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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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『 夏への扉 ーキミのいる未来へー 』 -換骨奪胎に失敗-

Posted on 2021年7月3日 by cool-jupiter
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夏への扉 ーキミのいる未来へー  30点
2021年6月27日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:山崎賢人 清原果耶
監督:三木孝浩

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ロバート・A・ハインラインの古典的名作のリメイク。Jovianも高校生の時にハヤカワの文庫本で読んだ。当時はまだ1990年代。2000年はそれなりに近未来だった。

あらすじ

若き天才ロボット開発者の高倉宗一郎(山崎賢人)は、猫のピートと育ての親の娘、璃子(清原果耶)に囲まれ、幸せに暮らしていた。しかし、信頼していた共同経営者と婚約者に騙され、会社の株券および開発物すべてを奪われてしまう。挽回を試みる宗一郎は逆に元婚約者によってコールド・スリープさせられ、30年後の世界で目覚めるが・・・

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以下、ネタバレあり

ポジティブ・サイド

清原果耶の存在感よ。あからさまに拗ねるところ、敢えて一歩引くところ、逆に一歩踏み込んでくるところ。それぞれのシーンで璃子の想いが見え隠れする。観る側に伝わるように、しかし宗一郎には伝わらないようにというバランス感覚が良い。

原作にないアンドロイドのピートというキャラも素晴らしい。アンドロイドらしく瞬きをしない演技。『 ターミネーター 』シリーズのシュワルツェネッガーのようなメカメカしい動き。なおかつ、序盤の登場時に醸し出す『 エイリアン 』のアッシュのような雰囲気も不穏だった。こんなキャラであるが、これが唯一無二のバディになっていく過程は存外に楽しめた。

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ネガティブ・サイド

なにかタイムトラベルものの一番悪いところを見せつけられたように思う。特に某キャラの言う「時間は一本の線で一周回ってつながっている」的な解説は完全に余計な代物。『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』や小林泰三の短編『 酔歩する男 』のように、時間=意識と捉える方向でよかったのに、あるいは余計な説明は一切挿入すべきではなかったと思う。肝腎かなめのタイムトラベル前の部分で、オープニングで描かれたパラレルワールドという設定がぶち壊しである。

過去に戻ってのあれやこれやの裏工作、自分が二人いる場面などは『 バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2 』のようだったが、同作ほどの緊迫感は達成できず。というか緊迫感がゼロだった。

そのタイムトラベルの装置もデロリアンの次元転移装置とそっくり。そしてタイムトラベル先に行きつく際の描写はまんま『 ターミネーター 』のそれ。いくら原作が超有名SF作品とはいえ、その他の演出部分まで過去の有名SF映画からパクってもいいわけではない。

藤木直人演じるピートは最高のキャラだったが、ひとつだけ残念だったのはトラックを奪うために走っているシーンは『 ゴジラvsキングギドラ 』のM11そっくりでげんなりさせられてしまった。

三木孝浩監督は腕が悪い監督とは思わないが、結局のところ漫画や小説を原作にした映画しか作れない人。自分自身のイマジネーションやインスピレーションを作品にぶち込むというより、自分の中にある既存のイメージを上手く流用するのに長けた、ある意味ではルーティンで映画を作れるプロフェッショナルか。レビューするのに類似の過去作に言及する癖のあるJovianであるにもかかわらず、こういう映画製作者はどうしても高く評価できない。

総評

正直なところ、かなり微妙な出来である。ハインラインの着想を現代に蘇らせようという意図が伝わってこない。いや、時を超えて愛する人に巡り合うというのは普遍的な物語であるが、それを現代日本で敢えてリメイクする意味は?ネタが品切れ気味の邦画界の象徴的作品になってしまった。これでは今秋公開予定の『 CUBE 』についても一抹の不安を禁じ得ない。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You set me up.

「俺をはめたな」、「俺をだましたな」の意。序盤早々に一杯食わされる宗一郎があまりにも不憫であるが、人生は順風満帆にはいかないもの。こんなセリフは自分では使いたくないが、映画やドラマでは割と頻繁に聞こえてくる表現である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, SF, 山崎賢人, 日本, 清原果耶, 監督:三木孝浩, 配給会社:アニプレックス, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 夏への扉 ーキミのいる未来へー 』 -換骨奪胎に失敗-

『 いのちの停車場 』 -2021年邦画のクソ映画・オブ・ザ・イヤー候補-

Posted on 2021年6月24日 by cool-jupiter

いのちの停車場 20点
2021年6月13日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:吉永小百合 松坂桃李 広瀬すず 西田敏行
監督:成島出

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現在、本業が多忙を極めているため、鑑賞記事をやや簡素化しています。

 

あらすじ

救急一筋のベテラン、白石咲和子(吉永小百合)は、無免許にもかかわらず医行為を行った野呂(松坂桃李)をかばって辞職。郷里の石川の「まほろば診療所」で在宅医療に従事することになる。院長の仙川(西田敏行)や訪問看護師の星野(広瀬すず)らと出会い、医療というものを見つめ直していくが・・・

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ポジティブ・サイド

松坂桃李が文字通りの意味のパンツ一丁で頑張った。『 娼年 』でも体を張ったが、あちらはリハーサルを何度もできるだろうが、今作のパンツ一丁シーンはリハは無理だろう。

 

松坂桃李が「息子」を演じるシーンも良かった。

 

石川の小京都らしさも堪能できるのは楽しい。モンゴル料理も食べたくなる。

 

ネガティブ・サイド

原作小説を読んでいないので何とも言えないが、脚本家の平松恵美子が原作を読み間違えている。あるいは自分の趣味を混ぜすぎている。そのどちらかだろうと感じる。この人は家族をテーマにするのが得意なのだろうが、そうではないテーマで執筆すると『 旅猫リポート 』みたいなトンデモ作品を書いたりしてしまう。

 

本作の何がダメなのか。

 

1.リアリティの欠如

冒頭から重度熱傷かつ心停止の患者がかつぎこまれてくるが、その現場を指揮する佐和子が声は小さいわ、動きはとろいわで、まったくもって救急のベテランに見えない。Jovianは看護学校2年ちょっとで中退の経歴の持ち主であるが、それでも実習で受け持ち患者さんが急変して死にそうになった場面に2度出くわした。医師も看護師も超早口で、センテンスでなどしゃべらない。「バイタルサインを教えてください」などありえない。

 

医師「バイタル!」

看護師「呼吸14、熱発(「ねっぱつ」と読む。発熱の書き間違いではない)なし、98の60、パルス90、意識レベル200!」

 

のようなやりとりになる。日本中どころか世界中でそうだと断言する。本作での演技指導や医療の指導はどうなっているのだ?

 

2.救急医療と在宅医療の違いが描けていない

患者の個別性を抜きにして、とにかく救命を第一義とする救急と、ほとんど全員が慢性疾患の在宅患者へのケアの違い、そのコントラストがまったく見えない。星野が佐和子を指して「仙川先生とはずいぶん違いますね」と言うシーンがあるが、具体的にどう違うのかを説明するセリフも場面もない。なんじゃそりゃ。『 けったいな町医者 』のように医療=往診であるというのは伝わるが、ゴミ屋敷の掃除とかするか?これは原作通りのエピソード?多分違うな。住人がなぜ家をゴミ屋敷にしてしまうのか、その心理を勉強せずに脚本家が入れ込んだシーンだろう。脚本家は今からでも遅くないのでけったいな町医者=長尾先生のところに行ってみっちり勉強すべきだ。

 

3.エピソードを詰め込みすぎ

次から次へと人が死んでいくが、ドラマチックさも何もない。舞妓さんとかIT社長とかばっさり省いてよかった。小児がんの子どもをメインに据えて、その子の治療と野呂との関わり、さらに周辺の人間模様をじっくりと描写しながら、合間合間にその他の患者さんへの往診シーンをはさんでいく形式の方が絶対にドラマが盛り上がったと思う。悪いけれど石田ゆり子も全カットで。

 

