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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 配給会社:エスパース・サロウ

『 ブルーバック あの海を見ていた 』 -母と娘と海を巡る珠玉のドラマ-

Posted on 2024年1月14日 by cool-jupiter

ブルーバック あの海を見ていた 80点
2024年1月7日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ミア・ワシコウスカ ラダ・ミッチェル
監督:ロバート・コノリー

簡易レビュー。

 

あらすじ

海洋生物学者のアビー(ミア・ワシコウスカ)は母ドラ(ラダ・ミッチェル)が脳卒中で倒れたとの連絡を受け、帰郷する。幸いドラは一命をとりとめたが、言葉を発することができなくなってしまった。母の介護のために実家に滞在することになったアビーは、母と過ごした海、そしてそこで友情をはぐくんだ魚、ブルーバックを思い起こして・・・

 

ポジティブ・サイド

オーストラリアの海の美しさが印象的。『 ブレス あの波の向こうへ 』は海の上だったが、本作は海の中をリアリズムたっぷりに映し出してくれる。映像的には少々薄暗いが、実際の海の中はあんな感じ。逆に『 アクアマン 』がいかにファンタジーなのかが分かる。

 

母と娘が海で育む奇妙な絆と、アビーがダイビングのたびに築いていくブルーグローパーとの奇妙な友情が心地よい。家族の物語が環境保護のメッセージと密接にリンクしている。ブルーバックと名付けられたグローパーが、グロテスクながら実はなかなかキュート。どうもCGではなく人形らしい。もちろんモーションキャプチャーは使っているのだろうが、やはりCGには出せない味があった。

 

石垣島やら、辺野古埋め立てやら、日本の状況もオーストラリアと似たり寄ったり。非常にローカルな物語が、実はグローバルな問題提起にもつながっているのだと実感させてくれる。

 

ネガティブ・サイド

物語の構成に難あり。最初の数日は病院に泊まり込み、あるいは近くのホテルに泊まりながら母親を看病する。そして退院できるとなった時に、はじめて実家を訪れて・・・という見せ方にしないと、アビーが回想する過去の出来事の結末が最初にすべて見えてしまっていた。

 

総評

驚きに欠けるドラマではあるが、そのぶん人間そして大自然との関係が濃密に描かれる。それも言葉ではなく映像と音楽で情感豊かに。同じオーストラリア産でも『 TALK TO ME トーク・トゥ・ミー 』は少し波長が合わなかったが、今作では至福の時間を味わえた。1月にして年間ベスト候補であると断言したくなる出来栄えである。できるだけ多くの人に鑑賞してほしい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

deepest

作中では The sea is deepest here. =「この海はここが一番深い」のような使われ方をしていた。通常、最上級には the がつくが、比較対象が自分自身の場合はその限りではない。

I’m the most energetic in the morning. 
(他にもそういう人はいるが)午前中に一番エネルギーが出せるのは僕だ。

I’m most energetic in the morning. 
僕は(他の時間帯の自分自身に比べて)午前中が一番エネルギーが出せる。

この二つのセンテンスの違いを把握しておこう。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 アクアマン/失われた王国 』
『 雑魚どもよ、大志を抱け! 』
『 ゴーストワールド 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, オーストラリア, ヒューマンドラマ, ミア・ワシコウスカ, ラダ・ミッチェル, 監督:ロバート・コノリー, 配給会社:エスパース・サロウLeave a Comment on 『 ブルーバック あの海を見ていた 』 -母と娘と海を巡る珠玉のドラマ-

『 リアム16歳、はじめての学校 』 -親離れと子離れと-

Posted on 2020年7月30日 by cool-jupiter

リアム16歳、はじめての学校 60点
2020年7月28日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ダニエル・ドエニー ジュディ・グリア シボーン・ウィリアムズ
監督:カイル・ライドアウト

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200730205415j:plain
 

シネ・リーブル梅田で去年(2019年)に見逃した作品。カナダの映画というのは、アメリカ映画とは違って、外部の日常生活に劇的な変化が起きるというプロットよりも、キャラクターの内面の変化やキャラ同士の関係性の変化を丹念に追うプロットが多い気がする。そういう意味では本作は典型的なカナダ映画である。

 

あらすじ

リアム(ダニエル・ドエニー)は物理学を愛する16歳。学校には行かず、ホームスクーリングで育った。ケンブリッジ大学に入学して天文学者になるという目標は、しかし、高卒認定試験を受けるために訪れた公立高校で変更となる。彼はそこで義足の少女アナスタシア(シボーン・ウィリアムズ)に恋をしてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

