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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: ファンタジー

『 四畳半神話大系 』 -青春とは何かを知るための必読書-

Posted on 2022年7月2日 by cool-jupiter

四畳半神話大系 90点
2022年6月15日~6月29日にかけて読了
著者:森見登美彦
発行元:角川文庫

『 ペンギン・ハイウェイ 』のレビューで本作を読み返すと誓っていたが、ここまで遅くなってしまった。仕事で京都の某大学の課外講座を受け持つことになり、その期間中に地下鉄烏丸線や叡山電鉄の車内で本書を読むという、ちょっと贅沢な楽しみ方をしてみた。

 

あらすじ

薔薇色のキャンパスライフを夢見ながら2年間を無為に過ごしてしまった私は、その原因をサークル仲間の小津に帰していた。黒髪の乙女との交際を夢想する私は「あの時、違うサークルに入っていれば・・・」と後悔するが・・・

 

ポジティブ・サイド

多分、読み返すのは4度目になるが、何度読んでも文句なしに面白い。その理由は主に3つ。

 

第一に、文体が読ませる。京大卒の小説家と言えば故・石原慎太郎をして「使っている語彙が難しすぎる」と評された平野啓一郎が思い浮かぶが、森見登美彦の文章にはそうした難解さがない。まず地の文が軽妙洒脱でテンポが良い。各章冒頭の「大学三回生の春までの二年間」から「でも、いささか、見るに堪えない」までのプロローグはまさに声に出して読みたい日本語である。

 

第二に、キャラクターが個性的かつ魅力的である。どこからどう見てもイカ京(近年ではほとんど絶滅しているようだが)の「私」の、良い言い方をすれば孤高の生き様、悪い言い方をすれば拗らせた生き方に、共感せずにいられない。言ってみれば中二病=自意識過剰なのだが、そこは腐っても京大生。衒学的な論理を振りかざして、必死に自己正当化する様がおかしくおかしくてたまらない。また、悪友の小津、樋口師匠、黒髪の乙女の明石さんなど、誰もがキャラが立っている。濃いキャラと濃いキャラがぶつかり合って、そこから何故か軽佻浮薄なドラマが再生産されていく。かかるアンバランスさ、不可思議さが本書の大いなる魅力である。よくまあ、こんな珍妙な物語が紡げるものだと感心させられる。

 

第三に、パラレル・ユニバースの面白さがある。流行りの異世界ではなく並行世界を描きつつ、各章ごとに互いが微妙に、しかし時に大きく相互作用しあう組み立ては見事としか言いようがない。今回は電車の中だけで読むと決めていたが、初めて読んだときは文字通りにページを繰る手が止まらなかった。薔薇色のキャンパスライフを求め、黒髪の乙女との交際を希求する「私」の狂おしさがことごとく空回りしていく展開には大いなる笑いと一掬の涙を禁じ得ない。「私」と自分を重ね合わせながら、あの時の自分がああしていれば、それともこうしていれば・・・と後悔先に立たず。今ここにある自分の総決算を自ら引き受けるしかないのである。

 

四畳半の神話的迷宮から脱出した「私」がたどり着いた境地とは何か。読むたびに世界の奥深さと人生のやるせなさ、そして気付かぬところに存在する矮小な、しかし確かに存在する愛の切なさを痛切に味わわせてくれる本書は、SFとしても青春ものとしても、珠玉の逸品である。

 

ネガティブ・サイド

ケチをつけるところがほとんどない作品だが、言葉の誤用が見られるのが残念なところ。藪用は「野暮用」の誤用だし、天の采配も「天の配剤」の誤用である。

 

総評

Jovianは現役時に京都大学を受験し、見事に不合格であった。それから四半世紀になんなんとする今でも、時々「あの時、京大に合格できていれば・・・」などと夢想することがある。アホである。Silly meである。だからこそ、あり得たかもしれない自分の姿を思う存分「私」に投影してしまう。常に変わらぬ青春がそこにある。下鴨幽水荘≒吉田寮≒国際基督教大学第一男子寮である。アホな男子の巣窟で青春の4年間を過ごした自分が「私」とシンクロしないでいらりょうか。複雑玄妙な青春を送った、送りつつある、そしてこれから送るであろうすべての人に読んで頂きたい逸品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

sidekick

親友、相棒の意。「私」にとって小津は腐れ縁の悪友だが、客観的に見ると親友だろう。best friend や close friend という言い方もあるが、小津のような男は sidekick と呼ぶのがふさわしい。英語の中級者なら、sidekick という語は知っておきたい。

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2000年代, S Rank, SF, ファンタジー, 日本, 発行元:角川文庫, 著者:森見登美彦, 青春Leave a Comment on 『 四畳半神話大系 』 -青春とは何かを知るための必読書-

『 犬王 』 -異色の時代劇ミュージカル-

Posted on 2022年6月26日2022年6月26日 by cool-jupiter

犬王 80点
2022年6月24日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:アヴちゃん 森山未來
監督:湯浅政明

 

会社の同僚が激しく心揺さぶられたと評した作品。振休を使って、梅田ブルク7に向かう。平日の昼間で公開から3週間経過しているにも関わらず、半分近くの入りで驚いた。

あらすじ

南北朝の統一前夜、奇形児として生まれた犬王(アヴちゃん)は、独自に猿楽を学ぶ。ある日、犬王は草なぎの剣の呪いによって盲目となってしまった琵琶法師の少年・友魚(森山未來)と出会う。犬王の異形の姿が見えない友魚は、すぐに犬王と意気投合。二人は独自の楽曲と舞踊で、たちまち都の話題を呼び・・・

 

ポジティブ・サイド

三種の神器によって呪われてしまった友魚と、とある人物からの呪いをその身に受けて異形の身体に生まれてしまった犬王。社会や家族から cast out された二人が織りなす楽曲の斬新さが目を引く。鎌倉時代には絶対にありえない演出がふんだんに施されていて、二人のライブが類まれなるスペクタクルになっている。猿楽を現代のロック調に再解釈し、歌詞は当時のものさながらに、新たなエモーションを乗せることに成功している。また光による演出も映画館で鑑賞するにふさわしく、eye-candy である。個人的にはクジラの歌と演出が最も心に残っている。

