ポン・ジュノ 韓国映画の怪物 75点
2020年7月20日~7月23日にかけて読了
著者:下川正晴
発行元:毎日新聞出版
『 パラサイト 半地下の家族 』のアカデミー賞4冠はまだまだ記憶に新しい。ポン・ジュノ監督のフィルモグラフィーやバイオグラフィーにあらためて光を当てるにはこれ以上ないタイミングで、やはり出た。最初は「Wikipediaの内容をちょっと膨らませた程度かな」と思っていたが、本作の目次に目を通して、そうした懸念は消えてなくなった。これは極めて学究的なポン・ジュノ研究の試みである。
あらすじ
本作は、第1章『パラサイトの真実』で映画『 パラサイト 半地下の家族 』の研究と考察を、第2章『ポン・ジュノの正体』ではポン・ジュノの作家としての変態性(perversion)と変態(metamorphosis)を語る。第3章『ポン・ジュノのDNA』ではポン・ジュノの家族史と韓国史を垂直かつ水平に分析し、第4章『韓国映画産業の現在』では韓国の国家戦略、映画との距離(ブラックリスト問題と国家的振興策)が議論される。どれも刺激的な論考である。
ポジティブ・サイド
本書の真価は2、3、4章にある。第1章はちょっとネットの世界に潜れば、いくらでも手に入る類の情報である。つまり、少々軽い。それゆえに、非常に堅苦しい論考が続く中盤以降に向けてのちょうど良い入り口になっている。
第2章では、作家としてのポン・ジュノを深く掘り下げる。特にポン・ジュノが各種メディアに語った言葉を引用しながら、その当時のポン・ジュノの成長=変化=変態の過程の背景を明らかにしていく。その切り口がユニークだ。韓国の国家的な成長とポン・ジュノの個人的な成長を重ね合わせて見るとともに、両者の成長・変態の過程を世界史的な視点からも見つめている。ポン・ジュノの青春時代の政治的激動と、国際的な文化の流入(それはアメリカのテレビ映画であったり、あるいは日本の漫画や映画であったりする)を一体的に論じる本章は、個人的に最も刺激を受けた。
第3章は、ポン・ジュノの先祖、特に母方の祖父・朴泰遠が小説家として日本による朝鮮半島の植民地政策や近代化とどのように向き合い、いかに「越北」するに至ったのかを考察する。その過程で、下川正晴の関心が朴泰遠の「二人の妻」にあてられるところに、著者の現代的関心が見て取れる。また、こうした家族史、つまり父母や祖父母の物語が戦争や非植民地化、国家と民族の分断と密接不可分であるところに、近代日本と近代韓国の歴史観の違いが如実に表れている。小林よしのりや百田尚樹といった言論人は、日本の兵士であった当時の日本の兵士を父や祖父、兄や弟といった限定的な関係からしか描かず、彼らの戦いもきわめて内面的な動機の面からしか描かない。いや、描けない。それはそうだ。解放戦争の兵士という姿は、一歩引いたところから見れば、侵略者・征服者になるからだ。そうした侵略される側、征服される側の朝鮮半島の一知識人の生活史を通じて、ポン・ジュノのDNAを解き明かそうという試みは非常に客観的であり、同時に野心的でもある。本章の迫力は、本書の中でも随一である。
第4章では、韓国エンタメ産業の世界戦略が、イ・ミギョンという老婦人を通して描かれるところに、やはり著者の問題意識が垣間見える。この大財閥創始者の孫娘である女性の個人史は、朝鮮半島の近代史と不思議なシンクロを見せる。興隆と分断、そのトラウマとそこからの新規巻き返し。一経営者を世界経済的な視点から分析することで、CJエンターテインメントの、ひいては韓国の国家的な戦略を現在進行形で活写していく。本書の第4章を材料に、ケース・スタディおよびディスカッションを行うビジネス・スクールがあっても驚かない。それほど緻密な取材と資料の分析に基づいた論考になっている。
思想の左右で売り上げが上がり下がりするという末期的な症状を呈している日本の出版業界にも、まだまだ真っ当な書き手は存在することを教えてくれる良書である。
ネガティブ・サイド
率直に、日本の記述が少ないと感じた。日本そのものではなく、日本が韓国に及ぼした文化的な影響や、韓国の娯楽産業の興隆と日本の娯楽産業の興隆の歴史比較などがあっても良かったのにと感じる。ポン・ジュノが日本の文化で影響を受けたものと言えば、本書にもある通り漫画である。その漫画の神様・手塚治虫やアニメーターの宮崎駿は太平洋戦争終結後にすぐに頭角を現してきた。戦争、というよりも戦争を可能にするような国家体制が、いかにクリエイティブな個の才能を抑えつけるかを証明している。一方の韓国で映画文化・映画産業が豊かに花開いた背景に、長く続いた軍事政権が1980年代後半にようやく終焉を迎えたという事情がある。このあたりの近現代史にもう少しページを割いても良かったのではないだろうか。
また、韓国の民主化以降、外国文化(当然日本も含まれる)の輸入を始めた韓国が、初めて触れた日本の映画作品の多くが北野武の作品だったこと、北野武のテイストがいかに当時の韓国の映画人に影響を及ぼしたのか、などの考察があればパーフェクトだった。しかし、このあたりは著者も本書の冒頭で述べている通り、後に出版されるであろうその他多くの研究本の課題・宿題だろう。
参考文献に書籍しか載っていないのがまことに惜しい。英語や韓国語のウェブサイトも多数参照したのは間違いないはず。そうしたサイトのURLも載せなければダメだ。Google Translateを活用すれば、どんな言語であっても、大意を把握することが可能な時代である。著者および編集者はかなり古い体質の書き手であり出版人なのだろう。ネット上の参考資料をもっと読者とシェアすべきである。それが今後の「参考文献」の在り方だろう。
総評
おそらく今後、ポン・ジュノや韓国映画研究本が多数出版されるであろう。本作は間違いなくその嚆矢である。新聞記者らしく多くの資料を渉猟して、極めて客観的に事実を記述し、さらに主観的な意見を述べる時の舌鋒は鋭い。単なるポン・ジュノ監督の伝記以上に、ポン・ジュノの家族史と韓国社会の歴史を水平方向と垂直方向の両方向に追究しようとした労作である。韓国映画ファンのみならず、広く映画ファン全般、さらにエンタメ業界人や同業界を志す大学生にお勧めしたい。
Jovian先生のワンポイント英会話レッスン
metaphor
「暗喩」の意。日本語でもカタカナでメタファーと書くことがよくある。映画ではしばしば visual metaphor が用いられ、ポン・ジュノ監督はその名手であると目されている。『 パラサイト 半地下の家族 』では、階段が重要な visual metaphor として用いられていた。映画を観る際には、様々なオブジェや風景が意味するものが何であるのかを考えながら鑑賞してみよう。そうすれば、監督の意図や映画のメッセージを理解する手助けになる。