い戦いに身を投じたところから(実際には朝鮮戦争やベトナム戦争にも正義などは存在しなかったと考えられるが)、アメコミの実写映画化にも変化が生まれてきた。それが『 シビル・ウォー / キャプテン・アメリカ 』のようなヒーロー同士の戦いであったり、『 デッドプール 』のような無責任ヒーローの爆誕にも見て取れる。

 

それでは本作の呈示するヒーロー像とは何か。それは友愛ではないだろうか。友情、絆、家族愛・・・ 言葉にすれば陳腐であるが、そうしたものが本作のユニークさであろう。もちろん、アベンジャーズやジャスティス・リーグにそうした要素がないわけではない。しかし、映画『 アベンジャーズ 』でも描かれていたように、最強ヒーローチームは、絆ではなく協力した方がより機能的であるという実用的な理由からチームとなり、『 ジャスティス・リーグ 』も個々の力を一つにまとめた方が得策だというブルース・ウェインの判断によって結成されたものだった。そこが本作と先行するヒーロー達との違いであろう。このシャザムというヒーローに一番近い、もしくは似ているのはトム・ホランドverのスパイダーマンであるように思う。

 

真面目に考察してしまったが、本作はエンタメ要素もてんこ盛りである。トム・ハンクスのファンなら、『 ビッグ 』の親友ビリーを思い出すだろうし、ビリー/シャザムの親友フレディとスーパーパワー実験をする時のBGMがQueenのフレディ・マーキュリー歌唱の“Don’t Stop Me Now”なのである。そして、舞台はフィラデルフィアで、フィラデルフィアといえばロッキー。ロッキー・ステップスを舞台にしたシークエンスもあり、それ以外の「おいおい」というシーンもある。また、悪役Dr.シヴァナが使う悪魔の力からは、どうしたって『 ゴーストバスターズ 』を想起させられる。同じDCEUの先輩キャラを茶化す楽しい場面もあるので、劇場が明るくなるまで席を立ってはいけない。

 

ヴィランのマーク・ストロングも良い仕事をしたが、一番に称えたいのはシャザムを演じたザカリー・リーバイである。幼稚な大人ではなく、子どものままでかくなってしまったキャラを良く体現できていた。そんな彼が、太っちょな里親パパや、白人女子高生、脚に障がいを持つ同世代、黒人の妹たちと育む友愛の物語を、是非とも多くの人に堪能して欲しいと思う。

 

ネガティブ・サイド

シャザムというキャラおよび原作の知識があれば異なる感想を抱くのかもしれないが、街の人々のシャザムに対するリアクションがあまりにも普通であることに当初は強烈な違和感を覚えた。物語がある程度進んだところで、これは本格的にDCEUの一部、つまりスーパーヒーローが実在する世界であると分かったことでその違和感は消え去ったが、『 デッドプール 』のように、ある世界の一部であることを一発で観る側に理解させるような仕掛け、もしくは仕組みがあれば良かったのかもしれない。劇中でもスーパーマンやバットマン絡みのガジェットが登場するが、それをもっと早めに露骨に出して、なおかつ「波動拳」などの完全別世界のワードは禁句にしてしまうぐらいで良かったのではないか。

あとはコンビニ強盗を退治するシーンだが、シャザムはよいとしても、銃口がフレディに向けられていたらどうなっていたのだろうか。銃弾をものともしない防御力を示したいのなら、もっと別の描写方法があったはずである。

 

総評

『 アクアマン 』もホラーの名手ジェームズ・ワンが手掛け、本作も『 ライト/オフ 』や『 アナべル 死霊人形の誕生 』を監督したデビッド・F・サンドバーグが手掛けている。一部にジャンプ・スケア的な手法も使われているが、暗くないヒーロー、明るいヒーロー像は、今後はホラー映画の作り手たちが新境地を切り開いていくのかもしれない。コメディ的な要素もありながら、本作はかなり真面目なヒーロー像を模索する試みでもあり、DCEUの切り札的存在にもなりうるポテンシャルを秘めている。続編の製作にも期待が持てそうである。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アクション, アメリカ, ザカリー・リーバイ, マーク・ストロング, 監督:デビッド・F・サンドバーグ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 シャザム! 』 -新時代の異色スーパーヒーロー誕生-