 

同時に、二人の楽曲が平家の亡霊の鎮魂歌になっているという設定がユニーク。忘れがちであるが、平安以降の日本はほとんど常に乱世で、それだけ人の死が身近にあった時代。なおかつ、娯楽もなく、さりとて一般庶民が文字として記録されたり、あるいは何かを記録する時代でもない。そこから『 図書館戦争 』や『 罪の声 』の脚本を務めた野木亜紀子の主張が垣間見える。いつの世であっても、最も救済が求められるのは名もなき無辜の民や、歴史の闇に葬り去られる運命の敗者たちなのである。

 

パフォーマンスが成功するたびに犬王の異形の身体が少しずつ普通になっていく。また友魚も名を友有と変え、自分の一座を持つ。時の将軍、足利義満の御前での仮面なしのパフォーマンスも成功に導き、順風満帆な二人だったが、好事魔多し。その将軍の意向により、二人は窮地に追いやられてしまう。この展開の辛さよ。虐げられてきた自分たちのパフォーマンスが虐げられてきた者たちを救ってきたにもかかわらず、為政者は事故の権力の正当化に汲々とするばかり。600年前も今も、権力者と庶民の関係は変わらないのか。

 

ちょうど大河ドラマで源氏が平氏を滅ぼし、鎌倉政権内のゴタゴタに焦点が移っているところである。これが上手い具合に劇中の平家の滅亡と南北朝統一を推進する足利幕府内部のゴタゴタとシンクロしている。同時に、多様性や包摂を謳いながらも、それが出来ない現代日本社会、さらに政権にとって都合の良い歴史の主張など、時代劇でありながら現代風刺になっている。アニメとしてもミュージカルとしても、近年では出色かつ異色の出来の邦画である。多くの人に鑑賞いただきたいと思う。

 

ネガティブ・サイド

犬王に関しては想像力を自由に働かせる余地があるものの、ストーリーにオリジナル要素が足りなかった。手塚治虫の漫画『 火の鳥 太陽編 』にそっくりだと感じた。

 

明らかに『 ボヘミアン・ラプソディ 』にインスパイア・・・というかパクったシーンが終盤にある。いや、中盤にもあるのだが、そこはオマージュと受け取れた。が、最終盤のステージ入りのシーンはオマージュとは言えないような気がする(楽曲の方も厳密にはアウトかもしれない)。

総評

Jovianは洋画のサントラは結構たくさん持っているが、邦画は久石譲以外持っていなかったりする(ミーハーの誹りは甘んじて受ける)。そんなJovianが「これはサントラを買わねば!」と強く感じたのが本作である。虐げられ歴史に抹殺された者たちが、時を超えて訴えかけてくるメッセージには確かに心揺さぶられずにはおれない。

そうそう、予告編で『 四畳半タイムマシンブルース 』が9月に公開されると知り、非常に興奮した。めちゃくちゃ楽しみである。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Once upon a time

「今は昔」の意。スター・ウォーズの始まりもこれである。他にも『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』など、割と使用頻度は高いように思う。B’zも『 once upon a time in 横浜 〜B’z LIVE GYM’99 “Brotherhood”〜 』 というDVDを昔、出していた。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, アヴちゃん, ファンタジー, ミュージカル, 日本, 森山未來, 歴史, 監督:湯浅政明, 配給会社:アスミック・エース, 配給会社:アニプレックスLeave a Comment on 『 犬王 』 -異色の時代劇ミュージカル-

『 ザ・メッセージ 』 -B級SF作品-

Posted on 2022年5月20日 by cool-jupiter

ザ・メッセージ 60点
2022年5月18日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ベラ・ソーン リチャード・ハーモン
監督:スコット・スピア

近所のTSUTAYAで目についたので準新作をレンタル。塚口サンサン劇場で『 スターフィッシュ 』のポスターを見て「おお、DVD出てるやんけ」と勘違いして借りてしまった。『 ステータス・アップデート 』と『 ミッドナイト ・サン タイヨウのうた 』のスコット・スピア監督作品だったではないか。

 

あらすじ

シカゴで起きた事故により、世界には残存者と呼ばれる亡霊が存在するようになった。ロニー(ベラ・ソーン)は自宅の浴室の鏡に謎の残存者が「逃げろ」というメッセージを残すところを目撃する。ロニーは転校生のカーク(リチャード・ハーモン)と共に残存者の謎の解明に乗り出すが・・・

 

ポジティブ・サイド

幽霊が見えるというのはネタとしては陳腐である。アメリカ映画では『 シックス・センス 』のような傑作、邦画でも『 さんかく窓の外側は夜 』のような凡作まで、特定の誰かに幽霊が見えるという作品は枚挙にいとまがない。しかし、誰でも幽霊が見える世界というのは結構珍しいのではないか。しかもそれが自由に動き回って人間に害をなす存在ではなく、決められた動きをするだけの残像であるというアイデアはユニーク。

 

ロニーとカークの二人が、謎の残存者からのメッセージの意味を探っていく展開はなかなか引き込まれる。手詰まりと思えるところから思いがけぬ発見があり、物語がダイナミックに動いていくところもいい。特にロニーの父親の読む新聞記事のアイデアは着眼点が非常に良いと感じた。ロニーと母親との関係は物語に若干の影を落としているが、それを効果的に使った脚本の妙が後半にあり、観る側を飽きさせない。

 

生きている人間たち、そして死んでしまった人間たちのそれぞれの思いが交錯する終盤は見応えがある。真犯人に意外性がないと感じられるかもしれないが、本作はミステリーではなくファンタジー、そしてヒューマンドラマとして鑑賞するべし。

 

ネガティブ・サイド

誕生日ネタはもう少しひねりを利かせられなかったか。Jovian母は実はうるう年の2月28日生まれなので、このネタには早い段階でピンと来てしまった。ある目的のために誕生日が重要なファクターなのだが、誕生日ではなくうるう年のうるう日をファクターにする、そのことに(物語世界のルールの中で)合理的な説明をつけられれば、映画世界への没入度がもっと高まったことだろう。

