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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 配給会社:日活

『 今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は 』 -青春の痛々しさが爆発する-

Posted on 2025年5月14日2025年5月14日 by cool-jupiter

今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は 75点
2025年5月10日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:萩原利久 河合優実 伊東蒼
監督:大九明子

 

『 勝手にふるえてろ 』や『 私をくいとめて 』の大九明子監督の作品ということでチケット購入。

 

あらすじ

友人がほとんどいない大学生の小西徹(萩原利久)は、ふとしたことから気になっていた桜田花(河合優実)に声をかける。二人は瞬く間に意気投合し、仲を深めていくが・・・

 

 

ポジティブ・サイド

全然キラキラしていない大学生を見ると、つい自分を思い出す・・・というわけでもないが、萩原利久演じる小西は非常に感情移入しやすい。おもいっきり乱暴に彼のキャラを例えるなら、『 新世紀エヴァンゲリオン 』の碇シンジと、ゲーム『 ファイナルファンタジーVIII  』のスコールを足したような奴である。

 

そこに同級生の桜田花と、バイト先の仲間であるさっちゃんが絡み、甘酸っぱい青春の始まりを予感させながら、物語は急遽暗転する。ある程度予想通りだが、緩急のつけ方が上手い。

 

大九明子監督の作品の中ででは、『 勝手にふるえてろ 』の松岡茉優然り、『 私をくいとめて 』能年玲奈然り、とことんまで物語る女性キャラが出てくるものが当たりである。そして本作は当たり。今回物語るのは伊東蒼。表情やしぐさがわざとらしすぎる女の子なのだが、あるシーンでは表情を一切見せずに独白しきるシーンは圧巻の一語に尽きる。『 さがす 』や『 世界の終わりから 』で見せた独特の存在感を、本作でもいかんなく発揮している。

 

本作はところどころで不可思議な映像が挿入されるが、数々の伏線と共にその意味が明らかになる展開には唸らされた。これは脚本の勝利。伏線については、ぜひ目だけではなく耳も済ませてほしい。

ネガティブ・サイド

よくわからない点が二つ。1つはさっちゃんの大学。出町柳が最寄り駅ということは京都大学?あの交差点は、あの交差点やし・・・ 偏見かもしれないが、京大生が銭湯でバイトするというのは現実離れしているような。

 

2つには、洗濯機の埃やら何やらを回収するメッシュの袋。あれを好きな女子の前に持って来ることができる感性にドン引き。いや、その気持ちを否定しているのではなく、なぜこのアイテムを原作者はわざわざ選んだのか。キモイにもほどがある。

 

総評

傑作とまではいかないが良作であるのは間違いない。チケット購入時はスカスカだったのに、当日は完売していた。そして観客の大半が若いカップル。おそらくほとんど全員関大生だったのだろう。表情から満足度の高さが読み取れた。実はJovian妻も関西大学の卒業生で、法学部と文学部があるから法文坂というような蘊蓄を色々と教えてもらった。別に関大生である必要はない。若い世代、あるいはかつての青っちょろい自分が嫌いではないという人にお勧めできる作品に仕上がっている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I know you haven’t the slightest interest in me.

直訳すれば「あなたが私に一切興味がないことを知っている」となる。劇中で非常に印象的なセリフの一つ。普通は you don’t have the slightest interest と言うが、ブリティッシュは割とhave動詞を今でも使うし、アメリカ人でもこのような表現を好む者(作家のマイケル・ルイスなど)もいる。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 新世紀ロマンティクス 』
『 サンダーボルツ* 』
『 金子差入店 』

 

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Posted in テレビ, 国内Tagged 2020年代, B Rank, ラブロマンス, 伊東蒼, 日本, 河合優実, 監督:大九明子, 萩原利久, 配給会社:日活, 青春Leave a Comment on 『 今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は 』 -青春の痛々しさが爆発する-

『 ロストケア 』 -題材は良かった-

Posted on 2023年4月2日 by cool-jupiter

ロストケア 60点
2023年4月1日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:松山ケンイチ 長澤まさみ
監督:前田哲

 

繁忙期のため簡易レビュー。

 

あらすじ

ある訪問介護詞節のセンター長がサービス利用者の自宅で死体で発見され、住人も死亡が確認された。容疑者として浮上したのは、同僚からも介護家族からも慕われる介護士の斯波(松山ケンイチ)だった。検事の大友(長澤まさみ)は取り調べの中で、斯波の務めるセンターの要介護者の死亡者数が多いことに疑問を抱き・・・

 

ポジティブ・サイド

松山ケンイチが素晴らしい。どこか『 DEATH NOTE デスノート 』のLっぽさを醸し出しつつも、人間性と残虐性を両立させている。感情を抑えた演技をすることで、うちに渦巻く多種多様な感情を逆説的に観る側に想起させる。役者、かくあるべし。

 

介護はきれいごとではない。Jovianも甥っ子たちのお締めを換えたりしたが、それは数年すれば終わること。介護のお締め好感はいつ終わるのか分からない。Jovian祖母が死んだ2年後ぐらいか、親父と二人でNHKの介護番組を観ていたら、親父がいきなり「まあ、おふくろは寝たきりになる前に死んでくれたからなあ」と呟いた。正直、なんちゅう親父やと感じたが、今なら首肯するしかない。

 

ネガティブ・サイド

もっと『 PLAN 75 』のように振り切った社会批判をしてもよいのに。国家を挙げて老人を始末せんとする『 PLAN 75 』とは対照的に、本作は介護は自己責任と切って捨てる日本社会を撃ってはいるものの、結局それが斯波と大友の個人的なやりとりに集約されてしまっている。『 人魚の眠る家 』でもそうだったが、政治批判や社会批判が難しい土壌が邦画の世界にはあるのだろうか。まあ、あるんだろうな・・・

 

長澤まさみは頑張ってはいるものの、acting という感じがする。松山ケンイチが acting と being 中間ぐらいに見えるため、どうしても見劣りしてしまう。

 

あとは八賀センター管轄の要介護者の死亡率か。事故・自殺以外は全員他殺はありえない。あの地区では自然死する老人はゼロだった?確率的、統計学的にそんなことがありうるのか?

 

総評

ある意味で『 グッド・ナース 』を日本流に再解釈したような作品で、これはこれで面白かった。しかし、力のある役者に骨太なストーリーを与えても、日本的な演出を盲目的に盛り込んでしまっては意味がない。映画というよりも役者の演技を観賞するつもりでチケットを購入されたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

carer

ケアラーと読む。意味は介護者。近年、ヤングケアラーが急増している。というよりも、高齢者が増えすぎて、介護士が不足し、結果として家族の中で子どもまでもが介護に駆り出されているようになっている、というのが実相だろう。看護師や保健師はエッセンシャル・ワーカーと認知されたが、介護士がそのように認知される日は果たして来るのか。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 マッシブ・タレント 』
『 search #サーチ2 』
『 シンデレラ 3つの願い 』

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, サスペンス, 日本, 松山ケンイチ, 監督:前田哲, 配給会社:日活, 配給会社:東京テアトル, 長澤まさみLeave a Comment on 『 ロストケア 』 -題材は良かった-

『 グッドバイ、バッドマガジンズ 』 -コメディではなくシリアスドラマ-

Posted on 2023年2月6日 by cool-jupiter

グッドバイ、バッドマガジンズ 70点
2023年2月4日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:杏花
監督:横山翔一

