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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 監督:堤幸彦

『 ファーストラヴ 』 -窪塚洋介に惚れろ-

Posted on 2021年2月15日 by cool-jupiter

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210215215905j:plain

 

ファーストラヴ 50点
2021年2月14日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北川景子 中村倫也 芳根京子 窪塚洋介
監督:堤幸彦

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原作は島本理央の同名小説で、『 望み 』の堤幸彦監督作品。俳優陣に旬の役者をそろえたが、その役者たちの奮闘と監督による演出や編集がかみ合っていないと感じられるシーンが多かったのが残念。

 

あらすじ

公認心理士の真壁由紀(北川景子)は、父親を刺殺した容疑者、聖山環菜(芳根京子)を取材する。真相を究明しようとする由紀と国選弁護人にして義理の弟の庵野迦葉(中村倫也)は、二転三転する環菜の供述に翻弄されていく。環菜の過去を探る過程で、由紀は封印した自身の心の闇に向き合うことになり・・・

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以下、ネタバレに類する記述あり

 

ポジティブ・サイド

俳優陣の演技合戦が堪能できる。主演の北川景子はここ数年で最もコンスタントに売れている女優で、わざとらしさが残るものの、その演技も円熟味を増してきた。本作でも20歳ぐらいの大学生を(おそらくデジタル・ディエイジング無しに)演じ切った。仕事に燃えるキャリアウーマン、使命感に燃えるプロフェッショナル、夫と仲睦まじい妻といった成熟した女性と、男性恐怖症の大学生を同時に演じるというのは、かなりのチャレンジだったはず。だが、見事にその大仕事をやり遂げた。特に夫の腕の中で改悛と安堵の涙に濡れるシーンは本作の白眉の一つ。

 

芳根京子も圧巻の演技。凄惨な登場シーンから、ちょっと不思議ちゃんを思わせる最初の接見。そこから闇を心の奥底に隠した女子大生の顔を小出しにしていき、ある一点で心のbreaking pointを迎えるシーンは圧倒的だった。環菜の初恋には、触れざるべきものがあるのだと思わせるに十分な壊れっぷり。この役者は若いに似合わず、追い込めば追い込むほど実力を発揮できる役者なのではないか。法廷での弁論シーンも印象的。裁判官に正対して語りながら、その目は裁判官を見ていない。弱く、それでいて守られることのなかった自分に向き合っている。そのことがもたらす辛さや痛みが観る側にも如実に伝わってくる。芳根のキャリアの中でも最高に近い演技になったと思う。

 

最も印象に残ったのは、なんと窪塚洋介。堤幸彦監督作品の常連ながら、外連味のある役柄ばかりを演じていたという印象があったが、本作で過去のそうしたイメージを一気に払拭してしまった。忍耐力、包容力、理解力、共感力、家事家政能力。男が持つべき(などと書くとセクシズムに聞こえかねないが、これはロマンチシズムであると解されたい)能力を全て備えた男を好演した。Jovianの嫁さんも窪塚演じる我聞にいたく感じ入っていた。男としてどうかと思わざるを得ない野郎どもでいっぱいの本作の中で、窪塚洋介は一人で主要キャラクターたちのバランスメイカーとして有効に機能した。

 

物語(プロット)も、謎が提示され、その謎を解く。それによって新たな謎が生まれ、そのことが由紀の過去と不思議なフラクタル構造を成していることで、ミステリ要素とサスペンス要素を巧みに融合させている。単なるラブロマンスではなく、サスペンス色強めの愛の物語として、大学生以上の年齢の男女にお勧めできる。

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ネガティブ・サイド

物語(ストーリーテリング)の面でアンバランスになっているとの印象を受けた。由紀が環菜を同一視していく過程に説得力がない。確かによく似た境遇の二人ではあるが、由紀と環菜で決定的に異なるのは、由紀は父親から直接的にも間接的にも虐待はされていないということ。そして、由紀の性体験に関するトラウマは環菜のそれの比ではないということ。正直なところ、なにが由紀をそこまで環菜の取材および真相究明に駆り立てるのかが分からなかった。『 さんかく窓の外側は夜 』や『 名も無き世界のエンドロール 』も映像化に際してかなり原作が改変されているようだが、本作もやはり原作には映像化しづらいエピソードがあるのだろう。事実、「あなたは母親に愛されなかったからセックス依存症になった」という由紀の指摘は、やや的外れに感じた。「母親に虐待されたから、暴力的なセックスをするようになった」という分析なら理解できる。また、由紀は環菜のような“笑うこと”、“自分で自分を傷つけること”といった防衛機制を作り上げていない。そこからどのように自分自身のファーストラヴにたどり着いたのかが見事なまでに抜け落ちている。原作におそらくあったであろう、そうしたエピソードこそ映像化にトライしないと、単に映画人が小説からネタだけ頂戴しているだけに思える。

