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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: エリザベス・オルセン

『 ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス 』 -ドラマの予習を前提にするな-

Posted on 2022年5月5日 by cool-jupiter

ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス 45点
2022年5月4日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:ベネディクト・カンバーバッチ エリザベス・オルセン ソーチー・ゴメス
監督:サム・ライミ

 

先月退職した元・同僚カナダ人と共に鑑賞。彼もJovianもイマイチだという感想で一致した。

あらすじ

異世界で魔物から少女を助けようとする夢を見たドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)は、かつての恋人クリスティーンの結婚式に参列していた。しかし、その最中に夢で見た少女アメリカ(ソーチー・ゴメス)が怪物に襲われているところに遭遇する。辛くも少女を助けたストレンジは、アメリカはマルチバースから来たと知る。助力を必要とするストレンジは、自身と同じく魔法使いであるワンダ(エリザベス・オルセン)を訪ねるが・・・

 

以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

ドクター・ストレンジのスティーブンの部分、つまり腕の立つ外科医であり、鼻持ちならない人間の部分がクローズアップされたのは良かった。スーパーヒーローは人間部分とヒーロー部分のせめぎ合いが大きなドラマになるが、それが最も面白いのはスパイダーマン、次いでアイアンマン、その次にドクター・ストレンジだと感じている(ちなみにその次はハルク)。冒頭の結婚式から一挙に魔物とのバトルになだれ込んでいくシークエンスで「ここから先は全部スーパーヒーローのパートですよ」と丁寧に教えてくれるのは配慮があってよろしい。クリスティーンと良い意味で決別できたことで、短いながらもスティーブンの成長物語にもなっていた。

 

これはネガティブと表裏一体なのだが、「え?」というキャラクターが「え?」という役者に演じられて登場する。このシーンは震えた。予告編でも散々フォーカスされていて気になっていたが、この御仁を持ってくるとは。ヒントは『 デッドプール 』。彼が時系列関連で云々言う際にマルチバースっぽい台詞を言う。その時の名前がヒントである。

 

映像は美麗を通り越して、もはや訳が分からないレベル。特に最初のマルチバース行きのシーンはポケモンショックを起こすレベルではないかと思う(一応、褒めているつもり)。魔法のグラフィックや、その他のスーパーヒーローの技のエフェクトも、通り一遍ではあるが、エキサイティングであることは疑いようがない。特に面白かったのは音符さらには楽譜が魔法になるシーン。ある攻撃の強さや衝撃度は1)視覚的に、2)効果音によって示されるが、そこに明確に音楽を乗せてきたのは新しい手法であると感じた。今後、これをマネする作品がちらほら出てくるものと思われる。

 

サム・ライミが監督ということでホラーのテイストが入っているが、良い意味でMCUっぽさを裏切っていて面白かった。MCU作品はスター・ウォーズ以上にプロデューサー連中が強固すぎる世界観を構築していて、そこからの逸脱は一切許されない=監督や脚本家の個性は不要という印象があったが、ディズニー上層部もマルチバース的な寛容の精神を持ち始めたのだろうか。

ネガティブ・サイド

予告編で散々ワンダが出てきたいたので、彼女がヴィランであることは分かる。けれども、テレビドラマの視聴を前提に映画を作るか?これはテレビドラマの劇場版映画ではないはずだが。一緒に観たカナダ人は「電車の中でドラマのrecap動画を観たから何とか意味は分かった」と言っていたが、ドラマには一切触れていないJovianには何のこっちゃ抹茶に紅茶な展開であった。

 

第一の疑問として、何故ワンダに子どもがいる?いや、別に子どもがいてもいいが、なんであんなに成長した子どもがいるの?『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』から10年以上経過したようには思えないが。劇中で「魔法で創った」と説明されるが、だったら何故にもう一度魔法で子どもを創らないのか?まあ、親からすれば子どもは唯一無二なのだろうが、それならそれで別の宇宙の自分から自分の子どもを奪うという結論に至る思考回路が謎となる。

 

