Skip to content

英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

  • Contact
  • Privacy Policy
  • 自己紹介 / About me

タグ: D Rank

『SUNNY 強い気持ち・強い愛』 -オリジナルには及ばないリメイク-

Posted on 2018年9月2日2020年2月14日 by cool-jupiter

SUNNY 強い気持ち・強い愛 50点

2018年9月1日 東宝シネマズ梅田にて観賞
出演:篠原涼子 広瀬すず 板谷由夏 山本舞香 池田エライザ 小池栄子 野田美桜 ともさかりえ 田辺桃子 渡辺直美 富田望生 リリー・フランキー
監督:大根仁

 

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180902205717j:plain

オリジナルは韓流映画の『サニー 永遠の仲間たち』である。それを日本流にリメイクしたのが本作である。すでにオリジナルのレビューで懸念を表してはいたが、ミュージカル映画ではないのだから、エンターテインメント要素を極力排したとしても面白さを維持できるような作品を目指すべきだったのだ。というよりも、特定のデモグラフィックだけをターゲットにすることで、他の観客層を排除しかねない描写や台詞を持ってくる意図がよく分からない。もちろん、過度のバイオレンスやホラー要素、エロティックな描写は、一定の年齢層以下には見せるべきではないだろう。しかし、それとこれとは話は別で、ストーリーを見せたいのか、小室サウンドの宣伝および90年代の懐古主義をやりたいのか、その峻別ができないような作品に仕上がってしまっている。本作を純粋に楽しめる中高大学生が果たしてどれだけいるのだろうか。冒頭近く、久保田利伸の『LA・LA・LA LOVE SONG』が流れ、現在が過去に切り替わるシーンにそのことが凝縮されている。おそらく映画ファン100人に尋ねれば、80人以上が『ラ・ラ・ランド』を思い浮かべた、と答えるであろう。個人的には同作冒頭の高速道路のシーンはあまり好きになれなかったが、今作の歌とダンスシーンはもっと酷い。クオリティが低いわけではない。高い。しかし映画のテーマにそぐわない。ミュージカルでも無いのに、なぜミュージカル風味に仕立てるのか。

尺の関係だろうか、オリジナル版から一人減らしてしまったのも残念至極。これのせいで、芹香(板谷由夏/山本舞香)のかつてのリーダーとしての威厳と面影が蘇ってくるような温かみのある厳しさというものが全カットされてしまった。いくつかの歌と踊りのシーンを削れば、2時間に収まる脚本にできただろう。こうしたところから、本作が小室サウンドのプロモーションなのか、それとも映画という芸術的・文学的表現なのかが判断できないのだ。本作が本当に発するべきだったのは、オリジナルが力強く発していた「あなたは確かに生きていたし、これからも私たちの心の中で生き続ける」というメッセージを日本風に練り直して伝えることであるべきだったのだ。同時に、90年代をまるで輝かしさばかりが目立つ時代に映し、社会問題でもあったブルセラショップや援助交際の描写は抑えめにしていたことも気になった。オリジナルにあった人生や社会の暗部に、同じだけ斬り込めなかったのは何故か。世界は、ロッキー・バルボアの言葉を借りるまでもなく「陽の光や虹だけで出来ているわけでなく、意地汚い場所」(The world ain’t all sunshine and rainbows. It’s a very mean and nasty place.)なのだ。そのことを原作に最も近い形で表現してくれたともさかりえには拍手を贈りたい。

演技の面で言えば、広瀬すずはかなり忠実にオリジナルのシム・ウンギョンをコピーしていた。この点は非常に好意的に評価したい。一方で、淡路島弁が少し、いや、かなりおかしい。淡路島は不思議な地域で、兵庫と徳島の両属のようなもので、だが方言は播州弁と東部岡山弁のちゃんぽんのようなものだ。それが忠実に再現出来ていたかと言うと疑問であったし、さらに奈美(篠原涼子/広瀬すず)を淡路島出身に設定してしまったことが、あるキャラクターのバックグラウンドとそのキャラと奈美の関係に、いささかの矛盾を生んでしまっているような気がしてならない。こればかりは兵庫、大阪、徳島の人間でないと分からないかもしれない。しかし、感じる者にはそう感じられてしまうのだ。

全体として見れば、優れたオリジナル作品を可能な限り忠実に時にはコピーし、時にはトレースし、ところによっては大胆な改変を加えるか、もしくはバッサリと切り落としてしまった作品だ。細かい部分だが、担任の先生の妊娠ネタが全て削られていたり、逆に奈美の兄がエヴァンゲリオンにハマって働きもしないぷータローになっていたり(原作では、過激な労働運動にのめり込むあまり、反政府活動にまで踏み込んでしまっていた)と、ちょっと何かが違うのではないかと思わされる場面が多々あった。現実の社会が不安定であっても、女子高生の友情は不滅だというコントラスト際立つ構図であったはずが、リメイク版では、女子は輝き、少年~青年はオタクになり、オッサンは援助交際に走るという、非常に内向きな論理の世界を見せられてしまった。それが大根仁の解釈なら、それはそれとして尊重する。だが評価はしない。

良く練られたコピーである。しかし、オリジナルの暗さと明るさのコントラスト、世界の美しさと残酷さの対比が再現できておらず、中途半端な歌と踊りでお茶を濁してしまった作品、という印象に留まってしまったのは非常に残念である。観るのならばオリジナルをお勧めしたい。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ヒューマンドラマ, リリー・フランキー, 広瀬すず, 日本, 池田エライザ, 監督:大根仁, 篠原涼子, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『SUNNY 強い気持ち・強い愛』 -オリジナルには及ばないリメイク-

