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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: B Rank

『 スタントウーマン ハリウッドの知られざるヒーローたち 』 -究極の裏方たち-

Posted on 2021年1月11日 by cool-jupiter

スタントウーマン ハリウッドの知られざるヒーローたち 70点
2021年1月10日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ミシェル・ロドリゲス
監督:エイプリル・ライト

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CG全盛、モーション・キャプチャー全盛の時代とはいえ、誰かがそのアクションを行っているのは間違いない。そのアクション担当のスタントパフォーマー、特にスタントウーマンに着目するという、ありそうでなかったドキュメンタリー作品。なかなかの見ごたえであった。

 

あらすじ

20世紀初頭から現代に至るまでのハリウッド映画におけるスタントウーマンたちの知られざる活躍や苦労、犠牲、そして歴史を、加須多くのスタントウーマンたちのインタビューを通じて、明らかにしていく。

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ポジティブ・サイド

スカーレット・ジョハンソンが妊娠していたため『 キャプテン・アメリカ/ザ・ウィンター・ソルジャー 』のブラック・ウィドウのアクションは全てスタントウーマンによって行われたということが一時期話題になっていたが、ちょっと待て。妊娠していようと妊娠していまいと、アクションはやっぱりスタントウーマンが行っているのだ。今まで当たり前すぎて気が付かなかったことに、本作を通じてやっと思い至った。スタント・パフォーマーというのは究極の裏方で、『 スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 』で元々はスタント・ダブルだったレイ・パークがそのままダース・モールを演じたのは例外中の例外だったのだ。

 

蒙を啓かされたと感じたのは、1900年代や1910年代から、女性がかなり危険なアクションシーンを演じていたということ。当時は当然、フィルム撮影なわけで、テープに限りもあれば、編集作業も現代とは比較にならない大仕事。そんな中で男女を問わず役者本人が危険のあるアクションもこなしていたという歴史的事実は驚き以外の何物でもない。そして、そうした活躍がカネになると知った者たちが、女性からその仕事を奪っていった経緯、そして1970年代のウーマン・リブから今日に至るまで、女性スタント・パフォーマーたちはあらゆる意味で戦い続けているという描写には、畏敬の念を抱かずにはいられなかった。数多くのスタントウーマンたちの中でもジーニー・エッパー(『 ワンダーウーマン1984 』のラストで一瞬だけ出てきたリンダ・カーターのスタント・ダブル!)が、スタントウーマン組合を設立して、その長に就任したところ、5年も業界から干されたというのは余りにも生々しく、痛々しい。そうした声が30年あまり経って、ようやく聞かれるようになったところに、ハリウッドの闇を感じる。一方で、数々の映画の裏に絶対に存在していたと認識できているはずのスタント・パフォーマーたちの立ち位置について、やはり我々は意識が十分ではなかったのではないかとの思いも強くなる。自分はいったい、画面の向こうに誰を観ていたのか、と。

 

スタントウーマンたちのトレーニング風景は、ハードワークの一語に尽きる。柔道やボクシングなどの格闘技だけではなく、トランポリンや高所からの落下など、デカスロン選手もかくやというトレーニングメニューの数々。さらにはクルマのドライビング・テクニックや武器の扱いまで。これだけのトレーニングを普段から積み続けていることにも素直に驚かされた。『 ベイビー・ドライバー 』のアンセル・エルゴートがひたすら運転の練習をしているというボーナス映像があったが、逆に言うと役者がそれだけアクションを実際に行うのは稀なことだということだろう。

 

スタント時の悲劇についても触れているのは、辛いことではあるものの、この業界のこの仕事のリスクを赤裸々に公開しているという点で評価する。この職に就こうと思う人々の大半は、やはり映画を観てインスパイアされた人が最も多いだろうから。『 バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2 』で時計台に突っ込むはずが柱に激突するシーンは、自宅のレーザーディスクの解説か何かに「事故だった」と書かれていたのを覚えている。そうした危険な仕事であるという負の部分を隠すことなく映し、そして語った本作は、スタント・パフォーマーを志す人々にとってのmust-watch な作品になったと言える。

 

単にスタントをこなすだけではない。その経験を活かして、業界内で更なる地位を得た者の活躍にも触れている。ハリウッドという特異な生態系で、しっかりとサバイバルする女性たちの姿からは多大な勇気を与えられることだろう。

 

ネガティブ・サイド

色々と権利関係がうるさいのかもしれないが、『 チャーリーズ・エンジェル 』や『 ワイルド・スピード 』の実際の劇中のクリップを見せてくれても良いのではないか。彼女たちの活躍がどれくらいカッコいいアクションシーンを作り上げているのかを見せないのであれば、劇場公開する意義は半減する。アクションは大画面、大音響で堪能するべきだからだ。

 

スタントウーマンたちの声を十分に聴くことはできたが、では女優さんたちの声は?たとえばスカーレット・ジョハンソンやハル・ベリー、ブリー・ラーソンなどの彼女らのスタントの直接の恩恵を受けた役者たちの声も聴いてみたいと思うのは当然だ。そうした声が聴けない点は大いに不満である。

 

ドキュメンタリーはインタビュー形式で進むのが常だが、あまりにも取り留めのない構成であると感じた。作品ごとに論じるのは不可能にしても、たとえば1980年代、1990年代、2000年代などと時代ごとに区切るか、あるいは車のスタントなのか、格闘のスタントなのかのように、何らかの形でスタントウーマンたちをカテゴライズした構成にすれば、より分かりやすかったと思われる。

 

総評 

良作である。『 ようこそ映画音響の世界へ 』のように、裏方さんの仕事に光が当たるのは喜ばしいことだ。映画の世界の奥行きがさらに増して見えるようになると思う。今度の対象は、ヘアスタイリストか、それともメイクアップアーティストか。カズ・ヒロのドキュメンタリー作品とか、誰か作ってくれないかな。または『 すばらしき映画音楽たち 』の第2弾。絶対に需要はあると思うのだが。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

wrap one’s head around ~

『 ゴーストランドの惨劇 』でも紹介した表現。「~を理解する」の意味。

I finally wrapped my head around the risk of being a stunt performer.
スタント俳優であることをリスクをようやく理解することが出来た。

のように使う。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, ドキュメンタリー, ミシェル・ロドリゲス, 歴史, 監督:エイプリル・ライト, 配給会社:イオンエンターテイメントLeave a Comment on 『 スタントウーマン ハリウッドの知られざるヒーローたち 』 -究極の裏方たち-

『 ウェブ時代 5つの定理―この言葉が未来を切り開く! 』 -古くて新しい提言書-

Posted on 2021年1月9日 by cool-jupiter

ウェブ時代 5つの定理―この言葉が未来を切り開く! 75点
2021年1月5日~1月7日にかけて再読了
著者:梅田望夫
発行元:文藝春秋

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コロナ禍において「新しい生活様式」なる言葉が人口に膾炙した。「ニューノーマル」とも「新常態」とも言われるが、実は目新しい概念ではない。時代の転換点において、ニューノーマルという言葉は常に使われてきた。「ニューノーマル」という言葉をいち早く紹介した本書は、給付金の申請がオンラインよりも紙の方が速く処理されるという現代日本に多大な示唆や提言を与えてくれている。

 

あらすじ

第1定理では「アントレプレナーシップ」を、第2定理では「チーム力」を、第3定理では「技術者の眼」を、第4定理では「グーグリネス」を、そして第5定理では「大人の流儀」を紹介する。働き方に悩む人、これから先のキャリアについて考える人にとってのヒントが満載である。

 

ポジティブ・サイド

著者の梅田のキャリアゆえか、彼の著書には一貫して個と組織の在り方、その関係についての考察や提言がなされている。それは本書でも同じである。ただ、梅田自身が語る言葉ではなく、梅田というフィルターがろ過したシリコンバレーの技術者や経営者の言葉であるところに本書の価値がある。Jovianは梅田に私淑しているが、同じように梅田を通じて人生やキャリアについてより深く考えるようになったという人間は多いはずだ。特に、就職氷河期世代、いわゆるロスジェネにその傾向が強い気がする(というのは、Jovianの周りがだいたいそういう世代だからだろうか)。個が組織を作り上げる、あるいは大組織の中で個が輝くという事例を本書は数多く紹介しており、若いビジネスパーソンにも壮年のビジネスパーソンにもお勧めできる内容になっている。

 

以下、いくつか気に入っている言葉を紹介する。

 

第1定理 アントレプレナーシップ

世界がどう発展するかを観察できる職につきなさい。
そうすれば、「ネクスト・ビッグ・シング」が来たときに、
それを確認できる位置にいられるはずだ。 ―――ロジャー・マクナミー

 

