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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 綾野剛

『 ホムンクルス 』 -原作を改悪するな-

Posted on 2021年4月6日 by cool-jupiter

ホムンクルス 40点
2021年4月4日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:綾野剛 成田凌 岸井ゆきの 石井杏奈
監督:清水崇

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ホムンクルスという言葉に初めて触れたのは手塚治虫の『 ネオ・ファウスト 』だった。腎臓の人間ではなく、人間の深層心理を擬人化したものが見えるというのは面白いアイデア。どうせ漫画を映画化するなら。これぐらい毒のある作品にトライしてほしいもの。ただチャレンジ精神と結果は別物である。

 

あらすじ

記憶喪失でホームレスとして暮らす名越(綾野剛)に、謎めいた男・伊藤(成田凌)はトレパネーション手術を持ちかけられる。その手術を受けた名越は左目だけで見ると他人の深層心理が見えるようになってしまい・・・

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ポジティブ・サイド

綾野剛の演技が光る。ホームレスでありながらAMEXのブラックカードを持ち、高級ホテルの展望レストランで食事をする。記憶がないのだが、記憶を取り戻すことに拘泥しない。どこか底知れない雰囲気の男を好演した。感情の無い男が徐々に感情を表出するようになっていく過程は見応えがあった。特にホームレス仲間の命の値踏みを淡々と進めていくところは、感情がないようでいて感情があった。つまり、元々路上生活者たちのことを何とも思っていなかったわけで、ストーリーの持つメッセージの一つ、「見てはいるけど、見ていない」を体現していたわけだ。

 

成田凌も平常運転。『 スマホを落としただけなのに 』や『 ビブリア古書堂の事件手帖 』と同じく、インテリなサイコパスを怪演した。青っ白い肌に奇抜な髪の色と髪型、そしてファッション。映画『 セブン 』的な精神病者気質の部屋。ちょっと頭がいっちゃってる役を演じる成田凌としては、本作は過去作よりも上かもしれない。

 

石井杏奈と岸井ゆきのもしっかりと脇を固めている。特に石井杏奈の方は女優としてはまだまだ駆け出しでありながら、結構ハードなシーンに挑んでいる点には好感が持てる。『 記憶の技法 』とか本作のような暗めの作品ではなく、広瀬すずや橋本環奈がキャピキャピするような映画でヒロインの親友役を狙った方がプロモーション上は吉なのでは?

 

本作の特徴の一つに、効果音の不気味さが挙げられる。特にトレパネーションを実施する際のドリルの音は、歯科医の使う器具の音でありながら、頭蓋骨に穴を空けるというその行為の気持ち悪さによって、不快指数を否が応にも高めてくれる。その他にも、音が印象的なのが本作の特徴である。フォーリー・アーティストを称えようではないか。

 

ネガティブ

綾野剛がトレパネーションを受けて、はじめて右目を隠して街を観るシーンは緊張感が漂った。が、実際に目にした光景を見てずっこけた。何じゃこりゃ?と。まず、CGがしょぼい。唯一ちょっと面白いなと感じたのは体が右半身と左半身に別れて、左右反転した形で歩いているサラリーマンぐらい。その他の意味不明な姿は本当に意味不明だ。トラウマが目に見えると伊藤は推測していたが、だったら「今から会える?」と電話しながら下半身、特に腰部だけをクルクルと回転させていたミニスカ女子は一体なんなのか。普通に考えれば「お、今日はセックスする気満々だな」ぐらいにしか思えないのだが、それもトラウマなのか?

 

トレパネーションの結果、ホムンクルスが見えるようになったというのは受け入れられる。だからといって内野聖陽演じる組長が、ドスを握った手を不随意にプルプルと震わせるのは理解できない。百歩譲って名越の言葉に動揺したせいで震えてしまったことにしてもよい。だが、それをあたかも名越自身の何らかの超能力であるかのように描写するのはいかがなものか。また、組長がトラウマから解放されるくだりはあまりにも安直過ぎないか。たったそれだけで心の傷が癒えるのなら、これまで切り落としてきた小指七十数本については胸が一切痛まなかったというのか。精神医学の歴史を変える治療だと伊藤は言うが、とてもそうは感じられない。古典的なカウンセリングにしか見えなかった。

 

同じことは石井杏奈演じる女子高生にも当てはまる。そもそも名越に携帯の中を見られたことをさも当然のことであるかのように振る舞っていたが、どうやってパスを解除したのか、まずそこを不審に思わないところがおかしい。また性についてのコンプレックスがあるのはさして珍しいことではないが、それがあんな形で治療扱いになるのか?むしろ新たなトラウマを植え付けただけだろう。なぜ組長は言葉で治療しながら、女子高生には『注射』で治療するのか。原作がこうなのか?それとも注射に至る過程の描写が映画では削られているのか?どちらにせよ、見ていて気持ちいいものではなかったし、筋が通っているとも感じられなかった。