『 ザ・ホスト 美しき侵略者 』 -侵略映画の変化球-

Posted on 2018年8月26日2020年2月13日 by cool-jupiter

ザ・ホスト 美しき侵略者 45点

2018年8月23日 レンタルDVDにて観賞
出演:シアーシャ・ローナン
監督:アンドリュー・ニコル

シアーシャ・ローナン目当てで借りてきたレンタルDVD。人間の体を乗っ取る宇宙生命体の話と言えば、近年の邦画では、まず『散歩する侵略者』が思い浮かぶし、名作漫画原作の『寄生獣』もこのジャンルに分類できるだろう。さらに人間そのものに擬態するものでは古典的名作の『遊星からの物体X』や『ゼイリブ』が外せない。今作のエイリアンは人間のボディを乗っ取ると眼が白く光る。まるで『光る眼』だ。ことほどさように、古今東西のSFのパッチワークになっているのが本作であり、またそのような特徴を併せ持つ作品は、ちょっと大きめのTUSTAYAに行けば軽く50本以上は見つかるであろう。つまり、本作を観る目的は、大雑把に言ってしまえば2つしかない。

1.シアーシャ・ローナンを見ること。

2.雨や風の日、気温が高すぎて出歩けない日の暇つぶし。これである。

本作で少し面白いなと思うのが、メラニー(シアーシャ・ローナン)がしっかりと宇宙人として扱われるところ。物語の序盤過ぎに男だらけのコミュニティに加わることになるのだが、侵略してきたエイリアンとはいえ、人畜無害な若い女子がやってきたら、あっという間に嬲りものにされてもおかしくないように思うが、そこは一応、ライフル片手に叔父さんがグループのイニシアチブを握っているからか。もう一つは、男は女のキャラクターを愛するのか、それとも体を愛するのかという問題。公開間近の『寝ても覚めても』の主題もこれに近そうだ。人は人の外面を愛すのか、内面を愛すのか。人は、中身が人でなくとも外見が人であれば、無節操に愛することができるのか。このあたりは文学よりも、SFこそが追求すべきテーマになっている。なぜなら、人工知能に代表されるようなテクノロジーの進歩は確実に人間の人間性を狭める、もしくは拡張していくからだ。また、パラリンピックの走り幅跳び記録が、追い風参考とはいえ、オリンピックのそれを上回るということは、生身の体を超える可能性を持つ<義体>の萌芽が既にそこに見られるということだ。個人的に最も興味を惹かれたのは『第9地区』でのクリストファー・ジョンソンが茫然と佇立するシーンの焼き直しが本作にあったこと。人間の無慈悲さこそが、人間性の根源にあることを抉りだすシーンだ。

一つ素朴な疑問が。この地球外生命体、いったいどうやって繁殖しているのか。おそらくこの生態では、交配しても生まれてくるのは『寄生獣』と同じく、ホストと同じ生命が再生産されるはず。ソウルの名の通り、人類には及びもつかない方法で生殖しているのか。SFの文法に、論理的(≠科学的)に辻褄が合う世界を創り出すというものがあるが、オカルト・ホラー小説家のリチャード・マシスン著『地球最後の男』的などんでん返しっぽい展開もある。劇場で観賞するにはきついが、自宅でのひまつぶしになら最適だろう。シアーシャ・ローナンのファンであるならば、観ておいて損は無いだろう。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アメリカ, シアーシャ・ローナン, 監督:アンドリュー・ニコル, 配給会社:ハピネット, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 ザ・ホスト 美しき侵略者 』 -侵略映画の変化球-

『プリティ・プリンセス』 -王子様不在のシンデレラ・ストーリー-

Posted on 2018年8月25日2020年2月13日 by cool-jupiter

プリティ・プリンセス 55点

2018年8月23日 レンタルDVDにて観賞
出演:アン・ハサウェイ ジュリー・アンドリュース ヘクター・エリゾンド 
監督:ゲイリー・マーシャル

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180825092540j:plain

原題は”The Princess Diaries”、つまりは『お姫様日記』である。冴えない女子高生のミア(アン・ハサウェイ)は、母と二人暮らし。誕生日に毎年プレゼントだけを贈ってくれる父が亡くなった聞いてから2カ月。親友はいるものの、学校ではカリスマを持っているわけではなく、むしろスピーチコンテストで緊張しすぎて嘔吐してしまうようなタイプである。そんなミアを訪ねて、ヨーロッパから父方の祖母がやって来る。その人こそジェノヴィアの女王クラリス(ジュリー・アンドリュース)であった。ミアの父は実は皇太子で、今や王位継承権はミアにあるとクラリスは言うのだ。王室主催のボール(ダンスパーティ)までにプリンセスにふさわしい立ち居振る舞いを身につけることができるかどうか、ひとまずは訓練する。実際に王位を継承するかどうかはそれから考えればよい。かくしてミアの日常の風景は一変する・・・

何と言ってもアン・ハサウェイの映画初主演である。若い、細い、初々しい。しかし、演技力はすでにある。表情の作り方、話し方の抑揚と緩急、立ち居振る舞い、コメディカルな動き、我々の知るアン・ハサウェイがすでにそこにいる。着替え途中のバスタオルシーンもある。セックスしましたの描写はいくつかの出演作にはあっても、ベッドシーンそのものの描写は少ないハサウェイの、数少ないサービスショットである。ただし、非常に胸糞が悪くなるサービスシーンである。彼女が王位継承者、つまりはセレブとして認められたとしても、学校という、ある意味では究極の閉鎖空間には、外界の常識や知識が及ばないことがある。もちろん、こうした意地の悪い生徒がいるおかげで、ミアのステータスではなく、ミアのパーソナリティを認めてくれる友人の存在が際立つわけだが。他にも、青春のお定まりの、女の友情が見られる。男子校の学生あたりは観ておくべきだ。