 

ブライアンは言ってみればハリポタにおけるスネイプ先生的なキャラなのだから、必要以上にホラーっぽいCG演出をする必要はなかった。それをせずにブライアンを恐怖の対象に見せるのが演出というものだろう。

 

総評

『 ザ・メッセージ 』という邦題はイマイチ。原題は I Still See You、つまり「私は今もあなたを見ている」ということ。このタイトルから受け取る印象が序盤、中盤、終盤で変わってくる。それは作りが乱暴だからではなく計算されたものだから。低予算映画のにおいがプンプン漂ってくるが、それがマイナスに作用していない。逆にアイデアで勝負する潔い作品になっている。海外レビュワーの評価はイマイチだが、Jovianはそこそこ楽しめた。梅雨時の週末のステイ・ホームのお供にちょうどよいだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

ground zero

爆心地の意。おそらく9.11でこの表現を知った人も多いのではないかと思う。ヒロシマやナガサキは原爆の爆心地だが、爆弾以外でも9.11のような想定外の巨大なインパクトがもたらされた場所にも使われる表現である。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, ファンタジー, ベラ・ソーン, リチャード・ハーモン, 監督:スコット・スピアLeave a Comment on 『 ザ・メッセージ 』 -B級SF作品-

『 銀河鉄道の夜 』 -ファンタジーの傑作-

Posted on 2022年4月30日 by cool-jupiter

銀河鉄道の夜 85点
2022年4月26日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:田中真弓 坂本千夏
監督:杉井ギサブロー

『 銀河鉄道999 』シリーズで野沢雅子の声に久々に触れたが、やっぱりイメージとしては孫悟空。ならばクリリン=田中真弓が主人公であり、『 銀河鉄道999 』の元ネタでもある本作も観てみたいと感じ、近所のTSUTAYAでレンタル。

 

あらすじ

病弱な母と共に北の海の漁から帰らない父を待つジョバンニ(田中真弓)は、星祭りの夜も同級生たちになじめず、町はずれで空を眺めていた。すると空から汽車が現れた。乗りこむと、そこには友人のカムパネルラ(坂本千夏)がいた。二人は不思議な銀河の旅に出るが・・・

 

ポジティブ・サイド

宮沢賢治といえば子ども向け作品のイメージが強かったが、それは非常に表面的な見方だった。何年か前の『 コズミックフロント☆NEXT‏ 』で『 銀河鉄道の夜 』は賢治の時代の最先端の天文学の知識が反映されていたと知って大いに驚いたことを思い出した。

 

『 風の谷のナウシカ 』は小学校の体育館で観たが、本作も確か小3か小4の頃にやはり体育館で観た覚えがある。その後、高校2年生の頃に講談社のバイリンガル文庫の『 銀河鉄道の夜 』を岡山の紀伊国屋で買って読んだ。そうした懐かしい記憶が蘇ってきた。

 

本作は「文部省特選」と銘打たれているが、子ども向けの作りとは言い難い。冒頭から木の葉落としのように学校に迫っていくカメラワークや、薄暗い教室、クラスメイトに影口をたたかれる少年、活版印刷所で大人に混じって働くも、その大人たちにも揶揄される。父は家に帰って来ず、母親も病身。ジョバンニは幸せとは言い難い。しかし、それこそが賢治が伝えたかったことなのだろう。

 

銀河鉄道に乗ったジョバンニがカムパネルラと共に訪れ、目にする光景はどれも美しく、そして悲劇的である。120万年の時を駆けた証のくるみも、あっという間にボロボロになってしまう。せっかく知り合えた大人や同年代の他者を疎ましく思ってしまう。ジョバンニは自分の小さな幸せを奪われる、あるいは壊されると感じてしまうが、幸せの形とはそのようなものではない。幸せは与えられるものではなく、与えるものである。自己犠牲の先に幸せがある。そう受け取るのは簡単だが、それだけがメッセージではないようにも思う。カール・ブッセの『 山のあなた 』のように、幸せとは常にそれを追い求めていく対象であって、手に入れる対象ではないのだとも言える。ハッピーエンド=父親が帰ってくるかどうかはっきりしないという本作の結末そのものが、それを示唆しているように感じる。

 

キャラクターを猫にしてしまうことで物語の幻想度が増している。これはこれでありだと思う。また絵そのものの美しさも際立っている。ジョバンニたちの住む町の欧風かつオリエンタルなデザインも非常に味わい深い。2010年代後半以降のアニメは光の力が強すぎたり、あるいはキャラが不気味にゆらゆらと動くところが個人的にはしんどい。この時代のアニメーションの方がオッサンにはありがたい。細野晴臣の珠玉のBGMも本作を傑作タラ占めている。ジョバンニの心象風景をそのまま音楽にのせて、観る側にダイレクトに伝えてくる。何でもかんでもナレーションや説明的なセリフにしてしまう今のクリエイターたちに、もう一度基本に立ち返ってほしいと、本作を鑑賞してあらためて感じた。

 

観終わった直後に repeat viewing したが、数々の伏線の妙に驚かされた。特に最後のナレーションで「命は青い照明の明滅」だと語られるが、それがオープニングのクレジット・シーンに反映されていることに衝撃を受けた。他にもジョバンニがカムパネルラ家でアルコールで走る汽車の模型を見たという話は、『 オズの魔法使 』を思い起こさせた。ドロシーはオズへ行ったのか、それとも竜巻の衝撃で頭を打って、一時的な夢を見たのか。それと同じで、ジョバンニは本当に銀河鉄道に乗ったのか、それとも丘の上で一時的にまどろんだだけなのか。いかようにも解釈できるところが本作の素晴らしいところである。

 

ネガティブ・サイド

タイタニック号沈没のシーンは、東日本大震災と津波の被害をリアルタイムで経験した人にとっては相当に苦しい時間になりそう。もちろん賢治がそんなことを予見できるはずもないのだが。

 

無線技士の受け取る謎のメッセージをもう少しだけ鮮明にしてくれれば良かった。ここを海の事故を暗示するものではなく、北の海の漁船が帰ってくるという暗示のようなものにすれば、全体的に重苦しい雰囲気が少しは和らいだものになったと思う。