どことなく『 ミーン・ガールズ 』に似ている。大自然の中で育った少女が、高校という独自の生態系でも食物連鎖の上位者となっていく過程が面白かった。本作の主人公のリアムは逆で、自宅で温室栽培されていた。にもかかわらず、男子のダメなところをしっかりと学校で体現してしまう。リアムがアナスタシアの行動パターンを掴み、何度も何度も偶然を装って廊下ですれ違うシーンに共感する、あるいは自らの(情けない)過去を思い出す男性は多いに違いない。アナスタシアに恋焦がれながらも、アプローチができない。行動が小学生レベルなのだ。リアムの行動にもどかしさを覚えながらも共感してしまうという絶妙な仕掛けである。

 

何がユニークで面白いかと言えば、リアムがマリア・サンチェスという優等生の代わりになるというところ。普通におかしい展開なのに、あれよあれよという間にリアムがマリアとして学校に受け入れられるのには笑ってしまう。

 

母親とリアムの関係も多少の毒を孕みながらも真に迫っている。『 母が亡くなった時、僕は遺骨を食べたいと思った。 』でも存分に描かれていたが、男というのはどこまで行っても本質的にはマザコンである。息子と母親の距離感にも共感することしきりである。これはリアムの初恋を描くと同時に母親からの旅立ち、そして母親への回帰、そして更なる自立への一歩を描く物語だからである。

 

シングルマザーとして過剰なまでにリアムの教育に注力する母親クレアもなかなかの味わいだ。夫、つまりリアムの父親との離婚については詳しく触れられないが、その部分にドラマを求めなかったのは正解である。リアムは極めて共感しやすいキャラクターであるが、自分と同一視してしまうという人はあまりいないはず。それはリアムと母クレアの関係の近さと強さが普通ではないからだ。お祖母ちゃんが常にそこに鎮座ましましているが、この祖母の距離と視点が我々ビューワーの距離と視点だ。実際にクレアが自宅の黒板にリアム教育プロジェクトのマイルストーンを一つ一つ書き出し、そして達成の暁には一つ一つ消していく。クレア視点ではなく第三者視点でそれが描写される。息子に「どうせ学校で覚えるのだから」とマリファナを吸わせたり、パーティーでの酔い方を積極的に学ばせようとしたりするなど、この母親への共感のしづらさがリアムへの共感のしやすさと絶妙なバランスを作り出している。

 

個人的に本作を最も面白くしているのはアナスタシアのパーソナリティだと感じる。『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ 』の主人公と同じ名前というところで笑ってしまうが、最も目を引くのは義足である。なぜ義足なのか。いつから義足なのか。そうした疑問の答えをマリア・・・ではなくリアムが得るまでに、一筋縄ではいかない初恋および青春の「あるある」が待ち受けている。初恋の相手は清純な乙女だった・・・というのは多くの男が抱く幻想であろう(だからといって女性がみんな百戦錬磨の恋愛強者だと言っているわけではない)。カナダ人や西洋人全般の文化やメンタリティだろうか。『 建築学概論 』に近い展開があり、我々ならここで心が折れてしまうかもしれないが、リアムはそうはならない。カナダ制作映画『 もしも君に恋したら 』のD・ラドクリフ演じる主人公と共通するメンタリティである。アナスタシアとの距離を徐々に、しかし確実に縮めていくリアムの姿はやはり男心を疼かせる。リアムの初恋は実るのか?固唾をのんで見守ってしまうこと請け合いである。アッと驚く展開あり、運命を予感させる展開もあって、なかなかに飽きさせない作りである。

 

それにしてもカナダというのはずいぶん進んでいる国だなとあらためて感じる。2017年にカナダ旅行中に見た子供向け番組の『 Super Ruby 』は主人公が眼鏡着用・・・だけなら別に驚かないが、なんと補聴器も装用している。そして補聴器の新品をゲットするために尋ねた言語聴覚士が義手装備。この記事の『 チョコレートドーナツ 』の項をよくよく読んでいただきたい。これがほぼ同時期の日本の現実である。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200730205108j:plain

 

ネガティブ・サイド

母親クレアのキャラクターに一貫性が欠けている。息子を愛してやまないのだが、ギャグやユーモアを前面に押し出しているシーンと、そうではないシーンを対比させた時に、ギャップがあり過ぎる。普段優しい人ほど怒ると怖いという感じではなく、息子の一番の親友という役を演じているテンションのまま母親として怒る、というのがどうにもチグハグに見えてしまった。

