僕らの世界が交わるまで 65点
2024年1月20日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ジュリアン・ムーア フィン・ウルフハード
監督:ジェシー・アイゼンバーグ
ジェシー・アイゼンバーグの監督作品ということでチケット購入。
あらすじ
DV被害者のシェルターを運営する母エヴリン(ジュリアン・ムーア)と、音楽のライブ配信に夢中の息子ジギー(フィン・ウルフハード)は、互いを理解しあえず、すれ違うばかり。そんな中、シェルターに受け入れた女性の息子を第二の我が子のように思い始める。一方でジギーも、政治を知的な同級生女子に惹かれていき・・・
ポジティブ・サイド
コミュ障というのは、単に喋りが下手という意味ではない。中島梓は『 コミュニケーション不全症候群 』で、コミュニケーション不全症候群とはコミュニケーションの対象を人間とそれ以外に分けて、人間以外とのコミュニケーションにより親和性を持つことだと喝破した。本作に引きつけて言うなら、PCのモニターの向こう側のリスナーに夢中なジギーは立派なコミュニケーション不全症候群患者である。その母も、息子のジギーを独立した人格の持ち主ではなく、育成シミュレーションゲームのキャラか何かだと思っている節がある。これも立派なコミュニケーション不全症候群患者だと見なせるだろう。
本作は、この困った母と息子が互いに向き合うようになるまでを丹念に描いていく。面白いのは、親子というのは似たもので、エヴリンもジギーもお互いに真摯に向き会えばいいものを、わざわざ代替の対象を見つけ出して、それに執着していく。ジギーは聡明で、政治を語り、集会にも参加するアクティブな同級生女子に惹かれていく。観ながら「おいおい、その娘はお前の母ちゃんの若い頃そっくりなんやぞ?」と思いながら、ある意味でハラハラしながら観ていた。同時並行で、エヴリンはシェルターに転がり込んできた女性の息子がよくできた母思いの孝行息子ということで、彼を疑似息子に見立てて、再度の育成ゲームに乗り出す始末。
この絶妙なすれ違いが終わり、親子が互いに向き合う過程が、原題 = When You Finish Saving the World(あなたが世界を救ったら)によくよく表れている。マザー・テレサは日本人に「インド人ではなく、まずは家族を気にかけてください」と言った。最近の『 コンクリート・ユートピア 』でも「修身斉家治国平天下」が聞かれた。治国や平天下を語る前に、まずは家族や家庭に向き合うべし。過度に説教臭くなることなく、かといって安易なお涙頂戴になることなく、とある家族の姿を淡々と描いていく。自分もしっかりしなくちゃ、と感じられる人はきっと多いはず。
ネガティブ・サイド
エヴリンの妻、ジギーの父親の存在感がイマイチだった。中途半端なインテリで、自分の意見というものがない。これなら別に、エヴリンをシングルマザーに設定しても良かった。
ジギーがライラに嫌われてしまう経緯をすべてライラの言葉で説明してしまうのは残念だった。ライラの態度や周囲の視線から、自分で何かを悟るというシークエンスにしてほしかった。
エンディングが少し雑。『 スリー・ビルボード 』と同じで、もう1~2分でいいので、その先が欲しかった。
総評
コミュ障家族というのは、おそらく先進国あるいは経済が一定程度に発展した国では必然的に発生するはず。職場や学校という家庭以外に属するコミュニティがあり、なおかつ自宅には個室があるという条件がそろえば、本作のような物語は実はそう珍しくないのではないかと思う。Z世代云々という矮小な世代論ではなく、もう少し普遍的な親子像、家族像を模索しようとしているという視点で本作は鑑賞されるべきではないだろうか。
Jovian先生のワンポイント英会話レッスン
Sup
これは What’s up? の短縮形。What’s up? → Wassup? → Sup? という具合にどんどん短縮されていく。しばしばネットでは What’s up? に対してどう反応するか?という記事やら解説が出回るが、正しい答えなどない。ただし日常レベル(Jovianの体感)で最もよくあるやりとりは
A: Hey dude, sup?
B: Hey!
または
A: Sup, man?
B: Sup?
のようなものである。本作でもそういうシーンがある。Sup? を使えればそれだけで英会話中級者だろう。それだけくだけた感じで話せる友達がいるということだから。
次に劇場鑑賞したい映画
『 雑魚どもよ、大志を抱け! 』
『 VESPER ヴェスパー 』
『 みなに幸あれ 』