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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: C Rank

『 メアリーの総て 』 -時代に翻弄され、時代を乗り越えた作家-

Posted on 2019年10月30日 by cool-jupiter

メアリーの総て 65点
2019年10月26日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:エル・ファニング ダグラス・ブース ベル・パウリー
監督:ハイファ・アル=マンスール

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191030013843j:plain

 

フランケンシュタインの怪物の影響は現代まで連綿と続いている。日本では漫画『 ドラゴンボール 』の人造人間8号などは好個の一例だろう。けれども、そのキャラクターと物語を生み出した作家メアリー・シェリーについてはそれほど知られていない。だが、今という時代に彼女の映画が作られたことには必然性があったのだ。

 

あらすじ

19世紀のロンドン。書店の娘メアリー(エル・ファニング)は物書きになることを夢見て、様々な本を渉猟していた。ある日、妻子のあるパーシー(ダグラス・ブース)と恋に落ちたメアリーは、彼と駆け落ちする。それは、彼女の波乱万丈の人生の始まりだった・・・

 

ポジティブ・サイド

現代物でも歴史物でも、ロンドンという都市には陰鬱な雰囲気がある。それは本作でも巧みに表現されている。街の空気が重苦しく感じられ、母親などから仕事を手伝うようにプレッシャーをかけられても、メアリーは快活さを失わない。彼女は自身の内に響く言葉を解き放つことを恐れない。『 未来を花束にして 』の二世代前の時代、女性が自分らしく生きることは想像を絶するほどに困難だったと思われる。だからこそ、メアリーのキャラクターが立つし、観る者はメアリーを応援したくなる。エル・ファニングは少女と女性の中間のような存在を好演してくれた。ラブシーンもちょこっとあるので、スケベ映画ファンはほんの少しだけ期待してよい。

 

異形の、しかし心優しい怪物を構想し、執筆する背景になにがあったのか。メアリーは16歳という若さで情熱に身を任せ、妻子ある男と駆け落ちしたが、そんなものは誰がどう見ても幸せにはつながらない。現代の目で見てもそうだし、家族や当時の人々もそう思っていたことだろう。弱冠18歳にして「フランケンシュタインの怪物」を生み出した彼女は、そのエンディングに関して、パーシーからアドバイスを得る。しかし、それを採用しない。なぜなら、それこそが彼女の心だから。なぜなら、その作品が彼女の子どもだから。ボリス・カーロフ主演の『 フランケンシュタイン 』で、怪物が少女と湖畔で遊び、語らうシーン、そして怪物が武器を手にした村人たちに追われるシーンが思い起こされた。少女が誰を象徴しているのか、村人たちが誰を象徴しているのかに、しばし思いを巡らせてみるのも一興だろう。

 

美とは何か。創作とは何か。メアリー・シェリーの10代を通じて、色々なものが見えてくるし、考えさせられもする。

 

脇を固めるダグラス・ブースは見事なクズ男を演じた。パーティーで詩文を恭しく詠んでは、先進的な思想をひけらかして女性を引っかけていくという典型的なプレイボーイで、加えて生活力や金銭管理能力にも劣る。そんなすきに慣れそうにないキャラクターを見事に好演。日本でいえば、一頃の藤原竜也だろうか。『 マイ・プレシャス・リスト 』でタイトル・ロールのキャリー・ピルビーを演じたベル・パウリーも印象的。「詩人に気に入られる女性はあなただけじゃない」とメアリーに言ってのけるシーンに、女性という生き物のプライドを垣間見たように思う。

 

ネガティブ・サイド

ストーリーのペーシングに難がある。メアリーという女性がいかにしてフランケンシュタインの怪物を構想し、執筆したのかという場面までなかなかたどり着かない。監督や脚本家に、「メアリーという人間を掘り下げて描き出したい」という願望が強すぎたように思う。その割には、彼女が赤ん坊を早くに亡くしてしまったことの負い目が、それ程強調されていなかった。怪物は二重の意味でメアリーの子ども(血を分けた我が子が復活した姿と創作物)なのであるから、子に先立たれた親の悲嘆について、もう少し詳細な描写や演出が欲しかった。

 

メアリーとポリドリ医師の距離感というか、この二人がもっと熱心に生や死について語らう場面があってもよかったはず。当時の英国の死生観や科学観をもう少し丁寧に劇中で描けていれば、メアリーが創作のためにどのようなインスピレーションを得たのかを我々としては想像しやすくなる。

