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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: ブラック・コメディ

『 スターリンの葬送狂騒曲 』 -ブラックコメディの秀作-

Posted on 2022年10月20日 by cool-jupiter

スターリンの葬送狂騒曲 75点
2022年10月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:サイモン・ラッセル・ビール スティーブ・ブシェーミ オルガ・キュリレンコ
監督:アーマンド・イアヌッチ

安倍元総理の国葬儀が終わった。故人の政治家としての評価は10年後に(ネガティブなものとして)定まるのだろう。面白いのは安倍氏の死に際して、多くのメディア関係者や政治関係者が我先にと情報発信の競争をしていたこと。そこが本作と似ているなと感じて、この度レンタルで再鑑賞。

 

あらすじ

ソ連を長年支配してきたスターリンが急死した。国葬がしめやかに執り行われるが、舞台裏ではフルシチョフ(スティーブ・ブシェーミ)やベリヤ(サイモン・ラッセル・ビール)といった実力者たちが、次期最高権力者の座を狙って暗闘を繰り広げつつあった・・・

 

ポジティブ・サイド

『 バイス 』では危機に際して権力の拡大を模索する副大統領の姿が描かれたが、本作ではガッツリと権力闘争が描かれる。しかもその闘争がまさに政治的で、それをさらに英国流のブラックユーモアたっぷりに描写するものだから、面白くないわけがない。

 

脳梗塞で倒れたスターリンを見て、ベリヤは元米国副大統領のチェイニーさながらにチャンス到来を予感する。フルシチョフやマレンコフ、モロトフなど有力政治家が次々に現れるが、誰も本気でスターリンのことを心配していない。このあたり、本邦の元総理が教団凶弾に倒れた時の多くの政治家や取り巻きだったメディア関係者、曲学阿世の徒たちとそっくりではないか。今の清和会の中身なんか、案外こんな感じなのではないだろうか。

 

別にスターリン時代のソ連について詳しくしらなくても本作は楽しめる(本当は楽しんではいけない内容だが)。ポイントは粛清である。まあ、それも北朝鮮を見ていれば分かるか。もしくは韓国の時代劇ドラマでもよい。スターリンの娘に誰が一番最初に駆けつけるかという、まさに dick measuring contest をソビエト連邦の権力者たちが大真面目にやっているのには笑うしかない。国葬にも弾圧されていた宗教関係者がゾロゾロと参列。これも社会主義以外の権威を認めないソ連ならでは。このあたりのブラックユーモアも英国流か。

 

ジューコフ元帥が登場してきたあたりがコメディのピークで、そこから先は英国俳優たちの演技バトルに突入していく。特に権力奪取に邁進するベリヤと、それを止めんとするフルシチョフの狡猾な立ち回りの緊迫感よ。そして失脚したベリヤと、彼を一気に粛清せんとする勢力の最後の舌戦はまさに演技合戦と呼ぶにふさわしい。

 

今、プーチンが失脚したらどうなるのか。そうしたことを考えてみるのに格好の材料だろう。

 

ネガティブ・サイド

これを全部ロシア語でやったら、あるいはロシア人キャストでやったら90点をつけたくなるだろうな。英語だから理解できる、英語だからより面白さが増す面はあるにしても、ロシア語でやってくれたら、きっともっとユーモアやサスペンスが増したに違いない。

 

中盤から終盤にかけては一種のポリティカル・サスペンスで、『 シン・ゴジラ 』並みの台詞に応酬になる。もっと目で味方と意思疎通し、目で政敵を刺すような、そんな演出が欲しかった。

 

総評

不謹慎かもしれないが、特別軍事作戦におけるロシアの劣勢や安倍元総理の国葬(と言っていいだろう)を下敷きに本作を観ると、公開当時とは見え方が著しく異なる。今だからこそ余計に面白いわけだが、それはタイムリーな作りになっているからではなく、ソ連特有の病理と見せかけて、実は普遍性のある事象を扱っているからだろう。ソ連史などの予習は不要。極端な話、暴力団や企業の代替わりだと思って鑑賞してもいい。大学生以上なら本作の本質を理解できるはずだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

faction

「派閥」の意。ラテン語の facio = 「行う、作る」から来ている。事実=fact も facio を語源に持つ。日本だろうとソ連だろうと、人間というのは派閥を作ってしまう悲しい生き物のようである。 

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 ドライビング・バニー 』
『 秘密の森の、その向こう 』
『 グッド・ナース 』

 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, イギリス, オルガ・キュリレンコ, サイモン・ラッセル・ビール, スティーブ・ブシェーミ, ブラック・コメディ, 監督:アーマンド・イアヌッチ, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 スターリンの葬送狂騒曲 』 -ブラックコメディの秀作-

『 犬も食わねどチャーリーは笑う 』 -ペーシングに難あり-

Posted on 2022年10月4日 by cool-jupiter

犬も食わねどチャーリーは笑う 50点
2022年10月2日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:香取慎吾 岸井ゆきの 井之脇海 中田青渚
監督:市井昌秀

『 箱入り息子の恋 』の市井昌秀監督の最新作。夫婦喧嘩は犬も食わぬとの言葉通り、夫婦のいさかいは放っておくに限るのである。

 

あらすじ

裕次郎(香取慎吾)と日和(岸井ゆきの)は円満夫婦。しかし日和は裕次郎への不満を旦那デスノートというサイトに書き込んでいた。ひょんなことから自分に当てはまる書き込みを見つけた裕次郎は疑心暗鬼に。そんな中、日和の旦那デスノートへの書き込みを基に本を出版したいという話が持ち上がり・・・

ポジティブ・サイド

サラリーマン川柳ではしばしば男、それも中年男性の悲哀が浮き彫りになるが、よくよく考えてみれば女性、特に妻の声というのは公にはあまり語られてこなかった。それを大々的に拾って公開しようという旦那デスノートというサイトは画期的である。

無邪気で仕事熱心だが、家庭人としてはダメダメである裕次郎を香取慎吾が好演している。特にホームセンターの副店長としての仕事っぷりは堂に入っている。Jovianも結婚の際に家電量販店で数十万円分の買い物をしたが、その時に数時間付き添ってくれた店員さんが、まさに裕次郎のような仕事人だった。電子レンジ、冷蔵庫、洗濯機、トースター、テレビ、HDDレコーダー、LED照明まで何を尋ねてもスラスラ答えてくれた。香取慎吾を見て、その時の店員さんを思い出したし、男はやっぱり仕事してナンボやなと感じたが・・・これが実は後々大きな伏線になっていたの見事。

 

岸井ゆきのも古風かつ現代風の妻を好演。嫌な顔一つせず家事をこなし、ブランチを食べているはずの夫が「これは朝食、ランチはキーマカレーがいい」と言っても、(パッと見では)素直に従ってくれるところが非常に怖い。目が笑っていないのである。キーマカレーを作ったことがある人なら分かるだろうが、肉を細かく叩くのはなかなかの手間である。カレーもレトルトならまだしも、ルーから作るとなると、最低でも40分はかかる。裕次郎の仕事能力の高さと家政能力の低さが、日和を苛立たせるのが手に取るようにわかる。

 

この、一見してどこにでもいそうな夫婦の危機が、旦那デスノートならびに周囲の人間関係も巻き込んで進行していく。サブプロットも凝っている。井之脇海のマリッジブルーや、中田青渚の裕次郎攻略などは普通に面白い。だが最大の見所はやはり夫婦の歴史だろう。一緒に選んだ家具、一緒に選んだ小物、一緒に選んだ家。結婚という制度=システムに乗ることで個人としての意思が消えてしまうかのように錯覚するのはよくあること。しかし、自分が誰かを心から愛おしく思うこと、誰かと生涯添い遂げたいと願うことは、結婚というシステムが存在しなくても、発生しうる願望だ。本作が多くの人にそのことを思い出させるきっかけとなればと思う。