ここでいう「ネクスト・ビッグ・シング」とは、破壊的イノベーションを起こすサービスやプロダクトという意味だが、現在の目からするとZoomが最もこれに当てはまるだろうか。製造業であれば「何を作るか」、サービス業であれば「何をand/orどう提供するか」を常に考えるはず。教育業界にいるJovianはコロナ禍において勤め先およびクライアント大学の授業へのZoomやGoogle Meet導入に深く携わる機会があったが、その時に「誰もが教育者になれる時代が来た」と直感した。Zoomで講義を録画する、そしてYouTubeにアップする、というだけではない。自分がPC上で行っている作業の方法をオープンにすることで、一気に業務改善ができる、あるいは他者の業務改善を手助けできるようになる。また、これまでのPCのサポセンなどは電話で顧客に技術的サポートを提供していたが、今後はネットにさえつながっていれば、そしてPCにカメラとマイクが装備されていれば、困っている相手に画面共有してもらえれば、すぐさまソリューションを提示できるようになる。事実、そうなりつつある。コロナ禍で仕事が激減した、自営業を立ち上げるしかない、という人の多くが、何らかのインストラクター職を選ぶものとJovianは見ている。

 

第2定理 チーム力

世界を変えるものも、常に小さく始まる。
理想のプロジェクトチームは、会議もせず、
ランチを取るだけで進んでいく。チームの人数は、
ランチテーブルを囲めるだけに限るべきだ。―――ビル・ジョイ

 

これは本当にそうで、何も世界を変えるような大きな仕事でなくても、普通の人の普通の仕事にも当てはまるはず。Jovianの以前の会社では20人ぐらいで会議をしていて、会議=ただの報告会になっていた。決まった人が決まった順番で、いつも通りの内容(当月の売り上げや来月の見込み額など)を喋るだけ。活発な意見交換や議論などは存在しなかった。今の会社の会議も似たようなところがあるが、その代わりプロジェクトチーム単位(3~4人)になると談論風発する。日本企業における会議体の多さに辟易する人は多いはず。そうした人々に、ビル・ジョイの言は刺さることだろう。

 

第3定理 技術者の眼

技術的な転移(大変化)は、常に勝者と敗者を生む。
勝者とは、より早くその技術を導入できる企業であり、
敗者は、立ち往生し、転換をはかれず、
新たな技術をうまく使いこなせない企業だ。―――エリック・シュミット

 

説明不要なまでに明快だ。関西の某大学は2020年の春学期にオンラインでリアルタイムに授業を提供する仕組みを作り切れず、ほとんどの科目でGoogle Classroomもしくは大学ポータルサイト上で課題を課して締め切りを伝えて終わり、という暴挙に出た。そして、秋学期にオンライン授業を始めたが、教員や職員に研修が行き届いておらず、頓挫。学生や保護者からクレームの嵐だと聞く。近いうちに関西にも緊急事態宣言が発令されそうだが、そんなことに関係なく、今年度の出願者数は激減していることだろう。これは何も某大学だけのことではない。政府がいくら「テレワークの推進を!」と叫んでも、それができない会社がマジョリティなのだ。上のエリック・シュミットの言葉の「企業」を「国家」に入れ替えれば、極東の島国の姿が見えてきはしまいか。

 

第4定理 グーグリネス

「ニューノーマル」時代における成功とは、タイムマネジメントに尽きる。
この時代における通貨は、時間なのである。―――ロジャー・マクナミー

 

Jovianは本書を初めて読んだ時に、この言葉に大いにインスパイアされた。実際の文脈では「仕事のうちで自分がどこにこだわるべきかを明確にして、そこに時間とエネルギーを投下せよ」という意味なのだが、コロナ禍の今になって読み返せば、さらにその重みを増している。オンライン授業の際、「もっとも通信環境が貧弱な学生に配慮するように」というお達しが文科省からあった。そのため、ほとんどすべての大学では90分授業を60分オンライン、30分オフラインとなった。Jovianの会社は大学に非常勤講師を派遣しているが、講師たちからは「これじゃあ、教科書が全部カバーできない」という悲鳴が聞かれた。重要なのはタイムマネジメント、必要なところ、学生に身に着けてほしいと心底から思う部分の指導に集中してほしい、と誠心誠意に伝えた。それが上手く行ったかどうかは分からないが、今のところクライアント大学からは授業関連のクレームは出ていない。

 

第5定理 大人の流儀

自分がやらない限り世に起こらないことを私はやる。―――ビル・ジョイ

 

なんとも気宇壮大な言である。だが、現実味がある。Googleの圧倒的な成功と普及によって、世の中の情報はかなり整理され、組織化されてきた。極端な言い方をすれば、Google検索に引っかからない情報は存在していないも同然、という世界観が浸透しつつあるとも言える。つまり、事業を始めるにあたってのブルー・オーシャンが見つけやすくなったとも考えられるのだ。Jovianも万が一だが、今の勤め先がコロナ禍で立ちいかなくなったり、最悪潰れてしまった時には、マイナーな英語の資格検定対策専門のオンライン塾でも立ち上げようかと考えている。そうしたスクールというのは、日本ではびっくりするぐらい少ないのである。

 

以上、各章を簡単に紹介したが、いかがだっただろうか。飲食業界、不動産業界、製薬業界など、あらゆる分野の職業人にとってヒントになる言葉、勇気を与えてくれる言葉が見つかると確信できる良書である。

 

ネガティブ・サイド

全体的にオプティミズムに溢れている。それこそ『 シリコンバレー精神 』なのだろうが、日本人、もしくは日本的カルチャーに染まった会社・企業・組織というものは楽天主義ではなかなか動かない。どちらかというと「〇〇〇しないと会社が潰れますよ」、「△△△を持っていないと市場から見放されますよ」というネガティブなメッセージがないと腰を上げない経営者や決裁権者の方が多い。成功者の理念や哲学、言葉を紹介するだけではなく、事業の失敗者の反省の言なども取り入れていれば、よりバランスの良い本になったと思う。もっとも本書のP60~63で述べられているように、シリコンバレーの投資家は全ての投資先から回収していくのではなく、大きく成長した、またさらに将来性の見込める企業から一気に投下資本を回収する仕組みを作っているので、そうした意味での「事業失敗者」は見つけられなかったのかもしれない。ただ、梅田自身が『 ウェブ進化論 』で紹介したことのある、かつての勤務先の社内ベンチャーの失敗の話などを盛り込むこともできたのではないか。

 

第3定理「技術者の眼」の章で紹介されている言葉が、アップル関連の人物の言葉に偏り過ぎている。また、「技術者の眼」というよりも「技術者の目」を紹介する章になっていると感じられる。P142~143の渡辺誠一郎氏の逸話のようなエピソードはまさに「技術者の眼」という感じだが、その他の言葉は「技術者の目」から見た社会や世界、未来という感じが強い。梅田自身はコンサルタントでエンジニアでもプログラマーでもないせいか、この第3章だけは、やや全体から浮いた印象を受ける。

 

総評

本書はウェブ時代における「ニューノーマル」を始めとした様々な概念や言葉を体系的にまとめたもので、コロナ禍においてデジタル・トランスフォーメーションが進みつつある日本で、再読の価値が高まっていると言える。2008年刊行の書籍が2021年においても大きな意味を持つことに日本社会の停滞を感じるが、「個の強さ」を常に強調してきた梅田望夫によって厳選された言葉の数々は、現代日本のビジネスパーソンや学生にとって大きな指針となることは間違いないだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン 

The only way to do great work is to love what you do.

本書(文庫版)のP283にあるスティーブ・ジョブズの言葉。数々のジョブズの名言の中でもとくに有名な、スタンフォード大学の卒業式でのスピーチの一部。“love what you do”の部分は、日本でも多くの英語人が様々に翻訳してきた。ちなみにJovianは「自分の仕事を心底好きになる」と訳して、当時の勤め先の教材にも盛り込んだ。What you do = 普段からしていること ≒ 仕事、となる。ちなみにWhat do you do? =「職業は何ですか?」という紋切り型の説明がしばしばなされるが、これは間違い。正しくは、「今は何をしているのですか?」である。小学生の時の同級生と20年ぶりにばったり出会った時のことを想像してみてほしい。「うわー、久しぶり!今、何やってるの?」と尋ねることだろう。この「今、何やってるの?」こそ、“What do you do?”である。

 

現在、【英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー】に徐々に引っ越し中です。こちらのサイトの更新をストップすることは当面はありません。

I am now slowly phasing over to https://jovianreviews.com. This site will continue to be updated on a regular basis for the time being.

