ベイビー・ドライバー 85点
2020年3月28日 所有Blu-rayにて鑑賞
出演:アンセル・エルゴート リリー・ジェームズ
監督:エドガー・ライト
これは2017年の夏に梅田ブルク7で鑑賞して以来、劇場で6~7回観た。それぐらい衝撃を受けた作品だった。4DXを体験しに、わざわざ四條畷のイオンモールまで遠征したり、爆音上映を楽しむためにMOVIX京都まで出向いたのだった。心斎橋シネマートで『 幼い依頼人 』や『 娘は戦場で生まれた 』を観たかったのだが、外出自粛要請&嫁さんからのストップ。なので自宅のテレビで本作を改めて鑑賞している。
あらすじ
ベイビー(アンセル・エルゴート)は逃がし屋ドライバー。音楽を聴くことで運転のスキルが極限にまで高まる。数々の強盗事件の犯人を、自慢の運転スキルで逃がしてきた。しかし、ある日ダイナーでデボラ(リリー・ジェームズ)に出会ったことで、足を洗おうと決意するが・・・
ポジティブ・サイド
何といっても冒頭の6分間の銀行強盗からの逃走シーンが秀逸だ。The Jon Spencer Blues Explosionの“Bellbottoms”で一気にハイになったベイビーが、天才的なドライビング・テクニックでパトカーの大群を振り切り、ヘリコプターの追跡からも見事な機転で逃げ切るのは、2010年代の映画の中でも最高のオープニングの一つだろう。市街地でドリフトで疾走する様は、まさにドライバーがやりたいという願望を持っていても絶対にやれないことを代わりに実現してくれたようで、実に爽快かつ痛快である。
大柄で童顔なアンセル・エルゴートが“ベイビー”というのもいい。ベイビーのごとくほとんどしゃべらないこと、幼少の頃の事故のトラウマから今も抜け出せていないこと、母親(母親的な人物)を探し求めていることなど、様々な属性を持つキャラクターであるベイビーだが、まさに名は体を表す。記憶力(retention)も抜群で、テレビをザッピングしながら様々なセリフを一瞬で気暗記していく。そのセリフを再生することで他キャラと思わぬinteractionが生まれる。まさに周囲の真似っこをするという意味で“ベイビー”=赤ん坊なのだが、そのベイビーがどんどんと自分の言葉を獲得していく過程も興味深い。
そのベイビーを成長させるようとして本作は2つの基軸を提示する。すなわち、疑似的な父親との関係と恋人との関係である。本作に登場する疑似的な父親はケビン・スペイシーが演じるドク、ジェイミー・フォックスが演じるバッツ、ジョン・ハムが演じるバディ、そしてCJ・ジョーンズ演じるジョーである。特にCJ・ジョーンズは本当に耳が聞こえないそうで、このような役者を起用できるところにあちら側の懐の深さを感じる(日本でもようやく『 37セカンズ 』という秀作が出たが)。文学的な意味で言えば父親とは殺すべき対象であり、実際の人間の成長過程においては乗り越えるべき対象であり、またその支配や庇護から独立すべき対象である。両親のいないベイビーに対して、虐待的な父親=バッツ、趣味を同じくする父親=バディ、支配的な父親=ドク、そして世話をしなければならない父親=ジョーとの関係、そしてそれらの関係の終わりには、何とも味わい深いものがある。アクションだけではなく、このあたりのキャラクター造形、キャラクターの関係の深さと豊かさが、2017年のJovianをrepeat viewingに走らせたのだ。
だが、何といってもデボラとベイビーのロマンスだ。冒頭のコーヒーを買う時のロングのワンカット(実際は30回以上の撮影を経てワンカットに見えるように編集したらしい)で、ベイビーが恋に落ちる瞬間が視覚的に表現されている。このシーンは“Harlem Shuffle”の歌詞と壁や電柱の落書き、つまり音声と文字との一致ばかりに目が行きがちだが、どうかそれ以外のアートにも注目をしてほしい。Jovianは劇場で、確か4度目ぐらいの鑑賞であるオブジェの色の変化に気が付いて、感嘆の声を漏らしたのを覚えている。そのデボラとの出会いがカフェというのも良い。運命の相手とは、しばしば日常的なシーンで出会うものだからだ。一際良かったのはベイビーが実際に恋に落ちる瞬間の演出、というより恋に落ちたと確信する瞬間の演出か。わざとらしいスローモーションやズームインを全く使わず、淡々とした会話だけでそれを表現したのが逆に非常に新鮮に映った。デボラは母親的な存在ではない。が、いずれベイビーと結婚するのだろうと予感させてくれる。そのことはベイビーがダイナーで言う“Yes, I do.”というバディの質問への返答に表れている。