 

総評

文字通り時を超えた名作。少年の友情物語として鑑賞することもできるし、壮大なファンタジーとしてもアドベンチャーとしても解釈できる。正義・友情・勝利という、少年ジャンプ的な世界観や、2000年代以降のだらだらとした日常系とも一線を画している。親としても自分の子どもに安心して見せられる作品である。もちろん、大人も一緒に鑑賞して、子どもたちが抱くであろう様々な疑問に自分なりに答えてやってほしい。自分でも今度甥っ子たちに買ってやろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

speak ill of ~

~の悪口を言う、の意。ザネリのような子どもはいつの時代もいる。それはしょうがない。Ill weeds grow fast. 憎まれっ子世に憚る、である。ただ、ザネリたちのジョバンニへの態度は make fun of ~ = ~をからかう、笑いものにする、馬鹿にする、がより適切な訳かとも感じる。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 1980年代, A Rank, アニメ, ファンタジー, 坂本千夏, 日本, 田中真弓, 監督:杉井ギサブロー, 配給会社:日本ヘラルド映画Leave a Comment on 『 銀河鉄道の夜 』 -ファンタジーの傑作-

『 ネバーエンディング・ストーリー 』 -王道ファンタジー-

Posted on 2022年4月22日 by cool-jupiter

ネバーエンディング・ストーリー 75点
2022年4月19日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:バレット・オリヴァー ノア・ハサウェイ タミー・ストロナッハ
監督:ウォルフガング・ペーターゼン

ふと思い立ってTSUTAYAで本作をレンタル。古い(といっても1980年代だが)時代の映画には、CGには出せない質感があるなと、あらためて実感。だからこそ自分はこの年齢になっても『 ゴジラ 』が好きなのだろうと再確認した。

 

あらすじ

母の死から逃避するために、以前にも増して本の世界に逃避するバスチアン(バレット・オリヴァー)は、いじめっ子から逃げる際に駆け込んだ本屋で不思議な本と出会う。学校の屋根裏でバスチアンは密かにその本を読みふけるが、やがて物語の中のファンタージェンとバスチアンの世界が重なり始め・・・

 

以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

Jovianは別に幼くして母を亡くしてはいないが、それでも小学生にして江戸川乱歩の世界に惑溺していた。なので初めて鑑賞した時はバスチアンと自分を自然に重ね合わせられたし、今回あらためて観返してみて、やはり少年の気持ちに戻れた。アドベンチャーは、やはり良いものである。

 

ファンタージェンの手作り感が素晴らしい。何でもかんでもCGで表現できてしまい、しかもそれが実写と見紛うばかりのクオリティーに達しつつある現代だが、逆にこうした昔の映画のキャラクター造形、衣装、小道具&大道具、背景などの持つ本物の質感には劣る。ロック・バイターは『 太陽の王子 ホルスの大冒険 』のモーグの実写化のようだし、ナイト・ホブのゴブリンっぷりは、数多くの映画や絵本、ゲームに登場したゴブリンの中でもトップクラスだろう。レース用のカタツムリやコウモリ、巨大なカメのモーラに、ラッキードラゴンのファルコンなど、ファンタジーの王道的なキャラクターばかりである。

 

アトレーユの行く冒険の旅でも、いくつかの野外シーンの背景は絵だろう。『 オズの魔法使 』の時代から使われてきた手法だ。象牙の塔は精巧なミニチュアで、これにもCGには出せない味わいがある。「虚無」の描写も、絶望感が漂ってくる。ドライアイスに色をつけて、カメラを上下逆にして撮影したのだろうか。これらを様々な特撮技術で料理しているのだから、当時の人々の創意工夫には脱帽するしかない。

 

第4の壁をキャラクターが破るというのをJovianは本作で初めて経験したが、よくよく観れば、最初に壁を破ったのはバスチアンの方だった。これはなかなか洒落た構成である。アトレーユの冒険に心躍らせる少年が、実は・・・という一種のトリックは、傑作ゲーム『 Ever17 -the out of infinity- 』をインスパイアしたのではないだろうか。また虚無=The Nothingnessという世界を破壊する現象は『 ファイナルファンタジーV 』に取り入れられたと勝手に信じている。実際にそっくりだし。

 

BGMも素晴らしく、特に象牙の塔のテーマ曲は荘厳さと崇高さを感じさせる名曲。またLimahlの ”The Never Ending Story” も非常に印象的だ。映画や小説は知らなくても、なぜかこの歌は知っている人は結構多いだろう。『 炎のランナー 』や『 スティング 』と同じで、映画そのものよりもサントラの方が長生きしている作品の一つ。けれど、映画そのものの出来栄えも非常に高いと評価できる。大人が観ても楽しめるし、子どもにも積極的に見せたいと思える作品でもある。Jovianも甥っ子たちにDVDを買ってやろうと思う。

 

ネガティブ・サイド

アトレーユの冒険部分の描写がもっと必要だと感じた。アルタクスと共に草原や砂漠を疾走するシーンは勇壮だが、アトレーユが素手で戦う、あるいは危険を予測して見事に回避する、といった展開を2~3分で良いので加えてほしかった。

 

ティーニー・ウィーニーやナイト・ホブたちにもう少し見せ場が欲しかった。彼らが持ち寄った情報をアトレーユに渡す、あるいは南のお告げ所の前後で再会するなどしても良かったのではないか。

 

エンディングが少々拍子抜けである。いじめっ子たちにリベンジを果たして終わり・・・ではなく、多くの子どもたちがバスチアン同様に『 ロビンソン・クルーソー 』や『 指輪物語 』、『 ターザン 』を読むようになったことを明示する、あるいは示唆するようなエンディングこそが A Never Ending Story ではないだろうか。

 