シネ・リーブル梅田で予告編を何度か観て、面白そうだと感じたのでチケット購入。コメディ要素はあるものの、結構シリアスな人間ドラマに仕上がっていた。

 

あらすじ

女性誌編集を希望しながらも、男性向け成人誌の編集で採用された詩織(杏花)。卑猥な画像や物品に囲まれたオフィスで仕方なく働くも、女性編集者の澤木やライターのハルに影響を受け、徐々に仕事に打ち込むようになっていく。そして女性向け成人誌の創刊というチャンスを掴むことになるが・・・

ポジティブ・サイド

東京オリンピックに関しては2023年の今でも超巨額の談合やら何やらが今も捜査されているが、その巨大スポーツ利権イベントの裏でコンビニの店頭から消えたエロ雑誌とそれらを作る人々のドラマに焦点を当てたのはかなり目の付け所が秀逸であると感じる。

 

まずは主演の杏花の演技が素晴らしい。就職難の中、コネで雑誌社に就職するも、配属先は男性向け成人誌の編集部門。うら若き乙女にとってかなりアウェイの職場だろう。死んだ魚の目で来る日も来る日も女性のヌードがプリントされた紙をシュレッダーにかけていく日々。新人は雑用が主な仕事とはいえ、これはなかなかキツイ。しかしわずか数か月でたくましく成長する詩織。後輩社員に変わってキャッチコピーを考える様は圧巻。電光石火の早業で、次々に刺激的なエロの見出し語を生み出していく詩織の成長に、オッサンであるJovianは目頭が熱くなった。

 

詩織が成長できたのも自己研鑽だけではなく、周囲の仕事人の助けもある。落ち目のエロ本業界にあっても、良いものを作ればユーザーはついてくるという信念を持った仕事人がいるからこそ。逆にそうした人々が独立を志向して会社を去っていくのがリアルだった。残された面々も、しばしば営業と対立。これはどこの業界のどこの会社でも見られる光景だろう。うちのような語学教育会社でも、営業がクライアントに「弊社なら可能です!」とか堂々と宣言して、レッスンプランを考えたり講師に研修を実施するJovianのような教務担当が頭を抱えるというのは、日常茶飯事とまで言わないが、年に2~3回はある(口八丁の営業、ホンマええ加減にせえよ・・・)。

 

本作がお仕事ムービーとして優れている点は、仕事で盛大にやらかしてしまう展開を見せてくれるところ。ここで某キャラがやらかすミスは、サラリーマン的には洒落にならない類のものである。ミスの発生機序やその結果がもたらす影響が非常にリアルだった。

 

衰退産業にあっても個として雄々しく生きていくことができる。題材こそエロ本だが、そこに込められたメッセージは万人向けである。

ネガティブ・サイド

「テープがなければ中身で戦えた」という台詞には共感できなかった。昔も今も書籍やレンタルビデオ、レンタルDVDは中身ではなく外側で勝負してきたはず。飲食店なんかもそう。世の中の製品というのは、まずは外側で勝負しないと始まらない。このあたりを描いた小説に『 装幀室のおしごと。 ~本の表情つくりませんか?~ 』がある。

 

物語の軸が終始定まらなかった。仕事を通じて詩織が成長していくビルドゥングスロマンなのか、斜陽産業で頑張る人々を活写するお仕事ムービーなのか。どちらも追求するのではなく、どちらかに振り切るべきだった。途中からエロ雑誌の存在意義ではなく、人は何故セックスするのかにテーマが変質していったのも気になる。最後の展開は不要に思えた。

 

次々と社員が退社していく中、クビになる人もいるのだが、「え?クビだけですむの?社会的に抹殺されへんの?」という展開には少々鼻白んだ。

 

総評

雑誌の栄枯盛衰を描く物語としては『 SCOOP! 』や『 騙し絵の牙 』を上回る面白さ。全体を通して観るとトーンが一定しないが、一瞬一瞬の面白さはなかなかのもの。主演の杏花の成長は、この職場、この業界だからこそ、万人が応援できるストーリーに仕上がっている(最後以外は)。PG12作品だが、間違っても高校生あたりがデートムービーにできるものではない。大学生でもどうだろうか。35歳以上なら男性でも女性でも、お仕事ムービーとしてもエロ本の歴史ものとしても楽しめるはず。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

dirty magazines

タイトルにあるバッドマガジンズというのは低品質な雑誌、あるいはコンテンツが邪悪な雑誌という意味。英語ではエロ雑誌、成人雑誌は概して dirty magazines と言う。別に知っておく必要はないだろう。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 エンドロールの続き 
『 イニシェリン島の精霊 』
『 日本列島生きもの超伝説 劇場版ダーウィンが来た! 』

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 杏花, 監督:横山翔一, 配給会社:日活Leave a Comment on 『 グッドバイ、バッドマガジンズ 』 -コメディではなくシリアスドラマ-

『 女子高生に殺されたい 』 - もっと設定を研ぎ澄ませれば更に良し-

Posted on 2022年5月7日 by cool-jupiter

女子高生に殺されたい 65点
2022年5月5日 梅田ブルク7にて鑑賞

出演:田中圭 南沙良 河合優実 細田佳央太
監督:城定秀夫

タイトルだけでスルーしようとしていたが、『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』の南沙良が出演していると気付いて、ギリギリでチケット購入。上映最終日であっても、劇場の入りは4割程度となかなかだった。

 

あらすじ

教師の欠員が出た二鷹高校に赴任してきた東山春人(田中圭)は、そのルックスと人当たりの良さでたちまち人気教師となる。しかし、彼には秘密があった。目をつけていた女子高生、佐々木真帆(南沙良)に殺されたいというオートアサシノフィリアの持ち主だった。春とは密かに練っていた計画を進めようとするが・・・

以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

タイトルだけ読めば「どこのアホの妄想だ?」と思わされるが、中身はどうしてなかなか練られていた。シネフィル=映画好きな人、シネフィリア=映画好きということだが、オートアサシノフィリアというのは初めて聞いた。ありそうだと感じたし、実際に存在するようだ。この一見突飛な性癖(この語も、ここ10~20年で意味が変わってきたように思う)に説得力を持たせる背景にも現実味がある。田中圭は『 哀愁しんでれら 』あたりから少しずつ芸風を変え始めたようで、もう少し頑張れば中堅からもう一つ上の段階に進めるかもしれない。

 

女子校生役で目についたのは河合優実。『 サマーフィルムにのって 』や『 佐々木、イン、マイマイン 』など、作品ごとにガラリと異なる演技を見せる。今作のキャラにリアリティがあったかどうかはさておき、キャラの迫真性は十分に堪能できた。テレビドラマなどには極力出ずに、映画や舞台で腕を磨き続けてほしい役者だ。

 

南沙良の目の演技も見応えがあった。正統派の美少女キャラよりも、陰のある、あるいは闇を秘めた役を演じるのが似合う。こういう女子高生になら殺されたい。

 

最初は意味不明に思えた春人の行動の数々が中盤以降に一気に形を成していくプロセスは面白かった。高校生ものでゲップが出るくらい見飽きた学園祭をこういう風に使うのには恐れ入った。学園祭の変化球的な使い方の作品といえば恩田陸の小説『 六番目の小夜子 』と赤川次郎の小説『 死者の学園祭 』が印象に残っているが、本作も同様のインパクトを残した。