 

肝心の名越が記憶喪失になった経緯も、中途半端にしか説明されていない。何が起こったのかは分かった。だが、あのような出来事があれば、必ず葬式やら入院退院やら警察からの事情聴取などがあるはずなのだ。そこで必ず身分証明がなされているはず。そうした社会的に当然の事象を全部すっ飛ばして記憶喪失でござい、と言われて納得などできるはずもない。原作は未読だが、エピソードを端折り過ぎているか、あるいは大幅に改変、いや改悪しているのは間違いない。

 

本作の放つメッセージとして「相手の心を見ろ」というものがあるのだろうが、そこが上手く伝わってこない。なぜホムンクルスが見える人間とそうでない人間がいるのか?名越の目にホムンクルスが見える人間に何らかの共通点はあるのか(友達を傷つけた、性体験、父親からの愛の不足)?伊藤がホムンクルスを見てななこを誤認したのは理解できなくもないが、肌と肌を合わせて気が付かないことがあるのか?それこそ無意識レベルで何か思い出すのでは?また伊藤の顔の吹き出物は何なのか?伊藤のトラウマは金魚ではなく水槽ではないのか?などなど、疑問が尽きない。

 

総評

『 犬鳴村 』や『 樹海村 』よりは面白いが、素材の持つ毒を完全に調理しきれているかと言うとはなはだ疑問である。『 オールド・ボーイ 』や『 藁にもすがる獣たち 』のような振り切れた日本産の作品の映像化に大成功している韓国が本作を映画化したら、いったいどうなっていたのだろうか。悪い出来ではないが、ミステリ、スリル、サスペンスのいずれの面でも、少し足りないという印象である。実力ある役者を集めてみたものの、総合的な味付けで失敗したという印象。綾野剛や成田凌のファンなら鑑賞してもよい。逆に言うとそうでない映画ファンはスルーもひとつの選択肢である。というかスルーしてよい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Why are you shaking?

劇中である人物が「なんで震えてるの?」と言う場面がある。その私訳である。「震える」の最も一般的な動詞は shake だが、感情または肉体が原因での震えは tremble、寒さが原因の震えには shiver を使うことも覚えておきたい。

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, D Rank, スリラー, 岸井ゆきの, 成田凌, 日本, 監督:清水崇, 石井杏奈, 綾野剛, 配給会社:エイベックス・ピクチャーズLeave a Comment on 『 ホムンクルス 』 -原作を改悪するな-

『 ヤクザと家族 The Family 』 -家族観の変遷を描く意欲作-

Posted on 2021年2月4日 by cool-jupiter

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ヤクザと家族 The Family 80点
2021年1月31日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:綾野剛 舘ひろし 尾野真千子 豊原功補 磯村勇斗
監督:藤井道人

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『 新聞記者 』の藤井道人がまたしても秀作を届けてくれた。『 宇宙でいちばんあかるい屋根 』は見逃してしまったが、おそらくこの監督は2020年代の邦画を支える存在に成長していくことだろう。そう思わせてくれるだけの力量を本作から感じ取った。

 

あらすじ

山本賢治(綾野剛)は父を亡くした。覚せい剤中毒だった。街中で偶然に目にした売人からクスリと金を奪った賢治は馴染みの料理屋に向かう。そこにやって来た柴咲組組長・柴崎(舘ひろし)の危機をたまたま救ったこと、さらに売人の属する組の者から追われていたことから、賢治は柴咲と親子の杯を交わす。そして賢治はやくざ稼業で徐々に頭角を現していくが・・・

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ポジティブ・サイド

本作は現時点での綾野剛のキャリア・ハイである。『 新宿スワン 』の演技も良かったが、あちらは漫画のキャラクター、つまりは原型が存在していた。対して本作は映画オリジナル、つまりは一から監督兼脚本家の藤井道人と共に作り上げたキャラクター。この差は大きい。前者は極端な表現をすれば物真似で、後者こそ演技と呼べる。

 

2005年で25歳ということは、賢治はJovianと同世代である。20歳から39歳までを演じ切った綾野剛の演技の幅には唸らされた。少年期の無軌道なチンピラぶりと、寺島しのぶの切り盛りする焼肉屋での無邪気な会話のギャップ。柴咲組の構成員として夜の街を仕切る若手。そしてお務めを終えて嗄声気味になってしまった中年の入り口。タバコの吸い過ぎ、および肉体的な衰えを声だけで表してしまった。クリスチャン・ベール演じるバットマンとは一味違う、というよりもそれ以上に巧みな声の演技だと評したい。綾野剛が時代と共にどん底から絶頂へ、絶頂からどん底へという人生を送るのだが、すべての時代において強烈な生き様を見せつけている。

