Skip to content

英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

  • Contact
  • Privacy Policy
  • 自己紹介 / About me

タグ: 配給会社:ブロードメディア・スタジオ

『 マジック・マイク 』 -自分探しの青春映画-

Posted on 2023年3月2日 by cool-jupiter

マジック・マイク 70点
2023年2月28日 WOWOW録画にて鑑賞
出演:チャニング・テイタム マシュー・マコノヒー アレックス・ペティファー コディ・ホーン
監督:スティーブン・ソダーバーグ

『 マジック・マイク ラストダンス 』の予習のために再鑑賞。

 

あらすじ

日雇いの現場仕事をしているマイク(チャニング・テイタム)は現場でアダム(アレックス・ペティファー)と知り合う。ストリッパーとして働くマイクは、クラブで偶然、アダムと出会い、自分のクラブに引き入れる。アダムはそこで思わぬ才能を見せ、頭角を現わしていく。一方、マイクはアダムの姉のブルック(コディ・ホーン)と知り合い、自分の夢について真剣に考えるようになっていき・・・

 

ポジティブ・サイド

ダンスシーンがどれもキレッキレ。チャニング・テイタムの athleticism はハリウッドでも随一だろう。『 トップガン マーヴェリック 』のBlu rayを無造作に再生していることが多いが、OneRepublic の ”I Ain’t Worried” をBGMに皆がビーチでフットボールするシーンになると、Jovian妻は「サービスシーン?」と言って、そこだけ観に来る。

 

マシュー・マコノヒーがクラブのオーナーとして圧倒的な存在感を放っている。脳内麻薬ドバドバ状態で、ジムでアダムにストリップのあれこれを指南する様は本作のハイライトの一つ。そのアダムが、何もせず、ただ夢物語にうつつを抜かす若造だったのが、ストリップによって自信をつけて、行動が変わっていく。これも一つの青春だろう。対照的に、アダムを引き入れたマイクは、徐々に自分の本当にやりたい仕事、家具の制作と販売を実現するために、銀行に融資を申し込む。しかし悲しいかな、現金収入しかないために銀行の信用が得られず、融資は得られず。夢を実現させたいのに、現実がそこに立ちはだかる。これも一つの青春の形か。

 

そう、本作は陽キャの男性ストリッパーたちがヒャッハーする青春映画であると同時に、「若く美しい時期は永遠には続かない」という現実と折り合いをつけようとするタイプの青春映画でもある。日本でもモラトリアム期間がどんどん長くなっているが、それはアメリカでも同じらしい。若さは無敵の武器になりうるが、失ってしまうと「ただの人」になってしまう。この事実を受け入れるのは結構難しい。いつまでも自分を「若い」と思い込んで、気が付けば会社の後輩たちから眉を顰められている、というオッサン連中はJovian含め日本に軽く数十万人はいるだろう。

 

それにしてもマイク、良い人すぎるなあ。アダムが若気の無分別で盛大にやらかした後も、兄貴分としてしっかりフォロー。そのことを知らないブルックに厳しいことを言われても、ぐっと飲み込んで反論しない。男やで。

 

マイアミに旅立つ直前に、マイクがブルックに吐露する”It’s what I do, but it’s not who I am.” =「あれは俺の仕事だが、俺の人格じゃない」というのは、『 トップガン マーヴェリック 』でマーヴェリックが”I’m a fighter pilot, a naval aviator. It’s not what I am. It’s who I am.” =「僕は戦闘機パイロットで海軍の飛行機乗りだ。それは職業じゃなくて、僕そのものだ」というセリフと対になっている。マーヴェリックは自己実現を果たしているが、マイクはまだなのだ。この自分になるということ、(英語ではしばしば Be you. と言う)その過程での成功や失敗を描く映画が青春ジャンルに入るのだろうが、本作はそれを男性ストリッパーの視点から描いたところがユニーク。女性はもちろん、男性にも勧められる。オッサンなら更に良し。何者かになろうともがく若者の姿は、それだけで尊く美しい。 

 

ネガティブ・サイド

マイク、アダム、ダラス以外のストリッパー連中の描写がアンバランスだった。ターザンは最初にアダムをからかうところだけ、ケンは自分の奥さんのおっぱいを触らせようとするところぐらいか。せっかくなら個性的な脇役連中にも、もう少しスポットライトを当ててほしかった(だからこそ続編があるのだろうが)。

 

ブルックが病院で働くシーンが少しあっても良かったのではないか。夜のクラブで浮世の憂さを晴らす女性たちがいる一方で、自分の仕事や人生、他者や社会にしっかり向き合っている女性がいる。ブルックは後者である、という描写があれば、マイクの生き方とのコントラストが際立ったものと思う。

 

総評

久しぶりに観たが面白い。一時期、『 ドン・ジョン 』とこれをBGM代わりに再生していた時期もあったが、不惑を過ぎて再鑑賞することで、マイクたちの刹那的な生き方の裏にある、確たる人生を掴めるのかどうか分からないという不安や苦悩により強く共感できるようになった。ジャニーズに忖度せず、とことん追い込んで指導・演出できる監督と良い脚本があれば、ジャニタレでリメイクしても良いのでは?無理か・・・

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

My hands are tied.