 

色鮮やかな序盤から陰影の濃くなる終盤の照明のコントラストがキャラクターたちの心情を反映している。またBGMも静謐ながら不穏な空気を醸し出すのに一役買っていた。タイトルで損をしていると思うが、普通に面白い作品。河合優実のファンなら要チェックである。

 

ネガティブ・サイド

本作の肝である「春人は一体誰に殺されたいのか?」という謎の部分がやや弱い。いじめっ子、柔道娘、予知娘、多重人格娘と取り揃えてはいるが、4択ではなく実質的には2択だった。というよりも1択か。最初から2択に絞り込むか、あるいは4択のまま観る側を惑わすような展開にもっと力を入れた方が中盤までのミステリーとサスペンスがもっと盛り上がっただろうと思う。

 

河合優実のキャラの地震予知能力は必要だったか?あの世界には緊急地震速報というものはないのだろうか。というか、予知能力と物語が何一つリンクしていなかった。この設定はそぎ落としてよかった。

 

南沙良のキャラのDIDも、もっとさり気ない演出を要所に仕込めたはず。『 39 刑法第三十九条 』などを参考にすべし。駄作だった『 プラチナデータ 』もそのあたりの伏線はしっかりと張ってあった。殺してほしい相手を南沙良の1択に絞って、ほんのちょっとした仕草や表情などを追い続けた方が物語の一貫性やフェアな伏線が生まれたはず。

 

総評

多重人格の扱いがちょっとアレだが、ストーリー自体はかなり面白い。南沙良、河合優美などの、いわゆるアイドルではなくオーディションを潜り抜けてきた若手女優たちの演技も光っているし、照明や音楽も良い仕事をしている。それらをまとめ上げる城定秀夫監督の手腕は称賛に値する。劇場で見逃してしまった人も、ぜひレンタルや配信で鑑賞されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

auto

元々はギリシャ語の self に当たる語に由来している。意味は「自身」あるいは「自動」。automobile = 自分で動く = 自動車である。他にも FA = factory automation = 工場稼働の自動化だし、autobiography = 自分で書く伝記 = 自伝である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, サスペンス, 南沙良, 日本, 河合優美, 田中圭, 監督:城定秀夫, 細田佳央太, 配給会社:日活Leave a Comment on 『 女子高生に殺されたい 』 - もっと設定を研ぎ澄ませれば更に良し-

『 前科者 』 -年間最優秀映画候補の最右翼-

Posted on 2022年2月9日 by cool-jupiter

前科者 85点
2022年2月6日 TOHOシネマズ伊丹にて鑑賞
出演:有村架純 森田剛 磯村勇人
監督:岸義幸

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220209233632j:plain

『 二重生活 』や『 あゝ、荒野 』の岸義幸監督作品で、2021年期待の一作。この御仁は自分で脚本も書いて監督もする、それゆえに寡作(しかし良作率が高い)という意味で韓国の映画監督のよう。『 大怪獣のあとしまつ 』のせいで the lowest of the low point にまで盛り下がっていた気持ちを『 前科者 』は大きく押し上げてくれた。

 

あらすじ

保護司の阿川佳代(有村架純)は、殺人の前科を持つ工藤誠(森田剛)の構成と社会復帰に献身的に協力していた。しかし、保護観察期間が終わろうとする直前に工藤は姿を消してしまう。同じ頃、警察官が何者かに銃を奪われ、撃たれるという事件が発生。そして、奪われた銃によって殺人事件が繰り返され・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220209233645j:plain

ポジティブ・サイド

保護司という仕事については原作をLINE漫画で読んで初めて知った。凄い仕事だと驚かされたが、同時にそこに描かれる人間模様、ひいては社会の在り方について深く考えさせられた。WOWOWドラマは未視聴だが『 太陽は動かない 』と同じで、映画単体で観ても全く問題はない。

 

まずは有村架純。『 るろうに剣心 最終章 The Beginning 』の巴役はまあまあだったが、今作では阿川佳代のシンクロ率が非常に高かった。漫画原作のビジュアルや体形、表情まで、相当に研究してドラマ、そして映画に臨んだと思われる。これまでは如何にもヒロイン然とした役柄ばかりを演じてきた(あるいは演じさせられてきた)せいか、役者としての力量が見えてこないことが多かった。しかし、本作の一見すると冴えない女性だが、その芯に強さと弱さの両方を内包したキャラクターを見事に血肉化したと思う。

 

対する森田剛はJovianのまさに同世代なのだが、いつの間にか立派なおっさんになっているではないか。こちらも物静かだが、しかし内に秘めた人間らしさ(それは社交性とは限らない)が垣間見える瞬間がとてもチャーミングで好ましく映った。森田演じる工藤誠の更生への道が本作のメイン・プロット。仕事先で真面目に働き、社員登用も視野に入った工藤が、まさに保護観察期間の終了直前に突如姿を消す。同時に、街では殺人事件が発生する。これが警察もの、探偵ものであればサスペンスも何も感じないが、無力な保護司が主人公となると話が変わってくる。

 

もちろん警察も動くわけで、事件を捜査する刑事の一人が佳代の元同級生(磯村勇人)にして、因縁のある初恋の相手というのがサブ・プロットになっている。焼け木杭に火がつく展開と見せかけて、そうはならないので安心してほしい。同時に、磯村演じる若い刑事の過去に、佳代が保護司になるきっかけとなった出来事があったのだ。このあたりの過去と現在の関わりが明らかになっていく過程は見応えがあった。ベッドイン直前のシーンで途中でやめてしまう磯村を不審に思うだろうが、それにもちゃんと理由があるのだ。

 

一見するとなぜ殺されるのか分からない市井の人々が殺されていくが、それを行う犯人、そしてその犯人に協力する工藤の生い立ち、そして社会との関係。そうしたことが明らかになっていくにつれ、犯罪とは何か?という疑問が生まれる。罪を犯す原因は元々の人間性なのか、それとも環境によるものなのか。それはとりもなおさず、更生とは本人の努力次第なのか、それとも環境次第なのかという問いに転化する。我々はついつい「一人暮らしの若い女性が前科者を部屋に入れて大丈夫なのか?」と訝ってしまうが、そう思わせるのが本作の眼目なのだ。佳代の保護下にある前科者のみどりが言う「お前らが普通の人間面していられるのは、私らみたいな前科者がいるおかげだ」というセリフが何とも痛烈だ。

 

Jovianは工藤誠および彼が協力した殺人犯の姿に『 ジョーカー 』のアーサー・フレックを思い起こした。環境こそが人間を悪に走らせるのだろう。事実、劇中で明かされる工藤の生い立ちには一掬の涙を禁じ得ない。我々は往々にして犯罪者を人間扱いしないが、何が人を犯罪に走らせるのかといえば、それは我々の非人間性なのではないかと思う。工藤と彼の協力者が受けた過酷な仕打ちは、普通の人間のちょっとした弱さやミス、あるいはその時代の常識に従ったことが積み重なった結果である。そのことに慄かずにはいられない。

 