Posted in 国内, 書籍Tagged 2000年代, B Rank, 日本, 発行元:文藝春秋, 著者:梅田望夫Leave a Comment on 『 ウェブ時代 5つの定理―この言葉が未来を切り開く! 』 -古くて新しい提言書-

『 ブラック校則 』 -常識を疑え、行動せよ-

Posted on 2021年1月7日 by cool-jupiter

ブラック校則 70点
2021年1月4日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:モトーラ世理奈 佐藤勝利 高橋海人
監督:菅原伸太郎

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縁あって大阪や奈良の高校で英検やTOEICの対策講座を受け持たせて頂いているが、校則というのは学校によってまちまちである。象徴的なのはスマホの扱いだろう。学校に入った瞬間からスマホ禁止、朝のホームルームでスマホを没収する本作さながらの高校もあれば、休み時間は使用OKの学校、放課後になれば校内でも使用可能な学校など様々である。スマホ使用の是非はさておき、スマホを禁じる校則に納得している高校生には、Jovianはまだお目にかかったことが無い。

 

あらすじ

校門で生徒の髪型や服装のチェックに余念がない教師たちを疑問に感じていた創楽(佐藤勝利)は、希央(モトーラ世理奈)という同級生に一目惚れしてしまう。しかし、希央は栗色の髪を黒く染めるようにと指導されていた。希央には地毛証明書が出せないある事情があったのだ。不登校になった希央を救うため、創楽は親友の中弥(高橋海人)とともに、ブラック校則打破のため立ち上がるが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 風の電話 』で存在感を発揮したモトーラ世理奈が、本作でも変わらぬ存在感を見せつける。別に台詞が多かったり、大仰なアクションを演じるわけではない。その逆で、希央が何か長広舌を振るったり、キャットファイトをしたりするシーンなどは存在しない。ほとんど全編を通じて、ただ静かに場面に溶け込んでいるだけで、これほどの存在感を発揮する10代はそれほど多くないだろう。普段が能面のように無表情なため、ほんのわずかに笑っただけでとびっきりチャーミングに見える。生まれながらの美少女には決して出せない魅力が、モトーラ世理奈にはある。今後さらに数多くの作品に出演してほしいものである。

 

生真面目な創楽と脱力系の中弥のコンビも、若手ジャニーズとは思えない演技力。滝沢がトップになったことでルックスやトーク、歌やダンスよりも演技力重視になってきたのだろうか。青春ドラマにありがちな順調な滑り出し、快調に物事が進んでいくが、しかし・・・という展開にならない。最初こそ勢い良く立ち上がったものの、主役とその親友がはっきり言って優柔不断の役立たずである。これはなかなかにユニークな物語である。この主人公、本当に情けない。エアギターから虚しさのあまり叫び出し、そこをかなり年の離れた妹の口撃でコテンパンにされてしまう。クラスでもカースト上位ではなく、かといって下層でもなく、という位置づけ。本人はかなりのハンサムボーイだが、表情の暗さや立ち居振る舞いが負のオーラを醸し出している。監督の演出か、それとも本人の演技力によるものなのか。モトーラ世理奈に恋焦がれるなら、イケメン高校生ではなく、こうした等身大の高校生でないと駄目だ。そうした意味で、佐藤勝利をキャスティングした時点で本作は半分は成功している。

 

その他にもほっしゃん演じる体罰教師は、Jovianの中学にいた某教師と雰囲気や言動がそっくりで、ちょっと引いた。今でこそ暴力教師、あるいは生徒から教師に対する暴力がカメラに撮られ、すぐにネット上で拡散してしまうが、20年前、30年前は『 ぼくらの七日間戦争 』の大地康雄や倉田保昭の演じた教師、本作の手代木のような教師が実際に存在したのである。本作は現在の10代よりも、30代や40代こそがリアリズムを感じられる作品なのかもしれない。

 

校内でスマホを禁じられ、その他の校則でがんじがらめにされた生徒がどうなるのか。Jovianは落書きとその連鎖に痛く感じ入った。書かれている内容こそ違えど、これはまさに中井拓志の小説『 quarter mo@n 』そっくりではないか。生徒から何かを奪っても、彼ら彼女らはその代替を見つけるものだ。『 quarter mo@n 』はある意味で時代を先取りしすぎた作品である。1999年刊行の書籍だが、ぜひ令和の若者にも読んでもらいたい。こうしたネット黎明期の作品に面白さを感じる向きは奥泉光の『 プラトン学園 』もどうぞ。

 

ダメダメな主人公を軸に、周囲のキャラクターたちも動き出し、圧倒的なパフォーマンスの見られるクライマックスにつながっていく。あるキャラが絞り出す魂の叫びは、『 ブラインドスポッティング 』のクライマックスのラップを彷彿させた。はっきり言って荒唐無稽もいいところのご都合主義的な展開なのだが、それを吹き飛ばすほどのパワーをこのシーンから感じた。最後に訪れるカタルシスも良い。元々、創楽が立ち上がったのは何のため、誰のためだったのか。様々な伏線が最後に一つにつながり、大団円となるラストの爽快感よ。

 

Libertyとfreedomのつづりミスで英語教師のJovianは「ははーん、これはアレだな」とピンと来たが、最後の最後のメッセージもなかなかに秀逸だ。そう、これは高校生に向けられたものではない。現状を是とする思考停止を打破せよ、という作り手のメッセージなのだ。幅広い世代に観てほしいと思える邦画である。

 

ネガティブ・サイド 

ラストに至るまでのサブプロットがとにかく多いし、時間もかかる。だからこそラストの大逆転感が生まれるのだろうが、それでも途中の展開はかなりの中だるみに思える。ここで主人公側に何らかの小さな希望が見える展開、あるいは蹉跌を経験するシーンを挟むべきではなかったか。

 

成海璃子の元カレが云々という背景も不必要ではなかったか。高校という一つの閉じた小宇宙の中で、ブラック校則がどれほどヤバいルールなのかを描き出すことを通じて、「世の中全般に迎合するな、疑え、行動しろ」という激を飛ばすのが本作の狙いのはず。であるなら、ブラック校則以上にネガティブな現実は不要である。

 

手代木を封じ込めるネタが結局はミチロウと同じく、暴力動画をネタにした恐喝とは・・・ もっとなにか別のアイデアがあってしかるべきだろう。例えば、毎朝回収されるスマホを模型と入れ替えて○○を▲▲している証拠を押さえるとか、または・・・って、これ以上書くと犯罪者予備軍と思われるのでやめておく。たた、体制を打破するために出来るもっと別のことがあったのは確かである。

 

総評

公開当時に劇場鑑賞できなかったことが悔やまれる。校則を社則、教師を上司と読み替えれば、社会人目線でも楽しむ(苦しむ?)ことができるジャニタレが主演かよ、と鼻白む向きにこそお勧めしたい上質な青春ドラマに仕上がっている。モトーラ世理奈の出番こそ少ないが、ファンならば本作は必見であろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

emancipation

freedomとlibertyについては劇中で振れられていたので、ここではemancipationを紹介したい。意味は「解放」であるが、その用例はほとんど「奴隷解放」である。The Emancipation Proclamation = A・リンカーンによる奴隷解放宣言である。他にも、他国の占領や政治的な影響力からの解放についても使われる。英検準1級以上、TOEFL iBT80点以上、IELTS Academicで6.0以上を目指すなら、知っておきたい語彙。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, モトーラ世理奈, 佐藤勝利, 日本, 監督:菅原伸太郎, 配給会社:松竹, 青春, 高橋海人Leave a Comment on 『 ブラック校則 』 -常識を疑え、行動せよ-

『 ワンダーウーマン 1984 』 -前作よりも少々パワーダウン-

Posted on 2020年12月20日 by cool-jupiter

ワンダーウーマン 1984 70点
2020年12月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ガル・ガドット クリス・パイン クリステン・ウィグ ペドロ・パスカル
監督:パティ・ジェンキンス

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前作『 ワンダーウーマン 』は傑作だった。微妙な出来だった『 バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 』や『 ジャスティス・リーグ 』でも、ワンダーウーマンの登場シーンは良かった。期待を高めすぎるのは禁物だと分かっていながらも、やはり期待して劇場へ向かった。裏切られたとまでは感じないが、前作の方が面白さはあった。

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あらすじ

スミソニアン博物館で働くダイアナ(ガル・ガドット)は、願いを叶えてくれるという謎めいた石の存在を知る。ダイアナがその石に願うと、本当にスティーブ(クリス・パイン)が復活した。再会を喜ぶ二人だったが、実業家のマックス・ロード(ペドロ・パスカル)とダイアナの同僚バーバラ(クリステン・ウィグ)も石に願いを行っていて・・・

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ポジティブ・サイド

オープニングからのセミッシラでのアマゾネスたちの競技大会が奮っている。元々は2020年の夏前の公開予定だったので、これは東京五輪を意識していたのだろう。Jovianの勤務先は東京五輪2020のオフィシャルサポーターではあるが、個人的には日本での五輪開催はもう諦めている。そうした意味で、幼少期のダイアナが大人たちとアスレチックを競うシークエンスには I felt redeemed. 青い空と青い海、そして豊かな緑の中を駆け抜けるアマゾネスたちの姿はそれだけで非常にシネマティックだった。