そして『サウンド・オブ・ミュージック』のマリア先生との再会。『ゲティ家の身代金』でもクリストファー・プラマーが、わずか2週間という準備期間で完璧とも言える演技を見せてくれたのは記憶に新しい。ジュリー・アンドリュースも同じく、気品ある西ヨーロッパの王国の君主を演じることに成功していた。ほんのわずかな目線や立ち方、歩き方、話し方に現れる女王らしさは、日本の皇室のプリンセスたちよりも、どちらかというと故ダイアナ妃に近い。といっても、おそらく平成生まれの若者にはイメージしづらいかもしれない。美智子様や雅子様、さらには眞子様でもなく、佳子様あたりを思い浮かべれば、何となくわかるだろう。

そしてヘクター・エリゾンド演じるジョーが、この2人を優しく包み込む。こういう男のことをchaperoneと呼ぶ。ナイスミドルにしか出せない味というものがあり、ジョーにはそれが出せている。ミアの親友と、ミアに恋する冴えないイケメン(この名詞にこの形容詞を使えるのが彼の魅力なのだ)も物語に興を添えてくれる。あなたが男性で、いきなり眞子様と結婚することになったら、どう変わってしまうだろうか。また周囲の人間は自分にどう接してくるだろうか。それによって、それまでの関係の本質が炙り出されることがある。それは決して心地よいばかりのものではない。もちろん、これまで自分を歯牙にもかけなかった相手がすり寄って来ることもあり得るし、そのことを好ましく思ってしまうことにも罪は無い。しかし、自分の価値を決めるのは自分自身なのだ。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは「幸福とは、他者の助けなしに達成できるもの」と定義した。こうしてみると、名声や評判、人気というのは、自分の心が決めるものではなく、他者に依存したステータスであることがわかる。『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』でローズを演じたケリー・マリー・トランがSNSで人種差別的な誹謗中傷を受けていたことがニュースになったことを覚えている人も多いだろう。彼女は「自分の心よりも他人の言葉を信じてしまっていた」と言う。こうした状態では、幸福にはたどり着けないのだ。もちろん、ケリーが悪いといっているわけではない。悪いのは差別的な嗜好と思考の持ち主だ。大切なのは、自分が何者であるのかを決めるべきなのは自分自身であるということだ。お姫様という属性を維持するためには、その名に傅く臣民の存在が不可欠だ。そうではなく、自分が姫になるのだという決意こそが幸福に結びつく。ミアの決意はそのことを我々に教えてくれる。さあ、続編も借りてくるとしよう。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, D Rank, アメリカ, アン・ハサウェイ, ジュリー・アンドリュース, ヒューマンドラマ, ヘクター・エリゾンド, ロマンス, 監督:ゲイリー・マーシャルLeave a Comment on 『プリティ・プリンセス』 -王子様不在のシンデレラ・ストーリー-

『主人公は僕だった』 -ライトノベル風味のタイトルに騙されることなかれ-

Posted on 2018年8月23日2020年2月13日 by cool-jupiter

主人公は僕だった 55点

2018年8月18日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ウィル・フェレル マギー・ギレンホール ダスティン・ホフマン クイーン・ラティファ エマ・トンプソン
監督:マーク・フォースター

原題は”Stranger Than Fiction”、小説よりも奇なり、の意である。国税庁の会計監査員のハロルド・クリック(ウィル・ファレル)は寝る時間から起きる時間、歯磨きの時の縦方向と横方向のストロークの数まで決まっている真正の型物である。ある時、いつも通りのルーティンをこなしていると、どこからか自分の物語を描写するナレーションが聴こえてくる。幻聴かと思ったハロルドはカウンセリングを受けるも、問題は解決しない。ある時、時計が突如故障し、街頭で見知らぬ人に時刻を訪ねたハロルドだが、「この一見、何の変哲もない行為が、死につながるとはハロルドには知る由もなかった」というナレーションを聴いてしまう。文学者のヒルバート教授(ダスティン・ホフマン)に相談したハロルドは「人生は悲劇か喜劇。死にたくなければ喜劇を生きろ」とのアドバイスを受ける。そして、税金を確信犯的に部分滞納する菓子職人のアナ・パスカル(マギー・ギレンホール)と恋人同士になるのだが・・・

どこかで見たり聞いたり、あるいはゲームとしてプレーしたこともあるような内容である。2006年製作の映画だが、それでもプロットとして真新しいものはない。妻が借りてきたDVDだが、10年ぐらい前にWOWOWか何かで観たことを覚えていた。冒頭からのナレーション(エマ・トンプソン)の非常に典型的なスタンダード・ブリティッシュ・イングリッシュが印象的だ(ちなみに最もオーソドックスなブリティッシュ・イングリッシュは『ハリー・ポッター』シリーズで聴くことができる)。アメリカ映画でブリティッシュ・イングリッシュが聞こえてきたら、たいていその話者は悪者だ。このあたりのクリシェにアメリカという国の潜在意識を垣間見ることができる。本作は、もしも自分の人生が誰かの創作物で、自分の命が自分の意図しない時、場所、方法で奪われるとしたら、一体どうすべきなのかを問う。大袈裟に解釈すれば、被造物たる人間が、創造主たる神に文句を言うべきか否かということである。それが大袈裟すぎるというのなら、『ターミネーター2』におけるサラ・コナーを思い浮かべてほしい。”No fate but what we make”=自分たちで作りだすもの以外に運命など無い、の精神である。

