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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: E Rank

『 ムーンインパクト 』 -愛すべきダメダメB級SF映画-

Posted on 2022年11月28日 by cool-jupiter

ムーンインパクト 20点
2022年11月26日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マイケル・ブロデリック クリス・ブドゥー
監督:ブライアン・ノワック

『 ザ・メニュー 』鑑賞後に口直しが必要と感じ、チーズバーガーをほうばりながら観られそうなB級作品をTSUTAYAでピックアウト。決して『 ムーンフォール 』と間違えてレンタルしたわけではない。

 

あらすじ

月に巨大小惑星が激突。その衝撃で月は軌道を離れ、徐々に地球に落下してきた。月の地球落下まで残された時間は3時間。ペンタゴンは反物質エンジンで月の裏側にブラックホールを発生させ、その重力で月を引き戻す作戦を実行するため、かつての宇宙飛行士ジム・ローソン(マイケル・ブロデリック)を宇宙に送り込もうとするが・・・

 

ポジティブ・サイド

序盤のジムとポールの兄弟のある行動を見て「おいおい、アホかこいつらは」と思ってしまったシーンが、まさかの終盤の展開につながっている。これには腰を抜かした。その伏線の張り方もさることながら、その馬鹿馬鹿しさと、それゆえのスケールの大きさには驚かされた。監督はブラックホールだとか、月の落下よりも、このビジョンを映画にしたかったんだろうな。

 

映画が始まった瞬間から月の落下まで3時間、それがすぐに1時間40分ぐらいになる。その間、ジムとポールの行く手にはトラブルだらけ。とにかく常に彼らがせわしなく動き回るので飽きは来ない。

 

ネガティブ・サイド

科学的に間違っている描写を逐一挙げれば、おそらく数千に届くのではないか。それぐらい何もかも間違えている。物理や天文学をまともに学校で習ったことはなく、そうした知識は小説、映画、テレビ番組、書籍などから得ているJovianでも「なんじゃこりゃ?」と感じるシーンやセリフがてんこ盛りである。

 

まずもって反物質エンジン?反物質の採取は月軌道どころか木星あたりに行かないと無理。さらに反物質エンジンでブラックホール生成?意味が分からない。さらにそのブラックホールの重力で月を元の軌道に引き戻すと言うが、生み出してしまったブラックホールはどう片付けるのか?

 

さらに中国とロシアがアメリカの作戦を無視して核ミサイルを射出しようとする。その理由は「ブラックホールは地球まで飲み込んで破壊してしまう恐れがある」という至極もっともな懸念。それに対するジムとポールの答えが「重力は距離の逆二乗で弱まるから大丈夫、地球にブラックホールの重力は届かない」という説明・・・って、ちょっと待った。それ、某出版社が小学校の理科の参考書でやらかしてた間違いそのまんま。「人工衛星は無重力空間にあります。地球の重力が届きません」と書いた次のページで「月は地球の重力に惹きつけられる形で回っています」というのと理解のレベルが同じやんけ。大体、地球の重力に引っ張られる月を、さらに引っ張り戻せるだけの重力を持つブラックホールなら、地球も同時に引っ張るに決まってるやん。AとBが綱引きしてて、BがAを引っ張ってる最中に、CがAをさらに強い力で引っ張ったら、CがBとAの両方を引っ張るでしょ・・・ 

 

その他にも宇宙船の速度が時速3億6千万キロ、つまり光速の約3分の1という反則級のスピードに達したのには笑った。最初は字幕のミスか?と思ったが、何度聞いても two hundred and nine million miles per hour = 時速209,000,000マイルと言っているので、字幕ミスではなかった。他にも宇宙船が遠心力を使わずに人工重力を発生させていて、なんでその技術をスケールアップさせて月を別方向に引っ張らないの?と思わせてくれる。他にも宇宙服に穴が開いているのに、軽く空気が漏れるだけの描写など、随所で頭を抱えざるを得ない描写のオンパレード。

 

極めつけは、この手の天体落下型ディザスター・ムービーでおなじみのロシュ限界が思いっきり無視されているのには呆れた。というのも、脚本家の名前が Joe Roche =ジョー・ロシュなのだ。脚本を書く時に科学的考証を一切しないと決めてたんかな?

 

カメラワークも皆無。その他のキャラもほとんどすべて同じアングルでひたすらしゃべり続けるだけ。その半数は、ほとんど無意味に死んでいく。彼ら彼女らの演技はまさに学芸会レベル。映画大国アメリカでも、ゾンビやらサメやら天体落下やらのクソ映画を大量生産することで、ごくまれに傑作が生まれるという構図は健在なのだ。

 

総評

これぞ愛すべき大馬鹿B級映画である。いや、クオリティを考えればC級もしくはD級と言ってもいいのだが、観る側が「ああ、アンタらはこのシーンをやりたかったのね」と作り手側に少しでも共感できれば、それだけでB級である。レンタルもしくは配信で観る場合、楽しもうなどと思ってはいけない。雨の週末にスナックでも食べて、スマホ片手に鑑賞するのが吉である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

one of a kind

「唯一無二」、「他に並ぶものがない」の意。人にも物にも使える。普通は良い意味で使われるが、

This film is one of a kind … in a bad way. 
この映画は唯一無二だよ・・・悪い意味でね。

のように言うこともできる。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 サイレント・ナイト 』
『 母性 』
『 グリーン・ナイト 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, E Rank, SF, アメリカ, クリス・ブドゥー, マイケル・ブロデリック, 監督:ブライアン・ノワックLeave a Comment on 『 ムーンインパクト 』 -愛すべきダメダメB級SF映画-

『 いつか、いつも……いつまでも。 』 -脚本、演出、キャラクターの全てがダメ-

Posted on 2022年10月17日 by cool-jupiter

いつか、いつも……いつまでも。 20点
2022年10月15日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:高杉真宙 関水渚
監督:長崎俊一

関水渚の出演作ということでチケット購入。しかし、これがとんでもない駄作であった。なぜポイントで鑑賞しなかったのかと悔やんだ。

 

あらすじ

小さな診療所で働く青年医師・俊英(高杉真宙)の前に、兄の知り合いであり、俊英の憧れの女性である亜子(関水渚)が現れる。一か月間にやけっぱちで結婚したという亜子だが、旦那は長期の海外出張に。想像の亜子と現実の亜子のギャップに俊英は懊悩するが、悩みを抱える亜子を助けたいと徐々に感じるようになり・・・

ポジティブ・サイド

石橋蓮司の芝居はいつ見ても安定している。

 

関水渚は可愛かった。

 

唐突に中島歩が出てきて笑った。大絶賛、売り出し中なのだろう。頑張ってほしい。

 

