Skip to content

英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

  • Contact
  • Privacy Policy
  • 自己紹介 / About me

タグ: 大塚明夫

『 神々の山嶺 』 -登ることが生きること-

Posted on 2022年7月12日2022年7月12日 by cool-jupiter

神々の山嶺 70点
2022年7月8日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:堀内賢雄 大塚明夫
監督:パトリック・インバート

原作は夢枕獏の小説。実写映画『 エヴェレスト 神々の山嶺 』はコケてしまったが、本作はかなりのクオリティ。山ガールであるJovian嫁は画面にくぎ付けで、Jovianもキャラクターの生き様に大いに魅せられてしまった。

 

あらすじ

雑誌カメラマンの深町誠(堀内賢雄)は、バーで伝説の登山家マロリーのエヴェレスト登頂を捉えたとされるカメラを買わないかと持ちかけられるが、それを断ってしまう。しかしその直後、長らく姿を消していた登山家・羽生丈二(大塚明夫)が、マロリーのカメラを奪っていくところを目撃する。深町は羽生の行方を追うが・・・

ポジティブ・サイド

冒頭で出てくるジョージ・マロリーの名前にピンと来る人は少数だろうが、「なぜ山に登るのか」「そこに山があるからだ」という問答は多くの人が知っていることだろう。山に登るというのはレジャーでありながら、世界で最も危険なスポーツでもある。本作は、その登山の危険性と不可思議な魅力を二人の男を通じて描き出している。

 

「経営者は登山を趣味にすることが多い」と、とある経営者から聞いたことがある。理由は「孤独になれるから」とのことだった。なるほどなと思う。確かに登山は非常に孤独な営為だろう。だが、趣味ではなく職業、いや、生き様としての登山というものはあるのだろうか。本作はこうした問いにも一定の答えを提示している。

 

羽生丈二の不器用な生き方は、まさに登山家を思わせる。サラリーマンとして和して同ぜず、スポンサーのためではなく自分のために登るのだと公言する。バディに何かアクシデントがあった時には迷わずロープを切ると言い放つ非情さにも似たプロフェッショナリズム。しかし、若い文太郎の身に起きたアクシデントに対してはそのような真似はせず、救出のために最善を尽くそうとする。しかし・・・ こうした体験を通じて、なお山に登り続ける羽生という男の生き様、さらに山そのものが持つ妖しい魅力、いや魔力と言うべきか。そうしたものを解き明かしたいと願う深町の邂逅は実にドラマチックだ。

 

エヴェレストの過酷すぎる環境と、それに挑む羽生、その羽生の姿をカメラと自身の目に刻み付けようとする深町。ほとんど台詞らしい台詞もなく、黙々と頂きを目指す二人の男の姿は、観る側の理解や共感を拒む。明らかにカネのためでも名誉のためでもない。その試みは、死の危険に直面してこそ世を実感できるといった類のものでもない。文太郎への贖罪というだけでも説明がつかない。マロリーがエヴェレスト登頂に史上初めて成功したのかどうかという、当初のミステリーも最早意味を持たない。マロリー、羽生、深町。観る側はこれらの男たちと同化する。神々の山嶺から見える光景とは何か。是非とも味わってほしい。

ネガティブ・サイド

登山以外の部分の描写が不足していた。日本社会における、あるいは他国での登山というスポーツの人気、知名度などについてもう少し描写が欲しかった。それがあれば、野口健のような、登山家なのかタレントもどきなのか分からない山登りが生まれてしまう背景などについて想像力を働かせられたのだろうが。

 

ボルトやピトンがふんだんに使われていたが、登山の歴史=道具の発達の歴史でもある。そうした道具の使い方や、あるいは羽生がアルバイトしている店での客への解説などがあれば、登山を全く知らない人でも本作の世界に入りやすくなったのではないだろうか。

 

吹き替えの声の音量が全体的に少し大きいと感じた。声のボリュームだけを5%落とせれば、もっとナチュラルな出来になっていたはず。

 

総評

漫画『 孤高の人 』の加藤文太郎しかり、映画『 フリーソロ 』のアレックス・オノルドしかり。登山家の生き様には理解しがたいところが多い。しかし、理解する必要などないのかもしれない。頭で理解するのではなく、心で感じ取る。それだけでいいのだろう。本作は、紛れもなく観る者の心を打つ力を持っている。山に登る者、それを追いかける者、そうした者たちを睥睨する神々の山嶺の容赦のない環境。なんとも濃密なドラマである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

set up a bivouac

「ビバークを設営する」の意。なにかのクロスワードで 8-letter word のキーになっていて、かなり呻吟した覚えがある。set up の set が過去形で、答えが encamped だった時には「んなもん、ノンネイティブに分かるわけないやろ・・・」とガックリきた。日常英会話ではまず間違いなく使わない表現だが、クロスワード愛好家なら知っておいて損はない・・・かなあ?