コメディとしては弱いし、原題通りの小説映画として捉えるべきである。日本で言えば、竹本健治、山口雅也、牧野修あたりが本作のようなプロットを思いつきそうだ。我々が小説のページを繰る時、物語の結末はすでに決定されているのだろうか。それとも、我々が読み進むにつれて、物語も紡がれていくのだろうか。もし自分の人生の結末を知ってしまったら、または知る機会を与えられたとしたら、あなたはどう生きるか、またはどう死ぬのか。人生はしばしば線路に譬えられる。電車は自分からは線路を外れられない。しかし、運転士ならばそれができる。運命にその身を委ねるのか、それとも運命にも抗うのか。生きることに疲れた人が、雨の日や強風の日に自宅でゆっくり鑑賞するのに適した一本である。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, D Rank, アメリカ, ウィル・フェレル, コメディ, ダスティン・ホフマン, 監督:マーク・フォースター, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメントLeave a Comment on 『主人公は僕だった』 -ライトノベル風味のタイトルに騙されることなかれ-

『アイ、ロボット』 -近未来にあり得たかもしれない世界への警鐘-

Posted on 2018年8月22日2020年2月13日 by cool-jupiter

アイ、ロボット 45点

2018年8月13日 レンタルDVD観賞
出演:ウィル・スミス ブリジット・モイナハン ブルース・グリーンウッド アラン・テュディック
監督:アレックス・プロヤス

採点はあくまで現在の視点からによるもの。ある程度、アンフェアであることは意識している。AIの発展・発達が目覚ましく、一方で人型ロボットの開発は端緒についてから久しいものの、人間のような動きをすることができるロボットを生みだすことの難かしさばかりを研究者は思い知らされるばかりだと言う。技術の進歩は曲線的に、しかも我々に思い描いていたのとは異なる方向に進むのが常であるようだ。『2001年 宇宙の旅』が描いた世界は到来しなかったし、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が描き出した2015年はやってこなかった。漫画『ドラえもん』や『火の鳥 生命編』を挙げるまでもなく、我々はロボットの到来と進化を予測していた。それは巨匠アイザック・アシモフにしても同じだったわけだが、ロボットという存在に対して我々は心のどこかに生理的な嫌悪感を抱くようにプログラムされているのかもしれない。いわゆる「不気味の谷現象」である。このことにいち早く気が付いていたクリエイターの一人にアレックス・ガーランド監督で、その作品の『エクス・マキナ』はまさに不気味の谷現象を我々に引き起こす。『ターミネーター』もこの系列の作品と呼んでも差し支えはなさそうだ。本作も同じで、スプーナー刑事(ウィル・スミス)も「何故こいつらに顔をつけた?」とカルヴィン博士(ブリジット・モイナハン)に問いながら、ロボットに発砲するシーンがある。観る者に嫌悪感を催させるシーンで、その嫌悪感は顔のあるロボットを破壊することから来るのではなく、中途半端に人間に似ているものが存在することから来るのだ。ゾンビがその好例だ。我々は死んでいるはずのものが動くから恐れるのではない。ゾンビという人間の姿かたちをしたものが、およそ人間らしさを感じさせない動きを見せるところに、我々は不安と恐怖を掻き立てられるのである。実際に、Jovianが本作で最も嫌悪感や恐怖感を催したシーンは、『BLAME!』の大量のセーフガードさながらに、人間の形をしたロボット群が昆虫のような動きで建物の外壁をよじ登るところであった。

本作の主題はロボット三原則であるが、その奥に潜むテーマは複雑多岐である。上に挙げたような手塚作品のビジョンもあれば、『ブレードランナー』にも通底する人間と非人間の境、人間と非人間の混じり合うところ、人間と非人間の交流もある。このような世界が数年というスパンで到来することは到底なさそうだが、ありうべき他の世界線として考えるならば、全ての優れたSFがそうであるように、思考実験の場と機会を提供してくれるものとしての価値は十分にあった。

難点はあまりにもCGのクオリティが低いこと。同時代に観賞する分には良かったのだろうが、それでも本作に先行して作られた『マイノリティ・リポート』の方が遥かに自然に近いCGが見られたことから、残念ながら減点が生じてしまう。

カルヴィン博士はアンセル・エルゴートとシャーリーズ・セロンを足して2で割ったような顔が印象的。そんなに映画は出てないのね。妙に存在感があって、良い女優さんだと思うので、もう少しスクリーンに出てきてほしいものである。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2000年代, D Rank, SFアクション, アメリカ, ウィル・スミス, 監督:アレックス・プロヤス, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『アイ、ロボット』 -近未来にあり得たかもしれない世界への警鐘-

『キャビン』 -クリシェ満載の異色面白ホラー-

Posted on 2018年8月17日2019年4月30日 by cool-jupiter

キャビン 55点
2018年8月14日 レンタルDVD観賞
出演:クリステン・コノリー クリス・ヘムズワース アンナ・ハッチソン リチャード・ジェンキンス ブラッドリー・ウィットフォード
監督:ドリュー・ゴダード

夏と言えばホラー映画である。近所のTSUTAYAでおススメの表示があったので、借りてみた。原題は”The Cabin in the Woods”、「森の中の小屋」である。『死霊のはらわた』でお馴染みのシチュエーションである。というか、星の数ほどあるホラーの中でA Cabin in the woodsほど分かりやすい状況も無い。人里離れた小屋の中もしくは周囲で一人また一人と死んでいき、その場の人間は疑心暗鬼になり・・・というやつだ。ところが、本作が凡百のホラーと一線を画すのは、小屋を目指して出発するダンジョンもグループを監視する一味が存在することである。