4.キャスティングのミス

1.とも関連するが、吉永小百合がダメダメ。田中泯と親子役って、この二人は完全に同世代やろ・・・ 本来の佐和子役には沢口靖子や木村多江、夏川結衣あたりを充てるべきだった。また広瀬すずにも多大なる違和感。訪問看護師は広瀬すずというか星野麻世の年齢やキャリアで出来る仕事ではない。看護の専修学校を出て21歳、そこから病院で臨床経験を最低でも5~6年は積まないと勤まらない。いったん専門分野が決まればそれが変わることがほとんどない医者と違い、看護師は耳鼻科で1年、消化器内科で2年、手術室勤務で2年、急性期病棟で2年・・・といったキャリアの積み方はそれなりに大きな病院であれば珍しくもなんともない。逆にこれぐらいの経験がないと、薬もない、器具もない、人手もないという完全アウェーの訪問先での看護など出来ない。原作の星野も20代前半?いや、原作者の南杏子は医師なので、星野という人物をそんな風に設定しているはずはない。そう信じる。

 

5.テーマ性の欠如

在宅医療と安楽死が二大テーマのはずだが、前者も後者もどちらも描き切れていない。特に安楽死。『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』という超絶クソ駄作があったが、安楽死の難しさとは、それを施す側と施される側の認識の齟齬にある。安楽死を望むのは、文字通りの意味で死が安楽につながるからだ。さらに、その死に尊厳があるからだ。自分はこれだけの苦しみに耐えてきた。死ぬことでしか逃れられない苦痛に、自分は限界まで耐えたという人間の尊厳がそこにある。「人間は生きたように死ぬ」とは看護師歴数十年のわが母の言であるが、死は生の反対概念ではなく、生の成就である。何故本作で佐和子は父に対して、どっちつかずのあいまいな答えしか出せなかったのか。相手の名前すら知らずに治療して、それでも治療の甲斐なく死んでいくこともある救急の現場から、慢性期の在宅患者にじっくりと寄り添っていくというコントラストが描けない、ゴミ屋敷をきれいに掃除した瞬間に住人が死ぬという意味不明な描き方をする脚本家や監督では、このテーマは扱いきれないのか。原作小説ではどうなっているのだろう・・・

 

総評

成島監督よ、『 ソロモンの偽証 』は傑作だったのに、なぜ本作ではこうなった。よほどの松坂桃李ファンや広瀬すずファンでなければ観る必要なし。文句なしの駄作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. There wasn’t anything noteworthy in this film.

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, ヒューマンドラマ, 吉永小百合, 広瀬すず, 日本, 松坂桃李, 監督:成島出, 西田敏行, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 いのちの停車場 』 -2021年邦画のクソ映画・オブ・ザ・イヤー候補-

『 樹海村 』 -『 犬鳴村 』から成長・発展なし-

Posted on 2021年1月31日 by cool-jupiter

樹海村 20点
2021年1月30日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:山田杏奈 山口まゆ
監督:清水崇

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売り出し中の山田杏奈の主演作品。Jovianはホラーはまあまあ好きなので、この期に及んでもジャパネスク・ホラーに期待を抱いている。人生と最もたくさん本を読んでいた時期の90年代からゼロ年代に読んだホラー小説の数々に感銘を受けたからだ。日本には良いホラー映画を生み出す土壌があると、今でも信じたいのだ。だが、しかし・・・

 

あらすじ

引きこもりの響(山田杏奈)はYouTuberが富士の樹海を探索する配信動画を観ていた。しかし、そのYouTuberの身に異変が起きて動画は終了してしまう。その後、姉の引っ越し先で偶然に見つけた箱により、響の家族や友人たちは恐るべき怪異に見舞われることになり・・・

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ポジティブ・サイド

量産型の低級ホラー = 美少女がキャーキャー叫ぶという図式が本作にはない。それは主演の山田杏奈の存在感のおかげだろう。『 屍人荘の殺人 』でも感じたことだが、この女優は感情を抑えた演技をした時にこそ光る。また、見方によってはかなりエロチックなシーンが挿入されており、清水監督の女優・山田杏奈への惚れ込み具合が伺える。

 

いくつかのショットが印象的だった。あるキャラクターがとある事件後に見せる能面のような笑顔、そしてドアを閉めた先のすりガラス越しに見せるモザイク模様の絶対的な拒絶の表情はホラー映画の絵として完璧だった。

 

本編終了後にいきなり帰っていった人も数人見たが、数年後の世界を描いたスキットがある。ま、別に見たからといって何がどうこうなる内容ではないのだけれど。

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ネガティブ・サイド

出だしが『 犬鳴村 』とそっくり同じである。アホなYouTuberがたくさん存在することは否定できない現実であるが、『 貞子 』でも使われたネタで、そろそろ新味を出す必要がある。まさか恐怖の村シリーズ第3弾作品の冒頭も、こんな作りになっているとは思いたくないが・・・

 

そのYouTuberが分け入っていく樹海の森も既視感ありありである。森の中で突如現れる石や木の枝を組み合わせた不思議なオブジェは『 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 』のそれとそっくり。誰も住んでいるはずのない樹海の中に人間の痕跡が・・・と思わせたいのだろうが、もっと上手いというか、日本的なオブジェなどは構想できなかったか。

 

樹海村という村落をタイトルに持ちながら、その村の存在が本編が怪死・・・じゃなくて開始されてから相当に経たないとフィーチャーされない。樹海という場の魔力がコンセプトなのか、樹海に村落を形成するに至った人間たちの恐ろしさを描くのか、それとも主人の響の家族にまつわる物語にしたいのか。そのあたりの軸がブレブレである。某総理大臣の政策方針のブレ具合と、これはいい勝負である。

 

肝心な点として、何でもって観客を怖がらせたいのかがハッキリしない。これが本作(に限らず近年の邦画ホラーの多く)の弱点である。響の妄想(その源が彼女個人なのか、それとも家系にあるのかは本編終了後のエンドロール中のスキットで明らかになる)、統合失調症の症状によるものなのか、それとも樹海村の呪いが厳然たる事実として存在するのか。そのあたりの虚実をはっきりさせず、「え?これは一体どういうこと?」という観る側の疑問を常に刺激することが求められていたはずなのだ。謎が恐怖を呼び、恐怖が次の謎を呼ぶという基本がなっていない。本作は、妄想も呪い(呪いのコトリバコというオブジェは本当に必要か?)も、どちらも中途半端に描いたのが最大の失敗である。

 

最終盤の展開もシラケる。これもまんま『 シャイニング 』や『 ドクター・スリープ 』の輝きのパクリではないのか。いや、パクリの域にも至っていないか。

 

訳の分からん村人のゾンビもどきに今どき恐怖を感じられるか?國村準を使うなら『 哭声 コクソン 』並みに、スーパーナチュラルなホラー世界と人間の業の世界を行き来する世界観を構築してほしかった。これでは凡百以下のホラー映画である。

 

総評

『 事故物件 怖い間取り 』で「我々がかつて敬服した中田秀夫監督はもう死んだ。そう思うしかない。冥福を祈る」と書かせてもらったが、全く同じことが清水崇監督にも当てはまる。『 富江 』や『 呪怨 』の清水崇は死んだ。冥福を祈る。この恐怖の村シリーズって、まだ続けるの?こんなプロジェクトに血道を上げても、時間とカネとエネルギーの無駄でしかないと思うが・・・。1990年代から2000年代にかけて豊かに花開いたホラー・ジャパネスクは2010年代から2020年にかけて急速に劣化した、と後の世に評価されるだけだと思われる。いっそのこと『 八つ墓村 』とか現代風にリメイクしたら?