 

ヴィランの設定も悪くない。神が作った石というのも説得力がある。前作のオープニングは、いきなり神々の話だったし。前作が神殺しであれば、本作は人間の弱さにフォーカスしている。マックス・ロードは悪になろうとして悪になったわけではないし、バーバラも最初から悪を志向したわけではない。強さを求めることそのものを悪とは決して言えない。問題は、力を正しく使えるかどうか。そのことは冒頭のオリンピック的シークエンスで明示されている。単純な善と悪の物語に割り切ってしまわないところに好感が持てるし、本来スーパーヒーローとはそういうものだった。ウルトラマンは街を破壊しながら人間を守ることに疑問を持った少年少女は多いだろうし、『 アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン 』や『 バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 』はまさにヒーローによる戦いが一般の人間に災厄をもたらしている点を鋭く突いていた。本作はテーマ的にそれらの先行作品の一歩先に進んだとも言える。

 

スティーブとダイアナの交流も微笑ましい。前作でダイアナが浮世離れしたファッション・センスを見せつけたが、今作ではスティーブがオールド・ファッション感覚を披露する。第一次大戦から60年以上を経て1984年に蘇ったスティーブがエスカレーターや地下鉄に驚き、自室にあるチープなファースト・フードに大興奮する様はひたすらにチャーミングだ。ありふれたものに幸福を感じられるのも愛する人がそこにいるからだという、ある意味で非常に陳腐な、しかしどこまでも真実である命題が、マックス・ロードが人々の願いを叶える代償として、力を奪っていくことと対比になっている。マックスの最後の選択は、だからこそ説得力があった。

 

アクションも見応え充分。特にエジプトの道路のバトル・シーンは迫力満点。ダイアナがパワーダウンして、ダメージを負うところも緊張感を高めている。チーターと化す前のバーバラとの格闘シーンも手に汗握るもの。バーバラがダイアナと同等の力を持っていて、ダイアナがパワーダウンしているからだ。強すぎるヒーローが戦ってもハラハラドキドキが生まれにくいが、本作はプロットと論理的に絡めて、戦闘シーンの緊張感を高めるのに成功している。

 

エンドクレジットの幕間に続編を予感させるような、予感させないようなスキットが挿入されている。ここで登場する人物に興味がある人は「リンダ・カーター」でググるべし。

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ネガティブ・サイド

ワンダーウーマンのイメージを映画ファンに決定づけたのは、やはり盾と剣だと思われる。そのいずれもが本作でフィーチャーされなかったのは残念だった。

 

前作も『 スーパーマン 』のオマージュに満ちていたが、本作でもそれを繰り返すのはちょっと芸がない。愛する人との生活を手に入れるためにスーパーパワーを失い、自分の使命のためにもう一度スーパーパワーを手に入れるというのは、まんま『 スーパーマンII 冒険篇 』のプロットではないか(ロイス・レーンは死なないけど)。また、ダイアナが空中で右腕を前に突き出して左腕を引いて一気に加速して滑空していくシーンにもスーパーマンのシルエットが見えてくる。ここまで来ると興ざめする。

 

黄金のアーマーを身にまとったダイアナのチーターとの戦闘シーンも暗い。『 アクアマン 』以来、DC映画も“暗さ”から抜け出したと思ったが、ここでも戦闘シーンが暗すぎる。黄金のアーマーがまったく画面上で映えない。前作のように、夜でも爆発の炎に囲まれて十分にライトアップされているという環境を作り出せなかったのだろうか。

 

細かい点だが、エジプトからワシントンD.C.にダイアナとスティーブはどうやって帰ってきたのだ?

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総評

前作『 ワンダーウーマン 』と同レベルのクオリティを期待してはいけない。しかし、キャラクターの造形と成長は素晴らしい。スーパーマンと言えばクリストファー・リーブ、アイアンマンと言えばロバート・ダウニー・Jr.、というのと同じレベルで、ガル・ガドットはワンダーウーマンというキャラクターのイメージを不動のものにしたと言えるだろう。三作目があるのかどうかは現時点では未知数のようだが、ぜひ剣と盾で大暴れする姿を見てみたい。それもDCEUではなく、スタンドアローンで。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

renounce

辞書を引けば「捨てる」、「放棄する」、「断念する」などと出ているが、こういうものは文脈で理解したい。個人的に最もよく目にして耳にする使い方は、“renounce the belt/championship”=ベルト・王座を返上する、というもの。いったん手に入れたものを元の場所に返す、というのがコアの意味となる。そのことは本作からでも十分に理解できるだろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アクション, アドベンチャー, アメリカ, ガル・ガドット, クリス・パイン, クリステン・ウィグ, ペドロ・パスカル, 監督:パティ・ジェンキンス, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ワンダーウーマン 1984 』 -前作よりも少々パワーダウン-

『 ミセス・ノイズィ 』 -事実、必ずしも真実ならず-

Posted on 2020年12月13日 by cool-jupiter

ミセス・ノイズィ 75点
2020年12月12日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:篠原ゆき子 大高洋子 新津ちせ
監督:天野千尋

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2020年現在、30歳以上なら奈良の「騒音おばさん」を覚えていることだろう。本作は、あの事件にインスピレーションを得つつも、現代的に翻案し、見事なドラマに仕立て上げられている。Jovianはしかし、どちらかと言うと、別の事件のことも思い出した。

 

あらすじ

小説家の吉岡真紀(篠原ゆき子)は、引っ越し先の隣人・若田美和子(大高洋子)が毎朝早くから布団を叩く音のせいで、スランプから脱却できず、お互いの小競り合いに発展していった。しかし、このことをネタに『 ミセス・ノイズィ 』という小説を執筆したところ、騒動の動画のヒットもあって好評を博すのだが・・・

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ポジティブ・サイド

90年代からゼロ年代まで、数多くの宗教団体による信者の拉致監禁事件があった。そしておそらく現代にもある。そのことは『 星の子 』でも示唆されていた通りである。一方で、カルト宗教に洗脳された信者を脱会させ、家族の元に奪還してくる団体が、また別の洗脳手法を使っていることが物議をかもしたこともあった。けれども90年代末だったか、ワイドショーを騒がせた「女性ばかりを拉致監禁して地方を転々とするカルト」が、実はDV被害者や無理やり苦界(もはや死後だろうか?)に落とされた者たちを救出していた団体だった判明したことがあった。当時、高校生だったJovianはこのニュースに驚かされた。そして、マスコミが誤報を詫びず、しれっと新しい情報を流して終わりにしてしまうことに強烈な違和感も覚えた。物事を一面から見る。そこには確かに事実がある。しかし、真実は事象を多角的に捉えないと見えてこないのだ。

 

本作も同じである。物語の前半は真紀視点から語られ、そこでは真紀は騒音の被害者で、若田さんは異常な隣人である。特に大高洋子は圧巻の存在感で、風貌や声の出し方までが「騒音おばさん」を彷彿させる鬼気迫る演技である。若田さんが嫌がらせをしてくるのは、彼女が異常な人物だからであると思いたくなる。典型的な“行為者-観察者バイアス”(Actor-Observer Bias)の陥穽に真紀はハマってしまう。それを補強するような衝撃的なエピソードが真紀の愛娘から語られることで、我々はますます怖気を震ってしまう。どうすればこの「騒音おばさん」を撃退できるのか、懲らしめられるのかを考えてしまう。

 

しかし、後半に差し掛かるところで、物語は若田さんの視点から描かれる。そこで我々は若田さんの抱える様々な事情を知ることになる。彼女の背景が明確にセリフで語られるわけではないが、一目見ればすべてが理解できる。このシーンでは強烈な左フックをチンに一発もらったかのような衝撃を覚えた。我々はしばしば知覚は十全に世界を捉えていると思い込んでいるが、実際には知ることのできない「超越」的な領域があるというのが、現代哲学である。我々が見聞きするものは事実であるが、すべてではない。他方から見た事実も存在する。真実とは、事実の側面ではなく総体なのだ。若田さんが路上でとるちょっとした行動が、少し角度を変えれば全く違うものに見える場面が存在する。世の中のたいていの事象はこうなっているのではないか。

 

世間をも巻き込む大騒動に発展する隣家同士の小競り合いは、とんでもない展開を見せる。そして日本人が大好きな“謝罪”の意味を問う展開につながっていくが、ここで差し伸べられる救いの手が意外なもの、いや、予想通りのものと言うべきか。『 響 -HIBIKI-  』でも主人公の響が「自分は当事者に謝った。世間に何を謝れと言うのか」とマスコミに問うシーンがあったが、メディアは時に真実を捉え損なう。それどころか一方(メディア側)から見た事実だけを拡大再生産していく。そして、その波に普通の一般人たちもどんどんと乗っていく。単なるメディア批判ではなく、世間一般の危険な風潮に対して警鐘を鳴らしている点を大いに評価したい。