工藤に切々と語りかける佳代、それをうけて大粒の涙(と鼻水)を垂らす工藤の姿は、『 17歳の瞳に映る世界 』のカウンセリングのシーンに匹敵する。救いようのない物語の結末に用意された、一筋の救いの光、あるいは蜘蛛の糸。保護司と前科者ではなく、人が人に関わろうとする姿に胸を打たれずにいられようか。そうした意味で本作はまさしく『 すばらしき世界 』の後継作品である。同作のレビューで述べた感想を引いて、ポジティブ・サイドを終わる。

 

ほんのわずかでも自分を理解してくれる人がいたら・・・ほんのわずかでも自分を支援してくれる人がいたら・・・ほんのわずかでも自分のために涙を流してくれる人がいたら・・・そんな世界を見出すことができれば、それは充分に「すばらしき世界」ではないのだろうか。

 

ネガティブ・サイド

拳銃が劇中の事件の大きなパートを占めるのだが、それの扱いなどが相当に現実離れしている。ホルスターに収められた拳銃を奪おうとして警察官と揉み合いになっている最中に複数ある安全装置を外して撃つなどできるものか。

 

また一度でも銃を撃ったことがある人なら分かるだろうが、動いている標的相手に片手で構えて撃って命中させることなどできない。動かない的に5メートルの距離から40発撃って、ほとんど全部外したJovianが断言する。

 

後は磯村勇人とマキタスポーツのコンビか。演技が悪いというわけでは決してない。しかし警察OBのJovian義父が見たら間違いなく憤るであろうシーンには閉口させられた。それとも警察の息のかかった病院だとでもいうのだろうか。

 

総評

伊丹市出身の有村架純に敬意を表してTOHOシネマズ伊丹に赴いたわけではないが、混雑もしておらず、マナーの良い客層ばかりで結果的に良かった。本作は間違いなく、兵庫県民・有村架純の代表作である。期間限定で人気の女優とばかりに思っていたが、本格派として飛躍し始めたようである。とんでもない駄作を直前に観たせいか、評価がインフレしている気がしないでもないが、それを割り引いて考えても、本作にはチケット代の価値は十分に認められるものと思う。単なるお涙頂戴物語ではなく、人が人に関わることの意味をあらためて世に問う野心作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a volunteer probation officer

保護司の英語訳。probationという語を知っていれば英検準1級レベルはあるのかな。『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』で、Misters Havemeyer, Potter, and Jameson are placed on probation for suspicion of ungentlemanly conduct. というセリフがあるので、興味がある人は鑑賞されたし。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 有村架純, 森田剛, 監督:岸義幸, 磯村勇人, 配給会社:WOWOW, 配給会社:日活Leave a Comment on 『 前科者 』 -年間最優秀映画候補の最右翼-

『 私はいったい、何と闘っているのか 』 -男の独り相撲の見事な映像化-

Posted on 2021年12月27日 by cool-jupiter

私はいったい、何と闘っているのか 70点
2021年12月25日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:安田顕 小池栄子
監督:李闘士男

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『 家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。 』と同じ監督、脚本、主演の本作。男という哀れな生き物の脳内を見事に描き出すとともに、言葉そのままの意味で「男らしい男」の生き様を描き出してもいる。

 

あらすじ

伊澤春男(安田顕)、45歳。スーパーの主任として奮闘しつつ、店長への昇格の野心も持つ、良き家庭人。が、やることなすことがどうにも上手く行かないと思えてしまう。そんな中、降ってわいたように春男に店長就任の機会が舞い込んでくるものの・・・

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ポジティブ・サイド

単なる個人の印象だが、日本にはこの井澤春男に自己同一化してしまう男性が200万人はいるのではないか。そんな気がしてならない。35歳から50歳ぐらいの各年齢が100万人、その半分が男性とすれば50万人。35~50の年齢層では50万人×16=800万人。そのうちの4分の1ぐらいは春男に共感するだろうとの概算である。

 

仕事にも一生懸命で結婚もしている、子どももいるし、子育てにも参画している。こうした、いわゆる現役世代の鬱屈、煩悶、野望などの様々な心情が、安田顕によって見事に表出されている。これはキャスティングの勝利だろう。オダギリジョーや滝藤賢一といった同世代の俳優には出せない味がしっかりと出ている。脳内独り相撲を安田顕の高度な一人芝居に昇華させられなかった演出が悔やまれる。

 

仕事も家庭もそれなりに順風満帆のはずなのに、ほんのちょっとしたトラブルやボタンの掛け違いが、思いもよらぬ結果になってしまうことは誰にでもある。春男はそんな我々小市民の具現化で、まさに40代男性あるあるのオンパレードである。年頃の娘たちに小少々邪険にされつつも、しっかりと尊敬されており、末っ子の息子には「パパは僕に似たんだな」としっかりと愛されている。また小池栄子演じる妻が良い味を出している。料理に掃除に洗濯に子育てにと、あまりに良妻賢母である。Political correctness の観点からすれば大いに断罪されそうな家庭像だが、そうさせない秘訣は春男のヘタレっぷりと男っぷりにある。どういう意味か分からないという人はぜひ鑑賞されたし。

 

娘のボーイフレンドが家にやって来るところは、まさに春男という「ダメ男」かつ「男の中の男」の面目躍如。Jovianには子どもはいないが、それでも春男の心が手に取るように分かった。相手の男の応対も満点やね。Jovianはあんなに堂々と「娘さんをください」とは言えなかった。

 

仕事でやらかして謹慎を食らったところからの家族旅行が本作のクライマックス。平々凡々な小市民な春男にほんのちょっとした奇跡が起こる。春男の精一杯の意地とプライドが静かに炸裂するシーンは必見である。

 

本作を観たら、きっとカツカレーを食べたくなることだろう。もしもそう感じることがあるなら、それは安心できる逃げ場所が必要だから。赤ちょうちんでもカレー屋でもいいじゃないか。愛する家族が待つ家にまっすぐ帰れない夜もある。そんな男の哀愁を受け止めてくれる妻がいる。それだけで春男は果報者。春男のように頑張ろう。そう思わせてくれる良作だった。

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ネガティブ・サイド

春男の独り相撲っぷりがくどいし長い。『 私をくいとめて 』では脳内のAと自分が別人として語り合っていたし、『 脳内ポイズンベリー 』では、それこそ人格たちの丁々発止のやりとりがダイレクトに笑いにつながった。また『 勝手にふるえてろ 』は脳内ファンタジーが見事に現実を侵食していた。これらの先行作品に比べると、春男の独り相撲っぷりが少々弱い。というか、これでは脳内一人ノリツッコミで、最初こそ共感できるが、だんだんと飽きてくる。重要なのは最初の10分で春男というキャラの脳内を存分に観る側に刻み付けること。それに成功すれば、あとは安田顕の表情、所作、立ち居振る舞いからオッサン連中は勝手に春男の一人ノリツッコミを脳内補完する。製作側はオッサン以外の観客を意識したのだろうが、そこはもっと観る側を信頼すべきだし、観客ペルソナとしても最上位に来るオッサンにぶっ刺さる作りにすべきだった。

 

開始早々に退場する上田店長の扱いがどうにも軽い。春男が「この人のためなら」と思える人物である一方、スーパーウメヤの他のスタッフが春男の昇進を前祝いする流れはどうかと感じた。

 

井澤家の因果についてはもう少し伏線を遅めに、あるいは控え目にすべきだった。I坂K太郎を読む人なら、開始5分で「ああ、そういうお話ね」とピンと来たはずである。

 

総評

ほぼ安田顕の独擅場である。『 君が君で君だ 』は極端な例だが、男なんつー生き物は脳内の80%は自意識と妄想でできている。そんな夫を助ける小池栄子はグラビアアイドルから女優に見事に変身したと言える。『 喜劇 愛妻物語 』の夫はぐうたらのダメ人間で、共感できる人間を選ぶキャラだったが、こちらの春男は男の良いところ、男のダメなところの両方を見事に血肉化している。30~50代の夫婦で鑑賞してほしいと思うし、あるいは大学生のデートムービーにも良いかもしれない。世の父ちゃんたちは、ああやって闘ってカネを稼いでいるのだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Go ahead.

