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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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『 娼年 』 -性愛を通じての承認-

Posted on 2018年5月26日2020年2月13日 by cool-jupiter

娼年 65点
2018年4月30日 大阪ステーションシティシネマにて観賞
主演:松坂桃李
監督:三浦大輔

賛否両論入り乱れる本作だが、自分としては好意的に評価したい。この作品が焦点を当てているのは様々なセックスではなく、様々な満たされない人、様々な日蔭者、様々な虐げられている者たちではないか、と感じたからである。これはまさに『 シェイプ・オブ・ウォーター 』が是々非々の意見にぴったりと別れてしまったように、観る側が何を見るのか(何を見たがっているのか)によって、作品そのものの見え方も大きく変わってしまう好個の一例と言える。作品の多面性や奥深さの証明になるからだ。

松坂演じるリョウはバーでバイトしながら、大学にもあまり顔を出さず、特に決まった交際相手も持たず、お気楽に暮らしていた。そこへ中学の同級生が御堂静(真飛聖)を伴ってバーへやって来る。そしてひょんなことから御堂にスカウトされたリョウは娼婦ならぬ娼年としての生き方を模索するようになる・・・

ここで「なんだ、松坂桃李が次から次に客を抱いていくだけの話か」と思うなかれ。彼が出会う女性は皆、心の隙間とも言うべきものを抱えており、セックスはそれを埋めるための一つの手段にすぎない。最も分かりやすいのは最初の顧客、大谷麻衣演じるヒロミだろう。課題は、年上の女性に欲情できるかではなく、年齢と魅力は決して反比例するわけではない、ということを再確認させてやることなのだ。某レビューで「出来の悪いAVを見せられているようだ」というものがあったが、それはあまりにも皮相な見方であると思う。

松坂桃李の大学生役というのは少々無理があるのではないかと思ったが、不思議のもので桜井ユキと並ぶことで、かなり違和感が緩和された。『 今日、恋をはじめます 』で武井咲と並んだ時には、どう頑張っても高校生に見えなかったが、このあたり、まさにキャスティングの妙であると言える。

もしもあなたが自分の心に空虚さを感じるのであれば、性別・年齢を問わず、本作が何某かの正の影響を与えてくれるだろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, ロマンス, 松坂桃李, 監督:三浦大輔, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 娼年 』 -性愛を通じての承認-

『 GODZILLA 決戦機動増殖都市 』 -奇を衒い過ぎたゴジラ映画-

Posted on 2018年5月24日2020年2月13日 by cool-jupiter

『GODZILLA 決戦機動増殖都市』 65点
2018年5月21日 東宝シネマズ梅田にて観賞
主演:宮野真守(ハルオ役)
監督:静野孔文 瀬下寛之

* 本文中でネタバレになるような部分は白字で記入

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180524090114j:plain

非常に評価が難しい作品である。劇場で観賞中、「面白いじゃないか」と感じている自分と「はぁ?」と感じている自分が同居していたからだ。近いうちに『 GODZILLA 怪獣惑星 』(45点ぐらいに思えたが、再採点の要ありと認む)をレンタルで観て、もう一度劇場で観賞したいと思う。それから追記するのも、それはそれでありだろう。

