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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: ヒューマンドラマ

『 騙し絵の牙 』 -トレーラー観るべからず-

Posted on 2021年4月1日 by cool-jupiter

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騙し絵の牙 55点
2021年3月28日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:大泉洋 松岡茉優
監督:吉田大八

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塩田武士はJovianと同郷の兵庫県尼崎市出身、さらに学年も同じである。ひょっとしたらその昔、街中ですれ違ったことぐらいはあるかもしれない。原作小説は未読であるが、『 罪の声 』が傑作だったので、本作も期待していたのだが、こちらはダメだった。とにかくトレーラーで半分はネタバレしてしまっている。作った人間は切腹してよい。

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あらすじ

大手出版社「薫風社」で社長が急逝。次期社長の東松の経営改革によって、看板雑誌である「小説薫風」すらも月刊から季刊に変更されかねない。そんな中、サブカル雑誌「トリニティ」の変わり者編集長・速水(大泉洋)は、新人編集者の高野(松岡茉優)を誘い、独自の企画を次々に立案・実行していくが・・・

 

ポジティブ・サイド

ひとりのサラリーマンとして本作を観た時、サラリーマン世界の権力闘争や仕事の切り拓き方をよくよく活写しているなと感じた。特に新社長の東松と専務の宮藤の権力争いは旧態依然の典型的な日本企業であると感じたし、小説薫風の編集長の木村佳乃は旧弊に無意味に固執するという点で、バリキャリでありながらも、やはり昔ながらの日本のサラリーマンである。こうした職場や会社に厭いている人は実は多いのではないかと思う。だからこそ、トリニティの編集長の速水が、文壇の大御所にまったく物怖じすることなく接し、また新人編集者の高野から忖度無しの批評を elicit するところが痛快なのだ。本人たちに出会ったことは無いが、大泉洋は速水に、松岡茉優は高野に、それぞれ似たところがあるのではないだろうか。役者がキャラにピタリとはまっていた。

 

文学や読書という視点から眺めてみるのも面白い。テレビ番組内文学の価値を大仰に語る國村準演じる文豪には、確かに名状しがたい説得力がある。『 響 – HIBIKI – 』などから感じられるように、文学にはまだまだポテンシャルがあるはずだし、文学が果たすべき役割は大きい。文学という虚構の物語でしか提示できない命題や哲学があるからだ。またコロナ禍において、書籍の売り上げが増加しているという事実もある。人はいまでも文学(小説かもしれないし、エッセイかもしれないが)を求めているのである。

 

そうしたことに思いを巡らせている中で、なぜかいきなり國村準が歌っていたり、あるいはワインのテイスティングで大失態したりと、シリアスとギャグを行ったり来たり。このシーンでは笑ってしまうこと必定である。このシリアスとギャグを行ったり来たりは、佐野史郎演じる専務や、新社長の東松と速水がシンクロするシーンでも見られ、とにかく笑ってしまうのだ。実際に劇場のそこかしこから笑い声が聞こえてきた。

 

高野と速水の凸凹コンビが新たな領域を切り拓いてく様はサラリーマンとして見ても痛快だし、そこから生まれる人間模様や世間の反応、さらにちょっとしたツイストもあり、観る側を飽きさせない。騙し騙されよりも、純粋にお仕事ムービーとして鑑賞することで、速水の秘めた思い、そして高野が抱くようになった思いを理解できる。どちらに共感するかは人に拠るだろうが、Jovianは速水の思いに寄り添いたくなった。多分、35歳ぐらいが分かれ目か。それ以上の年齢なら速水派だろうし、それ以下の年齢なら高野派だろう。本作を楽しむ方法の一つは、自分をメインキャラの誰かに重ね合わせて仕事をする、仕事を構想することだと思う。

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ネガティブ・サイド

騙し合いバトルなどど散々に煽ってくれたが、この程度で騙されるのはミステリ初心者ぐらいだろう。まあ、ミステリ作品でもないのだからそこに目くじらを立てるべきではないのかもしれないが、本当ならもっとびっくりさせられる展開のはずが、半分くらい種明かしされていたと映画のかなり早い段階で気付いてしまった。とにかくトレーラーが罪である。とにかく「全員嘘をついている」という煽り文句を信じれば、新たなキャラが登場したり、展開が進んでいくたびに「ああ、これ嘘だ」、「あ、これも嘘かな」、「これも嘘やろうな」と分かってしまう。他にもいわくありげにトレーラーに登場していて、それでいて本編では謎の人物として序盤から存在がにおわされているキャラクターとか、そんな中途半端過ぎる演出や筋立てはいらんやろ・・・ リリー・フランキーの無駄遣いと言うか、観客を驚かせようという意図が見えない。

 

また、作り手が本当に騙したいのは読者や映画の観客であることを常に意識していれば、某キャラのやや不自然な振る舞いや大袈裟なリアクションがフェイクであることが分かってしまう。終盤手前のドンデン返しの驚きが、ここでひとつ弱くなってしまっている。

 

高野の父親が倒れるエピソードは不要な気がする。もちろん、父親の病気によってその後の高野の行動が分かりやすくなっている面もあるが、あえて病気の力を借りる必要もない。もともと出版不況の折、街の書店が潮時を自然に悟っても不自然さはない。

 

佐藤浩市と中村倫也が腹違いの兄弟疑惑も不要。それが事実であろうと事実でなかろうと、プロットに何の影響もない。原作では何かあったのだろうが、ドンデン返しにつながらないのであれば、そんな設定はバッサリ切ってくれてよかった。

 

斎藤工のキャラも蛇足。胡散臭いファンドマネージャーなどいてもいなくても、本編に何の影響も与えていない。どうせ胡散臭いキャラを出すなら、実はアメリカあたりのハゲタカファンドのエージェントだったとか、大規模工事に一枚噛みたい大手ゼネコンにつながってましたみたいなキャラにするべきだった。

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総評

大泉洋は腹に一物抱えていながらも飄々としたキャラを好演。松岡茉優も編集者として等身大の演技を見せた。笑えるシーンも多く、その一方で『 七つの会議 』的なサラリーマン社会のシリアスな描写もあり、エンターテインメントとしては及第点。問題はとにかくトレーラーの出来が酷過ぎること。トレーラーを何度も何度も観た人間が本編を観れば、「ああ、このキャラはあいつで、こいつの正体はこうだな」と次から次に分かってしまう。「全員嘘をついている」とか言う必要はゼロだろう。何たる興覚め。とにかく本作を楽しむためにはトレーラーの類を一切観ないこと。これに尽きる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

power struggle

 

権力闘争の意。新社長と常務の対決シーンは本作の(数少ない)見どころの一つである。サラリーマンで上に昇っていけるのは、実力半分ハッタリ半分なのだというところが役員同士のdick measuring contestから見て取れる。

 

Jovianセンセイのお勧め書店

REBEL BOOKSは群馬県高崎市の、いわゆる街の書店。といっても高野の実家のような昔ながらの書店ではなく、地域の拠点、情報発信基地のような本屋さんである。Jovianの大学の同級生が経営者である。Jovianも時々通販で買っている。とんがった品揃えの店なので、bibliophileな方はぜひ一度のぞいみてくだされ。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, D Rank, コメディ, ヒューマンドラマ, 大泉洋, 日本, 松岡茉優, 監督:吉田大八, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 騙し絵の牙 』 -トレーラー観るべからず-

『 ノマドランド 』 -現代アメリカの新しい連帯の形-

Posted on 2021年3月28日 by cool-jupiter

ノマドランド 75点
2021年3月27日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:フランシス・マクドーマンド デビッド・ストラザーン
監督:クロエ・ジャオ

