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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 配給会社:ギャガ

『セッション』 -責める者と攻める者の一体化がもたらす究極のカタルシス-

Posted on 2018年7月27日2020年1月10日 by cool-jupiter

セッション 70点

2018年7月23日 WOWOW録画観賞
出演:マイルズ:テラー J・K・シモンズ
監督:デイミアン・チャゼル
製作総指揮:ジェイソン・ライトマン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180727013917j:plain

  • ネタバレに類する記述あり

原題は”Whiplash”、鞭打ちとジャズの名曲のタイトルのダブルミーニングである。または、第三の意味を持つTriple Entendreなのかもしれない。文字通り、鞭で打つが如くの言葉の暴力と折檻を繰り返す音楽学校の鬼教官テレンス・フレッチャー(J・K・シモンズ)と世界一のジャズドラマーになることを志す若きアンディ・ニーマン(マイルズ・テラー)。アンディの青春というか、ボーイ・ミーツ・ガール的展開もあるが、安心してほしい。すぐに終わる。というかアンディが終わらせる。君と会う時間も惜しい、練習をしたい、君と会ってもケンカを繰り返すばかりになってお互いに気まずくなる、だから今のうちにきれいに別れよう。それがアンディの言い分である。アホである。ドラム馬鹿である。よく失うものが何もない者は強いと言われるが、果たしてそうだろうか。守るものを持っている者の方が強いと思われる例も多々あると思うが。本作はそうした命題にも一つの答えを提示する。非常に興味深い答えである。

鬼教官と夢見る学生のぶつかり合いと言えば聞こえは良いし、激しいぶつかり合いが互いへのリスペクトにいつしか昇華するのだろうと予想するのはいとも容易い。しかし冒頭から物語が描き出すのはフレッチャーによる一方的な虐待である。正しくはアンディとフレッチャーの出会いの二日目からというべきだろう。フレッチャーの第一印象は、少なくともアンディにとってはすこぶる良かったからだ。フレッチャーはアンディのドラムの腕を認め、血筋や親の教育にその才能の源泉を求めたがるが、フレッチャーは音楽一家の生まれ育ちではない。それゆえに音楽学院の教授に、ある意味で見初められたのは、望外の僥倖だったことだろう。そして、翌日から、彼は地獄の責め苦を味わわされる。

その責めの苛烈さは実際の映画を観てもらうしかない。これまでJ・K・シモンズと言えば、色んな映画に脇役として色彩を添えることが多かった。最も印象的なのはサム・ライミの『スパイダーマン』シリーズの編集長だろう。『サンキュー・スモーキング』でも主人公のエッカートの上司として、ウィリアム・H・メイシーと共にどこかで観たことあるオッサンを好演していた。これらの役どころでは、本人はいたってシリアスであるにも関わらず、我々はそこに巧まざるユーモアを見出してしまうのである。けだし匠の技である。近年では『ワンダー 君は太陽』でオーウェン・ウィルソンが、『ハクソー・リッジ』ではヴィンス・ヴォーンが同じような路線の演技を堪能させてくれたが、本作におけるJ・K・シモンズは、ついにキャリアを代表する作品を手に入れた、というよりも自ら作り出したと言えよう。ブラック企業の経営者、あるいは軍隊にいる鬼教官、そうした言葉でしか名状しようのない情け容赦のない指導である。しかし、単にどなり散らすだけの役ではない。指先に至るまで神経を張り巡らさせたその演技により、我々はこの男に本物の指導者としての姿を見出すのである。アンディが学外でフレッチャーがピアノを演奏するのを見る機会を得る。鍵盤を慈しむかのようにピアノを弾くその姿に、アンディはフレッチャーの音楽への愛を見出す。そこで二人は言葉を交わす。フレッチャーは「第二のチャーリー・パーカーがいたとすれば、その男は絶対に諦めない」と切々と語る。その言葉にアンディは世界一のジャズドラマーになる夢を持つ自身を重ね合わせる。観る者はチャーリー・パーカーが誰であるかを知らなくても、何となくその凄さを理解できるようになっているのが脚本と演出の妙であろう。Jovian自身もRod Stewartの“Charlie Parker Loves Me”で名前だけ知っているぐらいだったが、フレッチャーの鬼のしごきの裏にある理想を追求してやまない、ある意味での求道者としての姿を見た時、クライマックスはこの歪な師弟の和解になるのかと思っていた。そんな予想は見事に打ち砕かれた。興味のある向きは日野皓正でググってみるとよいだろう。一頃、ワイドショーを賑わせたので、覚えている方もおられよう。あの時、日野氏はどう振る舞うべきだったのか、何をすれば良かったのか。その答えが本作にはある。というよりも、このドラマーは『セッション』を観ていたのではなかろうか。ヴォーカルと楽器の対話で個人的に最も印象に残っているのはB’zの『Calling』のイントロのギターと稲葉の歌唱、洋楽ではベタだが、やはりRod StewartとRon Woodが『Unplugged… and seated』で魅せた“Maggie May”か。音楽をやる人間というのは往々にして我が強く、音楽性の違いで解散するバンドは結局、カネの取り分で揉めて解散しているんだろうと思っていたが、実は結構な割合のバンドが“音楽性の違い”を理由に本当に解散しているという。フレッチャーが否定に否定を重ねるアンディーの音楽性が爆発するクライマックスは必見である。まるでボクサー同士が激しい殴り合いの末に互いへの尊敬の念を育むかのようなぶつかり合いは、観る者に息を吸うことすら忘れさせかねない迫力がある。爆音上映をしている時に、無理して観ておけばよかったと、後悔だけが今も募っていく。