マイクが融資を頼んだ銀行員の台詞。直訳すれば「私の両手は縛られている」だが、実際の意味は「私には何もできない」、「私にできることはない」のような感じか。『 グレイテスト・ショーマン 』の “Rewrite The Stars” の歌詞の最後はこれである。 仕事などで自分にできることがなくなってしまった時、My hands are tied. と言ってみよう。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 銀平町シネマブルース 』
『 シャイロックの子供たち 』
『 マジック・マイク ラストダンス 』

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村    

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, アレックス・ペティファー, コディ・ホーン, チャニング・テイタム, マシュー・マコノヒー, 監督:スティーブン・ソダーバーグ, 配給会社:カルチュア・パブリッシャーズ, 配給会社:ブロードメディア・スタジオ, 青春Leave a Comment on 『 マジック・マイク 』 -自分探しの青春映画-

『 悪魔を見た 』 -悪魔を倒すには悪魔になるしかないのか-

Posted on 2021年1月26日 by cool-jupiter

悪魔を見た 80点
2021年1月23日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:イ・ビョンホン チェ・ミンシク
監督:キム・ジフン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210126004934j:plain
 

『 さんかく窓の外側は夜 』がイマイチだったので、だったら人間がとことん怖くなる作品を観たいと思い、本作をレンタル。はっきり言って後悔した。キム・ジフン監督の独自の哲学というのか美学というのか、とにかく恐るべき人間性を見せつけられてしまった。This film is not for the faint of heart.

 

あらすじ

国家情報院捜査官スヒョン(イ・ビョンホン)は婚約者の誕生日も仕事に追われていた。その夜、婚約者は殺人鬼ギョンチョル(チェ・ミンシク)にさらわれ、殺害される。スヒョンは恋人の受けた苦痛を倍にして返してやると誓い、犯人を捜し始めて・・・

 

ポジティブ・サイド

雪降る夜。人里離れた道路。車内には妙齢の美女。これで事件が起きない方がおかしいと思えるほどのオープニングである。携帯電話で語らう仲睦まじい二人の間に突如として割って入るチェ・ミンシク演じるギョンチョルは、登場してから豹変するまでわずか数分。普通、この手のサスペンスやスリラーというのは犯人の残虐性を強調するシーンは中盤まで取っておくものだ。それを序盤から惜し気もなくギョンチョルの異常な攻撃性をまざまざと見せつける。この立ち上がりだけで胸やけがしてくる。

 

復讐相手を突き止めるために警察から容疑者リストを手に入れたスヒョンが、相手を片っ端からぶちのめしていく様は爽快だ。『 デッドプール 』と『 アンダードッグ 二人の男 』ぐらいでしか見たことのなかった顔面へのサッカーボールキックが、実は本作でも放たれている。というか、本作の方が上記二作よりも古い。やはり21世紀のバイオレンス描写の本家本元は韓国なのか。

 

ギョンチョルがとあるキャラクターの頭をハンマーでガツンガツンやるシーンがあるが、これは『 オールド・ボーイ 』へのオマージュだろう。頭を鈍器や棒で殴るシーンのある映画は数多く存在するが、北野武の『 その男、凶暴につき 』で北野武が金属バットで男の頭をから竹割にするシーンと同じだけの痛みが伝わる描写が本作にはてんこ盛りである。観ているだけで痛い。

 

スヒョンがギョンチョルと初めて相まみえるシーンのアクションも見物。稀代の殺人鬼に真正面から立ち向かい、実力で半殺しにしてしまう。半殺しというのも誇張ではなく、気絶した相手の手を大きな石の上に乗せて思い切り踏みつぶしたり、片方のアキレス腱を切ったりと、殴って失神させましたというレベルの暴力ではなく、相手に障がいを残すようなレベルの暴力。

 

この他にもギョンチョルのやっている血みどろの解体作業もおぞましい。『 ミッドサマー 』や『 アンダー・ザ・シルバーレイク 』のような人体破壊描写があるわけではないが、これらの作品にあった「リアルな作り物を壊している」感は本作にはない。その代わりに「その血のりは本当に血のりか。まさか本物ではあるまいな。そこに転がっている胴体は作りものだよな?襦袢だよな?」と確認したくなるような気味の悪さ。

 

スヒョンの同僚がポロっと漏らした一言から、追うスヒョンと逃げるギョンチョルの立場が逆転。安心できるハラハラドキドキが、不安と恐怖のハラハラドキドキに変わる。これによって人間性をなくしていたスヒョンの目に生気がよみがえる。ここまで、とにかく空虚な目、喜怒哀楽の喜と楽を失った目をしていたスヒョンに、人間として気遣いや配慮が見られるようになる。婚約者の家族までが逃亡するギョンチョルの魔の手にかかってしまうからだ。同時に、ギョンチョルを殺す最も残酷な方法についても、この時点で構想が浮かんだのは間違いない。人間を痛めつけるために必要なのは、非人間性なのか、それとも人間性なのか。