 

総評

近代ホラーおよびSF文学史に興味がある向きならば必見だろう。現代は過去の様々な作品が脱・構築され、フェミニスト・セオリーが適用され、再生産されている時代である。女性作家としてはジェーン・オースティンと並ぶ、まさに元祖である。彼女のbiopicを見ずして、現代の映画製作のコンテクストは語れない・・・は、さすがに言い過ぎか。エル・ファニングのファンならば鑑賞必須である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

speak ill of ~

 

~の悪口を言う、~を悪しざまに言うの意である。序盤でメアリーが「私の母を悪く言わないで」というシーンがある。反対の意味の表現として、speak highly of ~がある。~を褒める、の意である。こちらも序盤にパーシーがメアリーの家にやって来る時に使われていた。TOEICにはまず出てこないが、英検やTOEFLには偶に出てくるかもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, イギリス, エル・ファニング, ルクセンブルク, 監督:ハイファ・アル=マンスール, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 メアリーの総て 』 -時代に翻弄され、時代を乗り越えた作家-

『 スペシャルアクターズ 』 -予想通りで予想以上の面白さ-

Posted on 2019年10月25日2020年9月26日 by cool-jupiter

スペシャルアクターズ 65点

2019年10月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:大澤数人
監督:上田慎一郎

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『 カメラを止めるな! 』で華々しくメジャーな舞台に登場し、『 イソップの思うツボ 』で評判をガクンと落とした上田慎一郎監督であるが、本作は標準以上に出来に仕上がったと言える。前作は、監督三人態勢が祟っていたのだろうか。

 

あらすじ

大野和人(大澤数人)は売れない役者。極度に緊張すると失神するという症状に悩まされていて、アルバイトで何とか食い扶持を稼いでいる。ある時、数年ぶりに弟の宏紀と再会した。弟は「スペシャルアクターズ」という、芝居でトラブルを解決するという会社に所属しているという。和人もなりゆきでスペシャルアクターズに所属するが、そこに「旅館をカルト宗教団体から守って欲しい」という依頼が入り・・・

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ポジティブ・サイド

上田慎一郎の持ち味はドンデン返しである。それがこの監督がキャリアをかけて追い求めていくものなのだろう。例えば、是枝裕和監督は家族とは何かを問い続けているし、宮崎駿は「子どもはいかに生きるべきか」を描き続けている。そうした頑迷固陋と言えるほどのポリシーを持つ映画人がいてもよい。実際に本作は、まあまあ楽しめた。

 

どこらへんがどうドンデン返しなのか。よく似た作品にデヴィッド・フィンチャー監督の『 ゲーム 』が挙げられる。もしくは邦画の『 ピンクとグレー 』も少し似ている。つまり、ドンデン返しが来るぞ来るぞと期待しながら観て、その上でそれなりに驚かされたということである。詳しくは劇場で鑑賞して頂くのが一番である。

 

役者は皆、無名である。だからこそこちらも先入観を抱かずに、フレッシュな視線で鑑賞できる。主人公を演じた大澤数人は、大根役者を演じるという、ある意味では非常にチャレンジングな仕事を見事に務めた。芝居がかった喋りではなく、実際に職場などにいればイライラさせられるかもしれないトロい語り口とモッサリした動きは、まさに本作の主人公そのものであった。

 

本作の面白さの肝は、芝居で何でも解決する会社、すなわち「スペシャルアクターズ」が、カルト教団「ムスビル」を撃退する展開である。つまり、騙してくる奴をお芝居で騙し返すわけである。そこにサスペンスとドラマが生まれている。しかし、息詰まるようなサスペンスではない。どこかB級チックで、ユーモラスなサスペンスである。このあたりはイソップではなく、カメ止めのテイストである。上田監督も原点回帰を果たしつつあるようである。数人の弟、スペシャルアクターズの幹部の面々、旅館の若女将、ムスビルの幹部たちが織り成す面白おかしく、それでいてシリアスなプロットを是非劇場で堪能いただきたい。

 