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

exorcize

お祓いする、の意。ホラー映画の金字塔『 エクソシスト 』でもお馴染み。はっきり言ってクリシェである。効かないと分かっているが、それでもやらないといけない。邦画の中でお祓いが効果的だったとされる作品を思い返そうとしたら、『 陰陽師 』あたまりまで遡る必要があるだろうか。ホラーちゃうけど。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, ホラー, 山口まゆ, 山田杏奈, 日本, 監督:清水崇, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 樹海村 』 -『 犬鳴村 』から成長・発展なし-

『ズーム/見えない参加者 』 -Zoomらしさをもっと前面に出せ-

Posted on 2021年1月16日 by cool-jupiter

ズーム/見えない参加者 30点
2021年1月16日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ヘイリー・ビショップ
監督:ロブ・サベッジ

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Jovianは2017年の秋ごろから当時の仕事およびプライベートでZoomを使っていた。有料版を使い始めたのは2020年からだが、Zoomにはまあまあ詳しい方だと自負している。劇場予告を観て「遂に出るべくして出できたな」と感じた。が、甘かった。これは英国版『 真・鮫島事件 』であった。

 

あらすじ

コロナ禍でロックダウン中の英国で、ヘイリー(ヘイリー・ビショップ)は友人たちとZoom降霊会を開催する。だが、参加者のジェマが実在しない死者の話をしてしまったことで、本来呼び出されるべきではない霊が現れてしまい、ヘイリーたちは数々の怪異に見舞われてしまい・・・

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ポジティブ・サイド

無名に近い俳優たちだらけだが、そのおかげでリアリティが生まれている。『 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 』でも顕著だったが、こうしたアイデア一発勝負のホラーには有名キャストはノイズとなる。どうしても作り物感が生まれてしまうからだ。彼ら彼女らの話し振りも、なかなかにダーティーで、それが逆に親密さを感じさせる。実際にZoom飲み会をやっている面々というのは、往々にしてこういう関係性なのだろうと思わせる。ヘイリーとジェマの迫真の演技は見ものである。

 

スマホの顔認証や、コンピュータ音声に特有のサーっというホワイトノイズやクリック音もなかなか効果的。下手に大きな効果音を使うよりも、静かな耳慣れた音の方が恐怖感を演出しやすい。これはZoomに慣れた人ほど感じやすいはずだ。

 

科学的な知識の普及と浸透により、超自然的な現象は一時期後退していった。それでも携帯の普及と共に『 着信アリ 』が出てきたように、Zoomに代表されるウェブ会議システムのような新しいテクノロジーが生まれれば、やはりホラー映画がそこから生まれる。凡作ではあるが、暇つぶしにはなる。

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ネガティブ・サイド

全編がZoom上で行われること以外は、凡百のホラー映画と何一つ変わらない。「ここで大きなが音がするぞ」とか「ここでこけおどしのオブジェが出てくるぞ」という予感がことごとく的中する。まるでホラー映画の作り方の教科書を読んだ高校生あたりが作ったかのようにすら感じられる。実際に、細部にこだわらなければ、類似の作品は高校生に手に入るリソースだけでも十分に制作可能だろう。低予算であるならば、それこそアイデアにこだわるべきで、ホラーとして新しい何かを提供しようという製作者側の気概は一切感じ取ることができなかった。

 

いわゆるZoomらしさが一切なかったのは残念で仕方がない。Zoomが他のウェブ会議システムに比べて優っている(優っていた)点は、主に

 

1.お手軽さ

2.画面共有

3・ブレイクアウトルーム

 

だった。もっとこれらの特徴を生かしたホラーを構想すべきだろう。たとえばZoomはその参加の「お手軽さ」ゆえにZoom爆撃と呼ばれる悪質な乱入事件が世界で相次いで行われていた。そうした愉快犯(高校生男女数人がいいだろう)が大学のオンライン授業に爆撃を仕掛けて楽しんでいたところ、ランダムに入力したミーティング・パスコードによって入ってはいけない領域に迷い込んでしまい・・・というようなストーリーである。

 

「画面共有」や、それに類するファイル交換にフィーチャーするなら、例えば画面共有をすると参加者を映すウィンドウが縮小する。そこで共有を解除してギャラリービューに戻してみると、参加者が増えている。それも他人が乱入してきたのではなく、参加者Aと参加者A’が生まれて、自分同士で通話できてしまう。他の参加者は呆然とそれを眺めて・・・というようなプロットも割と簡単に思いつく。

 

ブレイクアウトルームでも恐怖は生み出せる。Jovianは大学の英語の非常勤講師を自身で行っていたり、あるいは派遣元企業の担当者としてそうした講師の授業をオブザーブ(ビデオをマイクもOFF)してフィードバックすることもある。某大学のオンライン授業をオブザーブした際に、ブレイクアウトルームに割り振られたので、学生のペアワークの様子を見学させてもらおうと思ったが、スクリーンネームを適当な6桁の数字にしていたせいで「え、誰これ?なんで6桁なん?学生じゃない?やばいやばい、怖い怖い、誰?」と学生に言われてしまった苦い経験がある。なので舞台を大学にして、オンライン授業でブレイクアウトルームに参加者を割り振るごとに、一人また一人で学生がZoom上からも、そして自宅からも消えていく。あるいはブレイクアウトルームの中だけで起きる怪奇現象があり、ホストも他の参加者もそのことになかなか気づいてくれず・・・といった物語も作ろうと思えば作れるのではないか。

 

Zoomならではの恐怖要素をもっともっと追求した作品は、今後インディーズで、もしくは高校生や大学生の映研やら、サンデー・アート・スクールのプロジェクトなどから生まれてくると思われるが、それに先立って本作はZoomの魅力と魔力を世に発信すべきだった。

 

そうそう、Zoomのギャラリー・ビューでは喋っている人の表示枠が黄色の太線で囲われるが、本作にはそれが無かった。監督および編集者の完全なるミスだろう。

 

最後のメイキング映像は完全なる蛇足。観ずに劇場を後にしてもなんの問題もない。

 

総評

クソホラー映画である。『 search サーチ 』のようなクオリティを期待するとがっかりさせられること必定である。68分(本編後のボーナス映像を除けば、おそらく60分)という短さで、なおかつ1000円でチケットを購入できるので、暇つぶしと割り切れるホラー愛好家のみにお勧めしておく。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be on lockdown

ロックダウン中である、の意。London is on lockdown.のように使う。どこかのアホな知事が不用意に発話したことから、意味や解釈に誤りが生じた語。決して「都市封鎖」という意味ではない。字義どおりに解釈すれば、都市封鎖=都市へ入ること、そしてその都市から出ることを禁じる措置であって、都市内での人々の移動は自由である。「国境を封鎖する」と聞けば、入国や出国が禁じられるが、国内の移動が制限されるとは誰も受け取らないだろう。Lockdown = 外出制限または移動制限と訳すべきと思う。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, E Rank, イギリス, ヘイリー・ビショップ, ホラー, 監督:ロブ・サベッジ, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『ズーム/見えない参加者 』 -Zoomらしさをもっと前面に出せ-

『 約束のネバーランド 』 -漫画実写化の珍品-

Posted on 2020年12月21日 by cool-jupiter
『 約束のネバーランド 』 -漫画実写化の珍品-

約束のネバーランド 20点
2020年12月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北川景子 浜辺美波 板垣李光人
監督:平川雄一朗

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私的年間ワースト候補の『 記憶屋 あなたを忘れない 』の平川雄一朗がまたしてもやらかした。原作漫画は未読(Jovian嫁は序盤だけ読んだ)だが、それでも色々とストーリーが破綻しているのは明白である。

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あらすじ

グレイス=フィールドハウス孤児院ではママ・イザベラ(北川景子)によりたくさんの子ども達が養われ、里親に引き取られる日を待っていた。ある日、里親に引き取られたコニーが忘れたぬいぐるみを届けようとエマ(浜辺美波)とノーマン(板垣李光人)は孤児院の門へと向かった。そこで彼女たちが目にしたのは、コニーの死体、人を食らう巨大な鬼、そしてママ・イザベラだった・・・

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ポジティブ・サイド

孤児院の建物および周囲の自然環境が素晴らしい。ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計した西洋建築だと言われても全く驚かない。また草原および森林も風光明媚の一語に尽きる。陽光とそよかぜ、そして鬱蒼とした森はまさに別天地で、現実離れした孤児院の設定に大きなリアリティを与えている。

 

浜辺美波の顔と声の演技は素晴らしい。嫁さん曰はく、「漫画と一緒」ということらしい。嫁さんの評価は措くとしても、イザベラとの探り合いで披露する「演技をしているという演技」は圧巻。20歳前後の日本の役者の中では間違いなくフロントランナーだろう。ノーマン役の板垣李光人も良かった。オリジナルの漫画を知らなくとも、原作キャラを体現していることがひしひしと伝わってきた。

 

北川景子と渡辺直美の大人キャラも怪演を披露。特に渡辺の演技は一歩間違えれば映画そのもののジャンルをホラー/ミステリ/サスペンスからコメディ方向に持って行ってしまう可能性を秘めていたが、出演する場面すべてに緊張の糸を張り巡らせていた。北川景子も慈母と鬼子母神の二面性を見事に表現していた。彼女のフィルモグラフィーに今後くわえるとすれば『 スマホを落としただけなのに  』の被害者のような役ではなく、逆にサイコなストーカー役というものを見てみたい。