本作のマイルズ・テラーのドラム演奏に感銘を受けた向きは、Rod Stewart & The Facesによる

www.youtube.com

のケニー・ジョーンズのドラムソロを観賞してみよう。若かりしロッドとロンも見られる貴重な映像である。それにしてもマイルズ・テラーはボクサーからドラマーまで何でもやる男だ。ハリウッドで売れるためには、渾身で臨まねばらないということを教えてくれる俳優だ。時間を見つけて、この男の出演作は一通り全てチェックしてみたいと思う。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, J・K・シモンズ, アメリカ, ジェイソン・ライトマン, ヒューマンドラマ, マイルズ・テラー, 監督・デイミアン・チャゼル, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『セッション』 -責める者と攻める者の一体化がもたらす究極のカタルシス-

友罪

Posted on 2018年6月12日2020年1月10日 by cool-jupiter

友罪 35点

2018年6月10日 東宝シネマズ梅田にて観賞
出演:生田斗真 瑛太 佐藤浩一 夏帆
監督:瀬々敬久

良く言えば群像劇。悪く言えば支離滅裂。この映画のテーマが何であるのかを直感的に感得することは難しい。殺人者との交流なのか、犯罪者の更生なのか、家族の離散と再生なのか、友情の喪失と復活なのか。結びのシーンを見るに、おそらく過去に喪失してしまった友情を、現在ではもう手放さない、相手がどうであれ自分がどうであれ受け容れるんだという意味合いに解釈できないでもないが、とにかく物語の軸があまりに定まらないので、観終ってからも釈然としない気持ちが最も強く残っている。もちろん、感銘を受けた部分もあるのだが、それ以上に困惑させられたシーンの方が多い。

最も太い軸は、益田(生田斗真)と鈴木(瑛太)が町工場で一か月の試用期間を通じて、一通りでない関係性を構築していくパート。同時にそこに佐藤浩一演じるタクシードライバーや、山本美月演じるジャーナリストも絡んでくるのだが、特に佐藤の役の背負う十字架があまりにも重すぎ、これだけで一本の映画にした方が良いのではないかと思えた。佐藤の息子が無免許で車を運転し、子ども3人を撥ねて死なせたのだ。刑務所でお務めはすませたものの、そんなものは遺族にしてみればどうでも良いことで、佐藤は遺族に時につきまとわれ、時に謝罪を拒否され、果ては身内にまで「頭を下げることに慣れ過ぎている!」と怒鳴られる始末。事件当時は一家を守る目的で敢えてバラバラになることを選択したが、そうこうしているうちに刑務所を出てきた息子が、女と同棲し、子どもまで作っていることが発覚(判明と書くべきなのかもしれないが、この息子の言動には本当に辟易させられたので、敢えて発覚とする)し、息子の独断専行ぶり、家族を潰し、家族を奪った者がのうのうと家族を作ろうとするーそれも家族に相談なしにーその姿勢に佐藤は心底慨嘆させられる・・・ もうこれだけで脚本を一つ書けそうである。しかしこれはメインではなくサイドストーリー。

本筋は少年Aの成長後の生活環境である。酒鬼薔薇聖斗と聞けば、30歳以上であれば即座に反応することだろう。神戸連続児童殺傷事件と言えば、ある程度若い世代でも聞いたことがあるだろう。佐世保の女子高生殺害事件よりも大きく扱われた、あの事件。Jovianは一時期、東京三鷹市に住んでいたが、目と鼻の先の府中刑務所に少年Aがいるという噂を聞いて、一瞬だけだが震えた記憶がある。もちろん作品中の少年Aは 酒鬼薔薇聖斗その人ではないが、その名前が青柳健太郎と聞けば、彼の本名を思い出す人も多いだろう。まるで漫画『寄生獣』の田宮良子と田村玲子のように。