 

控えめに言って脚本家のパク・フンジョンと監督のキム・ジフンは頭がおかしい。CTが何かで断層撮影すれば、脳の一部が欠損している、あるいは異様に肥大しているのではないか。頭のおかしい人間が頭のおかしい犯罪を実行する、あるいは人間とは思えない残虐な殺し方をする。そういうのは分かる。ギョンチョルに限らず、映画の世界には頭がイってしまった犯罪者がいっぱいいる。しかし、頭がおかしくないはずの人間が頭のおかしい犯罪を次々に犯し、しかし最後には人間性=愛を思い起こし慟哭するというラストシーンを思い描ける人間というのは、やっぱり頭がおかしいのではないだろうか。スヒョンの凄惨な復讐劇を追体験して、まともな人間にできる所業ではないと思うと共に、自分はそこまで一人の女性を強く強く愛することができるだろうかとも自問してしまった。

 

ネガティブ・サイド

スリラーとしては完全無欠の逸品である。だが、リアリティの面で大きな演出ミスが二つ。

 

一つには、GPS入りカプセル経由で相手の声や周囲の音を聞く際に、コポポポという腸音やドクンドクンという心音がバックに流れておらず、非常にクリアな音が聞こえてきた。これは絶対にありえない。ギョンチョルの排せつ物まで描くほどのリアリズムを追求する本作であれば、そうした細かな部分にまで神経を行き届かせてほしかった。

 

もう一つには、ギョンチョルのムショ仲間のアジトでのセックスシーン。女性側が普通に犯されているだけ。もっと頭のイカれた女性像を打ち出せたはず。たとえば欲求不満のたまっているミンシクを逆に食ってしまうような豪の女性とか。全編に異様に張り詰めた雰囲気が充満する中、このシーンだけが普通に感じられてしまった。

 

総評

20歳ぐらいの時に観た『 タイタス 』でタイタス・アンドロニカスを演じたアンソニー・ホプキンスを観て、「ああ、『 羊たちの沈黙 』的なキャラをまた演じているなあ」と感じたが、本作のスヒョンを演じたイ・ビョンホンの復讐劇は、ある意味で『 タイタス 』を超えている。これほど一人の男の復讐劇に感情移入し、嫌悪感を催し、さらには畏敬の念すら持ってしまうという映画体験は初めてである。生きるとは何か。死ぬとは何か。とにかく、韓国人をパーソナルな意味で敵に回すのは避けた方が賢明である。そんなことを思わせてくれる韓流リベンジ・スリラーの秀作だ。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

イーセッキ

『 アンダードッグ 二人の男 』その他で紹介した「この野郎」という表現。本作でもギョンチョルが何度も何度も口にする。韓国映画で相手を口汚く罵る時には、必ず出てくる表現だと思って間違いない。

 

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, イ・ビョンホン, サスペンス, スリラー, チェ・ミンシク, 監督:キム・ジフン, 配給会社:ブロードメディア・スタジオ, 韓国Leave a Comment on 『 悪魔を見た 』 -悪魔を倒すには悪魔になるしかないのか-

『 オールド・ボーイ(2014) 』 -迫力がダウンしたリメイク-

Posted on 2020年4月15日 by cool-jupiter

オールド・ボーイ(2014) 50点
2020年4月13日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョシュ・ブローリン エリザベス・オルセン シャルト・コプリー
監督:スパイク・リー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200415232244j:plain
 

『 オールド・ボーイ 』のハリウッド版リメイク。オリジナルとリメイク、両方見比べるのも乙なものである。邦画は韓国映画にいつの間にか置き去りにされてしまったが、ハリウッドはどうか。

 

あらすじ

うだつの上がらないセールスマンのジョセフ・デューセット(ジョシュ・ブローリン)は、いきなり拉致され、監禁されてしまう。そして、閉じ込められた部屋のテレビで、妻が殺害され、その容疑者が自分であることを知る。誰が、いったい何のために・・・ そして20年が過ぎた時、彼は突然解放されて・・・

 

ポジティブ・サイド

エリザベス・オルセンの濡れ場、これに尽きる。眼福であった。

 

で終わったら、レビューでも何でもないので真面目に書く。ジョシュ・ブローリンの起用は正解だった。2018年総括でジョシュ・ブローリンを海外最優秀俳優の次点に挙げさせてもらったが、サノスという史上最強級のヴィランを演じる男は、生身でも相当の強者でなければならない。暴れるのを見ていて違和感がなかった。また、険のある顔もいい。特に目当ての餃子を見つけて、確信を得るためにそれを貪り食う時の表情は、本家チェ・ミンシクに負けていなかった。

 