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様々なメディアによると米アカデミー賞の本命は『 ミナリ 』よりも、こちらだとか。まあ、『 スリー・ビルボード 』のフランシス・マクドーマンド主演なので、話題性がどうであれ観ることには間違いはない。こちらも『 ミナリ 』とは別の角度から人間の生き方に光を当てた良作。

 

あらすじ

長年連れ添った夫のボーを亡くし、勤め先の企業の倒産もあり、住み慣れた家や土地を離れることになったファーン(フランシス・マクドーマンド)。彼女はキャンピング・カーでアメリカ各地を周り、アマゾンの倉庫などで期間限定の仕事をして暮らすノマドになった。そして、行く先々で様々な人々との出会っていき・・・

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ポジティブ・サイド

フランシス・マクドーマンドがその存在感を消して、見事にノマドになっている。いや、ノマドというよりもどこか原始的な人間であるように映る。険のある表情の中に憂いを秘めている。根無し草でありながら、生への執念は消えていない。ノマドという生き方を選ぶことの是非ではなく、どんな形であれ生きることを選択する姿が胸を打つ。ホームレスではなくハウスレスだとファーンが元教え子に伝えるシーンは、衣食住の住には、住まい以上の意味があるのだということを教えてくる。Home is home = 住めば都、という表現があるが、キャンピング・カー、そして思い出の皿など、ホームとは安住できる依り代なのだ。

 

ノマドとしての生活も真に迫っている。原っぱでの排せつや川での行水までも描かれる。しかし、いくら遊牧民とはいえ貨幣経済からは逃れられないし、完全な自給自足も不可能。そこでノマド同士が出会い、寄り添っていく姿がひたすら写実的に描写される。アマゾン倉庫やSAのちょっとしたショップ、ボブ・ウェルズというオーガナイザーの呼びかけるイベントなど、ドラマを盛り上げる要素はいくらでもある。だが、そうはしない。なぜならファーンを始めとしたノマドたちがただ生きる日々それ自体が十分にドラマだからだ。もちろん、他人の善意がファーンを大いに傷つけることもある。だが、それを許すことができるのもまた人だ。作った事件やハプニングがなくとも、人の生き様は充分にドラマチックでありうるのだ。

 

キャンピング・カーの内と外、都市の内と外、家庭の内と外。ノマドは、自分以外の人間と隔絶した世界に生きている。それをするのが広大無辺なアメリカの大地だ。ビルも家も何もない。草原や荒野や岩地が広がるばかりの光景に、朝焼けと夕焼けが映える。まるで一日一日が再生と死を象徴しているかのようだ。そうした情景描写がファーンを始めとしたノマドたちの生き様をよりリアルにしている。実際に本作に登場するノマドたちは本当のノマドによって演じられていることをエンドクレジットで知って驚いた。演出された世界ではなく、現実の世界を観ていた。現実と虚構の境目があやふやになった。ノマド的な生き方に憧れを持つことはいが、ノマドという生き方を現実に選択する人々のことをリスペクトしたいと強く感じるようになった。ファーンやリンダ・メイ、スワンキーのような生き方も今後のニューノーマルの一つになっていくのかもしれない。



ネガティブ・サイド

ピアノのBGMが、ある人物が弾くアコースティック・ギターの音とケンカをしているシーンがあった。数秒だけだったが、非常に jarring に感じた。

 

もう一つ、スワンキーの語るツバメの乱舞する光景のシーン。なぜ水面を映し出さなかったのだろうか。自分も一緒に飛んでいる感覚を観る側が味わうためには、スワンキーが見たのと同じ構図の画を共有させる必要があったのではないだろうか。

 

石膏採掘会社の倒産に翻弄されるファーンだが、アマゾン倉庫での労働の描き方が非常にニュートラルであると感じた。アマゾンの労働環境の過酷さは広く知られているところで、ノマドたちがそこで生き生きと働く姿に少々違和感を覚えた。

総評

一部の地域を除いてコロナ禍が今もって現在進行形の世の中で、人と人との距離感がずっと問い直されている。本作は、ファーンという個人のとてつもない孤独の中の旅路に、新しい形の人間関係を呈示している。格差や分断の中でこのような交流が生まれてくることは、日本の未来を見つめる時の一つのヒントになりうる。生きることの難しさ、そして生きることの尊さを静かに、しかし力強く描く傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

stand for 

作中では”What does RTR stand for?”のように使われていた。意味は「~を意味する」だが、しばしば頭字語について用いられる。

“What does NATO stand for?” / “It stands for North Atlantic Treaty Organization.”

のように使う。meanを使っても問題ないが、stand for ~ も知っておくと、ネイティブに色々と質問もしやすい。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, デビッド・ストラザーン, ヒューマンドラマ, フランシス・マクドーマンド, 監督:クロエ・ジャオ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ノマドランド 』 -現代アメリカの新しい連帯の形-

『 夏時間 』 -生きることの側面を鮮やかに切り取る-

Posted on 2021年3月23日 by cool-jupiter

夏時間 75点
2021年3月21日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:チェ・ジョンウン パク・スンジュン
監督:ユン・ダンビ

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韓国映画には過渡期が訪れているのかもしれない。容赦の無い暴力描写に、隠すことのない激しい人間の感情。そうしたものをことさらに強調することなく、しかし、心の動きはしっかりと映し出す。昨年、キム・ギドクが死去してしまったが、ギドク映画に影響された世代が、こうしたトレンドが生み出しているのかもしれない。

 

あらすじ

オクジュ(チェ・ジョンウン)とドンジュ(パク・スンジュン)の姉弟は、父と共に祖父の家でひと夏を過ごすことになった。そこに離婚を望む叔母も加わり、奇妙な共同生活が始まった。だが、オクジュは何かしっくりこないものを感じていて・・・

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ポジティブ・サイド

これまた韓国から素晴らしく瑞々しい感性の映画が届けられた。劇的な事件などなくても、劇的な物語は作れるのだ。『 ミナリ 』が異邦人の新天地での物語であったとすれば、本作はある意味での自分探しだ。自分というものが自分でも分からない。そんな時期が誰にでもある/あったはずで、本作はそんな人生の中の刹那のひと時を捉えている。

 

まず目を引くのが俳優陣の演技力の高さ。特に父親の善人さとダメ人間さの同居は、演技とは思えない。自分では必死に頑張っているが、それが報われない。打算や欲得ずくで動いているわけではないので、なおさら悲哀が目立つ。かといって悲壮なばかりではない。子どものために頑張るし、妹のことも思いやる。けれど、人間らしい弱さ、人間らしい冷たさもしっかりと併せ持っている。韓国映画に出てくる父親というのは往々にして暴君の象徴であるが、この父親はどこまでも人間らしい。良い意味でも悪い意味でも、市井のどこにでもいるあなたであり、わたしなのだ。

 

そしてドンジュを演じたWonder Boyのパク・スンジュン。監督の演出に素直に従っているのか、何パターンか撮影した中で出来の良いものを使っているのか。いずれにしても恐ろしいほどの演技力の子役である。なにが凄いかって、子役特有のわざとらしさが一切ないところ。甥っ子や近所の子どもに本当にいそうな感じを全身から醸し出している。特に目を瞠ったのが、姉とのケンカと、その後のなんでもない仲直りのシーン。兄弟姉妹を持つ者なら、この絶妙な距離感が肌で理解できるはずだ。そして、この男の子のけた外れのパフォーマンスの凄さも。

 