ネガティブ・サイド

まずキャラが全然立っていない。主人公の俊英も看護師(準看護師か?)に「あの先生。感情あったんだ」とか囁かれているが、それを言葉で表すのはあまりに安直。また、亜子との触れ合いの前後で俊英の中のなにかが少しずつ変わっていくという描写をしたいのなら、診察時の風景を挿入すればいい。無愛想極まりない診察と、相手を気遣う表情や素振りを見せながらの診察。それらを対比させるだけでいい。もしくは亜子との関わりの中で、無意識に元カノの面影を見出してしまう、あるいは比較してしまうなどの描写があってもよかった。そうすることで俊英というキャラのビルドゥングスロマンの意味合いを濃くすることもできたはず。

 

その俊英、いくら医者とはいえ亜子のパーソナルスペースに最初からズカズカと入り込みすぎ。理想と現実のギャップに悩み苦しむのなら、憧れの女性が目の前にいて、いきなりその体に触れたりするだろうか。Jovian妻曰はく「若い女子はこれを喜ぶやろな」と言っていたが。

 

その亜子のキャラも色々とおかしい。既婚者というのは置いておくとして、妙なタイミングで笑う、歯医者が怖いなどの属性は必要か?意外に料理が上手いというのも前世紀的な設定だ。何らかのトラウマを抱えているのは分かるが、それが何であるのかというヒントすら与えないというのは頂けない。

 

序盤の肝である展開だが、男が女に幻滅するというか、冷めていくのは、相手が自分の理想と違うからで、こうした描写をするからには俊英が勝手に色んなイメージをふくらませる描写が必要だ。亜子が家のレイアウトを見て回って、俊英についてあれこれ妄想を膨らませるシーンはあったのに。これでは片手落ち(今も使っていい表現?)ではないか。

 

俊英の叔母さんもクソうるさい。セリフを言うのに精いっぱいで、喋っているときは演技ができていない。演技をしている時は動きがわざとらしい。出てくるだけで嫌な気分になった。まあ、これは演じた人の問題というよりもそのような演出しかできなかった監督の問題か。

 

俊英の交友関係もよく分からない。心療内科の友人や元婚約者のキャラも必要十分に掘り下げられていない。医師であるという俊英の重要なキャラ設定が、ここでも全く活きない。医師だからこそできる関わり方、医師だからこそすべき関わり方が非常に弱かった。服薬管理だけではなく、カウンセリングをする、あるいはそれを友人医師に頼むなどしないと、医師である意味がない。というか、単なる玉の輿物語になり下がってしまう。

 

総評

ストーリーにもキャラクターにも入り込めないというダメ作品。石橋蓮司の安定感と関水渚の可愛らしさだけしか見るところがない。Worst movie of the year に近いレベル。高校生や大学生のカップルがデートムービーとして鑑賞するには良いのかもしれないが、30代以上、あるいは熱心な映画ファンに受け入れられるような作りになっていない。チケット購入は慎重に検討されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. I want to forget about this film ASAP.

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 ドライビング・バニー 』
『 ソングバード 』
『 グッド・ナース 』

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, ラブロマンス, 日本, 監督:長崎俊一, 配給会社:バンダイナムコフィルムワークス, 関水渚, 高杉真宙Leave a Comment on 『 いつか、いつも……いつまでも。 』 -脚本、演出、キャラクターの全てがダメ-

『 死霊館 悪魔のせいなら、無罪 』 -拍子抜けもいいところ-

Posted on 2022年9月11日 by cool-jupiter

死霊館 悪魔のせいなら、無罪 20点
2022年9月11日 レンタルBlu rayにて鑑賞
出演:パトリック・ウィルソン ベラ・ファーミガ
監督:マイケル・チャベス

『 死霊館 』シリーズ。一つも見たことはないが、「悪魔のせいなら、無罪」という副題に惹かれて近所のTSUTAYAでレンタルしてしまった。

 

あらすじ

心霊研究家のエド(パトリック・ウィルソン)とロレイン(ヴェラ・ファーミガ)のウォーレン夫妻は、悪魔に憑りつかれたせいで殺人を犯してしまったという青年アーニーの無実を証明するため、その呪いの実態を調査することになるが・・・

 

ポジティブ・サイド

子役の男の子はそれなりに迫力があったかな。

 

ベラ・ファーミガは良い年齢の重ね方をしていると感じた。

 

ネガティブ・サイド

こんなん、タイトル詐欺やん。悪魔のせいなら無罪という部分に惹かれて、『 エミリー・ローズ 』のような丁々発止のやりとりを期待していたのに、肝心の法廷部分は最後におまけ程度についてくるだけ。実際に悪かったのは人間ですというオチ。しかも無罪判決が出るわけでもなし。

 

冒頭の悪魔祓いのシーンも『 エクソシスト 』で見た構図の焼き直し。サメ映画が『 ジョーズ 』を超えられないように、悪魔祓い映画も『 エクソシスト 』を超えられないのか。白目むいたり、四肢を変な方向に曲げたりといった視覚的な演出以外を追求しようとは思わんのか。

 

その他のシーンもホラー映画の文法にあまりにも忠実すぎて、退屈になるだけ。ここはこけおどしだろう、ここはそろそろ来るな、という予感がほとんど全部的中する。多分、作り手も流れ作業で製作しているような気がする。それでも『 死霊館 』ユニバースの熱心なファンなら、キャラクターの development を楽しめるのかもしれないが、初見の人間ではストーリーも演出も全く楽しめない。

 

総評

ホラー+法廷サスペンスというテイストを期待していたのに裏切られた。和洋折衷の料理屋だと思って入ったら、ほとんど全部洋食で、最後の最後に抹茶アイスのデザートを供された感じである。ホラーの初心者にもホラーの愛好家にも勧められない。死霊館シリーズのファンだけが楽しめば良いというスタンスで作られた作品なので、それに該当しない人は近づくべからずだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

curse

呪い、または呪うの意。これをセンテンスの形で使うことはまずない。普通は “Curse you!” = 呪ってやる!=この野郎め!という意味合いで使う。というか、こんな表現を使えるなら、もう英語コミュニケーションの上級者だろう。 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, E Rank, アメリカ, パトリック・ウィルソン, ベラ・ファーミガ, ホラー, 監督:マイケル・チャベス, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 死霊館 悪魔のせいなら、無罪 』 -拍子抜けもいいところ-

『 サイレントヒル リベレーション 』 -残念な続編-

Posted on 2022年8月16日 by cool-jupiter

サイレントヒル リベレーション 30点
2022年8月13日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:アデレイド・クレメンス キット・ハリングトン キャリー=アン・モス ショーン・ビーン
監督:マイケル・J・バセット

『 マインド・ゲーム 』がまだレンタル中。なので『 サイレントヒル 』の続編を借りてくる。ホラー色が薄まり、宗教色が最初から色濃く出ていたのは色々と残念だった。

 

