プーと大人になった僕 65点
2018年9月16日 大阪ステーションシネマにて鑑賞
出演:ユアン・マクレガー ヘイリー・アトウェル ブロンテ・カーマイケル マーク・ゲイティス ジム・カミングス
監督:マーク・フォースター
原題は “Christopher Robin”、クリストファー・ロビンである。人名をそのまま映画のタイトルにするのは英語圏では割とよくある。近年では『女神の見えざる手』が “Miss Sloane” であったり、有名どころでは『エリン・ブロコビッチ』が “Erin Brockovich” と原題そのままであったり、対して『ザ・エージェント』は原題は ”Jerry Maguire” だったりする。邦画では、たとえば岡田准一の『天地明察』を≪渋川春海≫としてもあまりピンと来ないだろう。しかし、『杉原千畝 スギハラチウネ』は弄くりようがないし、その意義もないという意味で素晴らしいタイトルであると言える。クリストファー・ロビンは、漫画、アニメーション、児童文学の分野では、おそらくチャーリー・ブラウンには劣るものの、最も知名度のあるキャラクターであり人物である。日本で言えば、野比のび太、もしくは、ちびまる子ちゃんに相当するだろうか。
あらすじは不要だろう。邦題がすべてを物語っている。大人になるとはどういうことか。近代以降の哲学や社会学は、子ども=性と労働から疎外されている存在、と定義することが多く、Jovianもこの説に賛成である。年齢だけ重ねても、労働をしなければ大人ではないし、性的に成熟および活発でなければ、それも大人とは言えないだろう。しかし、そこまで小難しく考える必要はない。ちょうどぴったりのCMが現在流れている。それはイオンウォーターのCMで、そこでの安藤サクラの言葉が奮っている。「大人になるのは簡単だ。周りに合わせればいいんだから。逆に大人の世界で子どものままでい続ける方がよっぽど大変だ」と鋭く喝破する。
クリストファー(ユアン・マクレガー)も、幼年期の終わりを迎え、寄宿学校に入学し、家族と離れ、家族を亡くし、年齢を重ねて妻を持ち、子を為し、家族を作り、家庭を守るようになった。しかし、子どもらしさを失ってしまった。子どもらしさを定義することは難しい。しかし、作中のプー(ジム・カミングス)の言葉を借りるなら、「僕は風船が必要じゃないよ。ただ欲しいんだ。幸せになれるから」ということに尽きるのかもしれない。つまり、必要性を第一とするのではなく、自然な欲求に身を任せて生きるということだ。個々人が欲求通りに生きれば社会が成り立たないではないかと突っ込みを入れられそうだが、考えるべきは「幸せ」である。アリストテレスは「幸福」=「人間がそれだけのために生きられて、なおかつ他者の助けを必要とせずに達成できるもの」と説明した。ハイデガーは自分という現存在を「気分」から捉え直した。つまり、良い気分である時には、自分はなりたい自分になれているし、悪い気分の時には自分はあるべき自分から遠ざかっている、というわけだ。もしも貴方が人をぶん殴ったり、暴言を浴びせたりすることで良い気分になるとすれば、それが貴方という人間の幸福なのだろう。もしも貴方が大金を手にするだけで幸せになれるのであれば、それも貴方という人間の幸福だ。しかし、もしも貴方が稼いだ金で家族にプレゼントを買ってあげることに幸せを感じる人間なら?稼いだ金で家族を旅行に連れていくことに幸せを感じる人間なら?にもかかわらず、仕事(というよりも上司)が貴方の幸せの邪魔をするなら?本作はそういう見方もできるし、むしろ映画館の座席のそれなりの数を埋めていた壮年~老年の世代の映画ファンには、上のような見方をした人が相当数いるのではないかと推察する。
いくつかの弱点を挙げるとすれば、戦争が翳を落とすロンドンというイメージが少し強かった。『ワンダーウーマン』でも特に顕著だったが、ロンドンが舞台となると何故これほど陰鬱なイメージが投影されるのだろうか。どこかで晴れ間が広がるシーンや、明るい陽の光をいっぱいに浴びるシーンがあれば、観る側の心にも光がもっと差し込んだことだろうに、と思われる。その点が最も悔やまれるだろうか。それでも非常によくできた物語であるし、洋の東西を問わず、大人の心に心地よく刺さる映画に仕上がっている。クリストファー・ロビン?プー?イーヨー?ピグレット?そういえば、ディズニー・ツムツムにそんなキャラがいたなあ、ぐらいの認識しかない人でも楽しめるし、そうした大人こそ観るべきであろう。