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ネガティブ・サイド

 

以下、マイナーなネタバレに類する記述あり

 

演技者の中で断トツに印象に残ったのは城桧吏。好印象ではない。悪印象である。『 万引き家族 』では元々無口な役柄だったせいか悪印象は何も抱かなかったが、今作の演技はあらゆる面で稚拙の一言。はっきり言って普通の中学生が暗記した台詞を学芸会でしゃべっているのと同レベル。これが未成年でなければ、返金を要求するレベルである。普段から発声練習をしていないのだろう。表情筋の動かし方も話にならない。能面演技とはこのことである。身のこなしも鈍重で、数少ないアクションシーン(殴られるシーンや回し蹴り)でもアクションが嘘くさい。本人の意識の低さにも起因するのだろうが、それ以上に周囲のハンドラーの責任の方が大きい。本作に限って言えば、これでOKを出した平川監督に全責任がある。クソ演技・オブ・ザ・イヤーを選定するなら、城桧吏で決定である。

 

頭脳明晰な年長の子ども達とママ・イザベラとの頭脳戦・神経戦が見どころとなるはずであるが、そこにサスペンスが全く生まれない。3人で密談するにしても、ハウス内の扉も閉まっていない部屋で、秘密にしておくべき事項をあんなに大きな声で堂々と話すのは何故なのか。「壁に耳あり障子に目あり」という諺を教えてやりたい。だったら屋外で、というのもおかしい。ママ・イザベラは発信機を探知する装置を常に携帯しているわけで、誰がどこにどれくらいの時間集まっているのかは、探ろうと思えば簡単に探れるわけで、密談をするにしても、その時間や場所や方法をもっと吟味しなければならないはずだ。例えば3人の間でしか通用しないジャーゴンや暗号を交えて話す、手紙や交換日記のような形式でコミュニケーションするなど、ママの目をかいくぐろうとする努力をすべきではなかったか。ミエルヴァなる人物が送ってきてくれた本から、いったい何を読み取ったというのか。もちろん、この部分をある程度は納得させてくれる展開にはなるのだが、そこまでが遅すぎるし、途中の展開にはイライラさせられる。

 

シスター・クローネの扱いにも不満である。渡辺直美演じるこのキャラおよび他キャラとの絡みはもっと深掘りができたはず。途中で退場してしまうのが原作通りのプロットであるならば仕方がない。だが、彼女がエマやノーマンやレイに見せつけた心理戦の駆け引き、その手練手管がエマにもノーマンにも伝わっていない。その後に見事にママを出し抜くのはストーリー上の当然の帰結として、そこに至るまでの過程には必然性も妥当性もなかった。本当にこいつらは頭脳明晰なのか。仮に鬼のテリトリーを脱出して人間の世界に入れたとしても、これでは人間に騙されて別のプラントにさっさと収容されて終わりだろう。

 

最後の脱出劇も無茶苦茶もいいところだ。あるアイテムを使うこともそうだが、それ以上に、カメラアングルが変わった次の瞬間にロープの片側がありえない地点に固定されていることには失笑を禁じ得なかった。そんな技術と身体能力があるのなら、それこそ回りくどく迂回などせず、正攻法で谷を降りて崖を昇れば済むではないか。

 

建築や自然が素晴らしかった反面、小道具のしょぼさや不自然さにはがっかりである。特にこれ見よがしに出てくる大部の書籍は、どれもただの箱にしか見えなかったし、実際にただの箱だろう。開けられるページは常に最初のページのみ。手に持った時の重みの感じやページ部分がたわむ感じが一切なかった。外界とほぼ完全に隔絶されたハウスに、ボールペンや便せんといった消耗品がたくさん存在するところも不自然だし、食料も誰がどこでどのように調達しているのだ?原作には説明描写があるのだろうが、映画版でそれを省く理由はどこにもない。世界の在り方をエマたちと共に観客も知っていく過程にこそ面白さが生まれるのだから、この世界観を成立させるためのあれやこれやの小道具大道具はないがしろにしてはならないのである(大道具は頑張っていたと評価できる)。

 

劇中ではずっと“脱獄”と言われているが、別に監禁や留置をされているわけではないだろう。正しくは脱走または脱出と言うべきだが、これについても何も説明がなかった。全編を通じて、正しい日本語が使われておらず違和感を覚えまくった。

 

アメリカのヤングアダルトノベルの映画化『 メイズ・ランナー 』の劣化品で、実写化失敗の『 進撃の巨人 ATTACK ON TITAN 』と並ぶ邦画の珍品の誕生である。

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総評

予備知識がほぼゼロの状態で観に行ったが、映画を通して原作の良いところと悪いところが結構見えたような気がする。おそらく原作漫画ファンでこの映画化を喜ぶのは10代の低年齢層だろう。そうした層をエンターテインしようとしたのなら、平川監督の意図は理解できるし、実写化成功と評しても良い。だが、上で指摘したような欠点の多くを改善することで、10代の若い層が本作を楽しめなくなるか?ならないと勝手に断言する。そうした意味では、平川監督は流れ作業的に映画を作った、原作ファン以外のファン層を開拓する努力を怠ったことになる。2021年も邦画の世界は小説や漫画の映画化に血道を上げ続けるのだろうが、それをするなら一定以上の気概と技術を持って欲しいものである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

edible

食用の、食べられる、の意。一応辞書には載っているが、eatableとはまず言わない。同じようにdrinkableもほとんど使われない。飲用可能はpotableと言う。portableとしっかり判別すること。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, アドベンチャー, サスペンス, ミステリ, 北川景子, 日本, 板垣李光人, 浜辺美波, 監督:平川雄一朗, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 約束のネバーランド 』 -漫画実写化の珍品-

『 サイレント・トーキョー 』 -竜頭蛇尾のグダグダのサスペンス-

Posted on 2020年12月9日2020年12月13日 by cool-jupiter
『 サイレント・トーキョー 』 -竜頭蛇尾のグダグダのサスペンス-

サイレント・トーキョー 30点
2020年12月6日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:佐藤浩市 石田ゆり子 西島秀俊 中村倫也 広瀬アリス 井之脇海
監督:波多野貴文

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トレイラーを観る限りはなかなか面白そうだった。だが本作は地雷であった。『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』並みに無能な警察、そして筋の通らない論理で動くテロリスト。邦画サスペンスの珍品である。

 

あらすじ

12月24日、クリスマス・イブ。恵比寿ガーデンプレイスに爆弾が仕掛けられたという通報がテレビ局に入る。アルバイトの来栖(井之脇海)ら向かったところ、山口(石田ゆり子)という主婦が座るベンチに爆弾が仕掛けられていた。すぐに警察を呼ぶが、予告通りに爆発が起こり・・・

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ポジティブ・サイド

渋谷の駅前はなんと作り物のセットだと言う。これには驚いた。ちょっと頑張ればCGでごまかせそうだが、そこにフィジカルな実体を与えるところに波多野貴文監督のこだわりを感じた。

 

セットだけではなく、クリスマスの渋谷らしさもよく描けている。お上がいくら自粛を要請しても、出かける人間は出かけるのである(そう、映画館に向かってしまうJovianのように)。同じく、警察がいくら交通を規制しても、アホなYouTuberや騒ぎたいだけの若者は渋谷という街に集ってくる。そのことは例年のハロウィーンで我々は嫌というほど知っている。そうした群衆の描き方が真に迫っていた。

 

野戦病院と化した渋谷近くの病院も、まるでコロナ患者にひっ迫されている大阪の医療現場のようであると感じられた。不謹慎極まりないが、本当にそのように映った。行ってはいけないとされている場所に、自分のみならず友人を連れて行ってしまった。そこで友人がダメージを負ってしまった。コロナ禍の今という時代と映画の世界が不思議にシンクロして、そこに広瀬アリスの絶望的な表情と悲鳴がスパイスとして効いていた。

 

政治的な主張もあり、単なるエンターテインメント以上の作品を志向したことだけは評価したい。

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ネガティブ・サイド

以下、ネタバレに類する情報あり

 