ネガティブ・サイド

血しぶきが弱いなと感じた。もっとカメ止めのゾンビのように、ブフォーッ!!という感じで血反吐を吐かなければだめだ。ただし、NGが出た時にできるだけ素早く撮り直しができるように、あのような演出にしたのだろうなとは理解できる。だが、クライマックスの超展開はカメ止め並みのワンテイクが観てみたかった。または和人視点のPOVでも面白かったかもしれない。我々が上田慎一郎に求めるのは無難な映画ではなく、実験的な映画なのである。カメ止めも手法や演出が新しかったのではなく、それらを意表を突く形で繋ぎ合わせたところに面白さがあった。もっと上田監督はもっと自分のクリエイティビティに忠実になるべきだ。

 

また裏教典の中身が拍子抜けであった。てっきり、薬物による催眠誘導や各都道府県で賄賂の効く警察や政治家のリストなのかと思っていたが・・・ この程度で「ヤバいもん」というのは誇大広告であろう。

 

あとはもう少しのリアリティが必要だろうか。現代人は何をするにしても、まずはPCやスマホで対象を検索する。カルト教団のムスビルを検索するのであれば、その他も検索対象になってしかるべきだろう。もちろん、逆SEOの跡もうかがえたが、やはりそこは2ページ目以降にすべきだったのではないか。

 

総評

カメ止めの切れ味が蘇ったわけではない。それはおそらく無理な注文である。だが本作は平均以上の面白さを感じた。上田慎一郎はOne Hit Wonder = 一発屋ではないことを証明したと言えるだろう。『 イソップの思うツボ 』にがっかりした向きも、本作にならある程度は満足させてもらえるはずだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

This company pays you by the day.

 

金銭的に困窮している数人がスペシャルアクターズに入ることを決心した言葉「ここ、給料、とっぱらいだよ」の英訳例。「とっぱらい」=その日払いということで、pay by the dayとなる。韻を踏んでいるので覚えやすいだろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, コメディ, 大澤数人, 日本, 監督:上田慎一郎, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 スペシャルアクターズ 』 -予想通りで予想以上の面白さ-

『 サウナのあるところ 』 -裸の男たちを追う異色のドキュメンタリー-

Posted on 2019年10月21日 by cool-jupiter

サウナのあるところ 60点
2019年10月17日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:カリ・テンフネン
監督:ヨーナス・バリヘル 監督:ミカ・ホタカイネン

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原題はフィンランド語でMiesten vuoro、英語に無理やり翻訳すると、manly turnまたはmen’s turnとなるようだ。「男たちの番」「男性のターン」ということか。日本では少し前からサウナブームらしい。Jovianは平成最後の日を近所の「昭和温泉」という銭湯で過ごす程度には風呂好き、銭湯好きである。もちろん、サウナも嫌いではない。しかし、本作はさっぱりと汗を流したような爽快感を得られる作品ではなかった。

 

あらすじ

老夫婦がサウナに入っている。夫は甲斐甲斐しく、妻の背中を手でこすり、洗い流してやる。「51年、この背中を流してきたんだな」と感慨深げに語る。別の中年男たちは、ふと生い立ちを語り合う。老人たちは妻との死別や新しい出会いについて語る。フィンランドの男たちが、サウナという空間で訥々と語り始めて・・・

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ポジティブ・サイド

『 雪の華 』がフィンランドの美しい街並み、容赦のない寒さ、そして奇跡のような夜空の美しさを捉えたのとは対照的に、本作が映し出すのは極めてのどかな田園風景である。そして、電話ボックス的な個室サウナに、キャンピングカーを改造したサウナなど、我々の常識を遥かに超えるサウナの数々が描かれる。これは面白い。映画というのはたいていの場合、異国の地のエキセントリックさを際立たせるものであるが、本作を通じて我々が目にするのは、人間、特に男性に普遍的な不器用さなのである。つまり、我々の目からすれば奇異な環境、状況に身を置きながら、彼らの口から語られる言葉の一つひとつが、リアリティを以って我々に迫ってくるのである。それは多くの場合、自身の不幸な生い立ちであったり、仕事中に取り返しのつかないミスを犯してしまったことだったり、家族に起こった不幸であったりする。中には、とても心温まるエピソードが語られることもある。だが、それはプールであったり、更衣室であったりと、サウナ以外の場所で語られることが多い。

 