黒幕役に配するのが、Jovianだけが名作だ傑作だと騒いでいる『 第9地区 』のシャルト・コプリーというのも、趣があっていい。分かりやすい悪役というのはブリティッシュ・イングリッシュを話すか、あるいはロシア語訛りの英語を話すというのが、ハリウッドから決して消えないクリシェである(そのうち中国語訛りの悪役がわんさか登場するだろうが)。韓国版にあった、いつでも死ねるスイッチというやや意味不明なガジェットは削除。その代わりに、ボディガードを女性にすることで、薄っぺらい悪役との印象をさらに濃くすることに成功した。ジョセフに「タイムリミットまでに謎を解け」と迫るのも、小物感があってよい。裏で糸を引いている人間がちっぽけに見えれば見えるほど、計画の壮大さが際立つ。

 

アクション・シーンはなかなかの見ごたえ。街のチンピラではなく、アメフトのプレーヤーたちをなぎ倒していくことで、ジョセフのスーパー・パワーアップをきっちりと説明。オリジナルにあった廊下での大立ち回りは本作にも引き継がれ、金づちを使うアクションの量もアップ(その分、ボクシング要素はダウンしたが)。特に、その直前に『 ボヘミアン・ラプソディ 』で主演を張ったラミ・マレックが頭をカチ割られるシーンは痛快だ。オリジナルにはなかった『 ショーシャンクの空に 』へのオマージュなのか、マレックが最後にかけられる言葉が「モンテ・クリスト伯」というのもなかなか面白い(『 ショーシャンクの空に 』では、”Count of Monte Chrisco”だった笑)。

 

オリジナルとは異なるエンディングも個人的には納得。オリジナルを鑑賞した時に「オ・デスはこうするのでは?」と思った行動をジョセフが取ってくれる。『 パラサイト 半地下の家族 』のソン・ガンホの行動に相通ずるものがある。このあたりのアメリカ流の解釈は気に入った。

 

ネガティブ・サイド

えらくきれいなシロネズミがジョセフの監禁先に現れるが、そこはドブネズミだろう。スパイク・リーのセンスを疑う。また、オリジナルでオ・デスがエアロビのインストラクターや女性歌手に欲情したシーンも、こちらには輸入されず。代わりに定期的に差し入れられる酒を便器に流す日々。このあたりがアメリカの限界か。韓国映画が容赦なく描く人間の決して美しくないが、しかし本質的な面を描くのを巧妙に避けている。また、序盤でジョシュ・ブローリンが上半身裸で鏡の前にたたずむシーンがあるが、それもいらない。そういうシーンを挿入するのなら、痩せてあばらが浮いた体か、あるいはビール腹を見せてくれないと、監禁生活で体を鍛えまくった時とのコントラストが生まれない。このあたりもオリジナルに負けている。

 

またオリジナルの欠点でもあった、シャバに出てきた主人公が周囲の環境や新しいテクノロジーに馴染むのが早すぎるという点も解消あるいは改善されていなかった。20年も運転から遠ざかっていたら、そうそういきなりはクルマを乗りこなせないだろう。

 

クライマックスの迫力も弱い。監禁の真相を知らされたジョセフはとある自傷行為に出るが、イマイチである。躊躇なく相手の靴をベロベロ舐めまわし、情けなく犬になって尻をふりふりするオ・デスの方が遥かに衝撃的だった。

 

サミュエル・L・ジャクソンは・・・ミスキャストだったかな。サノスにへいこらするニック・フューリーに見えたわけではないけれど、この役にここまでの大物を配置する必要はなかった。

 

総評

オリジナルの『 オールド・ボーイ 』に軍配が上がる。ただし、アメリカ流の解釈も悪くはない。ますます日本版リメイクの制作が待たれる。残念ながら日本で長期にわたる拉致監禁事件は定期的に明らかになっている。今こそ日本流の新解釈が期待されるところだ。アメリカ版を先に観た人は韓国版を観よう。両方を観た人はJovianと同じように、日本版リメイク制作の機運を盛り上げようではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Hold still.

ジョセフがあるキャラを拷問にかける時に言うセリフである。「動くな」、「じっとしていろ」の意である。stillというのはなかなかに味わい深い語である。日本語でスチル写真やスチル画像というのは、このstillであり、その原義は「動かない」である。I still love you.=「I love youという状態は動いていない」=「僕はまだ君を愛している」というわけである。「まだ」と辞書に載っていることからyetと混同する人が多いが、still=動かない、というイメージで把握しよう。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, エリザベス・オルセン, シャルト・コプリー, ジョシュ・ブローリン, スリラー, 監督:スパイク・リー, 配給会社:ブロードメディア・スタジオLeave a Comment on 『 オールド・ボーイ(2014) 』 -迫力がダウンしたリメイク-

『 風の電話 』 -身を寄せ合い生きることの尊さと美しさ-

Posted on 2020年1月30日 by cool-jupiter

風の電話 85点
2020年1月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:モトーラ世理奈 三浦友和 西島秀俊 西田敏行
監督:諏訪敦彦