第二の違和感はワンダ強すぎということ。インフィニティ・ウォーやエンドゲームでもうすうす感じていたが、ワンダが強すぎる。ワンダとキャプテン・マーベルだけでサノスを十分に倒せたのでは?『 エターナルズ 』の 面々より普通に強いだろう。他の不満点としては、せっかく出てきたファンタスティック・フォーたちがあっさりとやられたり、挙句にはあのキャラまでワンダにねじり殺されてしまう始末。うーむ・・・

 

マルチバース関連で一番よく分からないのは、どこのユニバースでもドクター・ストレンジがベネディクト・カンバーバッチであるということ。『 スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム 』を思い出そう。別のユニバースには別のピーター・パーカーが存在していた。なぜ本作ではカンバーバッチ版のストレンジしか出てこないのか。もちろんスパイダーマンとドクター・ストレンジを同列に扱えるわけはないが、互いにリンクしている作品同士、もう少しこのあたりの説明が必要だったと思う。またアメリカは72のユニバースを巡ったそうだが、そのいずれでもサノスは倒されていたのか?それだけ巡れば、いくつかはサノスによって生命が半滅させられたユニバースに遭遇しそうなものだが。

 

アメリカが語る他のユニバースでの鉄則その1は良いとして、その2の食べ物の部分が良く分からない。それが何か重要な展開につながるわけでもなんでもないからだ。ポストクレジットシーンその2にはつながるが、ここのユーモアは笑えないし、完全に空回りしていた。

 

魔法を使った戦いにはそれなりに満足できたが、ストレンジが華麗な体術を駆使して戦うシーンは個人的には萎えた。浮遊マントがストレンジの体を逆に操って、hand to hand combat で敵を倒す、というのならまだ理解できるのだが。

 

ポストクレジット・シーンその1では、シャーリーズ・セロンが登場。しかし、誰よ、これ?『 エターナルズ 』のラストもそうだが、もはやMCU作品はそれ自体が別作品のインフォマーシャルと化している。映画が映画を宣伝するというのは、好ましくない。もしやるなら『 ワンダーウーマン 1984 』のように、たいていの人が分かるようなキャラを持ってくるべきだ。

 

総評

ぶっちゃけた話、『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』以降、スパイダーマン以外のMCUものは面白くない。ドラマその他の媒体と相互補完させたりするような商法が更に目立つからだ。MCUは元々そのような側面が強かったが、そこがさらに強引になったと感じる。一応、義務感で次作も観るつもりではいるものの、『 モービウス 』もスルーしたし、そろそろこのジャンルから降りてもいいかもしれないと個人的には感じる。映画館自体は大盛況だったので、この路線自体は成功かもしれないが、あまり積極的に勧めたいと思える出来ではなかった。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Try as I might, 

劇中のウォンのセリフの一部。頑張ってはみたものの、の意。ほぼ間違いなく、I couldn’t … が続く。私 = I 以外が主語になることもあるが、I が最もよく使われるように思う。

Try as I might, I couldn’t fix the printer.
頑張ってみたが、プリンターを直せなかった。

などのように使う。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アクション, アメリカ, エリザベス・オルセン, ソーチー・ゴメス, ベネディクト・カンバーバッチ, 監督:サム・ライミ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス 』 -ドラマの予習を前提にするな-

『 オールド・ボーイ(2014) 』 -迫力がダウンしたリメイク-

Posted on 2020年4月15日 by cool-jupiter

オールド・ボーイ(2014) 50点
2020年4月13日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョシュ・ブローリン エリザベス・オルセン シャルト・コプリー
監督:スパイク・リー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200415232244j:plain
 

『 オールド・ボーイ 』のハリウッド版リメイク。オリジナルとリメイク、両方見比べるのも乙なものである。邦画は韓国映画にいつの間にか置き去りにされてしまったが、ハリウッドはどうか。

 

あらすじ

うだつの上がらないセールスマンのジョセフ・デューセット(ジョシュ・ブローリン)は、いきなり拉致され、監禁されてしまう。そして、閉じ込められた部屋のテレビで、妻が殺害され、その容疑者が自分であることを知る。誰が、いったい何のために・・・ そして20年が過ぎた時、彼は突然解放されて・・・