つまりは、そういうことなのだ。サウナという閉鎖空間は、フィンランドの男たちの憩いの場いであり、社交場であると同時に、カウンセリング・センターでもあるのだ。彼らはみな裸で、ヨボヨボであったり、ムキムキであったり、タプタプであったりするが、内面は、つまり心はとてもナイーブな男たちだ。そんな彼らが外面の虚飾を脱ぎ去り、文字通りに赤裸々に胸の内を語る。聞くも涙、語るも涙な事柄すらも語られてしまう。サウナは基本的にとても狭い。それゆえに必然的に男たちは身を寄せ合う。そこに我々が見出すのは、決して弱さや情けなさではない。人種や国境、世代というものを超えた、男という哀れで悲しい生き物たちの、それでも雄々しく生きていく姿である。ある人物が、「さあ、蒸気(ロウリュ)を足そう」というのは、武士の情けと通じるものがあった。これについては、そのアナロジーをワンポイント英会話レッスンで補足したい。

 

ネガティブ・サイド

実は地味にR15指定である。登場人物のほとんどは男性であるが、かなりの人が男性自身を丸出しである。カメラもそれを敢えてフレームに収めており、当然のことながらモザイクは無い。性的な意図は込められてはいないが、性別を問わず、人によってはネガティブに捉えるかもしれない。

 

別にエロ親父的な目線で言うわけではないが、サウナにおける女性同士の語らいが無いのは何故だろうか。ほんのわずかでよいので、ガールズ・トークでも魔女トークでもよいので収録されていれば、男性以外にもアピールする力のある作品になれたのではないだろうか。

 

ほとんどが郊外あるいはのどかな田園風景が広がる地方での撮影である。もう少し都市部でのサウナと、その空間内の人々の営みというものも見てみたかった。『 かもめ食堂 』でもレンタルしてくるか。

 

総評

かなりヘビーな内容である。男性の裸よりも、話の内容の方が重たくてしんどい、という人の方がマジョリティだろう。それでも、人は皆、裸で生まれてくる。赤ん坊はタブラ・ラサだ。共通点は人間であることだ。そして、人間であるからには、心がある。心があるということは傷つくことがあるということだ。そのような傷ついた心、そして癒しを求める心の姿が、ある意味では裸以上に露わになる空間としてのサウナにフィーチャーした本作は、比較文化人類学的な観点からは非常に貴重な資料である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

A man is not supposed to cry.

 

終盤近くで、とある男性が自身の悲嘆について(フィンランド語で)このように語る。彼はまた「男にできるのは、黙って酒を飲むことだけ」とも言う。まるで河島英五である。『 酒と泪と男と女 』の世界観である。be supposed to Vで、「Vすることになっている」のような意味である。Jovianが大ファンであるロッド・スチュワートのフェイセズ時代にテンプテーションズの“I Wish It Would Rain”をカバーしていた。その歌詞でもEveryone knows that a man ain’t supposed to cry. とある。古今東西、男とはそのような生き物であるようだ。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, カリ・テンフネン, ドキュメンタリー, フィンランド, 監督:ミカ・ホタカイネン, 監督:ヨーナス・バリヘル, 配給会社:kinologue, 配給会社:アップリンクLeave a Comment on 『 サウナのあるところ 』 -裸の男たちを追う異色のドキュメンタリー-

『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』 -エンディングにぶっ飛ばされる-

Posted on 2019年10月15日2020年8月29日 by cool-jupiter

ブルーアワーにぶっ飛ばす 65点
2019年10月13日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:夏帆 シム・ウンギョン 渡辺大知 南果歩
監督:箱田優子

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シム・ウンギョンが熱い。日本語にはまだまだ違和感が残るが、数年もすれば日本映画界にとって欠かせないピースになるのではないだろうか。『 新聞記者 』と本作において、私的2019年海外最優秀俳優賞でホアキン・フェニックスの次点につけている。

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あらすじ

CMディレクターの砂田夕佳(夏帆)は既婚、子どもなしの30歳。職場の同僚と不倫関係にあり、仕事も修羅場続き。ある日、病気の祖母を見舞うために帰郷することになった砂田は、友人の清浦(シム・ウンギョン)の運転で茨城を目指すが・・・

 

