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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 土屋太鳳

『 大怪獣のあとしまつ 』 -クソ映画・オブ・ザ・イヤー決定-

Posted on 2022年2月6日 by cool-jupiter

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大怪獣のあとしまつ 0点
2022年2月5日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:山田涼介 土屋太鳳 濱田岳
監督:三木聡

 

怪獣というのはJovianの好物テーマである。2021年の夏頃だったか、本作のトレイラーを観て「ついに来たのか」と胸躍らせるテーマの作品に興奮したが、実物を鑑賞して心底がっかり。まだ2月だというのに、本作が年間ワースト映画に決定したと断言する。

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あらすじ

巨大怪獣が、ある日突然謎の光に包まれて死んだ。安堵する政府だったが、残された死体は徐々に腐敗・膨張し、ガス爆発を起こす。死体処理の責任者に抜擢されたのは特務隊員のアラタ(山田涼介)は、怪獣の後始末のために動くが、そこには元恋人の雨音ユキノ(土屋太鳳)、そして彼女の夫にして総理秘書官の雨音正彦(濱田岳)の姿もあり・・・

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ポジティブ・サイド

ない。

 

監督・脚本の三木聡と、プロデューサーまわりの人間は、二度と映画作りに関わらないでもらいたい。

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ネガティブ・サイド

以下、ネタバレあり

 

本作が『 シン・ゴジラ 』を始めとする多くの先行怪獣映画にインスパイアされたのは火を見るよりも明らか。それ自体は一向に構わない。さらにコロナ禍によって明らかになった日本政府の無能っぷりをあざ笑うのも構わない。問題は『 シン・ゴジラ 』の謡っていた日本=《現実》VSゴジラ=《虚構》が、実は有能な日本政府=虚構、ゴジラ≒原発あるいはコロナ=現実になったということを、全く下敷きにできてない作劇術にある。

 

設定にもキャラクターにもリアリティがない。『 シン・ゴジラ 』が却下した矢口とカヨコのロマンスネタを、本作はわざわざ放り込んできた。それが物語に一切の広がりを与えていないし、キャラクターの背景やキャラ同士の関係にも深みを与えていない。ひたすらに平板で薄っぺらい。『 シン・ゴジラ 』自体がヱヴァンゲリヲンとの壮大なマッシュアップであるが、本作はエヴァの要素を皮相的には取り入れつつも、物語性の面では何一つ引き継げていない。ゴジラやエヴァが面白いのは、自衛隊やネルフなどの機関の背後に、無数の人々の姿、そのエネルギー、仕事、協力、献身を感じ取ることができるからだ。本作はそうした背景の広がりや深みを一切考慮することなく、ひたすら内向きに展開する。閣僚同士の馴れ合いに、夫婦だの元カノ元カレといった極めて閉鎖的な人間関係にすべてを還元して、大怪獣という日本および日本国民が一丸となって闘うべき、そして処理すべき問題であるという意識を放棄している。それは冒頭の緊急速報のイタズラでも明らかである。普通、このような世界観であのようなイタズラをする、もしくは怪獣が死んだと考えられて、わずか10日であのようなおもちゃが作られて、売られるはずがない。そんなものが市場に出れば袋叩きにあうだろうし、使う人間も袋叩き似合うだろう。そうなっていない時点で、本作の提示する世界観はギャグ以外の何者でもない。

 

ギャグならギャグに振り切ってくれればいいのだが、どのシーンをとっても笑えない。蓮舫ネタはすべて滑っている。またギャグのつもりでやっているのかもしれないが、隣国をネタに笑いを取ろうとする試みも盛大に失敗している。笑いとは対象との距離から生まれるもので、隣国が言いそうなことをそのまま劇中で繰り返しても面白くない。そこを笑いのネタにするのなら、隣国の特徴を極限まで肥大化させるべきだ。「怪獣を死に至らしめた光は、我が偉大なる書記長の神通力によるものである。よって怪獣の死体は偉大なる我が国に属するのは当然のことである」というようなことを、民族衣装を着た老年女性アナウンサーに仰々しく喋らせるぐらいすべきである。

 

肝腎かなめの怪獣のあとしまつネタが、どれもこれも現実的な考証に基づいていない。陸に上がった鯨の死体が腑排ガスによって爆発するように、怪獣の死体が膨張して爆発するところまでは納得できる。問題は、それに対応する特務隊や国防軍のアホさ加減である。なぜ何の防護服も着用せずに怪獣に接近するのか。なぜ怪獣の体液をアホほど浴びた面々が、シャワーだけで無罪放免なのか。あらゆる機関で検査を受けるに決まっているだろう。また、怪獣が爆発するというのに、事前に何の防御壁らしきものも、ガスマスクも用意していない前線基地とは一体何なのか。自衛隊の面々が本作を見たら、頭を抱えることだろう。

 

あとしまつの作戦その一として凍結させるというのも、またもや『 シン・ゴジラ 』ネタ。それだけならまだしも、液化炭酸ガスで凍らせるというが、それだけの量の液化炭酸ガスなるものをどうやって用意するのか。『 シン・ゴジラ 』のヤシオリ作戦で準備された血液凝固剤はおそらく数千リットル。この数千リットルを用意するために、巨災対の面々は各方面に頭を下げまくった。本作にそのような描写は毫もなかった。怪獣の体表から体内深部まで凍結させるとなると、少なく見積もっても怪獣と同質量の液化炭酸ガスが必要である。シン・ゴジラの体重が9万2千トン。9万2千トンのガスなど製造できないし、貯蔵もできないし、もちろん輸送もできない。それに、河川上でそんな凍結作戦を実行すれば、河ごと凍るに決まっている。そうなれば、ダムを決壊させることなく河川の氾濫が起きる。しかし、そうはならなかった。監督権脚本の三木聡は、いったいどこまで考察したのか。それとも考察はそもそもしていないのか。

 

ダムを決壊させて、水洗トイレのごとく押し流すというのも、アイデアとしては悪くないが、その作戦の成功率を押し上げようという試みが一切ないのはどういうわけだ?たとえば、怪獣手前に即席でもよいので可能な限り河岸段丘を作って、水流の圧をアップさせようだとか、それこそ海上自衛隊の艦艇と怪獣を係留して引っ張るだとか、国力を挙げての作戦という感じが一向に伝わってこない。コメディだから・・・と思ってはならない。笑えるのは対象と距離があるからこそで、努力をつぎ込んだからこその結果との落差が笑いを呼ぶのであって、失敗が予想できるところで失敗しても、何も笑えない。