 

校長先生がリアムの母親にアプローチする展開が蛇足であるように感じた。もしもそうしたサブプロットを追求したいのなら、チャランポランな人物に設定すべきでない。しかし、チャランポランでなければリアムがマリアにはなれない。プロットとキャラクターのパーソナリティであれば、プロットを優先すべきだ。

 

キャラのちぐはぐさやプロットとの不整合は他にもある。学校でリアムをいじめてくるキャラになんらかの因果応報があってしかるべきだと思うが、なかった。うーむ、ベタでもいいから、何かこのいじめっ子にして恋敵の男にギャフンと言わせるような展開が欲しかった。また、リアムのお祖母ちゃんは存在感あり台詞なしというキャラで、最後に見せ場があるかと期待したが、これも無し。うーむ・・・

 

総評

妥当性確認が今もって為されていない「全国一斉休校」によって、日本各地で図らずもホームスクーリングが大規模に行われた。その意味では本作は自宅学習(の狙いや難しさ)をシミュレーションできる作品である。同時に親離れと子離れのプロセスを描く一種のセミドキュメンタリー的でもある。親バカの自覚のある人、または大学進学などで子どもが家から出ていくことが不安でならないという向きにお勧めしたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You had it coming.

「自業自得」の意である。直訳すれば「あなたがそれをやって来るようにした」である。 I had it coming. や We had it coming. など主語を変えて使うこともできる。

 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, カナダ, シボーン・ウィリアムズ, ジュディ・グリア, ダニエル・ドエニー, ヒューマンドラマ, 監督:カイル・ラウドアウト, 配給会社:エスパース・サロウ, 青春Leave a Comment on 『 リアム16歳、はじめての学校 』 -親離れと子離れと-

『 フランシス・ハ 』 -Girls Be Ambitious-

Posted on 2020年1月9日 by cool-jupiter

フランシス・ハ 75点
2020年1月9日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:グレタ・ガーウィグ アダム・ドライバー
監督:ノア・バームバック

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200109221744j:plain

 

『 レディ・バード 』の監督グレタ・ガーウィグの主演作。モノクロ映画というのは観る側の想像力を掻き立てるものがある。

 

あらすじ

NYの街でモダン・ダンサーになることを夢見るフランシス(グレタ・ガーウィグ)は親友のソフィーと二人暮らし。しかし、ボーイフレンドとの同居を拒んだことから破局。その上、ソフィーは将来を見据えて転居することに。フランシスは仕方なく元カレの友人のルームメイトであるレヴ(アダム・ドライバー)の家に転がり込むが・・・

 

ポジティブ・サイド

主人公フランシスが何とも愛おしい。美人だからとかセクシーだからとかではない。彼女の人生は、実はまったく上手く行っていない。にもかかわらずフランシスはへこたれない。ウソでもホラでも何でもござれの奇妙なバイタリティで突き進んでいく。しかし、その方向も全然正しくない。こんなキャラクターが主人公なのに、なぜこれほどフランシスを応援したくなってしまうのか。

 

一つには彼女の目指すものがモダン・ダンサーであるということ。Jovianは職業柄、TOEFL iBTというテスト対策を教えることが多い。そこでは、しばしばアメリカ史が扱われるが、その傾向はほとんど常に“時代の転換点”である。モダン・ダンスはバレエの枠を破壊することから生まれた。フランシスは、サクラメントの片田舎出身の自分という枠を、ニューヨークで華々しく踊る自分という像でもって壊そうとしている。ダンスとは自己表現の極まった形である。ところが、これが上手く行かない。いつまで経ってもフランシスは実習生(apprentice)のままである。自分というものをさらけ出しているにもかかわらず、それが認められない。なんとも現代的ではないか。

 

もう一つには、彼女の年齢もあるのだろう。27歳というと、一昔前の日本なら所帯を持ち始めることを期待される年齢だろう。それはアメリカでも同じようである。だが、モラトリアム期間が長くなった現代、27歳は本当ならまだまだ自分の可能性を模索することに多くの時間を費やしてよい年齢にも思える。一方で、親友のソフィーが結婚に向けて動き出したように、人生の形をある程度定めることを考え始めなくてはならないのも事実である。このあたりが『 ブリジット・ジョーンズの日記 』と共通するところで、それゆえに男性よりも女性の支持や共感を得るポイントだろう。この、若いけれどもそれほど若くない、というジレンマをブリジットとは違う切り口で描いたところに本作の価値がある。