それでも最も高い評価を与えたいのはオクジュを演じたチェ・ジョンウン。別に特に目を引く美少女と言うわけではないのだが、『 息もできない 』のヨニや、『 はちどり 』のヨンジ先生のように、物語の後半に入るあたり、おばさんと一緒に洗濯物を干すシーンあたりから急にきれいに見えてくる。下着を干しているからだとか、恋人がいるかどうかといった女子トークをしているからではない。このあたりから、家族との微妙な距離感が浮き彫りになってくるからだ。家族を大事にしたいという思いと、家族を大事にできない、この家族は私を大切にしていないという思いのせめぎ合いのようなもの、つまり心の奥底が見えてくるからだと思う。実際、少々退屈だった前半とは打って変わって、オクジュはここから動き出す。ひと夏のアバンチュールを求めてなどではなく、本当に思春期特有のほんのちょっとしたことのために。それはボーイフレンドとのちょっとした逢瀬だったり、“盗んだバイクで走りだす”的な若気の無分別だったりするわけだが、そこには何も劇的な要素はない。誰もが共感できる身近な行動ばかりだ。物語はそこから加速し、終盤に向かっていくが、そこで初めて我々は序中盤の冗長な家屋内のシーンの意味を知る。

 

前半から中盤にかけてのドラマの無い日常=家の中での何気ない家族の触れ合い(多くの場合それは食事だ)や、祖父のほんのちょっとした時間の過ごし方が、オクジュがずっと感じていたもどかしさと実は通底するものだと悟った瞬間の衝撃よ。一人で広い家に住む祖父に覚える違和感の正体は、そこにいるべき祖父の妻、父の母の不在なのだ。それが父の妻、自分の母の不在と重なってしまうのだ。祖父のとある行為と涙のシーンでは、自分がオクジュと同化してしまったかのような感覚を覚えてしまった。心揺さぶられる最後のオクジュの啼泣に、「おめでとう、オクジュ。君は自分の心を見つけたんだ」とエールを送った。同じように感じる壮年、中年は多いのではないだろうか。この春、見逃すべからざる映画の一本である。

 

ネガティブ・サイド

叔母さんとオクジュの間でもう少し会話が欲しかった。別に「旦那さんとの間に何があったの」のような踏み込んだ会話は必要ないが、叔母さんが選ぶべき男について延々と語る場面で、オクジュの声を聞いてみたかった。

 

食事のシーンがやたらと多かったが、調理のシーンにももう少し尺を割いてほしかった。もちろん、キムチを手でよく揉みこんだり、ラーメンを作ったりはしていたが、料理も結構な家族の共同作業なのだ。ラーメンも姉弟の二人で作ったりとか、あるいはそれぞれに入れたい具が違うといった描写があれば、姉弟としてのリアリティはもっと増したと思う。

 

総評

『 ミナリ 』と不思議な対を成すかのような作品。『 はちどり 』と同じく、少女と家族の物語を瑞々しい感性で切り取った秀作である。本作を観る時には、事件や人間関係の進展のような劇的な要素を求めてはいけない。ドラマとは日常の片隅で静かに繰り広げられており、誰にとってもありふれた物語にこそ、本当に共感できる要素が詰まっているのである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

ハラボジ

お祖父さん、の意。日本語でも親の父を「お祖父さん」と言うが、血縁関係のない高齢者を指して「お爺さん」と言うのと同様に、韓国語でも高齢男性を指してハラボジとも言えるらしい。「おじさん」や「おばさん」も多分、同様だろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, チェ・ジョンウン, パク・スンジュン, ヒューマンドラマ, 監督:ユン・ダンビ, 配給会社:パンドラ, 韓国Leave a Comment on 『 夏時間 』 -生きることの側面を鮮やかに切り取る-

『 ミナリ 』 -落地生根の物語-

Posted on 2021年3月20日 by cool-jupiter

ミナリ 75点
2021年3月19日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:スティーブン・ユアン ハン・イェリ アラン・キム ノエル・ケイト・チョー ユン・ヨジョン
監督:リー・アイザック・チョン

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アカデミー賞に複数部門にノミネートされている話題作。『 パラサイト 半地下の家族 』に続いての快挙なるか。

 

あらすじ

ジェイコブ(スティーブン・ユアン)は農業での成功を夢見て、韓国から米アーカンソー州に家族を連れて移住する。しかし、新天地での孤独からジェイコブと妻モニカの関係に亀裂が生じる。そこで、モニカの母スンジャ(ユン・ヨジョン)を米国に呼び寄せることになり・・・

 

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ポジティブ・サイド 

まず映像の美しさに目を奪われる。米アーカンソー州のwildernessに近い自然が、豊かさ予感と厳しさの予感、両方を感じさせる。あまりにもだだっ広い風景の中にぽつねんと佇立するトレイラーハウスが、広大な新天地の中で家族の置かれた孤独を象徴している。

 

移民の悲哀というものは、親世代と子世代の断絶が生じてしまうところにあると思う。英語が流暢で、感性もアメリカナイズされている娘アンや心疾患持ちの息子デビッドと、何かあるたびにケンカをしてしまう父ジェイコブと母モニカの姿に、「家族」というものの紐帯がどこにあるのかが分からなくなってしまう。祖母スンジャが、家族の形をまとめるのかというタイミングで颯爽と登場するが、デビッドは韓国っぽさ全開でお祖母ちゃんらしさがないお祖母ちゃんのことを好きになれない。そうした家族がどのように「家族」になっていくのか。

 

はっきり言って普通の人の普通の人生にもこうした困難や苦難はつきものだというイベントだらけである。しかし、忘れてはならないのはジェイコブたちは異邦人であり、祖国での生きづらさを抱えていたのだ。そのことを吐露する夫婦のシーンが二つあるが、いずれも静かなシーンでありながら、言葉では言い表せない感慨をもたらしてくれる。

 

またデビッドとスンジャが築くことになる奇妙な信頼と愛情には、時代の背景がそれぞれ反映されているように思う。ジェイコブを手伝うポールは朝鮮戦争への出征経験があり、スンジャは当然、その当事者だった。戦争、および80年代終わりまで続いた韓国の軍事政権=非民主的政権下での生活から逃げ出してきた一家およびその周辺の人々の物語として本作を観れば、どんなにバラバラになりそうでも、まるでミナリ(=セリ)のように、ひとつの家族として再生できるという希望を暗示している。最後のショットは、家族の渡米初日の夜の父の台詞を思い起こせば、非常に味わい深いものとして鑑賞できるだろう。

 

ネガティブ・サイド 

花札にもう少しフォーカスしても良かったのにと思う。『 ジョイ・ラック・クラブ 』における麻雀のようなシンボルになる可能性を秘めていたと思う。

 

ジェイコブの父親としての、夫としてのエゴが少々大きすぎた。序盤に性別で仕分けられた雄鶏の雛が廃棄されているのを指して、「俺たち男は有用でないといけない」とデビッドに語るのは、少々身勝手すぎやしないか。食用にも向かず卵も産まない雄鶏に自分を重ねるのは構わないが、それは人間にとっての見方。アメリカ社会では有用でないと選別されてしまうという移民の悲哀は充分に伝わったが、それを家族内にまで持ち込むのはどうかと思う。そのことが祖母スンジャの中盤以降の生活にも反映されてしまったのではないか。だが、であるからこそ、最終ショットの美しさが際立つのか・・・

 

総評 

これは21世紀の韓国版『 ジョイ・ラック・クラブ 』になるかもしれない。静かな展開で、決してジェットコースター的な物語ではない。そうした意味では一般向きではないかもしれない。『 焼肉ドラゴン 』のようなひとつの異邦人家族の人生の物語を、自分の人生の物語として読み替えられるかどうかが鍵になる。このように書くと大袈裟だが、『 喜劇 愛妻物語 』を観て、なんだかんだあっても家族はやっぱり家族だよなあ、と思える人なら、本作の真価を味わえるはずだ。『 フェアウェル 』に続く、お祖母ちゃんの物語の傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

アラッチ?