本作については、プロットを説明することが難しい。理由は主に二つ。一つには、そうする意味が全くないほどホラー映画の文法に則った展開だらけ、つまりクリシェだらけであるから。もう一つは・・・、こればかりは本編を観てもらうしかない。なぜなら、ほんの少しでもその理由を説明すると、それが即、ネタバレになりかねないからである。

 いくつか類縁というか近縁種であると言えそうな作品を挙げると、クライヴ・バーカーの小説『ミッドナイト・ミートトレイン 真夜中の人肉列車 血の本』およびその映像化作品『ミッドナイト・ミート・トレイン』、さらにはアーネスト・クラインの小説を原作とする『レディ・プレーヤー1』などがある。

ホラーが好きでたくさん見ているという、言わば上級者が本作を観れば狂喜乱舞するだろう。一方でホラー映画などは一切観ませんという初心者にも、ある意味で安心して進められる作品である。なぜならホラーの入門編として最適だからである。この辺は上述の『レディ・プレーヤー1』に似ていて、まさか『シャイニング』が重要なパーツを構成しているなどとは、誰も予想だにしなかっただろう。

ここからは白字で。本作は最後の最後にシガニー・ウィーバーが現れ、クトゥルー神話さながらの世界の真実を語るが、残念ながら数多登場する怪物の中にエイリアンは見当たらなかった。しかし、そうなるとすぐに『ゴーストバスターズ』(1984)のデイナに見えてくる。そうすると、ズールに思えてくるから不思議なものだ。エンディングは映画版ではなく小説の『ミスト』(スティーブン・キング)を彷彿とさせる。それにしてもドリュー・ゴダードはよほどこういうのが好きなのだな、と感じてしまう。『クローバーフィールド/HAKAISHA』でも、最後に地球に降って来ていたのは、ヴェノムなのか?と囁かれたり。

まあ、あまり深く考えずにクリス・ヘムズワースの若さやクリステン・コノリーの可愛らしさに注目するだけでも良いだろう。しかしまあ、これを機にホラー映画ファンになった人は、幸せなのやら不幸せなのやら・・・

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, クリス・ヘムズワース, クリステン・コノリー, ホラー, 監督:ドリュー・ゴダード, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『キャビン』 -クリシェ満載の異色面白ホラー-

『ラ・ラ・ランド』 -LAの街に夢を見る者たちの苦悩と幸福の物語-

Posted on 2018年8月4日2019年11月28日 by cool-jupiter

ラ・ラ・ランド 55点

2018年8月1日 WOWO録画観賞
出演:ライアン・ゴズリング エマ・ワトソン J・K・シモンズ ローズマリー・デウィット ソノヤ・ミズノ 
監督:デイミアン・チャゼル

『セッション』のJ・K・シモンズ演じるフレッチャーに違う形で再会してみたいと思い、本作を見返す。タイトルの『ラ・ラ・ランド』は、原題でも“La La Land”、LA=Los Angelesでもあり、現実から遠く離れたファンタジーの世界であり、そうした世界に住まう恍惚感を表わすTriple Entendreなのである。

ジャズ・ピアニストとして自分の店を持ちたいと願うセブ(ライアン・ゴズリング)と女優として大成したいと望むミア(エマ・ワトソン)は、最悪の形で出会いながらも、互いの夢へのリスペクトから惹かれ合うようになる。しかし、夢を追いかけるミアと、ミアとの将来のために、ジャズの店ではなく売れ筋バンドでの演奏を選択するセブは、すれ違い始める・・・

主題は至ってシンプルである。しかし、我々に投げかけられる問いは重く深い。男と女、お互いの夢を追求することがお互いの関係を疎遠にしてしまう時、自分なら何を選択するのか。相手の夢を叶えるサポートをしたいと心から願うのか。そのためには自分の夢をあきらめることも厭わないのか。しかし、自分が夢をあきらめることを、自分のパートナーが認めてくれない時、自分はどうすればよいのか。何もミュージシャンや俳優志望でなくとも、普通に誰にでも起こりうる事象である。Jovian個人としては、ミアが最後に夢見たラ・ラ・ランドのあまりの都合の良さに正直なところ、辟易してしまったが、逆にそうした一瞬のまどろみの中に見出した、ありうべきだった幸福な生活のビジョンこそが、観客へのメッセージだとの見方も成り立つ。夢よりも現実の幸せを選べ、と。いや、セブが最後に見せた一瞬の表情の陰りこそがメッセージなのかもしれない。自分こそが彼女の夢の後押しをしてしまったのだ、と。いずれにせよ、歌と踊りに彩られた華やかさの裏には、ほろ苦い悔恨の念がある。様々な意味を持つラ・ラ・ランドという言葉だが、本作が最も提示したかった意味はファンタジー世界のことだったのかもしれない。

J・K・シモンズは、『セッション』のノリと同じく、口うるさいレストランの支配人で、ジャズを何よりも愛するセブに、クリスマス・ソングを演奏しろとプライドを傷つける要求をする。セブのちょっとした反骨心に火がついてしまった時には、あっさりとクビを言い渡す。ほんのちょっとしたやり取りに、フレッチャーの姿がちらついてしまうのは、それだけの怪演、本人からすれば会心の演技だったからだろうか。

それにしても本作はゴズリングに尽きる。「ジャズは死につつある!」と、まるで「哲学は死につつある!」などと叫ぶ真面目過ぎる学徒の如く熱弁を振るう様に、究極的なギークの姿を見出せるが、それを微塵も感じさせず、逆に女性を惹きつけてしまうのだから大したもの。『博士と彼女のセオリー』でも、花火を見ながらホーキングが物理学を語って、女性を口説くシーンがあったが、ギークであっても、いや、ギークだからこそ惹きつけられる女性もいるのか。共通点は、どちらの映画でもヒロインは結局主人公の元を去ってしまうということ。