あらすじ

ヘザー(アデレイド・クレメンス)は、ある事情から父親クリス(ショーン・ビーン)と共に各地を転々としながら生活していた。しかし、18歳の誕生日を目前にして、ヘザーの前に謎の人物が現れ、また父親も姿を消してしまう。家には「サイレントヒルに来い」という血文字が残されていた。ヘザーは同級生ヴィンセント(キット・ハリングトン)と共にサイレントヒルに向かうが・・・

 

ポジティブ・サイド

出るわ出るわのクリーチャーたち。ゲームと映画の『 サイレントヒル 』のugly系のクリーチャーは本作でも見事に表現されている。一押しは人体マネキンパーツで出来た蜘蛛のようなクリーチャー。まるでスティーブン・キング作品に出てきそうな雰囲気。また前作で描かれなかったセクシー看護師アーミーの残虐殺戮描写も本作ではたっぷり登場。グロ描写ファンを喜ばせてくれた。

 

父親クリストファーの尽きることのない娘、そして妻への愛は感動的ですらある。それがヴァルティエル派の信徒の狂信性と鮮やかなコントラストになっている。どちらも人間本来の姿なのが皮肉なところ。クリーチャー(非人間) vs 人間という単純な二項対立ではなく、人間そのものが一種の分裂的な気質を備えた生き物なのだろう。アレッサという虐げられた個人を通して、本作はそのことを強く訴えかけているようである。

 

ネガティブ・サイド

ゲーム、そして前作の大きな特徴でもあった静寂の中に突如混ざる雑音という演出がなくなった。割と速いテンポで次から次へとクリーチャーが出てくるのは良いが、そこにお約束的演出がなくなってしまったのはいただけない。サイレントヒルのサイレントという部分がごっそりそぎ落とされたのは残念至極である。

 

またサイレントヒルに迷い込むことはあっても、サイレントヒルからは逃れられないという前作の悲劇的な結末を、割とご都合主義的に破ってくるのもいかがなものか。前作でクリスタベラを失った教団が、前作以上の影響力を保持しているのも説明がつけがたい。指導者を失った教団に優秀な跡継ぎ(イエスに対するペテロなど)がいれば何とかなる。前作にはそのような描写はなかったし、今作でも一切フォローがなかった。

 

看護師アーミーは個人的にはツボだが、ウッフーン、アッハーンみたいな声は必要か?ゲームを実際にプレーしていないのだが、無言でサクサク相手を滅多刺しにしていく方が共感を呼び起こすと思うが。

 

最大の恐怖のひとつだった三角頭がアレッサの守護者というのは、何か拍子抜けに感じた。二大クリーチャー同士の一騎打ちはアクション映画としては面白いが、ホラー映画としては「なんだかなあ・・」である。

 

最大の問題は、前作が非常に巧みに展開した、怪異に浸食された街とそこで狂信者として生きる集団の恐ろしさの見せ方のバランスが壊れてしまっていることだろう。本作は最初から最後まで怖いのは人間というスタンスである。いや別にそれでもいいのだが、だったらサイレントヒルをタイトルに冠する必要はないわけで。そもそも続編自体が不要だったのかな。それともプロデューサーの監督や脚本家の人選がイマイチだったか。

 

総評

舞台はアメリカだがゲーム制作自体は日本。その日本的な静謐なテイストを良い意味でも悪い意味でもアメリカナイズして映像化したのが本作である。前作を楽しめたのなら、本作は鑑賞不要。まさか本作から鑑賞する奇特な向きはないだろうが、本作から鑑賞したなら、楽しめた楽しめなかったに依らず、前作『 サイレントヒル 』を鑑賞されたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

sanctuary

「聖域」や「聖堂」の意。一定以上の年齢層であれば漫画『 聖闘士星矢 』でお馴染みだろう。animal sanctuary = 動物保護区、wildlife sanctuary = 野生動物保護区のような使われ方をすることも多い。英検準1級やTOEFL、IELTSで言って以上のスコアを目指すのなら知っておきたい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, アデレイド・クレメンス, アメリカ, キット・ハリングトン, キャリー=アン・モス, ショーン・ビーン, ホラー, 監督:マイケル・J・バセット, 配給会社:プレシディオLeave a Comment on 『 サイレントヒル リベレーション 』 -残念な続編-

『 ジュラシック・ワールド 新たなる支配者 』 -広げすぎた風呂敷を畳めず-

Posted on 2022年7月31日2022年7月31日 by cool-jupiter

ジュラシック・ワールド 新たなる支配者 20点
2022年7月30日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:クリス・プラット ブライス・ダラス・ハワード サム・ニール ローラ・ダーン ジェフ・ゴールドブラム イザベラ・サーモン
監督:コリン・トレボロウ

 

『 ジュラシック・ワールド 炎の王国 』で、広げまくった風呂敷をどう畳むのか。関心はそこだったが、製作陣は見事に回避。さらに『 ジュラシック・パーク 』から連綿と続いてきたメッセージもあっさりと放棄。これは一種の詐欺商法ではないのか。

あらすじ

恐竜たちが解き放たれた世界。オーウェン(クリス・プラット)とクレア(ブライス・ダラス・ハワード)は、クローン少女であるメイジー(イザベラ・サーモン)を守りながら暮らしていた。しかし、そのメイジーがオーウェンの盟友ラプトルのブルーの子と共に謎の男たちに誘拐される。オーウェンとクレアは救出に動き出す。一方、アメリカの穀倉地帯に出現した謎の巨大イナゴを追うサトラー博士(ローラ・ダーン)は、旧知のグラント博士(サム・ニール)と共にバイオシン社を訪れて・・・

 

ポジティブ・サイド

しっかり騙されてしまったというか、乗せられているなと感じるが、やはり『 ジュラシック・パーク 』の面々が集まると、高校生の頃に劇場で鑑賞した時の気持ちが蘇ってくる。『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』でキャリー・フィッシャーやハリソン・フォード、マーク・ハミルと再会した時のような感傷や、『 トップガン マーヴェリック 』でマーヴェリックと再会した時の感覚に近い。まあ、自分がそれだけオッサンになったということか。

 

パラサウロロフスのような、何とか象レベルで捉えられそうな恐竜から、ギガノトサウルスのような象をおやつに食べそうな化け物に、某大学の教科書に出てきたばかりのケツァルコアトルスなど、新しいモンスターたちはどれもこれも eye-candy だった。羽毛をまとった恐竜の姿も、NHKではなくハリウッド水準のCGで観られたのにも満足。

 

初代の裏切りデブを彷彿させるモブキャラに、発煙筒のシーンの完全オマージュなど、良い意味で壮大なシリーズのフィナーレを飾るにふさわしい ”演出” の数々が堪能できた。

以下、ネタバレあり

 

ネガティブ・サイド

新旧キャラが勢揃いするのは確かに壮観だが、逆に絶対に死なないキャラが増えるということをも意味する。それはストーリーから緊張感を奪い去る。毀誉褒貶の激しい『 スター・ウォーズ 』の新三部作(Jovianは賛の立場)では、旧作のキャラの死亡(役者本人の死亡もあったが)や離脱が相次いだ。これは観る側にかなりの衝撃を与えた。だが本作にはそうした緊張感は一切なし。バイクやクルマのアクションがスリリングだとは感じたが、それはその他多くの映画で何百回と観たやつである。

 

思ったよりも翼竜や首長竜、魚竜が活躍しなかったのはCG予算の限界なのか、アイデア不足なのか。代わりにイナゴネタとは・・・。劇中のデブが言及していたように、聖書の『 出エジプト記 』のビジョンなのだろうが、ここに来て恐竜以外の生き物を持ってくるか?