「分かった?」の意。姉が弟によく言っている。かなりフランクな表現なので使いどころには注意が必要である。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, アラン・キム, スティーブン・ユアン, ノエル・ケイト・チョー, ハン・イェリ, ヒューマンドラマ, ユン・ヨジョン, 監督:リー・アイザック・チョン, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 ミナリ 』 -落地生根の物語-

『 あのこは貴族 』 -システムに組み込まれるか、システムから解放されるか-

Posted on 2021年3月3日 by cool-jupiter

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あのこは貴族 75点
2021年2月28日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:門脇麦 水原希子 石橋静香 篠原ゆき子 高良健吾
監督:岨手由貴子

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日本の経済的成長の停滞が続いて久しく、貧富の格差がどんどんと広がり、もはやそれが身分格差にまでなりつつあるようだ。上級国民なる言葉も人口に膾炙するようになってしまったが、そのような時代の空気を察知して本作のような作品を世に問う映画人もいるのである。

 

あらすじ

良家の子女として育てられてきた華子(門脇麦)は、顔合わせの当日にフィアンセと別れてしまう。次の相手を探すうちに姉の夫の会社の顧問弁護士で代議士も輩出している名家の幸一郎(高良健吾)と出会い、交際が始まる。しかし、幸一郎の影には時岡美紀(水原希子)という女性がちらついていて・・・

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ポジティブ・サイド 

門脇麦の感情を表に出さない演技が光る。フィアンセに顔合わせの当日にフラれたというのに、苛立ちや悲しみを一切見せることがない。家族や親族も華子を特に慰めるでもなく、サッサと次に行くべきと主張するなど非常にドライだ。そしてそのアドバイス通りに次から次へと色んな男との出会いを重ねていく華子の姿は、相手の男がどいつもこいつも社会不適合者気味なこともあり、滑稽ですらある。そんな華子がついに出会った幸一郎が、また存在感、ルックス、学歴、職業、立ち居振る舞いが完璧で、この出会いの時に華子が見せるかすかな瞳の輝きが実に印象的だった。

 

そんな幸一郎には、実は女の影があり、それが地方から上京してきた美紀。幸一郎に講義内容をメモしたルーズリーフを貸したところ、それが返ってくることがなかったというエピソードが印象的だ。苦学の末に慶應義塾に入学したにもかかわらず、実家の経済状態の悪化で退学。ノートもお金も時間も東京に吸われてしまったが、東京は彼女に何も与えてくれなかった・・・というストーリーにはならない。したたかに生きると言ってしまえば簡単だが、美紀が見せる生きる力、決断力、友情の深さに励まされる人は多いのではないだろうか。

 

二人の女性が幸一郎を間接的に媒介して出会うことになるのだが、そこにはドロドロとした女の情念のようなものはない。あるのは人間同士の真摯な向き合い方だ。幸一郎と婚約したという華子に、美紀は幸一郎とはもう会わないと伝え、実際に幸一郎との腐れ縁をスパッと断ち切ってしまう。男と女のドラマをいかようにも盛り上げられる機会を、物語はことごとくスルーしていく。それは本作が描き出そうとしているのが、男や女ではなく人間だからである。

 

「私たちって東京の養分だね」と呟く美紀を見て、自分も良く似た感慨にふけったことがあるのを思い出した。多かれ少なかれ、東京以外の土地から東京へと出ていった人間は、自分は東京という幻想をさらに強固なものとするためのシステムの一部にすぎないと実感することがあるはずだ。自身がマイノリティであるという自覚をもって言うが、本作は『 翔んで埼玉 』と同工異曲なのだ。そして華子も美紀も幸一郎さえも、巨大なシステムに囚われているという点では同じ人間なのだ。

 

敷かれたレールから外れることの困難、敷かれたレールの上を走り続けることの困難。いずれの道を往くにせよ、そうした決断にこそ自分らしさというものが宿るのだろう。生きづらさを抱える現代人にこそ観てほしいと思える作品である。

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ネガティブ・サイド

慶応義塾大学という実在の大学に配慮したのだろうか。もっと『 愚行録 』のように描いてしまっても良かったはず。なにしろテーマの一側面が東京と外部。慶應内部生と慶應外部生というのは、その格好のシンボルだろう。ここのところの暗部をもう少し強調して描くことができていれば、相対的に美紀の生き方がより輝きを増したものと思う。

 

華子と美紀、それぞれの親友との友情をもう少し深めていくシーンがあれば尚良かった。特に、華子の親友のヴァイオリニストは美紀と幸一郎のつながりを目撃する以上に、華子と一笑友人で居続けるのだと感じさせてくれるようなシーンが欲しかった。

 

総評

一言、傑作である。日本の今という瞬間を切り取っていると同時に、抗いがたいシステムから抜け出し、自立的に生きようとする人間の姿を丁寧に描いている。女性ではなく、男性もここには含まれている。B’zはかつて「譲れないことを一つ持つことが本当の自由」だと歌った。その通りだと思う。これが自分の生き方だと受け入れる。そしてその通りに生きる。そうすることがなんと難しく、そして清々しいことか。2021年必見の方が作品の一つである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

set up shop

「起業する」や「開業する」の意。start one’s (own) businessという表現が普通だが、set up shopというカジュアルな表現もそれなりに使われる。これに関連するtalk shop=「仕事の話をする」という表現は『 ベイビー・ドライバー 』で紹介した。同じ表現を様々に言い換えることで、コミュニケーションがスムーズになる。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 水原希子, 監督:岨手由貴子, 石橋静香, 篠原ゆき子, 配給会社:バンダイナムコアーツ, 配給会社:東京テアトル, 門脇麦, 高良健吾Leave a Comment on 『 あのこは貴族 』 -システムに組み込まれるか、システムから解放されるか-

『 秘密への招待状 』 -邦画もしくは韓国映画で再リメイク希望-

Posted on 2021年2月27日2021年2月27日 by cool-jupiter

秘密への招待状 75点
2021年2月26日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ミシェル・ウィリアムズ ジュリアン・ムーア ビリー・クラダップ アビー・クイン
監督:バート・フレインドリッチ

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タイトル(邦題)はイマイチだが、ミシェル・ウィリアムズとジュリアン・ムーアの共演および対決というだけでチケット購入。期待以上の出来栄え。大人のテーマを大人の映画技法で語りつくした逸品。

 

あらすじ

インドで孤児院を運営するイザベル(ミシェル・ウィリアムズ)は、200万ドルの支援を検討している会社経営者テレサ・ヤング(ジュリアン・ムーア)に会いにニューヨークへ向かう。「娘の結婚式に来てくれればもっと話せる」というテレサの招待に応じたイザベルだが、そこで目にしたのはテレサの夫はかつての恋人オスカー(ビリー・クラダップ)だった・・・

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ポジティブ・サイド

ジュリアン・ムーアの演技力が光っている。カリスマ的な会社経営者、精力的に働くキャリアウーマン、良妻賢母(という表現はもしかしたらアメリカではnot PCかもしれないが)のすべてを情感たっぷりに演じている。見どころは、イザベルとのとある会食前のシーン。友人たちとにこやかに談笑したかと思えば、自分の部下を恐ろしく口汚い言葉で罵る。ジェットコースターのように気分があちらこちらへと瞑想・・・ではなく迷走する。ラストの慟哭も観る者に深く、痛く突き刺さる。

 

ミシェル・ウィリアムズは対照的に抑えた演技で魅せる。二度だけ声を荒げるが、その他のシーンは基本的には感情を押しとどめている。逆に、所作で存分に語っている。靴を脱ぎ捨て、足早に階段を下りていくシーンに彼女の内面の怒りや混乱がよく表れている。こうした演出の方が逆に彼女の内面をよりはっきりと伝えてくれる。監督の演技指導やカメラマンの腕前もあるのだろうが、日本の女優もミシェル・ウィリアムズが本作で見せる演技を参照してほしい。

 