 

親分である舘ひろしや敵対する組の豊原功補など、役者としての先輩や大御所級が古いヤクザ、そして新しい時代に適合しようとするヤクザを熱演。法に照らして良いか悪いかを判断するなどというのは野暮というものである。昭和を古き良き時代と回想できるかどうかは人による、あるいは時代に拠るのだろうが、昭和から平成、そして令和となった今の時代、高齢ヤクザは間違いなく昭和を古き良き時代と回想するだろう。本作が描くのは平成から令和の世である。つまりは、本作に描かれるヤクザ者たちも、没落していく、絶滅していくという大きな時代の流れに飲まれつつあるのである。そうした時代に雄々しく生きようとする男たちに、何故これほど胸を揺さぶられるのか。Jovianはヤクザが嫌いであるし、中学生や高校生の頃に父親と一緒に観た高倉健の任侠映画の討ち入りだとか、自分を慕ってくれる人のための敵討ちだとか、そういう浪花節には心を動かされなかった。しかし、本作の賢治の生き様には不覚にも感動を覚えた。俺も年を取ったということかな・・・

 

賢治と尾野真千子演じる由香のロマンスも良い。意味なく夜の海へとドライブに行くシーンが印象的だ。周りには誰もおらず、二人きり。それでも賢治はヤクザという鎧を脱ぎ捨てることができない。このシーンがあるがゆえに、その後に賢治がヤクザではなく一人の弱々しい男として由香の前に現れる場面で、由香の包容力がよりいっそう際立つ。『 影踏み 』でも感じたが、尾野真千子の母性の表現には脱帽である。

 

令和の時代、ヤクザの凋落っぷりと半グレの台頭、そして元ヤクザに対する世間の風当たりの強さ。面子や体面に命をかけるヤクザには生きづらい世の中だ。と言うよりも、生きていくことが許されない世の中だ。このように映し出される“今”という時代に我々は何を見出すべきか。コロナ前に撮影されたであろう本作は、驚くほどコロナ禍の今を映し出している。自粛警察やマスク警察が跋扈し、飲食店に無理な休業をさせた政府に「補償と休業はセット」と言いながら、実際に休業あるいは時短営業した店に補償を行うと、今度はそれらの飲食店を叩く時代である。元ヤクザの家族というだけで退職や転校を余儀なくされてしまうところに、コロナ感染者叩きと全く同根の社会病理を見る思いだ。実際にJovianの同僚の娘さんの小学校では、とある生徒の親がコロナ陽性となり、その子も濃厚接触者認定され、学校を休んだ。結果としてコロナいじめが発生し、転校せざるをえなくなった事例があったという。未成年はかなり高い確率で大丈夫と判明しつつあった2020年に日本各地の学校で学年閉鎖(学級閉鎖ではない)が頻発したのは、誰がコロナ陽性あるいは濃厚接触者であるかを分からなくするためという目的もあったのだ。

 

決してハッピーエンドではない本作であるが、それでもヤクザが家族を持つこと、そしてヤクザという疑似家族関係について、大きな示唆を与える問題作となっている。2020年の邦画のトップ3に入るだろうと2月の時点で予言しておく。

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ネガティブ・サイド

舘ひろし演じる柴咲の親分があまりにも無防備すぎる。「俺の命、取れるものなら取ってみろ!」と敵対する組に凄んでおきながら、ろくにボディガードもつけずに釣りに出かけるとはこれ如何に。クルマも防弾仕様にしておきなさいよ。実際に銃を持った相手に襲われるのは、初めてではないのだから。

 

寺島しのぶは在日のオモニやね。序盤で、店内に飾られている人形がチョゴリを着ていたが、もうちょっと分かりやすく在日アピールすべきだったかもしれない。家族という血のつながりそのものの関係よりも強い関係が、たとえば外国人とも結べるのだというサブプロット的なものが欲しかった。日本社会の底辺あるいは周辺に生きる者たちの連帯=疑似家族関係が描かれていれば、成長した翼が率いる半グレ軍団の結束などにも説得力が生まれたかもしれない。

 

総評

現代日本において血のつながり以外で家族的な関係を生じさせるものというと、職人の世界が思い浮かぶ。寿司職人や大工、お笑い芸人や噺家の世界には親方や兄貴分が存在する。もう一つは政治の世界か。派閥の論理でポストが決まり、国民ではなくお友達だけを優遇厚遇する政治家連中は今でも派閥の領袖を「親父さん」などと呼んでいる。家族と言う閉じられた関係性は美しいものであると同時に「反社会的」にもなりうるというアンチテーゼまで、見えてくる気がする。非常に優れたヒューマンドラマであり、社会的なメッセージも内包した傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

start over

「やり直す」、「もう一度最初から始める」の意味。劇中で舘ひろしが綾野剛に「お前はやり直せる」と言葉をかけるシーンがある。その私訳は“You can start over.”となるだろうか。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 尾野真千子, 日本, 監督:藤井道人, 磯村勇斗, 綾野剛, 舘ひろし, 豊原功補, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:スターサンズLeave a Comment on 『 ヤクザと家族 The Family 』 -家族観の変遷を描く意欲作-

