主戦場 80点
2019年6月30日 シアターセブンにて鑑賞
出演:吉見義明
監督:ミキ・デザキ
アメリカにD・トランプ大統領が爆誕して以来、The United States of AmericaはThe Divided States of Americaになったとよく言われる。しかし、分裂の萌芽はすでにオバマ政権時代に見られていたというのが正しい。現代アメリカ政治史に切り込む愚は犯したくないが、国民の分裂が幸福につながったことは歴史上ないはずである。そのことを念頭に本作を観る人はどれだけいるだろうか。
あらすじ
テキサスの一中年男性が、YouTubeに「慰安婦像をアメリカに建てないでくれ。日本と韓国の争いにアメリカを巻き込まないでくれ」と訴える動画を投稿する。そのことにミキ・デザキは関心を抱き、このムーブメントの根底にある潮流を、様々なインタビューなどを通して明らかにしていこうとするが・・・
ポジティブ・サイド
これまで議論の的になることがあまりなかった、それゆえに一般的な認知度が低い従軍慰安婦の問題に、今というタイミングで切り込んだこと。そのことを評価しなければならない。監督、脚本、撮影、編集、製作、ナレーションの全てを担当したミキ・デザキの炯眼である。一つには、歴史の生き証人たる元慰安婦の方々が年齢的に限界が近いこと。もう一つには世界的に弱者やマイノリティへの意識が高まっているにも関わらず、それに逆行する動きが極東地域で見られるということである。
慰安婦問題の何が問題であるかについては、本作を観るのが良い。編集の妙もあろうが、日本の保守派、右派とされる言論人たちの言論がいかに空虚で、倫理の二重基準が適用されているかを知ることができる。彼ら彼女らに共通するのは、論理や言説を巧みに操り、ある時は論点をずらし、ある時は問題を矮小化しようとし、またある時には問題を一挙に巨大化、普遍化させようとすることである。だが、そこには人間が持つべき、そして持つことができる最も素晴らしい力である「想像力」が欠落している。Jovianの周囲にも、歴史の勉強会に積極的に参加しては、「既存のメディアやインターネットでは分からなかった歴史の真実を知ることできました!貴方もぜひ参加してみてください!」とのたまう人がいるのである。彼ら彼女らの学んだ内容はと言えば「慰安婦は強制連行ではなくて、れっきとしたビジネスだったんです!日本軍が当時の朝鮮半島の人たちにちゃんとお金を払っていたという公式の文書があるんです!」だったりする。想像力の欠如もここまで来てしまったのかと慨嘆させられるが、そうした人たちには『もしも貴方の家に米軍兵士が銃剣を携えてやって来て、「1000ドルやるから娘を貰って行くぞ」と言われて反論できそうですか?』と尋ねている。あるいは、『沖縄で定期的に起こる米軍兵士による日本人女性へのレイプ事件をどう思いますか?』と尋ねている。結果はどうか。わずか3名程度であるが、全員と連絡が途絶えた。別に後悔はしていないし、これからも同様の姿勢を維持していこうと思おう。
Jovian自身、大学生の時に2回フィールドワークをしたことがある。1つは、日本の姓名の豊かさの起源を巡るもの。もう1つは、在日韓国朝鮮人の人たちがなぜ日本に来て、なぜ日本に残ったのかをインタビューするものだった。日本軍がある時、突然村にやってきて、ジープやトラックで人間をさらっていったということは全くなかったらしい。というよりも、Jovianがインタビューした3名の方が共通して言っていたのが「良い仕事あります!3食付き、住居保障!」といった求人にまんまと騙されてしまったということだった。なぜ戦後も日本に滞在することを選んだのかについては、「来る時に騙されたのに、帰してやると言われても信じられなかった」というものだった。蓋し当然の論理的な帰結であろう。
Jovian自身は政治的にも思想的に中立を以って自らを任じているつもりである。右派の主張にも左派の主張にも等しく耳を傾けることができると自負している。しかし、そんなJovianにしても、桜井よしこや杉田水脈の言説は聞くに堪えない。今すぐにでも耳を洗いたいという衝動に駆られる。特に杉田の言う「韓国や中国は技術的に日本に優る家電を作れないので、ネガキャンして日本の評判を下げるしかないわけですね」との主張には卒倒しそうになった。家電って、アンタ・・・ サムスンやLG、HUAWEIの技術水準を知らないのか。深圳市の発展スピードを知らないのか。『 FACTFULNESS: 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 』を読んでないのだろうか。読んでいないのだろう。だが、いやしくも知識人または政治家の端くれであるならば、最低限の勉強はすべきだ。
デザキの視線は日本の右派・保守派だけに向けられているわけではない。韓国社会が伝統的に、教条主義的に報じてきた儒教的価値観も俎上に載せ、そこに弱者に対する眼差しが欠けていたことを糾弾する。彼の視線はさらに、母国のアメリカにも向けられる。詳しくは本作を鑑賞してもらうより他は無いが、八切止夫の『 信長殺し、光秀ではない 』の解説でも言及されていた「我々がいかにアメリカという国に信を置くことができないのか」という視点が共有されていることに驚かされてしまう。デザキの視線は過去に向けられているわけではない。現在、そして未来に向けられている。右だ左だと騒いではならない。歴史を割って見ることができれば、「今」という時点に大きな活断層が認められるはずだ。そのことを見事に炙り出したという意味で、本作には非常に大きな意味が認められる。本作に触発されたという方は『 否定と肯定 』も鑑賞されたし。人間の尊厳と国家と国家の対立構造の根深さに思いを馳せたという向きには『 判決、ふたつの希望 』をお勧めする。
ネガティブ・サイド
作中で1997年を日本の思想史における転換点と位置付けており、それは正しい。しかし、オウム真理教事件を経て、漫画家以上の言論人としての地位を得た小林よしのりへのインタビューがないのは何故なのか。1995~2000年というのは、Jovianの高校生~大学生時代と一致しており、思想的にまっさらな連中は結構簡単にゴーマニストに変身していた。リベラル色の強い国際基督教大学の学生でもこの有様なのだから、当時の他大学は推して知るべしであろう。そうした国民的な思想の分断や乖離、無知や無関心を伝える市井の人々へのインタビューがもっとたくさん収録されていてしかるべきだった。このあたりはマイケル・ムーアに素直に倣うべきだ。
アメリカ国内での慰安婦像の建立の意義を、もっと明確に語るべきではなかったか。ネット上の言説で、「アメリカの地方政治は韓国系や中華系に乗っ取られている」という痴人か狂人にしか吐けない言辞を弄する者を多数見てしまった。韓国人のロビー活動力の象徴ではなく、人権や人道に対する罪への反省の象徴としての慰安婦像であるということをもっと明示的に語るべきだった。
総評
Jovianが私淑している奥泉光と恩師、並木浩一によれば、「歴史は多層である」、そして「歴史はフィクション」である。これは歴史には多様な見方があるだとか、史料は信用に足るものではない、といった言説では一切ない。歴史とは現在と未来に対する遠近法的な視座を与えるものなのだ。歴史に幻想を見る者は、未来にも幻想を見ている。市民ならばそれもよい。しかし、公人中の公人たる内閣総理大臣が幻想に踊らされてはならない。本作は立ち見(正確にはパイプ椅子に座って)も出るほどの盛況で、終映後にはまばらにだが拍手も自然発生した。惜しむらくは観客のほとんどが50代以上に見えたこと。雨の影響もあったのかもしれないが、未来を担うべき若い人たちにこそ観てもらいたい。歴史を恥じてはならない。歴史を背負い、その上で新しい歴史を作っていってもらいたい。