カランコエの花 70点
2023年11月6日 神戸学院大学有瀬キャンパス951号室にて鑑賞
出演:今田美桜
監督:中川駿
非常勤講師を務めている大学でダイバーシティ映画上映会の案内が届いたので、会社で後半休を取って(まあ、同日の夜に働くのだが)上映会に行ってきた。その理由は監督が秀作『 少女は卒業しない 』の中川駿だったからである。
あらすじ
とある高校2年生のクラス。ある日唐突に『LGBTについて』の授業が行われた。しかし他のクラスではその授業は行われておらず、生徒たちに疑念が生じる。「うちのクラスにLGBTの人がいるんじゃないか?」生徒らの日常に波紋が広がっていき・・・
ポジティブ・サイド
構成が絶妙だ。主人公の月乃(今田美桜)が学校や家庭で過ごす一日一日の経過を映し出していく。幕間=日の移り変わりの暗転の間も絶妙で、一日ごとの月乃の心境の変化を観る側も考えてしまう。
本作がユニークなのは、LGBTではない人の目線で物語を追っていく点にある。たとえば『 彼女が好きなものは 』や後述する作品などではLGBTが主役あるいは準主役である。しかし、本作の月乃はいたって普通の女子高生で、その彼女の目から見る世界がいかに自分たちが知覚する社会と近いのかが再確認される。つまり、月乃の感じる精神的な動揺が観る側にダイレクトにつながる。
本作は固定カメラを使わず、ほとんどすべての画面に手振れがある。それによって、まるで自分がその場にいるかのような臨場感が感じられるという、思わぬ副産物的効果もある。同時に自分がLGBTとどう接するべきなのかという問題(issueであってproblemではない)に対して傍観者であるとも感じさせられる。
これから本作を鑑賞する方々は、ぜひ月乃の属する仲良し4人組の人間関係を観察されたい。そして、明かされるカランコエの花言葉の意味と、月乃がそのシュシュを身に着ける、そしてそのシュシュを取り外すことの意味を、よくよく考えてみてほしい。
以下、中川監督と神戸学院大学の中山文(なかやまふみ)教授との対談の中で触れられた内容とそれについての所感を挙げていく。
中川監督:
社会問題を扱う上で、高校生は子どもではないが、大学生や社会人は大人。大人は上手いこと嘘をつく。
これはその通りで、本作でもいけしゃあしゃあと嘘をつく日本史の教員が登場する。また、そもそもの問題の発端である授業を実施した保健のハナちゃん先生もそうだ。彼女の、まったく心のこもっていない授業をぜひ聞いてほしいと思う。一方で、嘘がつけない男子が印象的だった。どこかで見たことのある顔だと思ったら、『 リング・ワンダリング 』の主人公ではないか。この悪ガキの良い意味でも悪い意味でも嘘がつけない性質が本作の物語に深みを与えていることにも注目してほしい。
中川監督:
本作は2018年に公開されたが、撮影は2016年に行った。2018年の教育関係者の感想は「怖い、自分もこんなミスをやってしまいそう」というものが多かったが、2023年になるとそうした感想はかなり減ってきた。
これは邦画の世界にもしっかり反映されている。たとえば2016年の映画『 怒り 』と2023年の映画『 エゴイスト 』、この両作品におけるLGBTの描き方を比較すれば明らかである。中川監督は「7年で本当に世の中が変わった」と何度か言っていたが、それは本当にその通りだと感じる。
本作はカミングアウトをテーマにしているが、そこには以下の3種類の怖さがある。
1.同性愛だと思われるのが怖い
2.同性愛者の自分が否定されるのが怖い
3.自分自身が否定されるのが怖い
以下はJovianの私見だが、この3段階は別個の心的事象ではなく、1→2→3と連続するものであると思う。つまり、同性愛であることそのものがストレートに自己否定になりかねない。このことは社会全体で知っておくべきことであると思う。これは同性愛の部分を「障がい者」に置き換えてみればよく分かるであろう。