 

演出もちぐはぐだった。回想シーンを印象的なBGMあるいは歌で飾るのは映画の常とう手段でそれ自体をクリシェだとか悪いものだとは思わない。問題は、同じ手法を短時間の中で連発すること。寿司屋で大将に「お任せで」と言ったら、玉子焼き→エビ→玉子焼き→エビ、と出されたようなものである。また芳根が面談の場で荒れ狂うシーンもスローモーションとBGMで誤魔化してしまった感がある。環菜の心の闇の濃さと深さを見せつけるせっかくの機会を、なぜに陳腐な演出で潰してしまうのだ?

 

最終盤の法廷シーンでもBGMがノイズになった。環菜が訥々と、しかし切実に自身の過去および心理を述べるシーンの静かな迫力は『 閉鎖病棟 それぞれの朝 』の小松菜奈のそれに比肩しうる。問題はBGM。完全に不要。「はい、ここで物語が盛り上がっていますよ~」と言わんばかりのBGMが、芳根の渾身の芝居をスポイルしていた。役者の演技はどれも悪くなかったのだから、どうすれば観客にそれが最大限伝わるのかをもっと真剣に模索すべきだ。

 

完全なる邪推なのだが、「髪を切る」というエピソードは原作には存在しないと推測する。『 花束みたいな恋をした 』でも感じたが、男が女の髪に触るというのは、今では普通のことなのだろうか。そこまでは認めてもよい。だが、出会って間もない女性の髪を切るというのは蛮行もいいところだと思うし、本当にそんなことが出来るのは腕と弁の立つ美容師か、究極のオラオラ系のホストぐらいだろう。

 

総評

俳優陣は皆、良い仕事をしている。一方で演出や編集、また原作からの脚本起こしに粗が見られる。原作小説を高く評価する人はスルーすべきかもしれない。北川景子や中村倫也のファンならば観ても損はない。得をするかどうかはファン度による。堤幸彦監督は良作だと駄作を交互に生み出すお方であるが、本作は可もあり不可もある作品に仕上がっている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

souvenir

「お土産」の意。旅先から持って帰って来るものを意味する。決して「夜遅くまで飲んでしまったから、嫁に手土産でも買っていくか」という類のものではない。それはgiftと呼ばれる。Souvenirという語に含まれるvenは、ラテン語で「来る」の意。カエサルの「来た、見た、勝った」=Veni, vidi, viciでお馴染みである。こうした語彙素の知識があれば、event = 出てくるもの = 出来事、prevent = 前に来る = 予防する、revenue = 後ろに来る = 収入、intervene = 間に来る = 介入する、などの様々な語も理詰めで覚えることができる。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, サスペンス, 中村倫也, 北川景子, 日本, 監督:堤幸彦, 窪塚洋介, 芳根京子, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 ファーストラヴ 』 -窪塚洋介に惚れろ-

『 望み 』 -親のリアルな心情を抉り出す-

Posted on 2020年10月14日2022年9月16日 by cool-jupiter

望み 75点
2020年10月11日 MOVXあまがさきにて鑑賞
出演:堤真一 石田ゆり子 岡田武史 清原果耶
監督:堤幸彦

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『 十二人の死にたい子どもたち 』でも述べたが、堤幸彦監督は良作と駄作を一定周期で生み出してくる御仁である。本作は良作である。安心してチケットを買ってほしい。

 

あらすじ

規士(岡田武史)は怪我でサッカーを辞めてから、悪い連中と付き合うようになってしまったらしい。冬休みの終わり、ふらっと家を出た規士は、そのまま家に帰ってこなくなった。そして、規士の同級生が殺害されたとのニュースが。犯人は逃走中。そして、もう一人被害者がいるとの情報も。規士は加害者なのか、それとも被害者なのか・・・