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200130101604j:plain
 

地震大国の日本であるが、それでも阪神淡路大震災と東日本大震災による打撃は群を抜いている。そして、あまりにも多くの犠牲者が出たことで、我々は被害を個々の人間ではなく、単なる数字として捉えてしまう。阪神大震災を間接的にではあるが経験したJovianでさえ、東日本大震災がもたらした悲劇については想像が及ばなかった。これはそうしたドラマである。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200130101635j:plain
 

あらすじ 

3.11によって父と母と弟が行方不明になってしまったハル(モトーラ世理奈)は、広島の叔母の家で暮らしていた。そんな叔母が倒れてしまった。また独りになってしまうかもしれないという不安から、ハルは家族と別れることになった地、岩手を目指して旅に出る。そして、道中で様々な人々と触れ合って・・・

 

ポジティブ・サイド

ワンカットがとにかく長い。が、それが気持ちよい。BGMも最小限に抑えられている。ジャンルとしてはヒューマンドラマ、ロードトリップになるのだろうが、まるでドキュメンタリー映画のようである。プロットは全く異なるが、『 存在のない子供たち 』のようである。ゼインは子どもとは思えない逞しさやしたたかさを備えていたが、ハルの時間はある意味では8年間ずっと止まったままである。子どものままなのである。誰かの庇護がなければ生きていけない存在。しかし、その庇護を与えてくれる人間が存在しない。そんな中途半端な状態で、ハルは死んではいないが、生きてもいない。17歳という子どもではないが大人でもないという中途半端な存在。そんなハルが、ロードトリップを経て、守られる側から守る側になる。目指す先に着いた後、さらなる目的地を見つけるというストーリーには、我にもなく涙を流していた。

 

三浦友和演じる公平は言う、「生きてるからには、食べて、出して、食べて、出して、しないとな」と。その言葉の通りに、本作の登場人物たちは常に皆、何かを食べている。まるで『 食べる女 』のようである。そのレビューで「失われて久しい、皆で卓を囲んでご飯を味わうという体験の歪さと新鮮さを『 万引き家族 』は我々に見せつけた」と指摘したが、本作はそうした描写からさらに一歩踏み込んだ。すなわち、孤食の解消である。詳しくは鑑賞してもらうべきだが、常に誰かが何かを食べている本作で、ハルが一人で食物を消費するシーンは剣呑である。そのことがすぐに伝わってくる。本作は、非常に逆説的にではあるが、【 日本全国を子ども食堂化しようプロジェクト 】のキャンペーンの一環であり、プロモーションビデオなのである。

 

広島の叔母の家でも、三浦友和の家でも、名もなき姉弟が連れて行ってくれた場末の食堂でも、西田敏行の家でも、Happy Kebabでも、トルコ人家族の家(ここは家の様子はほとんど映らないが)でも、どこもかしこも『 万引き家族 』的な物で溢れかえった家ばかりである。そこに小奇麗さは一切ない。比較的経済的に余裕のある家庭の子ども達が集まり、肝心の貧困層や孤食を余儀なくされる子ども達が来てくれないと嘆く子ども食堂の運営者の方々は本作を参考にされたい。さっぱりとしていてお洒落で明るい空間などを演出しても、ターゲットにしている子どもたちは入りづらいだけである。他人同士が身をぎゅうぎゅうに寄せ合い、カップ麺にお湯を注いだり、大人が缶ビールを開けたりするぐらいがちょうど良い・・・かどうかは分からないが、そうした雰囲気に救われる子どもはきっと数多くいるはずである。本作が映し出すのは、徹頭徹尾、社会的な弱者たちの連帯なのである。美しく頼もしいのは空間ではなく、人なのである。

 

不勉強にして“風の電話”の存在を本作鑑賞まで知らなかった。これは一種の自己内対話を促す装置である。『 ウインド・リバー 』で語られた、「子どもの死を受け入れろ。そうすれば、心の中でその子の笑顔が見られる」という悟りにも似た感覚を励起させる。死者と通話できるということは、その電話ボックスに入った時点で、相手の死を受け入れているということだ。これは辛く、悲しい。しかし、そうしなければ前に進めないことも事実である。本当に苦しいのは、家族や友人知人の遺体を見つけた人ではなく、彼彼女らが行方不明なままの人たちだろう。ハルが行う“風の電話”での通話は『 ラストレター 』における自己内対話と相通するものがある。この通話のシーンは万感胸に迫るものがある。観る者はハルの悲しみに同調し、あるいはハルの勇気に感動することだろう。

 

認知症の老婆、高齢の妊婦、家族が崩壊した中年男性、何もなくなってしまった故郷で死ぬと決めた老夫婦、家族の死に責任を感じる男たちが、意識的にも無意識にでもハルに生命力を分け与えていく姿に、観る側も大きな力を与えられたように感じられる。それらを受け止め、与える側へと成長していくハルの姿は究極のビルドゥングスロマンである。そんなハルを見事に体現したモトーラ世理奈は、2020年国内最優秀俳優に1月末にして内定した。

 

