思い出のマーニー 75点
2019年3月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:高月彩良 有村架純
監督:米林宏昌
原作は英国児童文学の“When Marnie was there”、本作の英語翻訳も同名タイトルでアメリカ公開された。スタジオジブリ製作の実質的な最終作品ということで、これを観てしまうと何かが終ってしまう気がしていた。しかし、いつまでも避け続けるわけにもいかず、DVDにて鑑賞と相成った。
あらすじ
喘息持ちで周囲と打ち解けられない杏奈は、転地療養のため田舎の海辺の村の親戚の元へ旅立つ。そこでも同世代とは友達になれない杏奈は、村はずれの古い屋敷で、マーニーと出会う。二人は徐々に打ち解け、無二の親友になっていくが・・・
ポジティブ・サイド
12歳という思春期の少女と世界の関わりを描くのは難しい。異性または同性への憧憬、肉体および心理や精神面の変化、社会的役割の変化と増大。別に少女に限らず、少年もこの時期に劇的な変化を経験する。ただ、ドラマチックさでは少女の方が題材にしやすい。本作は児童文学を原作するためか、主人公の杏奈(有村架純)と外的世界の関わり、および彼女の肉体的な変化についてはほとんど描写しない。その代わり、非常に暗い内面世界に差し込む一条の光、マーニー(高月彩良)との不思議な交流を主に描写していく。これは賢明な判断であった。
『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』で鮮烈に描かれたように、外界との交わりを絶ってしまった少女の物語は誠に痛々しい。そこに蜘蛛の糸が垂らされれば、カンダタならずとも掴んでしまうであろう。そこで杏奈は、マーニーの幼馴染である男性の影に怯え、嫉妬し、慷慨し、悲しむ。ところがクライマックスでは。こうした杏奈のネガティブな感情の全てがポジティブなものへと転化してしまう。これは見事な仕掛けである。同じような構成を持つ作品として『 バーバラと心の巨人 』を挙げたい。少女の抱える心の闇を追究した作品としては、本作に負けず劣らずである。
杏奈とマーニーが秘めた心の内を明かし合うシーンは切々と、しかし力強く観る者の胸を打つ。自らの心の在り様をさらけ出すことは大人でも難しい。愛されていないのではないかと思い悩むのは、愛されたいという強烈な欲求の裏返しなのだ。マーニーとの一夏のアバンチュールを経て、確かに変わり始めた杏奈の姿に、ほんの少しの奇跡の余韻が漂う。我知らず涙が頬を伝った。
ネガティブ・サイド
少年少女が抱く後ろ向きな想いというのは、その瞬間にしか共有できない、あるいは同じような、似たような経験をした者にしか共有できないものではある。であるならば、杏奈の小母さんが伝えるべきは、銭勘定ではなく真っ直ぐな愛情であるべきだ。もちろん子育て綺麗ごとではなく、カネがかかってナンボの人生の一大事業である。であるならば、そのことに後ろめたさを感じる必要はない。子どもの生きる世界と大人の生きる世界は違う。しかし、愛情という一点は絶対的に共有できる価値観なのだ、というテーゼを提示しているのが本作ではないのか。ここが作品全体の通奏低音に対してノイズになっているように感じられてしまった。
また、マーニーが金髪碧眼であるのは遺伝的にどうなのだろうか。児童文学やアニメだからといって、現実世界のルールを捻じ曲げてよいわけではないだろう。まあ、たまに遺伝子のいたずらで、劣勢遺伝が発現することもあるようだが、ここがどうにも気になった。杏奈が転地療養先のとある同世代女子とどうしても打ち解けられない点として機能していた、見ることも出来ないわけではないが、釈然としない設定であった。
ジブリ作品全体を通して言えることだが、やはり俳優と声優は別物だ。北野武の『 アウトレイジ 』シリーズが分かりやすい。周り全てが役者で一人だけ素人が混じっていると、恐ろしく浮いてしまう。本作の声優陣はそこまで酷評はしないが、やはりかしこに小さな違和感を覚えてしまった。まあ、ジブリにそれを言っても詮無いことなのだが。
総評
良作である。ジブリ作品の最高峰というわけではないが、標準以上の面白さもメッセージ性も備えている。10代の少年少女向けというよりも、むしろ内向きな青春を過ごした大人のカウンセリング的な作品としての方が、高く評価できるかもしれない。