 

腐敗ガスを上空に飛ばすというのも笑止千万。そんなガスを噴出させる箇所、その角度をちょっと間違えただけでアウトという精度や確度を求められるミッションなら、それこそ風向きがちょっと変わった、風がちょっと強くなった、または弱くなっただけでアウトではないか。元焼肉屋としてこのアイデアは買いたかったが、あまりのアホさ加減に擁護のしようがない。ミサイルを撃ち込むという国防軍の作戦にしても、一発目のミサイルが何者かに迎撃されているのだから、その邪魔者の正体を確認したり、排除したりせずに、作戦を続行するのは不可解の極みである。

 

クライマックスの展開には開いた口が塞がらない。デウス・エクス・マキナと聞いて、個人的にゲーム『 Remember11 』を思い出したが、アレよりも更にひどいエンディングを見ることになるとは思わなかった。ウルトラマンを馬鹿にしているとしか思えないし、ゴジラも馬鹿にしているとしか思えない。

 

ポスト・クレジットにもワンシーン挿入されているが、観る価値なし。観れば腹が立つこと請け合いである。本気なのかどうか知らないが、続編を作るなら勝手にやってくれ。その時には、ゴジラファン、ウルトラマンファン、ガメラファン、その他もろもろの特撮ファンや、ライトな映画ファン以外の映画ファン全てを敵に回すことになるだろう。

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総評

金曜の夜に韓国ホラーの『 コンジアム 』を鑑賞していたが、どうしてもこちらを先にレビューせねばと思った。まさか0点をつける作品に出会うことがあるとは思わなかった。観てはならない。チケットも買ってはならない。関連グッズも購入してはならない。高く評価している評論家やレビュワーがいれば、それは利害関係者によるステマである。この作品の制作に関わった人間すべての頭を角材で思いっきりぶっ叩いてやりたい。心の底からそれほどの怒りが湧いてきた。「ごみ溜めにも美点を見出す」ことを美徳とするJovianですら、この作品の何かしらを評価するのは無理である。ミシュラン風に評価すれば、マイナス5つ星である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. I need to forget about this shitty movie ASAP.

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, F Rank, コメディ, 土屋太鳳, 山田涼介, 怪獣, 日本, 濱田岳, 監督:三木聡, 配給会社:東映, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 大怪獣のあとしまつ 』 -クソ映画・オブ・ザ・イヤー決定-

『 鳩の撃退法 』 -端折り過ぎた故の失敗か-

Posted on 2021年9月4日 by cool-jupiter

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鳩の撃退法 50点
2021年8月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:藤原竜也 土屋太鳳 風間俊介 西野七瀬
監督:タカハタ秀太

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仕事が多忙を極めているため簡易レビューを。

 

あらすじ

売れない小説家・津田伸一(藤原竜也)の手元に、ひょんなことから3003万円もの札束が舞い込んできた。しかし、一部を使ってみたところ偽札だったことが判明。そして、津田の周囲では不可解な事件が起きていき・・・という原稿を読んだ編集者の鳥飼(土屋太鳳)は、津田に小説のプロットが事実なのかフィクションなのかを尋ねる。しかし、津田は答えをはぐらかすばかりで・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭の深夜のカフェで繰り広げられる謎めいた人物同士の会話。これには引き込まれた。藤原竜也と風間俊介が、ある書籍の貸し借りに至るまでの言葉のやり取りは非常に舞台演劇的で、映画を見ていながらもリアルタイムかつリアルスペースで繰り広げられる芝居を観るようでもあった。

 

次々に繰り出される事件と謎のつるべ打ちは非常にテンポがよく、小説のプロットなのか、それとも作家自身の実体験なのかという境目が良い意味で分かりづらくなっていた。

 

後半に土屋太鳳が現地に飛んで色々と調査するシーンから、明らかに観る側の脳みそをもう一段階混乱させようとしてくる。謎解きの過程それ自体が別の謎を生み出している。より具体的に言えば、某男性登場人物2名の実在性および関係性。このあたりを敢えて曖昧模糊にしておくことで、ラストで明らかになる「〇〇〇〇は真実である」という箇所と「▲▲▲▲は虚構の可能性あり?」という点がより味わい深くなっている。

 

考察それ自体よりも、考察しがいのあるモヤモヤ感を楽しめる人向きか。逆説的に聞こえるかもしれないが、エヴァンゲリオンを楽しめるなら、本作も楽しめることだろう。

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ネガティブ・サイド

原作小説は未読であるが、映画の全体的な第一印象は「なんだかなあ・・・」だった。まず、「津田の書いた小説が現実になる?」という宣伝文句は公正取引委員会への通報を検討するほど酷いもの。おそらく「津田は秀吉のハッピーエンドの物語を構想して、それを書く」ということで、救いのない物語にも救いはあるのだと観る側に伝えたいのだろうが、いくらなんでも誇大広告に過ぎる。現実を小説にすることは可能でも、小説が現実と化すという筋立てには無理がありすぎる。それをやるならSFにしてしまうか、あるいは伊坂幸太郎的な世界を早めに構築・呈示しておくべきだろう。冒頭でナレーションを司る藤原竜也が、役者としての藤原竜也と並び立った時には「これがその仕組みなのかな」と感じたが、この見せ方は冒頭だけ。何じゃそりゃ・・・

 

偽札と一家失踪事件の思いもよらぬつながりに面白さを見出せるかどうかだが、映画はこの部分のサブプロットをかなり削ぎ落してしまっていると思われる。その考える根拠は二つ。一つには、特定の人物の実在性をかなりの程度まで説明してしまっている。これは特定の存在を虚実定かならぬものとして描くための虚の部分を削った閉まったことに起因すると思われる。『 ザ・ファブル 殺さない殺し屋 』の某ボスのような人物に、これ見よがしなキャスティングをすることで、考察の余地が返って狭まったように感じた。もう一つには、偽札そのもの。普通、小説家ともあろう者が偽札の可能性が高いものを不用意にATMに入れるか?一昔前にニコニコ動画で自宅のコピー機でお札を刷るところを実況中継していたアホが半日と経たずに逮捕されていたが、一部のコピー機や複合機には紙幣の偽造防止機能や警報機能がついているし、ATMも同様の機能を持ったものがある。この時点で「偽札の存在自体が偽物」と思えてしまい、せっかく入っていけた物語世界から早々に出てきてしまった(劇中の偽札が本物の紙幣だと言っているわけではない、念のため)。

 