本作のBGMは、ほとんどすべて既存の歌であり楽曲である。シーンや演出に合わせて音楽が生まれたのではなく、エドガー・ライトが使いたい音楽がまずそこにあり、それに合うようなシーン演出がなされている。それが最も端的に表れているのが、中盤の“Tequila”に合わせた銃撃戦シーンと、終盤手前の“Hocus Focus”に合わせた銃撃戦シーンである。Jovianは今でもBGMと役者の演技の融合の白眉(ミュージカル作品除く)は、『 ニューヨーク東8番街の奇跡 』で、地上げ屋が車載電話でプーッ・プーッ・プ・プーッとダイヤルするシーンだと思っているが、本作の音楽とアクションのシンクロ具合は、間違いなく映画演出の最高峰である。
エンディングもひたすらに美しい。ジュディ・ガーランドの『 オズの魔法使 』の如く、白黒がカラーに転じる瞬間に一瞬垣間見える虹に、自分の幼少期の映画体験の原点が強烈に思い起こされた。おそらく、エドガー・ライトも同様の経験を幼少期に持ったのではないか。白黒がカラーに転じるあの瞬間に、カンザスとオズ、つまり現実と夢幻の世界の境界が溶けたのだ。それと同じく、ベイビーとデボラが再び出会い、音楽を流し、あてどないRoad Tripに出るというビジョンが現実なのか幻想なのかはもはや重要ではないのである。
本作では数々の名曲がフィーチャーされているが、オッサン映画ファンとしては、本作を機に若い世代にコモドアーズの“Easy”を特に堪能してほしいと思う。
ネガティブ・サイド
奥手であるとしか思えないベイビーがバッカナリアという高級レストランで如才なく振る舞えるのには少々違和感を覚えた。バディの台詞をコピーして、それでデボラをディナーに誘うのはいいが、そこから先がトントン拍子過ぎる。テレビをザッピングしながら、モテる男のデートでの振る舞い方のようなものを一瞬だけでも良いのでインプットするシーンがあれば良かったのだが。
個人的にはベイビーがピザ屋として働くシーンや、何気ないデボラとの逢瀬のシーンがもう2~3分欲しかった。BabyからBoyに、そしてBig Boyになっていく過程がもう少しだけあれば、それぞれの疑似的な父親たちとの対決や別離がもっともっとドラマチックに感じられことだろう。
総評
カーチェイス映画であり、アクション映画であり、クライム映画であり、歌と音楽とダンスの映画であり、アングラノワールであり、ラブロマンスであり、コメディーであり、ヒューマンドラマであり、ビルドゥングスロマンでもあり、ファンタジー映画ですらある。古い革袋に新しい酒と言うが、全てのシーンが古くて新しい。どこかで観たような映画の構図がてんこ盛りなのだが、それがまったく気に障らず、適度なオマージュとして機能している。エドガー・ライトの才気煥発、面目躍如の一作である。鬱々とした気分をぶっ飛ばしたい時にこそお勧めの逸品である。
Jovian先生のワンポイント英会話レッスン
talk shop
劇中ではドクが“Shop, let’s talk it.”と言う。talk shopで「仕事の話をする」という意味である。商談の場であいさつやちょっとした雑談をして、本格的に仕事の話をするときなどに使ってみよう。shopを使う表現としては他に、set up shop=開業する、事業を始める、というものがある。He set up shop as a lawyer recently. =彼は最近、弁護士として開業した、という具合に使う。