 

ネガティブ・サイド

香取慎吾演じる裕次郎が、それなりにリアルではあるものの、共感するにはチト足りない。『 喜劇 愛妻物語 』の豪太のように、突き抜けた情けなさや低すぎる年収といった弱点がないからだ。男は自分と共通する欠点を見て共感はしても、優越感は抱かない。コメディであるなら、明らかな弱点設定が必要だったが、それがないことが大きなマイナスになっている。

 

作品の肝であるべき旦那デスノート、さらにそこに密かに書き込んでいる日和とそれに気付いてしまう裕次郎という、メインとなるべきプロットが序盤早々に終わってしまう。ここを面白おかしく引っ張ることで、とある事実が明らかになる中盤、そして本格的な夫婦の危機が訪れる終盤の展開がシリアスさを増す。そして、それによりエンディングのカタルシスも増していくはずではなかったか。

 

その最終盤の展開も間延びしすぎ。裕次郎が日和のもとに乗り込むシーンはあまりにも緊迫感がなさすぎる。部外者がコールセンターに入れるはずがないし、あれほど受電するコールセンターであんなまねをされたら、どれだけ積滞することか。だが、このシーンの最大の問題は日和の発言や姿勢だろう。自らの仕事に誇りを感じていると裕次郎に言っておきながら、職場であの言い草はないだろう。このシーンだけで、ここまでの1時間45分がすべて吹っ飛んだと言っても過言ではない。それぐらい納得いかないシーンだった。

 

総評

夫婦で観るのが吉であるが、DINKSなのか、そうでないのかで評価がガラリと変わりそうだ。Jovianはそこそこ程度には面白いと感じたが、妻はまったく面白いと感じなかったようだ。ちなみに劇中の重要な小道具として扱われる旦那デスノートというサイトは実在する。Jovianは中を覗いて後悔した。世の諸賢も自己責任で閲覧されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

row

ロウと発音すれば「列」だが、ラウと発音すれば「口喧嘩」となる。夫婦や友人同士など親しい間柄での言い争いにはしばしば row =ラウが使われる。 I had a row with a coworker in the office today. =今日、職場で同僚と言い争いになっちゃって、のようにも言える。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 マイ・ブロークン・マリコ 』
『 LAMB/ラム 』
『 ドライビング・バニー 』

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ブラック・コメディ, 中田青渚, 井之脇海, 岸井ゆきの, 日本, 監督:市井昌秀, 配給会社:キノフィルムズ, 香取慎吾Leave a Comment on 『 犬も食わねどチャーリーは笑う 』 -ペーシングに難あり-

『 決戦は日曜日 』 -もうちょっと毒が欲しい-

Posted on 2022年1月16日 by cool-jupiter

決戦は日曜日 70点
2022年1月15日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:窪田正孝 宮沢りえ 内田慈
監督:坂下雄一郎

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『 ピンカートンに会いにいく 』の坂下雄一郎監督の作品。日本では珍しい政治風刺のブラック・コメディで、オリジナルものとしては『 記憶にございません! 』以来ではなかろうか。

 

あらすじ

国会議員・川島の秘書である谷村(窪田正孝)は、選挙間近というタイミングで当の川村が病気で倒れてしまう。陣営は川島の娘の有美(宮沢りえ)を後継に担ぎだすが、有美はとんでもなく浮世離れしていた。谷村は有美になんとか選挙活動をしてもらうべく奮闘するが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220116214750j:plain

ポジティブ・サイド

民自党というのは自民党のパロディであることは明らか。まあ、出るわ出るわの痛快風刺。冒頭のおんぶ政務官ネタに始まり、小学生レベルの漢字を読み間違える、求職者に対する「今まで何やってた?」発言、「子どもを産まない方が悪い」発言、そして「お年寄りが用水路に落ちて危ないというのは、お年寄りが落ちた用水路は危ない」といった進次郎構文などなど、笑ってはいけないのに笑ってしまうネタが満載である。特に漢字の各々を「かくかく」と読み続ける会見シーンのラストには思わず吹き出してしまった。

 

宮沢りえが天然ボケ的なキャラを見事に演じていて、確かにこんな政治家および政治家候補はいそうだなと感じた。その要因として、講演会のじいさん連中が挙げられる。Jovianは2004年頃に当時金融担当大臣だった伊藤達也を擁するチームと三鷹市民リーグで対戦したことがある(ちなみに三本間で転んだ大臣をショートJovianがホームで刺した)。大会後のバックネット裏で大会運営委員かつ三鷹や調布の顔であるM氏にしこたま説教され、平身低頭するばかりだった大臣を見たことも鮮明に覚えている。いつまでたっても政治家というのは後援会とは inseparable なのだ。

 

ところが世間知らずの有美は自分から後援会の爺さんたちを切り捨ててしまう。事務所の秘書連中も密かに「老害」と呼ぶお歴々なので、その瞬間は非常に爽快だ。が、好事魔多しと言おうか、以降の有美の講演会は閑古鳥が鳴くばかり。聴衆よりもスタッフの数の方が多いというありさま。このままではダメだということで秘書たる谷村が有美を諭していく。その様はまさに直言居士・・・なのだが、だんだんと進言ではなく誹謗中傷まがいの内容になっていく。このあたりも笑わせる。

 

かといって笑いばかりにフォーカスしているわけではない。非常にシリアスでダークな領域にも踏み込んでいく。倒れた川島に代わって、市議会議員や県会議員、地元の有力企業とのパイプ役を務める濱口(小市慢太郎)の存在感が抜群である。この人は『 下町ロケット 』の経理や『 るろうに剣心 京都大火編 』の川路役などの印象が強い。つまりは縁の下の力持ちがはまり役で、今作ではそれに加えて悪の秘書をも見事に体現。政治家のスキャンダルへの言い訳として「秘書が勝手にやった」は常套句だが、中には勝手に色々差配してしまう秘書もいるのかもしれないと思わされた。いわゆる「清須会議みたいこと」は、政治や選挙の世界では割と普通なのかもしれないと思わされた。ある意味で対極だったのが秘書の向井(音尾琢真)。川島議員のスキャンダルの泥をかぶる役を自ら買って出る。一昔前の政治家は、確かに秘書に汚れ役をさせて、代償として家族や親類縁者の面倒を看ることもあったらしい。そうした古き良き(?)政治をも垣間見せてくれた。

 

谷村も良識ある秘書と見せかけて、「やめてやる」という有美に懇切丁寧に脅迫的な言辞を弄して、選挙から撤退させないという鬼畜。しかし、その語り口や立ち居振る舞いにどこかコミカルさがあり、言っていることはメチャクチャだが、見ている分には面白いという不思議なシーンを生み出した。ある出来事をきっかけに、当選運動から落選運動に有美と共に転じていくが、切れ者・敏腕というオーラを出しつつも、なぜか逆に支持率が上がってしまうのは、予想通りとはいえ笑ってしまう。ここでも近年の現実の国際情勢ネタをぶっこんできており、ある意味でとても不謹慎な笑いを提供してくれる。

 

テレビがひっそりとあるニュースを報じる中で終幕となるが、これは選挙制度や政治家を嗤う作品ではなく、有権者そのものに向けた一種のブラック・ジョークであることが分かる。それが何を意味するかは劇場鑑賞されたし。

 

ネガティブ・サイド

谷村と有美の関わりには笑わせられること、そして考えさせられることが多かったが、他の秘書たちと有美がどう関わるのかも見てみたかった。

 