全編を通じて『 ユージュアル・サスペクツ 』的な仕掛けが施されているものと感じていたが、鳩はどこにも見当たらず。津田の書く原稿に出てくる人名や地名が、実は高円寺のバー内、あるいは高円寺界隈、または地方新聞のあちらこちらにも見られるものだという伏線にも目を凝らしたが、そんなものはなかった。少なくともまあまあの鵜の目鷹の目を自認するJovianには見つけられなかった。一家失踪も、それ自体がニュースバリューを持っているものとは思えず、この点でも虚々実々の虚の部分に白けてしまった。

 

総評

宣伝文句は誇大広告(というか虚偽広告)だが、一応製作者側の解釈もラストに呈示されている。それはとある楽曲の歌詞と歌い手である。Jovianはこの部分からして本作で津田が描く物語は虚構であると(勝手に)断じる。何のことやら分からない、しかし物語の中身や結末が気になるという人は、チケット代と2時間を無駄にしてしまうかもしれないという覚悟をもって劇場鑑賞されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

fiction

フィクションの意。この物語はフィクションであり云々の決まり文句でもおなじみ。面白いもので、ラテン語の語源は facio = 作る、であり、この facio から生まれた別の英単語に faction = 派閥、というものがある。派閥を持たない島国の首相が退陣を表明したが、人間というのは虚構の物語や派閥を作らずにはおれない生き物なのかもしれない。英語上級者は fictional と fictitious の違いを調べてみよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ミステリ, 土屋太鳳, 日本, 監督:タカハタ秀太, 藤原竜也, 西野七瀬, 配給会社:松竹, 風間俊介Leave a Comment on 『 鳩の撃退法 』 -端折り過ぎた故の失敗か-

『 哀愁しんでれら 』 -転落サクセス・ストーリー-

Posted on 2021年2月11日 by cool-jupiter

哀愁しんでれら 50点
2021年2月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:土屋太鳳 田中圭 COCO 山田杏奈
監督:渡部亮平

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なにやらストーリーがさっぱり分からないトレイラーばかりを見せられているうちに、気になってきた作品。土屋太鳳が母親役を演じるということで、新境地が見られるかと思い、劇場へと向かった。

 

あらすじ

市役所で自動相談員として働く小春(土屋太鳳)は、10歳の頃に母親に捨てられたことから、そんな大人にだけはなるまいと誓っていた。祖父の入院、実家の火事などの災難続きなところへ恋人の浮気も発覚。どん底にいた小春は、偶然にもクリニック経営者の大吾(田中圭)を踏切内で助ける。大吾の娘のヒカリにも気に入られた小春はとんとん拍子に大吾と結婚、幸せな生活が始まるが・・・

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ポジティブ・サイド

土屋太鳳の新たな一面が見られる。これまでのどこか受動的なキスではなく扇情的なキス。閨事のはじまりに、事後のピロートークなど、年齢相応の役を演じられるようになってきた。『 累 かさね 』でも鼻持ちならないキャラを演じていたが、本作をもってそうしたキラキラ女子高生および女子大生イメージからは完全に脱却したと言っていいだろう。

 

相手の田中圭も安定感のある演技で応える。さわやか系ではあるが、チンピラから暴力的な刑事まで何でも過不足なく演じられる標準以上の俳優で、今回は哀愁しんでれら相手のプリンス・チャーミング役を好演。白馬に乗った王子様であるが、この王子様は馬刺しを食べる王子様である。

 

役者陣で最も印象的だったのはCOCOという子役。『 コクソン 哭声 』の子役のキム・ファンヒの怪演には及ばないが、それでも最近の子役のパフォーマンスでは白眉。無邪気な小学生の顔ともう一つの顔を見事に演じ分けた。監督の演出と本人の個性がマッチしたのだろう。こういう子どもが『 約束のネバーランド 』にいれば、ミステリーとサスペンスがもっと盛り上がっただろうに。

 

ところどころに人間の根源的な願望というか、見たいものを見るという選択的な意志が働くショットがあり、そこは面白いと感じた。そして、そのビジョンの一つを実現させてしまうラストには笑ってしまった。邦画らしくない邦画で、こうした企画が通り、実現されるのだから、日本の映画界ももう少し見守ろうという気になれる。

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ネガティブ・サイド

土屋太鳳を追い込むなら、もっと徹底的にやるべきだ。男性器をかわいらしく言い換えた言葉も使うが、そこは「あんたの粗末なアレ」とか言うべきだったと思う。序盤と終盤での土屋の変化の落差を印象付けたかったのだろうが、すでにこの時点で小春は不幸のどん底だった。つまり、本音がポロリと漏れやすい状態、思わずきつい言葉を吐いてしまう状態だったわけで、落差を印象付けるなら、ここだった。

 

新居となる家が大きすぎる。『 シンデレラ 』の城のイメージなのだろうが、それなら靴ばかりに不自然にフォーカスするのではなく、小春のバックグラウンドも分かりやすくシンデレラのようにするべきだった。母親に捨てられるというのは辛い体験であるが、その後に家族と共に結構楽しそうに暮らしていては、シンデレラ・ストーリーを成立させにくい。家族によって無意識のうちに抑圧されていたという背景を小春に持たせた方が、荒唐無稽なストーリーにも少しはリアリティが生まれる。

 

その迷い込んでしまった城でも、ホラーのクリシェが多すぎる。薄気味悪いガジェットで埋め尽くされた部屋も既視感ありありだし、気味の悪い肖像画というのもお馴染みのアイテム。シンデレラ・ストーリーを恐ろしいものに見せたいのなら、王子様が怖い人だったという構成ではなく、お城暮らしをするようになったシンデレラが、いつの間にか下々の者を見下すようになっていた、という筋立ての方が説得力があっただろう。山田杏奈演じた小春の妹が大吾にネチネチと嫌味を言われるシーンがあるが、こういった言葉を小春自身が可愛がっていた妹に知らず知らずのうちに浴びせていたという方がサイコな怖さを演出できたと思う。

 

総評

『 パラサイト 半地下の家族 』並みにジャンル・シフトする作品である。だからといって面白さはその域には全然達していない。けれども、邦画が及び腰になっていた領域に果敢に突っ込んでいった点は評価せねばなるまい。ドラマスペシャル『 図書館戦争 BOOK OF MEMORIES 』、『 図書館戦争 THE LAST MISSION 』の二人のreunionを喜べる人であれば、チケットを購入してみてもいいだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

disqualify

失格させる、の意。元々の動詞、qualifyに否定の接頭辞disがくっついたものである。「母親失格です」ならば“You are disqualified as a mother.”となる。他にもunderqualifiedやoverqualifiedなどの語は、外資系で採用に携わっている人はしょっちゅう耳にしていることだろう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, COCO, D Rank, スリラー, 土屋太鳳, 山田杏奈, 日本, 田中圭, 監督:渡部亮平, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 哀愁しんでれら 』 -転落サクセス・ストーリー-