まずはポジティブな感想から。ストーリー全体を通して、非常に明確にテーマを打ち出している。今作のテーマは2つ。人とは何か。そして怪獣とは何か。前作の段階では、なぜ二万年後の世界なのか、なぜ宇宙人との邂逅と交流が描かれなければならないのか、釈然としないまま物語が進んだが、今作ではその理由が明らかになる。人が人たる所以は、人間らしさを発揮できるということだ。Human であることの条件は humane であることだ。フツアの民を原始人と見下すビルサルドは、自らの肉体と精神に対してすら不寛容であることを貫く。この一貫性は観る者にショックを与えると同時にカタルシスももたらす。なぜなら自分たちと彼らとは違う人間なのだ、と自分を安心させることができるからだ。人間らしさとは寛容であるべき対象と不寛容であってもいい対象を選り分けるのだ。同じことはエクシフにも当てはまる。彼らの神を信じる者を増やすべく前作から謎の布教活動に勤しんでいるが、その意図の裏にあるものが本作では垣間見られた。一応それが何であるのか明示されるのかがエンドクレジット後に明かされるので、最後まで席を立たないように(ただし、そこで言及されるものの正体に全く見当がつかないという人は、そもそもこの作品を観る資格がまだないのかもしれない)。ここでも、種族を超えて共通の神を信じる者が人間であるという、寛容と不寛容の同居が見られる。このことが、おそらく2つ目のテーマ、怪獣の怪獣性に関わっている。ゴジラ映画に特に代表される怪獣の怪獣性とはハイデガー哲学の世界の世界性みたいなもの、と解してよい。怪獣という存在に接するとき、人は憂慮する。なぜなら怪獣は、世界を破壊するからだ。それは時に、原水爆の恐怖(初代ゴジラ)であったり、公害による環境破壊(ヘドラ)であったり、自然災害と人災(シン・ゴジラ)といった形で立ち現れる。本アニメシリーズでは、怪獣は人間を超える者として描かれる。科学技術の埒外、宗教などの精神世界の領域、生物と非生物の境界線上の存在として現れてくる怪獣は、それに接する者に解釈を委ねる。これは庵野監督がシン・ゴジラで取った方法論と共通している。シン・ゴジラのシンに漢字を当てるなら?という問いに長谷川博己と竹野内豊は神の字を、石原さとみは芯の字を、松尾諭は進の字をあてていた。個人的には侵または震の字をあてている。斯様に人によって解釈が別れるのが怪獣の怪獣性たる所以で、前作ではっきりとしなかったゴジラという<存在>の<存在性>がハルオたちだけではなく観る者にも突き付けられてくるのが本作の魅力になっている。

ここからはネガティブな感想を。斬新性とは裏腹に、あまりにもどこかで観たことがある要素が多すぎる。加古作品へのオマージュであればよいのだが、どうもそうではないらしい。まずヴァルチャー。名前を聞いた瞬間に、マイケル・キートンか?と思ってしまった。さらにその性能や見た目も『 アイアンマン 』シリーズのウォーマシンのようだ。また決戦機動増殖都市というタイトルから『 BLAME! 』か?と連想したら、本当にそれっぽいものだった。もしくはエヴァンゲリオンの第三東京市か。フツアの民も、もののけ姫+小美人にしか見えなかった。またGODZILLAそのものもシン・ゴジラを想わせるフォルムで、それはそれで悪い選択ではないが、アニメ作品であり、これだけ独自の解釈を施した作品でもあるからには、もっと新しいゴジラの側面を見てみたかった。メカゴジラは、ゴジラ世界の文法からは外れているが、広く日本の漫画やジャパニメーションの文脈には合致するものであり、本家本元のゴジラも多少は時代に合わせたアップデートがあってもいい。もう少しだけオリジナリティを持ったゴジラと出会いたかった。

本作は三部作の2つ目にあたる。卵、双子、小美人、神と言えば<彼女>しかいないし、星を滅ぼす存在、金色、三つ首と言えば、アイツしかいない。つまり、次作で〇〇〇とも◎◎◎とも我々は出会えるわけだ。そのことに一抹の不安を抱きつつも、喜ばない、興奮しない理由はまるで見当たらない。2018年11月を首を長くして待ちたい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, アニメ, 宮野真守, 日本, 監督:瀬下寛之, 監督:静野孔文, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 GODZILLA 決戦機動増殖都市 』 -奇を衒い過ぎたゴジラ映画-

『 いぬやしき 』 -人間の在り方、命の使い方を追窮する-

Posted on 2018年5月17日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:いぬやしき 65点
場所:2018年5月4日 大阪ステーションシネマにて観賞
主演:木梨憲武 佐藤健
監督:佐藤信介

30代後半~40代前半ぐらいの客層は、ほぼ無条件にこの映画の木梨に同情、共感できると思われる。なぜなら、その世代が小学生~中学生ぐらいの頃がとんねるずの全盛期だったからだ。それが、このような絵に描いたように落ちぶれたサラリーマンを演じていることに、軽い衝撃を受ける人も多かろう。そして佐藤監督はまさにその効果を狙っている。