 

ネガティブ・サイド

真紀を金儲けの種にしか思っていないアホな甥っ子(従弟?)に天誅が下るシーンがないのはいかがなものか。天誅と言っても、大袈裟なものである必要はない、キャバクラで嬢に相手にされず、バーでも仲間から軽く無視される。そんな程度の描写で十分だったのだが。もしくは、エンドロールの最後で良いので、「盗撮はプライバシーの侵害です。盗撮した映像をネットで公開するのはやめましょう」みたいなdisclaimerが必要だったと思われる。

 

真紀の夫が役立たずもいいところである。『 滑走路 』の水川あさみの夫と同じく、妻に向き合わず、子どものことに関しても主体的に関与しようとしない。まるで自分を見るようだと自己嫌悪に陥る男性が、全国で200万人はいるのではないだろうか。最後の最期で歩み寄りを見せるのが真紀なのだが、なぜ夫の方ではないのか。この夫が最後の最後まで傍観者的な立ち位置から離れないのは納得しがたい。

 

総評

『 白ゆき姫殺人事件 』に並ぶ面白さである。ネットの誹謗中傷に耐えられず自死を選んだリアリティ・ショー出演者が残念ながら出て、大きな話題となった2020年の締めに本作が公開されたことの意義は大きい。我々は傍観者(observer)としても当事者(actor)としても、真実を追求することが求められるのではないか。向き合おうとする、知ろうとする、語ろうとする、そんな姿勢こそが必要なのではないか。エンタメとしても社会批判としても、今年の邦画としてはトップレベルの良作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

superficial

「薄っぺらい」の意味。物理的に厚みがないという意味ではなく、物語やキャラクター造形に深みを欠く、の意。現代日本の政治や芸能の世界には、superficialなコメントやsuperficialな謝罪が溢れている。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 大高洋子, 新津ちせ, 日本, 監督:天野千尋, 篠原ゆき子, 配給会社:ヒコーキ・フィルムズインターナショナルLeave a Comment on 『 ミセス・ノイズィ 』 -事実、必ずしも真実ならず-

『 滑走路 』 -過去と向き合い、現在から未来に飛び立つ-

Posted on 2020年12月13日 by cool-jupiter
『 滑走路 』 -過去と向き合い、現在から未来に飛び立つ-

滑走路 75点
2020年12月9日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:水川あさみ 浅香航大 寄川歌太
監督:大庭功睦

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ずっと気になっていた作品。ようやく時間が取れたので劇場鑑賞。非正規やいじめの問題以上に、生きづらさを抱える全ての現代人に贈られた物語であると感じられた。

 

あらすじ

厚生労働省の若手官僚・鷹野(浅香航大)は、過酷な労働から不眠に悩まされていた。ある時、自分と同い年で自死を選んだ男性の背景を探ることになる。切り絵作家の翠(水川あさみ)は作家としてのキャリア、そして優柔不断な夫との関係について考え始めていく。中学2年生の学級委員長は、親友をいじめから救ったところ、自分がいじめの標的にされてしまう。三者三様の物語は、実は相互に関わっていて・・・

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ポジティブ・サイド

本作には大きな仕掛けがある。鑑賞してすぐに、こいつとこいつは同一人物の過去と現在の姿だなとピンと来たが、まさか3人の物語がそれぞれ3つの異なる時間軸で描かれているとは思わなかった。そんじょそこらのミステリ作品の真相よりも、こちらの方に驚かされた。これは脚本の勝利であろう(と我が目の不明を誤魔化しておく)。

 

キャラクターの描写も真に迫っている。霞が関の官僚の離職者数がわずか数年で激増したと報道されたのは記憶に新しい。いまだに大量の書類をプリントアウトし、ファイリングして仕事をしている様に、政府がこの国の頭脳および実務処理能力のトップレベルにある人間たちをいかに無駄遣いしているのか、慨嘆させられる。それでも健気に職務に励み、そして責任感および正義感ゆえに、自死を選んだ非正規雇用労働者の背景を探っていく。そうした官僚としての姿、および個人としての生き様を、浅香航大は実に印象的に描き出した。

 

水川あさみ演じる切り絵作家の姿にも現代社会の在りようが色濃く反映されている。DINKSという点でJovianは勝手に嫁さんを投影してこのキャラクターを見つめていたが、わが身につまされるような視線というか、夫婦関係の機微がいくつも見て取れた。もちろん、お互いを理解し合い、支え合う姿も描かれているが、ほんのわずかなすれ違いがどうしようもない歪みにつながっていく様は、この上なくリアルに感じた。特に、ある大きな決断を下した理由を夫に告げるシーンは、凡百のホラー以上の恐怖を世の男性諸氏に与えることだろう。『 喜劇 愛妻物語 』とは一味も二味も異なる妻を水川あさみは見事に体現した。

 

学級委員長のいじめ、シングルマザー家庭、同級生の女子との淡いロマンス、親友との関係の崩壊、そのすべてにリアリティがあった。いじめの何が辛いかというと、身体的・精神的に苦痛を負わされること以上に、苦しんでいる自分を自分で認めたくない、自分の親しい人に自分の苦しみを知ってほしくないと思うところだろう。耐えていれば何とかなる、自分には耐えられると思ってしまう。それが陥穽になる。Jovianはちょうど氷河期世代の真っただ中で、ちょうどリーマンショックの時期に最初の転職を決めた時に内定取り消しを食らったこともある、世の理不尽というものをそれなりに体験して感じるのは、「自分で自分を責めてはならない」ということである。同時に、自分で自分を責める者は、他人を責めることのない優しくて思いやりのある人間である。そのようにも感じるのである。

 

鷹野が追う若者の死の真相は明かされない。釈然としない思いもある一方で、それでいいではないかとも感じる。なぜ死を選んだのかではなく、なぜ自分には生きる理由があるのか。それをあらためて問い直すことになるからだ。

 

随所に、どこからともなく現れ、どこへともなく飛び去っていく飛行機が描かれる。生きるというのは、飛ぶことと似ているのかもしれない。知らない間に我々はこの世に産み落とされるわけだが、生まれたからには生まれた理由がある。飛んでいるからには、どこかに滑走路がある。あるいはどこかに着陸する。そんな風に物語を見つめていた。エンドロールの最後に歌人・萩原慎一郎の一節の詩が映し出される。そうか、自分は萩原の目線とは異なる目線で本作を見つめていたのかと感じた。けれど、それはそれでいい。自分は自分なりに生きている。素直にそのように思えた。これは異色の良作である。

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ネガティブ・サイド

鷹野が自死した青年について調べ始める動機が弱い。自分と同い年であるという以外に、写真やプロフィールを見て、何か引っかかるものがある、あるいは胸騒ぎを覚えたというシーンが欲しかった。顔写真をPCで拡大して、その瞳を覗き込んで、思わずのけぞるという描写は、被写体の目にその写真を撮影した人物が映っていて、その撮影者に驚いたように見えてしまった。

 

エンディングの曲も悪くなかったが、Jovianの脳内では勝手に『 翼をください 』を再生していた。もし『 翼をください 』を主題歌にしていたら、『 風立ちぬ 』と『 ひこうき雲 』並みにハマっていただろうにと無責任に想像させてもらう。

 

そのエンディングで、「登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません」というテロップには苦笑させられた。鷹野が務める厚生労働省はフィクションではないだろう。

 

総評

現代的でありながら普遍的なメッセージを持っている。生きづらさを感じることは誰にでもあるはずだが、その正体をこれほど回りくどく描いた作品はなかなか思いつかない。特に歌集にインスピレーションを得たという点で、脚本家の桑村さや香の翻案力は素晴らしい。生きるとは、この瞬間まで生きてきた生を引き受けることだ。賢明なる諸兄に今さらアドバイスするまでもないが、妻やパートナーに「○○はどうしたいの?」と尋ねまくるのはやめようではないか。男は理解者であることが求められるが、中身が空っぽではダメなのだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

move on

「前に進む」の意。物理的に前に進むだけではなく、過去を乗り越えて未来へ進むときにもよく使われる表現。“What happened happened. We have to move on.”=「起こってしまったものはしょうがない」のように使う。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 寄川歌太, 日本, 水川あさみ, 浅香航大, 監督:大庭功睦, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 滑走路 』 -過去と向き合い、現在から未来に飛び立つ-

『 アンダードッグ 後編 』 -画竜点睛を欠く完結-

Posted on 2020年12月7日 by cool-jupiter

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アンダードッグ 後編 70点
2020年12月5日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:森山未來 北村匠海 萩原みのり
監督:武正晴