『 フード・ラック!食運 』 -焼肉愛〇 映画愛△~×-

Posted on 2020年11月22日 by cool-jupiter

フード・ラック!食運 50点
2020年11月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:EXILE NAOTO 土屋太鳳 りょう 石黒賢 松尾諭
監督:寺門ジモン

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『 ハルカの陶 』で書いてしまったが、Jovianの実家は焼肉屋であった。自分でも店に短期だが関わったことがあるし、家族で焼肉研究をしていた時期もある。今年の4~5月、さらにその後にも続く飲食業界の惨状を焼肉業界は1996年のO-157、そして2001年の狂牛病ですでに経験していた。だからこそ今も存続している、あるいは新規にこの業界にチャレンジしてきた店には個人的には満腔の敬意を表している。ちなみに監督の寺門ジモンは顔も名前も知らなかったし、今も知らない。嫁さんから「ダチョウ俱楽部やん!」と言われたが、ダチョウ倶楽部というのも名前しか知らない。浮世離れと言わば言え。

 

あらすじ

類まれな食運を持つ良人(EXCILE NAOTO)は、新庄(石黒賢)の依頼で竹中静香(土屋太鳳)と組んで、本当においしい焼肉屋だけを取り上げたグルメサイトを立ち上げることに協力する。静香と二人であちこちの名店を訪れていく良人は、やがて自らの実家、「根岸苑」と母・安江の味の秘密にも迫っていくことになる・・・

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ポジティブ・サイド

焼肉愛が画面を通じて伝わってくる。なんでもかんでも炭火を良しとする向きがあるが、劇中で良人の指摘する通り、炭火はムラがある。本当に炭火に特化した焼肉を提供するなら、タンもカルビもロースもホルモン系もすべて切り方や厚みを変えなければならない。本作はガス焼きの店ばかりが登場し、そのいずれもが薄切り肉に特化している。この一貫性は見事である。

 

また焼肉という料理の特性もしっかりと捉えた議論ができている点も素晴らしい。焼肉というのは一部のお好み焼きや鍋料理と並んで、最後の調理部分を客が担う料理である。だからこそ、店は客と信頼関係を結んでいて、場合によっては一見さんお断りも可能になるとJovianは解釈している(そういう意味では寿司屋の一見さんお断りは意味がちょっとわからない)。良人が焼き方にとことん真剣にこだわる姿勢は元焼肉屋として非常に好ましいものとして映った。

 

良人というキャラが食のライターとして葛藤するところも良い。自分の書いたものが正しく解釈されず、店を苦境に追いやってしまう。それはとても恐ろしいことだ。実際にそうした影響力を持つ個人というのは存在するし、ごく最近でもとある前科者のIT実業家が餃子店の経営を窮地に追いやった。Jovianも映画の出来をコテンパンに酷評することがあるが、それによってダメージを受けている人がいるのかもしれないと感じた(ただし、自分はクソ作品にも美点を見出す努力を忘れていないつもりである)。良人のまっとうな人間としての感覚が、彼の人間ドラマの部分、すなわち母親との関係性や食への向き合い方にリアリティを与えている。

 

相棒となる竹中静香というキャラも悪くない。はっきり言って仕事ぶりはちょっとアレだが、その分、良人の母親への接し方に素の人間性がよく出ていたように思う。余命いくばくもない人間には元気に接するぐらいでいい。息子のパートナーとなるかもしれないと母親に予感させるような女性は、妙にへりくだるよりも堂々としているぐらいがいい。土屋太鳳も年齢的に演じる役柄の転換点を迎えているが、女子高生役ではなく新卒社会人役をまずは違和感なくこなせていた。そして安江役のりょうの若作りと病床での痩せ具合。首筋にしわが大きく見えていたのは、特殊メイクではなく本当に減量した結果なのだろうと思わせてくれた。本作はある意味で一から十まで安江の幻影を追うストーリーである。様々な焼肉職人らと時代や地域を超えて協業してきた安江とその夫のストーリーは描かれることはないものの、その立ち居振る舞いと存在感でキャラクターの重厚性を表現したのは見事の一語に尽きる。

 

焼肉を提供する側の努力や工夫をさりげなく見せているところも好感度が高い。エンドクレジットで一瞬映る厨房には包丁がパッと見で10本ほどあった。Jovianの実家は8本。回らない寿司屋だと1~4本ぐらいが多い気がする。焼肉屋は実は日本で一番包丁を使い分けているところなのだ。また熟成肉を解体するシーンが見られるところもポイントが高い。なぜそれが熟成肉だと分かるのか。店で解体しているからだ。つまり、〇月×日から□月△日まで冷蔵庫で寝かせておいたということが証明できる。今はどうか知らないが、20年ほど前は「熟成肉でござい」と言って売ってくる業者もいたのである(しかも港のマイナス60度とかの倉庫で半年眠っていたような肉)。上等かつ良心的な焼肉屋の舞台裏を大スクリーンで見せるところに寺門ジモンの肉愛が感じられる。エンドクレジットというのが心肉い、いや心憎いではないか。

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ネガティブ・サイド

寺門ジモンに焼肉愛があることは分かったが、映画愛はそれほどでもないのだろう。愛とは愛情だけではなく造詣や、新境地を切り拓いてやろうというフロンティア・スピリットは感じ取れなかった。たとえば「焼肉が最高の演技をしたらどうなる?」とトレイラーは散々煽ってくれたが、果たして肉に熱が加えられていく様をこれまでにない角度で撮影できたか?その音をこれまでにないクオリティで録音できたか?全くダメだった。肉の焼ける様を鉄板や網の裏側から映す、あるいは俯瞰視点からズームインして秒単位で経時的に肉の表面の焼き色がどう変化していくかを捉える“通”の目線など、新規の実験的なカメラワークはまったくなかった。音響にしても同じで、肉が焦げ、脂がはじける音に究極的にフォーカスしたか。一切していない。既存の映画の調理シーンとなんら変わることのないアプローチで、これで「焼肉が最高の演技をした」ところを捉えたとはとても言えない。肉好き、肉通ではあっても映画好き、映画通の作劇術ではない。