意図的に支持率を低下させたいというのは前代未聞で、それゆえにどんなアイデアが投入されているのかを楽しみにしていたが、ここは期待外れというか拍子抜けした。有美登場直前の事務所内で、「韓国と揉めて支持率が上がった時に解散していればなあ」と秘書同士で話すシーンがあり、嫌韓ネタ=支持率アップという認識があったはず。にもかかわらず、落選運動で「中韓が日本人の職を奪っている。排除せよ」と叫ぶのは矛盾している。本当に支持率を下げたいのなら、谷村が掴んでいた有美の脅迫ネタを使うか、暴力団とつながりがある、もしくはシルバー民主主義を徹底機に揶揄するような発言をさせるべきだった。そのうえで予想の斜め上の出来事のせいでなぜか支持率アップ、という流れにすべきだったと思う。

 

谷村が回心(≠改心)するきっかけとなるエピソードにリアリティがなかった。選挙の時だけに使うアイテムだと言うが、それこそ客人に振る舞ったりする機会がこれまでに幾度もあったはず。誰も何も感じなかったというのか。それとも選挙に関わる人間はすべて感覚がマヒしているというのか。うーむ・・・

 

総評

クスっと笑えて、ウームと考えさせられる映画である。苦みを残して終わるわけだが、もっと毒を盛り込んでも良かったのではないかと思う。それこそ麻生や安倍といった面々は、

世が世ならしょっ引かれていなければおかしいと思うJovianだからの感想だからかもしれないが。「神輿は軽くてパーがいい」と言われるが、その言葉の意味がよくよく分かる。今夏には参院選が行われる予定だが、本作はその舞台裏に思いを巡らすための良い材料になることだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

run / stand

どちらも立候補する、の意味で使われる基本動詞。run = アメリカ英語、stand = イギリス英語である。使い方は以下の通り。

run in 選挙 / stand in 選挙

run for 役職 / stand for 役職

He’s decided to run in the next election. 
彼は次の選挙に出ることを決めた。

I never thought Trump would run for presidency.
私はトランプが大統領選に出るとは全く思わなかった。

のように使う。今でも受験英語や大学のリメディアル英語のテキストでは run for 選挙 のような記述が見受けられるが、これは間違いである。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ブラック・コメディ, 内田慈, 宮沢りえ, 日本, 監督:坂下雄一郎, 窪田正孝, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 決戦は日曜日 』 -もうちょっと毒が欲しい-

『 ドント・ルック・アップ 』 -壮大な風刺コメディ-

Posted on 2021年12月19日 by cool-jupiter

ドント・ルック・アップ 80点
2021年12月18日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:レオナルド・ディカプリオ ジェニファー・ローレンス
監督:アダム・マッケイ

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『 バイス 』や『 マネー・ショート 華麗なる大逆転 』のアダム・マッケイ監督が、なんとも小気味良いコメディかつ壮大な現代世界の風刺劇を送り出してきた。エンタメ性と社会性はこうやって両立させるのだというお手本のような作品である。

 

あらすじ

大学院生のケイト(ジェニファー・ローレンス)は天文観測中に偶然にも彗星を発見する。連絡を受けた教官のミンディ教授(レオナルド・ディカプリオ)は彗星の軌道計算を行うが、その結果は地球への衝突であった。二人はなんとかこのことを世に知らせ、対策に乗り出そうとするが・・・

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ポジティブ・サイド

映画『 エンド・オブ・ザ・ワールド 』のシチュエーションに、機本伸司の小説『 僕たちの終末 』の要素を足したような物語、つまりはありふれたストーリーなのだが、これがべらぼうに面白いのである。その秘密は何か。

 

第一に、人間があまりにも人間らしいのである。だいたい終末ジャンルの作品は、映画であれ小説であれ、メインのキャラクターは、終末に対して懐疑論者であっても非常に理知的で理性的である。しかし本作は違う。メリル・ストリープ演じるアメリカ合衆国大統領が自国の天文学者の切なる声にまともに耳を傾けない。その理由が極めて(アホな)政治的な理由なのだから面白い。

 

ディカプリオ演じるミンディ教授もジェニファー・ローレンス演じる博士課程のケイトも、世間に対して彗星衝突の脅威を伝えようとしていく中で、自身のプライベートな生活がボロボロになっていく様が笑えると同時に哀しい。が、哀しさよりも可笑しさの方が勝っている。ホワイトハウスに訴えてもダメだった二人が、今度はテレビ局に赴くが、頭のおかしい人扱いされて終わり。そこでディカプリオは milfy なTVアンカーに上手く食われてしまい、家庭崩壊に一直線。ケイトもケイトで、テレビで絶叫してしまったせいで恋人にあっさり振られてしまう。どこまでもシリアスな話なのに、常に笑いに転化してしまうアダム・マッケイの手腕にも笑ってしまうしかない。

 

しかし、シリアスに捉えようとも、頭のおかしい学者の妄言と捉えようとも、彗星の接近は事実なのである。ここで観る側としてはどうしたって新型コロナのパンデミックの始まりとその後の展開を思い起こさずにはいられない。「コロナはただの風邪だ」と力説する者、「コロナは生物兵器である」と断定する者、「マスクは無意味」論者、「ワクチンで5Gに操られる」という陰謀論者などなど、21世紀も20年になんなんとする今という時代が、実は中世の啓蒙の時代と対して知的レベルは変わらないのではないかと思わされてしまう。劇中でも同じように「彗星は実在しない」として、空を見上げるな = “Don’t look up!”をスローガンにする勢力が登場する。元米大統領のD・トランプがマスク着用を小馬鹿にしていた、さらにその反マスクの姿勢に共感する共和党支持者に奇妙なまでにそっくりである。 

 

本作は、一見突拍子もないSF物語に見えるが、実際は現実世界の分断を大いに嗤うブラック・コメディである。大統領首席補佐官が労働者階級をあざ笑うかのようなスピーチをしつつ、その労働者たちがその演説を支持する様はとことん皮肉で笑えるのだが、そうした人々を笑う我々も実は笑っていられない。特に熱心な自民や維新の支持者は、一度冷静に考えてみるべきである。

 

本作のタイトルである Don’t look up には様々な意味が込められている。「上を見るな」とう意味だが、この上というのは物理的な方向としての上だけではなく、社会経済的階級あるいは権力構造の上の方を見るなという意味であるとも受け取れる。あるいは「調べ物をするな」という意味にも解釈可能である。実際に政治指導者層や超富裕層は、ピンチを自らの利に変えようとする、というか変えてしまう。その一方で、自らの提唱する政治・経済理論の正当性を決して検証しようとしない。このあたり、失われた30年と言われながらも、常に財政出動に及び腰かつ雇用の非正規化に邁進するばかりのどこかの島国は、曲学阿世のエセ学者・竹中平蔵や、イソジンでコロナが減らせるとエビデンスも糞もない「嘘のような嘘の話」を振りまいた吉村洋文らがペテン師であるということにいい加減に気が付くべきである。 

 

ディカプリオの見せる迫真の演技と渾身の演説が、漫画的なコマ割りのごとく良い感じにぶつ切りにされて、さらに笑いと悲哀を誘う。メリル・ストリープによる大統領役や、その息子のジョナ・ヒル補佐官の存在感も大きく、出てくるたびに「アホか、こいつら」と思わせてくれる。一方で、物語は進行していくにつれてドンドンと深刻さを増してくる。それまでは平穏な日常を過ごしていた人々も、look up して彗星が視認できるようになると、さすがに事の深刻さを理解する。つくづく Seeing is believing. で、そういう意味では目に見えないコロナウィルスの存在をいまだに疑う人々が一定数存在することには一定の説得力がある。

 

すべてを笑いに転化しようとする本作であるが、クライマックスは二つの意味で笑えない笑いをもたらす。一つには、いわゆるトリクルダウン理論を彗星を使って本当に行ってしまい、その結果として大多数の一般庶民が苦しみ死んでいく様を淡々と描いているから。もう一つには、人類滅亡の結末として、社会の上層に位置する人々を徹底的にコケにしているから。なんとも言えぬ余韻を残す本作であるが、ブラック・コメディの傑作であることは間違いない。