総評

メルヘンでありファンタジーでありアドベンチャーでもある良作。ビブリオフィルが主人公というところも希少価値を高めている。活字の良い点は、読者が想像できるところであり、活字の悪い点は、読者が想像しなければならないところである。テクノロジーの発達で文字よりも映像優位の時代になった。映画の世界でも、これを逆手にとって、本を読むという映画を作ってほしいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

keep one’s feet on the ground

直訳すれば「両足を地面につけたままにする」ということだが、意訳すれば「空想に耽らず現実的に考える」ということ。バスチアンが ”I have to keep my feet on the ground!” と叫ぶシーンがあるが、このセリフはその後の展開の伏線になっているところが面白い。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1980年代, B Rank, アドベンチャー, タミー・ストロナッハ, ノア・ハサウェイ, バレット・オリヴァー, ファンタジー, 監督:ウォルフガング・ペーターゼン, 西ドイツ, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 ネバーエンディング・ストーリー 』 -王道ファンタジー-

『 ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密 』 -拍子抜けの一作-

Posted on 2022年4月17日 by cool-jupiter

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ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密 40点
2022年4月9日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:エディ・レッドメイン ジュード・ロウ マッツ・ミケルセン
監督:デビッド・イェーツ

 

『 エイリアン 』、『 エイリアン2 』のせいで自分が一種の面白不感症になっているのか、それとも本作が純粋につまらないのか。ひょっとしたらその両方かもしれない。

 

あらすじ

闇の魔法使い・グリンデルバルド(マッツ・ミケルセン)は人間界支配の野望を露わにした。魔法動物学者ニュート(エディ・レッドメイン)はそれを阻止すべく、マグルの親友やその他の魔法使いたちと共にチームを組む。その過程で、彼は恩師ダンブルドア(ジュード・ロウ)の秘密を知ることになり・・・

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以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

個人的にはUKの俳優ではジェームズ・マカヴォイに次いでエディ・レッドメインが好きである。本作でも彼のチャーミングさは遺憾なく発揮されている。職業倫理を体現したかのような風貌は、まさに魔法動物学者。年上の役者が兄を演じても、エディ・レッドメインが弟を演じるなら文句はない。

 

グリンデルバルドもジョニー・デップからマッツ・ミケルセンに交代したが、こっちのほうが良い。ジョニー・デップはメイクが濃くなると名作率が高まる気がするが、グリンデルバルドの青白いメイクはいかにも中途半端だった。マッツ・ミケルセンのように素顔と表情で悪のオーラを醸し出せる役者の方がグリンデルバルドに向いている。不謹慎ながら、グリンデルバルドの演説とプーチン露大統領の思想を重ねてしまった。侵略戦争というのは、往々にしてこのような形で始まるものなのかもしれない。

 

待てば海路の日和あり。ジェイコブよ、良かったな。

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ネガティブ・サイド

まずタイトルのファンタスティック・ビースト=魔法動物の面からして弱い。エビとサソリを足して2で割ったようなヘンテコ生物は単なる comic relief だし、チレンだかキリンが真実を見抜くというのも設定としてパンチに欠ける。魔法動物のネタ切れ感が強い。

 

そもそも悪者のはずのグリンデルバルドが、正規の手続きに則って魔法省から無罪放免され、あろうことか魔法省トップの座を選挙で争うというのだから笑ってしまう。第一に、魔法の世界であるにも関わらず、マグルの世界と同じく選挙を行うということに違和感を覚える。いや、別に選挙するのは構わないが、ファンタビはハリポタ世界の延長線上というか、前日譚に当たるものではないのか?同じ世界観を共有しているのではないの?ならば選挙だ政治だ裁判だ戦争だなどという小難しい要素を抜きにして物語を紡いでほしかった。

 

そのグリンデルバルドを倒す作戦もよく理解できなかった。「相手は未来が見えるから」という理由で各々が無手勝流に動くのは作戦としてはありかもしれないが、観ている側もニュート達の行動が意味不明に映ってしまうという逆効果の方が大きいように感じた。

 

副題にある「ダンブルドアの秘密」というのも拍子抜け、かつガッカリする内容。まさかダブルドアとグリンデルバルドが『 君の名前で僕を呼んで 』のような関係だった・・・って、それが誰をハッピーにするの? bromance は否定しないが、もっと魔法世界特有の近畿に触れるような秘密はなかったのだろうか。

 

クリーデンスの出自とダンブルドアの家系図の問題も、今作でさらにこんがらかったように感じる。別に本シリーズの主人公がダンブルドアなら、別にこれで構わない。しかし、ニュートはどこにどう絡んでくるの?ニュートとティナの関係性の進展はなぜ描かれないの?鑑賞中に疑問が湧くばかりで、物語世界に入っていけなかった。

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総評

観終わってから、どこがどう面白かったのかを検討する時間が必要だった作品。一時的な面白不感症だった可能性が高いが、それがなかったとしても「面白い」と感じられたかどうか。それぐらい微妙な出来の作品である、というのが偽らざる本音である。ハリポタとの一番の違いは、ファンタビはビルドゥングスロマンになっていないところだろう。ニュートの成長物語というよりも、ニュートとティナの不器用なロマンスのイメージが強く、さらにはそのティナが本作ではほとんど登場しない。グリンデルバルドの強さもイマイチ伝わらず、シリーズとしては完全な中だるみだろう。まあ、次作も観るつもりではあるが。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Keep your head on a swivel.

swivelとは「さる環」のこと。何のことやら分からんという人は画像検索のこと。Swivel がどういう動作なのか、また劇中でどうニュートやテセウスが swivel していたか思い出していただけただろうか。現実には Keep your head on a swivel. = 周囲への警戒を怠るな、という慣用表現で使われることが多い。戦争映画や戦争ゲームでは結構聞こえてくる表現だが、文脈さえ正しければ日常生活で使っても全く問題はない。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アメリカ, エディ・レッドメイン, ジュード・ロウ, ファンタジー, マッツ・ミケルセン, 監督:デビッド・イェーツ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密 』 -拍子抜けの一作-

『 リング・ワンダリング 』 -虚実皮膜の間に漂う-

Posted on 2022年3月27日 by cool-jupiter

リング・ワンダリング 75点
2022年3月26日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:笠松将 阿部純子 長谷川初範
監督:金子雅和

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今日も今日とて土曜日出勤。仕事終わりに鑑賞可能な映画をランダムに探して本作をチョイス。あらすじも何も頭に入れずに臨んだが、なかなかの秀作だと感じた。