色々と示唆に富む映画で、観るたびに発見がありそう。『グレイテスト・ショーマン』とは違って、囁くような、呟くような歌が多いのもポイント高し。TOHOシネマズ梅田のDOLBY ATMOSでいつか再上映やってくれないかな。2800円でもチケット買うよ。

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, D Rank, J・K・シモンズ, アメリカ, エマ・ワトソン, ミュージカル, ライアン・ゴズリング, 監督:デイミアン・チャゼル, 配給会社:ギャガ, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『ラ・ラ・ランド』 -LAの街に夢を見る者たちの苦悩と幸福の物語-

『(r)adius』 -ひとひねりは効いているが、着地に失敗したSFスリラー-

Posted on 2018年7月30日2020年1月10日 by cool-jupiter

(r)adius 40点

2018年7月28日 レンタルDVDにて観賞
出演:ディエゴ・クラテンホフ シャーロット・サリバン
監督:キャロライン・ラブレシュ スティーブ・レナード

リアム(ディエゴ・クラテンホフ)は交通事故に遭い、負傷していた。気がついた時には見知らぬ土地にいて、記憶を失っていた。そして、自分の半径15mに近づいてきた動物(植物や微生物は無事らしい)は、白目をむいて即死することに気づいた。そんな中、自分に近づいても死なない女性ジェーン(シャーロット・サリバン)と出会う。ジェーンもまた記憶を失っていたが、2人は元々一緒に行動していたらしいことが分かる。一緒にいれば、謎の即死現象が中和されることに気づいた2人は、警察その他から逃れるべく、逃亡を開始するが・・・

どこかジョニー・デップとシャーリーズ・セロンの『ノイズ』を思わせる雰囲気があったりと、予備知識ほぼゼロの状態で観ていたため、序盤の展開にはスッと入っていくことができた。記憶喪失物というのは、小説であっても映画であっても、始まりはたいてい面白いと決まっているのである。問題は、記憶を取り戻す方法とタイミングだ。もちろん、そこにも『ジェイソン・ボーン』式のきっかけとともに小出しで思い出していく方式、『メメント』式の終盤一気の思い出し方(というか説明の仕方か)、装置を使って思い出す『トータル・リコール』方式など、こちらも記憶喪失ジャンルと同様にある意味で確立されていると言える。残念なのは本作の記憶喪失とその記憶の取り戻し方が、あまりにもご都合主義過ぎるところ。良かったところは、失われた記憶が蘇ったことで分かるリアムとジェーンの本当の関係の意外性。しかし、この映画の最も残念な点は、テーマを絞り切れなかったところであろう。主題は分かりやすい。半径15m以内の生物を問答無用で即死させてしまう謎の現象だ。しかし、テーマが薄い。というか分散させすぎである。ジャンル分けするとすれば、SFであり、スリラーであり、記憶喪失物であり、ロードムービー的要素もあり、ロマンス要素もある。敢えて絞るとすると、良心への目覚めということになるのだろうか。しかし、タイトルにもある(r)adius=半径について、もっともっと深掘りするべきだし、観る側はそれを期待する。エレベーターのシーンはサスペンス感があったが、他にも例えば、リアム一人でボートで湖にこぎ出してたんまり魚をゲットしてくるなど、二人の逃避行にもっとほのぼのとした要素を入れてくれないと、オチとの落差があまり感じられず、結果的に着地で失敗したとの印象だけが強めに残った。誰も漫画の『B-SHOCK!』みたいなのは期待していないのだから。

もともと梅田のシネリーブルの未体験ゾーンの映画たちの一つとして公開されていた当時、都合がつけられず劇場鑑賞ができなかった。まあ、レンタルで観て、それなりに満足したということで、良しとしようではないか。ちなみに本作のジェーンは、ジェーン・ドウ=Jane Doeから来ている。身元不明の女性はジェーン・ドウなのだ。ちなみに男になるとジョン・ドウ=John Doeとなる。『マイノリティ・レポート』でトム・クルーズが一瞬言及するシーンがあるので、熱心なトム様ファンは見返してみてもいいかもしれない。直近では『ジェーン・ドウの解剖』、近年だと『ブラック・ダリア』がジェーン・ドウものの秀作かな。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, カナダ, シャーロット・サリバン, ディエゴ・クラテンホフ, 監督:キャロライン・ラブレシュ, 監督:スティーブ・レナード, 配給会社:アットエンタテインメントLeave a Comment on 『(r)adius』 -ひとひねりは効いているが、着地に失敗したSFスリラー-

『ジュラシック・ワールド 炎の王国』 -堕ちた王国の主とは恐竜なのか人間なのか-

Posted on 2018年7月16日2020年2月13日 by cool-jupiter

ジュラシック・ワールド 炎の王国 50点

2018年7月14日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:クリス・プラット ブライス・ダラス・ハワード ジェフ・ゴールドブラム B・D・ウォン
監督:J・A・バヨナ

  • ジュラシック・パークおよびジュラシック・ワールドのネタバレあり

原題は“Jurassic World: Fallen Kingdom”映画単体として見れば35点、『ジュラシック・ワールド』3部作の中間地点としてみれば50点だろうか。冒頭から海中を探査艇らしき乗り物が行く。何をしているのかと思えば、前作でモササウルスに食べられたはずのインドミナス・レックスの骨(正確にはそこに含まれる遺伝情報)を採取しようとしている。まず、なぜあんなにきれいな骨格標本が海底に横たわっているのだろうか。モササウルスは特殊な排泄の仕方でもするというのか。暗い海中のシーンは、物語全体が見通しの効かないものになるというEstablishing Shotとして意図されたものだろう。それはトレイラーでしこたま流されていた火山噴火の予兆のシーンも同様で、もくもくと湧きあがる噴煙、降り注ぐ土石が、その後のストーリーの薄暗さと衝撃を予感させていた。そしてその期待は、あくまで期待通りで、それを上回ることは無かった。