対するは佐藤健。28歳にして、テレビドラマでも映画でも高校生役を無理なく演じることができる役者で、漫画原作の映画でも上手くキャラを作り、キャラを表現できるということは『 るろうに剣心 』で証明済みだ。本作でも高校生にありがちなニヒルさとある種の無邪気さを同居させ、ある時は母親思いの良き男の子、ある時は無味乾燥なターミネーターとして、人間性と非人間性の狭間を自在に行き交っていた。木梨と佐藤のコントラストだけでも、この映画は成功していると言える。

本作のテーマはHumanity=ヒューマニティ、つまり人間性である。人間を人間たらしめるもの、それは何か。もちろん人間としての肉体を持つことではない。人間の形をした悪魔は時に実在するからだ。では、人間を人間たらしめる条件とは何か。本作はそれに愛を挙げている。母親への愛、娘への愛、異性への愛、様々な愛の形が存在するが、特に最初の2つの愛がフォーカスされている。これは特に新しい問題提起でも何でもない。このテーマを追求した傑作に『 第9地区 』(主演:シャールト・コプリ― 監督: ニール・ブロムカンプ)という先行作品がある。興味のある向きは是非参照されたい。

本作のもう一つのテーマは「生きる」ということ。「生きる」とはどういう意味か。もちろん肉体が生命活動(呼吸など)を行っている、という意味ではない。ある命が、そのエネルギーを正しい方法で使用することを「生きる」と定義づけられるのではないか。その証拠に、我々は使命を果たした時にイキイキするではないか。大きな仕事を完成させて、家でひとっ風呂を浴びる、その後に冷えたビールを飲んだ時に「生き返った」と感じた経験のある人は多いはずだ。それは、我々は使命を果たした、つまり命を正しく使ったからに他ならない。

この作品は、観る者に「どのように命を使うのか」を問いかけてくる。殺戮マシンと化した佐藤の生き方に共感しても全くおかしくはないし、命を救うことに生き甲斐を見出した木梨を応援してもいい。観る者の心を激しく揺さぶる力を持った映画で、性別、年齢を問わず、幅広い層にお勧めできる良作である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, SF, 佐藤, 佐藤健, 日本, 木梨憲武, 監督:佐藤信介, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 いぬやしき 』 -人間の在り方、命の使い方を追窮する-

『 アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル 』 -真実と事実の狭間へ-

Posted on 2018年5月15日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル 65点
場所:2018年5月4日 TOHOシネマズ梅田にて観賞
出演:マーゴット・ロビー アリソン・ジャネイ ボビー・カナベイル
監督:クレイグ・ギレスピー

30歳か、それ以上の年齢の人ならリレハンメル五輪でのトーニャ・ハーディングの泣き顔と右足を上げての必死のアピールを覚えていることだろう。そしてあの忌まわしきナンシー・ケリガン襲撃事件を。今作はその事件の真相に迫る・・・わけではない。この映画はドキュメンタリー風の始まりと思わせておいて、いきなり第四の壁を破って来るのだ。つまり、観客が見せられるのはありのままの事実ではなく、あくまでトーニャやその母、トーニャの夫やその友人の視点からの物語なのだ。第四の壁を破るとはどういうことか、古畑任三郎が真相を解き明かす前に視聴者に話しかけるのが好例だ。最近だとデッドプールが分かりやすいか。マニアックな説明をするとすればエースコンバット2というゲームのとあるエンディングもそうだったりする。何が言いたいかというと、この物語は事実の描写ではなく、解釈ですよ、と製作者はのっけから宣言しているということだ。

話はトーニャの幼少期から始まる。マッケナ・グレース演じる幼少トーニャのスケートとの出会い、父との別離、母親の虐待と見分けのつかないしごきが非常にテンポよく映し出されていく。『ギフテッド』で天才的ともいえる演技を見せたマッケナは本作でも健在。くれぐれも『シックス・センス』の天才子役ヘイリー・ジョエル・オズメントのような尻すぼみ役者にならないように、彼女のハンドラー達にはくれぐれもお願いしたい。