「はい、どうぞ」の意。相手に何かを差し出す時には ”Here you are.” と言うが、相手に何らかの行動を促したい、あるいは相手から何らかの行動の許可を求められた時に使う表現。しばしば “Sure, go ahead.” のように使われる。相手が何を言っているのかよくよく理解してから使いたい表現である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 安田顕, 小池栄子, 日本, 監督:李闘士男, 配給会社:日活, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 私はいったい、何と闘っているのか 』 -男の独り相撲の見事な映像化-

『 デイアンドナイト 』 -善悪の彼岸へ-

Posted on 2021年5月16日 by cool-jupiter

デイアンドナイト 75点
2021年5月12日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:阿部進之介 安藤政信 清原果耶
監督:藤井道人

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『 宇宙でいちばんあかるい屋根 』の清原果耶と藤井道人監督の初タッグ作品。『 るろうに剣心 最終章The Final 』で頭のイカレタ鯨波兵庫を熱演した阿部進之介の熱演が光る。

 

あらすじ

明石幸次(阿部進之介)実家に帰ってきた。父が大手企業の不正を内部告発したことで家業は倒産に追い込まれ、本人は自殺した。そんな中、北村(安藤政信)という男が接触してくる。北村はは児童養護施設を運営しながら、その資金を車両の盗難などの犯罪で得ていた。そして明石にその仕事を手伝ってほしいと言ってきて・・・

 

ポジティブ・サイド

『 七つの会議 』を彷彿させる出だしで、日本の闇を感じさせる。不正を告発することよりもコミュニティの輪を乱す方が悪いという考え方は実に日本的であるが、それによって潰される個人はたまったものではない。『 七つの会議 』との違いは、タイトルにある通り昼=Dayと夜=Nightとで異なる顔を持つ者たちの物語になっているところである。我々は「お天道様が見ているから」という理由で、明るいうちには悪事には手を染めない。しかし、夜には夜の顔がある。ポイントは、昼が正しく、夜が間違っているというわけでは決してないということだ。

 

安藤政信演じる北村は、その二面性を上手く表している。昼に養護施設で見せる顔と、夜に工場で野郎どもに見せる顔の違いに、役者としての凄みを見せる。「お父さんも手伝ってくれていた」という言葉で明石を巧みに勧誘し、「見て覚えて」と有無を言わせず仲間に引き入れる。阿部進之介演じる明石も同じ。何の変哲もない男で日の光の当たる世界に居場所を持つはずが、裏社会に染まっていく。このあたりの描写に説得力がある。汚い方法で得たカネで恵まれない子どもを養うのは悪なのか、不正を告発することで多くの人間が職を失うことになってしまうのは悪なのか。

 

昼の世界と夜の世界に生きる明石をつなぎとめ、かつ、さらに濃い闇に染める存在としての奈々の存在感がとにかく素晴らしい。皆と群れることなく孤独に絵を描いている時に上空を雁行で飛んでいく鳥の群れが象徴的だ。施設の中での一番の年長で、自分が先陣を切ってこの場所から羽ばたいていく。そんな決意がにじみ出ている。厨房でひとり黙々と働く明石に寄り添い、相手の孤独を癒そうとしながら自分の孤独を癒そうとするところなど、femme fataleの素養も十分。この世代では南沙良と清原果耶がトップランナーだろう。

 

明石の復讐劇。北村の持つ因果。善行のために悪行を為すという矛盾。そうした人間の心の中の迷いのうねりが、海岸線沿いに立ち並ぶ巨大な風車に仮託されているようだ。巨大な力に押しつぶされそうになる明石が、最後の最後に父親の復讐に打って出るシーンは圧巻。一発で収録しなければならない緊張感がびりびりと伝わってきたし、役者たちもそれに応えた。復讐で得られるものは何か。復讐で成し遂げられることは何か。日本社会の縮図とその中の人間模様のリアルさに考えさせられることしきりであった。

 

ネガティブ・サイド

冒頭の父親の残した手記にある「善と悪」についての省察は良かったが、劇中のナレーションや最終盤での父の幻影とのやりとりはさすがにくどいと感じた。犯罪で得たカネを孤児院の運営に使うのは善なのか悪なのかということは、序盤ですでに十分に伝わっているし、明石の父の死も善と悪の狭間の出来事であることは直感的に理解できている。

 

麻薬の売人を容赦なく叩きのめしていたが、そんなことをしていると警察よりもヤクザ、あるいは半グレの方から先に報復を受けそうに思うが。ある意味で、悪と悪がぶつかり合う本作であるが、世の中にはたくさんの事情の異なる悪が存在するという場面がほんの少しでいいからほしかった。

 

舞台は秋田ということだが、清々しいまでに秋田弁が出てこない。『 泣く子はいねぇが 』を少しは見習えと言いたい。

 

総評

藤井道人監督の現実感覚が良く表れた傑作であると思う。善と悪の境界にあるのは、強い人間の思いである。憎い相手への復讐と、守りたい相手を守るということ。まるで韓国映画の十八番のリベンジスリラーのようだが、その手法を日本社会に当てはめたのが特徴的。人間の業に善悪などないものだが、それによって恩恵を受ける者、被害に遭う者などもあり、仏教的な意味での縁起について考えさせられる。藤井監督の問題意識は『 新聞記者 』よりも本作のほうが濃いように思う。いぶし銀の脇役・阿部進之介の主演作かつ代表作としても見逃せない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Watch and learn

「見て学べ」、「見て覚えろ」の意。職場でも使うし、軍隊などでも使う。日本っぽ言い回しにするなら、「背中を見て学べ」だろうか。実際には人間よりも、人間以外の哺乳類の親子や兄弟がこれを実践しているように思う。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, クライムドラマ, 安藤政信, 日本, 清原果耶, 監督:藤井道人, 配給会社:日活, 阿部進之介Leave a Comment on 『 デイアンドナイト 』 -善悪の彼岸へ-

『 私をくいとめて 』 -能年玲奈の最高傑作-

Posted on 2020年12月27日 by cool-jupiter

私をくいとめて 80点
2020年12月20日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:のん 林遣都 中村倫也
監督:大九明子

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大九明子監督がまたしてもやってくれた。『 勝手にふるえてろ 』と同工異曲ながら、新たな傑作を世に送り出してきた。同時にこれはのん(能年玲奈)の最高傑作にも仕上がっている。

 

あらすじ

脳内の相談役「A」のおかげで、黒田みつ子(のん)はアラサーお一人様女子生活を満喫していた。ある日、みつ子は取引先の年下営業マンの多田(林遣都)と街中で偶然に出会い、ときめを感じる。お一人様を続けるのか、多田との関係に踏み出すべきなのか・・・