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『 アンダードッグ 前編 』はかなりの出来栄えだった。森山未來と北村匠海の激突に否が応にも期待が高まった。そこに至るドラマは文句なしだったが、肝心のトレーニングのモンタージュと試合シーンが・・・ これぞまさに「画竜点睛を欠く」である。武正晴監督にはもう一度、ボクシングを勉強していただきたいものである。

 

あらすじ

芸人ボクサーの宮木とのエキシビションマッチを終えた末永(森山未來)は、ついにボクシングから足を洗い、家族との時間を取り戻す決断をするが、妻には離婚届を突きつけられる始末。勤め先のデリヘルも開店休業状態に。そんな中、デビュー以来破竹の快進撃を続けていた大村龍太(北村匠海)があるアクシデントに襲われ・・・

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ポジティブ・サイド

物語冒頭から暗い。ひたすらに暗い。まるで末永のキャリアや人生そのものに暗雲が立ち込めていることを映像全体が示唆しているようである。事実、彼にはボクシングを続ける理由も、家族を幸せにする甲斐性も見当たらない。まるで八方ふさがりである。あたかも『 哀しき獣 』のハ・ジョンウのごとく、もはや野垂れ死ぬしかない。そのような予感だけしかない。ドン詰まりに思えた物語が、一挙に動き出すきっかけとなる事件も、たしかに伏線はあった。北村演じる大村龍太に闇を感じると前編レビューで書いたが、その勘は正しかった。自分で自分を褒めてやりたい。

 

本作はボクシングドラマでありながら、上質な人間ドラマの面も備えている。デリヘルという社会の一隅のそのまた一隅で、決して日の光を浴びない仕事に従事する人間たちの関係は、実に細く、それでいて時に強く太い。どこまでも孤独に見える人間たちの、実はしたたかで豊かな連帯が胸を打つ。序盤に見られる凍てついた人間の心の闇の深さゆえに、その温もりは一層強く、また感動的だ。特に少々遅滞気味のデリヘル店長は、そのまっすぐさ、ひたむきさ、裏表のなさゆえに、社会的には許容できない行動に打って出るが、しかし人道的にはそれもありではないかと思わせてくれる。「けじめをつける」とはそういうことで、世間様が決めたルールに唯々諾々と従う一方で、己が己に課したルールを粛々と守るのがけじめのつけ方だろう。元ライバルで元世界王者に「お前、もうボクシングするんじゃねえ」と言われようと、ジムの会長に匙を投げられようと、己の生き様を全うしようとする。末永の生き方は社会的にも常識的にも受け入れがたいものであるが、一人の男として向き合った時に、まるで矢吹ジョーのごとく「まっ白な灰」になることを望んでいるかのように映る。そのことに魂を揺さぶられない者などいようか。

 

末永と大村の因縁も、まるで昭和の日本ボクシングの世界そのままで説得力がある。というか、漫画『 はじめの一歩 』の木村と青木が鷹村のボコられてボクシングを始めたのとそっくりではないか。実際に尼崎のボクシングジムでは1970~80年代は、街で暴れている不良の中から見どころのある者をジムに連れてきて、練習生にボコボコにさせていたという話もあったようだ。ケンカ自慢のアホな不良ほど、ボクシングでやられたらボクシングでやり返そうとして、練習に励みケンカをしなくなるというのだから、かつての日本には面白い時代があったのである。実際に本作にも登場する竹原などは、そうした時代を体が覚えているだろう。また、そうした社会のルールを守らないアホほど、ボクシング(別にスポーツでも何でもいい)によってルールを守るようになる。萩原みのりが語る大村の過去と、『 あしたのジョー 』で描かれる、力石とジョーの試合に熱くなった少年刑務所受刑者たちが、順番を守らずにリングに上がろうとする者を集団でボコボコにするエピソードには共通点がある。ルールを守らなかった奴らが、ルールを守らない奴らを叩きのめすところに更生が見て取れる。実際にリングに復帰すると決め、大村と対峙した瞬間から、末永は煙草も女も断っている。ヒューマンドラマとボクシングドラマが一転に交わる瞬間である。

 

トレーニングのモンタージュは『 ロッキー 』シリーズから続くボクシング映画の中心的文法で、末永が仕事の合間にサウナでシャドーボクシングをする姿は、砂時計という小道具の演出もあって、リアリスティックかつドラマチック。朝の街をロードワークに出かける様もロッキーそのままだ。ジムのミット打ちで左フックの軌道を念入りに確かめるところが玄人はだし。背骨を軸に腰を全く上下動させることなく、ナックルがしっかり返っていた。

 

大村との因縁の対決。決着。勝ち負けではなく、自分の生きる道を見定めるための戦い。最後にまっすぐと駆けていく末永の姿にパンチドランカーの症状は見られない。陽光を全身に浴びて一心不乱にまっすぐと走る男の姿は、「俺も頑張ろう」と背中を押されたような気持ちにしてくれる。

 

ネガティブ・サイド

『 百円の恋 』ではあまり気にならなかった、ボクシング界のあれやこれやの厳密なルールや不文律的なものが本作では忠実に描かれていなかった。これは減点せざるを得ない。まず、いくらデビューから連続1ラウンドKOを続けても、フェザー級で日本ランクにすら入らないだろう。というか、新人王戦へのエントリー資格を得た程度ぐらいだろう。そんな戦績で、怪我からの復帰後、2階級上のライト級で6回戦を飛び越して8回戦???ボクシング関係者やボクシングファン全員が漏れなく首をかしげることだろう。また末永の所属ジムの会長がインターバル時にタオルで末永をパタパタと扇いでいたが、これはアメリカやメキシコのリングならいざ知らず、日本では禁止事項。制作協力にJBCがあったが、審判やリングアナを紹介しただけなのか?ちゃんと仕事しろ。というよりは脚本家の足立紳の取材不足だろうか。『 百円の恋 』や『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』のような傑作をものすことができたのはフロックなのか。ボクシング界OBやプロボクシングのライセンス持ちの芸人なども出演していながら、この荒唐無稽な設定の数々は一体何なのか。

 

前編に引き続き北村のボクシングシーンがファンタジーだ。特に試合では猫パンチの連発で、まさか前編でデリヘル店長が発していた「ミッキー・ローク」という言葉がここで意味を持ってくるとは思わなかった。またセコンドの「足を使え」という指示に従ってサークリングを見せるが、これがまた下手すぎる。前編で北村のシャッフルの下手さを指摘していたのは多分、映画レビュワーの中でもJovianくらいだったが、後編でもそれは改善されていなかった。サークリングする時はリズミカルに飛び跳ねて一方向に回ってはダメ。すり足気味に、時に前足(オーソドックスなら左足、サウスポーなら右足)を軸にピボットを交えないと、高レベルのボクサー相手には間違いなく一発を入れられる。なぜかこのシーン、末永視点のPOVになっているが、大村陣営がサークリングを指示したのは末永の片目がふさがっているから。にもかかわらずカメラ・アイは北村の全身を映し続ける。視界の片側を消すなどの演出はできなかったのか。編集中に誰もこのことに気が付かなったのか・・・ そして、このシーン最大の問題はレフェリーの福地がさっぱり動かないこと。元々Jovianは福地のレフェリング能力は高くないと思っているが、そこは監督がもっと演出しないと。サークリングする大村を追って末永視点でリングを360度見渡すと同じところに福地が立ち続けている。これがどれだけ異常なことであるかはボクシングファンならばすぐにわかる。

 

試合の最終盤のスーパースローモーション映像も、あそこまで行くと滑稽だ。アマチュアボクシングならジャブであごがポーンと跳ね上がるとそれだけで負けを宣告されることもある。ボクサーはあごを引くことが本能になっていて、あんな光景はKO負け直前か、もしくはヘビー級ぐらいでしかお目にかかれない。

 

その他、銭湯で働く末永は絵になっていたが、仕事の合間に体重計に乗るシーンが欲しかったし、末永と大村の両者が計量に臨むシーンも欲しかった。撮影したが編集でカットしたのか。だとすれば、その選択は間違いであると言わせてもらう。また前編の殊勲者の勝地涼の出番が激減とは、これいかに・・・

 

人間ドラマ部分は満足できる仕上がりだが、総じてリアルなボクシングの部分がパッとしない。本当は65点だが、ボクシング映画ということで5点はオマケしておく。

 