しかし、この段階で観る者に最もショッキングなのは母親を演じるアリソン・ジャネイだろう。2017年年間ベスト級映画だった『スリー・ビルボード』の主演フランシス・マクドーマンドも強すぎるキャラクターだったが、こちらの母親も全く見劣りしない。鬼気迫る演技、という形容ではぬるいほどの衝撃を与えてくる。まず言葉が恐ろしく汚い。そして我が子をモノか何かのように扱う態度。他人は道具、さもなければ障害物ぐらいにしか思っていないサイコパスで、それが本人と瓜二つなのだ。ジャネイは『ガール・オン・ザ・トレイン』でも威圧感たっぷりの刑事を演じていたが、あの風貌で眼をクリント・イーストウッド並に細くすることで全く違う種類の迫力を醸しだす。恐ろしい女優である。そしてそれ以上に恐ろしい母親を演じている。

またスケート一筋だったトーニャが何かの間違いで恋に落ちる男が典型的なクズ。友人にキャプテン・アメリカがいれば、容赦なく盾でぶん殴られているであろうクズ。その友人もやはりクズ。というか、普通に犯罪者だ。そしてこいつらもびっくりするぐらいに本人にそっくり。メイクさんはさぞかし腕の振るい甲斐があったことだろう。

そして『スーサイド・スクワット』のハーレイ・クイン役で一気にスターダムにのし上がったマーゴット・ロビーによるトーニャ。観るべきはスケートではなく、私生活の方。それはカメラワークにも表れている。リンクの上を所狭しと滑り、怖いものなど何もないという具合にフィギュアに興じるトーニャ本人を、最も魅力的に見せるための角度や距離から映さないのだ。あっけらかんと「スケート映画ではないですよ」と言っているわけだ。

事実、最後の最後はスケートではないスポーツで締めくくられる。そしてトーニャが血反吐を滴らせながら、こう言うのだ。“There is no such thing as truth. Everyone has their own truth. And life just does whatever the fuck it wants. That’s the story of my life. And that’s the fucking truth!” 「真実なんてものは存在しない。誰もが自分の真実を抱えているんだ。人生ってやつは好き放題やってくれる。それが私の人生の物語。それが真実ってもんでしょ!」(英語は記憶、日本語は意訳)

この映画が本当に伝えようとしていることは、トーニャの夫の友人の言葉なのだろう。”But you don’t.” “But I do.” “But you don’t.” “But I do.”と不毛すぎる問答が行われるシーンがあるのだが、これが事実 ≠ 真実、という不等式を見事に表わしたシーンだと思う。そこまで小難しく考えなくとも十分に楽しめる作りになっているし、観終ってからじっくり考えたい、またはリサーチをするのが好きだという向きにも安心してお勧めできる佳作である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, ヒューマンドラマ, マーゴット・ロビー, 監督:クレイグ・ギレスピーLeave a Comment on 『 アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル 』 -真実と事実の狭間へ-

『 パティ・ケイク$ 』 -A White Trash Girl Lashes Out !!!-

Posted on 2018年5月14日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:パティ・ケイク$ 60点
場所:2018年4月29日 シネリーブル梅田にて観賞
主演:ダニエル・マクドナルド
監督:ジェレミー・ジャスパー

プロのラップミュージシャンになることを夢見る女の物語、と書いてしまうといかにもサクセス・ストーリーを予感させてしまうかもしれない。実際はそんなに単純な話ではなく、祖母と母と娘の関係、男友達、ストリートで知り合った男、偶像視している男など、主人公のパティを取り巻く人間模様は多様で複雑だ。

この物語をどこまで受容できるかは、ラップに対する理解というよりも、現状への満たされ無さ、不満の心をラップを通じてどこまで昇華できるのかという度合いに比例するように思う。なぜストリートで即興のラップバトルに興じるのか、それはストリートでブレイクダンスに明け暮れるB-BoyやB-GIrlと同じで、生き残るための場を確保するための必然的な努力なのだ。ある意味で非常に動物的な、本能的な生存競争なのだ。

主役のパティはまさにそうした存在だ。若い白人女性になんのディスアドバンテージがあるのかと、人によっては訝しむのかもしれない。しかし、太っていて定職もなく、父親のいない家庭に暮らし、同性の親友がいない、と彼女の属性を少し取り上げるだけで、いかにマイノリティなのかが浮き彫りになる。これはそういう物語なのだ。