西田敏行が劇中で語る『 警察日記 』はモノクロ映画である。それが映し出した美しい福島の山や川とは何であったのか。諏訪監督の答えは明快である。西島秀俊演じる森尾とハルが、ハルの実家跡を訪ね、そして去るシーンの得も言われぬ美しさがその答えである。“美”とは風景の中に存在する客観的な実体ではない。人と人とが純粋な気持ちで触れ合い、響き合う姿の中に存在するきわめて主観的なものであることを、ここで我々は知るのである。このシーンの美しさに、Jovianは打ちのめされた。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200130105536j:plain
 

ネガティブ・サイド

2時間30分の長編である。そのことは別に構わない。セリフの少なさに比して、本作に込められている情報やメッセージは圧倒的に多いからである。ただ、これだけの尺を取るからには、ハルの旅先での数々の経験を、その次のシークエンスに生かしてほしかったと思う。例えば、三浦友和からもらった果物をかじるシーンや、トルコ人の同世代の女子の「看護師になろうかな」という想いを受けて、車窓から病院や看護学校に目が留まる、などの演出があればパーフェクトだった。

 

あとは、最初に倒れた広島の叔母さん、もしくは入院先の病院に電話なり何なりをハルがするシーンが一瞬でもあれば、いや、電話したと分かるような素振りか何かが最終盤にあればとも感じた。しかし、これは下手をすると余韻を壊すかな。ドラマの演出と編集のせめぎ合いになるか。

 

総評

2020年が始まって1か月も過ぎていないが、本作は年間ベスト候補である。モトーラ世理奈が邦画界から数々の賞を受け取る姿が早くも目に浮かぶ。また貧困問題や格差社会、移民問題までも含む、様々な問題提起もなされている。エンターテインメント作品かと言われれば否であるが、芸術作品であるかと問われれば間違いなく芸術作品である。観る者をかなり選ぶだろうが、脚本、演技、演出、撮影のどれを撮っても一級品である。是非とも劇場鑑賞されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’m back.

帰ってきたよ、というハルの心の叫びである。come backやget backを過去形や完了形で使ってしまうと受験英語となる。かのマイケル・ジョーダンが野球からバスケに帰ってきたときの記者会見の第一声も“I’m back.”だった。状況的に“I’m home.”とも言えそうだが、家が破壊されている状況では使いにくい表現かもしれないと感じた。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, ヒューマンドラマ, モトーラ世理奈, 日本, 監督:諏訪敦彦, 配給会社:ブロードメディア・スタジオLeave a Comment on 『 風の電話 』 -身を寄せ合い生きることの尊さと美しさ-

『 ハルカの陶 』 -元・備前市民によるやや甘口かつ辛口レビュー-

Posted on 2020年1月27日2020年10月18日 by cool-jupiter
『 ハルカの陶 』 -元・備前市民によるやや甘口かつ辛口レビュー-

ハルカの陶 70点
2020年1月25日 プラット赤穂シネマにて鑑賞
出演:奈緒 平山浩行 笹野高史
監督:末次成人

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200127032751j:plain
 

Jovianは岡山県備前市伊部に8年住んでいたことがある。まさに伊部駅から高校へ通学していたし、映画にはJovianの実家があった場所も一瞬だけ映ったし、実家そのものも映った(というか身バレ上等で書くが、スナックがずばりそれである。あそこは昔、焼き肉ハウス「ジャン」という店でJovianの両親が経営していた)。またほんの数年前までは毎年1~2回は帰省していた土地である。それなりに最新の状況も見聞している。なので、好意的にレビューしているところもあるし、かなり厳しめにレビューしているところもある。

 

あらすじ

東京でOLをしていたハルカ(奈緒)は偶然に目にした備前焼の大皿に心を奪われてしまった。そして、その作者である若竹修(平山浩行)に弟子入りするために、岡山家備前市伊部を訪れたのだが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200127032816j:plain
 

ポジティブ・サイド

劇中登場人物たちの岡山弁はまあまあ上手い。程度の低い邦画では、むちゃくちゃな関西弁が幅を利かせていたりするが、『 ちはやふる 』における福井弁のように、地方の方言に対するリスペクトを欠かさない映画監督はまだまだいる。こうした作り手は大切にしたいし、こちらもリスペクトしたい。

 

ハルカが備前焼に惹かれるようになるまでを一瞬で描き切るのも潔い。生まれ育ちがどうで、交友関係がどうで、こんな仕事をしていて、今はこんな日常を送っています、というような描写をほとんど全部省いてしまうことで、我々観る側もハルカと共にまっさらな状態で備前焼の世界に入っていくことができる。備前焼というのはメジャーな世界ではメジャーだが、全国規模で考えれば全くもってマイナーな陶器であり、芸術であろう。だからこそ、描くべきは備前焼の世界であって、ハルカというキャラクターの背景はノイズになる。だからそぎ落とした。末次監督のこの判断は正解である。

 