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ネガティブ・サイド

ネットフリックス映画ということで、自宅鑑賞を前提にしているのかもしれないが、『 アイリッシュマン 』といい、本作といい、映画館で鑑賞するには膀胱への負担が大きい。映画は2時間ちょうどか、それをやや下回るぐらいがちょうどよい。

 

ケイトとその恋人との別れのその後、特にヒメシュ・パテルの役とティモシー・シャラメの役の対比がなされる場面があれば、なお良かった。

 

字幕にいくつかミスがあった。序盤で comet を「惑星」、終盤近くで best and brightest を「最新鋭」と する字幕があった。映画の欠点ではないが、一応指摘しておく。

 

総評

一言、傑作である。『 アルマゲドン 』や『 ディープ・インパクト 』の頃のような、無邪気なハリウッド映画の面影は全くなく、かといってエンタメ性の追求を忘れたわけでもない。『 シン・ゴジラ 』で日本はアメリカを容赦ない侵略国として描いたが、本作ではアメリカ人自身がアメリカ国家をそのように描いている。アメリカという国の精神的な成長を見る思いである。世界的な混乱を生むという意味ではコロナと彗星を重ね合わせて見ることも十分に可能である。観ている最中にはずっと笑えて、観終わった後にも笑える。しかし、笑いの裏にある現実批判の意味を悟れば、笑えなくなる。なんとも深みと苦みのある、大人の映画である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

sit tight and assess

「静観して精査する」の意。コロナ禍の始まりにおいて、我が国のアホな大臣が連発していた「高い緊張感をもって状況を注視する」という、「実質的には何もしません」宣言と同じような表現がアメリカにもあるようだ。ちなみにここでの sit は「座る」という意味ではなく「そのままでいる」という意味。sit still = じっとしている、sit idle = (機械などが)アイドリング状態である・使用中ではない、のように使われる。 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アメリカ, ジェニファー・ローレンス, ブラック・コメディ, レオナルド・ディカプリオ, 監督:アダム・マッケイ, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 ドント・ルック・アップ 』 -壮大な風刺コメディ-

『 喜劇 愛妻物語 』 -諸君、妻をいたわり、幸せにしよう-

Posted on 2020年9月14日2021年1月22日 by cool-jupiter
『 喜劇 愛妻物語 』 -諸君、妻をいたわり、幸せにしよう-

喜劇 愛妻物語 70点
2020年9月12日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:水川あさみ 濱田岳
監督:足立紳

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『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』の脚本家、足立紳が原作・脚本・監督を手掛けた一作。喜劇と銘打っている割には笑えないシーンも多かったが、大筋では世の既婚男性を既婚女性の両方をエンターテインできる作品に仕上がっている。

 

あらすじ

売れない脚本家の豪太(濱田岳)は、超恐妻のチカにまったく頭が上がらず、夫婦の営みもほとんどなし。ある時、豪太の脚本家が映画になりそうだということで、豪太は妻チカと娘アキを連れて香川まで取材旅行に出向く。そして、これを機に妻とセックスしようと決意するのだが・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭の川の字で寝ている親子の朝のシーン。娘が居間でテレビを観始めたところで、妻の方ににじり寄る豪太の何と情けない姿であることか。妻の体を触るのに、それほどおどおどしてどうする。堂々と触れ!お前は俺か!!そのように心の中で叫んだ日本の恐妻家たちの数はいかほどだろうか。試算では軽く200万人はいると思うのだが、どうだろう。

 

上手いなと感じたのは、夫・豪太の年収を50万円に設定したところ。男はアホな生き物なので、何か一つ相手に勝っているものがあれば安心できる。それが収入なら尚更である。チカ=水川あさみ級の美女を嫁に持つことができる男など、日本では1万人もいるかどうか。その点で、この映画を観る男性のほとんどは豪太に嫉妬する。嫉妬せざるを得ない。水川あさみと代わりに同衾させろ。そこで脚本家の足立紳は言葉の暴力を妻チカに振るわせ、豪太に浴びせかける。妻に虐げられる全国200万人の同志は、チカの言葉の暴力の容赦の無さに怖気を震うことだろう。そして自分の妻を思い浮かべて「本質的にはウチもアッチも変わらねーな」と感じる。何故そのように感じてしまうのか、その絶妙な仕掛けを知りたい人はぜひ観るべし(ただし独身者および未成年は除く)。

 

チカと、その親友のユミ(夏帆)の女子会的な夜のトークも軽妙にして重厚だ。野郎同士は夜に集まって話しても仕事絡みの愚痴か、浅薄な政治経済論ぐらいである。つまり自分がない。空っぽだ。対して女子には自分がある。自分の感覚を何よりも信じているし、大切にしている。そこにはとてもユーモラスで、なおかつ恐ろしい男女のコントラストがある。ユミの行動原理と豪太の行動原理を比較対照してみると実に面白い。

 

クライマックスは圧巻である。ラブホテル、川、道路、墓場で親子が三位一体となる姿はカオスの極致である。ラブホ=恋愛、川=三途の川、道路=境界線、墓場=人生の終着点のシンボルだと思えば、結婚、夫婦、家族という関係が人それぞれにくっきりと浮かび上がってくることだろう。

 

エンディングも味わい深い。豪太の目線の先にあるもの、それは妻の愛だった。『 青い鳥 』のように、幸せは常にそこにあった。結局、男とは女に支えられないと一人立ちできない哀れで未熟で、それゆえに愛おしい存在なのかもしれない。 

ネガティブ・サイド

それにしても豪太の情けなさよ。妻とセックスしたくてたまらないのは分かるが、やり方がいちいち姑息なのだ。もちろん、その過程を楽しむ作品なのであるが、豪太の不倫の背景は不要ではないか。これから不倫してやるぜ!という方がよかったのにと思う。世の既婚男性で不倫願望があるのは多分70%ぐらいだと勝手に見積もるが、実際に行動に移すのは20%ぐらいだろう。つまり、豪太はマイノリティなわけで、この点で感情移入がしづらくなる。同様にユミの年下カレシ設定も、一線を越える前ぐらいが望ましかった。

 

また、豪太やチカの家族が一切出てこない点も気になった。日本に限らず、恐妻家になる男性のかなり割合はマザコンの度が強いと推測される。豪太の母親が一瞬出てきて、あるいは電話やメールで「あんた、チカちゃんに迷惑かけてるんじゃないだろうね?」みたいに言う。それに対して豪太がしどろもどろで返答する。そんなシーンが欲しかった。

 

あとは全体のバランスか。コメディではあるのだが、笑えるシーンは序盤に集中しすぎていて、後半のシリアス展開が異様に重く観る側にのしかかってきた。このあたりは素直にアメリカのラブコメ映画の文法を参照し、採用しても良かった。

 

総評

観る人を選ぶ作品である。というよりも、観る側がこの作品を選ぶには、様々な基準が存在すると言うべきか。既婚男性ならば問題ない。妻が天使であろうと鬼嫁であろうと自分なりに楽しめることだろう。既婚女性も大丈夫だ。夫が輝けるかどうかは妻次第だという、ある意味ジェンダー・ロール論をバリバリに展開する本作であるが、そこは足立紳監督は心得たもの。女性かくあるべしという論ではなく、女性かくあるべしという理想形を実現できるか否かは男性側にかかっていることを密やかに、しかし高らかに宣言している。逆に言えば、このあたりのメッセージを受け取りづらい若い世代には、単なる嫌な夫婦物語に見えてしまうかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

give a massage

マッサージする、の意。しばしば give 誰それ a massage という形で用いられる。一般的に「する」というと do を思い浮かべる人が多いが、英語で「○○する」という際には、他にもmakeやgiveが使われることが非常に多い。

 

give a presentation = プレゼンをする

give a speech = スピーチをする

give a big hand = 盛大な拍手をする

 

