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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: エマ・ストーン

『 哀れなるものたち』 -哀れなる者、汝の名は男-

Posted on 2024年2月7日 by cool-jupiter

哀れなるものたち 70点
2024年2月4日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:エマ・ストーン ウィレム・デフォー マーク・ラファロ ラミー・ユセフ
監督:ヨルゴス・ランティモス

 

簡易レビュー。

あらすじ

天才脳外科医ゴッドウィン・バクスター博士(ウィレム・デフォー)は、学生のマックス・マッキャンドルス(ラミー・ユセフ)を自宅に招く。マックスはそこで、体は成人女性なのに振る舞いは赤ん坊という不思議な女性、ベラ(エマ・ストーン)に出会う。ゴッドウィンは彼女の観察を手伝うようにマックスに言う。マックスは徐々にベラに惹かれていくが・・・

ポジティブ・サイド

ウィレム・デフォー=ヴィクター・フランケンシュタイン、ベラ=フランケンシュタインの怪物に見えるが、これを現代に置き換えて考えてみると、子育ての難しさを物語る寓話となるのだろうか。蝶よ花よと育てても、ビッチになる時はなる・・・ではなく、ちゃんと愛のあるセックスをしなさいよという教訓を垂れているのだ。

 

モノクロからカラーに変わる演出は『 オズの魔法使 』的で悪くない。あれも言ってみればドロシーのビルドゥングスロマンなわけで、本作も幼女ベラが成熟した女性ベラに成長していく物語だと思えばいい。快適な家に閉じ込める父から離れ、外の世界と性の世界を見せてくれる男、世界の残酷さを見せる男との旅路を経て、独立不羈の女性となっていくベラ。それはまるで一人の女性の生涯と同時に、人類史における女性の自立の歴史を目の当たりにするようでもある。

 

最後は「ははあ、これはアレをこうするんだろうな」と予想した内容とは違ったが、これはこれでブラックユーモアの炉火純青と言えるだろう。嗚呼、哀れなる者、汝の名は男。

 

ネガティブ・サイド

エマ・ストーンの非常に直接的なセックスシーンをどう評価するかは意見が分かれるところ。いや、評価しないという声もあるだろう。Jovianはさすがにちょっと見せすぎだと感じた。エマ・ストーンのトップレスは評価せざるを得ないが、好奇心からのセックスや商売としてのセックスの良し悪しを、事後の男たちの表情などで観る側に想像させることはできなかったか。ダンカンの余裕の表情がベッドの外ではなく、ベッドの上でだんだんと崩れていくのを観てみたかったと思う。

 

総評

日本なら手塚治虫あたりが思いつきそうなプロット。だが日本で映画化は無理そう。『 RED 』で中途半端だった夏帆に頑張ってもらうか、または二階堂ふみあたりに奮闘してもらうか。自分がプロデューサーになったつもりであれこれ考えてしまった。一種のウーマン・リブ奇譚なので、デートムービーにはならない。夫婦での鑑賞ならあり。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Poor thing

原題は Poor Things と複数形だが、通常会話では You poor thing. のような形で、ほぼ単数形で使う。以下は使用例。

X: I dropped my phone and broke it.
Y: You poor thing.

相手に何か不運があったりしたときは、You poor thing. と言おう。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 ザ・ガーディアン 守護者 』
『 熱のあとに 』
『 ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, イギリス, ウィレム・デフォー, エマ・ストーン, ファンタジー, ブラック・コメディ, マーク・ラファロ, ラミー・ユセフ, 監督:ヨルゴス・ランティモス, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 哀れなるものたち』 -哀れなる者、汝の名は男-

『 ゾンビランド:ダブルタップ 』 -安住の地とは土地ではない-

Posted on 2019年11月27日2020年4月20日 by cool-jupiter

ゾンビランド:ダブルタップ 70点
2019年11月24日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:ウッディ・ハレルソン ジェシー・アイゼンバーグ エマ・ストーン ビル・マーレイ
監督:ルーベン・フライシャー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191127010556j:plain
 