『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』 -突っ込みどころ満載の超絶駄作-

Posted on 2020年11月14日2022年9月19日 by cool-jupiter
『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』 -突っ込みどころ満載の超絶駄作-

ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 5点
2020年11月13日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北川景子 綾野剛
監督:深川栄洋

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なんとなく『 マスカレードホテル 』との共通点を思わせる。豪華キャストがバディになって、犯行予告をしてくる犯人を追うというところが特にそう思わせる。タイトルも意味深だ。普通なら『 ドクター・デスのBLACK FILE 』とか『 ドクター・デスの殺人カルテ 』で良さそうなところを何故“遺産”とするのか。『 ソウ 』のジグソウみたいな奴なのかという懸念もあったが、ミステリかつサスペンスは好物ジャンルということもあり、近所の劇場へと出向いた。

 

あらすじ

連続不審死を捜査していた警視庁最強コンビの犬養(綾野剛)と高千穂(北川景子)は、「ドクター・デス」と呼ばれる安楽死を請け負う医師の存在にたどり着く。しかし必死の捜査の最中、犬養の娘がドクター・デスに安楽死を依頼してしまい・・・

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ポジティブ・サイド

北川景子と綾野剛がそれなりに熱演している。またドクター・デス役の俳優も頑張っている。

 

偶然だろうが、1~2週間ほど前にニュージーランドで“安楽死”を合法とする法案が可決されたというニュースがあった。医療が発達した現代、本作は死の意義をあらためて問い直す契機にだけはなったと言える。

 

そうそう、販促物で『 マスカレードホテル 』と同じ愚を犯さなかった点は評価せねばなるまい。

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ネガティブ・サイド

長文注意。以下、ビミョーにネタバレに触れるので未見の方はスルーを推奨する。

 

警視庁最強コンビって、アホかいな。警視庁の刑事連中というのは韓国映画の警察よりも遥かに無能な人間の集まりなのか。とにかく捜査の段取りが悪すぎるし、リアリティも何もない。ちなみにすれっからしのJovianは開始5分でドクター・デスの正体が分かってしまった。

 

オープニングのEstablishing Shotから何かを間違えている。あれ、俺は『 犬鳴村 』を観に来たわけではないのだが・・・と思われた。この時点で嫌な予感が漂った。

 

不審死した人間の家族(小学生だが)から警察に通報があったとして、いきなり刑事が出向くか?しかも捜査一課の“最強コンビ”が?だいたい、死亡時刻が昼の11:30、通報がその日の夜だとすれば、当日は仮通夜、翌日に通夜、その翌日に葬式だとして警察登場に2日半のタイムラグがある。遅すぎるやろ・・・。それに普通は所轄の警察官が出向くべき、なぜに一課の刑事が動員されるのか。さらにいきなり司法解剖するためか、棺桶を火葬場から持っていくのだが、令状ぐらい見せんかいな・・・。公権力を振り回せる人間が横柄に振る舞うこと、さらに後述するが綾野剛演じる犬養の人間性が最悪なところが、本作が本来なら投げかけることができていたはずの社会的なメッセージを非常に底浅いものにしてしまっている。

 

捜査の突っ込みどころはまだまだ続く。周辺の聞き込みもいいが、せっかくの防犯カメラ映像なんやから、それをとことん追いなさいよ。周辺の防犯カメラの映像を総ざらいしなさいよ。その上で聞き込みの範囲を指定しなさいよ。石黒賢演じる班長的存在の指示が昭和の刑事長レベルで止まっている。また防犯カメラの映像と家族の証言から、家に来た人間は医師と看護師の二人だと分かった。よし、似顔絵は医師の方だけ作ろう、って、アホかーーーーーーーー!!!典型的な認知バイアスで、それこそ警察官、特に捜査一課の刑事ともなれば絶対に陥ってはならない思考の陥穽にものの見事にハマっている。その看護師もこのご時世にご丁寧にナースキャップをかぶって敢えて目立とうとしている。『 ココア 』でも突っ込んだところだが、ナースキャップは日本でも世界でもほぼ廃止されている。嘘だと思われるなら「看護師」でグーグル画像検索をすべし。ほとんどのナースは最早キャップをつけていないし、つけているとすればめちゃくちゃ古い画像か、就職・転職系のサイトか、またはアダルトサイトであろう。

 

