ビニー 信じる男 70点
2018年6月 レンタルDVDにて観賞
出演:マイルズ・テラー アーロン・エッカート
監督:ベン・ヤンガー
原題は”Bleed For This”、「この為に血を流せ」である。実在のボクサー、ビニー・パジェンサのカムバック・ストーリーである。一定年齢以上の熱心なボクシングファンであれば、世界タイトルマッチが15ラウンド制だった頃のことを覚えているだろう。若い世代には、具志堅用高より下で、辰吉丈一郎より上の世代のボクサーだと言えば、何となく伝わるだろうか。
この映画はボクシング映画というよりも、夢追い人の物語だ。赤井英和がかなり昔に朝日新聞か毎日新聞かの紙面インタビューで「ボクシングはピークの時の自分のイメージが強く残る。だからやめるにやめられない」と語っていたし、吉野弘幸もおそらく最もアドレナリンが分泌された試合はクレイジー・タイガー・キム(金山俊治)だったのだろう。そこで引退しておけば良いものを、キャリアの晩節は連戦連敗だった。それもこれも、ピークの自分のイメージが忘れられないからだ。または、ジョー・カルザゲの言うように「歓声とスポットライトには中毒性がある」からだ。
ビニー・パジェンサを演じるはマイルズ・テラー、そのトレーナーのケビン・ルーニーを演じるはアーロン・エッカート。エッカートはいぶし銀の代名詞のようだ。主役も張れるが、縁の下の力持ち的な役割が似合う。それにしてもマイルズ・テラーはボクシングの型が相当に出来ている、身に付いている。どれくらいトレーニングを積んで撮影に臨んだのか。シルベスター・スタローンは『ロッキー』では相当ストイックにトレーニングを積み、ボクサーを演じる(acting)を通り越して、ボクサーになっていた(being)が、『ロッキー2』では一転して、明らかに当たっていないパンチをもらった演技になっていた。大金を稼ぐと誰でも一度は堕ちてしまうものなのだろうか。しかし、テラーや、最近では『レッド・スパロー』で、バレーシーンはダブルを使って、後からデジタル処理したのではないかという疑惑を一蹴したジェニファー・ローレンスなど、演技を通り越して「役そのものになりきる」役者が増えている。もちろん、日本にもそうした役者は数多くいるが、なりきりの到達度の面でどうか。MLBとNPBを比較するようだが、『セッション』におけるマイルズ・テラーのドラム演奏と『坂道のアポロン』における中川大志のドラム演奏は、同列には語れないだろう。日本にも『ボックス!』や『百円の恋』などの佳作があるが、『サウスポー』や『ミリオンダラー・ベイビー』に匹敵するかと言われれば、あくまで個人の主観ではあるが、残念ながら答えは否である。
本作のある意味での最大の見どころは、最後のインタビューにある。現在のビニー本人にJovianがインタビューすれば、違う答えが返ってくるかもしれないが、1990年代のビニーに「貴方が闘う理由は●●●なのか?」「貴方がカムバックする理由は■■■なのか?」と尋ねれば、おそらくビニーは「然り」と答えるだろう。●や■には、冒頭で書いたようなボクシングそしてボクサーに特有の思考や感性を当てはめてくれればよい。ちなみに記事のタイトルにある“Because I can’t sing or danec.”は『ロッキー』でロッキーとエイドリアンがスケートリンクで会話をしている時の一言。「なぜ闘うの?」とエイドリアンに尋ねられたロッキーの答えがこれである。本作は、ボクサーが闘う理由に、もう一つ別の解を与えたとも言えるだろう。スポーツドラマとしても秀作だが、打ちひしがれた男の再生を、セミドキュメンタリー風の再現VTRにしたものとしても鑑賞に堪える優良映画である。