ハルカの師匠となる若竹修の造形も良い。真に迫っている。職人というのは往々にして、気が乗らないと仕事をしないし、逆に興が乗ってくるといつまでも仕事をしている。その姿は時に神々しくもあるだろう。ハルカのスイッチが本格的に入ってしまったのにも納得ができる。少し例は違うが、Jovianは実際に窯出しされてすぐの作品を作家(同級生の父)がポイっとその場で投げ捨てるのを見たことがある。芸術家の美意識というのは、普通の人間とは異なるのである。その点でハルカが若竹修(の作品)と波長が合ったという事実が、ハルカは東京で没個性的に生きていたのだという背景情報を補足してくれている。Aを描くことでBを明らかにするという、大人の手法である。それにしても、この若竹修を演じた平山浩行には感じ入った。おそらく彼のキャリアの中でベストのパフォーマンスではないか。心の鎧を脱いだ瞬間に流す滂沱の涙は改悛の涙であり、子ども返りの涙であり、恐怖や不安から解放された安堵の涙でもあった。近年の邦画の男泣きの演技の中では白眉であろう。

 

そのハルカを陰に日向に支える人間国宝の榊陶人(笹山高史)も良い味を出している。イメージ的には金重陶陽か藤原啓だろうか。岡山弁もかなり練習しており、また作務衣が異常によく似合っている。ハルカにとっても修にとってもpositive male figureを体現しており、彼の存在が物語のリアリティを一段高めている。

 

ハルカが菊練りやろくろの実演に悪戦苦闘するところも好感が持てる。やってみれば分かるが、ろくろを回して形を作る時には、指の腹を使わないとあっという間に粘土がペラペラになってしまう。そのことを師匠の修や同世代の弟子練習から教わるのではなく、野良仕事に精を出す「宮本のおばあちゃん」なるキャラから間接的に教わる描写が秀逸である。一か所に集中するためには全体像を見なければならない。そうした気づきを直感ではなく、人との関わりから学ぶ様が心地よい。ハルカが妙な土ひねりの才能を発揮したりしないところが良いのである。そんなハルカだからこそ修や陶人、その他の備前焼作家の卵たちとの交流や衝突がリアルであり説得力を生んでいる。

 

小ネタだが、伊部小学校の校長室に過去の小学生の優秀作品が飾られているというのは確かにJovianも聞いたことがある。細かいところをしっかり取材しているのは素晴らしい。これは原作者のディスク・ふらい氏の取材力を褒めるべきか。また修が「備前焼は用の器」と言い切る言や良し。実際は茶器やマグには使えるし、一部の和食を盛り付ける平皿や大皿にも使えるが、直火や高熱に弱い、表面がざらついているのでパクついて食べるような料理には使いづらい。だが、直火に弱いところや釉薬を使うことなく表面が滑らかな備前を作ろうと奮闘する若い世代がいるのも事実。Jovianの同級生も若干名が新生面を切り拓こうと奮励している。若竹修というキャラクターに、そうした気概を見出すことができたし、小山ハルカというキャラクターにそうした未来を託せるような気がした。備前のことを肌で知っているJovianにこのように言わしめるのだから、本作品のクオリティは高いと判断してもらってよい。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200127032841j:plain
 

ネガティブ・サイド

残念ながら大きな粗もいくつかある。最大のものは時計の示す時刻。午前8:00前に車で飛び出した修が、駅についてみると11:15とはこれいかに。修の窯から伊部の駅は、車なら5分ほどのはずだが。撮影や編集の時点で誰も気づかなかったのか。ありえない。こういう時はCGで時計盤を修正してもよいのだ。

 

また伊部周辺の地理の描写がめちゃくちゃである。一部のブログ記事やレビューに、「伊部でロケをしていて、町並みの描写は実際のものに忠実」というような解説が見られるが、残念ながらかなりテキトーな記述であると言わざるを得ない。関西人に分かりやすく説明するとしたら、「ハルカは大阪から京都に行こうとした。大阪を出発したハルカはまずは新大阪に着き、そこから尼崎、伊丹を経て、高槻へ。高槻から交野を経て、京都に着いた」というような移動をしていたりする場面がある。ただ、これは地元民や地元をよく知る人間以外にはネガティブとはならないだろうが。

 

備前焼は「土と火と人が作る」というセリフが語られるが、土と火へのフォーカスが不足していると感じた。備前焼の材料となる土は粘土とも呼ばれ、伊部の田んぼだった土地の地下深くから掘り出されることが多い。小ネタになるが、山陽新幹線を新大阪―岡山間に通すとき、基礎工事で伊部の土を掘り返したとき、地元の住民はこれ幸いとばかりにその土を回収したと言われている。単なる土が黄金のような価値を持っているのである。そうした良質な粘土を生む土地、その元となる田んぼの描写が欲しかった。火も同様である。プロの作家はその目で炎の様子を見て、顔に水膨れを作りながら、窯の番をする人もいるのだ。炎の大きさや色合い、それによって生まれる熱風の流れ、だからこそ登り窯という独特の窯が生まれたのだという説明的な映像演出も欲しかった。

 