 

あらすじ

漫画家を目指しながら工事現場で働く草介(笠松将)はニホンオオカミを上手く描けずにいた。ある時、工事現場で犬の頭蓋骨と思しき骨を見つけた草介は不思議なインスピレーションを得る。他にも骨がないかと夜中に現場に赴くも、草介はそこでいなくなった犬を探す不思議な女性ミドリ(阿部純子)と出会い・・・

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ポジティブ・サイド

こう言ってはアレだが、ダメな役者が一人も出ていないだけで、これほど映画の世界というのは引き締まるのだなと感じた。予算をそれなりにかけて、話題になりそうな作品を題材にして、名前が売れている(≠実力がある)キャストで作品を作るのが主流になってしまった邦画の世界だが、まだまだ自らの心映えを作品世界に反映させられる作り手がいるのである。

 

主演の笠松将の空虚に見える目の中に宿る力強い意志の力、またミドリと出会ってからぶっきらぼうな態度が徐々に軟化していく様に説得力があり、またそこで見せる笑顔や、スケッチの際の真剣なまなざしに魅力を感じた。朴念仁ではあるが、その心根は悪くなく、心情の動きも表情や立ち居振る舞いにさりげなく、しかし確実に表れていた。

 

阿部純子も素朴な女性を好演。不思議な女性というよりも妖しげな女性と名状すべき雰囲気を醸し出す。それが物語のファンタジー要素を補強しながらも、説得力を持たせることにも成功している。また、いわゆる日本的な顔であることも大きい。これにより、タイムトラベルしていることに草介が気付かないという、展開の強引さを緩和している。片岡礼子と安田顕の夫婦も脇を固める。全編にわたって無言の演技の多い本作で、それは非常に好ましいことだが、二人が目だけで語り合うシーンはその中でも白眉だった。

 

二ホンオオカミを思うように描けずにいたところ、それらしき骨からヒントを得るというのは、実際にありそうなことだと感じた。『 風立ちぬ 』でも堀越二郎が魚の骨をヒントに飛行機の機体の曲線を思い描いていた。自然の中にこそ創作のヒントが眠っているのだろう。また、本作で描出される自然の美しさにはかなりのものがある。金色に映える一面のススキ野原に、水音とオオカミの遠吠えだけが聞こえる雪山など、暗転した劇場でこそ観たいビジュアルが満載だった。非常に映画らしい映画だと感じた。

 

知らず知らずにタイムトラベルしていた草介が、自分の知らなかった歴史を知り、創作上の駒だとしか考えていなかった自身の漫画の登場人物を血肉化させていくようになるというプロットは凝ったものだと言える。ジャンル分けが難しい映画であるが、敢えて言えばファンタジー風味の人間ドラマだろうか。それとも人間ドラマ風味のファンタジーだろうか。合理的に説明がつく物語ではないが、監督・脚本の金子雅和の言わんとするところは伝わった。すなわち、生あるものは滅ぶ。しかし、滅びても死なないものがある、ということである。

 

ネガティブ・サイド

非常に独創的な作品だが、いくつかのショットは既視感に溢れたものだった。おんぶから一種の異界に至るというのは『 となりのトトロ 』のさつきとメイの構図だし、狼の巣穴のシーンは『 ネバーエンディング・ストーリー 』のグモルクとの対峙シーンにそっくりだった。

 

漫画パートを実写化するのは悪いアイデアとは思わないが、紙とインクの上で繰り広げられるストーリーを映し出すには、やはりモノクロにするなどの違いが必要だったのではないか。そのうえで、あのシーンだけは鮮やかなカラーにしてみせる、などの工夫ができたのではないかと思う。

 

総評

The less you know, the better. な映画だろう。詳しいあらすじを知っていれば、序盤のうちから「何だこりゃ?」と思ってしまったかもしれない。たまには予備知識ゼロで劇場に向かうのもいいものである。タイトルの英語は Ring Wandering。正確な発音は、リング・ウォンダリングに近い。和製英語で、山や森林で一種の vertigo に陥ることのようである。そのタイトル通りに、不思議な時間の円環に誘ってくれる。独特の世界観に浸らせてくれる、映画らしい映画である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

give sb a piggyback ride

誰々をおんぶする、の意味。単に piggyback sb up という言い方もある。基本的に小さな子ども相手にしかしない行為なので、大人同士の会話で使われることはあまりない。ただ、

Let me piggyback on that question.  
その質問に便乗させてください。

I piggybacked on their research and got this data.
彼らのリサーチに便乗して、 このデータを手に入れたんだ。

のように使われることはたまにある。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, ファンタジー, 日本, 監督:金子雅和, 笠松将, 配給会社:ムービー・アクト・プロジェクト, 長谷川初範, 阿部純子Leave a Comment on 『 リング・ワンダリング 』 -虚実皮膜の間に漂う-

『 永遠の831 』 -もっとエンタメ要素を-

Posted on 2022年3月21日 by cool-jupiter

永遠の831 25点
2022年3月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:斉藤壮馬 M・A・O
監督:神山健治

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先週も土曜日出勤。来週も再来週も出勤確定。夏休み並みの長期休暇気分でも味わうつもりで、あらすじも何も知らないままチケットを購入。

 

あらすじ

大災厄が起きた世界。新聞奨学生のスズシロウ(斉藤壮馬)は、大きな怒りを感じると時間を止めてしまうという能力に悩まされていた。ある時、止まった時間の中で自分と同じように動いている少女を見つけたスズシロウは、彼女を密かに尾行するが・・・

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ポジティブ・サイド

大災厄というのが何であるのか明示されないが、それが物語のフィクション性を高めつつ、リアリティも増している。大地震でも津波でも原発事故でもコロナでも何でもよい。ほんの少しでも考えてみれば、日本という国に上がり目がなく、なおかつ日本という国の政治が末期症状の一歩手前に来ていることは、国会論戦の空虚さとコメンテーター連中の頭の悪い評論活動を見れば明らか。そうした作り手の姿勢は嫌いではない。

 

