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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 阿部サダヲ

『 死刑にいたる病 』 -サイコ・サスペンスの秀作-

Posted on 2022年5月7日2022年12月31日 by cool-jupiter

死刑にいたる病 80点
2022年5月6日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:阿部サダヲ 岡田健史 宮崎優
監督:白石和彌

大袈裟な言い方をすると『 羊たちの沈黙 』や『 殺人の追憶 』に近い衝撃を受けた。邦画もアメリカ映画や韓国映画に負けないダークな世界を追求できるのだと証明した逸品だと言える。

 

あらすじ

大学生の雅也(岡田健史)は、24人を殺したとされる榛村(阿部サダヲ)から1通の手紙を受け取る。雅也は中学生の頃、榛村の営むパン屋の常連客だった。死刑判決を受けた榛村だったが、起訴された9件のうち、最後の9件目だけは自分の犯行ではないと言う。雅也は独自に事件の調査を始めるが・・・

以下、マイナーなネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

これは原作小説の勝利なのだが、まず設定が素晴らしい。24人を殺したとされるが、そのうちの1件は自分ではないと訴える死刑囚。これだけで興味を惹き起こされずにはいられない。また、演じる阿部サダヲが素晴らしい。人好きのする好青年から無表情に人を痛めつける殺人鬼、そしてカリスマ性すら感じさせるサイコパスを具体化している。『 彼女がその名を知らない鳥たち 』から更にレベルアップしたと感じる。瞬きしないのは役者の基本だが、その絶妙に黒目がちになるうっすらとした目の開け方が底知れない不気味さを更に引き立てる。サイコパスの演技の到達点だと言っていいかもしれない。日本のハンニバル・レクターとは褒めすぎかもしれないが、それほどの凄みを感じた。

 

対する岡田健史は『 弥生、三月 君を愛した30年 』や『 望み 』での、どこか弱々しい息子役という印象しかなかったが、本作で一皮むけたと言える。いや、弱々しい息子という点では本作でも同じなのだが、まるで『 殺人の追憶 』のソ刑事のように、序盤と終盤で別人であるかのように変貌する。元々の家族関係の悪さから内に相当なフラストレーションが堆積していたのが、調査を進めていく中でとある可能性に遭遇することで、一気に爆発する。その描き方がリアルだった。特に雅也が大学に行くたびに、背景の時間と雅也の時間がずれているのが秀逸。まさに「異なる世界に住んでいる」あるいは「この世界には属していない」という描写だった。

 

最もサスペンスフルなのは、何度か行われる榛村と雅也の面会シーン。BGMを一切廃し、役者の台詞とカメラワークと照明、音響だけで勝負していた。そして勝利を収めていたと評してよいだろう。今やお馴染みとなったアクリル板のこちらと向こうで、微妙に声の響かせ方・聞こえ方を変えて臨場感を生み出していた。また、しばしば雅也と榛村の顔の反射がアクリル板上で重なり合う。これにより二人の心理的・心情的な同化が視覚化されていた。面会シーンはどれもその場の空気が伝わって来るかのような緊迫感と臨場感があり、一つの謎が明かされると、更なる謎が生まれるという、ミステリーがサスペンスを生み、サスペンスがミステリーを生み出すというエンタメの極致だった。

 

雅也の重要な変化を示すものとして、雅也と二人の女性との距離が挙げられる。一人目は中山美穂演じる母親。最初は地方の旧家にありがちな極めて封建的・保守的な中年女性に見えたが、そこには別の被抑圧的な因子があったことが判明する。もう一人は雅也が大学で再会する同級生、灯里。大学に一切なじめない、つまり実家と榛村以外に現実と接点のない雅也の貴重な友人、そして恋人(というか情婦?)となる。この灯里との距離感がそのまま榛村との距離感と反比例する、という構成は非常に巧みであると感じた・・・その次の瞬間にすべてをぶち壊された。良い意味でも悪い意味でも。これは例えて言うなら、小説『 イニシエーション・ラブ 』の最後の2行に匹敵するインパクトとでも言おうか。これ以上書くと興ざめになるので止めておく。とにかく劇場でも配信でもレンタルでも良いので、出来るだけ多くの人に本作を鑑賞してほしいと思う次第である。

ネガティブ・サイド

榛村の弁護士(国選弁護人か?)が無能という印象を受ける。いや、別に無能でもよいのだが、リアリティがない。雅也の調査について中盤以降にあれこれと言ってくるが、だったら最初から色々と説明しておけと思う。また、そうした説明があったほうが雅也が矩を踰えるようになっていく展開が、雅也の内面の変化をより如実に表わせたのではないだろか。

 