 

ストーリーにも説得力がない。本物の店だけを掲載するサイトを作るというが、そんなものの需要がいったいどこにあるのか。Jovianは食べログを盲信してはいないが、集合知というものに対しては楽観的な見方をしている。ごく少数の人間が意見や情報を世に発信するというのはインターネット以前のマスメディア的な権威のやり方そのものであり、敢えて時代に逆行するやり方を採用するからには、既存の集合知(たとえば食べログ)の弱点を修正する、あるいは補完するという意義が必要である。だが結局やっているのは古山というもう一人の権威者との対決で、だったら食べログなどの設定は一切無視して世の中の権威と称される人間に挑戦していく筋立てにするか、食べログには乗らない上質なお店を丹念に救い上げていく筋立てするか、そのどちらかで良かった。安江と良人の関係性を描いていくのなら前者だけにフォーカスすればよく、やたらと「食べログが~、食べログで~」というのは単なるノイズになってしまった。

 

また良人が食運を持っているという設定がまったくもって活かされていない。独特の感覚で上手い店を発掘するという才能も、結局は冒頭の一軒だけ。あとはすべて静香に連れられて行く食べログで星が云々の店がメイン。せっかくの食運という魅力的な属性設定が台無しの脚本である。また静香も正攻法の取材をするのか覆面取材をするのかがはっきりしない。このあたり、脚本を通読した時に誰も何も思わなかったのだろうか。

 

全体的に肉にばかり目が行ってしまい、焼肉屋のその他の工夫を救い上げられていない。冒頭で古山と鉢合わせする店は無煙ロースターがあったにもかかわらず、もくもくと煙が上がっていて、「これは煙とにおいに関するうんちくが聞けそうだ」と期待したが何もなし。その他の無煙ロースターを敢えて使わない店で「いよいよ何か語ってくれるか?」という店でも何もなし。それやったら最初の店は煙の演出いらんやろ・・・結局のところ、牧場の直売契約や仲買業者との付き合いができるかどうかで手に入れられる肉の味は大きく左右される。であるならば焼肉屋で本当に見るべきところはタレや各種調味料であったり、キムチやスープ類などのサイドメニューである。そのあたりをもう少し物語に組み込むべきだったと思う。

 

ひとつ気になったのが和牛と米国産輸入牛の違いを良人が古山と議論していた場面。「お、禁断の和牛と国産牛の違いに触れるのか?」と期待したが、それは無し。興味のある方は「和牛 国産牛 違い」でググられたし。日本の食肉業界および行政の闇が垣間見えることだろう。

 

余談だが、Jovianの実家の店のタレは醤油ベースの至ってノーマルなものだったが、隠し味にピーナッツを炒ったものを粉末にして混ぜていた。同じくキムチも至ってノーマルだったが、味付けのために殻をむいたエビを電子レンジで15~20分加熱してパリパリにしたものをゴマすり器で粉末状にしたものを一緒に漬け込んでいた。良い機会なのでここに記録を残しておく。

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総評

肉通には面白い作品かもしれないが、では映画通を唸らせるか?というとはなはだ疑問である。お笑い芸人が映画監督をやってみましたという作品なら『 洗骨 』の方が優っている。こうして考えてみると北野武というのは相当に特異な才能の持ち主なのだなとあらためて思わされる。焼肉好きなら劇場へ行こう。映像美やドラマを求めるなら、スルー可である。

 

Jovian先生のお勧め焼肉屋 

岡山県岡山市の焼肉韓国料理 『 南大門 』

肉も内蔵も鮮度抜群。ユッケやナマセンも超美味だった。岡山の親戚、ホテルOZやホテルmesaのオーナー御用達の名店。もう7~8年行っていないが、食べログによるとまだまだ頑張っているようだ。

 

大阪府大阪市の『 万両 』(南森町店)

某法律事務所の専従経営者の方のお勧め。グルメリポートをやる芸能人やアナウンサーは極度のボキャ貧で「美味し~、やわらか~い」ぐらいしか言えないが、それは主に「脂」の味と触感。ここは「肉」の味と触感を重視している。肉の繊維質まで味わえる、王道でありながら数少ない焼肉屋。

 

大阪府大阪市の和匠肉料理 『 松屋 』(阪急うめだ本店)

文の里の商店街のポスターの文句「いいものを安くできるわけないやろ!」の精神を発揮して、「いいものやから高いに決まってるやろ!」で商売している。肉の柔らかさと噛み応えの両方を堪能させてくれる稀有な店。Jovianは夫婦の誕生日や結婚記念日に行く。それぐらい値段が高く、しかしプレミアム感のあるお店。機会があればぜひ来店されたし。ちなみに『 松屋 』はJovianの大学の後輩の弟が現社長だったりする。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, D Rank, EXILE NAOTO, ヒューマンドラマ, りょう, 土屋太鳳, 日本, 松尾諭, 監督:寺門ジモン, 石黒賢, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 フード・ラック!食運 』 -焼肉愛〇 映画愛△~×-

『 春待つ僕ら 』 -あまりにも薄っぺらいバスケと恋愛のコラボ-

Posted on 2018年12月26日2019年12月6日 by cool-jupiter

春待つ僕ら 40点
2018年12月16日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:土屋太鳳 北村匠海 小関裕太
監督:平川雄一朗

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巷間言われて久しいが、土屋太鳳は本当にもうそろそろ女子高生役は卒業すべきだ。せっかく『 累 かさね 』で一皮むけたところを見せながら、これでは元の木阿弥ではないか。彼女のハンドラー達は何をやっているのだろうか。また、今作も漫画を映画化するにあたって、漫画的な文法を取り入れている。映画と漫画は異なる媒体なのだから、世の映画監督たちはもっと原作者と突っ込んだ議論を行い、おおいに芸術論を戦わせればよい。原作者や原作ファンをリスペクトすることと、彼ら彼女らに阿ることは全くの別物なのだ。

 

あらすじ

春野美月(土屋太鳳)は引っ込み思案な女子。しかし、高校入学を機に自分を変えようと思い、周囲に溶け込もうと努力するも空回り。そんな時、バイト先のカフェで同じ高校のバスケ部の面々と知り合うことに。バスケ部と過ごすうちに確かな変化を実感する美月の前にしかし、幼馴染が現れて・・・

 