 

我々が観たかったのは『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』的な世界の続きである。

 

“So, you’d want to make Godzilla our pet?“
「ゴジラを我々のペットにするということかな?」

“No. We will be his.”
「違う。我々が彼のペットになるのだ」

 

という世界観である。それこそが取りも直さず、第一作のアラン・グラント博士の

 

Look… Dinosaurs and man, two species separated by 65 million years of evolution have just been suddenly thrown back into the mix together. How can we possibly have the slightest idea what to expect?

 

という疑問への答えだったはずである。バイオシン=Biosyn=Bio Sin = 生物学の罪。それこそがシリーズが描いてきたものだ。科学には侵してはならない領域があるのだ。そこにコミットしてしまった過去の作品では、すべて人間が痛い目を見ている。本作はその集大成=人間が転落し、恐竜が生態系の頂点に君臨する世界を描くべきだったのに・・・どうしてこうなった。

 

シャーロットのクローンであるメイジーのドラマも拍子抜け。コロナ禍で公開が遅れる不運があったとはいえ、自分の細胞から卵子と精子を作って、それを掛け合わせてマウスが日本で作出されたというのは大きなニュースになった。現実がクローンを通り越して、小説『 リング 』の貞子的な領域に到達してしまった以上、シャーロットのアイデンティティを巡る物語も盛り上がりに欠けてしまう。

 

ヘンリー・ウー博士によるイナゴの遺伝子書き換えにも開いた口が塞がらない。イアン・マルコムを二十数年ぶりに引っ張り出してきたのは、”Life will find a way.” と再度言わせるためではなかったのか。人間が小賢しい真似をしても生命は必ずそれを回避してしまう、というのがジュラシック・シリーズが繰り返し発してきたメッセージではなかったのか。なんで今回は上手く行くことになっているのか?もうこれでロシアによるウクライナ戦争の影響以上のダメージが穀物およびその他の農作物に与えられるのは必定ではないか。何が描きたいんや・・・

 

最後の最後に恐竜、翼竜、首長竜に魚竜までが世界中の生き物と見事に平和裡に共存・・・って、そんなわけあるかーーーー!!!そうした世界を描くなら、恐竜が文明世界を大破壊して、人間も他の動植物も捕食しまくって、生態系の頂点に立った。そこで各種の生き物がしかるべきバランスの中に落ち着いて、恐竜たちも現代の生き物たちと調和(≠共生)して生きるようになった、という世界像をこそ提示すべきだろう。何から何までアメリカ的御都合主義と言うか、白人帝国主義的と言うか、これっぽっちの理解も共感もできない締め括られ方だった。『 ジュラシック・パーク 』だけで終わっておけば、伝説的な作品として22世紀まで残っただろうに。

総評

ハッキリ言って駄作。常にキャラがしゃべりまくり、常に効果音とBGMが鳴り続け、精巧ではあるが現実的な質感に欠けるCG恐竜が画面を覆いつくすばかりの作品。アメリカ人的には大受けするのだろうか。東洋的な世界観からずれまくった思想を一方的に開陳されても、どう受け止めて良いのか分からない。これがアメリカ的な多様性や共生の見本なのだろうか。劇場のお客さんの表情は満足と困惑の半々ぐらいに映った。個人的にはクソ映画・オブ・ザ・イヤー候補を観てしまった、という気持ちである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. I want to forget about this CGI shitfest as quickly as possible.

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, E Rank, SF, アクション, アメリカ, イザベラ・サーモン, クリス・プラット, ブライス・ダラス・ハワード, 監督:コリン・トレボロウ, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 ジュラシック・ワールド 新たなる支配者 』 -広げすぎた風呂敷を畳めず-

『 アクセル・フォール 』 -スリラーに徹すべし-

Posted on 2022年7月24日 by cool-jupiter

アクセル・フォール 30点
2022年7月20日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:シャーロット・ベスト
監督:アンティーン・ファーロング

夏と言えばホラーまたはスリラー。『 TUBE チューブ 死の脱出 』のようなシチュエーション・スリラーかなと思い、近所のTSUTAYAでレンタル。

 

あらすじ

アリア(シャーロット・ベスト)が目覚めると、そこは超高層ビルのエレベーター内だった。エレベーターの扉は開かず、急激な下降と上昇を繰り返してアリアを痛めつける。誰が?何のために?謎が謎のままに、エレベーターのモニターにはアリアの父が拷問を受ける映像が映り・・・

 

ポジティブ・サイド

エレベーターは密室でありながら、動くという特徴を持つ。地震の多い日本という国では、エレベーター内に閉じ込められるというのは現実的な恐怖として感じやすい。その意味で、アリアの置かれた状況を我が事のように感じられた。

 

アリアの父の拷問シーンも、観ていて結構痛い。やはり低予算映画が力を入れるべきは、高額な役者や美麗なCGではなく、苦痛の表現だ。アリア自身も結構痛めつけられるが、観ていて本当に自分でも脳震盪を起こしそうに感じた。

 

状況が全く不明なままアリアが痛めつけられ、スマホに残る謎のメッセージや、モニターに映る父の様子など、序盤のミステリ要素とサスペンスの風味はなかなかのもの。シチュエーション・スリラーというジャンルは、序盤だけは面白さは保証されている。

 

ネガティブ・サイド

原題は Rising Wolf = 立ち上がる狼ということで、このタイトルならそもそも借りなかった。やはりアリアに訳の分からない超能力があった、という設定が本作を一気に駄作に落としている。

 

エレベーターの急降下でアリアが気絶するたびに謎の回想シーンが入るが、これが物語のテンポを悪化させている。回想シーンそのものに面白さというか、様々な謎を解く鍵、あるいはさらに謎を膨らませる要素があればよかったが、それも無し。その代わりにアリアには双子の妹ザラがいて、二人そろって謎の超能力があり、父親はCIAのエージェントで・・・って、色々と詰め込みすぎ。

 