ポジティブ・サイド

Jovianは出身地は兵庫県だが、岡山県に8年暮らし、東京でも10年半を暮らした。大都市、まあまあ都会、ド田舎の全てを肌で知っていると思っている。そういう背景を持つ人間には、痛いほどに伝わるサムシングが本作には確かにある。都市の変化は激しい。一方で、日本昔話級の田舎には、目で見て分かる変化はほとんど起きていない。だが、それは一つの幻想である。変わらないように見える人間も確実に変わっていく。当たり前だが、人間は年老いていく。そして、どんな人間にも幼少期がある。田舎がダサい、カッコ悪い、居心地悪いと感じるのは、それが自分で自分を好きになれない部分を投影しているからだろう。逆に言えば、田舎に帰省してホッとするという向きには本作の砂田の痛々しさは伝わらないのかもしれない。それでも、清浦が隠そうとしない旺盛な好奇心や高いコミュニケーション力は、誰でも好ましく感じるに違いない。その感覚を大切にしなくてはならない。人間、ポジティブに感じられることを基軸に考え、行動したいものである。

 

構成はユニークである。オープニングシーンでは、ブルーアワーに田舎のけもの道を話しながら疾走する幼女を描き、エンディングでは茨城から東京への家路をブルーアワーにひた走る車を描く。本作の特徴は、その説明の少なさ、徹底して映像で語ってやろうという意気込みにある。冒頭から不倫相手との同衾シーン、そこから帰宅に至るシークエンスであるが、これがかなり不自然な画の繋がり方なのである。え、そこで切って、そこに繋げるの?という編集である。これはいきなり失敗作・・・いやいや実験的作品なのか?との杞憂は、中盤に至っても消えない。『 ダンス・ウィズ・ミー 』のようなロードムービーを予感させた瞬間には、もう別シーンに切り替わっていたりと、常に観ているこちらの虚を突くような展開が続く。だが、どうか辛抱して欲しい。全てはある演出のためのもので、それが全て明らかになるエンディング・シーンは絶対に席を立ってはならない。

 

映像といえば、清浦が常に手にしているビデオカメラも重要なガジェットになっている。いつ、どこにそれがあり、誰がどういったタイミングでそれを使うのかに、これから鑑賞する方は是非注意を払ってみてほしい。同じく、出番が可哀そうなぐらいに少ない渡辺大知のシーンにも、是非とも注意を払ってみてほしい。

 

夏帆の母親役に果歩。名前だけではく、外見もかなり似せてきている。メイクアップアーティストさんやヘアドレッサーさんはGood job! である。

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ネガティブ・サイド

夏帆は良い意味で円熟期を迎えつつあるようだ。しかし、悪く言えばマンネリズムに陥る危機を迎えているとも言える。『 きばいやんせ!私 』の貴子というキャラクターと今作の夕佳というキャラクターは、重複するところがかなりある。彼女自身、あるいは彼女のハンドラー達は、型にはめないように注意をしてほしいもの。

 

東京という虚飾に塗れた都市と、その周辺・従属地域の対比という構図は、すでに『 翔んで埼玉 』や『 ここは退屈迎えに来て 』にて用いられた、いわば手垢のついたものである。そこに新たな視点を提供するという野心的な試みは本作にはなかった。シム・ウンギョンの演じる清浦の出身地を湘南ではなく、韓国のソウルもしくは釜山という大都市にするか、あるいは韓国の田舎出身にしてしまった方が、対比が鮮やかになったのではないだろうか。異邦人の目から見た日本国内の地域差というのは、これまで映画では取り上げられなかった視座ではないだろうか。ただ、それをやってしまうと、物語の根幹部分が崩れるという諸刃の剣でもあるが。

 

また、『 イソップの思うツボ 』で感じたアンフェアさが本作にも感じられる。もちろん、こちらは伏線を見事に回収しているのだが、その手法の鮮やかさ、インパクトの強さにおいて『 勝手にふるえてろ 』には及んでいない。この部分において斬新なアイデアを披露してくれていたら、たとえそれが失敗に終わっても、個人的には野心作として非常に好ましく思えたのだが。

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総評

かなり観る人を選ぶかもしれない。生まれも育ちも東京23区内です、両親の実家もそれぞれ名古屋と横浜です、などという人には正直なところ勧め難い。けれど、アラサー女子が感じる閉塞感や焦燥感を感じ取ることができれば、それで充分かもしれない。自分の頭と心が一致していないと感じることがあれば、本作から何かを感じ取ることができるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Oh, good for you.