中川監督:
カミングアウトには条件がある。それは「カミングアウトしても帰っていける居場所を確保しておくこと」である。
これも非常に重要な指摘であると思う。これはLGBTや障がい者、あるいは在日外国人などに限ったことではない。誰もが何らかのコミュニティに属して生きていくのが人間だが、属すことができるコミュニティは別に一つとは限らない。会社に居場所がないサラリーマンは、居酒屋が居場所になるかもしれないし、英会話スクールやカルチャー教室が居場所になるかもしれない。
中川監督:
(どのシーンが一番好きですか?と問われ)どのシーンが好きかとは自分では言えないが、エンドロールが一番好きだと言われることが多い。
この言葉通り、本作のエンドロールはユニークである。『 おと・な・り 』のエンドロールそっくりだと言えば分かる人には分かるかもしれない。それよりもびっくりさせられたのは、あのエンドロールはほとんどあの役者のアドリブだということ。これこそ演出というもの。そういう意味では『 ゴジラ-1.0 』で佐々木蔵之介に「これからの日本はお前らに任せるぜ」などと安易に喋らせてしまう山崎貴監督は、やはり人間ドラマを描く力が弱いと言わざるを得ない。
中山教授:
「私たちの大学、明石にあるんですよ」(正確には神戸市有瀬、明石までは数十メートルだが、れっきとした神戸市である。大学の名前も神戸学院ですよ!)とのことだが、その明石市には同性パートナーシップ条例がある。つまり、同性カップルの移住が促進され、それも人口増に寄与しているとのこと。
これも面白い指摘。泉房穂元市長が何かとお騒がせというか話題を提供しているが、人口減少社会において、同性カップルを許容することの意味はここにもある。余談だが、同性カップルは当然ながら子孫(養子除く)を残すことができない。しかし、人類の一定数は必ず同性愛者である。ということは、同性愛者には生物学的な意味での raison d’etreがあるはず。誰かを好きになるという感情を説明することは難しいが、同性を好きになるという人が存在することは、いつか説明できるようになると思われる。
中川監督:
(次回作の構想を問われ)子どもの車中置き去り事件に関心があり、色々とリサーチをしている。映画においては、観客の気づきに勝るものはない。こちらから押し付けるのではなく、気付いてもらえるような作品を作りたい。
うーむ、これもなかなか社会的なテーマ。車中置き去りで幼児あるいは子どもが死亡するというのは、うっかりで説明できない事件あるいは事故である。次回作のリリースを首を長くして待ちたい。なにもかもをキャラのセリフで説明してしまうのではなく、観客の気づきを促す。これは教育の在り方に通底するものがある。
中川監督:
(なぜ映画監督になったのかを問われ)最初はイベント企画会社に就職したが、リーマンショックによる大不況で毎月毎月社員が辞めていく。新入社員だった自分は、その送別会用のムービーを毎月毎月作っていた。そのうちに映像制作を面白いと思うようになり、映画の世界に足を踏み入れた。映画監督の売り物は何を美しいと思うかという感性。カメラマンなどは手振れなく撮影する技術が必要な専門職だが、映画監督の売り物である感性は誰でも何歳からでも磨くことができる。だから皆さんも今からでも映画監督になれる。自分は20代半ばから映像作家になったが、映画監督の中には小さな頃から映画があまりにも好きなあまり「映画は素晴らしい」という思いが強すぎて、「お客さん、感じ取ってくれよ」という押しつけになりがち。今後も映画を過信せず、しっかりとリサーチすることが大事だと思って活動していきたい。
以下、出席者(教員の方?)から中川監督に質問2点。
Q1.
どういうふうに対応すれば正解だったのか?
A1.
どうしてほしい、どうしてほしくないかは当事者によって異なる。本作では誰も〇〇〇〇に「どうしたい?どうしてほしい?」と尋ねていない。
Q2.