総評

かなり辛口に批評させてもらったが、これは熱心なボクシングファン視点でのレビューだからである。普通のスポーツファンや映画ファンなら、そんな鵜の目鷹の目でボクシングを観る必要はない。『 ロッキー 』の物語文法そのままに、うだつの上がらない男でも何者かになることができる、ボクシングでそれを証明してみせる、という点を評価すれば本作は十分に良作である。前編を観たら後編を観よう。後編から観始めるなどということは絶対にしないように。2時間半の長丁場、体内の水分はできるだけ排出してから臨まれたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

retire

一般的には「引退する」「退職する」で知られているが、実際には他動詞「引退させる」という意味でもよく使われる。特にボクシングの世界では。劇中で大村が末永に「俺ら、引導を渡し合うしかないっしょ?」と言うが、その私訳は“We must retire each other, mustn’t we?”だろうか。引導を渡すなどという慣用表現は、逆にスパッとその意味だけを抽出して訳すべきだろう。

 

雑感

もしも末永が何かの間違いで世界タイトルマッチを戦ったら、こういう試合もしくはこんな試合になるだろう。興味がある向きは鑑賞されたい。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, ボクシング, 北村匠海, 日本, 森山未來, 監督:武正晴, 萩原みのり, 配給会社:東映ビデオLeave a Comment on 『 アンダードッグ 後編 』 -画竜点睛を欠く完結-

『 ミッドナイト・イン・パリ 』 -時よ流れよ、お前は美しい-

Posted on 2020年12月4日 by cool-jupiter

ミッドナイト・イン・パリ 70点
2020年12月2日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:オーウェン・ウィルソン レイチェル・マクアダムス マリオン・コティヤール レア・セドゥー
監督:ウッディ・アレン

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近所のTSUTAYAで秋の夜長フェア的にリコメンドされていた作品。今はもう秋ではなく冬だろうと思ったが、久しぶりにウッディ・アレンでも鑑賞して天高く馬肥ゆる秋の夜長の気分だけでも味わおうと思った次第である。

 

あらすじ

脚本家のギル(オーウェン・ウィルソン)は婚約者イネズ(レイチェル・マクアダムス)とその両親と共にパリに旅行に来ていた。深夜のパリで偶然に乗り込むことになったクルマは、なんとギルを1920年代のパリに連れて行き、多くの歴史上の作家や芸術家と交流することに。それ以来、ギルは夜な夜なパリの街に繰り出しては、不思議な時間旅行に出かけて・・・

 

ポジティブ・サイド

画面に映し出されるパリのあれやこれやが精彩を放っている。パリではなく巴里と表記してみたい。そんな風情にあふれている。パリに暮らしている人間の視点ではなく、パリに憧れる人間の視点である。『 プラダを着た悪魔 』でも描かれたが、アメリカ人もフランスに憧れ抱くのだ。

 

ギルが夜ごとに体験する1920年代の華やかなりしパリの街と歴史的な文化人との交流は、見ているだけでエキサイティングだ。その一方で、昼の現実世界で見て回る芸術作品は物の鑑賞になってしまっている。そして、ギルとイネズの共通の友人であるポールがクソつまらない蘊蓄を喋ること喋ること。どこかで見たような奴だなと思ったら、なんのことはない、自分である。現実のJovianも時々こうなっている。人の振り見て我が振り直せ。

 

昼間の現実と夜の過去世界。ヘミングウェイやサルバドール・ダリがカリカチュアライズされる一歩手前で生命を与えられているのがウッディ・アレンらしいところ。個人的にはT・S・エリオットの登場シーンに痺れた。幻想的な雰囲気の中、ギルがある人物に重要なヒントを与えたり、あるいは現実の世界の小説の描写に心臓が止まるほどの衝撃を受けたりと、徐々に虚実皮膜の間がぼやけてくる感覚にゾクゾクさせられる。同時に、現在ではなく過去に囚われることの愚かしさや恐ろしさも感じられ始める。といっても極度の不安や恐怖がもたらされるわけではない。今そこにある現実から逃避することは誰にでもあるが、その「誰にでもあること」を客観視した時、本当に大切なことが見えてくる。ゲーテは『 ファウスト 』をして「時よ止まれ、お前は美しい」と言わせたが、ウッディ・アレンは「時よ流れよ、お前は美しい」と言うのかもしれない。

 

秋の夜長にはちょうど良い作品。本質的には『 レイニーデイ・イン・ニューヨーク 』と同じで、主人公はウッディ・アレン自身の欲望・願望の投影だろう。歴史に名を刻んだ文化人と交流し、魔性の女と恋に落ち、婚約者と別れて、しかし現地で偶然に出会った女性と恋の予感を漂わせる。これがアレンの願望でなければ何なのか。多くの男性はアレンと己を重ねることだろう。

 

ネガティブ・サイド

ヘミングウェイの言う「真実の愛は死を少しだけ遠ざける」という哲学の開陳には眉をひそめざるを得なかった。Jovianは東洋人であるからして仏教が説くところの愛別離苦の方がしっくりくる。愛しているからこそ永遠の別れ=死が怖くなる、って聖帝サウザーか・・・

 

フィアンセのイネズのキャラが少々うるさすぎた。もちろん、ウッディ・アレンその人が嫌いなタイプを具体化したキャラクターに仕上がっているわけだが、それが行き過ぎているように感じた。ラスト近くでギルと破局する前に、とんでもない逆ギレをしてくれるが、そこは最後に「こう言えば満足?」ぐらいの台詞を最後につけてほしかった。色々な経験を積んできたギルはこれに動じなかったが、普通の男ならば精神の平衡を保つことができないほどの痛撃を心に食らったはずである。

 

総評

巴里に行ってみたくなる映画である。パリではなく巴里。Jovianの嫁さんはその昔、ルーブル美術館の女性職員に「英語を喋るな、フランス語で喋れ」と言われたことを今も憤慨している。いつかヨーロッパを旅行できるようになったら、嫁さんのリベンジを果たすためにも、そして深夜の巴里をぶらつくためにも、フランスに行ってみたい。そして『 シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい! 』のエドモン・ロスタンと幻想の世界で語らってみたいものである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

come out of left field

野球由来の慣用表現。外野の左翼からやって来る=突然に予期しないことがやって来る、の意。しばしば、

This might be coming out of left field, but …

こんなことを言うと唐突かもしれないけれど・・・

のような形で使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, アメリカ, オーウェン・ウィルソン, スペイン, マリオン・コティヤール, ラブコメディ, ラブロマンス, レア・セドゥー, レイチェル・マクアダムス, 監督:ウッディ・アレン, 配給会社:ロングライドLeave a Comment on 『 ミッドナイト・イン・パリ 』 -時よ流れよ、お前は美しい-

『 佐々木、イン、マイマイン 』 -He lives in you-

Posted on 2020年12月2日2020年12月6日 by cool-jupiter
『 佐々木、イン、マイマイン 』 -He lives in you-

佐々木、イン、マイマイン 75点
2020年11月29日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:藤原季節 細川岳 遊屋慎太郎 森優作 河合優実
監督:内山拓也

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このタイトルのインパクトは大きい。『 我が心の佐々木 』でもなく『 佐々木よ、お前を忘れない 』でもなく、『 佐々木 イン マイ マインド 』でもなく、『 佐々木、イン、マイマイン 』。なんかよく分からんが、凄いタイトルであることだけは分かる。そして中身も負けず劣らずに凄かった。

 

あらすじ

役者として芽が出ない悠二(藤原季節)は、職場で偶然、高校の同級生で親友だった多田(遊屋慎太郎)と再会する。変わっていく他人。変わっていない自分。それを意識する悠二は、佐々木(細川岳)という奇妙な親友のことも思い起こしていき・・・

 

ポジティブ・サイド

何というか、まるで自身の高校時代、そして紆余曲折あった20代をまざまざと見せつけられたように感じた。もちろん、悠二の人生とJovianの人生はまったく異なるものだが、この物語には普遍性がある。プロット自体はありふれたもの。夢を追い求めているものの、その夢に届かないまま現実に埋没していく男が、過去の輝いていた、少なくとも楽しんでいた、笑えていた時期を思い起こして、今を生きるためのエネルギーを得るというもの。読み飽きた、見飽きた物語である。では、何が本作をユニークにしているのか。

 

それはタイトルロールにある佐々木である。誰しも中学や高校、または大学の同級生に「そういえば〇〇というアホな奴がいたなあ」と思い出せることだろう。だが、本作で映し出される佐々木はただのアホではない。無邪気に笑う少年で、苦悩する男で、血肉のある人間なのだ。回想シーンでは、佐々木のアホな面ばかりが強調されるが、真に見るべきはそこではない。一昔前の言い方をするならば母親のいない欠損家庭の育ちであり、父親も家にはあまり帰ってこず、命綱はカップラーメンという高校生である。佐々木コールでスッポンポンになる姿は微笑ましいと同時に痛々しい。下の名前を呼んでくれる存在がいないのだ。

 