これも『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』と同じで、開始5分で真犯人が見えてしまう。30キロの重さがかかっている間は爆発しない爆弾を、誰が、いつ、どこでベンチに取り付けたというのか。そして、あの爆弾の仕掛けられ方で、どのようにベンチの対する荷重を算出しているのか。そして、石田ゆり子その人が座っている時に地面にしっかりと両足をつけてやや前傾姿勢になっていたが、これだとベンチにかかる荷重は下手したら体重の半分くらいになるのでは?石田ゆり子の体重を勝手に55キロ、冬場なので服装で1キロ、手荷物も1キロと考えると57キロ。かなり雑な計算だが、それでもちょっと姿勢を変えただけでも爆発するのでは?という疑念を生むには充分だろう。もうこの時点でストーリーに入っていけなかった。

 

だいたい警察は何をやっているのか。恵比寿ガーデンプレイスの防犯カメラの記録映像を確認すれば、一発で済む話ではないか。犯人が要求する総理大臣との対話まで何時間あったのか。西島秀俊演じる刑事も無能の極み。最初のゴミ箱に仕掛けられた爆弾が真上だけに爆風が向くように行動に計算されていたのを知って、「犯人は誰も傷つけるつもりはなかった」って、アホかーーーーーーーー!!!その瞬間にごみを捨てる人がいたら、金属製のふたが顔面または前頭部に直撃して大怪我するやろ、下手したら死ぬやろ。そんな想像力すら持ち合わせず、なにを腕利き刑事ぶっているのか。この時点で捜査する側のキャラクターを応援する気が失せてしまった。

 

渋谷関連のシーンでもそう。井之脇海演じる来栖など、最重要指名手配になるだろう。パスポート写真や運転免許証写真の情報、それにYouTubeに動画をアップした経路など、あらゆるルートであっという間に身元と居場所(少なくとも動画撮影した部屋)は警察が突き止めるだろう。でなければおかしい。そして、全捜査員がこいつの顔を覚えた上で、出動しているはず。その中で渋谷駅前のビルの屋上に昇ったというのか?マスクや覆面などしていれば、絶対に警察官に呼び止められるはずだが。来栖というキャラの恵比寿から渋谷までの移動に現実味が全くない。製作者は警察をコケにしすぎやろ・・・

 

中村倫也のキャラも全く深掘りがされていないため、物語に何の深みもエッセンスも加えていない。アプリ制作で名を上げただの、叔父叔母と横浜で会うだの、母親と電話で話すだのといったシーンのいずれもが皮相的すぎる。50メートル離れていたから大丈夫って・・・ ハチ公からどちらの方向なのか。なぜ50メートルなのか。仮に50メートルが安全距離だとして、パニックになった群衆が走り出して、それに踏みつぶされてしまうといったことは想像できなかったのか。平和ボケを揶揄していたが、そういう自分も平和ボケした頭であることを露呈した非常に間抜けな瞬間だった。だいたい母親が結婚するから云々と語るぐらいなら、素直に警察に協力せよ。といっても、その警察も超絶無能集団ときては頭を抱えるしかないが・・・

 

最もうすっぺらく感じたのは「これは戦争だ」という戦争観。戦争というのは国家間でやるもの。テロリズムというのは国家ではない存在が対国家に暴力・武力を行使するもの。犯人のトラウマになった事象は、犯人側から見れば戦争の一側面だろう。しかし、もう片方の視点からすれば、それは紛れもないテロリズムである。このあたりを峻別することなく、身勝手なテロ行為に及んでも誰の賛同も得られない。もとよりテロに賛同するも何もないが、それでもテロリストが掲げる理想や大義の元にはせ参じる者が多く存在するのも事実。本作の犯人に共感する者はほとんど存在しないだろう。だいたい「あんな総理大臣を選んだ日本国民に復讐する」という時点で頭がおかしい。総理大臣を選ぶのは国民ではなく国会議員だ。狙うなら渋谷に集まった無辜で無知な民ではなく、それこそ国会議事堂や自民党本部などを狙うべきだった。

 

アホな警察にアホなテロリスト。そのテロリストにアホ扱いされる国民。製作者の描きたいものは分からないでもないが、波多野貴文その他のスタッフはもっと勉強をしなければならない。

 

総評

話の荒唐無稽さ、細部の描写の粗さを考えれば、似たようなテーマとキャストの『 空母いぶき 』よりもさらに下の作品。製作者たちの言わんとしていることは分からないでもないが、物語をプロット重視で進めるのか、キャラクター重視で進めるのか、その場合に求められるリアリティとは何なのかを、もう一度考え直してもらいたい。本作よりもゲームの『 428 〜封鎖された渋谷で〜 』の方が遥かthrillingかつunpredictableで面白い。政治に物申す爆破テロリストの物語ならガイ・フォークスにインスパイアされた『 Vフォー・ヴェンデッタ 』を観るべし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

This is war.

「これは戦争だ」の意。『 ジングル・オール・ザ・ウェイ 』でもシュワちゃんが発していた台詞。冠詞の説明ほど手間のかかるものはないので省略させてもらうが、warにaをつけるかつけないかを正しく判断できれば、英検1級レベルより上である(英検1級合格者でも間違えまくる人は数多くいる)。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, kな徳:波多野貴文, サスペンス, ミステリ, 中村倫也, 井之脇海, 佐藤浩市, 広瀬アリス, 日本, 石田ゆり子, 西島秀俊, 配給会社:東映『 サイレント・トーキョー 』 -竜頭蛇尾のグダグダのサスペンス- への2件のコメント

『 さくら 』 -リアリティが決定的に足りない-

Posted on 2020年11月18日2022年9月19日 by cool-jupiter
『 さくら 』 -リアリティが決定的に足りない-

さくら 30点
2020年11月15日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北村匠海 小松菜奈 吉沢亮 永瀬正敏 寺島しのぶ
監督:矢崎仁

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変なおじさんの永瀬正敏と安定した演技力の寺島しのぶ、そしてJovianの推しの一人である吉沢亮と小松菜奈。そして『 うつくしい人 』、『 炎上する君 』の西加奈子の作品ときた。それが、どうしてこうなってしまったのか・・・

 

あらすじ

大学入学のために上京していた長谷川薫(北村匠海)は久しぶりに大阪の実家に帰ってきた。あこがれだった兄、一(吉沢亮)の死により家を出た父が、年末に家に帰ってくるという。薫はまた、屈託のない愛犬のさくらにも会いたかった。家族が離散する前の幸せな長谷川家を薫や妹の美貴(小松菜奈)は思い出していく・・・

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ポジティブ・サイド

まずは中学生から高校生(進学していないが)の年代を演じた小松菜奈に賞賛を。しまりのない表情から、逆にころころと自在に変化する表情までを披露し、まさに箸が転んでもおかしい年頃の娘を好演した。露出度がかなり高めの服装であっても色香を感じさせないのは、お見逸れしましたとしか言いようがない。

 

次いで寺島しのぶ。冒頭で性行為について幼い美貴にも分かる言葉で優しく丁寧に語る様は、そのまま各家庭で実践できそうに感じた。一が家にガールフレンドを連れてきたときには、昭和や平成の初めころにいっぱいいた大阪のおばちゃんの風情を存分に醸し出していた。

 

ストーリーの見どころは何と言っても長男の一。美貴が昭和59年生まれだと一瞬映っていたので、一はまさにJovianの同世代。服装も今の目で見れば全然ファッショナブルではないが、それが逆に時代の空気を濃厚に感じさせてくれた。部屋にイチローのポスターを貼ってあるのもいい。また、携帯が一般的ではなかった頃、手紙や家の電話で恋人とのもどかしいコミュニケーションを堪能できた世代には、一の映し出されなかった恋愛のあれやこれやがつぶさに想像できた。家で誰かがインターネットを見ていると、家の電話が不通になるという光景が繰り広げられる映画が、そろそろ制作されてくるのだろう。

 

閑話休題。一の死、そこに至るまでの物語は非常に痛々しく重い。そこに社会的マイノリティであるLGBTのサブプロットを絡ませる演出はなかなかに心憎い。ネタバレになるので詳しくは書けないが、自分はノーマルでありマジョリティであると思っていても、それは必ずしも永続的なものではない。何かの拍子にそうではなくなることは大いにありうる。そうした時にすがれるものがあるかどうか。人によっては宗教であったり、あるいは家族であったりするのだろう。家族の在り方が多様化する今、本作のような悲劇的かつ喜劇的な一家の物語は一種のケーススタディとなりうるように感じた。