まさかまさかの『 ゾンビランド 』の続編である。リアルタイムでは10年を経ているが、ストーリー上では2~3年という感じだろうか。その中でも、ウィチタの妹のリトルロックが最も変化が大きいのは理の当然である。本作は彼女の成長を契機に始まる。

 

あらすじ

コロンバス(ジェシー・アイゼンバーグ)、タラハシー(ウディ・ハレルソン)、ウィチタ(エマ・ストーン)、リトルロックの4人はゾンビを撃退しつつ生き抜いていた。無害なゾンビ、賢いゾンビ、気配を消すゾンビなど、新種のゾンビも誕生する中、コロンバスの独自ルールは72に増えていた。だが、思春期を過ぎたリトルロックは父親面をするタラハシーをあまり快くは思っておらず・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191127010625j:plain
 

ポジティブ・サイド

オープニングシーンから笑わせてくれる。レディ・コロンビアがトーチでゾンビをぶん殴るのである。オープニングロゴに細工を施して観客を映画世界に誘うのは、これまでは20世紀フォックスの専売特許だったが、コロンビアもこの流れに乗ってくれた。歓迎したいトレンドである。

 

相変わらずゾンビをぶっ殺しまくっている。デ・パルマ・タッチのスローモーションに『 マトリックス 』のバレットタイムで描くのは、ルーベン・フライシャーが前作から変わらず採用する撮影技法で、こういうものにホッとさせられる。前作と本作がキャラクター以外の面でも地続きになっていると感じられるからである。

 

本作ではリトルロックが家出をする。いや、家といってもホワイトハウスに勝手に住みこんでいるだけなので、厳密には彼ら彼女らの家ではない。しかし、リトルロックの行動は家出以外に表現のしようはない。そのリトルロックを追うウィチタと、それを追うコロンバスとタラハシー。そこで出会う様々な人々とのドラマが本作の肝である。

 

ウィチタといい仲になったコロンバスであるが、基本的な童貞気質は変わっていない。プロポーズとは自分が盛り上がっている時に行うものではなく、相手が盛り上がっている時にするものである。そこのところを分かっていないコロンバスは、ゾンビ世界ではいっぱしのファイターかもしれないが、現実世界ではコミュ症かつ非モテとなるだろう。そこらへんの成長のなさが安心感をもたらしてくれる。

 

今作ではタラハシーにも春らしいものが訪れる。プレスリーをこよなく愛する彼が、女性から“I feel my temperature rising”などと囁かれては、奮い立たないわけがないのである。そして、今作のアクションでも彼が主役を張ってくれる。中盤の似た者同士バトルと最終盤の大量ゾンビとのバトルは見応えがある。特に中盤のバトルはワンカットに見えるように巧みに編集されているが、それによってスリリングさが格段に増している。また最終バトルはまさかの諸葛孔明の八卦の陣とタラハシーのルーツを融合させた、びっくりの作戦である。

 

途中で合流してくるパッパラパー女子がアクセントとして機能しているし、この頭と股がゆるめの女子のおかげで、観客はリトルロックのことを責めるのではなく心配してしまう。ややご都合主義的ではあるが、ゾンビ世界ではこういうキャラが存在しても全く不思議ではない。

 

前作から本作にかけて、この奇妙な4人組は疑似家族を形成するわけだが、それは安住の地を求める旅でもあった。ゾンビという恐怖の存在を、絶対に相容れない他者の象徴だと思えば、なんとなく現実世界とリンクしてくるものもあるのではないだろうか。血の繋がりではなく、育んだ絆の強さ。それが人間関係の根本なのかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

コロンバスのルールが増えるのはよいとして、それをしっかり順守しよう。後部座席のっチェックは基本中の基本ではないか。ジェシー・アイゼンバーグ本人もルーベン・フライシャー監督も、スタッフの誰も気付かなかったのだろうか。

 

せっかく新種のゾンビも出てきたというのに、紹介されただけで終わってしまったゾンビもいる。なんと不遇な存在であることか。そのゾンビの名前を知れば、某国の映画ファンは歯痒さを覚えるのだろうか。

 