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アドベンチャー, アニメ, ヒューマンドラマ, フランス, ルクセンブルク, 堀内賢雄, 大塚明夫, 監督:パトリック・インバート, 配給会社:ロングライド, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 神々の山嶺 』 -登ることが生きること-

『 GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 』 -先見性に満ちた傑作SF-

Posted on 2021年10月10日 by cool-jupiter

GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 85点
2021年10月7日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:田中敦子 大塚明夫 山寺宏一
監督:押井守

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211010152435j:plain

緊急事態宣言の解除は喜ぶべきことだが、明らかにノーマスクの人間や、あごマスクで飛沫を飛ばす人間も増えた。映画館好きとしては、以前のような人手の少なさや間隔を空けての崎瀬販売が望ましかったが、そうも言ってはいられない。ならば人が少ない時間帯を狙って、本作をピックアウト。

 

あらすじ

近未来。全身を義体化した公安9課の少佐こと草薙素子(田中敦子)はサイバー犯罪や国際テロと日々戦い続けていた。ある時、国際指名手配されている謎のハッカー「人形使い」が日本に現われ、草薙素子は相棒のバトーやトグサらと共に捜査に乗り出すが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211010152450j:plain

ポジティブ・サイド

新劇場版の『 攻殻機動隊 』はビジュアルからして「うーむ・・・」だったし、スカーレット・ジョハンソン主演の『 ゴースト・イン・ザ・シェル 』は原作および本作にあった哲学的命題を完全無視していて、これまた「うーむ・・・」だった。そこで初代アニメーションの本作である。確か公開当時リアルタイムでは鑑賞できず、WOWOWで放送されたのを家族で観たんだったか。その後、大学の寮でもジブリアニメ研究にやってきたスコットランド人と一緒に観た。

 

3度目の鑑賞で最初に強く印象に残ったのは、バトーが素子に向ける視線。いや、視線を逸らすところと言うべきか。冒頭で素子がいきなり服を脱ぎ捨てるところからして面食らうが、その直後に素子の全身が義体であることを散々に見せつけられる。にもかかわらず、バトーは素子の裸から思わず目をそらす。確か高校生および大学生のJovianも、いたたまれなさを覚えたように記憶している。すぐそばに家族や友人がいたということもあるだろう、けれど、今の目で見て思ったのは「なぜバトーは全身サイボーグの素子の裸を観ることに羞恥心あるいは罪悪感を抱くのか?」ということである。

 

これは難しい問いである。一つにはバトーは生身の女性の裸に反応したわけではなく、女体という「記号」に反応したと考えられる。もう一つには、素子が恥じらわなかったということも挙げられる。素子の側が「見るな」という素振りを見せたり、あるいは言葉を口にしていれば、「でもそれって義体じゃねーか」という反論が可能になる。つまり、居心地の悪さを感じるのは自分ではなく素子の側となる。人間が人間であるためにはどこまでの義体化が許容されるのか。漫画『 火の鳥 復活編 』からの変わらぬテーマである。人間と機械の境目はどこにあるのか。生命と非生命の境界はどこなのか。全編にわたって、そのことが静かに、しかし雄弁に問われている。

 

生命哲学=命とは何かという問いは20世紀初頭から盛んに問われてきていたが、1990年代前半の時点で、インターネット=膨大な情報の海という世界観の呈示ができたのは、士郎正宗や押井守の先見性だと評価できる。若い世代には意味不明だろうが、Windows95以前の世界、PCで何をするにもコマンド入力が求められた時代だったのだ(その時代性は指を義体化させ、超高速でキーボードをたたくキャラクター達に見て取れる)。直接には描かれることはないが、ネット世界の豊饒さと現実世界の汚穢が見事なコントラストになっている。『 ブレード・ランナー 』と同じく、きらびやかな摩天楼と打ち捨てられた下流社会という世界観の呈示も原作者らの先見性として評価できるだろう。

 

本作が投げかけたもう一つの重要な問いは「記憶」である。自己同一性は「意識」ではなく「記憶」にあるということを、本作はそのテクノロジーがまだ本格的に萌芽していない段階で見抜いていた。現に人格転移ネタはフィクションの世界では古今東西でお馴染みであるが、1990年代においては西澤保彦の小説『 人格転移の殺人 』でもゲーム『 アナザー・マインド 』でも、移植・移動の対象は意識であって記憶ではなかった。だが、記憶こそが人格の根本であり、それを外部に移動させられるということが人類史上の一大転換点だったという2003年の林譲治の小説『 記憶汚染 』まで待たなければならなかった。ここにも本作の恐るべき先見性がある。

 