総評

間違いなく阿部サダヲの代表作である。阿部定事件並み、いやそれ以上に猟奇的なシーンもあるので、鑑賞には注意を要する。いずれにせよ白石和彌監督が『 孤狼の血 LEVEL2 』を上回る衝撃作を世に送り出してきたのは間違いない。ちょっとジャンルは違うが、野崎まどの小説『 舞面真面とお面の女 』や『 死なない生徒殺人事件 ~識別組子とさまよえる不死~ 』を読んで楽しかったという人は、本作も堪能できると思う。この二冊を読了の上で本作を鑑賞してみようという酔狂な方は、是非とも本作冒頭と最後のシーンの意味のつながりを考察されたし。または本作鑑賞後に、上記の二冊を読むというのもありだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

look into ~

~を調べる、の意。その殺人事件を調べる = look into the murder case のように使う。事実を掘り下げたりする意味での「調べる」ということで、辞書などで語句の意味を「調べる」時には look up を使う。Jovianも大学の授業で時々 “You have 30 seconds to look up this word in your dictionary app.” と言っている。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, サスペンス, 宮崎優, 岡田健史, 日本, 監督:白石和彌, 配給会社:クロックワークス, 阿部サダヲLeave a Comment on 『 死刑にいたる病 』 -サイコ・サスペンスの秀作-

『 MOTHER マザー 』 -Like mother, like son-

Posted on 2020年7月14日 by cool-jupiter

MOTHER マザー 70点
2020年7月11日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:長澤まさみ 奥平大兼 阿部サダヲ 夏帆
監督:大森立嗣

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200714222235j:plain
 

3歳娘を自宅に放置して脱水、そして餓死に至らしめたとして母親が逮捕される事件が世間を賑わせている。個人的にはどうでもいいことだ。そんな母親はどこの国や地域にも、いつの時代にもいる。そして、それは父親であっても祖父母であっても、血縁のある保護者であっても血縁のない保護者でも同じこと。にもかかわらず、なぜ我々は母親という存在に殊更に「子を愛せ」と命じるのか。本作を鑑賞して、個人的に何となくその答えを得たような気がしている。

 

あらすじ

秋子(長澤まさみ)は仕事も続かず、男にもだらしのないシングルマザー。息子の周平を虐待的に溺愛しながら、周囲に金を無心して生きている。そんな時に、秋子はとあるホストとの出会いから家を空けて・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200714222300j:plain
 

ポジティブ・サイド

長澤まさみのこれまでのイメージをことごとく破壊するような強烈な役柄である。年齢的に少々厳しい(若すぎる)のではないかというのは杞憂だった。日本の女優というのは、キャンキャンと甲高い声を出すことはできても、怒鳴り声の迫力はイマイチというのが定例だったが、長澤まさみはその面でも非常にドスの利いた声を出せていた。また、息子の横っ面をまさにひっぱたく場面があるが、これがロングのワンカットの一部。自身の顔のしわを気にしながら、口答えする息子に一発お見舞いし、また何事もなかったかのようにコンパクトを覗き込みながら顔のしわを気にする様子には震えてしまった。

 

全編にわたってロングのワンカットが多用されており、それが目撃者としての自分=観客にもその場の展開への没入感を高めている。冒頭の秋子の家族の大ゲンカや、阿部サダヲとのラブホの一室での取っ組み合いの大ゲンカなどはその好例である。物を投げたり、あるいはベッドシーツが乱れたりするので、テイクを重ねるのはなかなかに大変だっただろう。一発勝負で撮ったにせよ、複数回のテイクから良いものを選んだにせよ、こうした絵作りに妥協しない姿勢は高く評価されてしかるべきだ。昨今の邦画の演技力の低下を見ると、尚のことそう感じる。

 

周平役の奥平大兼の演技もなかなか良かった。自分で考えたのか、それとも監督の演出・演技指導なのか、まともな教育やしつけを受けてこないままに大きくなったという感じがありありと出ていた。その最も印象的なシーンは、夏帆演じる市役所職員に喫茶店に連れていかれるシーン。周平の箸の持ち方がめちゃくちゃなのである。幼稚園児の頃から、箸の持ち方を誰にも教わってこなかったことが容易に察せられる。事実、小児の周平がカップラーメンもお湯でもどさず、固い乾麺のままバリボリと手で持って食べるシーンが序盤にある。青年期と小児期の周平はあまり似ていないのだが、それでも同一人物なのだということが、この橋の持ち方ひとつで強く印象付けられた。

 