 

ポジティブ・サイド

エリザベス・オルセンの濡れ場、これに尽きる。眼福であった。

 

で終わったら、レビューでも何でもないので真面目に書く。ジョシュ・ブローリンの起用は正解だった。2018年総括でジョシュ・ブローリンを海外最優秀俳優の次点に挙げさせてもらったが、サノスという史上最強級のヴィランを演じる男は、生身でも相当の強者でなければならない。暴れるのを見ていて違和感がなかった。また、険のある顔もいい。特に目当ての餃子を見つけて、確信を得るためにそれを貪り食う時の表情は、本家チェ・ミンシクに負けていなかった。

 

黒幕役に配するのが、Jovianだけが名作だ傑作だと騒いでいる『 第9地区 』のシャルト・コプリーというのも、趣があっていい。分かりやすい悪役というのはブリティッシュ・イングリッシュを話すか、あるいはロシア語訛りの英語を話すというのが、ハリウッドから決して消えないクリシェである(そのうち中国語訛りの悪役がわんさか登場するだろうが)。韓国版にあった、いつでも死ねるスイッチというやや意味不明なガジェットは削除。その代わりに、ボディガードを女性にすることで、薄っぺらい悪役との印象をさらに濃くすることに成功した。ジョセフに「タイムリミットまでに謎を解け」と迫るのも、小物感があってよい。裏で糸を引いている人間がちっぽけに見えれば見えるほど、計画の壮大さが際立つ。

 

アクション・シーンはなかなかの見ごたえ。街のチンピラではなく、アメフトのプレーヤーたちをなぎ倒していくことで、ジョセフのスーパー・パワーアップをきっちりと説明。オリジナルにあった廊下での大立ち回りは本作にも引き継がれ、金づちを使うアクションの量もアップ(その分、ボクシング要素はダウンしたが)。特に、その直前に『 ボヘミアン・ラプソディ 』で主演を張ったラミ・マレックが頭をカチ割られるシーンは痛快だ。オリジナルにはなかった『 ショーシャンクの空に 』へのオマージュなのか、マレックが最後にかけられる言葉が「モンテ・クリスト伯」というのもなかなか面白い(『 ショーシャンクの空に 』では、”Count of Monte Chrisco”だった笑)。

 

オリジナルとは異なるエンディングも個人的には納得。オリジナルを鑑賞した時に「オ・デスはこうするのでは?」と思った行動をジョセフが取ってくれる。『 パラサイト 半地下の家族 』のソン・ガンホの行動に相通ずるものがある。このあたりのアメリカ流の解釈は気に入った。

 

ネガティブ・サイド

えらくきれいなシロネズミがジョセフの監禁先に現れるが、そこはドブネズミだろう。スパイク・リーのセンスを疑う。また、オリジナルでオ・デスがエアロビのインストラクターや女性歌手に欲情したシーンも、こちらには輸入されず。代わりに定期的に差し入れられる酒を便器に流す日々。このあたりがアメリカの限界か。韓国映画が容赦なく描く人間の決して美しくないが、しかし本質的な面を描くのを巧妙に避けている。また、序盤でジョシュ・ブローリンが上半身裸で鏡の前にたたずむシーンがあるが、それもいらない。そういうシーンを挿入するのなら、痩せてあばらが浮いた体か、あるいはビール腹を見せてくれないと、監禁生活で体を鍛えまくった時とのコントラストが生まれない。このあたりもオリジナルに負けている。

 

またオリジナルの欠点でもあった、シャバに出てきた主人公が周囲の環境や新しいテクノロジーに馴染むのが早すぎるという点も解消あるいは改善されていなかった。20年も運転から遠ざかっていたら、そうそういきなりはクルマを乗りこなせないだろう。

 

クライマックスの迫力も弱い。監禁の真相を知らされたジョセフはとある自傷行為に出るが、イマイチである。躊躇なく相手の靴をベロベロ舐めまわし、情けなく犬になって尻をふりふりするオ・デスの方が遥かに衝撃的だった。

 

サミュエル・L・ジャクソンは・・・ミスキャストだったかな。サノスにへいこらするニック・フューリーに見えたわけではないけれど、この役にここまでの大物を配置する必要はなかった。

 

総評

オリジナルの『 オールド・ボーイ 』に軍配が上がる。ただし、アメリカ流の解釈も悪くはない。ますます日本版リメイクの制作が待たれる。残念ながら日本で長期にわたる拉致監禁事件は定期的に明らかになっている。今こそ日本流の新解釈が期待されるところだ。アメリカ版を先に観た人は韓国版を観よう。両方を観た人はJovianと同じように、日本版リメイク制作の機運を盛り上げようではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Hold still.