ポジティブ・サイド

どうしても題材として同じ競技を扱う『 走れ!T校バスケット部 』と比較せずにはいられない。バスケをプレーしているシーンに限っては、本作の圧勝である。T高の方は、あまりにも珍妙なプレーシーンが多かったし、何よりもストーリーとバスケの試合内容が噛み合っていなかったのが致命的だった。本作は、役者連中にかなりバスケを練習させたと見え、一連のプレーやシュートシーンに合成の類はほとんど無かったように見えた。これは大きな加点材料だ。特に北村匠海と磯村勇斗は意外にバスケの動きが様になっている。経験者なのだろうか。

 

また小関裕太も良い味を出すようになった。演技力には改善の余地があるが、何を観ても金太郎飴的な演技しかできないアイドルやなんちゃって役者が跳梁跋扈する日本映画界で、それなりに幅のある役を任せられる(それらを見事に演じ切っているかどうかは別にして)というのは、ポテンシャルが認められてのことだろう。本作でもかなりユニセックスな演技を披露してくれる。来年か再来年には、『 クローズ 』に出ていそうなヤンキー役をやってくれないだろうか。

 

ネガティブ・サイド

これでもかというぐらい欠点や弱点がある作品だが、それらを全て指摘することに意味は無い。なので、どうしてもこれだけは見逃せない、許せないという類のものに焦点を当てたい。

 

まず第一に、北村匠海のキャラ、永久に「寝たらなかなか目覚めない」などという属性付けは必要だったか。そんな『 SLAM DUNK 』の流川の二番煎じキャラに何の意味があるのだ?原作がそうなっているからといって安易にそれを踏襲し、そして肝心の映画ではその属性に何らかの意味があったのだと感じさせるシーンがゼロと来れば、監督に文句の一つや二つも言いたくなる。10巻以上の漫画の物語を2時間という尺に過不足なく収めるのは至難の業だ。それこそが脚本や監督の腕の見せ所のはずなのだが・・・ また同じシーンで美月が「起きて!!」と大声を出すシーンがあるが、これも必要だったか?引っ込み思案で内気な少女が、友情に触れることで変わり、成長し、仲間の応援のために心の底から大声を張り上げられるようになる、という余りにも分かりやすい展開のために、美月の大声はもっと後までとっておくべきではなかったか。といっても、トレイラーで件のシーンはしこたま強調されているので、今更そんな指摘をしても詮無いことではあるのだが。

 

バスケのプレーについては、それなりにリアリティのある絵を撮れていたものの、その他の描写が弱い。というよりも首を傾げざるを得ないものもある、というのが残念である。例えば、いくらアメリカ帰りのバスケの申し子とはいえ、シュート成功率90%はないだろう。NBAのトップ中のトップでもフリースロー成功率が90%を超えるのはイースタン、ウェスタン、両カンファレンス合わせても毎年10人にも満たないはずだ。それこそシャキール・オニールを日本の高校に連れて来てプレーさせでもしない限り、そんな数字は絶対に生まれない。漫画は漫画であるが、映画とは大きな嘘をつくために細部のリアリティに徹底的にこだわりぬかねばならないのである。

 

最後に、永久と亜哉の 1 on 1 のシーン。何度も倒され、顔に泥がついた永久のシャツがびっくりするぐらい真っ白なのはどういうことなのだろうか。また、「チャラくは無いな、皆マジでバスケやってるから」と豪語する部員たちのスポーツバッグが、夏を過ぎても新品同様にしか見えないのは何故なのか。運動部の連中がバッグを使いこめば、数カ月もすれば、あちらこちらに擦り傷や綻びが目立ってくるものだ。そうした、バスケに費やした時間を観る者に感じさせる小道具が一切出てこないのが最大の減点材料だ。平川監督はそれなりにキャリアがあるが、もう一度、映画監督の仕事とは作品世界を存立させるに足るリアリティを担保することであるということを勉強し直してほしい。

 

総評

40点なのか45点なのか悩んだが、総合的には『走れ!T校バスケット部』と同点か。バスケシーンでは本作の勝ち。バスケ以外のリアリティはT高の方が上。しかし、良作とも光るところはあるものの、欠点の方が大きく目立った。土屋や北村のよほどのファンでなければ、わざわざ劇場でチケット代を払ってまで観ることはない。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, スポーツ, 北村匠海, 古関裕太, 土屋太鳳, 日本, 監督:平川雄一朗, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 春待つ僕ら 』 -あまりにも薄っぺらいバスケと恋愛のコラボ-

『 累 かさね 』 -幻想の劣等感と幻想の優越感の相克-

Posted on 2018年9月12日2020年2月14日 by cool-jupiter

累 かさね 70点
2018年9月9日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:土屋太鳳 芳根京子 浅野忠信 筒井真理子 生田智子 檀れい
監督:佐藤祐市

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主人公もしくは主役級のキャラクターの容姿の醜さを主題に持つ作品は、古今東西で無数に生み出されてきた。戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』を始め、小説およびミュージカルにもなったガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』(ミュージカルは複数のバージョンがあるが、アンドリュー・ロイド・ウェバーのもの一択)、芥川龍之介の小説『鼻』の禅智内供、漫画の神様・手塚治虫の分身ともいえる猿田博士および系列のキャラ、百田尚樹作品の中でJovianが唯一評価している小説および映画『モンスター』、沢尻エリカの『ヘルタースケルター』、作者に目を向けるならば岡田斗司夫や本田透の自己認識も挙げられるだろう。今年の映画で言えば『ワンダー 君は太陽』を忘れてはならない。また『サニー 永遠の仲間たち』、『SUNNY 強い気持ち・強い愛』にも、重要なモチーフとして現れるテーマであり、『デッドプール』のウェイド・ウィルソン、『美女と野獣』の野獣、『エレファント・マン』、『フランケンシュタイン』(ボリス・カーロフver)の怪物、漫画およびテレビドラマ『イグアナの娘』など、顔・容姿の美醜を扱う作品は数限りなく存在する。そこに、なんと“顔を入れ替える”というアイデアをぶち込んだ時点で、原作漫画のある程度の成功は約束されていた。『フェイス/オフ』のように、ニコラス・ケイジとジョン・トラボルタの顔を入れ替えても、話は面白いかもしれないが、それが目の保養になるかと言えば、ならない。しかし、土屋と芳根の顔を入れ替えるのである。発想の勝利である。監督がこの原作を選んできたのは、この二人がキスをする画を撮りたかったからではないかとすら邪推する。

