荒野の用心棒 75点
2019年3月18日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:クリント・イーストウッド
監督:セルジオ・レオーネ
言わずと知れた黒澤明監督の『 用心棒 』のリメイクである。無許可での制作だったというが、そういう時代だったのだ。日本漫画界の巨匠、手塚治虫の『 ジャングル大帝 』もディズニーの『 ライオンキング 』に無断で換骨奪胎される時代だったのだ。
あらすじ
ニュー・メキシコの集落にある男がやって来た。その男はジョー(クリント・イーストウッド)。集落はロホス兄弟とバクスターの二つの勢力によって二分されていたが、ジョーは早撃ちであっという間にバクスターの手下たちを撃ち殺し、ロホス兄弟に与するのだが・・・
ポジティブ・サイド
エンニオ・モリコーネの音楽。これだけで荒野の光景がこの目に浮かぶ。彼の音楽では『 続・夕陽のガンマン 』の“The Good, The Bad and The Ugly”が最も有名なのは間違いないだろうが、恐らく“さすらいの口笛”もサントラとしての完成度では負けていない。音楽だけで物語を紡ぎ出せる、ビジュアル・ストーリーテリングならぬオーディオ・ストーリー・テリングである。これほどのインパクトある映画音楽はニーノ・ロータの音楽で彩られる『 ロミオとジュリエット 』、そしてビル・コンティの“Going The Distance”、“Gonna Fly Now”、そして“The Final Bell”で十全に語り尽される『 ロッキー 』ぐらいであろうか。『 炎のランナー 』の“Vangelis”も加えても良いかもしれない。
役者に目を移せば、クリント・イーストウッド! 馬に乗り、荒野を巡り、ポンチョを羽織り、帽子を目深にかぶり、常に煙草をくゆらせる孤高のガンマン。架空のキャラクターにこれほどの血肉を与えた例を他に知らない。強いて挙げるなら、『 帝都物語 』の魔人・加藤保憲を具現化した嶋田久作と、ハリソン・フォード演じる『 スター・ウォーズ 』のハン・ソロぐらいだろうか。
本作が後世の映画に与えた影響の巨大さについてはどれほどの文字数を費やしても足りることは無い。冒頭でジョーが訪れる酒場がCantina=カンティーナなのである。つまり、『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』でベン・ケノービとルーク・スカイウォーカーがハン・ソロとチューバッカと出会う場所なのである。そして『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3 』のマーティとビフの決闘。その元ネタがここにある。そして、撃たれた男が二階(というか、高いところ)から転落するクリシェ。この元ネタもここにあるのだ。
『 用心棒 』も大昔、親父と一緒にVHSで観た記憶がある。そちらもいつかレビューしたい。
ネガティブ・サイド
細部にリアリティを欠く面をどう評価するかは難しい。それでも、ジョーの早撃ちシーンの銃の焦点が微妙に合っていないところや、しこたま痛めつけられたジョーが何とか脱出し、建物の入り口に火をつけるところが、ガソリンでも事前に撒いていたのかというぐらい派手に炎上するのは、やはりリアリズムに欠けるとして減点せねばならない。
また、墓場でのロホス陣営とバクスター陣営の撃ち合いも、いくらなんでも不自然というか、おかしいということに気がつかなければ、それこそおかしい。
後は川べりの騎兵隊を機関銃で全滅させるシーンで、馬がほとんど倒れない。騎乗している役者が、自分が倒れる時に、上手に馬にも倒れてもらうようにすべきだった。そうしてこそ、機関銃の圧倒的な威力と迫力に説得力が生まれたのが。
総評
今の目で見れば、お約束的な展開や腑に落ちない展開のオンパレードである。しかし、それは次代を超えて受け継がれる普遍性とクリシェ、そして時間と共に風化せざるを得ないように分けて考える必要がある。前者の面で評価すれば、本作は間違いなく映画史に刻まれる一本である。クリント・イーストウッドの伝説はここから始まったのだ。