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ポジティブ・サイド

これは『 ひとよ 』に勝るとも劣らない良作である。母が殺人者だったら、そして母が殺したのが父だったら、残された家族はそれを赦せるのか、赦せないのかを『 ひとよ 』はドラマチックに描き切った。本作は、息子が殺人者なのか、それとも息子は殺害されてしまったのか、という究極のジレンマに引き裂かれる家族の姿を実にリアルに映し出した。

 

堤真一演じる父親は、息子が殺人者であってほしくはない、むしろ被害者であってほしいと願ってしまう。一方、石田ゆり子演じる母親は、息子が生きているのなら殺人犯であってくれて構わないと願っている。どちらかが正解であるとは言えない。息子が罪を犯していようがいまいが、自分の元に帰ってくれさえすればいい。そうした母親の狂気にも似た執念を我々は『 母なる証明 』に見た。石田ゆり子は世間を敵に回しても息子を愛する母親像を打ち出した点で、篠原涼子や吉田羊らの同世代から一歩抜け出したといえるかもしれない。

 

堤真一も魅せる。父親として、息子を信じているからこそ、殺人などありえない。そんなことをするわけがないし、できるはずもない。だから被害者の側だろうと考える。それは残酷と言えば残酷だが、息子を心から信頼しているとも言える。それも一つの愛情の形だろうし、そこに正誤も優劣もない。自宅前に押し掛けるマスコミに対しても真摯に対応するし、マスコミの誘導に引っかかって声を荒げてしまうのは、裏表のない人間性の表れである。

 

それにしても、本作に描かれるマスコミのウザさ加減よ。これは取りも直さず昨今の本邦のマスコミの低レベル化への痛烈かつストレートな批判だろう。報道とは面白可笑しく行うものではないし、取材とは物語を構築するために行うものではない。メディアは事実の確認(いわゆるファクト・チェック)をまず行うべきであって、都合の良い情報ばかりを提示して、視聴者を躍らせてはならないのだ。そう、一般人もある意味で同罪である。コロナ禍の最中にある今、自粛警察だとかマスク警察だとかが跋扈し、偏狭な正義感から他者を叩くことを是とする人間が増えた(というよりも可視化された、と言うべきか)。本作はそうした日本人の残念な習性を見事に先取りして映し出したと言える。他にも『 白ゆき姫殺人事件 』が描き出したSocial Mediaの中の無数の無責任な発言および発言者を、本歌取りするかの如く、より鮮やかに描き出した。我々は本来、無関係であるはずだが、そこであることないこと、好き勝手に書くことに慣れているし、そうした情報を受け取ることにも慣れ切っている。それがいかにグロテスクなことかを、監督や脚本家、原作者は糾弾している。

 

いやはや、最近の邦画では珍しいまでに人間の在り方を直截に描き出し、人間の心情をとことん抉り出した傑作である。

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ネガティブ・サイド

あまりに警察が無能すぎる。これはちょっとどうかと思う。警察をとことんコケにするのが様式美になっている韓国映画ではないのだ。普通なら、刃物の存在について父が証言しているのだから、その刃渡りや形状と遺体の刺し傷を照合する必要があるし、その刃物の購入経路や購入者についても調べるはずだ。なによりも、父親が「私が預かっている」と明言しているにせよ、その現物を確認するだろう。それに、行方不明届けを提出することに決めたのなら、規士の部屋を一通り見て回って、行き先などの手がかりも探すだろう。生活安全課の元警察官のJovian義父が本作を観てどう思うか。

 

本作のラストの余韻も少々疑問である。『 ウインド・リバー 』のように、現実を拒絶するのではなく現実を受け入れたからこその結末なのだろうが、それにしても以下白字自転車の数が3台から2台に減るのは、さすがに物分かりが良すぎでは?

