私をくいとめて 80点
2020年12月20日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:のん 林遣都 中村倫也
監督:大九明子
大九明子監督がまたしてもやってくれた。『 勝手にふるえてろ 』と同工異曲ながら、新たな傑作を世に送り出してきた。同時にこれはのん(能年玲奈)の最高傑作にも仕上がっている。
あらすじ
脳内の相談役「A」のおかげで、黒田みつ子(のん)はアラサーお一人様女子生活を満喫していた。ある日、みつ子は取引先の年下営業マンの多田(林遣都)と街中で偶然に出会い、ときめを感じる。お一人様を続けるのか、多田との関係に踏み出すべきなのか・・・
ポジティブ・サイド
乱暴にまとめれば、これは『 脳内ポイズンベリー 』をのんを起用してリメイクしたものと言えるだろう。だが、詳細に見れば『 脳内ポイズンベリー 』よりも優る点が次々に見えてくる。第一に、「A」の声を演じた中村倫也の好演。Jovianは映画におけるナレーション(Voice acting)では『 ショーシャンクの空に 』のモーガン・フリーマン、『 私はあなたのニグロではない 』のサミュエル・L・ジャクソンが双璧だと思っている。中村の演技は、彼ら大御所と肩を並べるとは言わないまでも、これ以上なくハマっていたように感じた。終盤に登場するビジュアルのある「A」とのギャップもなかなかに笑わせてくれる。
のんは久しぶりに見たが、これはおそらく今後20年は彼女の代表作となるだろう。「おひとり様」という、まさにコロナ禍の今こそ最も求められるライフスタイルを体現するアラサー女子。最後の恋愛を「大昔のこと」と言い切る干物女子。部屋に洗濯物を干して、収納することなく乾きたての下着を身に着ける生活(そんなシーンは移されないけれど)。もうこれだけで恋愛ドラマが動き出す予感に満ち満ちている。これだけダメダメで、けれど自分というものをしっかり持った女子が、どのように右往左往していくのか、想像するだけで痛快だ。
実際に期待は裏切られない。のん演じるみつ子は、平日は仕事をしっかりこなし、職場の人間関係も悪くない。そして休日にはひとりで各地に繰り出し、催し物を楽しみ、あるいは自室の掃除で充実感を得ている。それが写実的でありながらコミカルなのは、やはり「A」との掛け合いが抜群に面白いからだ。そしてのんという役者の属性もあるのだろう。『 海月姫 』でも少し感じたが、オーソドックスな恋愛関係を演じて成長するような役者ではない。逆に、非典型的なキャラクターを演じ切るように監督に追い込まれることで能力が開花するタイプの役者だ。演技の上手い下手ではなく、どれだけ真に迫っているか。それはどれだけ自分を捨てられるかでもある。「A」と会話しているみつ子を客観的に見てみれば、完全なる統合失調症患者だ。しかし、そうした心の病を持った人間に典型的な暗さや無表情、無気力や不眠、食欲不振とはみつ子は一見して無縁である。それが落とし穴にある。あるシーンでみつ子は激しく心を揺さぶられる。それはネガティブな心の動きだ。そしてそれにより我々が聞かされるみつ子の独白(そこに「A」はいないことに留意されたし)の中身に、我々はみつ子の抱える闇を知る。そして、みつ子がお一人様生活を楽しんでいる理由を知る。
妙なもので、みつ子という“拒絶”のキャラと、のん(能年玲奈)という一時期業界から干された役者が、ここで妙にシンクロする。女性が、特に現代日本で抱える息苦しさやもどかしさが、ここから見て取れる。それはそのまま原作者の綿矢りさの肌感覚だろう。彼女のデビュー当時、ネット(主に2ちゃんねる)では「りさたん(*´Д`)ハァハァ」と書き込むようなキモイ連中がうじゃうじゃいたのである。
みつ子が旧友と親交を温めなおすイタリア旅行も、剣呑な雰囲気を孕んでいる。女子とはかくも生きづらい生き物なのか。常に一歩先を行っていた友人と、一歩が踏み出せないみつ子が、いつの間にか逆転していた、そして二人の想いが同化していく流れは良かった。帰国後に一歩を踏み出したみつ子は、片桐はいり演じるバリキャリ女性の意外な一面に触れたり、尊敬する先輩社員の恋路を見つめたりと、変化を受容できるようになっていく。多田との関係にも進展があるのだが、そこで『 ゴーストランドの惨劇 』ばりの超展開が待っている。観ている我々にはコメディでも、みつ子にとってはホラーなのである。声だけの相棒という点では『 アップグレード 』的だが、本作はそういう方向にはいかないので、そこは安心してほしい。
青春や運命や悲劇などといった陳腐な恋愛ではなく、本当に日常に根差したみつ子と多田の関係はどこまでも見守りたくなる。現代の邦画ラブコメの一つの到達点と言える作品かもしれない。
ネガティブ・サイド
みつ子の飛行機嫌い属性がもう一つだった。『 喜劇 愛妻物語 』でも水川あさみが東京、夏帆が四国という設定だったが、それぐらいの距離感で良かったのではないか。橋本愛演じる親友が「一歩を踏み出せなくなった」理由から、自分が外国人であることを取り去ってしまえば、おそらくほとんど何も残らない。このあたりの描き方が皮相に感じられた。
序盤のみつ子のお一人様満喫ライフの描写があまりにも眩しかったせいか、中盤で多田との距離が一定のところで一時停止してしまう期間の作品自体のテンションがだだ下がりだった。物語には緩急が必要だが、中盤ではややブレーキが利きすぎたようである。
総評
これは文句なしに傑作である。お一人様という、本来なら2020年に日本政府が強力に推進すべきだったキャンペーンを疑似体験できる。というのは半分冗談にしても、一人が快適だという人がどんどん増えていることは事実だろう。重要なことは、人を孤立させないことだ。自立した人間、独立した人間を支援することだ。そうすれば、人と人は、みつ子と多田のように、いつか互いを支え合えるようになるだろう。このような世の中だからこそ、いっそう強くそう感じる。
Jovian先生のワンポイント英会話レッスン
a solo life
「お一人様生活」の私訳。live a solo lifeまたはlead a solo lifeと言えば、お一人様生活を送るという意味になる。みつ子の生活はaloneやlonely、singleではなくsoloだろうと思うのである。