 

序盤の夏帆の「 へー、良かったね 」という台詞である。日本語と同じで、祝福の意味でも皮肉の意味でも使われる。表現として何一つ難しいことはない。これも機会を見つけて使ってみるべし。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, シム・ウンギョン, ヒューマンドラマ, 南果歩, 夏帆, 日本, 渡辺大知, 監督:箱田優子, 配給会社:ビターズ・エンドLeave a Comment on 『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』 -エンディングにぶっ飛ばされる-

『 もしも君に恋したら。 』 -不器用な男の不器用な恋-

Posted on 2019年10月14日 by cool-jupiter

もしも君に恋したら。 60点
2019年10月11日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ダニエル・ラドクリフ ゾーイ・カザン アダム・ドライバー マッケンジー・デイビス
監督:マイケル・ドース

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禁断の恋はいつでもドラマチックである。最もドラマチックなのは韓国ドラマでお馴染みの、実は二人は兄妹でした的な展開であるが、日常的なレベルでの禁断の恋は、彼氏彼女持ちを好きになってしまうことだろう。これは独身でも既婚者でも、自分にパートナーがいてもいなくても起こりうることで、それゆえに本作は共感を呼びやすく、同時に陳腐でもある。

 

あらすじ

ウォレス(ダニエル・ラドクリフ)は、内向的な青年。友人のアラン(アダム・ドライバー)に呼ばれて行ったパーティでシャントリー(ゾーイ・カザン)に出会い、ひと目惚れする。しかし、シャントリーには恋人がいた。しかし、ある日、映画館の外で偶然に再会した二人は意気投合。ウォレスとシャンとリーは友人関係を結ぶことを約束するが・・・

 

ポジティブ・サイド

ハリー・ポッター=ダニエル・ラドクリフだった頃の、あの少年はもういない。『 スイス・アーミー・マン 』で見事に生気のない役、というか死体を演じた演じる前だが、生気があまり感じられないという点では、本作の役と共通点は多い。ラドクリフ演じるウォレスには共感しやすい。男は基本的に奥手で受け身で自分が傷つきたくないという考える生き物だ。相手を傷つけたくないという配慮は、自分が傷つきたくないという軟弱な精神構造の裏返しなのだ。そんな典型的なダメ男を演じたラドクリフは、世界中のイケてない男の羨望の的である。

 

アダム・ドライバー演じる彼の親友のアランもいい。邦画の、特に少女漫画を映画化した作品では、主人公の親友はたいていの場合、物分かりの良い縁の下の力持ちに終始するが、アランは違う。極めて実践的なアドバイス、すなわち自分を清いままに保とうなどという甘ったれた観念をぶち壊せという助言をしてくれるし、あと一歩を踏み出せない友人と従妹シャントリーに、その一歩を超えられるような舞台設定もしてくれる。一見すると女性=セックス・オブジェクトとしてしか見ていないような男なのだが、実はそうではない。責任を取れる男なのだ。野郎同士の関係、特に悪友とのそれはなかなか変化しない。それは、あまり気持ちの良い例えではないが『 宮本から君へ 』のピエール瀧とそのラグビー仲間のオッサン悪童連を見ればよく分かる。だが、関係が変化せずとも人間は変わる。そして、人間が変わった時、その相手に差し向かう自分も変化を突き付けられる。これは遅れてきた男のビルドゥングスロマンであり、そういう意味ではダニエル・ラドクリフという俳優の人生をある意味で象徴している。まさに面目躍如である。

 

ゾーイ・カザンは安定のクオリティ。下着姿やセミヌードを惜しみなく披露してくれる女優で、容赦ないエロトークやエロティックな演技もできる一方で、slutty な感じを一切出さない。健康的なのだ。日本で比較できそうな女優は高畑充希か。芳根京子の今後の成長に期待。ベタではあるが、怒ったり拗ねたりした時の方が魅力が増す女子というのは、大切にしなければならないのである。

 

ネガティブ・サイド

ゾーイ・カザン演じるシャントリーの商業がアニメーターという設定が今一つ生きていない。ペンだこひとつない綺麗な手というのはどういうことなのだろう?例えば、ウォレスとの友情を誓い合う握手の時に、ウォレスが「ちょっと普通の手の感触と違うね?」みたいなことを言えば、彼女が真摯に仕事に打ち込むキャラクターであることも伝わるし、ウォレスはただのヒッキーではなく、実はそれなりに経験を積んだ男であることを仄めかすこともできただろう。シャントリーの職業的背景が、変てこアニメーション演出以外に特に活かされなかったのは遺憾である。