『 セトウツミ 』の川べりでのしゃべりのように、家でゲームをし、球にバッティングセンターに行く4人組。親友であることは間違いない。だが、上京する者あり、地元に残って就職する者あり、地元に残って就職しない者もありと、いつの間にか離散してしまっている。このあたりの描写が中年には結構きつい。身につまされる思いがする。あの友情はどこに行ってしまったのか。出会えば幼馴染のように一気に昔の関係に戻れるが、一方がスーツで既婚、もう一方がヨレヨレの私服でバイト暮らしでは、その関係性も昔のままのようにはなかなか行かない。そうした友情の在り方を本作は一面では問うている。その反面、そうした友情を愚直に、無邪気に、馬鹿正直なまでに大切にし、ずっと心の中で維持し続けてくれる友人もいる。それが佐々木なのだ。佐々木とは、我々中年が本当ならば保っているべき友への感謝、信頼、期待などの気持ちの代弁者であり体現者なのだ。

 

佐々木という豪快で繊細な男を演じ切った細川岳のパフォーマンスは見事の一語に尽きる。親友、そして事実上の喪主とも言える女性と巡り合えたことは僥倖だったし、そのことを我が事のように嬉しく感じられた。芝居で芽が出ない悠二も、自分の生き方と「役者」としての生き様が交錯するラストも万感胸に迫るものがある。10代20代よりも30代40代50代にこそ突き刺さる、青春映画の傑作の誕生である。

 

ネガティブ・サイド

悠二と同棲している元カノの存在が微妙にノイズであると感じた。夢の中身を「今日はどんな世界だった」と尋ねるのも奇異だ。別れた女と同棲しているのなら、そんなロマンティックな会話は慎めよと思うが、どうやらそれがルーティンらしい。だったらフラれた後にも、しっかりと口説き続けろと悠二には言いたい。

 

村上虹郎に「僕はあなたの芝居が好きだ」と評された悠二の芝居の独特なところや印象的なところ、佐々木にも「お前は続けなきゃだめだ」と言われた演技力が、回想シーンでは一度も描かれなかったのは残念である。

 

総評

佐々木には実在のモデルがいるということには驚かないが、これが長編デビュー作という内山監督のポテンシャルには驚く。次作以降へも期待が高まる。傑作を作るのに有名キャストや有名監督は必ずしも必要だとは限らないという好個の一例である。仕事にくたびれた中年サラリーマンよ、疲れているかもしれないが劇場へ行こう。その労力以上のエネルギーを本作から受け取ることができる。保証する。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

chant

日本語で言うところの「コール」である。「佐々木コールやれよ!」というのは、“Do the Sasaki chant!”または“Break out the Sasaki chant!”となり、「イチローコールは忘れられない」というのも“The Ichiro chant is unforgettable.”となる。応援などで言うcall=コールは典型的なジャパングリッシュなので注意のこと。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 森優作, 河合優実, 監督:内山拓也, 細川岳, 藤原季節, 遊屋慎太郎, 配給会社:パルコ, 青春Leave a Comment on 『 佐々木、イン、マイマイン 』 -He lives in you-

『 アンダードッグ 前編』 -まっ白な灰にまだなっていない-

Posted on 2020年12月1日2021年4月18日 by cool-jupiter
『 アンダードッグ 前編』 -まっ白な灰にまだなっていない-

アンダードッグ 前編 70点
2020年11月28日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:森山未來 北村匠海 勝地涼
監督:武正晴

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201201000132j:plain
 

ボクシングはJovianの好きなスポーツである。自分では絶対にやらないが、見ているのは楽しい。『 お勧めの映画系サイト 』で徳山昌守、ウラディミール・クリチコなどの“塩”ボクサーを好むと述べたが、もちろんスイートなボクサーも好きである。しかもタイトルがアンダードッグ、負け犬である。これは興味をそそられる。

 

あらすじ

かつての日本ランク1位、末永晃(森山未來)はタイトルマッチでの逆転負けを引きずり、咬ませ犬としてボクシングを続けていた。そんな末永はひょんなことから大村龍太(北村匠海)というデビュー前のボクサーと知り合う。また宮木瞬(勝地涼)は、大御所俳優の父の七光りで芸人をやっているが全然面白くない。そんな宮木にテレビの企画でボクサーデビューし、末永とエキシビション・マッチを行うという企画が浮上し・・・

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ポジティブ・サイド

森山未來の風貌が、まさに負け犬である。悪い意味ではない。良い意味で言っている。激闘型のボクサーはキャリアを積むにつれて“良い顔”になっていく者が多い。近年の日本のボクサーだと川嶋勝重や八重樫東の顔が当てはまる。打たれまくったおかげで顔が全体的に扁平になり、目からもパッチリさが失われてしまった。森山の顔もまさに歴戦のボクサーのそれで、ポスターの写真だけで「これはボクサー、それもアルトゥロ・ガッティのような激闘型だ!」と確信できた。まさにキャスティングの勝利である。

 

この末永が過去のトラウマに囚われている様が物語を駆動させている。ここに説得力がある。かの赤井英和は「ボクシングはピークの時の自分のイメージが強く残る。だから辞めるに辞められない」と語り、吉野弘幸も「(金山戦の時のように)もう一回はじけてみたい」と語るわけである。同じように世界のボクシング界には「メキシカンは二度引退する」という格言がある。いずれも過去の栄光を忘れられない、脳内麻薬の中毒者である。末永は違う。漫画『 はじめの一歩 』の木村と同じ、日本タイトルマッチであと一歩のところで敗れた経験を引きずっている。日本タイトルが欲しいのではない。『 あしたのジョー 』の矢吹ジョーのごとく、燃え尽きてまっ白な灰になりたいのである。後編を観ずともそれがこの男の結末であると分かる(と勝手に断言させてもらう)。

 

ボクシングシーンもなかなかの迫力。末永vs宮木のエキシビションでは、素人相手にはウィービングやスウェー、ダッキングで充分、仕留めるために距離を詰める時にはブロッキングという、まるでF・メイウェザーvs那須川天心のような展開。この脚本家と演出家(=監督)はボクシングをよく知っている。『 百円の恋 』はフロックではなかった。

 

前編で一番優遇されていたのは勝地涼。はっきり言って現代版お笑いガチンコファイトクラブなのだが、ボクシングの巧拙は問題ではない。圧倒的に不利な立場の負け犬が、それでも雄々しく立ち上がる姿が我々の胸を打つのである。邦画のホラーは貞子の呪縛に囚われているが、ボクシング映画やボクサーの物語はいまだに『 ロッキー 』の文法に従って描かれている。この差はいったい何なのか。

 

ここに北村匠海演じる新星、大村が絡んでくることになる後編が待ち遠しい。施設上がりで、妻が妊娠したことを知った時の闇を感じさせる台詞に、末永、宮木、大村の三者三様の物語が交錯し、燃え上がり、まっ白な灰へと変わっていく様を観るのが待ち遠しくてならない。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201201000212j:plain
 

ネガティブ・サイド

北村匠海も体を作ってきたのは分かるが、深夜のジムに潜り込んで末永相手にスパーを提案する際のアリ・シャッフルがヘタすぎる。単なるフットワーク?いや、単にシャッフルの練習不足だろう。日本のボクサーというのはそうでもないが、世界的にも歴史的にもボクサーは減らず口をたたいてナンボ。その減らず口をたたくだけの実力を証明した者が名とカネを手に入れる。北村のキレの無いステップは、将来を嘱望されるボクサーのそれではなかった。

 

末永のジムの会長の目が節穴もいいところだ。どう見てもグラスジョーになっていることが分からないのか。「ジムの経営も楽じゃないんだ」とぶつくさ言う前に、己のところのボクサーをしっかり見ろ。

 

末永の働くデリヘルの常連客である車イスの男が気になる。まさか「クララが勃った立った!」ネタの要員ではあるまいな。普通にEDで良かったのではないか。

 

総評

前編だけしか観ていないが、後編を観るのが楽しみでならない。12月5日(日)には観に行きたい。ボクシングに造詣が深くなくとも理解ができるのがボクシングの良いところである。そういう意味では『 三月のライオン 』や『 聖の青春 』、『 泣き虫しょったんの奇跡 』といった将棋映画は、何が凄いのか一般人にはよくわからないが、ボクシングは観ているだけで痛さが伝わるし、アドレナリンが出てくる。この前編は勝地涼の代表作になったと言ってよい出来栄えである。勝地ファンのみならず、普通の映画ファンにこそ観てほしい作品だ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take a peek

「覗く」の意である。しばしばtake a peek at ~ という形で使われる。My wife took a peek at my LINE.のように使う。最近、ロイ・ジョーンズ・Jr.とエキシビション・マッチを行ったマイク・タイソンのピーカブースタイルはpeek-a-boo styleと書く。いないいないばあスタイル、つまり両のグローブの隙間から相手を覗き見るスタイルである。Don’t take a peek at your partner’s smartphone!

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