この世界で本当にゾンビを寄せ付けない楽園を築こうとするならば、バリケードだけでは不足だろう。バリケードの内側に堀を作り、さらに跳ね橋を設置するべきだ。平和主義者のヒッピーらしいといえばらしいのかもれしれないが、よくあれで生き延びることができたなと逆の意味で感心させられた。ゾンビの進化に合わせて、人間も進化しなくてはならない。

 

総評

前作に負けず劣らずのユーモラスなゾンビ映画である。本作からいきなり鑑賞する人は少数派だろう。しっかりと前作を鑑賞した上で臨むべし。そうそう、エンドクレジットが始まっても、絶対に席を立ってはいけない。本作最大の見せ場は最後の最後にやってくるからである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You’ve got to snap the f**k out of it.

『 影踏み 』でも紹介したsnap out of itが本作で使われている。リトルロックを追ってウィチタが出て行ったことにいつまでもウジウジしているコロンバスに対して、タラハシーが上の台詞を言い放つ。Fワードが入っているのはご愛敬。このFワードを正しく使えるようになれば、英語中級者でコミュニケーション上級者である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ウッディ・ハレルソン, エマ・ストーン, コメディ, ジェシー・アイゼンバーグ, 監督:ルーベン・フライシャー, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメントLeave a Comment on 『 ゾンビランド:ダブルタップ 』 -安住の地とは土地ではない-

『 ゾンビランド 』 -ゾンビエンタメの佳作-

Posted on 2019年5月7日 by cool-jupiter

ゾンビランド 70点
2019年5月6日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:ウッディ・ハレルソン ジェシー・アイゼンバーグ エマ・ストーン ビル・マーレイ
監督:ルーベン・フライシャー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190507115650j:plain

夏の風物詩といえば、ゾンビ映画かサメ映画である。おそらく商業ベースで全世界で毎年、数百本、インディものまで含めれば、おそらくは数万本のオーダーで製作されているであろうジャンルである。ということは、文字通りに玉石混交な分野なわけで、リバイバル上映されているということは、面白さはある程度保証されているという意味である。そして、それはその通りであった。

 

あらすじ

世界にはゾンビが跋扈していた。内向的な青年コロンバス(ジェシー・アイゼンバーグ)は厳格なルールを自らに課すことで生き延びていた。彼は故郷のオハイオを目指す途上で屈強なゾンビハンター、タラハシー(ウッディ・ハレルソン)と出会う。そして、旅を続ける二人はウィチタ(エマ・ストーン)とリトルロックの姉妹に出会うのだが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190507115713j:plain

ポジティブ・サイド

2009年製作ということは、今からだと10年前になる。にもかかわらずジェシー・アイゼンバーグもウッディ・ハレルソンもエマ・ストーンもトップシーンにあり続けているというのが良い。豪華なものを観た気分になれる。劇中でアイゼンバーグが、ゾンビ・ワールドを指して「フェイスブックを更新する必要が無くなった」というのには、思わずニヤリ。未見の人で、なおかつFacebookアカウントを持っている人は『 ソーシャル・ネットワーク 』を視聴されたし。

 

ゾンビと相対した時に、人間は人間らしさの欠如に恐怖することは『 イヴの時間 劇場版 』でも述べた。もう一つ、ゾンビの存在によって浮きあがってくるものに、ルールや秩序の存在もしくは非在がある。そのことをコロンバスは見事に体現してくれる。DOUBLE TAPは見事なギャグになっていると共に、秩序の存在しない世界では、秩序を自ら生み出す者が生き残るということのメタファーにもなっている。コロンバスは人間社会ではある種の人間嫌いとして引きこもり体質の童貞オタク青年だったが、ゾンビ世界では有酸素運動と銃の扱いに長じた非常に外交的なファイターに変身した。そんな彼が、エマ・ストーン姉妹に翻弄される様は滑稽でもあり、切実でもある。ゾンビに対してはイケイケの青年が、生身の妙齢の女子に対しては奥手になる。そのギャップに、人間の本質が潜んでいる。

 

ビル・マーレイが本人役で出演するが、この間のスキットはギャグであり、シリアスである。ゾンビ世界にあって、既存の人間社会の価値観がどれほど不安定で危ういものかを大いなる笑いの力で見せてくれる。同時に、タラハシーというキャラクターの底浅さと深みの両方が開陳される。このシークエンスには唸らされた。