全体的にハルカ/奈緒にカメラが寄り過ぎであると感じた。奈緒というキャラクターも大切であるが、漫画という媒体では困難で、映画という媒体で可能なこと、色鮮やかに、さまざまな角度から、事物の変化を見せることである。土の粘り気や炎を揺らめき、小川の流れや田んぼ、畑、山などの土地や、備前焼の作品そのものを、もっと画面に映し出してほしかったと思う。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200127032906j:plain

Jovian所有の備前焼の一部

 

豆知識

店頭販売もしている窯元の人間は、若竹修とまではいかないが、不愛想な人間が多い。これは彼らは商売の売り上げの3割~5割を年に二日開催される備前焼祭りで稼ぐ、そしてもう3割~5割をお得意様相手の通販で稼ぐからである。畢竟、一見さんや旅行客にはぶっきらぼうになる。残念ながらこうした傾向は事実である。もしも備前を尋ねて「愛想がない人が多いな」と感じたら、「偏屈な職人だからしょうがない」と気持ちを切り替えて頂ければ幸いである。

 

本物の備前焼のとっくりは、あの程度では割れないし、折れない。

 

陶人の娘が苦悩しているのは非常にリアルである。Jovianの小学校の一つ上の学年には金重陶陽の親戚の孫にあたる生徒がいたようだが、彼は頑なに土ひねりはしなかったそうである。プレッシャーのためだろう。

 

『 哲人王 李登輝対話篇 』で少しだけ紹介した閑谷学校も本作では一瞬だけ映っている。瓦が全部備前焼で出来ているというユニークな特徴があるので、備前焼に興味のある向きは備前観光のついでに寄ってみても良いだろう。

 

備前焼は武骨な感じがしてちょっと・・・と敬遠する向きには播州赤穂の雲火焼きを紹介したい。備前焼が1000年の歴史を伝えるものなら、雲火焼きはここ数十年の間に“復活”した、現在進行形で進化中の陶器である。播州赤穂は塩と忠臣蔵だけの土地ではないのである(と、こっそり兵庫県もアピール)。

 

総評

備前焼をフィーチャーした作品というのは、この原作漫画以外にほとんど無いのではないか。せいぜい漫画『 美味しんぼ 』で2、3度取り上げられたぐらいだろう。そんなマイナーな文物を題材にした作品が映画化されるのだから、邦画の世界もまだまだ捨てたものではない。役者陣もなかなかに頑張ってくれている。土地や備前焼の周辺へのフォーカスが甘いと感じられるが、これはかなり厳しめの評価だと思っていただきたい。是非とも多くの人々に観て頂きたい作品に仕上がっている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

apprentice

「弟子」の意である。『 スター・ウォーズ 』世界におけるジェダイやシスは師=masterと弟子=apprenticeの関係が基本となっている。とにかく、弟子とくれば英語ではapprenticeが第一変換候補である。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 奈緒, 平山浩行, 日本, 監督:末次成人, 笹野高史, 配給会社:ブロードメディア・スタジオLeave a Comment on 『 ハルカの陶 』 -元・備前市民によるやや甘口かつ辛口レビュー-

最近の投稿

  • 『 アビス 』 -海洋SFの佳作-
  • 『 シン・仮面ライダー 』 -庵野色が強すぎる-
  • 『 湯道 』 -もっと銭湯そのものにフォーカスを-
  • 『 少女は卒業しない 』 -鮮烈な青春の一瞬-
  • 『 シャイロックの子供たち 』 -カタルシスとディテールが弱い-

最近のコメント

  • 『 すずめの戸締り 』 -もっと尖った作品を- に cool-jupiter より
  • 『 すずめの戸締り 』 -もっと尖った作品を- に じゅん より
  • 『 トップガン マーヴェリック 』 -追いトップガン6回目- に cool-jupiter より
  • 『 トップガン マーヴェリック 』 -追いトップガン6回目- に まるこ より
  • 『 トップガン マーヴェリック 』 -MX4D鑑賞- に cool-jupiter より

アーカイブ

  • 2023年3月
  • 2023年2月
  • 2023年1月
  • 2022年12月
  • 2022年11月
  • 2022年10月
  • 2022年9月
  • 2022年8月
  • 2022年7月
  • 2022年6月
  • 2022年5月
  • 2022年4月
  • 2022年3月
  • 2022年2月
  • 2022年1月
  • 2021年12月
  • 2021年11月
  • 2021年10月
  • 2021年9月
  • 2021年8月
  • 2021年7月
  • 2021年6月
  • 2021年5月
  • 2021年4月
  • 2021年3月
  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月
  • 2020年6月
  • 2020年5月
  • 2020年4月
  • 2020年3月
  • 2020年2月
  • 2020年1月
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月

カテゴリー

  • テレビ
  • 国内
  • 国内
  • 映画
  • 書籍
  • 未分類
  • 海外
  • 英語

メタ情報

  • ログイン
  • 投稿フィード
  • コメントフィード
  • WordPress.org
Powered by Headline WordPress Theme