閑話休題。本編の刑事たちの無能っぷりは留まるところを知らない。序盤で小学生に追いつけない綾野剛にも失笑したが、60歳以上の河川敷ぐらしのホームレスと駆けっこをして追いつけない20代の若い刑事には文字通り頭を抱えた。火葬場の時と同じく、横柄に「任意同行」させればよいだけだ。ここらでいっちょ北川景子の見せ場でも作っとくか、ぐらいにしか監督は思っていなかったのだろうが間違っている。犬養刑事も無能の極み。ドクター・デスからのせっかくの着信をなぜ逆探知しない?しかもチャンスは2回あったではないか。それに闇サイト云々もサイバー部隊を動員して追いかけなさいよ。警察にも『 スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼 』の刑事みたいなのがいるはずだ。バックドアを使えとまでは言わないが、ITを駆使した捜査も同時並行で行わないのはリアリティがない。リアリティがないのは意味なく挿入される居酒屋のシーンも同じ。人があれだけたくさんいる場所で刑事が事件の話をするか?警察の食事会または飲み会は個室が原則ではないのか?個室でないにしても、テレビドラマ『 相棒 』の飲み屋のような客が自分たちしかいないとすぐにわかるこじんまりとした店を選ぶべきではないのか?原作の小説もこうなのか?それとも映画化に際して改悪されているのか?

 

『 ビバリーヒルズ・コップ2 』の時代から、靴に付着していたであろう土の成分を調べるのは捜査の常道だが、逆にそうした然るべき捜査をした時に矛盾が大きくなるのが本作の弱点だ。ドクター・デスに安楽死を依頼した5つの家族の玄関から共通の土の成分が検出されたと言うが、そんな馬鹿な話があるものか。関係者の証言によるとドクター・デスは月に1~2回の犯行に及び、警察が把握しているのは5件、全体ではおそらく35件とされている。警察が把握している5件が連続して行われた犯行だとしても、最初の家族から5番目の家族までは最短でおそらく2か月半、長ければ5か月の間が空くことになる。1件目と35件目の間隔ならば、最短でも1年半。その間にどの家庭も玄関先を一切掃除することがなかったのか。にわかには信じがたい。

 

さらに終盤、携帯の通話音声を詳細に解析、小さな救急車のサイレンの音が入っていたのをキャッチ。これは事態が動くか?と期待させて、「特定できるか?」「それはちょっと・・・」って、アホかーーーーーーーー!!!そら日本中の救急車の出動を全部把握するとなると人手も時間もかかる大仕事だろうが、まずは東京都だけでも調べろよ。〇月〇日何時何分という非常に確度の高い情報があるのだから、消防および救急患者を受け入れている病院に片っ端から当たれよ。アホなのか手抜きなのか無能なのか。おそらく全部だろう。

 

本作は安楽死に関する問題提起をした点だけは認められる。しかし、安楽死を望む人間およびその周辺の描写がクソ薄っぺらいため、議論の深めようがないのだ。綾野剛演じる犬養刑事の人間性が腐っているところがまずダメだ。負けそうになったオセロの盤をひっくり返したのは、「アクシデントか?」と思ったが、複数回それをやっているという確信犯。それだけならまだ許せたかもしれないが、愛娘に「お父さん、サボり?」と言われて「仕事の方がサボってるんだ」と返事する無神経さ。そこは「お父さんが暇だということは世の中は平和なんだ」と返すところだろう。仕事の方がサボっているという言い方は、事件が起こってほしいと願っているように聞こえる。また、警察という国家権力を振り回せる人間が私人性を突かれると弱いというのは事実であり、だからこそ時に一個人が警察をほんろう出来たりもするわけである。だが、本作ではその私人性の描写も弱い上に、その描写が家庭人としてダメダメであるところを強調するだけという始末。では公権力をフルに活用しているかというと、上述のようにアホな捜査を繰り返すだけ。そんな奴らに「安楽死は殺人だ」と言われても問題提起にならない。国家がこれは罪であると決めたことだからダメだと言われても、その国家権力がここまで無能だと「安楽死もありではないのか?」という意見に傾いてしまう人間が絶対に一定数出てくるはずだ。もう一つ、Jovianが犬養刑事を私人性について白々しいと感じたのは、娘に対して作ったお弁当。レシピ通りに作って美味しいわけはないだろう。原作者も監督も『 聖の青春 』を100回読めよ。腎臓病食が美味しいわけはないだろう。Jovianもその昔、ボランティアの付き添いでレトルト腎臓病食を食べたことがあるが、何の味もなかった。これを1日3回、10年も20年も続けるのかと思うとしみじみと寂しくなってくる。それが病人の食事だ。そうした愛娘やその他のドクター・デスに依頼した患者たちが絶対に感じていたであろう葛藤や懊悩を一切映すことなく「安楽死はただの殺人」と無能な国家権力の持ち主に言われても、受け取り手としてはシラケるばかりで問題提起とは受け取れない。決して。