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ネガティブ・サイド

まず第一に言っておかなければならないこととして、誰もかれもが大阪弁がヘタすぎる。寺島しのぶでもこうなのか。『 君が世界のはじまり 』の松本穂香、『 鬼ガール!! 』の井頭愛海、『 セトウツミ 』の菅田将暉や中条あやみのような関西弁ネイティブを使ってほしい。もしくは話の舞台を北関東あたりに移してほしい。別に大阪である必要は全くないではないか。

 

タイトルロールであるさくらの扱いが雑である。というよりも、特にストーリーの主題になっていない。壊れてしまいそうな家族の紐帯としてのさくらは一切描かれていないし、楽しい時も苦しい時も、さくらがいたからこそ長谷川家の一人ひとりが踏ん張れたんだという描写も特にない。なにかもっと『 戦火の馬 』のように、色々と見えないところでドラマを生んでいたという場面が一切画面に映らないので、さくらという犬が長谷川家のかけがえのない一員であるように見えない。むしろ、残飯処理係なのかと思えてしまうような描写があり、矢崎仁監督の手腕を疑ってしまう。

 

長男の一の背中を見て育った薫と美貴、という設定も何やら薄っぺらい。一とその恋人の矢嶋さんの関係の変化に、薫は愛というものの力を知った・・・ようには見えなかった。というのも、肝心要の矢嶋さんの描写が極めて一面的だからだ。変わっていく矢嶋さんや変わっていく一の描写があまりにも弱い。一が料理を手伝うようになっただとか、洗濯物を丁寧にたたむようになっただとか、そんなことでよいのだ。そうしたシーンが全くないのに、薫に「いつか二人は結婚するんだろうなと思った」と独白させても説得力はゼロだ。

 

その薫の独白も量が多いし、説明的すぎる。心象風景を言葉にするのならまだしも、話の前後関係をくだくだしく説明する必要はない。映画ならば映像や音楽、音響などを駆使してそれを行うべきで、原作が小説だからといって小説の技法をそのまま映画に持ってきてよいわけではない。そもそも説明が説明になっていないナレーションまである。一例は「初めの遅れてやって来た反抗期」だ。いや、それ反抗期ちゃうやろ、と映画館でフツーに突っ込ませてもらった。北村は歌手でもあるため声に透明感やしなやかさがあるが、何故か台詞をしゃべらせると情感を伴っているように聞こえない。『 私はあなたのニグロではない 』のサミュエル・L・ジャクソンや『 ショーシャンクの空に 』のモーガン・フリーマンのように、ナレーションだけで聞く側の心を落ち着かせたり、興奮させたり、ざわめかせたり、悲しませたり、といった声の表現力を目指すべきだ。あと、韓国映画(『 息もできない 』がいい)を観て暴力シーンを勉強すべきだろう。

 

トレイラーで“奇跡が起きる”とされた夜の長谷川家の移動ルートも地味に謎だ。劇中で一瞬チラッと大阪府枚方市あたりが住所であるように見えたが、枚方から国道2号は結構な距離がある。また、高速道路上から左手に初日の出を見ていたが、2号線沿線に南北に走る高速道路など存在しない。それとも2号線をひたすら西進して舞鶴若狭自動車道まで行ったというのか?とても信じられない。大阪弁の下手さからも感じたが、場所を関東に再設定すべきだった。

 

ネタバレになるため、中盤以降のストーリーについてはものさずにおくが、とにかく映画的な描写がとにかくうすっぺらく、またリアリティに欠ける。これはおそらく原作の原文からして間違っているのだろうが、「悪送球を仕掛けてきた」という文章の何とも気持ちの悪い響きよ。送球の主体は投手ではなく野手だし、送球は仕掛けるものでもない。野球で仕掛けるものといえばバントやヒット・エンド・ラン、盗塁などだ。「悪送球を打てない」という文章の不自然さに西加奈子もその編集も校正担当も、そして本作の脚本担当も誰一人として気が付かなかったというのか。そんな馬鹿な・・・

 

総評

家族という大きくて小さな枠組みが壊れていく、しかし完全に壊れたりはしない。そうしたメッセージは残念ながら非常に不完全な形でしか伝わってこなかった。家族の死、家族の離散、家族の再生というテーマなら『 焼肉ドラゴン 』の方が遥かに面白い。出演者のファン、あるいは原作のファン向けの作品ではあっても、映画ファン向けに仕上がっているとは言い難い作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

pop one’s cherry

「さくらんぼをはじけさせる」という意味ではない。これは「処女・童貞を喪失する」の意味である。一と薫の部屋での会話の私訳。ただ性的な意味意外に使うこともある。

 

I popped my skiing cherry.

初めてスキーに行った。

 

Now that I’m twenty, I will pop my drinking cherry today.

二十歳になったから、今日は初めてお酒を飲むんだ。

 

のような使い方もできる。この表現を使えたら・・・というよりもそういう話をできる人間関係を作れたら、外国語でのコミュニケーション能力は上級であると言える。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, ヒューマンドラマ, 北村匠海, 吉沢亮, 寺島しのぶ, 小松菜奈, 日本, 永瀬正敏, 監督:矢崎仁, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 さくら 』 -リアリティが決定的に足りない-

『 三大怪獣グルメ 』 -ミシュランの格付けでマイナス二つ星-

Posted on 2020年7月4日2021年1月21日 by cool-jupiter

三大怪獣グルメ 30点
2020年7月1日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:植田圭輔
監督:河崎実

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シネ・リーブル梅田でパンフレットを見た瞬間に「間違いなくクソ映画だ!」と直感した。『 哭声 コクソン 』でグチャグチャにかき回された脳みそを回復させるためには、脳みそを使わず、ただ1時間半暗転した劇場の椅子に座っている時間が有効だろうと素人の民間療法を実施。案の定のクソ映画だったが、別の意味で脳の活性化に役立ったと思う。

 

あらすじ

寿司屋の息子、田沼雄太(植田圭輔)は神社に奉納するイカ、タコ、カニの配達中にそれらを紛失してしまう。同時に東京にイカ、タコの巨大怪獣が出現してしまう。イカラ、タッコラと命名された怪獣を倒すべく、SMATが結成され、元・超理化学研究所員だった田沼も参加を要請されるのだが・・・

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ポジティブ・サイド

『 シン・ゴジラ 』は紛れもない傑作だったが、着ぐるみ+スーツアクターという伝統的な怪獣映画の文法に則っていないところが寂しいところでもあった。こちらの怪獣は紛れもなく日本の怪獣映画・特撮映画の伝統を重んじたオーガニックな手法で作り出されている。チープと呼ばば呼べ。一定以上の年齢の者は、本作によって少年時代のウルトラマンや何やかんやの特撮ヒーローものの記憶が呼び起こされるだろう。それは郷愁である。在りし日の思い出である。思い出は美化されているのである。

 

怪獣に食べられるではなく、“怪獣を食べる”という本作のコンセプトもなかなかに新しい。東宝怪獣のマンダやエビラを「あいつら、ひょっとしたら食べられるかも?」と思った少年少女は一定数いたと思われる。けれども、そのアイデアを作品の肝にしてしまおうという試みはほとんどなかったのではないか。小ネタとして思いつくのは漫画『 ドラゴンボール 』でヤジロベーがピッコロ大魔王の手下を食べてしまうことぐらいか。

 

そうそう、政権与党の権力者を思いっきりパロってコケにするシーンがいくつかあるが、ここはちょっと笑ってしまった。新型コロナ対策を見て分かるように、我が国の政府は恐ろしいほど無能であるという事実が白日の下に晒されてしまった。そのことを下敷きに本作を観れば、『 シン・ゴジラ 』のキャッチコピーである 現実 対 虚構 の意味が鮮やかに反転する。怪獣というのは災害の謂いであり、それをどう乗り越えるか、どう災い転じて福となすのか。そうした視点で見るといっそう興味深くなる。

 