相手に何かをしてあげるという際にはgiveを使おう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ブラック・コメディ, 日本, 水川あさみ, 濱田岳, 監督:足立紳, 配給会社:キューテック, 配給会社:バンダイナムコアーツLeave a Comment on 『 喜劇 愛妻物語 』 -諸君、妻をいたわり、幸せにしよう-

『 ディック・ロングはなぜ死んだのか 』 -ジャンル不特定の尻すぼみ作品-

Posted on 2020年8月15日2021年1月22日 by cool-jupiter

ディック・ロングはなぜ死んだのか 40点
2020年8月13日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:マイケル・アボット・Jr. バージニア・ニューコム アンドレ・ハイランド
監督:ダニエル・シャイナート

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“A24 presents”と聞くだけで食指が動く、という映画ファンは一定数いるだろう。Jovianもその一人。だが、正直なところ、本作はハズレである。監督のダニエル・シャイナートは『 スイス・アーミー・マン 』ではダニエル・クワンと組んでいたことが奏功していたが、ソロでは作劇のバランスを保つことに苦労するタイプなのだろうか。

 

あらすじ

ジーク(マイケル・アボット・Jr.)とアール(アンドレ・ハイランド)とディック(ダニエル・シャイナート)は、夜な夜なバカ騒ぎしていた。しかし、ある時、ディックがアクシデントにより重傷を負った。ジークとアールはディックを病院前に置いていく。発見されたディックは、しかし、治療の甲斐なく死亡。なぜディックは死んだのか?ジークとアールは、ディックの死因をひた隠しにするが・・・

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ポジティブ・サイド

オープニングのクレジットシーンから笑わせてくれる。マリファナを吸ってハイになったアホな男どもが、愚かな乱痴気騒ぎに興じるのだが、この時の花火のシーンをよくよく脳裏に刻まれたい。意味のないショットではなく、実は深い意味が込められたショットだからだ。

 

また主人公のジークとその娘の間の細かなやりとりについても目と耳をフル活用して、注意を払ってほしい。ディック・ロングの死の真相についてのヒントがそこにある。

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ネガティブ・サイド

トレイラーからは本作のジャンルはコメディであるとの印象を受けたが、実際はそうではなかった。実際はサスペンス風味が強めなミステリで、かつ少々シリアスなヒューマンドラマだった。それ自体は構わない。ジャンルが特定されない、あるいは劇中で次々にジャンルを変えていく映画というのはたくさん存在する。問題はどのジャンルに分類しても、本作はたいして面白くないということだ。

 

コメディ要素は無きに等しい。ディックの死につながる様々な証拠を隠滅しようとジークとアールは奔走するが、そこにスラップスティックさが感じられない。最後の最後に、アホとしか言いようがない行動に出るのだが、そこに至るまでの罪証隠滅の流れに一切笑えるところがないので、最大の見せ場で笑っていいのか、呆れていいのかが分からなくなるのである。

 

サスペンスもイマイチだ。手柄を立てようと意気込む若手と、老成して、どこか達観した感のある女性保安官のコンビがジークとアールの包囲網をじわじわと縮めていくが、そのことがサスペンスを生み出さない。口裏を合わせたり、物事の辻褄を合わせていても、蟻の一穴天下の破れとなる。問題は、いつ、どこで、どのように論理が破綻するかなのだが、そのシーンにもハラハラドキドキがない。ジークの挙動不審が笑えないレベルに達しているからだ。論理の欠陥を突くのは、相手が自信満々の時でないと面白さが半減する。

 

ミステリ、つまりディックの死の真相も盛り上がらない。レイ・ラッセルの小説『 インキュバス 』のような驚きの真相を期待してはいけない。いや、もっと言えば、これは『 モルグ街の殺人 』の変化球ではないか。または漫画『 ゴールデンカムイ 』の、とあるエピソードを思い浮かべてもよい。細かな伏線から、薄々そうだろうなとは感じていたが、やはりそうだった。意外と言えば意外だが、予想通りと言えば予想通りである。男が女房にひた隠しにしようとすることはなにか。そのあたりを考えてみれば、本作はそれなりに面白い。ただし、真相に関する驚きは確実に減じるだろう。

 

総評

極力、トレイラーを観ずに本編を鑑賞することをお勧めする。また、一部の映画情報系サイトやレビューサイトのあらすじ(殺人犯の存在が小さな田舎町を恐怖と混乱のるつぼに変えて・・・)は間違っている。そんな描写は一切存在しない。これはファミリードラマ、それも夫婦のドラマとして観るのが、おそらく最も正しい。That’s how you do this film justice. それでもストーリーのあちらこちらにノイズが混じっているように感じられるだろう。デートムービーには絶対に向かない。年季の入った夫婦以外はカップルで鑑賞する作品ではない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

The shit hits the fan

劇中では“The S has hit the fan”とshitが頭文字だけで表現されていた。直訳すれば、「糞が扇風機にぶつかる」である。結果として、糞が飛び散るわけで、意味は「収集困難な事態になる」である。『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』でも、アル・パチーノが

“When the shit hits fan, some guys run and some guys stay.”

大変な事態になった時、逃げる奴もいれば、その場にとどまる奴もいる

と、長広舌を振るってチャーリーを弁護していた。勤め先やクライアント先でまずい状況が発生したら、“The shit has hit the fan …”と心の中でつぶやこう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, アンドレ・ハイランド, バージニア・ニューコム, ブラック・コメディ, マイケル・アボット・Jr., 監督:ダニエル・シャイナート, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 ディック・ロングはなぜ死んだのか 』 -ジャンル不特定の尻すぼみ作品-

『 ほえる犬は噛まない 』 -栴檀は双葉より芳し-

Posted on 2020年8月13日 by cool-jupiter

ほえる犬は噛まない 70点
2020年8月9日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ペ・ドゥナ イ・ソンジェ
監督:ポン・ジュノ

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ポン・ジュノ監督の長編デビュー作。心斎橋シネマートで一時期リバイバル上映していたが、予定が合わず観ることかなわず。本作をポン・ジュノのベストに挙げる人もいる。Jovianは『 母なる証明 』がベストだと思っているが、本作もキラリと光る秀作である。

 

あらすじ

大学の非常勤講師であるユンジュ(イ・ソンジェ)は身重の妻に養われるといううだつの上がらない男。教授のポストをめぐるレースで同僚に後れを取り、イライラしているところで、うるさくほえる犬をマンション地下のクローゼットに発作的に閉じ込めてしまう。同時にマンション管理室に勤めるヒョンナム(ペ・ドゥナ)は、とある少女と共に迷い犬を探すことになり・・・

 

ポジティブ・サイド

ポン・ジュノ映画の大きな特徴の萌芽が、すでに本作でも見られる。その一つは、地下空間である。言わずと知れた『 パラサイト 半地下の家族 』の規制家族による闘争の舞台である地下空間や、『 殺人の追憶 』で容疑者(それも障がい者)を誘導尋問(という名の拷問)にかける場所であったりする。それが本作では犬を食べようとしたり、あるいは別の誰かに犬を食べられる場所である。地下=人目に触れない空間であるが、それは同時に無法地帯であることも示している。そうした領域を積極的に映し出そうとするところに、ポン・ジュノ監督の意志が見て取れる。

 

もう一つは、覗き見る視線である。クローゼットの中から警備員が犬を調理しようとするシーンは、『 母なる証明 』で、母が息子の親友のセックスを除くシーンや、『 殺人の追憶 』の刑事が下着を見て自慰する男を覗き見たり、あるいは「柔らかい手の男」の一挙手一投足をクルマの中からジーっと覗き見る、あの視線と共通するものがある。人間の無防備な瞬間を見つめる視線には、見る側の愉悦と優越、そして「もしも自分が見られる側にまわったら・・・」という不安の種の両方が内包されている。映画という“一方的に見る媒体”を通じて、「見られる」ということを意識させる作品は少ない。どちらかというと『 The Fiction Over the Curtains 』のような実験的な作品こそがそうした手法を取るもので、商業映画でこれをやりつつ娯楽性も確保するというのは、相当な手腕の持ち主でなければできない。まさに栴檀は双葉より芳しである。