 

他にも、窓やドアから入る自然光とは全然別の角度からの光があまりにも多く使われていて、不自然極まりないシーンも多数ある。スクリーンの外側に映画の世界ではなく撮影スタッフの存在を感じさせれば、それは興行映画として失敗作である。本作は話のも酷いものだが、映画製作の技法もお粗末の一言である。

 

総評

観てはならない、チケットを買ってはならない。『 事故物件 怖い間取り 』と肩を並べる世紀の駄作で、年間クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補の最右翼に躍り出た。Jovianは嫁さんと共に出向き、嫁の耳元で犯人を呟いて不興を買ったが、鑑賞後、嫁は不承不承にJovianの意見に同意した。つまり、本作は2020年屈指の駄作である、と。もう一度言う。観てはならない、チケットを買ってはならない。Don’t say you’ve never been warned. 警告は発した。後は諸賢の自己責任である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. I want to cleanse my palate and forget about this film as quickly as possible.

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, F Rank, サスペンス, ミステリ, 北川景子, 日本, 監督:深川栄洋, 綾野剛, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』 -突っ込みどころ満載の超絶駄作-

『 閉鎖病棟 それぞれの朝 』 -細部のリアリティの欠如が誠に惜しい-

Posted on 2019年11月7日2020年4月20日 by cool-jupiter

閉鎖病棟 それぞれの朝 65点
2019年11月4日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:笑福亭鶴瓶 綾野剛 小松菜奈
監督:平山秀幸

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平山監督と言えば『 学校の怪談 』が最も印象的である。だが、近年は『 エヴェレスト 神々の山嶺 』が、岡田准一ファンのJovianでさえ観るのがしんどい出来だったこともあり、精彩を欠いていると言わざるを得ない。本作はどうか。人間の描写は文句なしである。だが、それ以外の部分の描写に不満が残った。

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あらすじ

梶木秀丸(笑福亭鶴瓶)は妻と間男、実母の殺害により死刑に処された。しかし、脊髄損傷を負ったものの死ねなかった。以来、放免となり六王寺病院に収容されていた。塚本(綾野剛)は幻聴のせいで精神の安定が保てず発作的に暴れてしまう。そのため、六王寺病院に任意入院していた。そこに、ひきこもりの女子高生の島崎由紀(小松菜奈)が入所してきた。入院患者たちはいつしか語らい、触れあい、堅い関係を形作っていくが・・・

 

ポジティブ・サイド

主演の三人の演技力が本作を牽引した。特に鶴瓶の陽気さは、その胸の奥底に秘めた後悔、悲しみ、懺悔の気持ちが綯い交ぜになった、非常に複雑な覚悟のようなものを醸し出していた。「わしは世間に出たらアカン人間や」と自分を戒めながら、それでも人との交流に安らぎを見出したいという、とても人間味のあるキャラクターを好演した。『 アルキメデスの大戦 』でも浪速の商売人を見事に体現したが、この芸人は役者としての修行も疎かにしていないようである。

 

綾野剛も渋い働きをした。ちょっと遅れ気味のカメラ小僧をはじめ、アクの強い六王寺病院の入所者たちと平等に交流できるのは、同病相哀れむからか。まともに見えるこの男も、おそらく統合失調症だとは思うが、幻聴に苛まされているのである。これは経験した人にしか分からないだろう。Jovianも31歳の時に鬱状態に陥ったことがあった。あれは辛いものである。人によって異なるようだが、Jovianは自分自身の声が頭の中に反響する感じがした。いくら耳をふさいでも効果はゼロだった。その声が自分の欠点や弱点を延々と責め立ててくるのだから敵わない。綾野剛はそうした幻聴が聞こえる者を、多少大げさではあったが、よく特徴を捉えて演じていた。しかし、本当に光るのはそうした「動」の演技よりも、「静」の演技であろう。メイクさんグッジョブや監督の演出意図もあったはずだが、綾野剛が演じる塚本という男の頭髪および衣服の乱れ具合と彼の精神状態をよくよく比較してみて頂きたい。精神状態の悪さがセルフ・ネグレクトにつながるということが、ここでは言葉や台詞を使うことなく巧みに表現されている。

 