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ポジティブ・サイド

乱暴にまとめれば、これは『 脳内ポイズンベリー 』をのんを起用してリメイクしたものと言えるだろう。だが、詳細に見れば『 脳内ポイズンベリー 』よりも優る点が次々に見えてくる。第一に、「A」の声を演じた中村倫也の好演。Jovianは映画におけるナレーション(Voice acting)では『 ショーシャンクの空に 』のモーガン・フリーマン、『 私はあなたのニグロではない 』のサミュエル・L・ジャクソンが双璧だと思っている。中村の演技は、彼ら大御所と肩を並べるとは言わないまでも、これ以上なくハマっていたように感じた。終盤に登場するビジュアルのある「A」とのギャップもなかなかに笑わせてくれる。

 

のんは久しぶりに見たが、これはおそらく今後20年は彼女の代表作となるだろう。「おひとり様」という、まさにコロナ禍の今こそ最も求められるライフスタイルを体現するアラサー女子。最後の恋愛を「大昔のこと」と言い切る干物女子。部屋に洗濯物を干して、収納することなく乾きたての下着を身に着ける生活(そんなシーンは移されないけれど)。もうこれだけで恋愛ドラマが動き出す予感に満ち満ちている。これだけダメダメで、けれど自分というものをしっかり持った女子が、どのように右往左往していくのか、想像するだけで痛快だ。

 

実際に期待は裏切られない。のん演じるみつ子は、平日は仕事をしっかりこなし、職場の人間関係も悪くない。そして休日にはひとりで各地に繰り出し、催し物を楽しみ、あるいは自室の掃除で充実感を得ている。それが写実的でありながらコミカルなのは、やはり「A」との掛け合いが抜群に面白いからだ。そしてのんという役者の属性もあるのだろう。『 海月姫 』でも少し感じたが、オーソドックスな恋愛関係を演じて成長するような役者ではない。逆に、非典型的なキャラクターを演じ切るように監督に追い込まれることで能力が開花するタイプの役者だ。演技の上手い下手ではなく、どれだけ真に迫っているか。それはどれだけ自分を捨てられるかでもある。「A」と会話しているみつ子を客観的に見てみれば、完全なる統合失調症患者だ。しかし、そうした心の病を持った人間に典型的な暗さや無表情、無気力や不眠、食欲不振とはみつ子は一見して無縁である。それが落とし穴にある。あるシーンでみつ子は激しく心を揺さぶられる。それはネガティブな心の動きだ。そしてそれにより我々が聞かされるみつ子の独白(そこに「A」はいないことに留意されたし)の中身に、我々はみつ子の抱える闇を知る。そして、みつ子がお一人様生活を楽しんでいる理由を知る。

 

妙なもので、みつ子という“拒絶”のキャラと、のん(能年玲奈)という一時期業界から干された役者が、ここで妙にシンクロする。女性が、特に現代日本で抱える息苦しさやもどかしさが、ここから見て取れる。それはそのまま原作者の綿矢りさの肌感覚だろう。彼女のデビュー当時、ネット(主に2ちゃんねる)では「りさたん(*´Д`)ハァハァ」と書き込むようなキモイ連中がうじゃうじゃいたのである。

 

みつ子が旧友と親交を温めなおすイタリア旅行も、剣呑な雰囲気を孕んでいる。女子とはかくも生きづらい生き物なのか。常に一歩先を行っていた友人と、一歩が踏み出せないみつ子が、いつの間にか逆転していた、そして二人の想いが同化していく流れは良かった。帰国後に一歩を踏み出したみつ子は、片桐はいり演じるバリキャリ女性の意外な一面に触れたり、尊敬する先輩社員の恋路を見つめたりと、変化を受容できるようになっていく。多田との関係にも進展があるのだが、そこで『 ゴーストランドの惨劇 』ばりの超展開が待っている。観ている我々にはコメディでも、みつ子にとってはホラーなのである。声だけの相棒という点では『 アップグレード 』的だが、本作はそういう方向にはいかないので、そこは安心してほしい。

 

青春や運命や悲劇などといった陳腐な恋愛ではなく、本当に日常に根差したみつ子と多田の関係はどこまでも見守りたくなる。現代の邦画ラブコメの一つの到達点と言える作品かもしれない。

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ネガティブ・サイド

みつ子の飛行機嫌い属性がもう一つだった。『 喜劇 愛妻物語 』でも水川あさみが東京、夏帆が四国という設定だったが、それぐらいの距離感で良かったのではないか。橋本愛演じる親友が「一歩を踏み出せなくなった」理由から、自分が外国人であることを取り去ってしまえば、おそらくほとんど何も残らない。このあたりの描き方が皮相に感じられた。

 

序盤のみつ子のお一人様満喫ライフの描写があまりにも眩しかったせいか、中盤で多田との距離が一定のところで一時停止してしまう期間の作品自体のテンションがだだ下がりだった。物語には緩急が必要だが、中盤ではややブレーキが利きすぎたようである。

 

総評

これは文句なしに傑作である。お一人様という、本来なら2020年に日本政府が強力に推進すべきだったキャンペーンを疑似体験できる。というのは半分冗談にしても、一人が快適だという人がどんどん増えていることは事実だろう。重要なことは、人を孤立させないことだ。自立した人間、独立した人間を支援することだ。そうすれば、人と人は、みつ子と多田のように、いつか互いを支え合えるようになるだろう。このような世の中だからこそ、いっそう強くそう感じる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a solo life

「お一人様生活」の私訳。live a solo lifeまたはlead a solo lifeと言えば、お一人様生活を送るという意味になる。みつ子の生活はaloneやlonely、singleではなくsoloだろうと思うのである。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, のん, ラブコメディ, 日本, 林遣都, 監督:大九明子, 能年玲奈, 配給会社:日活Leave a Comment on 『 私をくいとめて 』 -能年玲奈の最高傑作-

『 ウィーアーリトルゾンビーズ 』 -人生は絶妙なクソゲーか?-

Posted on 2020年7月24日 by cool-jupiter

ウィーアーリトルゾンビーズ 70点
2020年7月23日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:二宮慶多 中島セナ 水野哲史 奥村門人
監督:長久允

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MOVIXあまがさきで割と短期間だけ上映していたように記憶している。その時に見逃したので、近所のTSUTAYAでレンタル。『 デッド・ドント・ダイ 』と同じく、現代は「生きる」ということをそろそろ再定義すべき時期である。邦画の世界に同じような問題意識を抱き、それを映画で表現しようとした作り手がいたことを、まずは素直に喜びたい。

 

あらすじ

中学生のヒカリ(二宮慶多)は両親をバス事故で亡くしても、涙を流せなかった。そんなヒカリがイクコ(中島セナ)やイシ(水野哲史)、タケムラ(奥村門人)たち、親の死に泣けなかった同世代と出会い、感情を取り戻すために冒険に出て・・・

 

ポジティブ・サイド

映画というのはコンテンツ=内容とフォーム=見せ方の形式の二つを評価すべきだが、後者がユニークな映画というのは少ない。本作は間違いなく、後者の少数派に属する。

 

まず人生=ゲーム、それもRPGという世界観が、JovianのようにFFやDQを初期からほぼリアルタイムに経験してきた世代に刺さる。ドット絵や8ビットの音楽は、それだけでノスタルジーを感じさせられる。単純だね、俺も。

 