全体的なストーリーテリングも巧緻だ。イザベルとオスカーの口論や、グレイスとイザベルがアルバムを一緒に見るシーンなど、過去に何があったのかを断片的に物語ってはいるものの、全体像や真実は決して明らかにしない。それは、本当に重要なのは「今」であるという作り手の信念の反映なのだろう。グレイスが父オスカーに“Did you love her?”と問い、さらに“Do you?”と重ねて尋ねるシーンがそのことを証明していると思う。

ドラマチックなシーンでも妙に凝ったカメラワークやBGMに頼らず、あくまで俳優たちのエモーションを淡々と映し出し続けたのが心地よかった。『 私は確信する 』でも感じたことだが、テンプレに沿って映画を作っている日本の監督たちは、時には調味料なしで素材の味だけで勝負する度胸を持って欲しい。

 

家族とは、結婚とは、子育てとは、仕事とは、人間関係とは。様々な問いが渦巻く本作では、明確な答えは示されない。巨大な企業で、白人、黒人、アジア系、男性、女性の区別なく人を雇い、血のつながらぬ子供も血を分けた子どもも育てたテレサ。ひっそりと孤児院を運営するイザベラとは対照的だが、血縁者以外を家族として扱う点では同じ。そのことは、彼女たちだけではなく今後の世界では広く共有されるべき価値観となるはず。イザベラの言う“It’s your life. You decide.”という信念・理念がそれを表しているように思えてならない。彼女自身、息子のように育てている孤児のジェイに人生の選択を委ねるシーンには何とも言えない苦みと少しのさわやかさが残る。日本では『 ヤクザと家族 』が家族の意味を問い直してきたが、アメリカでも家族の意味を再定義する時期に差し掛かってきているのだろう。

 

ネガティブ・サイド

色々な解釈の余地を残す本作で、逆にそれが心地よいのだが、一つだけ気になる点が。テレサがイザベラのニューヨーク訪問を強硬に主張した理由の真相は何だったのか。偶然だったのか、必然だったのか。

 

イザベラおよび施設のマザーらしき女性がカネにこだわるのは大いに理解できる。しかし、そのカネへの執着に説得力を持たせるには、第一にインドの子ども達が置かれている窮状、惨状をよりつぶさに映し出すこと。そして第二にニューヨークのホテルの部屋をスイートからスタンダードに変えてくれ、その差額を寄付金に加えてくれという要求。この二つが少なくとも必要だったのではないか。

 

総評

上質なドラマである。『 ブリング・ミー・ホーム 尋ね人 』のように養子制度にあまり抵抗のなさそうな韓国、『 朝が来る 』で養子という制度への気づきが高まった日本でも、機を見てリメイクしてほしいもの。『 おとなの事情 スマホをのぞいたら 』のように、各国が自国の特色を盛り込めることだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

grace

楽曲『 アメージング・グレース 』でお馴染みの語。意味は「恩寵」。スペイン語のありがとう=グラシアス(gracias)やイタリア語のありがとう=グラッツェ(grazie)などと語源を同一にする語。大河ドラマ『 麒麟がくる 』の主人公・明智光秀の娘たまが細川ガラシャとなるが、ガラシャというのはラテン語のGratia=英語のgraceである。Every picture tells a story. Every word tells a story, too.

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アビー・クイン, アメリカ, ジュリアン・ムーア, ヒューマンドラマ, ビリー・クラダップ, ミシェル・ウィリアムズ, 監督:バート・フレインドリッチ, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 秘密への招待状 』 -邦画もしくは韓国映画で再リメイク希望-

『 すばらしき世界 』 -生きづらさは世界にあるのか、自分にあるのか-

Posted on 2021年2月21日2021年2月26日 by cool-jupiter
『 すばらしき世界 』 -生きづらさは世界にあるのか、自分にあるのか-

すばらしき世界 85点
2021年2月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:役所広司 仲野太賀 六角精児 北村有起哉
監督:西川美和

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『 ヤクザと家族 The Family 』に続いて、反社の人間と社会の距離感を描き出す傑作が送り届けられた。社会という大きな枠の中では、ヤクザや犯罪者というのは受け入れがたい存在だ。しかし、個人と個人の関係にフォーカスをしてくることで見えてくる世界の姿は、果たして本当にすばらしいのだろうか。本作はそうした問題提起である。

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あらすじ

殺人犯として13年の服役を終えた三上(役所広司)は、弁護士らの助けを得て、東京で自立を目指していた。だが、元殺人犯で元暴力団員の三上に、行政は支援を渋る。そんな時、三上を使ってドキュメンタリー番組を作ろうと津乃田(仲野太賀)たちが三上に接近してきて・・・

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ポジティブ・サイド

役所広司の円熟味を極めた演技が光る。三上という元暴力団員を見事に体現して見せた。直情径行を絵に描いたような男で、出所後も自分の意に沿わないことには声を荒げ、暴力にも訴えることにも抵抗が無い。そんな社会の粗大ごみ的な男であるが、よくよく見れば反社の人間というよりも、自分の価値観にとことん忠実な任侠の男。夜中にアパートで騒ぐ若者の元締め(元暴力団員)相手に律義に仁義を切ってからケンカをおっぱじめようというシーンには笑った。そう、三上という男は世の中に害をなしてやろうという思いなどなく、自分の正義感、そして自分の居場所を与えてくれる者たちに忠実なだけなのだ。その原因を三上の生い立ちに求めているが、そのドラマに非常に説得力がある。だからこそ、三上という人間の生き様に不可思議な魅力がある。

 

『 関ケ原 』で岡田准一、『 孤狼の血 』で松坂桃李相手に格の違いを見せつけてきた役所広司だが、今度は仲野太賀をクラッシュ・・・していない。むしろ自分の高みに昇ってこいと引き上げてやったかのように映った。奇しくも三上を追い、並んで歩くことになる津乃田のビルドゥングスロマンにもなっているのだ。二人の男が裸で汗と涙を流し合う場面(と書くと「何のこっちゃ?」と思われるだろうが)は、近年の邦画ではトップクラスの涙腺崩壊シーンである。

 

その他、脇を固める役者たちも出色のパフォーマンス。ついこの前にヤクザの若頭を演じていた北村有起哉が、三上の自立を支援するソーシャルワーカーを好演。はじめは行政の職員として石頭丸出しの対応だったのが、徐々に三上に親身に寄り添っていくようになる様は観る側の胸を打つ。また、近所のスーパーの店長を演じた六角精児も、三上の万引きを疑ったところから、三上が父親の郷里の隣町出身ということから熱心な支持者に転向していく。袖振り合うも多生の縁との言葉通り、ほんのちょっとした関係が深い縁になりうる。そうした現代社会が忘れていきつつある価値観を本作は強く印象付けてくる。

 

『 ミセス・ノイズィ 』でも描かれていたように、事実と真実はしばしば異なるものだ。三上がついに職を得て、働き始めた場所でも、三上の義憤に火をつけるような出来事が勃発する。しかし、三上は自制する。そのことによって悩み苦しむ。しかし、そこで思わぬ言葉を聞かされるシーンが象徴的だ。暴力男に正義があり、暴力を振るわれる弱者に非があるとしたら・・・そして弱者(それはしばしば障がい者や前科者、元反社の人間だ)の側に、社会の大多数の人間は寄り添ってはくれないのだ。しかし、ほんのわずかでも自分を理解してくれる人がいたら・・・ほんのわずかでも自分を支援してくれる人がいたら・・・ほんのわずかでも自分のために涙を流してくれる人がいたら・・・そんな世界を見出すことができれば、それは充分に「すばらしき世界」ではないのだろうか。西川美和監督の問題意識と柔らかで、それでいて厳しい視線が感じられる傑作である。