 

ラストの俯瞰のショットも芸がない。監督自身の作風なのかもしれないが『 人魚の眠る家 』と瓜二つではないか。このような家族がこの世界にはきっとたくさんあるのだと言いたいようだが、ワンパターンなショットは頂けない。

 

総評

多少の弱点はあるものの、2020年の邦画では、まず白眉である。俳優陣の演技も堂に入っているし、音楽も情感をかき立てる。なによりも現代社会を撃つメッセージを強烈に放っている。我々自身をこの家族に置き換えて観ることもできるし、この家族を取り巻く関係者として観ることも、そして無責任な傍観者として観ることも可能である。いずれの見方であっても、本作はとても深く力強い印象を残すことだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

common sense

「常識」の意。しばしばhave common sense = 常識がある、use common sense = 常識を働かせる、という具合に使う。日本語の常識には「当たり前の知識」という意味があるが、こちらは「当たり前の感覚」というニュアンスである。劇中でとあるキャラクターが言う「常識ってもんをわきまえろ!」を試訳するなら、“Don’t you have any common sense?”(お前には常識がないのか?)になるだろうか。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, サスペンス, 堤真一, 岡田武史, 日本, 清原果耶, 監督:堤幸彦, 石田ゆり子, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 望み 』 -親のリアルな心情を抉り出す-

『 十二人の死にたい子どもたち 』 -真新しさに欠ける子供騙し映画-

Posted on 2019年2月3日2019年12月21日 by cool-jupiter

十二人の死にたい子どもたち 35点
2019年1月27日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:新田真剣佑 北村匠海 高杉真宙 萩原利久
監督:堤幸彦

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出演に男4人だけをリストしたのは、単純にスペースの問題であって、それ以上の意味もそれ以下の意味もない。本当は自分の好み的には萩原利久だけでもよかったのだが、それだけではアンバランスだなと感じただけのことに過ぎない。それにしても、堤幸彦監督というのは、良作と駄作を一定周期で生み出してくるお人である。本作はどちらか。残念ながら駄作であった。まさに文字通りの意味で子供騙しであった。

 

あらすじ

廃病院。集められた十二人の少年少女。皆、闇サイトの呼び掛けに応じ、集団自殺する為に集って来た。しかし、そこには十三人目が既に先着していた。物言わぬ死体として・・・

 

ポジティブ・サイド

期待の若手俳優をずらりと並べたのはインパクトがあった。Jovianは萩原利久を推しているので、彼の登場は素直に嬉しい。他にも杉作や北村など、確かな演技力、表現力を有するキャスティングは、タイトルの持つインパクトとの相乗効果で、多くの映画ファンを惹きつける。

 

劇中に何度もフォーカスされる謎めいた絵画やオブジェも興味深い。妊婦を想起させるだけではなく、♂と♀のマークの複合体、つまりは性行為を意識させるようなデザインでもあり、デストルドーに衝き動かされる子どもたちの奥底に眠るリビドーを模しているかのようでもある。これからご覧になる方々は、これらの絵や像のショットがどういう場面で挿入されてくるかに是非注意を払って見て欲しい。

 

ネガティブ・サイド

端的に言ってしまえば、どこかで観た、もしくは読んだ作品のパッチワークである。タイトルから『十二人の怒れる男 』を思い起こした方は相当数いることは間違いないし、あらすじを読んで、または予告編を見て『 11人いる! 』や『 ソウ 』の影響を受けた作品なのだなという印象を持った人も多いだろう。あるいはmislead目的としか思えない「死にたい」連発のトレイラーを見て、『 インシテミル 7日間のデス・ゲーム 』や『 JUDGE ジャッジ 』の類のデスゲームなのかと勘違いさせられた人も一定数いただろうことは想像に難くない。原作者が冲方丁だと知って、意外に感じた向きも多かったのではないだろうか。Jovianはてっきり、米澤 穂信か土橋真二郎の小説が原作なのだと思い込んでいた。何が言いたいかと言うと、オリジナリティに欠けるわけである。

 

本作をジャンル分けするならば、シチュエーション・スリラー風味のミステリ兼ジュブナイル映画ということになるだろうか。だが、ミステリとして鑑賞させてもらうと、粗ばかりが目立って仕方がない。あまりにもご都合主義に満ちているのだ。堤監督は明らかに『 イニシエーション・ラブ 』を意識した画作りおよび演出を施したシークエンスを用意してくれているが、説得力が全く違う。まさに月とすっぽんだ。それはもちろん、『 イニシエーション・ラブ 』が月で、本作がすっぽんという意味である。あれを見せられて、「ははあ、なるほど、そうなっていたのか」と膝を打つ人がいるのだろうか。

 