 

ストーリーも魅せる。うだつの上がらない大学非常勤講師ユンジュは、大学で教鞭を執りながらも、出世の見込みはなさそう。まるでJovianではないか(といってもJovianが某大学で教えているのは業務委託によるものだが)。ユンジュは犬の失踪および死の直接の犯人でありながら、自分で自分の妻が飼ってきた犬を探す羽目になってしまう展開が面白い。単にコメディとして面白いだけでなく、その裏にあるユンジュの妻の story arc には、既婚男性の、特に共働きは、大いなる感銘を受けることだろう。

 

マンション管理事務所のドジな経理を演じるペ・ドゥナも魅せる。『 リンダ リンダ リンダ 』の頃の小動物的な可愛らしさを見せつつも、その頃よりも更にコケティッシュである。と思ったら、『 リンダ リンダ リンダ 』は2005年制作、本作は2000年制作?OL役と女子高生役の違いはあれど、ペ・ドゥナは可愛い。これは真理である。その可愛い女子が、『 チェイサー 』のキム・ユンソク並みに追走し、『 哀しき獣 』のハ・ジョンウ並みに逃げる様は、シリアスとユーモアを同居させた稀有なシーンである。黄色のパーカーのフードを深々とかぶり、あごひもをキュッと締めたてるてる坊主のような姿が残すインパクトは強烈の一語に尽きる。逃げるユンジュの赤や、追いかけてくるホームレス男性の茶色とのコントラストが映えるのだ。

 

夫婦の在り方や友情。集合団地という無機質に思える居住空間では、人目に触れない地下や屋上や室内で、無数の人間ドラマが展開されている。そして人間ドラマは美しくもアリ醜くもある。『 ほえる犬は噛まない 』というタイトルは主人公の一人ユンジュを遠回しに指すと思われるが、ワーワーギャーギャーうるさかったユンジュが、カーテンをしめて暗転していく教室の窓の向こうを眺める視線に、韓国社会という無形の生き物に、鍋にして食べられてしまった犬の悲哀が映し出されていた。社会の暗部と個人の暗部、それを上回る人間関係の美しさが紡ぎ出された傑作である。

 

ネガティブ・サイド

ぺ・ドゥナの頬のメイクアップがやや過剰だった。特にほろ酔い加減を表現する場面では、それがノイズであるように感じられた。ペ・ドゥナほどのKorean Beautyは、生のままで鑑賞したいではないか。

 

ボイラー・キム氏の小話が少々冗長だった。これほどインパクトのある不気味で、なおかつリアルな小噺を挿入するなら、それをなんらかの形でメインのプロットに組み込む、あるいは影響を及ぼすようなストーリー展開にはできなかったか。

 

ユンジュの大学教授職を巡る一連のストーリーに時間を割きすぎているとも感じた。教授や同僚との飲みのシーンを5分削り、その分をユンジュの妻との生活(閨房という意味ではなく)や、あるいはヒョンナムとの犬探しに時間を使ってほしかった。映画全体のメインのプロットとサブのプロットのバランスが取れていなかった。犬をさらった男が犬を探す羽目に陥るところに本作の面白さがあるのだから、そこをもっと掘り下げてほしかったと思うのである。

 

総評

粗削りではあるが、ポン・ジュノらしさが十分に表現されている。『 ベイビー・ドライバー 』を観た後に『 ショーン・オブ・ザ・デッド 』を観れば、エドガー・ライト監督のらしさが分かるのと同じである。犬食に対して嫌悪感を催す向きにはお勧めしない。しかし、鯨食をぎゃあぎゃあ外野に言われるのがうるさいと感じる人なら、本作の持つユーモアを楽しめることだろう。もちろん、ペ・ドゥナならば必見である。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

ペゴパ

『 トガニ 幼き瞳の告白 』でも紹介したフレーズ。意味は「おなか減った」である。どことなく「腹ペコ」と語感が似ているので、覚えやすいだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, イ・ソンジェ, ブラック・コメディ, ペ・ドゥナ, 監督:ポン・ジュノ, 配給会社:ファイヤークラッカー, 韓国Leave a Comment on 『 ほえる犬は噛まない 』 -栴檀は双葉より芳し-

『 ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン! 』 -英国流・痛快コメディ-

Posted on 2020年7月18日 by cool-jupiter

ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン! 75点
2020年7月12日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:サイモン・ペッグ ニック・フロスト
監督:エドガー・ライト

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“映画館の危機は、俺たちにまかせろ!” 何とも頼もしいキャッチコピーではないか。塚口サンサン劇場で『 ゾンビランド 』がリバイバル上映された時にも感じたし、コロナ禍で新作を後悔しづらい、あるいは客席を全て埋められないからこそ、ジブリ映画のtheatrical re-releaseを行っている日本の各劇場を見ても強く感じた。すなわち、良い映画は劇場公開10年が経過したら再上映をすべきだということ。

 

あらすじ

ロンドンの超エリート警官ニコラス・エンジェル(サイモン・ペッグ)は、「お前がいると我々が無能に見える」という理由で上層部に疎まれ、田舎町サンドフォードに左遷される。そこでも張り切るエンジェルだが、所長のボンクラ息子バターマン(ニック・フロスト)と相棒を組まされる。ある日、怪死事件が発生。これは殺人事件だとエンジェルは直感するも、署長以下の面々はただの事故だと言って取り合わない。エンジェルは独自に捜査を開始するのだが・・・

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ポジティブ・サイド

「栴檀は双葉より芳し」と言うが、本作にもエドガー・ライト監督らしさが随所に見て取れる。最も印象的なのはシーンの入れ替わりのテンポの良さ。ドアノブや手錠のアップのカットをアクションとアクションの合間の一瞬に挿入して、次の展開へと進んでいくのがエドガー・ライト作品の様式美である。本作の、特に序盤における圧倒的なテンポの良さは、観る者を一気に物語世界に引きずり込む。そして主人公エンジェルの悲喜こもごもにシンクロさせる。

 

音楽や映画とのコラボも同監督のスタイル。BGMではなく歌そのものがシーンとよくマッチしている。このスタイルが『 ベイビー・ドライバー 』で結実、完成する。特にエンジェルが英国流・都井睦雄とでも名状すべきいで立ちと武装でサンドフォードの町に再臨する際の楽曲(“Blockbuster!”か?)は、異様なまでにシーンと似合っている。

 

サイモン・ペッグとニック・フロストのコンビが『 ショーン・オブ・ザ・デッド 』以上にハマっている。エリート警察官と地方警察署所長のボンクラ息子がふとしたことから徐々に意気投合し、バディになっていく様は、男なら誰もが納得できるようなアホな過程を通じて描かれる。具体的には酒と深夜のビデオ鑑賞である。男が友情を育むには、このどちらかがあれば良い。

 

謎解きもそれなりに意外性があり、伏線の張り方もフェアである。イングランドのお国柄はそこまで深くは知らないが、統計不正や公文書改ざん、あるいは統計学的に優位とされるサンプル数を集めようとしないどこかの島国の政府は、本作のサンドフォードを奇矯な町として笑うことはできないだろう。この毒のあるユーモアも面白い。

 

アクションシーンでも魅せる。『 チェイサー 』を彷彿とさせる緊迫した追走劇に容赦の無いギャグを放り込んでくるのもエドガー・ライト流。韓国映画は警察を徹底的に夢想な組織として描くことが多いが、英国映画は警察をユーモラスに描く。『 フィルス 』などは好個の一例だろう。そして、もう終わるかな?と思わせたところからもう一押しのアクション。しかも、古き良き時代の怪獣映画、特撮映画のテイストを盛り込んでくれているのだから、これには『 ゴジラ 』好きのJovianは個人的に大満足。CGがもはや現実と区別できないレベルに到達しているが、だからこそ特撮的な演出の良さが際立つ。鬼才エドガー・ライトが自身の欲望や願望を渾身の力で映像化した一作である。