 

さらに、彼女の出身地と、実際に暮らしている場所のギャップもある。『 レディ・バード 』でも描かれていたが、サクラメントは極めて保守的な土地だ。ニューヨークとは全く異なる世界とも言えるだろう。だが、サクラメントで家族や地元の人々と過ごすクリスマスの何と充実していて、なおかつ何と寒々しいことか。濃密な交流が行われているにもかかわらず、フランシスは溶け込めない。充実した人間関係とは、親交のある人間の数ではなく、親交の深さで測られるべきなのだ。そして、非モテ=undatableとのレッテルを貼られた自分が、本当に必要としているものが何であったのかに気がつく。保守的な土地から先進的な土地に出てきた自分の考えが保守的になっていたことに、フランシスは気付く。哲学者M・ハイデガーの言う「気遣い」、日本語で言うところの「有難み」である。自分探しとは、畢竟、自分と世界との関わり方を規定するということなのだ。

 

モノクロ映画ゆえに色の表現が乏しいが、それゆえに想像力が刺激される。実際に、フランシスが腕から出血しているところはよく見えないし、実家のまな板の色が赤であることも伝わらない。しかし、バームバックの狙いはそこではない。フランシスの行く先々では、様々な人々の会話や交流が生まれるのだが、それらが必ずしも描かれない。夏合宿の寮の管理人として、廊下でうずくまって泣く少女とのシーンが好例である。大人と子どもの鮮やかな対比が描かれ、フランシス自身が自分の姿に気付く・・・というシーンは描かれない。だが、それで良いのである。世阿弥の言う「秘すれば花なり」である。想像力を刺激する。それだけで、それは素晴らしい芸術である。

 

フランシス・ハの「ハ」は、おそらく間投詞だろう。英語圏でも、よく使われる音声である。Jovianは大昔、ナムコの『 エースコンバット 』シリーズにハマっていた。その一つ、『 エースコンバット・ゼロ ザ・ベルカン・ウォー 』でWingmanのピクシーというキャラは鉄器を撃墜すると“Ha!”と叫んでいた。またディスク表面のタイトル表記も、このことを裏付けているように思う。我々が文字を大きく書くのは、それを大きな声で読んで欲しい時である。以上より、フランシスは最後の最後にフランシスに成長した。そのことに、自ら感嘆の声を上げていると考えられる。何とも素敵な演出ではないか。

 

ネガティブ・サイド

アダム・ドライバーの出番が少ない。まあ、それはしょうがない。彼が本格的に売れる前の作品なのだから。

 

二番目のルームメイトとなるベンジーがいい奴すぎる。こんな素敵な男性がいるのだろうか。Jovianは大学の四年間を男子寮で暮らしていたから分かる。こんなに良い男はめったにいない。ベンジーに一瞬でもグラリと来ないフランシスはどうかしている。一瞬の気の迷いのようなものでもよい。ベンジーとフランシスの間にロマンティックな空気が流れる瞬間があればよかったのだが。

 

最後の最後は『 オズの魔法使 』のように、一瞬だけカラーに転じても良かったかもしれないと、少しだけ思う。

 

総評

女の友情が基軸となっているが、男でも同じである。自分が何者であるのか、または何者になるのか、そのことに悩み苦しむのが若さである。奇しくも同じテーマは同じくバームバック監督の『 ヤング・アダルト・ニューヨーク 』でも繰り返されている。回り道に見えても、振り返ってみれば、それが最適なルートだった。人生とは往々にしてそういうものである。日本ではアラサー前後の男女がデモグラフィックである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

pass up

見逃す、の意味である。テレビ番組を見逃すのではなく、チャンスを見逃すの意味で使われる。劇中では“It is too good to pass up.”=「それ(そのアパート)は良過ぎて、逃す手はないの」という具合に使われていた。またジョージ・ルーカスも『 ザ・ピープルVSジョージ・ルーカス 』で“It was an opportunity I could not pass up.”というように、この表現を使っていた。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アダム・ドライバー, アメリカ, グレタ・ガーウィグ, ヒューマンドラマ, 監督:ノア・バームバック, 配給会社:エスパース・サロウLeave a Comment on 『 フランシス・ハ 』 -Girls Be Ambitious-

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