まず超能力の設定が不要。なおかつ、その超能力が本当に超がつくようなむちゃくちゃな能力。サスペンス要素を盛り上げたいなら、アリアの能力は通信あるいは何らかの感知・検知能力にすべきだろう。エレベーターという密室で最も必要になるのは、まずは情報。その情報を得るには、外部と通信するか、または自ら感じ取ることが必要。備え付けの電話やスマホが使えなくなった。そこで過去の回想で、ザラや、あるいは両親とテレパシーでコミュニケーションしていた。あるいは、壁の向こう側が見えたり、遠いところの音や声が聞こえたりといった経験が思い出されて・・・という展開なら、まだ分かる。超能力自体が的外れな上に、それがエレベーターという密室と上手にリンクしないのはマイナスである。

 

悪役がロシア人というのはある意味でタイムリーであるが、「エンジニア」なる謎の存在を探すというのがクリシェだし、エレベーター内のモニターが切れている時だけ、アリアが叔父のジャックと通話できるというのも都合が良すぎて、すぐにピンとくる。特にゲームの『 メタルギアソリッド2 』や『 エースコンバット3 エレクトロスフィア 』をプレーしたことがあれば「これはアレか」となるだろう(ジャックが実在するかどうかではなく、ジャックの正体は誰なのか、という点で)。

 

覚醒したアリアはまさに Rising Wolf のタイトルにふさわしいが、何だろうか、この「私の戦いはまだ始まったばかり」感満載の終わり方は・・・ 続編作る気満々に見えるが、今どきのジュブナイル小説でも、もっとちゃんとしたプロットを組み立てるだろう。サイキックパワーやらタイムトラベル、原子分解から原子再構成までやりたい放題やったのだから、いさぎよく一作で完結しておくべきだろう。まあ、これの続編にカネを出そうというスポンサーはいないだろうが。

 

総評

オーストラリア発の珍品である。クオリティとしては、毎年夏になると出てくる珍品ゾンビ映画、あるいは珍品サメ映画と変わらない。超能力ものは嫌いではないが、それは超能力が世界観とマッチするときだ。配信やレンタルショップで目にしても、視聴はお勧めしない。視聴するなら自己責任でどうぞ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Rising

いわゆる分詞の形容詞的用法というやつである。意味は「立ち上がる」、「上昇する」など。Rising Star = 人気や知名度が上昇中のスター、The Land of the Rising Sun = 日出ずる国など、多少英語を勉強した人なら馴染み深い分詞だろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, E Rank, オーストラリア, シチュエーション・スリラー, シャーロット・ベスト, ファンタジー, 監督:アンティーン・ファーロング, 配給会社:AMGエンタテインメントLeave a Comment on 『 アクセル・フォール 』 -スリラーに徹すべし-

『 永遠の831 』 -もっとエンタメ要素を-

Posted on 2022年3月21日 by cool-jupiter

永遠の831 25点
2022年3月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:斉藤壮馬 M・A・O
監督:神山健治

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220321232015j:plain

先週も土曜日出勤。来週も再来週も出勤確定。夏休み並みの長期休暇気分でも味わうつもりで、あらすじも何も知らないままチケットを購入。

 

あらすじ

大災厄が起きた世界。新聞奨学生のスズシロウ(斉藤壮馬)は、大きな怒りを感じると時間を止めてしまうという能力に悩まされていた。ある時、止まった時間の中で自分と同じように動いている少女を見つけたスズシロウは、彼女を密かに尾行するが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220321232026j:plain

 

ポジティブ・サイド

大災厄というのが何であるのか明示されないが、それが物語のフィクション性を高めつつ、リアリティも増している。大地震でも津波でも原発事故でもコロナでも何でもよい。ほんの少しでも考えてみれば、日本という国に上がり目がなく、なおかつ日本という国の政治が末期症状の一歩手前に来ていることは、国会論戦の空虚さとコメンテーター連中の頭の悪い評論活動を見れば明らか。そうした作り手の姿勢は嫌いではない。

 

ネガティブ・サイド

『 あした世界が終わるとしても 』で感じた、アニメキャラがモーションキャプチャーでゆらゆら動くことの気味悪さは、個人的には全く克服できそうにない。

 

新聞屋の若い女性オーナーのお色気設定がよく分からない。スズシロウがこの女性に辟易していたところに、対照的に清純そうななずなが現れた・・・というわけでもなかった。お色気担当?要らないな。

 

「時間を止める」というアイデアは古典だから良いとして、時間を止める方法がバラバラであることに必然性を見出せなかった。また時間が止まっている長さが、スズシロウの場合は3分から1週間と幅がありすぎる。おそらく、なずなも同様だろう。そう考えると、この方法で831戦線が犯行を重ねていくのは無理がありすぎる。

 

なずなが時間を止めるために命の危険を感じなくてはならないというのも地味に意味不明だ。いや、その設定自体は受け入れるにしても、兄が妹を銃で撃つ必要があるのか?あれだとすぐに近隣住民から警察に通報されて、犯行もクソもないと思うが。

 

止まった時間の中で、なずなやスズシロウが触ったものが動き出すというのも、これまた地味に意味不明だ。スマホは電波が止まって使えなくなったが、だったら何故エレベーターは電気が通って使えていた?どうして車は走れた?

 

政治的な主張が込められているのは構わないが、それを成し遂げようというのが官僚の息子というのもどうなのか。阿川兄妹のバックグラウンドを考えれば、公安や内閣情報調査室に常にマークされているだろう。

 

総評

細かいところに突っ込みだすと、いくらでも突っ込めてしまう。ストーリーを堪能するのではなく、今という時代を背景にしながら観ることで、個人個人で感じ取れるものを感じ取ればよいのだろう。ただ、アニメはちょっと・・・という層には勧めにくいし、いわゆる日本的なアニメの文法からもかなり逸脱した作品である。鑑賞するのなら、下調べをほとんどせずに臨むか、あるいはこれ以上なくリサーチした上で観るべきだろう。ただ、どういう見方をしてもエンタメ要素に乏しいという欠点は消せないだろうが。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

ransom

身代金の意。ランサムウェアなる言葉を聞いたことのある方もいるだろう。コンピュータを使用可能にするマルウェアを解除してやるからカネを払え、というやつである。誘拐系のミステリやサスペンス映画ではしょっちゅう聞こえてくるので、そういう作品を鑑賞する時には耳を澄ませてみよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, M・A・O, アニメ, ファンタジー, 斉藤壮馬, 日本, 監督:神山健治, 配給会社:WOWOWLeave a Comment on 『 永遠の831 』 -もっとエンタメ要素を-

『 エターナルズ 』 -スーパーヒーロー映画の限界か-

Posted on 2021年11月12日 by cool-jupiter

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エターナルズ 30点
2021年11月6日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ジェンマ・チャン アンジェリーナ・ジョリー マ・ドンソク
監督:クロエ・ジャオ

 

『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』以後、はじめて新キャラを本格的に導入する本作。だが、過去のスーパーヒーロー作品のパッチワークにしか見えなかった。個人的には、霧の良いところでMCUから離脱してもいいのかなという気持ちになった。