ジョセフがあるキャラを拷問にかける時に言うセリフである。「動くな」、「じっとしていろ」の意である。stillというのはなかなかに味わい深い語である。日本語でスチル写真やスチル画像というのは、このstillであり、その原義は「動かない」である。I still love you.=「I love youという状態は動いていない」=「僕はまだ君を愛している」というわけである。「まだ」と辞書に載っていることからyetと混同する人が多いが、still=動かない、というイメージで把握しよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, エリザベス・オルセン, シャルト・コプリー, ジョシュ・ブローリン, スリラー, 監督:スパイク・リー, 配給会社:ブロードメディア・スタジオLeave a Comment on 『 オールド・ボーイ(2014) 』 -迫力がダウンしたリメイク-

『 GODZILLA ゴジラ 』 -迫力はあるが、作り込みが甘い-

Posted on 2019年6月2日2020年4月11日 by cool-jupiter

GODZILLA ゴジラ 55点
2019年5月30日 所有ブルーレイにて鑑賞
出演:アーロン・テイラー=ジョンソン 渡辺謙 エリザベス・オルセン
監督:ギャレス・エドワーズ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190602131239j:plain

『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』の前日譚にあたるのが本作である。その意味では、復習上映にちょうどよいタイミングであろう。『 シン・ゴジラ 』を劇場鑑賞したからに、USゴジラも鑑賞しないことにはバランスが悪い。

 

あらすじ

怪獣を秘密裏に調査してきた組織モナークはフィリピンで巨大生物の痕跡を発見していた。その後、日本の原子炉で不可解な事故が発生。それは巨大生物の復活の狼煙で・・・

 

ポジティブ・サイド

原子炉の事故というのは、間違いなく3.11への言及だ。日本ではなくアメリカがこのことに言及したことは、それだけで意義深い。また、巨大不明生物の出す音に着目している点も興味深い。『 シン・ゴジラ 』では、「奴の知能の程度は不明だが、我々とのコミュニケーションは無理だろうな」と言われてしまったが、怪獣とのコミュニケーションの可能性を模索する方向性が2014年時点で示唆されていることは称賛に値する。三枝未希的なキャラはそう何度も生み出せるものではないのだ。

 

敵怪獣のMUTOには賛否両論があるが、EMP攻撃でF-22を面白いように落としていく様は観る側を絶望的な気分にさせてくれる。山本弘の小説『 MM9 』へのオマージュなのだろうか。常識的に考えれば、人類の科学技術の粋である現代兵器が通じない相手など存在するわけがない。それが実際に通じないところが怪獣の怪獣たる所以なのだが、そんな化け物がゴジラ以外にたくさん存在されるのも何かと不都合だ。だからこそ、攻撃がいくら命中しても効果なし、から、電気系統がすべて切れてしまう=兵器が無力化される、というアイデアに価値が認められる。

 

ゴジラが人類の攻撃を屁とも思わず、ひたすらMUTOを追いかけまわすのも良い。Godをその名に含むからには、人間とは別次元の存在であらねばならない。米艦隊を引き連れているかのように悠然と大海原を往くゴジラの姿には確かに神々しさが感じられた。

 

主人公が爆弾解体のスペシャリストというのもユニークだ。決して花形ではないが、いぶし銀的なミッションの数々に従事してきたのであろうと思わせる雰囲気が、アーロン・テイラー=ジョンソンから発せられていた。

 