『ジュラシック・パーク』および『ジュラシック・ワールド』の舞台となったイスラ・ヌブラル島の火山活動が活発化し、早晩、島は溶岩に飲み込まれてしまうことが予想された。前作でワールドの責任者をしていたクレア・ディアリング(ブライス・ダラス・ハワード)は今は恐竜保護を議会に訴えるロビー活動をしていた。しかし、イアン・マルカム(ジェフ・ゴールドブラム)の議会での証言もあり、結果、アメリカ議会は恐竜を保護しないことを選択。そこにベンジャミン・ロックウッド(ジェームズ・クロムウェル)がパトロンとなっての民間による恐竜救出作戦が立案されていた。クレアはラプトルのブルーの育ての親であるオーウェン・グレイディ(クリス・プラット)を訪ね、作戦参加を頼み込む。かくして役者は揃い、一行は空路で島へ。

火山活動のシーンや、恐竜たちが逃げ惑うシーン、またブルーとクリスの再会シーンなどは特に強く印象に残る。その一方で、やっていることは『ジュラシック・パーク』時代から変わることなく、『恐竜を蘇らせる』、『新しい種類の恐竜を人為的に生み出す』、『その恐竜たちを使って金儲けを画策する』である。もちろんシリーズの各段階において、それぞれ独自のテーマがあった。私的な解釈に過ぎないが、『ジュラシック・パーク』のそれは“科学は生命を制御できるのか”、『ロスト・ワールド』のそれは“生命の強かさと人間の業”、『ジュラシック・パークⅢ』のそれは“人間の業の深さ”、『ジュラシック・ワールド』のそれは“自然の力の大きさと人間の小賢しさ”であった。つまり、テーマが循環しているのである。もちろん、時代に応じた科学力の進展と一般への知識の普及が進むたびに、新たな解釈が施されてきたのが本シリーズではあるが、それにしてもあまりにも同じテーマを繰り返しすぎていないか。そんな声を上げたくなるのはJovianだけではないだろう。というわけで、今作は「それをやっちゃあ、お仕舞いよ」という展開を持ってくる。どれくらいお仕舞いなのかはケン・グリムウッドの小説『リプレイ』並みにお仕舞いよ、である。他にも、永井するみだったか岡嶋二人だったかの、コンピュータウィルスと人類が緩やかに、ある意味幸せに共存せざるを得なくなった軽めのディストピア小説も彷彿とさせる展開である。その小説に心当たりがあるよという方がもしいらっしゃったら、ご一報を頂けますと幸いです。

Back on track. クリス・プラット。素晴らしい。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のディカプリオ的な動きで魅せる。不謹慎にも笑ってしまった。

ブライス・ダラス・ハワード! 私見では、アメリカ人女優で演技力ナンバーワンはジュリアン・ムーア、それに続いて行きそうなのはジェシカ・チャステインなのだが、ハワードは彼女らの追撃組というか、TOP25に入ってきそう。初見は『ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜』だったが、一部のダメ作品を除いて、出る映画を上手に選んでいる印象。

トビー・ジョーンズ。この人が出ると、それだけで画がコメディタッチに見えるのは何故なのか。『ベイビー・ドライバー』での地下の武器商人役といい、今作といい、traffickingが似合う男である。

B・D・ウォン。彼すらも、今作では何かより大きな嵌め絵の一つのコマであったようだ。今作ではジェフ・ゴールドブラムにその座を奪われたが、前作はこの人の再登場あってこそ、『ジュラシック・ワールド』は『ジュラシック・パーク』のリブートではなく正統的なシークエル足り得た。

ジェフ・ゴールドブラム。今でもベスト・パフォーマンスは『ザ・フライ』だと考えているが、『ジュラシック・パーク』でのニヒリスティックなチャラ男キャラも捨てがたい。今作は、年齢もあろうし、事態のシリアスさもあるのだろうが、『グランド・ブダペスト・ホテル』の代理人的なジョークとも大真面目とも捉えられる印象的な台詞を披露してくれる。続編への登場は間違いないと思ってよいのだろう。

アニメ版ゴジラと同じく、単体として見ると評価しづらい。純粋に三部作の中間地点と思って観賞するべし。さらに深いテーマの考察-KingdomとはAnimal Kingdom(ダブルミーニング!)なのか、人間の築き上げた文明世界のことか、それともレックス=王よりも強い恐竜の誕生を示唆しているのか-などに頭を使わなければ、週末の時間つぶしに好適な一本に仕上がっていると言える。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アメリカ, クリス・プラット, ジェフ・ゴールドブラム, ブライス・ダラス・ハワード, 監督:A・J・バヨナ, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『ジュラシック・ワールド 炎の王国』 -堕ちた王国の主とは恐竜なのか人間なのか-