原作漫画において「結婚」と表現された、素子と人形使いの出会いと対話であるが、生命の本質を鋭く抉っている。『 マトリックス レボリューションズ 』でエージェント・スミスが喝破する”The purpose of life is to end.” = 「生命の目的とは終わることだ」という考えは、間違いなく本作から来ている。ウォシャウスキー兄弟(当時)も、本作の同作への影響を認めている。サイバーパンクであり、ディストピアであり、期待と不安に満ちた未来へのまなざしがそこにある。劇中およびエンディングで流れる『 謡 』のように、総てが揺れ動き、それでいて確固たる強さが感じられる作品。日本アニメ史の金字塔の一つであることは間違いない。

 

ネガティブ・サイド

都市の光と影の部分にフォーカスしていたが、地方や外国はどうなっているのだろう。特に序盤で新興の独裁国へのODAの話をしていたが、そこにもっと電脳や義体の要素を交えてくれていれば、これが全世界的な未来の姿であるという世界観がより強化されたものと思う。

 

「感度が良い」とされる9課の自動ドアであるが、いったい何に感応していたのだろうか。赤外線ではないだろうし、重量でもない。だとすればいったい何に?

 

総評

4K上映とはいえ、元がCGではなく手描きであるが故の線の太さや粗さは隠しようがない。しかし、面白さとは映像美とイコールではない。ごく少数の登場人物と実質ひとつの事件だけで、広大無辺な情報と電脳、そして義体化の先の世界にダイブさせてくれる本作こそ、クールジャパンの代名詞であろう。クールジャパンとは博物館のプロデュースではなく、ユニークさのプロデュースである。『 花束みたいな恋をした 』で神とまで称された押井守の才能が遺憾なく発揮された記念碑的作品。ハードSFは苦手だという人以外は、絶対に観るべし。ハードSFは苦手な人は、2029年に観るべし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a ghost from the past

ゴーストというのは亡霊以外にも様々な意味がある。a ghost from the past というのは、しばしば「過去の亡霊」と訳され、忌まわしい過去を呼び起こす存在が今また目の前に現れた、という時に使われることが多い。ただ必ずしもネガティブな意味ばかりではなく、単に長年であっていなかった知人に久しぶりに会ったという時に、相手を指して a ghost from the past と言うこともできる。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 国内, 映画Tagged 1990年代, A Rank, SF, アニメ, 大塚明夫, 山寺宏一, 日本, 田中敦子, 監督:押井守, 配給会社:バンダイナムコアーツLeave a Comment on 『 GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 』 -先見性に満ちた傑作SF-

最近の投稿

  • 『 28日後… 』 -復習再鑑賞-
  • 『 異端者の家 』 -異色の宗教問答スリラー-
  • 『 うぉっしゅ 』 -認知症との向き合い方-
  • 『 RRR 』 -劇場再鑑賞-
  • 『 RRR:ビハインド&ビヨンド 』 -すべてはビジョンを持てるかどうか-

最近のコメント

  • 『 i 』 -この世界にアイは存在するのか- に 岡潔数学体験館見守りタイ(ヒフミヨ巡礼道) より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に cool-jupiter より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に 匿名 より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に cool-jupiter より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に イワイリツコ より

アーカイブ

  • 2025年5月
  • 2025年4月
  • 2025年3月
  • 2025年2月
  • 2025年1月
  • 2024年12月
  • 2024年11月
  • 2024年10月
  • 2024年9月
  • 2024年8月
  • 2024年7月
  • 2024年6月
  • 2024年5月
  • 2024年4月
  • 2024年3月
  • 2024年2月
  • 2024年1月
  • 2023年12月
  • 2023年11月
  • 2023年10月
  • 2023年9月
  • 2023年8月
  • 2023年7月
  • 2023年6月
  • 2023年5月
  • 2023年4月
  • 2023年3月
  • 2023年2月
  • 2023年1月
  • 2022年12月
  • 2022年11月
  • 2022年10月
  • 2022年9月
  • 2022年8月
  • 2022年7月
  • 2022年6月
  • 2022年5月
  • 2022年4月
  • 2022年3月
  • 2022年2月
  • 2022年1月
  • 2021年12月
  • 2021年11月
  • 2021年10月
  • 2021年9月
  • 2021年8月
  • 2021年7月
  • 2021年6月
  • 2021年5月
  • 2021年4月
  • 2021年3月
  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月
  • 2020年6月
  • 2020年5月
  • 2020年4月
  • 2020年3月
  • 2020年2月
  • 2020年1月
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月

カテゴリー

  • テレビ
  • 国内
  • 国内
  • 映画
  • 書籍
  • 未分類
  • 海外
  • 英語

メタ情報

  • ログイン
  • 投稿フィード
  • コメントフィード
  • WordPress.org
Powered by Headline WordPress Theme