あまりストーリーについてくどくどと述べても生産的ではないし、もっと思い返して考えてみたいというテーマでも作りでも無かった。ただし、罪を犯した者が幸せになってはいけないのか、という問いには自分なりの答えを出す必要があるのだろう。佐藤浩一は「無い」と言い切った。Jovianはあると思う。ただし、絶対に後ろめたさを感じなくてはならないし、絶対に自分の家族は守らなくてはいけない。その姿勢が全く見えない佐藤の息子には、正直反吐が出そうだった。まあ、それも考えさせるためのプロット上の工夫であると見做すなら、一定の効果を上げていると言えよう。

演技者として生田斗真は、エキセントリックな役はこなせても、悔恨の念を強くにじませたり、恐怖を感じる、そして恐怖を抑え込むような演技にまだまだ成長の余地を残していた。対する瑛太は『光』や『64 ロクヨン』などのちょっと頭がイってしまった、または直情径行なキャラを演じさせれば、日本では今最も巧みな表現者かもしれない。佐藤浩一の演技力は折り紙つきだし、『ピンクとグレー』あたりからセクシーシーンも普通にこなせる夏帆も存在感を見せる。その他のキャストも魅力的な役者を多く配しており、中でも瀬々監督との相性が良い飯田芳は、無鳥島の蝙蝠とでも言おうか、自分より強い者と新入りの間を行ったり来たりする実に人間らしい役どころを見せてくれた。

最後に瀬々監督にも一言。『8年越しの花嫁 奇跡の実話』は素晴らしい作品で、映画化に際しての脚色もドラマチックさを大いに増してくれたもので、クライマックスの怒涛の動画メッセージは反則級の演出であると思った。だがしかし、『ストレイヤーズ・クロニクル』は邦画史上でも稀に見る駄作であった。意図のはっきりしないカメラアングル、つながらないストーリー、能力を効果的に活用できないガキンチョ集団、それを追う大人の組織の頭の悪さ、まったくサスペンスを生まないクライマックスと、ダメなエンターテインメントはこうやって作れという教材のような酷い出来であった。次回の同監督の作品のクオリティによっては、見切りをつける決断をしなくてはならないかもしれないと不本意にも感じさせられる本作『友罪』であった。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 瑛太, 生田斗真, 監督:瀬々敬久, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 友罪

万引き家族

Posted on 2018年6月10日2020年2月13日 by cool-jupiter

万引き家族 80点

2018年6月10日 東宝シネマズ梅田にて観賞
出演:リリー・フランキー 安藤サクラ 松岡茉優 樹木希林
監督:是枝裕和

* 本文中にいくつかネタバレに類する情報あり 

予告編は何度も何度も映画館で目にしてきたが、誤解や批判を恐れずに言わせてもらえば、かなりミスリーディングな作りになっている。それを好意的に取るか、それともアンフェアと受け取るかは観る人による。

東京近郊のあばら家に暮らす柴田治(リリー・フランキー)、柴田信代(安藤サクラ)、柴田亜紀(松岡茉優)、柴田祥太(城桧吏)、柴田初枝(樹木希林)の5人家族。稼業はそれぞれ日雇い労働者、アイロン掛けバイト、女子高生風俗バイト、万引きアシスタント、年金だ。

生活費の足りない部分は万引きで補うわけで、そこでは様々なテクニックからおまじないまでが使われる。そこには美しさも何もない。翔太は「学校っていうのは家で勉強できない奴が行くところだ」と言い放つシーンに、なるほどと思う者もいれば、とんでもないクソガキだと嫌悪感を催す者もいるだろう。同じことは亜紀にも当てはまる。家族で一番のお祖母ちゃんっ子で、信代にも彼氏ができました報告をするなど、一見普通に見えるが、やっていることは風俗一歩手前というか、まあ風俗嬢である。しかし、そこで客に差し伸べる手の優しさは観る者に何かを見誤らせる力を持っている。それは初枝にしても同じで、あるところから定期的に金を受け取るのだが、それは狙ってもらっていたものなのか、それとも意図せずもらえてしまった金なのか。これは是枝監督自身が舞台あいさつで述べていたことだが「(劇中の祥太のある決断の背景を尋ねられて)そんなに単純に作っていないんですよねえ・・・」という第一声を漏らしていた。ということは、これらのキャラクターの複雑に見える行動の原理も単純であるはずがなく、多様な解釈はそれこそ観る側が監督の意図を正しく汲んだものとして、このレビューを続けたい。