大女優の淵透世(檀れい)は死の前に、我が子の累(芳根京子)に顔を入れ替える不思議な力を持つ口紅を遺していった。顔に醜い傷を持つ累は、母譲りの天才的な演技力を有しながら、自分に対する劣等感を拭えないままに生きてきた。そこに羽生田釿互(浅野忠信)が現れ、丹沢ニナ(土屋太鳳)という美女ではあるものの演技力には欠ける女優の替え玉となる話が持ちかけられる。戸惑いながらも、ニナの顔を一時的に得ることで、周囲の人間の見る目が変わることを実感した累は、気鋭の舞台演出家の烏合零太(横山裕)の劇のオーディションにも見事に合格。ニナと累の二人は、奇妙な共犯関係を築いていく・・・

まず何と言っても、土屋太鳳が殻を破ったことを何よりも称えたい。山崎賢人が『羊と鋼の森』で殻を破ったのと同じ、あるいはそれ以上の飛躍が見られた。なぜなら、キャピキャピの、もしくは過度に大人しい女子高生役から遂に脱皮を果たしたからだ。後は有村架純が『ナラタージュ』で見せたような濡れ場シーン解禁を待つばかり・・・というのは冗談だが、それにしても「演じること」を演じるというのは、非常に難しいことだ。それを、プロット上でいくつか気になるというか無理な点はあるにしても、最後までやり遂げたことに拍手を送りたい。相対する芳根京子も、最初から顔が整い過ぎているのがチト気になるが、根暗な雰囲気だけではなく、対人スキルに問題を抱える、ある種の人間特有の挙動不審さ、表情や目線の不自然さまでを上手く表現できていた。この目立たないが、確かに累の者であると言える仕草や姿勢を体現したことが、一人二役、二人一役を実質は土屋太鳳が1.5人分を担っていたにもかかわらず、ダブル主演として売り出すことができ、なおかつ観る者もそれに納得できる最大の理由であろう。

容姿・容色に劣るものは内面まで劣るのか。それとも、心の内の美しさや清らかさは、外見とは無関係なのか。我々は往々にして、両者は反比例の関係にあるのだという風に、人の属性を画一的に断じてしまいたくなる。しかし、冒頭で述べたように、顔の美醜と内面の美醜は実に複雑な関係にあり、分類するとなると累はオペラ座の怪人の系譜に連なるキャラクターである。怪人はクリスティーヌへの思慕故に、シャニュイ子爵を殺そうとする。累も、烏合への想いを契機に、ニナの人生までも乗っ取ろうとする。これなどは、本田透が著作でたびたび言及するように、オタク的な生活と奇妙な相似形を為している。オタクは対人関係に障害を抱えるが故にキャラクターおよびキャラクター世界に没入する。累は、対人への劣等感故に、丹沢ニナという美少女キャラに没入する。自分ではないキャラクターを通じて何らかの世界と関わりを持つという点で、累は重度の「コミュニケーション不全症候群」に罹患していると見てよい。

そんな累を変えるのは、美しい顔を得ること以上に、顔ではなく内面に興味を抱いてくれる烏合の存在。どうせ誰も自分には話しかけてくれない、笑いかけてくれない、触ってもくれない、愛してもくれないし、抱いてもくれない。グリザベラだ。そんな思いに凝り固まった累を見る時に、我々は劣等感とは自分で自分を自分ではない者に貶める時に生じる感情であることを知る。劣等感とは幻想なのだ。現に、累の顔になっている時のニナは、周囲の目線など一切気にすることなく街を歩いていくし、芝居の稽古の現場にだって踏み込んでいく。こうした行動に、我々は清らかさを感じない。予告編にもあるのでネタバレに当たらないはずだが、ニナは累に「私はアンタみたいに中身まで醜くないから」と言い放つ。しかし、物語前半のニナはどこからどう見ても醜い内面の持ち主で、それがほんの些細な言動や表情に表れる嫌な女の典型だった。優越感も、実際に他者よりも優れているから得られるわけではなく、これまた幻想なのだ。

顔を入れ替えることで、浸食されていくニナの人生。同時に、累の思考や行動にも変化が生じるが、それらは決して気持ちの良いものではないことだけは言っておかねばならない。これは決して醜いアヒルの子のようなおとぎ話ではないのだ。それでも、『不能犯』とはまた異なる方向で、このようなダークストーリーが産生されることには大きな意味があるし、あまりにも典型的かつ定型的な漫画ばかりが映画化されるこのご時世に、大きな楔を打ち込む作品がもっと生み出されるべきなのだ。昨年、カナダ旅行に行った時に、現地の子供向けアニメの主人公が補聴器を使う女の子だったことにビックリしたことを覚えている。それだけではなく、その壊れた補聴器を修理してくれる人は義足を嵌めていた。障がいも個性。そうした考えに日本が追いつくのには今しばらくの時間がかかりそうだ。本作は単なるエンターテイメントとしてだけではなく、傷のある人間を初めて大々的にフィーチャーした作品として記憶されるのかもしれない。

本作にも残念ながら、いくつかの減点要素が存在する。その最大のものは、累とニナが相互に仕掛けるトリックだ。舞台に携わったことのある人なら、タイムキーピングの難しさは「骨の髄まで」分かっているはずだ。ふとしたことで全てが崩れ去ってしまうような、そんな危うい賭けに、ニナはともかく累が乗るだろうか。ここだけがどうしても納得できなかった。またニナにはとある秘密があるのだが、その秘密がよくもそこまで都合よくコントロールできたものだ、と呆れてしまうような類のものとして利用される。もし、累がニナの演技に気付かなかったら・・・、いや、そこは気がつくのだろうが、もしニナが復讐を企図しなかったら、窮地に陥っていたのは累だったはずだ。何がそこまで、累を確信させていたのだろうか。この点も最後の最後は気になって仕方がなかった。

という具合に最後に文句を垂れてしまったが、本作は普通に面白い。時間とカネを使って、劇場まで観に行く価値ありと声を大にして言える秀作である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, サスペンス, スリラー, 土屋太鳳, 日本, 浅野忠信, 監督:佐藤祐市, 芳根京子, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 累 かさね 』 -幻想の劣等感と幻想の優越感の相克-

トリガール!