カミングアウトがなされた時にどのように行動すべきだったのか?
A2.
〇〇〇〇自身はLGBTであることを隠していない。なので「あ、そう」「だから、何?」でよかった。
これはあくまで本作の世界観での話であることに注意。現実は監督の言う通りに、当事者によって配慮の仕方や、あるいは配慮の必要性の有無そのものも異なってくる。ただひとつ言えることはLGBTの性的志向もストレートの性的志向も「対象は非常に限定的」という意味では同じである。この記事の読者の sexual orientation がなんであるかは知る由もないが、たとえば30代男性だとしよう。その人が道行く女性全員に欲情するのか?という話である。断言する。しない。LGBTも同じである。たとえばLが道行く女性すべてを好きになるはずなどない。
中川監督:
(ワークショップの最後にメッセージをとお願いされて)年月を経るごとに『 カランコエの花 』が扱うテーマがどんどん古いと捉えられ、レビューサイトの星の数がどんどんと減っていっています。それは主として若い世代の感想。それは世の中にとっての好ましい変化。今後、若い人たちがどんどん社会を変えていってほしい。
これはまさに哲学者ジャン・ポール・サルトルの言うところのアンガージュマン!英語で言うなら engagement だ。大学という一種の象牙の塔で得た知識や技能を使って、社会をより良い方向に変化させていく。非常勤講師兼サラリーマンのJovianもまったく同じことを学生諸君に期待している。
ネガティブ・サイド
月乃のお父さんが登場しないのは何故?お母さんだけではく、お父さんという世代も性別も違う大人が月乃からの相談にどう対処するのか、お父さん世代のJovianは非常に気になってしまった。
保健室の養護教諭が勝手に授業することなど現実にあるのだろうか。学校というのはかなりガチガチにカリキュラムが組み立てられている。そしてそのカリキュラム(この科目は授業〇時間、予習と復習が週に△時間etc)は文科省様によって厳密に定められていたりする。なので英語の自習ならまだしも、そこに唐突に道徳の授業的な時間を設けるというのは考えづらい。善意からの不注意で済ますにのは、説明としてはちょっと苦しい。
総評
パッと見たところ、200名近くの学生が参加していた。演劇とジェンダー・スタディーズの講座の一環らしいが、授業に映画鑑賞を取り入れるという試みは、高校や大学でもっと広まっていいと思う。Amazon Prime Video でも視聴可能で、時間も39分とコンパクトなので、通勤通学の時間や寝る前などに鑑賞することも可能だろう。もちろん親子での鑑賞にも十分に耐えうる作品だ。本作を観て「うーむ」と考えさせられたら、それは自分がそれだけ古い価値観の人間だということ。ちなみにJovianは古いと新しいの中間ぐらいだろうか。
Jovian先生のワンポイント・レポート・レッスン
こんなブログを見ている神戸学院大学の学生がいるのかどうかは分からないが、dotCampusあるいは Moodle に提出しなければならないレポートの書き方のヒントとして以下を挙げておく。中山教授もこれぐらいは許してくださるだろう。
・登場人物の行動や、その背景にある心理を想像する
・それらを同じシチュエーションに置かれた自分の行動や心理と比較する
・その比較から自分とキャラクターの共通点を書く(反省的な内容)
・その比較から学べること、今後に実践できることを書く(思考変容・行動変容)
・上記を講座で学んだ理論、事例、ケース・スタディと比較対照して、自分の思考変容・行動変容の理論的な裏付けを書く
・監督と教授のやり取りで印象に残った点についても触れる
これをある程度しっかりしたプレゼンテーション(レポートの体裁=段落分けや引用文献の明記etc)と一定以上の語数(日本語なら800~1200字だろうか)で書ければ、悪い点数にはならないはずである(保証はしないけど)。幸運を祈る。
次に劇場鑑賞したい映画
『 月 』
『 トンソン荘事件の記録 』
『 火の鳥 エデンの花 』