『 スイス・アーミー・マン 』 -死者と生者の奇妙な語らい-

Posted on 2019年5月1日 by cool-jupiter

スイス・アーミー・マン 75点
2019年4月29日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:ポール・ダノ ダニエル・ラドクリフ
監督:ダニエル・シャイナート ダニエル・クワン

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ダンだらけの映画である。全編ほぼP・ダノとD・ラドクリフだけで話が進むが、監督の二人も忘れてはいけない。このキャスティング、つまり似たような名前の人間が二人で芝居を演じるは偶然なのか必然なのか。それは観る者によって意見が分かれるところかもしれない。

 

あらすじ

孤独に絶望したハンク(ポール・ダノ)は無人島で首吊り自殺をしようとしていた。しかし波打ち際に人影が。思わず駆け寄るもそれは死体(ダニエル・ラドクリフ)だった。だがハンクは気付いてしまった。その死体は、スイス・アーミー・ナイフの如く、万能のツールであることに・・・

 

ポジティブ・サイド

本作は多くの映画ファンを惑わせるだろう。だが、意味の分からない混乱をもたらすのではなく、心地よい刺激、「これはひょっとしてこうなのか?」という思考を刺激するような作りになっている。日本の映画人たちにも是非見習ってほしい姿勢である。

 

それにしてもダニエル・ラドクリフは、何故これほどに死体役がハマるのか。死人はある意味で最も演じるのが難しい。なぜなら、お手本がないからだ。誰も死体になったことがないし、死者と話したことがある人もいない。では、なぜ我々は彼の死体の演技に魅了され、そこに説得力を認めてしまうのか。それは我々が死を生の欠如と認識しているからである。言い換えれば、生きていないものは死んでいるものだという論理、認識が存在するということである。例えば、ハンクは死体=メニーが息をしていないことから死んでいることを確認するが、彼はおならという形で外界とガス交換を行っている。これは生命の定義の一つを満たしていることを意味する。またメニーは尾籠であるが、勃起もする。リビドーである。これが性および生への欲求でなくて何であろう。対照的にハンクはデストルドーに苛まれて自殺をしにきたではないか。

 

死亡に直面してこそ見えてくる命の形を描いたものに、『 ALONE アローン 』がある。シリアスなトーンをあまり好まない向きには、ユーモアたっぷりの本作を推したい。だが、本作の面白さはコメディックなユーモアだけにあるのではない。ちょっとしたミステリもある。メニーとハンクの対話は、まるで『 キャスト・アウェイ 』のトム・ハンクス演じるチャックとウィルソンのようである。おっと、いささか書き過ぎてしまったようだ。といっても、本作は解釈が分かれるように意図的に作っている作品であるからして、様々な人が思い思いの解釈を楽しむのが正解である。Jovianはダンだらけ、そしてハンクとハンクスにはきっと意味があると思っている派である。

 

ネガティブ・サイド

無人島からの脱出が少しトントン拍子すぎるように感じた。序盤のハンクの孤独をもっとねっとりと描いてくれていれば、その後の海岸や山、森林のシーンでの対話や生活がより際立ったのではないか。

 

また不法投棄されたゴミは、何かもっと違うアイテムで代替できなかったのだろうか。あんな生活感あふれるゴミがそこらじゅうに散乱しているということは、取りも直さず人里がかなり近いということだ。にも関わらず、なかなか故郷を目指そうとしないハンクには何かがあると分かってしまう。

 

総評

これは傑作である。もしかしたら駄作かもしれない。間違いなく言えるのは、珍品または怪作であるということだ。まるで個々人の面白センサーがどういう方向を向いているのかを測ってくれる、どこかリトマス試験紙のような映画である。ダニエル・ラドクリフの新境地を切り開いた作品としても長く記憶に残る作品となっているし、弱々しい男を演じさせればいま最も旬なポール・ダノの安定の演技力を堪能することもできる作品である。

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ダニエル・ラドクリフ, ブラック・コメディ, ポール・ダノ, 監督:ダニエル・クワン, 監督:ダニエル・シャイナート, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『 スイス・アーミー・マン 』 -死者と生者の奇妙な語らい-

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