 

クライマックスはまさにゾンビランドである。ディズニーランドではなくゾンビランドである。遊園地で遊戯のごとくゾンビをぶち殺しまくる末に、爽快感以上に手に入るものとは何か。それはストリーミングやレンタルビデオでお確かめ頂きたい。

 

ネガティブ・サイド

ウッディ・ハレルソンのアクションシーンに少々切れが足りない。巨大剪定ばさみのシーンなどは特にそうだ。ゾンビ映画の文法の一つに、時に華麗に、時に残虐にゾンビを退治するというものがある。序盤ではこのあたりにもっとフォーカスをしてほしかった。

 

中盤にも少々中弛みがある。ネイティブ・アメリカンの土産物店を破壊していくシーンは、既存の人間社会の価値観の破壊とそれへの決別宣言、さらにこの奇妙な男女四人組の絆の形成のためでもあっただろうが、カット可能であるように思う。88分というかなり短めな映画だが、もう3~5分短縮することができたはずだ。

 

総評

ゾンビ映画と敬遠することなかれ。豪華キャストでホラー映画の王道的展開を次々と守って行きながら、同時にぶち壊していった『 キャビン 』のゾンビ映画バージョンである。ゾンビ映画のお約束を呵呵と笑い飛ばす本作は、コアなゾンビ映画ファン、ライトな映画ファンの両方にお勧めすることができる。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, アメリカ, ウッディ・ハレルソン, エマ・ストーン, コメディ, ジェシー・アイゼンバーグ, 監督:ルーベン・フライシャー, 配給会社:日活Leave a Comment on 『 ゾンビランド 』 -ゾンビエンタメの佳作-

バトル・オブ・ザ・セクシーズ -性差を乗り越えた先にあるものを目指して-

Posted on 2018年7月9日2020年2月13日 by cool-jupiter

バトル・オブ・ザ・セクシーズ 75点

2018年7月8日 東宝シネマズ梅田にて観賞
出演:エマ・ストーン スティーブ・カレル アンドレア・ライズボロー サラ・シルバーマン ビル・プルマン エリザベス・シュー オースティン・ストウェル ジェシカ・マクナミー エリック・クリスチャン・オルセン
監督:バレリー・ファリス ジョナサン・デイトン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180709010218j:plain

往年のテニスファンならばビリー・ジーン・キングのことはご存知だろう。キング夫人の方が通りがいいかもしれない。USTAビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニス・センターという全米オープンの会場名を熱心なテニスファンなら聞きおぼえがあることだろう。Jovian自身がリアルタイムでテレビで観たことがあり(幼少の頃だが)、なおかつ本作に出てくる実在の人物というとクリス・エバートである。この試合自体をリアルタイムで観た、もしくは結果を知ったという人は、時代というものがどれほど変わったのか、流れた月日の長さよりも、その変化の大きさから受ける衝撃の方が大きいのではないか。この世紀の ≪性別戦≫ は1973年のことだが、日本ではこれに数年遅れて某企業が「私作る人、ボク食べる人」というキャッチフレーズのCMを流していた。この同時代の日米のコントラストはなかなかに味わい深いではないか。

当時の女子の賞金は男子のそれの1/8。現代のグランドスラムの賞金は男女同額。この格差の是正に乗り出しのがビリー・ジーン・キングその人に他ならない。では、この男女の格差を埋める契機となった出来事は何か。それこそが、バトル・オブ・セクシーズであった。歴史について興味のある向きはネットでいくらでも調べられる。ここからは純粋に映画の感想のみをば。