とにかく論理的に破綻している、または都合が良すぎる点を指摘してしまうときりがない。なので、ひとつだけ余りにも間抜けすぎる台詞を紹介しておきたい。廃病院前に軽トラが止まったのを見て「なんで?!改修工事はまだ先のはずよ?」とは・・・ どこからどう見ても積み荷ゼロの軽トラック一台にそこまで焦る必要があるのは何故だ。某人物が廃病院に来るまでに使った車いす対応タクシーの運転手が警察に通報するという可能性は考慮しなかったのだろうか。

 

総評

はっきり言って面白くない。ミステリとしてもスリラーとしてもサスペンスとしても、中途半端すぎる。キャスティングに魅力を感じるのであれば鑑賞も可だろう。しかし、ちょっと面白そうだから観てみるかという気持ちで劇場に行くと、ガッカリさせられる可能性が高いだろう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, ミステリ, 北村匠海, 新田真剣佑, 日本, 監督:堤幸彦, 萩原利久, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画, 高杉真宙Leave a Comment on 『 十二人の死にたい子どもたち 』 -真新しさに欠ける子供騙し映画-

『 人魚の眠る家 』 -お涙ちょうだいで終わらせてはならないテーマ-

Posted on 2018年11月26日2019年11月23日 by cool-jupiter

人魚の眠る家 65点
2018年11月24日 大阪ステーションシネマにて鑑賞
出演:篠原涼子 西島秀俊 坂口健太郎 稲垣来泉 斎藤汰鷹
監督:堤幸彦

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人魚と聞けば、たいていの人は八百比丘尼を思い浮かべるのではないか。その肉を食らえば、不老長寿が手に入るとされる伝説的な存在で、それゆえに本作のタイトルが示唆するものも生と死の境目をぼやけさせる不思議な力場となった家、そして家族の物語であるとぼんやりと理解していたが、予告編が次々と公開されていくのを観て、その認識を改め、なおかつ日本の映画制作および配給会社の宣伝の下手さに慨嘆させられるのであった。本作の予告編の最新版は、それさえ見れば本編の6割を予想できてしまうではないか。業界人たちにはもっと勉強をしてもらいたい。

 

あらすじ

薫子(篠原涼子)とその夫の和昌(西島秀俊)に、長女の瑞穂(稲垣来泉)がプールで溺れたとの連絡が入る。病院での治療の甲斐あって心臓は動いたが、脳には深刻なダメージがあり、瑞穂の意識は戻らない。脳死判定を受け、娘の臓器を移植のために供す決意を固めた両親の手はしかし、瑞穂の手が確かに動いたのを感じ取った。薫子は瑞穂は死んでいないと確信。在宅介護を決心する。和昌の部下の星野(坂口健太郎)の研究成果により、瑞穂の体を人工的に動かせるようになるも、そのことが薫子の愛と狂気を暴走させて・・・

 

ポジティブ・サイド

篠原涼子と吉田洋は属性が重複している。40代にして、その衰えぬ容色。自立した女性としての役柄が多いが、母親役もこなせる。慈愛に満ちた母親ではなく、狂気にも似た愛情を内包する母親を演じられるところが特にそうだ。優劣をつけられるものではないが、元々が役者ではなく歌手であることを考えれば、篠原も表現力という点ではど素人ではないのである。

 

本作の呈示するテーマは深い。単に脳死の意味や臓器移植の是非を扱うからではない。人間が人間を、生きているのか死んでいるのか判断する基準のゆらぎを描くからこそ深くなっている。たとえば冒頭で意識不明の状態に陥ってしまった瑞穂を見た時、和昌は「大きくなったなあ」という感想を漏らす。別居しているのだから、ある意味当然の感想である。一方で薫子にとっては瑞穂は現実にも心の中にもありありと存在する個人である。そのことは、全編を通して瑞穂の顔のどアップの回想シーンが薫子によってこれでもかと思い起こされることからも明らかである。つまり、和昌にとっては瑞穂は非常に肉体的・物理的な存在である一方で、薫子にとっての瑞穂は「瑞穂」という意識の容れ物なのだ。それゆえに、意識のない瑞穂の体を人工的に作れられた電気信号によって動かすことには抵抗を示さなかった和昌は、作られた笑顔には嫌悪感を催した。そこに意識の存在を読み取ってしまったからだ。しかし、薫子にとっては、プレゼントをもらえた瑞穂はきっとほほ笑むに違いないとの確信(=意識)から、瑞穂を笑顔にさせることに何の抵抗も抱かない。