ゴジラという人間を歯牙にもかけず、都市を完膚なきまでに破壊し、それでも結果的には人類を守ってくれた存在に、人はどう接するべきなのだろうか。泰然として海に還っていくゴジラを見送る芹沢博士の誇らしげな笑顔とグレアム博士の畏敬の念からの涙に、ゴジラという存在の巨大さ、複雑さ、奥深さが確かに感じ取れた。

 

ネガティブ・サイド

ジョー・ブロディを途中退場させる意味はまるでなかった。また、フォードが途中で子どもを助けるシーンも、あっという間に子どもが両親のもとに帰っていけるのであれば必要ない。どうしても人間ドラマ、家族ドラマを描きたいのは分かるし、Jovianが怪獣映画を監督する、またはそれ用の脚本を書く機会が与えられたならば、何らかのヒューマンな要素を入れるのは間違いない。なのでドラマを持ち込もうとすることは否定しない。問題はその描き方である。妻を失ったジョーは、息子や孫までは失えないと息子と協力して、これまでに個人的なリサーチで溜めこんできた情報をモナークおよび米軍にシェアする。または、フォードが電車で助けるのを子どもではなく老人にする。その老人の姿を通じて、フォードは間接的に父の愛情の深さと大きさを知ることになる。そんな風なドラマが観たかったと思ってしまう。人間パートが、どうにもちぐはぐなのだ。我々が見たいのは怪獣同士のバトルである、もしくは軍隊が怪獣に果敢に向かっていきながらもあっさりと蹴散らされるシークエンスである。

 

だが、そうしたシーンもどんどんと先延ばしにされてしまう。ハワイでの激突シーンもテレビ放送画面に切り替わり、本土決戦でもエリザベス・オルセンがシェルターに逃げ込むと同時に別画面に切り替わる。クライマックスの怪獣バトルのカタルシスを最大化したいという意図は分かるが、ちょっと焦らし過ぎではないか。だが最大の問題点は、ゴジラとMUTOの最終決戦があまりにも暗過ぎて何が起きているのかよく分からないところだ。肝心のMUTOへのトドメも、『 ゴジラ2000 ミレニアム 』とかぶっている。もしもこれがオマージュであると言うなら、もっと徹底的にやってほしかったと思う。

 

総評

決して悪い映画ではない。しかし、ゴジラというタイトルを冠するからには、ゴジラをゴジラたらしめるサムシングを備えていなければならない。それが何であるのかを定義するのは困難極まる。しかし、そうではないものはひと目で分かる。本作が描くのは、間違いなくゴジラである。ただ、少しゴジラ成分が足りないように思えてならない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アーロン・テイラー=ジョンソン, アメリカ, エリザベス・オルセン, ゴジラ, 怪獣映画, 渡辺謙, 監督:ギャレス・エドワーズ, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 GODZILLA ゴジラ 』 -迫力はあるが、作り込みが甘い-

『ウインド・リバー』 -忘却と抑圧の歴史を現在進行形で提示する傑作- 

Posted on 2018年7月31日2020年2月12日 by cool-jupiter

ウィンド・リバー 80点

2018年7月29日 シネ・リーブル梅田にて観賞
主演:ジェレミー・レナー エリザベス・オルセン ジョン・バーンサル
監督:テイラー・シェリダン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180731112507j:plain

最初にキャスティングを観た時は、何かの冗談だろうと思った。ホークアイとスカーレット・ウィッチで何を作るつもりなのだと。しかし、テイラー・シェリダンは我々の持っていた固定観念をまたしてもいともたやすく打ち砕き、『羊たちの沈黙』、『セブン』の系譜に連なるサスペンス映画を世に送り出してきた。それが本作『ウインド・リバー』である。

アメリカ・ワイオミング州のウィンド・リバー地区で少女の死体が見つかる。場所は人家から遠く離れた雪深い森林近く。発見者はコリー・ランバート(ジェレミー・レナー)、地元のハンターである。捜査のためにFBIから新米エージェントのジェーン・バナー(エリザベス・オルセン)が送り込まれてくる。ジェーンは地元の地理や人間関係に精通し、何よりも雪を読む力を有するランバートに捜査の協力を依頼する。そして二人は事件の真相を追っていく・・・