ネガティブ・サイド

『 あした世界が終わるとしても 』で感じた、アニメキャラがモーションキャプチャーでゆらゆら動くことの気味悪さは、個人的には全く克服できそうにない。

 

新聞屋の若い女性オーナーのお色気設定がよく分からない。スズシロウがこの女性に辟易していたところに、対照的に清純そうななずなが現れた・・・というわけでもなかった。お色気担当?要らないな。

 

「時間を止める」というアイデアは古典だから良いとして、時間を止める方法がバラバラであることに必然性を見出せなかった。また時間が止まっている長さが、スズシロウの場合は3分から1週間と幅がありすぎる。おそらく、なずなも同様だろう。そう考えると、この方法で831戦線が犯行を重ねていくのは無理がありすぎる。

 

なずなが時間を止めるために命の危険を感じなくてはならないというのも地味に意味不明だ。いや、その設定自体は受け入れるにしても、兄が妹を銃で撃つ必要があるのか?あれだとすぐに近隣住民から警察に通報されて、犯行もクソもないと思うが。

 

止まった時間の中で、なずなやスズシロウが触ったものが動き出すというのも、これまた地味に意味不明だ。スマホは電波が止まって使えなくなったが、だったら何故エレベーターは電気が通って使えていた?どうして車は走れた?

 

政治的な主張が込められているのは構わないが、それを成し遂げようというのが官僚の息子というのもどうなのか。阿川兄妹のバックグラウンドを考えれば、公安や内閣情報調査室に常にマークされているだろう。

 

総評

細かいところに突っ込みだすと、いくらでも突っ込めてしまう。ストーリーを堪能するのではなく、今という時代を背景にしながら観ることで、個人個人で感じ取れるものを感じ取ればよいのだろう。ただ、アニメはちょっと・・・という層には勧めにくいし、いわゆる日本的なアニメの文法からもかなり逸脱した作品である。鑑賞するのなら、下調べをほとんどせずに臨むか、あるいはこれ以上なくリサーチした上で観るべきだろう。ただ、どういう見方をしてもエンタメ要素に乏しいという欠点は消せないだろうが。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

ransom

身代金の意。ランサムウェアなる言葉を聞いたことのある方もいるだろう。コンピュータを使用可能にするマルウェアを解除してやるからカネを払え、というやつである。誘拐系のミステリやサスペンス映画ではしょっちゅう聞こえてくるので、そういう作品を鑑賞する時には耳を澄ませてみよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, M・A・O, アニメ, ファンタジー, 斉藤壮馬, 日本, 監督:神山健治, 配給会社:WOWOWLeave a Comment on 『 永遠の831 』 -もっとエンタメ要素を-

『 ひるね姫 知らないワタシの物語 』 -五輪前に鑑賞すべきだったか-

Posted on 2021年9月24日2021年9月24日 by cool-jupiter

ひるね姫 知らないワタシの物語 50点 
2021年9月20日 レンタルBlu rayにて鑑賞
出演:高畑充希
監督:神山健治

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『 ハルカの陶 』や『 しあわせのマスカット 』と同じく、岡山を舞台にした映画ということで近所のTSUTAYAでレンタル。

 

あらすじ

東京オリンピックの年。森川ココネ(高畑充希)はいつも昼寝の時に同じ夢を見ていた。ある日、自動車整備工である父親が突然、逮捕され、東京へ連行されてしまう。幼馴染のモリオと共に父を救おうとするココネは、いつも自分が見る夢に父と亡き母の秘密が隠されていることを知り・・・

 

ポジティブ・サイド

眠りの先に広がるファンタジー世界というのは、それこそジャック・フィニィの昔から存在する。近年の邦画でも『 君の名は。 』などに見られるように古典的な設定だ。そこに本作はタブレットを使った魔法という、何とも摩訶不思議な設定を持ってきた。アーサー・C・クラークの「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」をそのまま適用しているわけで、これはこれで古くて新しく、非常に面白いと感じた。

 

絵柄も適度にデフォルメされていながら、媚びたようなアニメ的造形になっていないくてよろしい。妙に甘ったるいロマンス要素を極力排除したことで、家族のドラマとして成立している。

 

ココネというキャラが基本アホなのだが、それが時にユーモアを、時にスリルとサスペンスを生み出している。妙に頭が冴えたキャラよりは、こちらの方がよい。頭の良いキャラを設定してしまうと、行動に不合理さがなくなり、思わぬ展開を生み出しにくい。ココネが等身大の高校生キャラであることが、要所要所でストーリーを前に進める原動力になっている。

 

悪役が身震いするような悪ではなく、どこまでも小悪党であるのも良い。中学生ぐらいでは理解が難しいであろう経営哲学の違い、そのぶつかり合いが描かれるが、本作の悪役を本格派にしてしまうと「それも正しい」と感じてしまうナイーブな少年少女が絶対に一定数は出る。そうさせないで、しかし明確に悪は悪であると印象付けるキャラ設定の妙が光っている。

 

夢と現実のつながりの謎も、伏線自体は結構フェアに張られている。このあたりに『 君の名は。』の影響があるとみる向きもいるかもしれないが、これはパクリでもなくオマージュでもなく、オリジナル要素であると前向きに受け取りたい。

 

ネガティブ・サイド

ファンタジーでありながら、時間によってどうしても陳腐化してしまう科学の力にもフォーカスしているせいで、古典的な傑作にはなりえない。しかも、東京オリンピックというタイムリーなようなタイムリーでないようなイベントに関連させてしまったせいで、10年後に鑑賞する人からすれば「なんだこれ?」という物語になってしまっている。もっとプロ野球の優勝チームのパレードとか、力士の横綱昇進パレードのようなイベントにはできなかったのだろうかと思ってしまう。特に、現実の東京オリンピックの舞台で「事故」が実際に起こってしまったので、なおさらである。

 

岡山で鬼とくれば桃太郎であるが、イヌ、サル、キジはどこだ?また鬼が攻めてくるのにも違和感。鬼相手に攻め込んでは負け、攻め込んでは負けしながら、最後に勝つ方が桃太郎的では?