『ザ・ウォール』 -壁が隔てる自己と非自己-

Posted on 2018年7月14日2020年2月13日 by cool-jupiter

ザ・ウォール 55点

2018年7月10日 レンタルDVD観賞
出演:アーロン・テイラー=ジョンソン ジョン・シナ
監督:ダグ・リーマン

ストーリーは至ってシンプルである。イラク戦争に従軍するアメリカ兵のアイザック(アーロン・テイラー=ジョンソン)とマシューズ(ジョン・シナ)が、謎の狙撃手に攻撃され、マシューズは被弾し、動けない。アイザックも何とかボロボロの壁の反対側に身を隠すことで狙撃を逃れそうとするも、敵は相当の腕っこき。壁から少しでも身を晒そうものなら、一瞬で撃ち抜かれてしまうだろう。無線で救助を要請するも、相手の英語のアクセントに違和感を覚えたアイザックは、その声こそ自分たちを狙撃してきた伝説のイラク狙撃兵“ジューバ”であることを悟る・・・

物語の大部分はアイザックとジューバの対話に費やされる。ジューバは一方的に有利な位置にいるからなのか、やたらと饒舌で、アイザックの個人情報、プライバシーの情報をやけに知りたがる。それが単なる好奇心からなのか、それともより深い狙いがあるのかをアイザック、そしてアイザックを見守る我々も分かりかねてしまうが、真相を知った時に、我々ははたと膝を打たざるを得なくなってしまう。そうした効果がここにはある。傷、出血、食糧の不足と水の不足、無線の故障から来る情報およびコミュニケーションの欠乏、それら全てがアイザックを蝕んでいく。そこからアイザックとジューバの対話が本格化するのだが、そこからアイザックは何故自分が従軍しているのか、何故自分はイラクにいるのか、その理由と向き合わざるを得なくなってく。こうした手法は『ALONE アローン』にも取り入れられていたし、イラク戦争がアメリカ人の精神に与えた陰影の深さは『告発のとき』や『ゼロ・ダーク・サーティ』などの傑作でも確認することができる。『オレの獲物はビンラディン』のような珍品というか怪作というか、思わぬ掘り出し物もあるのだが。

ジューバとの対話が佳境に差し掛かる頃、壁はもはや単なる防御壁や目くらましではなく、アイザック自身の狭隘な心の壁の象徴として彼自身にも、そして彼を見守る我々にも立ち現われてくる。我々がどれだけ他者を忌避し、なおかつどれだけ他者との交わりを求めているのかを栗本薫は喝破していたが、飢えや渇きよりもコミュニケーションの欠乏の方が人間、なかんずく現代人に与えるダメージは大きい。そのことを回りくどい方法ではあるが、本作は突き付けてくる。

ジューバの存在は実話だが、物語そのものは大幅に脚色されている、というよりもほぼ創作の域に達している。しかし、ダグ・リーマン監督が本作で提示する結末は、「壁」というものが本当はどんな役割を担っているのか、壁がここで象徴するのは内と外、あちら側とこちら側の境目以上のものだ。トランプ大統領がメキシコ国境に打ちたてようとしている壁は、本当は何と何を隔てようとしているものなのか、その壁によっても隔てようがないものとは何なのか。やや冗長もしくは退屈に感じる瞬間もあるが、アーロン・テイラー=ジョンソンの独擅場を堪能したい向きには必見である。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アーロン・テイラー・ジョンソン, アメリカ, サスペンス, ジョン・シナ, 監督:ダグ・リーマン, 配給会社:プレシディオLeave a Comment on 『ザ・ウォール』 -壁が隔てる自己と非自己-

投稿ナビゲーション

過去の投稿
新しい投稿

最近の投稿

  • 『 秒速5センチメートル(2025) 』 -男の女々しさを描き出す-
  • 『 ハンサム・ガイズ 』 -ホラーとコメディの融合作-
  • 『 隠された爪跡 』 -日本人は外国人と共生不可能か-
  • 『 ワン・バトル・アフター・アナザー 』 -革命はテレビで放送されない-
  • 『 ラテン語でわかる英単語 』 -校正と編集に甘さを残す-

最近のコメント

  • 『 i 』 -この世界にアイは存在するのか- に 岡潔数学体験館見守りタイ(ヒフミヨ巡礼道) より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に cool-jupiter より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に 匿名 より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に cool-jupiter より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に イワイリツコ より

アーカイブ

  • 2025年10月
  • 2025年9月
  • 2025年8月
  • 2025年7月
  • 2025年6月
  • 2025年5月
  • 2025年4月
  • 2025年3月
  • 2025年2月
  • 2025年1月
  • 2024年12月
  • 2024年11月
  • 2024年10月
  • 2024年9月
  • 2024年8月
  • 2024年7月
  • 2024年6月
  • 2024年5月
  • 2024年4月
  • 2024年3月
  • 2024年2月
  • 2024年1月
  • 2023年12月
  • 2023年11月
  • 2023年10月
  • 2023年9月
  • 2023年8月
  • 2023年7月
  • 2023年6月
  • 2023年5月
  • 2023年4月
  • 2023年3月
  • 2023年2月
  • 2023年1月
  • 2022年12月
  • 2022年11月
  • 2022年10月
  • 2022年9月
  • 2022年8月
  • 2022年7月
  • 2022年6月
  • 2022年5月
  • 2022年4月
  • 2022年3月
  • 2022年2月
  • 2022年1月
  • 2021年12月
  • 2021年11月
  • 2021年10月
  • 2021年9月
  • 2021年8月
  • 2021年7月
  • 2021年6月
  • 2021年5月
  • 2021年4月
  • 2021年3月
  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月
  • 2020年6月
  • 2020年5月
  • 2020年4月
  • 2020年3月
  • 2020年2月
  • 2020年1月
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月

カテゴリー

  • テレビ
  • 国内
  • 国内
  • 映画
  • 書籍
  • 未分類
  • 海外
  • 英語

メタ情報

  • ログイン
  • 投稿フィード
  • コメントフィード
  • WordPress.org
Powered by Headline WordPress Theme