ネガティブ・サイド

脚本が悪い。ストーリーが悪いというのではなく、何もかもが第一稿という段階で撮影に入ってしまっているのではないか。言葉の誤用などの構成のミスも目立つし、プロットの一貫性にも欠けている。たとえばSMATが使用する主兵装に酢砲という馬鹿馬鹿しいにもほどがある武器がある。それは良い。怪獣と言う存在がそもそも馬鹿馬鹿しいのだ。問題は、一万キロリットルの酢をタンクローリーに積載して、怪獣めがけて撃つという設定だ。キロリットル=1,000リットル、1万キロリットル=10,000,000リットルである。水で考えれば、その重さは10,000,000キログラム、トンに換算すれば1万トンとなる。酢も同じに考えてよいだろう。1万トンをタンクローリーで運ぼうとすれば、それこそ『 シン・ゴジラ 』のヤシオリ作戦並みの物量と機動力が必要となる。だが、実際にはジープ2台が出動とはこれいかに。

 

また主人公のライバル敵キャラが酢法の知的所有権が自分に帰属することを高らかに主張するが、政府管轄のSMATに参加しながらそれを主張するのは無理がある。また兵器は特許として出願されうるとは思うが、酢という食品を使用している点が微妙である。というよりも、料理法に着想を得たと自信満々に語っているが、これでは偶然に着想を得たとは言えない。つまり特許庁は特許を認めない可能性が極めて高いだろう。

 

プロット上の矛盾としては、SMATに正式加入していない、というか高らかに不参加を宣言した田沼がイカラやタッコラを試食するところが、まずおかしい。料理人は退院だけに振る舞ったとテレビで断言していたではないか。またSMAT隊長のナレーションで、国立競技場に追い詰めたはずが「大自然が生み出した怪獣が、予想もしない行動に出た」と語るが、三大怪獣はそもそも大自然が生み出したものではなく人間の作ったゼタップZが生み出したもの。そのセタップZも「細胞の核融合を起こす」と説明しながら、実際は細胞分裂を促進するだけ。空想科学研究所の柳田理科雄に言わせれば、全身が癌化してすぐに死亡すると断言されそうだ。また、「予想もしない行動に出た」のは怪獣ではなく人間だった。

 

ことほど左様に本作の脚本は言葉とプロットの面で稚拙である。まさに初稿のまま一切の推敲や校正を経ず、そのまま採用されたかのようである。とてもここには書ききれないが、細かな言葉のミスやプロット上の矛盾は他にも数限りなくある。怪獣の寸法が場面ごとに全然違うなどというのはその最たるものである。怪獣という巨大な虚構を成立させるためには、細かな部分のリアリティこそが肝である。イカラの肝の塩辛はきっと絶品に違いない。

 

キャラクター同士のロマンス要素もノイズだ。そもそもヒロイン役のアイドルの演技力が絶望的に低い。学芸会レベルである。そして頭も悪い。「アワビ、フォアグラ、フカヒレを巨大化させて、世界の食糧事情を改善させる」というアイデアに目を輝かせるが、ちょっと待て。アワビはまだしもフォアグラやフカヒレは生物の体の一部であって生物そのものではない。こいつは水族館では魚の切り身が泳いでいると錯覚するタイプなのか。そして完璧なシチュエーションにもかかわらず告白できない幼馴染の田沼に、それでも愛想をつかさないというキープ癖。あそこで告れない男に冷めない女子というのは、脚本家や監督の願望の投影なのだろうか。キモチワルイ。

 

序盤の何気ない会話があまりにもあからさまな伏線であることに失笑を禁じ得ない。これではまるでクライマックスの展開を読んでくださいと言っているようなものではないか。いくらなんでも、もう少し工夫した見せ方をすべきである。

 

他にも撮影や大道具小道具美術衣装に言いたいことは山ほどあるが、割愛させてもらう。本当は20点だと思っているが、怪獣ジャンルということで10点オマケしておく。

 

総評

期間限定上映である。行くなら今である。さあ、本作を観て、一週間以内に海鮮丼を食べよう。そしてきれいさっぱり本作を記憶から消してしまおうではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

in a state of emergency

主人公・田沼の「今が緊急事態宣言中ってこと、忘れてるんじゃないの?」というセリフがある意味でとても生々しい。Japan is in a state of emergency. = 日本は緊急事態にある。今年になって最も使われるようになった言葉であり、残念ながら今後も使われるかもしれない言葉である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, 怪獣映画, 日本, 植田圭輔, 監督:河崎実, 配給会社:パル企画Leave a Comment on 『 三大怪獣グルメ 』 -ミシュランの格付けでマイナス二つ星-

『 水曜日が消えた 』 -竜頭蛇尾の邦画ミステリ-

Posted on 2020年6月22日2021年1月21日 by cool-jupiter
『 水曜日が消えた 』 -竜頭蛇尾の邦画ミステリ-

水曜日が消えた 30点
2020年6月20日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:中村倫也 石橋菜津美 深川麻衣
監督:吉野耕平

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多重人格ものと記憶喪失もの、そしてタイムトラベルあるいはタイムパラドックスものは、たいてい始まりは抜群に面白い。その面白さをいかに維持するか、それが共通のテーマとなるが、それに成功した作品はごく少数である。本作はどうか。Fizzle outした。

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あらすじ

幼い頃の交通事故の影響で“僕”(中村倫也)は曜日ごとに異なる人格に入れ替わるようになってしまった。成長し、各人各様に生きるようになった“僕”だが、その中でも火曜日は掃除やゴミ捨てなど損な役回りを押し付けられていた。だが、ある日、目覚めてみると、水曜日だった。“水曜日”が消えて、“火曜日”が火曜と水曜を生きるようになったのだ。火曜日はいなくなった“水曜日”を不審に思いながらも、水曜日の生活を堪能するのだが・・・ 

ポジティブ・サイド

“火曜日”と深川麻衣とのロマンティックな関係が、平凡ながらも幸せの意味を実感させる良いシークエンスだった。テレビドラマ『 まだ結婚できない男 』でなかなか売れない芸能人役がハマっていたように、元がアイドルとは思えない地味さが深川麻衣の魅力だ。褒めている。決してけなしてなどいない。実際に本人を目の前にしたとすれば、相当にキュートであろう。しかし、スクリーンで見ると地味なのだ。そのギャップが良いのである。

 

“僕”の友人を演じた石橋菜津美もなかなかに奥ゆかしい。ベリーショートで、体の曲線をまったく感じさせない服装で、言動もかなりの男前。その一方で、そうした態度はすべて“僕”への好意の裏返しであることがバレバレというとても分かりやすいキャラ。そんな人物が「じゃあ、深夜らしいことするか」というシーンは、「お?お色気シーンがあるのか?」と期待させてくれた。もちろん、そんなものはない。『 月極オトコトモダチ 』はやはりファンタジーだ。そういったサバサバ系女子の因果は、ちゃんと後半に明らかにされるし、そこにはそれなりの説得力がある。

 

“火曜日”が別の人格とコミュニケーションを取るシーンの演出はそれなりに斬新か。どこか初代『 グレムリン 』を思わせる深夜のルールも、序盤から中盤のサスペンスを効果的に盛り上げている。

 

ネガティブ・サイド

なんというか、プロットだけ見れば『 セブン・シスターズ 』と『 ジョナサン -ふたつの顔の男-   』を足して2で割ったようなストーリーである。つまり、オリジナリティが無い。他に類似作品としては新城カズマの小説『 サマー/タイム/トラベラー 』の某キャラや漫画『 嘘喰い 』の某キャラなどが挙げられる。とにかくキャラクター設定が陳腐だ。

 

また多重人格ものの定石として、物語の割と早い段階でそれぞれの人格がいかに異なり、独立したものであるのかをオーディエンスに明確に示す必要がある。観客の一定数は役者の演技力を堪能したいがために鑑賞しているからだ。そうした意味でも、本作の構成には不満が残る。『 スプリット 』のジェームズ・マカヴォイのレベルは別に求めない(そんなことができる役者は世界的にも40~50人しかいないと思われる)。しかし中村倫也の一人七役というのは過剰広告であった。実質的には一人二役で、それも正反対のキャラクター。こういうのは非常に演じ分けやすく、はっきり言って役者のポテンシャルをとことんまで引き出す演出にはなりにくい。スマホの録画機能で対話するシーンは現代的だが、それも『 ジョナサン -ふたつの顔の男- 』が似たようなことを先に行っている。スマホと対話するのではなく、スマホで録画するシーンを交互に映し出せなかったか。あるいは、スマホを右手に構えながらシームレスに人格同士が語り合うシーンは撮れなかったか。そこまでやらないのなら多重人格ものを撮る意味は薄い。