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ネガティブ・サイド

三上が母親を探し求めるサブプロットに決着をつけてやってほしかった。福岡でソープ嬢と母親を語らうのも「らしい」と言えば「らしい」が、やはり施設でサッカー後に泣き崩れるシーンが少々弱かった。地面に崩れ落ちるよりも、過去の自分の分身かもしれない目の前の子を力強く抱きしめてほしかったと思う。

 

あとは長澤まさみの出番か。三上と、三上を取り巻く人々の輪を見て、これはテレビ屋の関わってよい領分ではないと感得するシーンが欲しかったと思う。

 

最後の雨のシーンは正直、しょぼかった。『 パラサイト 半地下の家族 』のようなクオリティまでは求めないが、いかにも画面の外からシャワーを降らせてます、みたいな雨はやめてほしい。

 

総評

これは年間ベスト級の作品である。西川美和監督の渾身の一作である。これまで観よう観ようと思いながら先延ばしにしていた『 ゆれる 』や『 永い言い訳 』も、2021年中に鑑賞せねばと感じた。時代によって変わる個人と個人の距離感、そして個人と社会の距離感を秀逸な人間ドラマの形で活写した傑作。ぜひ多くの人に鑑賞してほしいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

hypertension

ハイパーテンションと書いてあるが、精神状態が極度に高揚しているわけではない。これは「高血圧」の意。 I have hypertension. =「自分、高血圧持ちでして」のような形で使う。high blood pressureの方が遥かに分かりやすいが、実際の使用頻度はほぼ五分五分であると感じる。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 仲野太賀, 六角精児, 北村有起哉, 役所広司, 感得:西川美和, 日本, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 すばらしき世界 』 -生きづらさは世界にあるのか、自分にあるのか-

『 ヤクザと家族 The Family 』 -家族観の変遷を描く意欲作-

Posted on 2021年2月4日 by cool-jupiter

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ヤクザと家族 The Family 80点
2021年1月31日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:綾野剛 舘ひろし 尾野真千子 豊原功補 磯村勇斗
監督:藤井道人

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『 新聞記者 』の藤井道人がまたしても秀作を届けてくれた。『 宇宙でいちばんあかるい屋根 』は見逃してしまったが、おそらくこの監督は2020年代の邦画を支える存在に成長していくことだろう。そう思わせてくれるだけの力量を本作から感じ取った。

 

あらすじ

山本賢治(綾野剛)は父を亡くした。覚せい剤中毒だった。街中で偶然に目にした売人からクスリと金を奪った賢治は馴染みの料理屋に向かう。そこにやって来た柴咲組組長・柴崎(舘ひろし)の危機をたまたま救ったこと、さらに売人の属する組の者から追われていたことから、賢治は柴咲と親子の杯を交わす。そして賢治はやくざ稼業で徐々に頭角を現していくが・・・

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ポジティブ・サイド

本作は現時点での綾野剛のキャリア・ハイである。『 新宿スワン 』の演技も良かったが、あちらは漫画のキャラクター、つまりは原型が存在していた。対して本作は映画オリジナル、つまりは一から監督兼脚本家の藤井道人と共に作り上げたキャラクター。この差は大きい。前者は極端な表現をすれば物真似で、後者こそ演技と呼べる。

 

2005年で25歳ということは、賢治はJovianと同世代である。20歳から39歳までを演じ切った綾野剛の演技の幅には唸らされた。少年期の無軌道なチンピラぶりと、寺島しのぶの切り盛りする焼肉屋での無邪気な会話のギャップ。柴咲組の構成員として夜の街を仕切る若手。そしてお務めを終えて嗄声気味になってしまった中年の入り口。タバコの吸い過ぎ、および肉体的な衰えを声だけで表してしまった。クリスチャン・ベール演じるバットマンとは一味違う、というよりもそれ以上に巧みな声の演技だと評したい。綾野剛が時代と共にどん底から絶頂へ、絶頂からどん底へという人生を送るのだが、すべての時代において強烈な生き様を見せつけている。

 

親分である舘ひろしや敵対する組の豊原功補など、役者としての先輩や大御所級が古いヤクザ、そして新しい時代に適合しようとするヤクザを熱演。法に照らして良いか悪いかを判断するなどというのは野暮というものである。昭和を古き良き時代と回想できるかどうかは人による、あるいは時代に拠るのだろうが、昭和から平成、そして令和となった今の時代、高齢ヤクザは間違いなく昭和を古き良き時代と回想するだろう。本作が描くのは平成から令和の世である。つまりは、本作に描かれるヤクザ者たちも、没落していく、絶滅していくという大きな時代の流れに飲まれつつあるのである。そうした時代に雄々しく生きようとする男たちに、何故これほど胸を揺さぶられるのか。Jovianはヤクザが嫌いであるし、中学生や高校生の頃に父親と一緒に観た高倉健の任侠映画の討ち入りだとか、自分を慕ってくれる人のための敵討ちだとか、そういう浪花節には心を動かされなかった。しかし、本作の賢治の生き様には不覚にも感動を覚えた。俺も年を取ったということかな・・・

 

賢治と尾野真千子演じる由香のロマンスも良い。意味なく夜の海へとドライブに行くシーンが印象的だ。周りには誰もおらず、二人きり。それでも賢治はヤクザという鎧を脱ぎ捨てることができない。このシーンがあるがゆえに、その後に賢治がヤクザではなく一人の弱々しい男として由香の前に現れる場面で、由香の包容力がよりいっそう際立つ。『 影踏み 』でも感じたが、尾野真千子の母性の表現には脱帽である。

 

令和の時代、ヤクザの凋落っぷりと半グレの台頭、そして元ヤクザに対する世間の風当たりの強さ。面子や体面に命をかけるヤクザには生きづらい世の中だ。と言うよりも、生きていくことが許されない世の中だ。このように映し出される“今”という時代に我々は何を見出すべきか。コロナ前に撮影されたであろう本作は、驚くほどコロナ禍の今を映し出している。自粛警察やマスク警察が跋扈し、飲食店に無理な休業をさせた政府に「補償と休業はセット」と言いながら、実際に休業あるいは時短営業した店に補償を行うと、今度はそれらの飲食店を叩く時代である。元ヤクザの家族というだけで退職や転校を余儀なくされてしまうところに、コロナ感染者叩きと全く同根の社会病理を見る思いだ。実際にJovianの同僚の娘さんの小学校では、とある生徒の親がコロナ陽性となり、その子も濃厚接触者認定され、学校を休んだ。結果としてコロナいじめが発生し、転校せざるをえなくなった事例があったという。未成年はかなり高い確率で大丈夫と判明しつつあった2020年に日本各地の学校で学年閉鎖(学級閉鎖ではない)が頻発したのは、誰がコロナ陽性あるいは濃厚接触者であるかを分からなくするためという目的もあったのだ。

 

決してハッピーエンドではない本作であるが、それでもヤクザが家族を持つこと、そしてヤクザという疑似家族関係について、大きな示唆を与える問題作となっている。2020年の邦画のトップ3に入るだろうと2月の時点で予言しておく。

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ネガティブ・サイド

舘ひろし演じる柴咲の親分があまりにも無防備すぎる。「俺の命、取れるものなら取ってみろ!」と敵対する組に凄んでおきながら、ろくにボディガードもつけずに釣りに出かけるとはこれ如何に。クルマも防弾仕様にしておきなさいよ。実際に銃を持った相手に襲われるのは、初めてではないのだから。

 

寺島しのぶは在日のオモニやね。序盤で、店内に飾られている人形がチョゴリを着ていたが、もうちょっと分かりやすく在日アピールすべきだったかもしれない。家族という血のつながりそのものの関係よりも強い関係が、たとえば外国人とも結べるのだというサブプロット的なものが欲しかった。日本社会の底辺あるいは周辺に生きる者たちの連帯=疑似家族関係が描かれていれば、成長した翼が率いる半グレ軍団の結束などにも説得力が生まれたかもしれない。