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あらすじ

宇宙の創世期。セレスティアルは太陽を生み出し、生命を育む星々を育てた。しかし、そこにはデヴィアントという想定外の凶悪な生物も生まれてしまった。セレスティアルのアリシェムは地球に巣食うデヴィアントに対処するため、エイジャックやイカリスらのエターナルズを地球に送り込んだ。以来7000年間、エターナルズはデヴィアントから地球人を守護してきた。そして、サノスとアベンジャーズの戦いが終わった今、再びデヴィアントたちが姿を現わして・・・

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ポジティブ・サイド

『 シャン・チー テン・リングスの伝説 』から、明らかにMCU(というかディズニーか)もアジア系のオーディエンスへの配慮を始めている。『 クレイジー・リッチ! 』の嫌味な元カノが実質的な主役だし、我らが鉄拳オヤジのマ・ドンソク、『 ビッグシック ぼくたちの大いなる目ざめ 』のクメイル・ナンジアニの起用など、明らかに diverstiy と inclusion を意識している。なぜ地球の危機を西洋人だけが解決しようとする、あるいは解決する力を持っているのかは、常々西洋世界以外を困惑させていた。地球の危機には地球規模で対処すべきで、映画界もその方向にシフトしていっているのだということ、MCU新フェースの作品が基軸として打ち出してくれたことは素直に評価したい。

 

『 アイアンマン2 』や『 キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー 』あたりから顕著にヒーローの人間部分にフォーカスし始めたが、本作でもエターナルズの面々の人間的な面を描くことに腐心していた。『 ワンダーウーマン 』が切り開いた女性というヒーローが主役を張るという方向性が成功を収めたことで、マイノリティをヒーローにするのは個人的にはありだと思う。同性愛者や聴覚障がい者がヒーローというのも、バービー人形に車椅子バージョンや義肢装着バージョンがあったり、子供向けアニメ番組の主役が補聴器装用者(Super Rubyなど)だったりすることを知っていれば、このあたりの印象はガラリと変わることだろう。

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ネガティブ・サイド

以下、ネタバレあり

一番の不満はエターナルズの面々の強さがよく分からないところ。というか強そうには見えないのに「俺たちはアベンジャーズより全然強いんだが?」的な言葉をポンポン発するところが意味不明。別にJovianはアベンジャーズを贔屓にしているわけではない。ただ「サノスも俺たちが出張っていればなあ」やら、「アベンジャーズからキャプテン・アメリカもアイアンマンもいなくなったから、お前リーダーやってくれば?」のような会話は、白けるばかりだ。強さのインフレはある意味しゃーないとはいえ、ここまで露骨に言葉で説明する必要があったのかどうかは疑問だ。

 

そもそもデヴィアンツの強さがよく分からない。縄文時代ぐらいの人間を襲っていたのだろうが、これでは強さが分からない。それこそ『 アベンジャーズ 』でハルクが一撃KOしたリヴァイアサンのような巨大な敵、太古の怪獣のような存在であれば、まあ分かる。けれど実際は現代の普通の銃器でそれなりダメージを与えられる相手。これを倒すためにエターナルズが送り込まれてきたとなると、「エターナルズってホンマは弱いんちゃうの?」と感じざるを得ない。

 

冒頭のエターナルズの面々のデヴィアンツとのバトルも既視感ありあり。スーパーマンにクイックシルバーまたはフラッシュ、ミスティーク、アイアンマンなどなどで、「いや、これもう散々観ただろ」というシーンのオンパレード。普通のSFアクションものならド迫力のシーンなのかもしれないが、スーパーヒーローものとしては陳腐の一言。マ・ドンソクといえば確かに鉄拳なのだが、それはもうハルクだけで十分。

 

エターナルズの面々の能力全般にポテンシャルが感じられないのが痛い。ドルイグのマインド・コントロールというのは人間だけに効いて、デヴィアンツには効かないのか?だったら、その能力を使って一体セレスティアルは何をしろと言いたいのか。ファストスも科学技術の天才であるならば、核兵器の開発を嘆くのではなく、それよりもっと前の段階で太陽光発電やら地熱発電の sustainable energy といった領域の技術をバックアップしときなさいよ。スプライトも成長したいだとか恋がしたいだとか言うなら、バーで幻影を使って男をひっかけるのではなく、(見た目の上で)同世代の男(女でも可)とデートして、初々しくキスに失敗する、あるいはやたらとキスがうまくて相手がドン引きする、などの描写がないと説得力が生まれない。

 

人間的なヒーロー像の追求は別に結構だが、ゲイのカップルの物語などは、次回作以降にじっくりと掘り下げるべきで、本作のように一人一人のエターナルズの面々の背景にフォーカスしてしまうと、時間がいくらあっても足りない。実際に本作は2時間半の長丁場でありながら、最も求められているはずのアクションがあまりにも中途半端で、エンターテイメントとして大いに不満が残る。かといって個々の背景についても掘り下げは中途半端である。

 

宇宙規模の壮大なスケールの物語ではあるが、これはすでに『 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス 』で使われたネタで、新鮮味はなかった。また、デヴィアンツがあまり強くないことから、エターナルズ同士が争わざるを得なくなるが、これも『 シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ 』で既に使われたネタである。

 

サノスの弟もいらない。次のフェイズに行くなら、前のフェイズのラスボスネタは引っ張らなくていい。または前のフェイズのラスボスを落とすことで、次の敵の格を上げようとしなくていい。もうここまでくると、ストーリーを紡いでいるのではなくマーチャンダイズに使えるキャラを登場させているようにしか見えない。次作のクオリティ次第ではMCUから抜けてもいいような気がしてきた。

 

総評

MCUもネタ切れに近いのだろうか。何もかもが既視感ありありだった。ぶっちゃけ『 ファンタスティック4(1994) 』(ところで何回再映画化されるの?)と同レベルの作品に思える。ここまで来たら、もうデッドプールやゴーストライダーもMCUに放り込んで、『 怪獣総進撃 』みたいなハチャメチャ展開にしてもらいたい。本作はかなり好き嫌いが別れることだろうが、MCUになじみのない人にお勧めできない。これだけは断言できる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

move in 

引っ越しする、の意。たいていの場合、だれか意中の相手のいる街へ引っ越したり、あるいは同居や同棲を開始するための引っ越しのために使う。古い洋楽を好む人なら、イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリーの『 秋風の恋 』(I’d Really Love to See You Tonight)のサビの歌詞、I’m not talking bout moving in, and I don’t wanna change your life. で知っていることだろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, アクション, アメリカ, アンジェリーナ・ジョリー, ジェンマ・チャン, マ・ドンソク, 監督:クロエ・ジャオ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 エターナルズ 』 -スーパーヒーロー映画の限界か-

『 そして、バトンは渡された 』 -トレイラーを観るべからず-

Posted on 2021年11月7日2021年11月7日 by cool-jupiter

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そして、バトンは渡された 20点
2021年10月31日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:永野芽郁 石原さとみ 田中圭
監督:前田哲