ある日の万引き帰り、治と祥太はとあるアパートのベランダに放置されている女の子を拾ってくる。「ゆり」という名のその子は依頼、柴田家の一員となり、家族の輪に加わり、家族の和に触れる・・・わけではない。生みの親か、それとも育ての親かというのはある意味で文学その他の永遠のテーマで、ごく近年に限っても是枝裕和監督の『 そして父になる 』や『 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス 』などで提起される問題だ。そしてそこに答えなど無い。あってはならない。もちろん、この疑似家族が家族らしさを体現しないのかと言うと、そんなことはない。おそらく今では失われて久しいちゃぶ台を囲んでの夕餉の団欒が頻繁に活き活きと描かれるし、縁台に出て、家族そろって隅田川の花火を楽しむ描写も存在する。しかし、騙されてはならない。そこにある美しさは上辺のもので、花火は音が聞こえるだけで決して花火そのものは見えない。誰しもに親が存在するのは理の当然ではあるが、家族という実体(花火)を求めて、音だけ(疑似家族)を楽しむその様は美しくも歪である。他にも例えば5才のゆりや第二次性徴手前ぐらいの祥太に盗んできたインスタント食品ばかりを食べさせるのは、緩やかなネグレクトではないのか。学校に行かせないのもネグレクトを構成しないのか。この家族に美しさだけを見出したとすれば、それは失敗であろう。

治「お前、さっきオッパイ見てただろ?いいんだ、男はみんなオッパイ好きなんだ。ここも大きくなってきたか?」

祥太「うん、病気かと思って心配してたんだ」

このような会話は父と息子の間で必ず交わされるべき会話であろうし、それができないのなら、そいつに父親の資格は無いとすら思う。ただ、とある駄菓子屋での出来事をきっかけに祥太の中で生まれた変化、自意識の芽生えに関して、治はあまりにも無関心すぎたし、家族という絆をあまりにも機能的に捉え過ぎるきらいがあった。海水浴を楽しむところをピークに、疑似家族はあっけなく自壊していく。警察の取り調べを受けるシーンで安藤サクラが見せる演技は圧巻の一語に尽きる。家族は選ぶものなのか、選ばれるものなのか、それとも最初から所与のものなのか。あらゆる思考と感情の対立と矛盾に一気に押し潰された個の悲哀が切々と語られるその様に、涙が止まらなかった。

この映画で最も素晴らしいのは、もしかしたら音楽かもしれない。『 アメリカン・ビューティー 』におけるトーマス・ニューマン、『 その男、凶暴につき 』の久米大作のような、さりげなさに潜む力強さと奥深さにしびれた。それを一番感じたのは、監督と主役二人の舞台登場シーン。映画本編よりもマッチしていたのではなかったか。

ネットの一部では「万引きは犯罪で、この映画は犯罪を美化している」という映画を観たかどうか怪しいレビューもあれば、「日本人は万引きなどしません」という現実を見ているかどうか怪しいレビューもある。「是枝は文化庁から助成金をもらっておきながら、国からの祝意は丁重に辞退するというのは倫理の二重基準であり、怪しからん!」という声まであるようだ。是枝監督は言うまでもなく納税者であり、公的サービスを受ける権利を有している。一方で国が祝意(それが単なる電報であれ国民栄誉賞であれ)を送ることそのものがかつてないほど政治色を帯びているのが現代日本である。Jovianは今も羽生結弦の国民栄誉賞授与検討のタイミング(大会すべてが消化されていない段階でマスコミにリークするか?その他のアスリートに対して配慮が無さ過ぎるし、村田諒太の批判は真っ当至極と感じた)について政府に疑念を抱いているし、祝意を表したいのなら、それこそパルムドール受賞発表直後で良かった。彼の行動を二律背反だとレッテル貼りするのは容易い。しかし、それがどうした?作品を鑑賞することなく行動を批判することに意味などない。芸術を好意的にしろ批判的にしろ評価したいのなら、まずは作品を鑑賞すべきだ。であれば是枝も耳を貸すだろう。氏には是非、今後も骨太の創作活動を続けて頂きたく思う。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, A Rank, ヒューマンドラマ, リリー・フランキー, 安藤サクラ, 日本, 松岡茉優, 樹木希林, 監督:是枝裕和, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 万引き家族

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