カメラアングルなども実験的。コップの底からの視点や溜池の鯉の視点、トラックの後部座席からの視点は面白かった。

 

ゲームはしばしば人生に譬えられるが、それはあながち間違いではない。ゲームにはルールがある。ドラゴンクエストなら、職業やキャラによって装備できるものが異なっていたり、使える呪文が違っていたりする。また、ゲームにはゴールがある。やはりドラクエならば、それは往々にして魔王を倒すことだ。人生にもルールやゴールがある。それは意味や目的があるとも言い換えられるだろう。ヒカリらがパーティーを組んで、失った感情を探し求めるという冒険の旅に出るのは、そのままズバリ、人生の意味や目的を探すことに他ならない。イシの父が息子に「強さとは何か」を語り、タケムラの父が息子に「カネとは何か」を語るのは、彼らなりの人生訓である。つまり、彼らはゲームで言えばそれなり重要なヒントを語ってくれる街の住人なのだ。ヒカリたちが感情を探し求めるというのは、何も難しい話ではない。誰でも仕事が終わって自宅に帰ってきて、風呂上りに缶チューハイをゴクゴクやって「プハーッ、生き返る!」となった経験があるだろう。それは生物学的に死んでいた自分が蘇生したのではなく、自分が自分らしくなれた自己承認、自分で自分を好きになれたという自尊感情、自分がやるべきことをやったという達成感の表れである。ヒカリたちゾンビーズが求めるものは、究極それなのだ。それが彼らの人生のゴールなのだ。彼らが金魚を川に放つのは、死なないように生きるのではなく、生存の意味や目的を探る旅に出ろということの暗喩である。人間という庇護者をなくした金魚は、親という保護者をなくしたゾンビーズにそのまま喩えられるだろう。

 

点から点へと、まさにRPGのパーティーさながらに忙しく動き回るヒカリたちは、とあるゴミ捨て場でどういうわけかリトルゾンビーズという音楽バンドを結成することになる。音楽のエモさに気付いたゾンビーズは、旅の目的を果たしたかに思えたが・・・ ここでイシやタケムラの父の言葉が重みを持つ展開へと突入していく。同時に、ゾンビーズの旅がRPG的なそれから、実存主義的なそれへと変わっていく。このあたりのトーンの転調具合は見事である。イクコが写真の現像に興味を示さず、写真を撮影するという営為に没頭するのは、ハイデガー風の言葉で表現すれば、現存在が現在に己を投企しているのだ、となるだろうか。もしくはゲーテの『 ファウスト 』をそのまま引用すれば「時よ止まれ、お前は美しい」となるだろうか。このあたりについて、ワンポイント英会話レッスンでほんの少しだけ補足してみたい。生きるとは何か。旅とは何か。本作はそういったことを、考えさせてくれる契機になる。

 

子役たちは皆、それなりに演技ができている。特にイクコのクールビューティーぶりはなかなか堂に入っている。次代の芳根京子になれるか。主役の二宮慶多は、今からでも本格的に英語の勉強を始めるべき。といっても塾に通うとかではなく、英語の歌を聞いて歌いまくる。英語の名作映画を観て、その英語レビューをYouTubeで英語で視聴しまくる。そうした勉強法を実践して、英語ができる10代の役者を目指してみてはどうか。

 

ネガティブ・サイド

こういう作品に有名な俳優をキャスティングする理由はあるのか?佐野史郎とか池松壮亮、佐々木蔵之介などを画面に出した瞬間に、作り物感が強化される。もちろん映画はフィクション。そんなことは百も承知。だが、人生にリアルさを感じられず、ゲームに没頭する少年が主人公であるという世界に、顔も名前も声もよく知られた俳優は起用すべきでない。世界観が壊れる。

 

作中のリアル世界のネット上の特定班の動きをチャットだけで表してしまうのは安直に過ぎる。『 Search サーチ 』のような超絶的なネットサーフィンやザッピングの様子を映し出すことはできなかっただろうか。それがあれば、ドット絵との対比で、リトルゾンビーズら哲学ゾンビたちとスモンビあるいは行動的ゾンビたちが、もっと明確に異なる者たちであることが描けただろう。現代人はとかく、行動の動機を自身の内面ではなく外部世界に求める。一時の祭りや炎上騒ぎに興じて終わりである。自分自身の内側に生へのモチベーションが欠けているのだ。だからこそ、他人の生に首を突っ込み、関係のない正義を振りかざす。そうした人間(もどきのゾンビ)の顔を映し出してほしかった。『 電車男 』の毒男スレの住人たち(といっても映画では老若男女に置き換えられたが)の逆バージョンを映し出すべきだった。

 

少し不可解に感じたのは終盤近くのヒカリの独白。中学生が塾で相対性理論なんか習うか?しかも電車が光の速さと同じ時、その中で走る僕らは光よりも速い?時間は光の速さと同じ?ムチャクチャだ。脚本家はもう一度、相対性理論とは何か、光速度不変とは何かを勉強しなおした方がいい。過去-現在-未来を別の形で捉え直したいなら、妙な理論をこねくり回さず、終わらない旅そのものを人生のメタファーにするべきだ。またはバンドの音楽そのものをメタファーにすればよい。歌とは、始まりから終わりまでがセットで一つの歌になる。どこかの音符を一つ取り出しても、それは楽曲にはならない。そうしたvisual storytellingができれば、本作は一気に75~80点レベルになれたかもしれない。

 

総評 

非常に実験的な作品である。初見では意味がよく分からないという人もいるだろうし、「タコの知能は三歳児」のところで離脱した人もいるかもしれない。それでも昨今の邦画で珍しい、ストレートではなく変化球での人間ドラマである。子ども向けでありつつも、同時に大人向けでもある。というよりも、人生も音楽もゲームも、始まりから終わりまですべてひっくるめて一つなのだ。知らない間に産み落とされたこの世界で、それでも何とか生きてほしい。そうしたメッセージが本作にはある。隠れた名作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

ここではJovianが行ってきたカナダのバンクーバー空港で見られる旅の格言をシェアしたい。リトルゾンビーズの旅路と奇妙な共通点がたくさんあることに気付くだろう。

A journey is best measured in friends, rather than miles.

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The journey not the arrival matters.

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One’s destination is never a place, but a new way of seeing things.

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He who does not travel does not know the value of men.

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There are no foreign lands. It is the traveller who is foreign.