 

ネガティブ・サイド

機雷などは片田舎の警察では処理しきれないのではないだろうか。もちろん、警察にも危険物や爆発物処理のプロフェッショナルはいくらでもいるだろうが、それはロンドンのような中央の話。エンジェルは即座にロンドンもしくは軍に報告すべきでなかったか。

 

バターマンのジャムでの悪ふざけはかなり陳腐に感じた。見た瞬間に「あ、これは『 チ・ン・ピ・ラ 』と同じや」と直感した。小道具の使い方も同じ、その後の展開のさせ方も同じ。洋の東西や時代を問わないクリシェな手法なのだろう。もう少し捻った、あるいはさりげない演出を求めたい。

 

せっかくビル・ナイを起用しているのだから、最後の最後にもっとギャフンと言わせる展開を作っても良かったのではないか。序盤に少々嫌味な上役にこれだけの大御所が出てくるのだから、終盤に何かあるだろうと普通は期待するだろう。

 

総評

こういう古い、しかし面白い作品というのを映画館はもっともっとリバイバル上映すべきだろう。哀しいニュースであるが、先日エンニオ・モリコーネが御年91歳で旅立ってしまった。今こそ『 続・夕陽のガンマン 』などのドル箱三部作を再上映する機運が高まっていると思う。“一生に一度は映画館でジブリを観よう”と言うが、一生に一度は名作西部劇や『 スター・ウォーズ 』、『 ゴジラ 』を劇場の大画面と大音響で堪能したいではないか。感染症が流行中だからではなく、もっと積極的に過去の名作や傑作を掘り起こすべきだ。それが過去の映画ファンを取り戻すことにも、新たな映画ファンを発掘することにもつながるはず。そして、なによりも現今の邦画のレベルの低さを白日の下にさらけ出し、業界の自浄作用を働かせ、ライトなファンの鑑賞眼を養うことにもつながるのではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You are pulling my leg.

pull one’s leg=からかう、冗談を言う、ふざける、ということである。DVDを観るかと尋ねられたエンジェルが、バターマンに一言こう返す。定時間際に上司にドサドサドサッと「明日までに頼む」と仕事を渡されたら、“You’re pulling my leg, aren’t you?”と心の中で毒づこうではないか。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, イギリス, サイモン・ペッグ, ニック・フロスト, ブラック・コメディ, 監督:エドガー・ライト, 配給会社:ギャガ・コミュニケーションズLeave a Comment on 『 ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン! 』 -英国流・痛快コメディ-

『 デッド・ドント・ダイ 』 -Old habits die hard.-

Posted on 2020年6月9日2021年1月21日 by cool-jupiter

デッド・ドント・ダイ 60点
2020年6月6日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ビル・マーレイ アダム・ドライバー セレーナ・ゴメス
監督:ジム・ジャームッシュ

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監督がジャームッシュでメインキャストにアダム・ドライバーがいる。それだけで劇場鑑賞する理由としては十分である。傑作『 パターソン 』のクオリティは期待してはいけない。それでも、なんらかのゾンビ映画の新味を期待するのは罪ではないだろう。

 

あらすじ

地球の極でアメリカ政府は水圧破砕工事を行った。その結果、地球の自転軸に狂いが生じ、日照時間が異様に長くなり、あるいは夜が明けなくなってしまった。そして月は邪悪な波動を放つようになった。その結果、死者がゾンビとして蘇るようになった。田舎町センターヴィル警察署所長ロバートソン(ビル・マーレイ)とピーターソン巡査(アダム・ドライバー)たちは、町を救うことができるのか・・・

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ポジティブ・サイド

ゾンビの発生を天文学的なスケールで説明しようとしたのは珍しい。あったとしても隕石と共に未知の病原体がやってきて・・・というような『 ブロブ/宇宙からの不明物体 』や『 遊星からの物体X 』(ナード男の店にわざとらしく飾られているところにニヤリ)的なものではない。地球の自転軸が狂ってしまうという、ある意味で『 ザ・コア 』的なもの。これによって不自然に昼が長くなり、また夜が明けなくなり、そして逢魔が時がずっと続いてしまうという不思議な世界観が成立した。このアイデアはなかなか面白い。同時に時計が止まったり、スマホの充電がいきなり切れたりと、不吉な予感を煽るのも上手い。

 

あちこちに先行ゾンビ映画へのオマージュがある。『 ゾンビーノ 』でも“Old habits die hard.”=昔からの癖はなかなか改まらない、と言われていたように、本作のゾンビは生前に好きだったものにどうしようもなく惹かれてしまう。その対象はコーヒーであったり、ファッションであったり、片思いの相手だったりと様々だ。これも『 ナイト・オブ・ザ・リビングデッド 』へのオマージュだろう。スモンビなる言葉が生まれて久しい。日本ではそれほど人口に膾炙していないが、歩きスマホが大問題になっている国々では結構使われているようだ。ゾンビが生者だった頃の属性を継承するのがこれまでのゾンビ映画の文法だったが、本作は生者にゾンビそのものを投影している。生きていても死んでいても変わらないではないか、と。深く考えることなく、目の前の自分の好物だけに集中する。それはおそらく現代人に最も目立つ特徴だろう。ジャームッシュ流の批判である。

 

パトカーで町を見回るビル・マーレイとアダム・ドライバーのコンビの掛け合いが面白い。天変地異のただ中にありながら、どこか日常を思わせる。そのアンバランスさが本作をドラマとコメディのどちらかに偏り過ぎないようにしている。ゲームの『 バイオハザード 』のごとき世界がアベニューに現出するなか、パトカーで町を見回る3人組の掛け合いも楽しい。一人は恐怖に駆られ、一人は勇気と不安のはざまで揺れ動き、一人は物語の結末を確信している。そう、この物語では特定の人間は地球に不要であると判断されているようなのだ。ジャームッシュの意図は別にあるのだろうが、COVID-19によって浮かび上がってきた「ソーシャル・ディスタンス」なる概念、そして中国の空が晴れ渡ったり、インドのガンジス川の水が澄んだりと、人間がコロナ禍と呼んでいる現象が地球にとってはどうなのかというパラダイム・シフトが起きつつある。そうした現実を背景に本作を観た時、監督の意図とは異なるメッセージを観る側は受け取ることだろう。本作では森に暮らす世捨て人のボブが小説『 白鯨 』を拾うこと。そして、COVID-19の死者が欧米で異様に多く、アジアで異様に少ないこと。この二つをくっつけて考えてみよう。そうすれば、本作はコメディではなく、ブラック・コメディへと鮮やかに変身する。

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ネガティブ・サイド

ティルダ・スウィントン演じるゼルダというキャラクターは不要だと感じた。もしくは、もっとキャラを改変するか、あるいはダイレクトに『 キル・ビル 』のユマ・サーマンを模してしまえば良かったのではないか。名前がゼルダで見た目がエルフ、それが長剣を振るうとなると、どうしたってゲーム『 ゼルダの伝説 』のリンクを想起せざるを得ない。オマージュをささげるなら、ゲームのキャラではなく映画のキャラにしてほしい。

 

そのスウィントン演じるゼルダの裏設定にも( ゚Д゚)ハァ?である。これではまるで『 アンダー・ザ・スキン 種の捕食 』のパクリに近い。というか、これではオマージュとは呼べないだろう。さらに『 未知との遭遇 』もそこに混じる(要素は反対だが、造形がそっくり)となると、これも萎えてしまう。どうせスター・ウォーズネタを込めているのだから、アダム・ドライバーに持たせる刃物もダンビラではなくライトセイバー・・・ではなく竹刀のような形の剣にすればよかったのにと思う。映画に込めるメッセージばかりに神経が行ってしまい、小道具や美術がおろそかになってしまっていたか。