Posted on 2018年5月31日2020年1月10日 by cool-jupiter

トリガール! 50点

2018年5月30日 レンタルDVDにて鑑賞
主演:土屋太鳳 間宮祥太朗
監督:英勉

英監督については、貞子シリーズと『ヒロイン失格』が駄作、『あさひなぐ』は佳作、その他は未見ということで、さほど期待せずに本作を借りてきた。結果は可もなく不可もなくといったところ。メリットとデメリットの両方を感じさせる作品であった。

メリットに関しては、土屋太鳳の少し異なる面が引き出されていたということ。これまではやたらとブリっ子役ばかりをあてがわれていたが、やっと毒のあるキャラも演じられるようになってきた。一浪して工業大学に入学してきた鳥山ゆきな(土屋太鳳)がひょんなことから人力飛行サークルに入会するところから始まる。大学行きのバスでいきなりメガネ男子に四方を囲まれてパニックになるシーンが、これから登場するパートナーを見事に予感させるコントラストになっている。そう、メガネをかけて出てくる奴は恋愛対象外ですよ、とのっけから教えてくれているわけだ。なんという分かりやすさ。オタクが恋愛対象外なのではなくメガネが恋愛対象外なのだ。そそっかしい人は混乱するか憤慨してしまうかもしれないが。

そのお相手は間宮祥太朗演じる坂場大志。非常に分かりやすい。なぜならメガネをかけていないけれど、オタク趣味全開だからだ。涼宮ハルヒとクローズが好きとか、もはや観る者を笑わせにかかってきているとしか思えない。そんな間宮も、桐谷健太とかぶる演技を見せつつも、演技力では桐谷よりも上であることを立派に証明している。元々『ライチ☆光クラブ』から『帝一の國』に至るまでエキセントリックな役でこそ輝くタイプ。今回もハマり役であったと評価できる。だが、それはあくまで演技者としてであって、登場人物としてではない。

本作のデメリットは明白で、ストーリー展開のペースが滅茶苦茶であること、そして人力飛行サークルの努力や醍醐味が充分に掘り下げられた形で描かれていないことだ。中盤のミーティング風景や材料の組み立て過程などをもう少し深めることができていれば、単に鳥人間コンテストを目指すサークルを舞台にした物語からもう一段上のリアリズムを得られただろうに。それを欠いてしまったが故に坂場が前年の失敗からあと一歩を踏み出せなくなってしまった場面に深みが生まれてこないのだ。観る者は皆、「ああ、こいつは見た目とは裏腹にオタク趣味をこじらせた不器用な奴だからこそ、仲間が苦労して作り上げてくれた飛行機を琵琶湖の藻屑にしてしまった罪悪感に苛まされているんだな」と思いたいのに、単に足がつかないくらい深い水場が怖いのだと言うのだ。いや、百歩譲ってそれが本当の理由だとしても、その恐怖を克服するために仲間が飛行機作りに費やした涙と苦労に思いを馳せて・・・というシーンが一瞬でもあれば納得できるのだ。

本作は土屋太鳳の新たな一面と間宮祥太朗の安定した演技に寄りかかり過ぎて、物語に深みを与えることに失敗した、あるいはそのことを放棄した。英監督の手腕の限界とも言えよう。しかし、この二人以外にも魅力的な俳優が結構あれこれ出演しているし、ナダル演じるペラ夫は漫画の『 げんしけん 』の部長的なポジションながら、精神的になかなか大学生を卒業できないヤングアダルトを上手く表現できていた。観て満足できるかと問われれば否だが、損をしたと感じるほどでもない。梅雨の時期に何もすることがなければ、レンタルなどで楽しむ分には良いのではないか。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ロマンティック・コメディ, 土屋太鳳, 日本, 監督:英勉, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on トリガール!

『 となりの怪物くん 』 -孤独な怪物のビルドゥングスロマン-

Posted on 2018年5月16日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:『となりの怪物くん』 55点
場所:2018年5月4日 MOVIXあまがさきにて観賞
主演:菅田将暉 土屋太鳳 池田エライザ 浜辺美波
監督:月川翔

原作の漫画の方では怪物である春はもっとぶっ飛んでいて、雫の方はもっと冷淡だったように思うが、そこは映画という枠組みに上手く嵌め込むためか、キャラ設定がややトーンダウンしていたようだ。

菅田将暉はさすがの安定感で、奇声を上げてニカッと笑うキャラが良く似合う。またはシリアスさの中に無邪気さを織り交ぜることにも長けている。けれど、なにか影が薄いのだ。存在感が無いというわけではなく、精神に陰影を持つキャラをなかなか演じる機会がないせいか、その高い演技力のポテンシャルはこれまで十全に引き出されてこなかった。そして本作でも従来通りの菅田将暉だ。

相対する土屋太鳳もややマンネリ気味か。同世代のフロントランナーの一人、広瀬すずがやや迷走を見せているが、土屋はいつになったら新境地に挑戦していくのか。こんなことを言うと完全にオッサンの世迷言か妄想になるのかもしれないが、いつの間にやら一定の年齢に達していて、ある時突然「脱いでもOK」になった蒼井優みたいになってしまうのでは?それはそれで歓迎する向きも多かろうが。それでも保健室で夕陽を浴びながら春に迫っていくシーンは、これまでにない色気があった。撮影監督や照明、メイクさんの手腕もあるだろうが、土屋本人の役者としての成長を垣間見れたような気がした一瞬でもあった。

少し残念だったのは委員長の浜辺美波の出番がかなり少なかったこと。「え、これでお役御免?」みたいな感じでフェードアウトしてしまう。『君の膵臓をたべたい』から着実なステップアップを見せてくれるかと期待したが・・・ それでもこの子の眼鏡姿は西野七瀬の眼鏡っ子ver並みに似合っている(と個人的に確信している)。池田イライザは反対にほとんど印象に残らなかった。

ストーリーは分かりやすく一本調子とも言えるが、春が家族に対して抱える苦悩を、なぜ雫は素直に共感できなかったのか。母親の不在とその距離、その穴埋めが、春の境遇への理解を妨げたというのなら、もう少しそれを感じさせるシーンが欲しかった。周囲の人間がさせてくれること、してほしいと思うことは、往々にして自分のやりたいこととは一致しない。必ずしも一致したから良い結果になるわけではないのだが、春という怪物の居場所が家庭にあるのだと雫が確信できるようなショットが一瞬でもあれば、物語全体の印象も大きく変わっていたはずだ。編集で泣く泣く監督もカットしたのかもしれないが。

月川監督は小説や漫画の映画化を通じて着実にキャリアを積み重ねている。オリジナルの脚本に出会って、それをどのように料理してくれるのか、今後にも期待できそうだ。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ロマンティック・コメディ, 土屋太鳳, 日本, 監督:月川翔, 菅田将暉, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 となりの怪物くん 』 -孤独な怪物のビルドゥングスロマン-

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