 

総評

現代日本において血のつながり以外で家族的な関係を生じさせるものというと、職人の世界が思い浮かぶ。寿司職人や大工、お笑い芸人や噺家の世界には親方や兄貴分が存在する。もう一つは政治の世界か。派閥の論理でポストが決まり、国民ではなくお友達だけを優遇厚遇する政治家連中は今でも派閥の領袖を「親父さん」などと呼んでいる。家族と言う閉じられた関係性は美しいものであると同時に「反社会的」にもなりうるというアンチテーゼまで、見えてくる気がする。非常に優れたヒューマンドラマであり、社会的なメッセージも内包した傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

start over

「やり直す」、「もう一度最初から始める」の意味。劇中で舘ひろしが綾野剛に「お前はやり直せる」と言葉をかけるシーンがある。その私訳は“You can start over.”となるだろうか。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 尾野真千子, 日本, 監督:藤井道人, 磯村勇斗, 綾野剛, 舘ひろし, 豊原功補, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:スターサンズLeave a Comment on 『 ヤクザと家族 The Family 』 -家族観の変遷を描く意欲作-

『 ミッドナイト・スカイ 』 -ディストピアSF風味の人間ドラマ-

Posted on 2021年1月20日 by cool-jupiter

ミッドナイト・スカイ 60点
2021年1月17日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:ジョージ・クルーニー フェリシティ・ジョーンズ デヴィッド・オイェロウォ カイル・チャンドラー ケイリン・スプリンゴール
監督:ジョージ・クルーニー

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Netflix作品の劇場公開。『 アイリッシュマン 』や『 シカゴ7裁判 』と同じく、目ざとい劇場が公開してくれたので、チケット購入とあいなった。

 

あらすじ

末期がんを患うオーガスティン・ロフタス(ジョージ・クルーニー)は、地球の滅亡が迫る中、北極の天文台に残ることを決断する。孤独の中で最後の日々を送る中、基地内に一人の物言わぬ少女、アイリスを発見する。ある時、宇宙船アイテルの乗組員サリー(フェリシティ・ジョーンズ)らが地球への帰途にあると知ったオーガスティンは、なんとかそれを阻止しようと交信を試みるが・・・

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ポジティブ・サイド

なんとも静謐な物語である。小説の映画化らしいが、日本なら誰が構想しそうな物語だろうか。『 インターステラー 』のように地球そのものが人類に牙をむいてきた結果として、人類が滅亡に追い込まれるという設定に、何をどうしてもコロナ禍について考えないわけにはいかない。変異種が出現して、それが日本に入ってきたことで、ぼんやりとではあるが、自らの死を意識したという人は少なからずいるのではないか。ウィルスと癌の違いはあれど、本作を通じて我々は最期の日々をどのように過ごすのかをシミュレートしているような気分になる。

 

映像というか、撮影もいい。オーガスティンが独りで基地に暮らす冒頭のシーンの数々は、常に引いた視線から。そして、アイリスとの邂逅を果たしたところからは、常にアイリスとのセットのショット。これはとある意図に基づいたカメラワークであることが後々に判明する。

 

それにしてもアイリスを演じたケイリン・スプリンゴールという少女の存在感よ。台詞を一度しか発さない(それもオーガスティンの想像)にもかかわらず、観る者の目をひきつけてやまない。静と動の切り替えが巧みというか、子どもらしさと子供らしからぬところが同居しているというか。特に目力を感じさせる表情が印象的で、あの顔で見つめられると、たとえジョージ・クルーニーでも心の奥底まで見透かされるような心地になるのではないか。マッケナ・グレイスやジェイコブ・トレンブレイの後継者が現れたと言える。

 

アイテル号のクルーでは、やはりフェリシティ・ジョーンズ演じるサリーの存在感が際立つ。実際に妊婦として撮影に臨んだというから驚きだ。元々、ヒロインというよりはヒーロータイプの役者だったが、本作ではさらに新境地を切り開いた。「女は弱し、されど母は強し」と言われるが、ならば妊婦とはいかなる存在か。命のゆりかごそのもので、まさに死につつある地球を「母なる大地」や「母なる星」とも呼ぶ。そう考えれば、サリーは新天地のイブになるのだろう。

 

地球が滅びゆく原因については明示されないが、“We failed to look after the place while you were away”や“Underground, only temporarily”というようなオーガスティンの台詞から色々と想像をめぐらすのも一興。そうして死に行く中、それでも希望に思いを馳せずにはいられないという人間の業は、それでも美しい。

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ネガティブ・サイド

SFのふりをした人間ドラマではあるが、SF部分をもう少し凝ってほしいもの。原作『 世界の終わりの天文台 』は1950年代または60年代の出版物なのかと思ったら、2010年代発行だった。以下、主に科学的な面からのツッコミ。

 

オーガスティンが極寒の海に放り出されるシーンがある。そこである程度泳ぐのは、まあ納得できないことはない。しかし、その後に氷上に辛くも脱した場面は納得できない。猛吹雪の中、濡れた衣服を着ていれば、あっという間に凍死するだろう。かといって服を脱いでも、すぐに凍死する。どうなっているのだ?まさかこれもhallucinationだとでも言うのか。

 

『 アド・アストラ 』では、海王星まで到達するのが早すぎると感じたが、本作では通信と通信の間隔が短すぎる。電波の速度は光の速度と等しいが、それでも地球とアイテル号の間を行きかうのに数秒、または1分ぐらいかかってもおかしくないはず。そもそも木星の衛星から地球に帰還するまでにクライオ・スリープ技術を使っているのだから、宇宙船の航行速度は光速の数百分の一のはず。なおかつ船員が目覚めたのは地球が目視できない位置(というか、普通の視力の人なら地球の地表からでも木星は目視できるのだが・・・)。ならば通信は、非常にストレスフルになるが、一方がしゃべって1分待つ、返事を1分待つ、などのイライラするような演出を少しでも取り入れるべきだった。途中で通信を途絶させてご都合主義的に復活、宇宙船がどんどん地球に近づいて、タイムラグがなくなったと説明すればよい。というか、天文台からアイテル号の位置を補足しながら、「交信可能になるまで11時間です」って、どういうこっちゃ・・・太陽系内にはミノフスキー粒子が充満しているのか。

 

アイテル号が『 パッセンジャー 』のアヴァロン号にそっくりなのは肯定的に捉えられるが、『 ゼロ・グラビティ 』さながらの浮遊小天体やデブリの爆撃を喰らう演出はもう食傷気味である。というか見飽きた。実際の宇宙は超を何回つけても足りないくらいにスッカスカな空間で、あのような事故など起きない。『 パッセンジャー 』の被弾に説得力があったのは、数十年も航行していたからで、アイテル号はせいぜい数か月だろう。

 

妊婦にEVAを任せるという船長の判断も良く分からない。というか、夫でしょ?父親でしょ?身重の嫁さんを銀河宇宙線が飛び交う宇宙空間に送り出すとは、いったいどういう了見なのだ?