 

映像演出の面でも不満が残る。割れたサイドミラーに映る鳥が分裂していくのは、どう考えても『 スプリット 』のジャケットやポスターの二番煎じだし、そもそもそのシーンを繰り返し再生しすぎである。またキーとなる図書館が『 図書館戦争 』 のそれ。もっと別の図書館を探せなかったのか。同じ図書館を使うにしても、上方からの俯瞰のショットや、円周部分の書棚など、『 図書館戦争 』で飽きるほど見た構図である。もっと別の角度からのショットを監督や撮影監督は模索すべきでなかったか。

 

腑に落ちないのは、“火曜日”の態度。普通は“水曜日”が消えたら、第一に「自分も消えてしまうのではないか」という恐怖、第二に「他にも消えている曜日がいるのではないか」という疑念を抱くはずである。そうはならずに、いきなり未知の水曜日を楽しんでしまうところに、とんでもないご都合主義およびDIDへの無知と無理解を感じた。『 スプリット 』のカウンセリングシーンや『 ISOLA 多重人格少女 』を観ろ、そして原作小説『 十三番目の人格 ISOLA 』を読めと吉野耕平監督に強く言いたい。『 セブン・シスターズ 』も“月曜日”が姿をくらませたことで残りの曜日たちは大混乱に陥ったではないか(あちらは七つ子だが)。普通に考えれば10年単位で付き合いのある人間がいなくなれば困惑するだろう。あるいは、“水曜日”が水曜日を拒否したくなるような出来事があったのかと、水曜日に警戒することはあっても、ウキウキはしないだろう。七重人格という設定だけを先走らせて、人間というものが描けていない。

 

“僕”の面倒を看るべき医療関係者たちの目も節穴なのだろうか。脳への器質的なダメージでDIDを発症した、あるいは器質的なダメージの回復過程でDIDを発症したということは、“各曜日”との面談(カウンセリング)とメディカル・チェックが人格の独立あるいは統合という、いわゆる治療への道筋を立てるための大きなカギとなる。それを火曜日に“火曜日”相手にしか行っていない。アホなのだろうか。脚本および監督を務めた吉野耕平は、どこまで取材し、どこまで考察し、どこまで七重人格へリアリティを付与しようと努力したのか。おそらく満足にしていない。様々な先行作品の色々な要素をつまみ食いしただけの企画に予算とゴーサインを出した配給会社と制作委員会の罪である。ということは邦画という産業構造の罪でもある。勘弁してくれ。

 

メインキャスト以外の演技が総じて学芸会レベルである。特にきたろうと若い医者。これで出演料を受け取っていいと感じているのか。監督も何テイク撮ったのか。編集にどこまで関わったのか。どこまで現場で演出や演技指導をしたのか。せっかく昨今珍しい小説や漫画原作ではない邦画だというのに、この出来はあまりにも無残であり残念である。

 

総評

邦画のダメなところが凝縮されたような作品である。映画館が徐々に日常(withコロナだが)を取り戻しつつある中、割と楽しい気分で劇場に向かったのだが。これがTOHOシネマズ梅田のScreen 1というスクリーンの大きさと画質、そして音質に優れた劇場でなければ、もうマイナス5点したい。それぐらいの酷い出来である。某映画サイトなどで好評レビューが多いが、サクラだと思いたい。そうでなかれば映画ファンの劣化も甚だしい。というのはさすが言い過ぎか。はっきり言って中村倫也のファンでなければ、観る価値は極小である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

get along

劇中で火曜日の言う「僕たち、仲良いんだよ」を英語にすれば、“We get along.”となるだろうか。A and B get along. = AとBは仲良くやっている、We get along = 僕たちは仲良くやっている、である。一定以上の世代の人間ならば“We can get along together.”と言えば通じるだろう。

 

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『 パズル 戦慄のゲーム 』 -韓国製ピエロ映画の失敗作-

Posted on 2020年5月11日 by cool-jupiter

パズル 戦慄のゲーム 30点
2020年5月11日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:チ・スンヒョン
監督:イム・ジンスン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200511220816j:plain
 

近所のTSUTAYAがうるさいぐらいに『 ジョーカー 』と『 IT イット THE END “それ”が見えたら、終わり。 』を宣伝している。ひねくれ者のJovianは、だったら別の道化ものを借りてやるぜ、とジャケットだけでレンタルを決めた。

 

あらすじ

広告代理店で順調に出世を重ねるドジュン(チ・スンヒン)だったが、妻と娘は遠くカナダはバンクーバーに暮らしていた。妻に対して猜疑心を抱くドジュンは、偶然に知り合った女性セリョンと怪しげなクラブで一夜の関係を持つ。だが、気が付くとセリョンが殺害されていた。誰が、何の目的で?ほどなくして、ドジュンの携帯に脅迫のメッセージが届き・・・

 

ポジティブ・サイド

同じ駄作は駄作でも『 パズル 』よりは良い出来である。オープニング・シーンが『 聖女 Mad Sister 』と同じで、ハンマーを引きずる主人公の姿なのだが、制作はこちらの方が早いらしい。まさか本作が『 聖女 Mad Sister 』に影響を与えたとは思わないが・・・

 

以外にも色々な形で伏線はフェアに張られている。特に中盤の追走シーンでは、多くの人が「何だこれは?」と違和感を覚えるところがあるが、これは監督の意図したものであることは間違いない。終盤あたりからその「演出」がもっと目に見える形で現れてくる。はっきり言ってクリシェであるが、これはこれで一応受け入れてよいのだろう。

 

アクションシーンはなかなかに面白い。何故に普通のリーマンがここまでスラッシャーに変貌するのだと思わせるが、たとえ無意味に思えてもバイオレンスを放り込んでこその韓国映画。『 殺人の告白 』も無意味なアクションだと思えるところに限って、やたらと力が入っていた。

 

ネガティブ・サイド

主人公のhand to hand combatのアクションはまだ許せても、銃を触ったことがないような一般人女性が引き金を引くのが気に入らない。のみならず、ズドンと急所に命中させるところはもっと気に入らない。実弾を撃ったことがある方にはお分かりいただけようが、素人は5m離れれば、まず的には当たらない。十数年前にLAで5mの距離から20発ほど外したJovianが断言する(そういう意味では『 アジョシ 』のラストのガンアクションにはリアリティがあったと改めて妙に納得)。

 

ストーリーの発端となるドジュンの濡れ場のシーンにはエロスが足りない。というか、敢えて嫌な言葉使いをさせてもらえれば商売女なのだから、もっとサービスしろと言いたい。『 オールド・ボーイ 』のミドのまぐわいを100回鑑賞しろと言いたい。脱ぐだけではダメなのだ。脱いだからには色気を感じさせなければならないし、極端に言えば脱ぐ前から色気を発していなければダメだ。それがプロだろう。

 

肝心のオチが正直なところ、あまりにもひどい。二十数年前の『 世にも奇妙な物語 』で見たことがある気がするし、洋の東西を問わずアホほど量産されてきたプロットの焼き増し再生産に過ぎない。そこに新味を加えるべく一捻りを加えてきたが、これは逆効果。このあたりについてはイム・ジンスン監督は『 イニシエーション・ラブ 』を100回鑑賞してみてほしいもの。

 

総評

一言、失敗作である。アクションと流血描写だけはまあまあ楽しい。が、それだけである。ピエロものを観たいのならば『 仮面病棟 』や『 ピエロがお前を嘲笑う 』を観るべし。よほど手持無沙汰な人がちょうど90分を潰したい、という向きにしか本作はお勧めできない。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語会話レッスン

チンチャミアナダ

 

「本当にごめんな」の意である。チンチャは『 母なる証明 』で紹介した言葉で、ミアナダは『 国家が破産する日 』で紹介したミアネの語尾が変化したもの。外国語学習ではある程度ボキャブラリーを蓄えたら、今度はそれを組み合わせる段階に進むべきである。

 

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