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トレイラーを観て「なるほど、大体こういうストーリーのはずだが、どこかでひねりを入れてくるに違いない」と期待して、チケット購入。ひねりは全くなかった。感動の押し売りは結構である。

 

あらすじ

いつでも笑顔の優子(永野芽郁)は、血のつながらない父、森宮さん(田中圭)と二人暮らし。これまでに苗字が4回も変わったことから、学校に友達もいない。ある時、優子は卒業式の合唱のピアノを担当することになる。そこで出会った同級生の早瀬のピアノ演奏に、優子は心を奪われて・・・

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ポジティブ・サイド

みぃたんを演じた子役の稲垣来泉が印象に残った。子どもと動物は時々予想のはるか上を行くことがある。稲垣が演じることでみぃたんというキャラの健気さ、気丈さ、明るさ、そして憂げな感じが巧みに描出されていた。

 

田中圭は『 哀愁しんでれら 』とは全く違うテイストが出せていた。今後は『 アウトレイジ 』の椎名桔平のような武闘派ヤクザ役に期待。

 

一応、色々な伏線的なものがフェアに張られているところは評価したい(ちょっとあからさますぎだとは思うが)。

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ネガティブ・サイド

 

以下、ネタバレあり

 

原作小説は未読だが、映像化に際してかなり改変されていることだろう。改悪と言うべきか。本というのは自分のペースでページをめくっていくことができるので、物語を自分なりに消化しながら進んでいくことができる。本作はペーシングの面でかなりの問題を抱えている。2時間17分の作品であるが、体感では2時間40分ほどに感じた。前半と後半でもっとメリハリをつければ2時間ちょうどにできたはず。『 いのちの停車場 』でも感じたことだが、削るべきは削らねば。

 

キャラの行動原理が色々と意味不明だ。大森南朋演じる最初かつ実の父親のあまりの無軌道ぶりに本気で怒りを覚えた。「家族なら俺の夢についてこい!」って、アホかいな。いや、夢を持つことは全然否定しないし、むしろ素晴らしいし応援したい。問題は、ブラジル行きを誰とも相談することなく決め、また勝手に会社も辞めてしまったこと。若気の至りで済ませられるものではない。また若気の至りと言えるような年齢のキャラでもない。普通に成熟したカップルでも、パートナーにそれをやられたらかなりの確率で破局だろう。それに梨花の病気のことを知っていながら、気候も食事も言語も文化も違うブラジルに移り住もうというのは、非人間的とすら感じる。手紙のやりとり云々を絡めて美談にしようとしているが、やってしまったことが社会人失格、家庭人失格なので、終盤の父親巡りで「はい、ここで感動してくださいよ」というシーンではひたすらに白けるばかりであった。

 

田中圭演じる森宮さんの価値観もおかしい。いや、森宮さんというか原作者や脚本家の思想かな。やたらと「俺は父親なんだから」と口にし、職場では損な役回りながらも真面目に働き、家では料理を始め家事もこなす。再婚することなく、女の影もなく、酒も断って、子育てに邁進する。それは美しい。けれど、それが全て「バトン」を渡すためって何やねん。優子はモノ扱いなのか。しかも、渡す先の男に優子も森宮もそろって「ピアノ弾け」って、音大なめてるやろ。芸術の分野で一回レール外れてから元に戻るのがどれだけ大変か。そこから音楽一つで食っていけるようになるのがどれだけ大変か。しかも預金たんまりの通帳を渡しておきながら「これから大変だぞ」って、思いやりなのか嫌味なのか。こんな風に感じるのはJovianがひねくれ者だからなのか。いやいや、優子自身も大手レストランをあっさり自分から辞めているわけで、料理人でも音楽家でも、一本立ちへの道のりは険しい。それを分かっていて、片方に甘く、片方に厳しいというのは、古い父親像と新しい父親像が悪い意味で混淆している。自分というものがない、単に物語を都合よく進めていくだけのデウス・エクス・マキナとしか思えなかった。

 

ストーリー以外の演出面でも不満が残る。ピアノにフォーカスするのなら、いっそのこと劇中BGMは全部ピアノにしてしまうぐらいの思い切りがあっても良かったのではないか。また優子がピアノを好きになるシーンの演出も弱く感じた。友達がピアノを習っているから、というくだりは不要であると感じた。母子家庭になってしまったことで、友達の親が「みぃたんとはあまり付き合っちゃいけません」的なことを言うシーンがあり、さらに傷心のみぃたんがピアノの音に癒され、ピアノを心底好きになる。そんなシーンが望ましかった。雨の中でピアノの音に合わせて踊るみぃたんはシネマティックだったが、ここをそれこそ『 雨に唄えば 』のジーン・ケリー並みにみぃたんを躍らせていれば、みぃたんにとってのピアノの意味がもっと大きくなり、そのピアノを弾く早瀬くんへの思慕も大きくなった。これならもっと説得力があった。

 

石原さとみの梨花という母親像の好き嫌いは言うまい。ただ『 母なる証明 』のキム・ヘジャや『 MOTHER マザー 』の長澤まさみのような強烈な母性があったかというと否である。母親であろうとする姿に絶対性がなかった。

 

総評

世間の評価がやたら高いが、これこそ典型的な感動ポルノでは?邦画の悪いところが全部詰まった作品にしか思えなかった。キャラの行動原理が、自分自身の思考や信念、哲学に基づいたものではなく、観る側を感動させるためには何が必要か、で決まっているように見えて仕方がなかった。まるで昔の徳光和夫の感動押し売り家族再会バラエティーを見ているかのよう。Jovianがひねくれているのか、それとも予定調和の感動物語の需要が高いのか。まあ、両方だろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

give someone away

someone =「誰か」だが、ほとんどの場合、ここには bride =「花嫁」が入る。『 マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー 』でソフィが、”Who’s gonna give me away?”というシーンがあったが、これは「結婚式の場で父が娘を新郎に手渡す」という意味である。ごく限定されたシチュエーションでしか使わない表現だが、知っておいて損はない。give ~ away は、「~をどんどん与える」というコアのイメージを押さえておけば、『 プラネタリウム 』でも触れた”Maybe your smile can lie, but your eyes would give you away in a second.”の意味もすぐに類推できるはずである。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 永野芽郁, 田中圭, 監督:前田哲, 石原さとみ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 そして、バトンは渡された 』 -トレイラーを観るべからず-

『 Arc アーク 』 -メッセージの伝え方をもっと工夫せよ-

Posted on 2021年7月9日2021年7月9日 by cool-jupiter

Arc アーク 35点
2021年7月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:芳根京子 寺島しのぶ 岡田将生
監督:石川慶