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 中島セナ, 二宮慶多, 奥村門人, 日本, 水野哲史, 監督:長久允, 配給会社:日活Leave a Comment on 『 ウィーアーリトルゾンビーズ 』 -人生は絶妙なクソゲーか?-

『 水曜日が消えた 』 -竜頭蛇尾の邦画ミステリ-

Posted on 2020年6月22日2021年1月21日 by cool-jupiter
『 水曜日が消えた 』 -竜頭蛇尾の邦画ミステリ-

水曜日が消えた 30点
2020年6月20日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:中村倫也 石橋菜津美 深川麻衣
監督:吉野耕平

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多重人格ものと記憶喪失もの、そしてタイムトラベルあるいはタイムパラドックスものは、たいてい始まりは抜群に面白い。その面白さをいかに維持するか、それが共通のテーマとなるが、それに成功した作品はごく少数である。本作はどうか。Fizzle outした。

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あらすじ

幼い頃の交通事故の影響で“僕”(中村倫也)は曜日ごとに異なる人格に入れ替わるようになってしまった。成長し、各人各様に生きるようになった“僕”だが、その中でも火曜日は掃除やゴミ捨てなど損な役回りを押し付けられていた。だが、ある日、目覚めてみると、水曜日だった。“水曜日”が消えて、“火曜日”が火曜と水曜を生きるようになったのだ。火曜日はいなくなった“水曜日”を不審に思いながらも、水曜日の生活を堪能するのだが・・・ 

ポジティブ・サイド

“火曜日”と深川麻衣とのロマンティックな関係が、平凡ながらも幸せの意味を実感させる良いシークエンスだった。テレビドラマ『 まだ結婚できない男 』でなかなか売れない芸能人役がハマっていたように、元がアイドルとは思えない地味さが深川麻衣の魅力だ。褒めている。決してけなしてなどいない。実際に本人を目の前にしたとすれば、相当にキュートであろう。しかし、スクリーンで見ると地味なのだ。そのギャップが良いのである。

 

“僕”の友人を演じた石橋菜津美もなかなかに奥ゆかしい。ベリーショートで、体の曲線をまったく感じさせない服装で、言動もかなりの男前。その一方で、そうした態度はすべて“僕”への好意の裏返しであることがバレバレというとても分かりやすいキャラ。そんな人物が「じゃあ、深夜らしいことするか」というシーンは、「お?お色気シーンがあるのか?」と期待させてくれた。もちろん、そんなものはない。『 月極オトコトモダチ 』はやはりファンタジーだ。そういったサバサバ系女子の因果は、ちゃんと後半に明らかにされるし、そこにはそれなりの説得力がある。

 

“火曜日”が別の人格とコミュニケーションを取るシーンの演出はそれなりに斬新か。どこか初代『 グレムリン 』を思わせる深夜のルールも、序盤から中盤のサスペンスを効果的に盛り上げている。

 

ネガティブ・サイド

なんというか、プロットだけ見れば『 セブン・シスターズ 』と『 ジョナサン -ふたつの顔の男-   』を足して2で割ったようなストーリーである。つまり、オリジナリティが無い。他に類似作品としては新城カズマの小説『 サマー/タイム/トラベラー 』の某キャラや漫画『 嘘喰い 』の某キャラなどが挙げられる。とにかくキャラクター設定が陳腐だ。

 

また多重人格ものの定石として、物語の割と早い段階でそれぞれの人格がいかに異なり、独立したものであるのかをオーディエンスに明確に示す必要がある。観客の一定数は役者の演技力を堪能したいがために鑑賞しているからだ。そうした意味でも、本作の構成には不満が残る。『 スプリット 』のジェームズ・マカヴォイのレベルは別に求めない(そんなことができる役者は世界的にも40~50人しかいないと思われる)。しかし中村倫也の一人七役というのは過剰広告であった。実質的には一人二役で、それも正反対のキャラクター。こういうのは非常に演じ分けやすく、はっきり言って役者のポテンシャルをとことんまで引き出す演出にはなりにくい。スマホの録画機能で対話するシーンは現代的だが、それも『 ジョナサン -ふたつの顔の男- 』が似たようなことを先に行っている。スマホと対話するのではなく、スマホで録画するシーンを交互に映し出せなかったか。あるいは、スマホを右手に構えながらシームレスに人格同士が語り合うシーンは撮れなかったか。そこまでやらないのなら多重人格ものを撮る意味は薄い。

 

映像演出の面でも不満が残る。割れたサイドミラーに映る鳥が分裂していくのは、どう考えても『 スプリット 』のジャケットやポスターの二番煎じだし、そもそもそのシーンを繰り返し再生しすぎである。またキーとなる図書館が『 図書館戦争 』 のそれ。もっと別の図書館を探せなかったのか。同じ図書館を使うにしても、上方からの俯瞰のショットや、円周部分の書棚など、『 図書館戦争 』で飽きるほど見た構図である。もっと別の角度からのショットを監督や撮影監督は模索すべきでなかったか。

 

腑に落ちないのは、“火曜日”の態度。普通は“水曜日”が消えたら、第一に「自分も消えてしまうのではないか」という恐怖、第二に「他にも消えている曜日がいるのではないか」という疑念を抱くはずである。そうはならずに、いきなり未知の水曜日を楽しんでしまうところに、とんでもないご都合主義およびDIDへの無知と無理解を感じた。『 スプリット 』のカウンセリングシーンや『 ISOLA 多重人格少女 』を観ろ、そして原作小説『 十三番目の人格 ISOLA 』を読めと吉野耕平監督に強く言いたい。『 セブン・シスターズ 』も“月曜日”が姿をくらませたことで残りの曜日たちは大混乱に陥ったではないか(あちらは七つ子だが)。普通に考えれば10年単位で付き合いのある人間がいなくなれば困惑するだろう。あるいは、“水曜日”が水曜日を拒否したくなるような出来事があったのかと、水曜日に警戒することはあっても、ウキウキはしないだろう。七重人格という設定だけを先走らせて、人間というものが描けていない。

 

“僕”の面倒を看るべき医療関係者たちの目も節穴なのだろうか。脳への器質的なダメージでDIDを発症した、あるいは器質的なダメージの回復過程でDIDを発症したということは、“各曜日”との面談(カウンセリング)とメディカル・チェックが人格の独立あるいは統合という、いわゆる治療への道筋を立てるための大きなカギとなる。それを火曜日に“火曜日”相手にしか行っていない。アホなのだろうか。脚本および監督を務めた吉野耕平は、どこまで取材し、どこまで考察し、どこまで七重人格へリアリティを付与しようと努力したのか。おそらく満足にしていない。様々な先行作品の色々な要素をつまみ食いしただけの企画に予算とゴーサインを出した配給会社と制作委員会の罪である。ということは邦画という産業構造の罪でもある。勘弁してくれ。

 

メインキャスト以外の演技が総じて学芸会レベルである。特にきたろうと若い医者。これで出演料を受け取っていいと感じているのか。監督も何テイク撮ったのか。編集にどこまで関わったのか。どこまで現場で演出や演技指導をしたのか。せっかく昨今珍しい小説や漫画原作ではない邦画だというのに、この出来はあまりにも無残であり残念である。

 

総評

邦画のダメなところが凝縮されたような作品である。映画館が徐々に日常(withコロナだが)を取り戻しつつある中、割と楽しい気分で劇場に向かったのだが。これがTOHOシネマズ梅田のScreen 1というスクリーンの大きさと画質、そして音質に優れた劇場でなければ、もうマイナス5点したい。それぐらいの酷い出来である。某映画サイトなどで好評レビューが多いが、サクラだと思いたい。そうでなかれば映画ファンの劣化も甚だしい。というのはさすが言い過ぎか。はっきり言って中村倫也のファンでなければ、観る価値は極小である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

get along

劇中で火曜日の言う「僕たち、仲良いんだよ」を英語にすれば、“We get along.”となるだろうか。A and B get along. = AとBは仲良くやっている、We get along = 僕たちは仲良くやっている、である。一定以上の世代の人間ならば“We can get along together.”と言えば通じるだろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, ミステリ, 中村倫也, 日本, 深川麻衣, 監督:吉野耕平, 石橋菜津美, 配給会社:日活Leave a Comment on 『 水曜日が消えた 』 -竜頭蛇尾の邦画ミステリ-

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