エマ・ストーン!ビリー・ジーン・キングになりきっている。架空のキャラクターを演じるのと、実在の人物を演じるのとでは、役者によってアプローチが異なる。例えば、Jovianは東出昌大を根本的には大根役者だと評しているが、『聖の青春』の羽生善治役は良かった。一方で『OVER DRIVE』の整備工役では、整備する部分では良かったが、兄という部分を演じきれていなかったように感じた。東出はあくまで例であって、東出が嫌いであるというわけではないので悪しからず。エマ・ストーンの何が際立って素晴らしいかは、そのテニスを見れば分かる。ライジングショットやドライビング・ボレーなど、この時代に存在していただろうか?と疑問に感じるショットも2つほどあったが、全体的にテニスが古かった。これは褒め言葉である。ラケットの形状および材質、性能の点からトップスピンがそれほどかけられず、スライス主体のテニスにならざるを得なかった。また、フィジカル・トレーニングや栄養学の知識が現代ほどの発達を見ていなかった時代なので、ベースラインの真上もしくはすぐ後ろあたりでコート全面をカバーしながら、隙あらば一撃で撃ち抜くテニスではなく、チャンスと見ればネットに詰めてボレーでポイントを稼ぐテニスである。今現在、コーチとして活躍している中で、この頃のテニスの名残と現代テニスの萌芽の両方を経験しているのは、ボリス・ベッカーやステファン・エドバーグであろう。もちろん、試合のシーン、特にテレビカメラ視点のテニスのボールはCGだが、それでも『ママレード・ボーイ』のような、どこからどう見てもCG丸出しではないCGが良い。アレは本当に酷かった。あれなら若い役者にしこたまテニス特訓させて、監督が満足できるショットが撮れるまで粘れば良かったのだ。Back on track. エマことビリー・ジーンがもたらしたのは男女の賞金格差解消だけではない。原題の Battle of the Sexes が意味する性は、男女だけではない。劇中で描かれる女同士の関係とその後のカミングアウトは、かのマルチナ・ナブラチロワに巨大な影響を与えた。そのマルチナ・ナブラチロワの名前を受け継いだのが天才マルチナ・ヒンギス。彼女がライジング・ショットの応酬で伊達公子を圧倒したのを見て、時代の一つの転換点を感じ取ったファンも多かった。そのヒンギスを圧倒したのがヴィーナスとセレナのウィリアムス姉妹であった。この姉妹がテニスにもたらしたのは、パワーだけではなく黒人のアスレティシズムそのものであった。そのことは劇中でも、「テニスに色がもたらされる」という形で表現されていた。この色とはテニスウェアやシューズの色のことだ。今でもウィンブルドンは厳格なドレスコードを維持しているが、全米オープンその他の大会は本当に華やかだ。しかし、テニスが単なるプロフェッショナリズムではなくエンターテインメントに進化し始めたのも実はこの時代だった。他スポーツで同じぐらいのインパクトを残した女性アスリートと言えば、寡聞にしてクリスティ・マーティンぐらいしか知らない。それでも女子ボクシングが男性ボクシング以上または同等に人気がある国というのは韓国ぐらいであろう。そういう意味でも、ビリー・ジーンの残した足跡の巨大さは他の追随を許さない。コート夫人で知られるマーガレット・コート、マルチナ・ナブラチロワ、シュテフィ・グラフらは All Time Great であることに論を俟たない。そしてビリー・ジーン・キングは Greatness そのものである。

世紀の対決のもう一方の主役であるボビー・リッグスにはスティーブ・カレルをキャスティング。『プールサイド・デイズ』でもきっちりクズ男を演じていたが、今作ではクズはクズでも意味が異なる。ギャンブル依存症で女性蔑視のお調子者、テニスの練習はするものの真摯に向き合っているとは思えない姿勢、二人いる腹違いの息子の片方には見放されるような男である。しかし、このダメ野郎が試合を通じて少しずつ真剣味と情熱を取り戻していく様がプレーを通して我々に伝わって来るのだ。もちろん演出や編集の手腕もあろうが、この役者の本領発揮とも言えるだろう。

細部にこだわって観るも良し。世紀の一戦までのビルドアップのサスペンスとスリルに身を任せるも良し。テニスファンのみならず、スポーツファン、映画ファン、そして広く現代人にこそ見られるべき作品である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, エマ・ストーン, スティーブ・カレル, スポーツ, ヒューマンドラマ, 監督:ジョナサン・デイトン, 監督:バレリー・ファリス, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on バトル・オブ・ザ・セクシーズ -性差を乗り越えた先にあるものを目指して-

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