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SF小説界を席巻している『 三体 』を翻訳したケン・リュウの短編を石川慶が映像化。しかし、『 夏への扉 -キミのいる未来へ-  』同様に換骨奪胎に失敗したという印象。

 

あらすじ

17歳で出産したリナ(芳根京子)は、息子を捨てて自暴自棄に生きていた。ある地下クラブで偶然出会ったエマ(寺島しのぶ)と出会う。そこでリナは死体を芸術品として半永久的に保存する「ボディワークス」という技術を学ぶ。そしてエマの弟、天音(岡田将生)と出会う。彼は不老不死の研究者で、その技術の完成は目前に迫っていた・・・

 

以下、ネタバレあり

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ポジティブ・サイド

最近の邦画ではなかなか見ないシュールな画がいっぱいである。冒頭の剣呑な雰囲気のダンスシーンから、ボディワークスを操って展示品に仕立て上げるところまで、静謐ながらもダイナミックな色彩の使い方が、かしこで見て取れる。『 Diner ダイナー 』の蜷川実花に近い感覚を受ける。キャラクターに何でもかんでもしゃべらせたがる邦画の悪い癖があまり出ておらず、映像そのものに語らしめようとしている。前半の色使いが後半で突如モノクロに転調することで、いっそうコントラストが際立っている。

 

不老となり、見た目は若々しいままだが、実際は老人(高齢と言うべきか)のリナ。白と黒の濃淡で表現されることで、若さと年齢、老いと年齢の境目がグレーになっている。そうした世界観が視覚的に構築されており、この試みは上手いと感じた。だからこそ、ある時突然スクリーンに色彩が戻る瞬間に、観る側はリナの内面の重大な変化を悟ることができる。これも邦画らしくない技法で、非常に好ましい。

 

劇中でとある人物が「250年ローン」と口にする。仮に年に100万円払うとして2億5千万円。利子を差っ引くと2億円ぐらい?頭金として一割を拠出するとなると2000万円となり、日本で老後に必要とされる資金となるのは不気味であるが、リアルでもある。

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ネガティブ・サイド

トレイラーでしつこく「これは あなたの わたしの 物語」と喧伝されていたが、とてもそうは思えなかった。少なくとも「世界に触れる」という感覚は得られなかった。というのも、リナ自身の変化も社会そのものの変化も描写が極めて不足していたからだ。

 

リナ個人の変化として、見た目が変化しないということは一目で分かる。問題は、体の中が生理学的にどうなっているのかである。リナは80歳過ぎに子どもを産んだわけだが、それは凍結精子によるものである。問題は卵子の方。凍結卵子なのか、それとも生ものの卵子なのか。様々な細胞のテロメアを延々と初期化し続けることで、卵子を作る機能も復活するのか。というよりも、卵子の元となる細胞は生まれてきた時にすでに作り終えていて、そこから先は増えないはずだが・・・ 閉経というのは年齢ではなく、卵子が尽きることで起きる生理現象のはず。リナの娘のハルはいったいどうやって生まれたの?

 

リナは自分よりも年下の人間にも、見た目が自分よりも上というだけで敬語で接するが、これはリナ個人の癖のようなものなのか。それとも不老化手術を受けた人間全般がそうなのか、あるいは日本だけなのか。外国では見た目の年齢ではなく実年齢によって序列が決まるのか。そういった社会の変化もさっぱり伝わってこなかった。別に世界的なスケールでなくともよい。しかし、少なくとも日本というスケールの社会の変化を構想し、それを描くべきだった。不老化の手術を受ける人たちが一定数おり、そうした人々が確実に社会に根付いているということが伝わってこなかった。たとえば、テレビのニュースキャスターが不老となって、30代のリナも80代のリナもテレビで同じニュースキャスターを観ている、というシーンがあれば、社会は確実に変化しているということが非常にわかりやすく伝わる。実際の作品の後半はほとんどすべてが島の中で完結しているせいで、リナが不老であると言われてもまるでピンとこない。

 

その島のシーンで、エキストラの素人を使ったインタビュー集が挿入されるが、そこに突然有名俳優が使われる。ミスキャストとは言わないが、ちょっとしたすれっからしなら、「ああ、この人は特別なキャラだな。性別がこうで年齢はこれぐらい?ということは該当するのは・・・」と考えて、あっという間に正体に気が付いてしまう。このキャラは俳優ではなく素人に演じさせるべきだった。『 ノマドランド 』に出来たのだから、日本でも出来るはずだ。

 

アートな映画を志向したのは分かるが、根本のメッセージの伝え方がなにかちぐはぐしている。死は克服するものではなく、性を成就させるものであるという結論は、陳腐ではあるが、この上ない真理である。問題はその結論に至る過程だ。死への抵抗としてのプラスティネーションとボディワークスが、不老となったリナの生き様とコントラストになっていない。生きたままの肌の質感を保った死体と若いままの肌の質感を保った老人という対比が物語に反映されていない。死を克服した時代における生の意味を自分の生き様で証明すると宣言したリナだが、老健的な施設で入所者の穏やかな死を見つめ続けるのは、別に不老でなくてもできること。それこそ劇中で言われているように、時間をかけてやりたいことをなんでもやれるのだから、本当にそれに取り組む姿勢を見せればよかった。たとえば40歳で絵画を始めて70歳でいっぱしの画家並みの腕前になっただとか、数十年の間に数千点の編み物をこしらえただとか、「締め切りがあるからこそ人は行動する」ではなく、本当に主体的に生きているというリナ像を呈示しないことには、最後のリナの決断に説得力がない。惰性で生きているだけに見えてしまう。それこそ最後の最後にリナが自分の体に巻き付いている糸を自ら切り離し、自分は誰かのボディワークスだったのだ、と悟るシーンでもあればまだマシだったのだが。

 

総評

映像作品として観れば及第だが、物語として観れば穴だらけ。来るべき世界への予感もなく、死生観の変化をダイレクトに描くこともなかった。仮にもSF作品なのだから、文明社会というものの変化を映し出すことに取り組まなければいけない。芳根京子の演技力に頼りすぎである感は否めない。芳根のファンなら必見だろうが、カジュアルな映画ファンのデートムービーにお勧めできる作品ではない。かといってSFファンをうならせる出来にもなっていない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

immortal 

不死、不滅の意味。生物学的な意味だけではなく、その他の比喩的な意味でも使う。earn immortal fame = 不朽の名声を得る、などのように使われることが多い。逆にmortal = いつか死ぬ、という意味。今まさに上映中の『 モータルコンバット 』は直訳すれば、死につながる戦い=負けた方は絶対死ぬ戦い、のような意味となる。元々、ラテン語の死=morsから派生した語。お仲間にはmortuaryやmortgageなどがある。英検準1級以上を目指すなら知っておこう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, SF, 寺島しのぶ, 岡田将生, 日本, 監督:石川慶, 芳根京子, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 Arc アーク 』 -メッセージの伝え方をもっと工夫せよ-

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