あまりにも広大なワイオミング州に限られた人員、しかし捜査は拍子抜けするほどあっさりと進んでいく。なぜなら、この土地の人口密度の希薄さとは裏腹に、人間関係の濃密さは反比例しているからだ。さらにこの土地には『スリー・ビルボード』のような地方、田舎に特有な閉鎖的人間関係のみならず、ネイティブ・アメリカン居留地であるという歴史に由来する抑圧への憤りが静かに漂っている。それは主人公のランバートにしても同じで、彼の家族との関わり、殺された娘の両親との関わりから、我々は実に多くの背景を悟ることができる。何もかも分かりやすく会話劇やナレーションで説明してしまう映画が多い中、これほど画で語る映画に出会えたのは僥倖だった。ただし、ネイティブ・アメリカンと独立国家アメリカとの関わりの歴史を知らなければ、少し理解が難しいかもしれない面はあった。『焼肉ドラゴン』についても、日本が朝鮮半島を植民地化した歴史を知らなければ、理解が追いつかない部分があったのと同様である。ネイティブ・アメリカンの強制移住、就中、涙の道=The Trail of Tearsの話は、怒りと悲しみ無しに知ることはできないので、興味のある向きはぜひ調べてみてほしいと思う。

本作を特徴づけているのはその狭く濃密な世界観だけではなく、主人公ランバートの雪読みの能力。小説『スミラと雪の感覚』のスミラを彷彿とさせるキャラクターである。このスミラも、デンマーク自治領グリーンランドで生まれ育ったイヌイットの混血児で、デンマーク社会を複雑な視線で見つめるキャラクターで、ランバートとの共通点が多い。雪という自然現象が本作『ウインド・リバー』の大きなモチーフとなっており、観る者は雪の持つ美しさだけではなく、命を容赦なく奪う冷徹性、あらゆるものの痕跡を掻き消してしまう暴力性、なにもかもを一色に染めてしまう無慈悲さを見せつけられる。特に雪が一面を白に染めてしまうという無慈悲さは、そのままずばりアメリカの歴史の負の側面を象徴している。近代国家として成立したアメリカの歴史は端的に言えば、対立と融和の繰り返しだ。植民地と宗主国との対立と融和、弱小州と強大州の対立と融和、自然と文明の対立と融和、エリートとコモン・ピープルの対立と融和、男性と女性の対立と融和、白人種とその他人種の対立と融和、そしてネイティブ・アメリカンとアメリカンの対立と融和。しかし、これらの歴史がすべて今も現在進行形であるということに我々は慄然とさせられる。そうした差別と被差別の関係が今も残っていることにではなく、我々が普段、いかにそうした抑圧された側を慮ることが無いのかを突きつけられるからだ。雪が染め上げる大地は、白人に無理やり染め上げられるネイティブ・アメリカンの悲哀のシンボルであろう。

閉鎖社会の中でさらに抑圧された存在として描かれるネイティブ・アメリカンの女性は、我々に忘却することの残酷さを否応なく突き付けてくる。ジェレミー・レナーが被害者の娘の父親に語る彼自身の逸話は胸に突き刺さる。我々が初めてこの父親を目にする時、どこか無機質で非人間的とも思える印象を受けてしまうのだが、そうしたイメージをいかに容易く我々が形成してしまうのは何故なのか、そしてそうしたイメージを一瞬で粉々に打ち砕くようなシークエンスがすぐさま挿入されるところに、テイラー・シェリダンの問題意識が強く打ちだされている。人間とは何であるのか、人間らしさとは何であるのか。傑作SF『第9地区』でも全く同じテーマが問われているのだが、我々は人間であることを簡単に忘れ、獣に堕してしまう。そんな獣を撃ち抜くランバートとともに、本作を堪能してほしい。今年、絶対に観るべき一本である。

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, アメリカ, エリザベス・オルセン, ジェレミー・レナー, ジョン・バーンサル, ヒューマンドラマ, 監督:テイラー・シェリダン, 西部劇, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『ウインド・リバー』 -忘却と抑圧の歴史を現在進行形で提示する傑作- 

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