 

やっぱり岡山弁が下手。まあ、方言が上手い邦画というのは少ないし、アニメに至ってはもっとだろう。それでも、敢えて東京あるいはその周辺の、いわゆる標準語エリアから遠く離れた地域を舞台にするからには、もう少しその地域にリスペクトが欲しい。

 

全編通じてどこかで観た作品のパッチワーク的である。『 ゴジラvsコング 』のアレだったり、『 ぼくらの 』だったり、『 ドラえもん のび太の海底鬼岩城 』のバギーやら、とにかく指摘し始めるときりがない。オリジナル要素も強いが、過去の様々な作品の影響があまりにも濃厚に見えすぎるのも考えものである。

 

総評

評価が難しい作品。また、アニメでありながらも低年齢向けではない。ファンタジーでありながら、時間で風化する要素が強すぎる。しかし、根本のテーマである家族は鉄板で、ろくでなしの父の愛、死んでしまった母の愛というのは、陳腐でありながらも確かに観る者の胸を打つ力を持っている。高校生以上なら、そこそこ楽しめるはずだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take a nap

「昼寝をする」の意。他にも get a nap や have a nap も使う。単に nap だけを動詞として使ってもよい。最も一般的なのは、やはり take a nap だろうか。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, SF, アニメ, ファンタジー, 日本, 監督:神山健治, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画, 高畑充希Leave a Comment on 『 ひるね姫 知らないワタシの物語 』 -五輪前に鑑賞すべきだったか-

『 フィールド・オブ・ドリームス 』 -He lives in you-

Posted on 2021年9月5日 by cool-jupiter

フィールド・オブ・ドリームス 80点
2021年8月30日 NHK BSプレミアムにて鑑賞
出演:ケビン・コスナー ジェームズ・アール・ジョーンズ レイ・リオッタ バート・ランカスター
監督:フィル・アルデン・ロビンソン

 

たしか中学生の時にVHSで父親と一緒に観た。世にスポーツは数多いが、特定の国々では野球に格別のドラマを見出すようである。

 

あらすじ

トウモロコシ農場を営むレイ(ケビン・コスナー)は、ある日「それを作れば、彼はやって来る」という謎の声を聴く。”それ”を野球場だと解釈したレイは、畑の一部をつぶして野球場を作る。するとそこに、スキャンダルでMLBを追放された往年の名選手、シューレス・ジョーが現われて・・・

 

ポジティブ・サイド

初めて観た頃に、ちょうど中学の授業で赤瀬川準の『 一塁手の生還 』を読んでいたと記憶している。同作を読んで、「時代と共に変わってしまうもの、時代を経ても変わらないものがあるのだな」と感じていたので、本作品でしばしば言及される60年代が何のことやら分からなくても、それが物語の理解の妨げにはならなかった。今の目で観返してみると色々と見えてくる。戦争とそれに続く反戦運動は『 シカゴ7裁判 』に描かれている通りだし、親世代と子世代の断絶は普遍的なテーマである。

 

ケビン・コスナーが作った野球場にシューレス・ジョー・ジャクソンが現われるのは、日本で言えば沢村栄治が復活するぐらいのインパクトだろうか。ちょっと違うか。いや、戦争への道を歩む前、牧歌的に野球をしていた頃の日本の野球人だという意味では合っているかもしれない。

 

ジェームズ・アール・ジョーンズの声を聴くと、どうしても『 スター・ウォーズ 』のダース・ベイダーを思い起こすし、『 ライオン・キング 』のムファサの声も印象に残っている。父親をテーマにする本作のベストキャスティングではないかと思う。

 

レイが60年代の象徴たるテレンス・マンと共に全米を奔走し、それどころか過去と現代を行き来して、悲運のメジャーリーガーとついに巡り合う。しかし、アイオワに連れてくることが叶わないシーンには胸が潰れそうになってしまった。そこへ現われる時を超えてきた青年に思わず息を飲んでしまった。そして、その青年の因果にも。

 

最後の最後に現われる「彼」との邂逅は、野球が普及していない地域や文化圏の人が見ても、その美しさと尊さは伝わることだろう。Jovianは自宅の居間で不覚にも涙してしまった。過去と現在は断絶しない。愛と絆があれば、再び人は寄り添い合うことができる。ベタにも程があるストーリーなのだが、中年になった今、あらためてその素晴らしさを堪能することができた。

 

ネガティブ・サイド

ケビン・コスナーが各地を奔走して、「彼」を探す旅路と、自宅でそれを待つ家族という構図にアンビバレントな気持ちを抱かされる。チューリップの『 虹とスニーカーの頃 』で「わがままは男の罪、それを許さないのは女の罪」と歌った時代で、2020年代にそんな菓子の歌をリリースすればバッシングの嵐だろう。時代が違うとはいえ、この部分だけは「おいおい、レイ、もうちょっと察してやれよ」と感じてしまった。

 

散々指摘されていることだが、シューレス・ジョーは左利きである。P・A・ロビンソン監督がレイ・リオッタを御しきれなかったのか。

 

総評

WOWOWで夜更かししながらNBAを観ていたJovian少年はマイケル・ジョーダンの突然の引退と野球への転向ニュースに大いに驚いた。今にして思えば、MJも野球を通じて父親ともう一度つながりたかったのかもしれない。『 ドリーム 』や『 モリーズ・ゲーム 』で厳しいながらも温かみのある父親的人物像を打ち出すケビン・コスナーの演技が光る本作を観れば、親孝行したくなってくる。コロナ禍が収まったら、親父と一緒に映画館に行きたいな。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take in something

スポーツ観戦は watch または see を使うのがほとんどだが、野球は take in a baseball game という表現がしばしば使われる。Cambridge Dictionaryでは take in = to go to see something of interest となっており、面白いと感じられるもの全般に使うことが分かる。実際に take in a beautiful sunset というのは travel blog などでよく使われる。映画ファンならば、take in a movie という表現も知っておきたい。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 1980年代, A Rank, アメリカ, ケビン・コスナー, ジェームズ・アール・ジョーンズ, バート・ランカスター, ファンタジー, レイ・リオッタ, 監督:フィル・アルデン・ロビンソン, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 フィールド・オブ・ドリームス 』 -He lives in you-

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