だが、最も印象的なのは小松菜奈だった。『 ディストラクション・ベイビーズ 』では、クルマのドアで菅田将暉を死ぬほど痛めつける時に狂気の表情を見せたが、本作で見せる絶望の表情そして声も、観る者の心を揺さぶってくる。ファンにとってはショッキングなシーンも複数回あるので、注意をされたし。小松菜奈も綾野剛同様に、慟哭だけではなく、切々と淡々と語り、楚々とした佇まいに秘めた凛とした強さを垣間見せる「静」の演技で物語を大いに引っ張ってくれる。彼女がお辞儀をした時に見えるあるものに、Jovianはよい意味で胸が締め付けられるような気持ちになった。『 恋は雨上がりのように 』に並ぶ、小松菜奈のベストなパフォーマンスがここにある。打ちひしがれていた小松のキャラが陶芸によって少しずつ回復していく様は、非常に象徴的である。粘土というなにものにも成り切れていない一つのかたまりに投影されていたであろう心象に想いを馳せずにはいられなかった。

 

BGMも感動を誘うが、むしろ音のない場面が印象に残った。とある公園のシーンが特徴的だったが、街中には生活音が溢れているということが、その場面では特に際立つ。これにより六王寺病院という空間が、いかに隔離された場所に存在するのかが逆説的に伝わってくる。音楽ではない音を通じて、背景の奥行きを想像する。これも優れた映画の技法である。

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ネガティブ・サイド

主演を張った役者たちの熱演と裏腹に、舞台や小道具などの細部のリアリティは滅茶苦茶である。これは原作小説の発行が1997年、最初の映画化が1999年、今回の映画化において時代設定を2005~2010年ぐらいに設定しているためと思われる。

 

まず看護師のカーディガンがあり得ない。いや、たまに着用する人はいるが、それでも袖はまくっている。看護師は学生時代にそれを叩きこまれるからだ。試しに「看護師」でグーグル画像検索をしてみて頂きたい。カーディガン着用の看護師がほとんどいないことが分かるだろうし、時間や機会があれば実際に病院の病棟や外来に行ってみて頂きたい。カーディガンを羽織っている人がいても、袖はまくられているはずである。いくら閉鎖秒という、ある意味では看護師にとってはぬるい職場であっても、この描写は頂けない。それとも原作にそのような記述があり、それを忠実に映画化したのだろうか。いや、そんなはずはあるまい。

 

また、病棟の設備にも設定上の粗が目立つ。冒頭で鶴瓶がエレベーターから車イスで降りるシーンで、エレベーターの扉が閉まり始めたのを鶴瓶が手で制したが、これは撮り直しをすべきだった。病院のエレベーターというのは、それこそ昭和の昔から、閉ボタンを押さない限りは、あんなに素早く閉まり始めたりはしない。また、これも冒頭近くに看護師が外から鍵を開けて、中からまた鍵で扉を施錠するシーンがあった。閉鎖病棟の「閉鎖」を物語る重要なカットだったが、扉が軽すぎるだろうと思う。精神疾患系の患者の病棟や収容所は、今も昔もかなり重く作られている。よほど古い施設で撮影をしたのだろうか。それでも、役者の演技で扉の重さを伝えることはできるはずだ。邦画はもっともっと細部=ディテールへのこだわりを持たねばならない。

 

また、Jovianのような鵜の目鷹の目の映画ファンならずとも、六王寺病院の男性・女性看護師や精神保健福祉士(?)や介護士(?)の仕事ぶりに、プロフェッショナルなサムシングを感じることはほとんどなかったのではないか。最も特徴的だったのは、渋川清彦演じる暴力傾向の収容者だ。劇中でりそな銀行が出ていたこと、そしてそれなりの性能のデジタルカメラが使われていたことから2005年~2010年という時代設定がされているものと推測する。劇中でも「最近は、頭がアレな人でも人権がね~」と駄菓子屋さんに語らせていたが、これなどは2010年代の感覚だろう。10年前か、それ以上過去なら、今以上に身体拘束が頻繁になされていたはずだ。もしくは隔離。このような凶暴かつ有害な人間を、ほぼ野放しにしておくのは六王寺病院の重大な管理ミスであろう。また、小松菜奈を迎えに家族、なかんずく血のつながらない父親の暴力傾向を見て、退院を阻止しないのは何故か。また警察に通報すらしないのは何故なのか。いくら虐待が今よりも目に触れにくい時代設定であるとはいえ、六王寺病院のスタッフ一同はそろいもそろって無能の極みである。

 

トレイラーにもあるので言及するが、最終盤の裁判の描写もお粗末の一言である。死刑を執行されたものの生き延びた人間の裁判である。異例中の異例の裁判である。本来であれば、マスコミから傍聴人まで、多数の人間が裁判所に殺到しているはずである。そもそも新聞記事の小ささからしておかしい。一面とは言わないまでも、袴田事件並みのインパクトで報じられてしかるべきではないか。実際にそのような事例がこれまで発生していないのでリアリティもクソもないとの理屈も成立するが、それはマスコミの感度をあまりにも過小評価しすぎであろう。

 

総評

ディテールの設定や描写がしっかりとしていれば、75~80点を与えられたかもしれない。それほどに主演3名の演技は光っており、それほどに細部の描写が甘い、または弱い。ドラマ展開は非常に読みやすい、王道的なもので、人によっては凡庸と評するかもしれない。しかし、人間模様に着目するならば、2019年の邦画の中でも上位に入る。細かい部分に目をつぶって、劇場鑑賞されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Come back here.