 

ことほどさように科学的な見地(それも素人の)からはツッコミどころ満載であるが、SFのふりをした人間ドラマだと思って鑑賞するのが吉である。

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総評

静かに、しかし力強く愛の力を描いた秀作である。『 インターステラー 』とも共通する点として、愛の力は時に時空すらも易々と超えるという作り手の信念のようなものがある。それを陳腐と見るか、偉大と見るかは人によって意見が分かれるところだろう。そうそう、アイリスが一度だけ言葉を発するシーンがあるが、そこでは字幕ではなく英語の台詞の方に集中してほしい。字幕はネタバレに直結しているからだ。何故こういう訳をしてしまうのか、首をかしげてしまう。普通に「あの人を愛してたの?」で良かったのではないか・・・

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Polaris

SolarisではなくPolaris。意味は「北極星」である。『 ハリエット 』でも、自由の地である北を目指すための“The Guiding Star”として言及されていた。一般的な会話ではThe Pole StarまたはThe Polar Starという形で使われることが多い。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, SF, アメリカ, カイル・チャンドラー, ケイリン・スプリンゴール, ジョージ・クルーニー, デヴィッド・オイェロウ, ヒューマンドラマ, フェリシティ・ジョーンズ, 監督:ジョージ・クルーニー, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 ミッドナイト・スカイ 』 -ディストピアSF風味の人間ドラマ-

『 ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打上げ計画 』 -Rise up against all odds-

Posted on 2021年1月11日 by cool-jupiter

ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打上げ計画 80点
2021年1月9日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アクシャイ・クマール ビディヤ・バラン シャルマン・ジョーシー
監督:ジャガン・シャクティ

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昨年2019年夏ごろにNHKの『 地球ドラマチック 』でインドの衛星打ち上げ特集を行っていたのを見て、数学の国がついに天文学にも本腰を入れ出してきたかと感じた。そして本作、インド版『 ドリーム 』がリリース。宇宙開発および映画製作の優等生への仲間入りをさせてもらうぞ、との宣言であるかのようだ。

 

あらすじ

タラ(ビディヤ・バラン)は過程を切り盛りする主婦であり母であり、そしてISRO(インド移駐研究機関)の職員でもある。ロケット発射の際のほんのわずかな確認ミスのために、打ち上げは失敗。それによりタラと責任者のラケーシュ(アクシャイ・クマール)は閑職の火星探査衛星打ち上げプロジェクトに左遷されてしまうのだが・・・

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ポジティブ・サイド

文句なく面白い。その最大の理由は、魅力的なキャラクターにある。実話ベースとはいえ、おそらく登場人物たちは相当にデフォルメされているだろう。けれど、その改変具合が絶妙で、キャラクターの性格や行動がストーリーを違和感なく推し進めていく。映画の冒頭でタラが主婦として母親として奮闘する場面がこれでもかと描写されるが、それがあるからこそ家政・・・ではなく火星到達のための一発逆転のアイデアがタラから出てきたことに納得できるし、そのアイデアの中身に我々はたと膝を打つのである。

 

敵役のNASA帰りのプロジェクトマネージャーによって指名され、三々五々やって来る経験の浅い女性スタッフたちも個性豊かだ。収納や節約、裁縫など、とても宇宙開発や宇宙探査に関係があるとは思えない分野の知恵がどんどんと現場で生まれ、応用されていく展開が子気味よい。そして、そのアイデアをしっかりと受け止め、吟味し、ゴーサインを出す責任者のアクシャイ・クマールの存在感よ。この役者は『 KESARI ケサリ 21人の勇者たち 』でも、威厳ある上官でありながら、部下が上げてくる声を丹念に聞き取る耳を持っていた。そうしたキャラを演じさせるとハマる。まさにキャリアの円熟期なのだろう。本作で共演する多くの若い女優たちとも過去に共演歴があることも、アクシャイ・クマールをして演技中でもカメラOFFでも、現場をリーダーたらしめていたのかもしれない。

 

独り者で趣味もないラケーシュが女性たちの献策を容れていくところに、家父長制の色濃いインド社会へのメッセージを感じた。対照的に、妻として母として科学者・技術者としても活躍するタラが、夫や子ども達との距離を模索する姿には複雑な思いを抱かされる。だが、そこに救いもある。これまでのインド映画は、例えば『 シークレット・スーパースター 』や『 あなたの名前を呼べたなら 』のような、女性の耐える姿に美徳を見出すようなものが多かった。しかし本作ではタラは保守的・因習的な夫やイスラム教(いわゆる異教)に改宗する息子、門限を守らない娘たちと理解し、和解し合っていく。「仕事と家庭とどっちが大事なんだ?」という、問うてはいけない質問に、「両方ともに大事だ」という答えを行動で呈示していく。さらに、タラ以外の女性キャラクターたちも呼応。耐えるだけではなく、とある電車内のシーンでは男性モブキャラたちをボコボコにしていく。これは衝撃的だ。『 猟奇的な彼女 』でも、彼女が男性乗客をひっぱたくシーンがあったが、本作はそれを超えている。インドの新時代の幕開けを目の当たりしたように感じる。

 

探査機の打ち上げ前、そして打ち上げ後も、ベタな手法ではあるが、観客のハラハラドキドキを持続させてくれる。もちろん、歴史的に成功したミッションであることは分かっているが、それでも手に汗握ってしまうのは、それだけ感情移入させられているからだ。『 ドリーム 』のクライマックスでも聞こえてきたが、レーダーコンタクトの瞬間、信号受信の瞬間の安堵のため息が、劇場の数か所から漏れ伝わってきた。

 

「ハリウッド映画よりも少ない予算で我々は火星までたどり着いた」という演説に思わずニヤリ。予算も大切だが、もっと大切なのは創意工夫である。今後のインドの宇宙開発にエールを送りたくなると共に、インド映画界からエールを送られたように感じた。

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ネガティブ・サイド

歌と踊りが少な目である。というか、2シーンしかないし、短い。『 きっと、またあえる 』や『 スラムドッグ$ミリオネア 』のように、エンドクレジットで爆発させてくれるのかと思いきや、それもなし。世界的なマーケットを視野に入れているのは分かるが、インド映画の特徴はやはり絢爛豪華な歌と踊りにあるのだから、そこは忘れてほしくなかった。オペレーション・ルームでサリーを着て踊りまくるMOMの面々を是非とも観たかった。

 

ラケーシュが歌うキャラクターという点にもう少し一貫性が欲しかった。最終盤に思わず歓喜の歌でも歌うのかと思ったら、それもなし。そこが少し残念だった。

 

敵役のNASA帰りの鼻持ちならない男が司るプロジェクトの進行状況なども描写されていれば良かった。ミッション・マンガルの面々がそれを知って、奮励したり、あるいは落胆したりといった様子が見られれば、より人間ドラマの要素が生々しくなっただろう。

 

最後に、映画の中身とは関係ないが、どうしても言いたい。タイトルは普通に『 ミッション・マンガル 』で良いではないか。一体どこの馬の骨が何の権限をもってどういう根拠に基づいて、このようなアホな副題をつけているのか。「崖っぷち」の部分が耳障りだし、「火星打上げ」に至っては完全なる日本語ミスだ。正しくは「火星探査機打ち上げ」または「火星探査機打上げ」だろう。火星という惑星そのものを打ち上げてどうする?誰もこの誤用に気付かなかったというのか?そんな馬鹿な・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210111132445j:plain
 

総評

『 パッドマン 5億人の女性を救った男 』の主演アクシャイ・クマールとその監督のR・バールキが脚本で参加した本作は、インド映画の娯楽性とインド人の問題意識、そして現代インド社会を如実に反映している。サイエンスに関する知識も必要ない。カップルで観ても良し、家族で観ても良しの秀作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Those were the days.

 

「あの頃が懐かしい」の意。

Those were the days. There was no such thing as consumption tax.

あの頃は良かったなあ。消費税なんか無かったし。

Those were the days. Hardly anybody wore a mask.

あの頃が懐かしい。マスクを着けている人なんかほとんどいなかった。

自分バージョンを色々と英作文してみよう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクシャイ・クマール, インド, シャルマン・ジョーシー, ビディヤ・バラン, ヒューマンドラマ, 歴史, 監督:ジャガン・シャクティ, 配給会社:アットエンタテインメントLeave a Comment on 『 ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打上げ計画 』 -Rise up against all odds-

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