それにしてもアメリカ映画に出てくる役者というのは、基本的に台詞回しが日本の役者のそれよりも遥かにスムーズだ。元々ローコンテクストな言語なので、声のテンポやピッチ、間の取り方、表情、身振り手振りも交えてのコミュニケーションが発達した結果というか副産物なのだろうが、日本の場合は演技以前の声の出し方からして未熟なままの役者がちらほら見られる。MLBとNPBではないが、やはり差というものはあるものだと実感させられる。

この映画の大きな特徴として、音楽の効果的な使い方にある。もちろん、BGMや効果音を使わない映画というのは一部のPOVぐらいで、本作にも音楽はふんだんに取り入れられている。注目すべきは劇中音楽の全てを監督のジェレミー・ジャスパーが手掛けたという点。ドキュメンタリー映画『すばらしき映画音楽たち』でも言及されていたが、ほとんどの映画監督はシーンに合った音楽を自分で生み出すことができないものだ。しかし近年は『 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー 』のジェームズ・ガン然り、『 ベイビー・ドライバー 』のエドガー・ライト然り、シーンと音楽を自在に組み合わせられる監督も増えてきている。ジェレミー・ジャスパーもスコット・スピアらと同じく、そうした新時代の映画監督の道を往くのかもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, ジェレミー・ジャスパー, ヒューマンドラマ, 監督:ジェレミー・ジャスパー, 配給会社:GEM Partners, 配給会社:カルチャヴィルLeave a Comment on 『 パティ・ケイク$ 』 -A White Trash Girl Lashes Out !!!-

『 ミッドナイト・サン タイヨウのうた 』 ーシュワちゃん2世を堪能せよー

Posted on 2018年5月13日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:『 ミッドナイト・サン タイヨウのうた 』 65点
場所:2018年5月12日 MOVIXあまがさきにて観賞
主演:ベラ・ソーン / Bella Thorne
監督:スコット・スピア / Scott Speer

原題は”Midnight Sun、観賞後に日本の映画『 タイヨウのうた 』(2006)のリメイクだと知る。設定を見るに一部細かい部分の改変はあるようだが、ストーリーとして破綻しているところはなかった。主人公のケイティ(ベラ・ソーン)の普通であることへの執着と周囲との微妙なズレ、しかしそこがパトリック・シュワルツェネッガー(言わずと知れたアーノルドの息子)演じるチャーリーに、そして観客にも微笑ましく心地よく映る。スコット・スピア監督はミュージック・ビデオ畑出身で、音楽を劇中に効果的には配置することに長けているという印象。順調にキャリアを積み重ね、ジェームズ・ガンやエドガー・ライトの領域に達してほしいと思う。

演技者として観るべきはケイティの父親役のロブ・リグル/Rob Riggle。『インターンシップ』では数分の登場ながら老人ホームのトンデモ職員か何かの役で強烈な印象を残していたが、今作では苦悩する父親を好演。『逮捕なんかしないよ』(”I’m not a cop.”)という台詞は、ガールフレンドや妻の父親が警察官だったりするとロマンティックとは正反対の意味でドキリとさせられてしまうだろう。実際、自分は一瞬座席から跳ね上がった。

主人公の持つ病気のせいで必然的に夜を舞台に物語が描かれるが、暗さは感じられず、かといって邦画で時折見られるような「夜の不自然な明るさ」なども感じられなかった。それはクライマックス・シーンに「明るさ」を思い切りブチ込むためだったからか。物語の進行上、釈然としない部分も残るものの、画としての美しさは充分に表現されていた。

若い男一人で週末に1800円を投じるのはつらいかもしれないが、連れ合いがいるならお勧めできる。中年男性でもロブ・リグルに自分の人生を投影させることができるだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, ロマンス, 主演:ベラ・ソーン, 監督:スコット・スピア, 配給会社:オープン・ロード・フィルムズLeave a Comment on 『 ミッドナイト・サン タイヨウのうた 』 ーシュワちゃん2世を堪能せよー

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