 

トレイラーにもあった看護師さんスタッフの台詞、「戻ってらっしゃい」の英訳である。日本語としても定着しているカムバックであるが、物理的な移動で戻ってくることもあれば、病気や怪我から回復する、戦線離脱から復帰するという意味もある。単純ではあるが、深い表現である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, ヒューマンドラマ, 小松菜奈, 日本, 監督:平山秀幸, 笑福亭鶴瓶, 綾野剛, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 閉鎖病棟 それぞれの朝 』 -細部のリアリティの欠如が誠に惜しい-

『パンク侍、斬られて候』 ―実験的な意欲作と見るか、製作者の自慰行為と見るか―

Posted on 2018年7月1日2020年2月13日 by cool-jupiter

パンク侍、斬られて候 30点

2018年7月1日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:綾野剛 北川景子 東出昌大 染谷将太 浅野忠信 國村隼 豊川悦司
監督:石井岳龍
脚本:宮藤官九郎

まず30点というのは、Jovianの個人的感覚であって、この点数が他のサイトやレビュワーさんの点数よりも正確であるとは思わない。また観る者全員が傑作もしくは駄作であると一致した意見を見る作品は比較的少ないはずだ。Roger Ebertのようなプロの映画評論家の意見であっても、必ずしも賛成する必要は無い。自分の感性を信じるとともに、他者の感性も尊重すべきだ。現に映画館では、Jovianの嫁とその右隣のお客さん、さらには右側少し下のお客さんは映画のかなりの部分を熟睡していた。一方で、映画のちょっとしたギャグシーンで「クスッ」「ハハハ」「ワハハハ」というような声も聞こえてきた。彼ら彼女らはこの映画を楽しんだことだろう。重畳である。問題は、何故自分が楽しめなかったのか、というよりも、この映画のどのあたりが自分と波長が合わなかったのかを考えた方が建設的かもしれない。

まず、人によっては開始1分でずっこけるだろう。どうみても江戸時代で日本人にしか見えない綾野剛がルー大柴のようなカタカナ交じりの日本語を話す。それ自体は見る人によっては面白いのかもしれないが、リアリティを重視する自分としては全く面白くなかった。むしろ興醒めだった。また主要キャストに女性は北川景子しかいないのだが、そのせいでその登場シーンの印象が薄れるというか、「いや、このタイミングでこの登場の仕方をするってことは、冒頭のあのキャラが北川景子で決定やないか」と、キャスティングそのものがプロットをばらしてしまっているも同然なのだ。脚本のクドカンは何をやっているのか。

もちろん評価すべき点もある。家老として対立関係にある國村隼と豊川悦司は邪悪な笑みでその演技力の高さを見せつけるし、北川景子も無表情に清楚に踊る。反対にクスリでもやっているんじゃないのかというトリッピーな目で踊る染谷将太は、エキセントリックな役を演じさせれば同世代のトップランナーの一人であることをあらためて証明した。『新宿スワンⅡ』で綾野剛と共演した浅野忠信は今回は肉体派の演技に加えて、イカれたメンタルの持ち主を違和感なく演じることができることを教えてくれた。役者の面々には褒めるところが非常に多いのだが、これが映画全体を通して見ると、エンターテインメント性を思ったよりも持っていないのだ。

それは細部への過剰なこだわりによるものであろう。観賞中にやたらと気に障ったのは、アクションに対して効果音を多用しすぎであるということ、その効果音もやたらと大きく、音そのものが前面に出しゃばっていることだ。またCGの多用も文字通り目についた。『不能犯』の松坂李桃の目を覗き込んだ時の視覚効果もそうだったが、あまりにカクカクした、あるいはきれいすぎる曲線や、人工的にしか見えないクリアに色分けされた領域など、製作者側が限られた予算でこんなビジュアル、あんなビジュアルを使いたいと張り切った結果が、面白さに反映されないのだ。

本当に、これは観る側と作る側の波長の問題で、あらゆる作品について認識の乖離は起こりうる。シネマティックな作品は必ずしもドラマティックではないのだ。それだけはどうしようもない。ただし、これだけは言わねばなるまい。

パンク侍、斬られずに候!

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, コメディ, 北川景子, 日本, 監督:石井岳龍, 綾野剛, 配給会社:東映Leave a Comment on 『パンク侍、斬られて候』 ―実験的な意欲作と見るか、製作者の自慰行為と見るか―

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