本作は鑑賞する人間の多くを不快にさせる。それは徹頭徹尾、秋子を救いのない人物として描いているからだ。だがそれ以上に、我々が無意識のうちに抱く「母」という存在のイメージ、もっと言えば固定観念が本作によって揺さぶられるのも、不快感の理由に挙げられはしないだろうか。これが例えば父親なら『 幼な子われらに生まれ 』のクドカンのようなキャラなら、「まあ、そういうクズはたまに見るかな」ぐらいの感覚を抱かないだろうか。育メンなる言葉が生まれ、一時期はもてはやされたが、「育メンと呼ぶな、父親と呼べ」という強烈かつ当たり前すぎるツッコミによって、この新語はあっさりと消えていった。対照的に母にまつわる言葉や概念のあれやこれやには、「母性」、「母性愛」、「聖母」、「慈母」、「母は強し」、「母なる大地」、「母なる海」、「母なる星」、「母なる故郷」など、往々にして愛、包容力、受容、癒し、庇護などのイメージと不可分である。それが高じると「母源病」などという、非科学的かつ差別的な言葉や概念が生まれる。だが、そうした母に対する迫害的な意識は我々には希薄なようだ。今でも書店に行けば、子育てや受験、果ては就職や結婚に至るまで、この人生の節目における成功と失敗の多くを、母親の功績あるいは責任であると説く書物は山と存在する。それは我々が母親に愛されたいという願望を隠しきれていないからだろう。ちょっとしたボクシングファンならば、本作を観て亀田親子をすぐに思い浮かべたはずだ。亀田三兄弟の母親がパチンコ屋でインタビューを受けながら「自分の子のボクシングの試合は見ない」と答えていた番組を見たことのある人もいるだろう。ちょっとリサーチすればわかることだが、亀田三兄弟の母も秋子ほどではないが、母親失格(という表現を敢えて使う)の部類の人間である。だが、そんな母に対しても長男・興毅は「お母さん、俺を産んでくれてありがとう」と疑惑のリング上で吠えた。はたから見れば、自分を愛してくれない育ててくれない母親に、である。また次男・大毅は内藤大助戦で父親に反則を教唆され、それを忠実に実行した。のみならず、マスコミからの「父親からの指示ですか?」という質問に対して「違います、僕の指示です」という珍回答を行った。どこからどう見ても真っ黒な父を、それでも健気にかばったのである。秋子と周平の関係を歪だと断じるのはたやすい。だが、そんな親子関係はありえない、極めてまれなケースだと主張するのは、実は難しい。『 万引き家族 』によって揺さぶられた日本の家族関係・親子関係は、本作によってもう一段下のレベルで揺さぶられている。このメッセージをどう受け取るのかは個々人による。だが、受け取らないという選択肢はないと個人的には思っている。多くの人によって見られるべき作品である。

 

ネガティブ・サイド

長澤まさみは確かに体を張ったが、いくつかのラブシーン(?)には、はなはだ疑問が残る演出がされている。たとえばラブホテルの一室での仲野大賀との絡み。ベッドの上でゴロンゴロンしているだけで、長澤まさみが上を脱ぐのを嫌がったのだろうか。大森監督は『 光 』で橋本マナミを脱がせた(とはいっても、乳首は完全防御だったが)実績があるので、期待していたが・・・ いや、長澤の裸が見たいのではなく、迫真の演技が見たいのである。『 モテキ 』では谷間を見せて、胸も一応軽く触らせていたのだから、それ以上の演出があってもよかったはずだ。やっぱり長澤まさみの裸が見たいだけなのか・・・

 

真面目に論評すると、『 “隠れビッチ”やってました 』の主人公ひろみと同じく、本当にアブナイ男、それこそ『 チェイサー 』の犯人のような男に出会わなかったのは何故なのか。その男癖の悪さから、本当にやばい相手だけは見抜ける眼力、もしくは女の勘のような描写が一瞬だけでも欲しかった。

 

メイクにリアリティがなかった。あんな生活でこんな肌や髪の質は保てないだろうというシーンがいくつもあった。このあたりは取材やリサーチの不足、もしくはメイクアップアーティストの意識の欠如か。最終的には監督の責任だが。

 

これは個人差があるだろうが、BGMが映像や物語と合っていない。特にクライマックス前の神社のシーンのBGMはノイズに感じられた。全体的に音楽や効果音が使われていないため、余計にそう感じられた。ただし、このあたりの感性は個人差が大きい。

 

少々残念だったのは、ラストか。以下、白字。呆然自失の長澤まさみを映し続けるが、その表情が崩れる瞬間を見たかった。それも、泣き出すのか、それとも笑い出すのか、その判別がつかない一瞬を捉えて暗転、エンドロールへ・・・という演出は模索できなかったか。『 殺人の追憶 』のラストのソン・ガンホの負の感情がないまぜになった表情。『 ゴールド/金塊の行方 』のラストのマシュー・マコノヒーの意味深な笑顔。こうした表情を長澤まさみから引き出してほしかった。

 

総評

こうした映画はテアトル梅田やシネ・リーブル梅田のようなミニシアターで公開されるものだった。だが、長澤まさみという当代随一の女優を起用することで全国的に公開されるに至った。多少の弱点がある作品ではあるが、それを上回るパワーとメッセージを持っている。母の愛、母への愛。自分と母との距離を見つめなおす契機にもなる作品だろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

bring up

「育てる」の意。直訳すれば「持ち上げる」となるように、小さな子どもの背丈がぐんぐん伸びる手伝いをしてやるイメージで、「体が大きくなるまで育てる」のような意味である。名詞のupbringingには「養育」、「生い立ち」、「しつけ」のような意味があり、やはり幼少から成人に至る時期ぐらいまでを指して使われることが多い。劇中で秋子が叫ぶ「私が育てたんだよ!」は、“I brought him up!”となるだろうか。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 夏帆, 奥平大兼, 日本, 監督:大森立嗣, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:スターサンズ, 長澤まさみ, 阿部サダヲLeave a Comment on 『 MOTHER マザー 』 -Like mother, like son-

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