 

セレーナ・ゴメスの扱い方が雑というか、妙なキラキラマークは要らない。カメラワークや演出で見せてこそだろう。『 スプリング・ブレイカーズ 』のように、セレーナ・ゴメス(やその他のキャスト)をカメラワークと照明、衣装、メイクで充分に輝かせることが出来たはずだ。これだけキャスティングにカネを使っているのだから、裏方にカネを回せない、もしくは手間暇かけてディレクションできないというのは本末転倒ではないか。

 

総評

映画館がついに本格始動をし始めた。しかし、どこも座席間を開けている。おかげでJovianも嫁さんと離れ離れで鑑賞している。だが、そうした時こそ思弁的なメッセージを含む映画をじっくりと鑑賞するチャンスとは言えまいか。その意味では、本作は徐々にwithコロナに移行しつつあり、なおかつ第二波の襲来に備えつつある今こそ、じっくりと鑑賞すべき価値を持っていると言える。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Oh boy

「少年よ!」という意味ではない。もちろん文脈によってはそういう意味を帯びるだろうが、これは「あれまあ」や「おやおや」や「うわー」や「ひえー」のような意味もある。つまりは感嘆詞である。Boy単独で使うことも多いが、その場合は、I played tennis yesterday. Boy, am I sore today. = 機能テニスをしたんですが、いやはや今日は筋肉痛ですよ、という具合に倒置が起こる。自分で使いこなせる必要はないが、聞いた時に分かるようにしておくと吉。“Oh boy”という感嘆詞は、セサミストリートのエルモがしょっちゅう口にしている。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アダム・ドライバー, アメリカ, スウェーデン, セレーナ・ゴメス, ビル・マーレイ, ブラック・コメディ, 監督:ジム・ジャームッシュ, 配給会社:ロングライドLeave a Comment on 『 デッド・ドント・ダイ 』 -Old habits die hard.-

『 ウォー・ドッグス 』 -まっとうに生きるべし-

Posted on 2020年5月6日 by cool-jupiter

ウォー・ドッグス 65点
2020年5月6日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョナ・ヒル マイルズ・テラー アナ・デ・アルマス ブラッドリー・クーパー
監督:トッド・フィリップス

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アベノマスクなる、とても使い物になるとは思えない品質のクソ製品が、木っ端役人によって提案され、得体の知れない会社によって調達され、国中に支給され始めている。そこで本作を思い出した。有事の裏では、常に機を見るに敏なmoney-hungry dogsが暗躍しているものなのかもしれない。

 

あらすじ

時はイラク戦争とその後始末のただ中。デビッド(マイルズ・テラー)はうだつが上がらない仕事に従事していたが、ひょんなことから銃火器を売りものにする旧友のエフレム(ジョナ・ヒル)と共に仕事をすることになる。やがて二人はアメリカ国防総省に武器弾薬を納入する仕事に目をつけ・・・

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ポジティブ・サイド

マイルズ・テラーとジョナ・ヒルが、若く無鉄砲な若者二人組を好演している。アホかと思う面も多々あるが、特にエフレムのメンタル・タフネスと着眼点は起業を志す者なら大いに参考になるだろう。小学生の頃の昔話や与太話で定期的に盛り上がるところがガキンチョのメンタリティそのままで、子どものまま大きくなってしまったところを見事に表している。相方のデビッドの精神構造も見上げたもの。とある入札を見事に勝ち取るのだが、二位との差額を聞いて「国民の税金が節約できた」と言い切る、その言や良し。

 

『 バイス 』を事前に観ておくと、当時の(といってもたかが十数年前)のアメリカの政治的背景がよく分かる。同時に、戦争=経済活動と言い切るところもアメリカらしくてよろしい。というよりも、人類の歴史上、戦争の99%は経済的な理由で起こっている(宗教戦争に見える十字軍遠征さえ、本質的には交易の一大拠点であるコンスタンティノープルをキリスト教勢力が欲したというのが真相である)。本作は、しばしばヒューマンドラマに還元されてしまいがちな戦争の最前線ではなく、その銃後で何が起きていたのかを描く点がユニーク。『 バイス 』において、D・チェイニーは9.11の際に危機ではなく好機を見出していた。エフレムも、イラク戦争の後始末に危機ではなく商機を見出している。煎じ詰めれば、トッド・フィリップスは戦争という営為を嗤っているのだろう。『 シン・ゴジラ 』でも松尾スズキ演じるジャーナリストが「東日本の地価が暴落する一方で、西日本の地価が高騰している。面白いですな、人の世は」と語っていた。国難や有事をチャンスと捉える人間を褒めているのではない。半ば呆れている。トッド・フィリップスも本作におけるエフレムやデビッドをそのように見ている。デビッドも?と思う向きもあるだろうが、最後の最後のシーン(それが事実がどうかはどうでもよい)が意味するところを考えれば、その答えはおのずと明らかである。

 

それにしても、『 プライベート・ウォー 』でホラー的に描かれた検問シーンが、本作では見事にコメディになっている。同じイラク戦争でも、描く角度が異なれば、これほどに印象が異なるのかと考えさせられる。トッド・フィリップス監督は『 ジョーカー 』において、社会の分断と棄民政策から生まれた鬼子としてのジョーカーの誕生を描いたが、戦争という社会の異常事態からは常に何かしらの鬼子が生まれてもおかしくないのだぞ、と警告を発しているかのようにも見える。それは考え過ぎだろうか。

 

ネガティブ・サイド

どうしても『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』と比較されてしまうだろう。そして、比べるまでもなく本作の完敗である。ペニー・ストックを舌先三寸で見事に売りつけ、そこからのし上がっていく様をテンポよく描いた『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』に比べると、ジョナ・ヒル演じるエフレムの事業は目のつけどころはシャープであるものの、そこからトントン拍子にパイのかけらを美味しく頂戴していくシーンがなかった。ストーリーに説得力がなかった(実話に説得力も何もないと思うが)。

 

ジョナ・ヒル自身のパフォーマンスも『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』のそれには劣る。若きアントレプレナーの事業や経営への意識の違いが、やがて関係の破綻・破局につながっていくというストーリーの見せ方は『 ソーシャル・ネットワーク 』の方が一枚も二枚も上手だった。エフレムというキャラクターが十分に肉付けされていないからだろう。ところかまわずカネで女を買いまくっているが、高校の時に女に手酷い目にあわされたというような逸話の一つにでも言及してくれれば、観る側の捉え方も少しは変わる。また、『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』におけるディカプリオが、創業の功臣メンバーの女性に非常に人間味あふれるサポートを施していた逸話があったが、エフレムに何か一つでも会社や従業員に対する想いを見せる演出が欲しかった。それがないために、最初から最後まで小悪党にしか見えなかった。

 

総評

普通に面白いブラック・コメディである。総理大臣肝入りの数百億円規模の事業の裏側で何が起こっていたのかを、本作を下敷きにあれこれ想像してみるのも興味深いだろう。同時に、夫婦の在り方の軸には正直さが、ビジネスの在り方の軸には真っ当さが必要であるという当たり前の教訓をも教えてくれるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

read between the lines

「行間を読む」の意である。これは何も読書に限ったことではない。エフレムの言う“All the money is made between the lines.”=すべてのカネは行間から生まれる、は蓋し真実である。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アナ・デ・アルマス, アメリカ, ジョナ・ヒル, ブラック・コメディ, ブラッドリー・クーパー, マイルズ・テラー, 伝記, 監督:トッド・フィリップスLeave a Comment on 『 ウォー・ドッグス 』 -まっとうに生きるべし-

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