ヴェノム 45点
2018年11月8日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:トム・ハーディ ミシェル・ウィリアムズ リズ・アーメッド
監督:ルーベン・フライシャー
『 スパイダーマン3 』でかなり唐突に現れ、かなりアッサリと倒されてしまったヴェノムのスタンド・アローン映画である。その人気の高さから『クローバーフィールド/HAKAISHA 』は、ヴェノム誕生の前日譚なのではないかとの揣摩臆測も呼んだ、ヴィラン(?)・・・というか、悪役生物である。MCU(Marvel Cinematic Universe)において特異な位置を占めるスパイダーマン、そのスパイダーマンの一番の宿敵ヴェノムをフィーチャーするのだから、期待が高まらないはずはない。が、本作は正直なところ、かなり微妙な出来である。本国アメリカではかなり酷評されているため、ポイント鑑賞でチケット代を節約させてもらった。
あらすじ
エディ(トム・ハーディ)は持ち前の正義感、行動力、そして舌鋒の鋭さで社会問題に鋭く切り込む売れっ子ジャーナリストだった。しかし、恋人にして弁護士のアン(ミシェル・ウィリアムス)のEメールを盗み見たことから、天才科学者のドレイク(リズ・アーメッド)率いるライフ財団に「人体実験で死者も出しているのではないか」と切り込んでいく。それをきっかけにアンとは破局、仕事でもクビを宣告されるが、財団からの内部通報者の協力を得て取材を続けるうちに、自身も謎の宇宙生物シンビオートに寄生されてしまう・・・
ポジティブ・サイド
トム・ハーディが硬骨のジャーナリスト役がハマっているし、寄生され始めた段階でのクレイジーな行動の数々を、コメディとシリアスタッチの境界線上を行くような絶妙のバランス感覚で演じている。エディという役を、序盤に関しては巧みに表現できていた。
悪役のリズ・アーメッドも良い味を出している。無表情のまま、サラリと冷酷極まりないことを口にしたり、いきなり声の調子を変えて恫喝してくるところなどは、インテリやくざを思わせる。マッド・サイエンティストの代表例とも言える死の天使ヨーゼフ・メンゲレよろしく、自らの信ずる道のためならば、人命など鴻毛の軽きに等しいと考えるタイプの科学者で、非常に分かりやすい悪玉である。見ただけで、「なるほど、コイツが倒すべき敵なのだな」と素直に予感させてくれる存在感に I’ll take my hat off.
残念なのは、その他の要素(監督、脚本、撮影)にはあまり感銘を受けられなかったところ。もしもヴェノムをフルCGではなく、一部でもよいのでオーガニックな手段で表現できていれば、各キャラクターにもっと血肉が通ったであろうに・・・
ネガティブ・サイド
まず言えることは、かなり多くの日本の映画ファンが『 寄生獣 』を思い浮かべただろうということ。特にヴェノムが右腕の先っぽから顔を出すシーンは、ミギーへのオマージュのように思えてならなかった。同時にまさしくそのシーンのヴェノムは『 エイリアン 』のゼノモーフの頭の形も模しており、これもオマージュと捉えるべきであろう。何らかのエイリアンを描くとき、H・R・ギーガーおよびリドリー・スコットの影響から完全に逃れることは難しいのである。問題はオマージュではなく、その先にあるべきはずの独創性がなかったことである。
まず冒頭の探査機の地球帰還シーンからして『 ランペイジ 巨獣大乱闘 』のオープニング・シークエンスと丸かぶりしているし、寄生生命体のシンビオートの寄生前の状態は『 ライフ 』のカルビンをかぶっている。またアクションシーンの山場の一つである、バイクで車の追跡を振り切ろうとするシーンはバットマンを想起させる。とにかくやたらとパッチワーク的な作りになっていて、ヴェノムという魅力的であるはずのキャラクターがどうにも陳腐に映ってしまう。
問題はアクション関連のシークエンスだけではない。天才であるはずのドレイクが宇宙探査や外宇宙への移住を目指すのはよい。が、その手段が宇宙生命体との共生???シンビオートが寄生によって地球という好気性の環境に適応するというのなら、人類が何らかの系外惑星なり系外衛星に住むとなった時、真っ先に考えるべきは寄生ではないのだろうか。共生(synbiosis)は基本的に長い時間を経た上で構築される進化論的帰結である一方、寄生は常に一方通行の片利的な関係として起こりうるからだ。これがカイチュウやサナダムシならまだ救いがあるが、脳や神経系に巣食う生物となると洒落にならない。だが、現実的に宇宙に生存できる可能性を求めるとなると、人類が寄生する側にまわるほうがリアリティがあると思うのだが・・・
本作の最大の弱点というか欠点は、ヴェノムの回心のプロセスが不透明であることだ。エディに備わっている人並み外れた正義感であるとか、アンへの一途な想いの強さであるとか、相手の社会的地位で態度を変えない公平性であるとか、シンビオートがエディから受ける有形無形の影響をもっと鮮烈に描くべきだった。異色のダークヒーローにして一心同体バディ(buddy ○ body ×)の誕生が、単に寄生してみたら相性が良かった的に描くのは、はっきり言って手抜きではないか。このあたりを追求しないことには、単なるB級SFアクションの一派生作品にしかならない。
総評
これから観に行くつもりの方には、MUC有数の人気ヴィランを鑑賞しに行く!という強い気持ちを持たないように注意喚起をしたい。ちょっと暇とカネがあるので『 スーサイド・スクワッド 』の亜種でも観に行ってみるか、ぐらいの気持ちで臨むのが正しい。ただし、『 恋は雨上がりのように 』のあきらのような『 寄生獣 』の熱心なファンであるならば、時間を作って、お近くの劇場へGoである。