 

これは墓参に譬えることもできるかもしれない。お墓参りでご先祖様に語りかけることはあるだろう。声に出してもいいし、心の中で語りかけるのでもよい。ただし、それは自分と相手(=死者)に特別な関係がある時だけに限られる。ここで言う特別な関係とは、相手の存在を自分の意識において再生できるような関係ということだ。と、ここまで書いてきて気がついた。原作者の東野圭吾は前野隆司の『 脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 』を下敷きにした、というのは言い過ぎかもしれないが、参考ぐらいにはしているのだろう。ものすごく端折って説明してしまえば、前野の説は「意識とは、意識が意識を意識した時に現れてくる意識である」ということだ。何を言っているのか分からないという人は、本書を買ってよむべし。何を言っているのか分かったという人は、J・P・サルトルの『存在と無』を読もう。

 

Back on topic. もしも公共の墓地などで赤の他人に「これ、うちの祖父ちゃんです。よければ挨拶してあげてやってください」などとお墓を指して他人に話しかける人がいれば、ちょっと怖いだろう。なぜなら、その人は自分の心の中に存在しないからだ。死が不気味であるかどうかは、理性と感情の境目で決まるようだ。和昌は瑞穂の脳に生死の境目を見出し、薫子は瑞穂の心に生死の境目を見出そうとする。肉体は脳の容れ物なのか心の容れ物なのか。それは個と個の繋がり、その在り様で決まるとしか言いようがない。しかし、本作品が描き出す世界では、薫子は非常に孤独である。その薫子の姿を自分と重ねられるか否か、そこで本作の評価が定まると言ってもよい。その意味では篠原涼子は実に大きな仕事を果たした。お見それしました。

 

後は、子役たちが誰もかれもが素晴らしい。子役の演技というのは、天性の素質もあるのだろうが、指導者の影響力も大きいということは、音楽や芸術、スポーツなどの他分野を観察に基づくまでもなく、言えることだろう。本作は撮影の現場に演技指導者が常駐していたという。『 万引き家族 』の上映後舞台あいさつで是枝監督は「子役にはその場で台本を読ませて演技してもらった」旨を語ってくれたが、今後は子どものインスピレーションを大事にする派と、徹底的に指導を叩き込むスタイルのどちらが主流になっていくのだろうか。そんなことも考えさせられた。

 

ネガティブ・サイド

西島秀俊の演技力の低さは何とかならないのだろうか。この人は基本的に一本調子の棒読みで、唯一上手く話せるじゃないかと感じさせてくれた出演作は珍品『 ゲノムハザード ある天才科学者の5日間 』での韓国語ぐらい。

 

坂口健太郎も『 ヒロイン失格 』と『 俺物語!! 』を観た時には、「とんでもない大根が出てきたな」と慨嘆させられたが、珍品『 ナラタージュ 』で評価をかなり上げた。しかし、そこから成長していない。声のボリュームの大小だけで感情を表現しきろうとするのには無理がある。型どおり以上の表情も研究した方が良い。

 

最後に物語の主たる舞台となる「人魚の眠る家」の庭にあふれるスタジオ内のセット感は、もう少し何とかならなかったのだろうか。不自然なまでの人工の光、とってつけたような鳥のさえずり、全く荒れていないのは適切な世話をしたからと言えるかもしれないが、全てが一様にそろった芝目など、作り物感が満載だった。創作物のリアリティは細部にこそ宿るのだから、こうした点にこそもっと注力をしてほしかった。

 

総評

この子役たちをあらぬ方向に連れて行ってしまわぬよう、親、保護者、ハンドラー達、さらにその周囲の人間たちは決して軽々に動かぬようにしてもらいたい。そして東野圭吾という名前だけで作品を忌避する傾向にあった自分自身にも喝を唱えたい。大人の鑑賞に堪える作品に仕上がっている。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, サスペンス, ヒューマンドラマ, 坂口健太郎, 日本, 監督:堤幸彦, 篠原涼子, 西島秀俊, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 人魚の眠る家 』 -お涙ちょうだいで終わらせてはならないテーマ-

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