 

シャントリーのボーイフレンドであるベンを必要以上に dickwat に描く必要はあったのだろうか。高度な知識と技能を持つプロフェッショナルで5年も付き合ってきた女性にプロポーズもできていない時点で、ある意味ではウォレスに負けず劣らずのヘタレなのである。もう少し正攻法のウォレスとベンの対決を見てみたかった。

 

 

総評

全体的に予想を裏切る展開が少なく、予定調和的である。ただ、日本の少女漫画の映画化作品に食傷気味の向きには、A Rainy Day DVD または A Typhoon Day DVDとしてお勧めできるかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Did you guys meet?

 

Meetの意味は出会うではなく、「出会って挨拶や簡単な会話をする」ところまでを含む。『 モリーズ・ゲーム 』でも、ジェシカ・チャステインがイドリス・エルバに娘を紹介された時に“We met.”と返していた。またmeetは名詞としても使う。『 ミッドナイト・サン タイヨウのうた 』でも水泳大会=Swim Meetと表現されていた。会=Meetと理解すれば、出会って何かを行う、というイメージをより強く持つことができるだろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アイルランド, アダム・ドライバー, カナダ, ゾーイ・カザン, ダニエル・ラドクリフ, マッケンジー・デイビス, ラブロマンス, 監督:マイケル・ドース, 配給会社:エンターテイメント・ワンLeave a Comment on 『 もしも君に恋したら。 』 -不器用な男の不器用な恋-

『 サラブレッド 』 -一筋縄ではいかない女の友情-

Posted on 2019年10月7日2020年4月11日 by cool-jupiter

サラブレッド 65点
201910月3日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:オリビア・クック アニャ・テイラー=ジョイ
監督:コリー・フィンリー

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Jovianは『 ウィッチ 』以来、アニャ・テイラー=ジョイの大ファンである。映画ファンならば、○○が出演していたら観る、あの監督の作品は観る、あの脚本家の作品は絶対にチェックする、そういう習性があるものだろうが、アニャはJovianの一押しなのである。

 

あらすじ

感情のないアマンダ(オリビア・クック)と彼女の家庭教師を引き受けている旧友のリリー(アニャ・テイラー=ジョイ)。二人は奇妙な友情を育んでいた。そして、リリーは憎い継父の殺害計画をアマンダと共に練るようになるが・・・

 

ポジティブ・サイド

これまでも胸元を露わにする服装はちらほら着用してくれていたが、今回は遂に水着を解禁。アニャのファンは狂喜乱舞すべし。というのは冗談だが、それでもプールに潜るアニャは大画面に大いに映える。彼女はどこかファニー・フェイスなのだが、水中で目を閉じて黒髪がたゆたうに任せるアップのショットはひたすらに cinematic である。

 

オリビア・クックも魅せる。『 ラ・ラ・ランド 』でエマ・ワトソンが桁違いの演技力を見せつけたが、冒頭のリリーの住む屋敷を散策して回るシーンと、テレビを観ながら泣いて見せるシーンは、オリビアの演技力の高さを大いに物語っている。

 

監督のコリー・フィンリーは舞台の演出家で、映画の監督はこれが初めてのようだ。先に述べたアマンダの屋敷を見て回るシーンはロングのワンカットで撮影されており、カメラ・オペレーターが役者との絶妙な距離感を保ちつつ、どこか『 バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) 』を彷彿させるドラムを主旋律にした人間の不安を掻き立てるようなBGMが奏でられる。『 記憶にございません! 』の中井貴一と吉田羊の情事前のシーンは技術的に際立っていたが、映画的な技法としての完成度は本作のオープニングシーン(馬の後である、念のため)の方が上である。Establishing Shotの極致であり、迷走する人間関係と心理のメタファーになっている。

 

殺人を計画するにあたって、チンケなドラッグ・ディーラーを使うところもよい。やるかやらないか分からない、そんな根性がありそうでなさそうな pathetic な男と、獣性を秘めた女性たちのコントラストがサスペンスを盛り上げている。男という生き物は本質的には女の引き立て役なのかもしれない。Rest in peace, Anton Yelchin.

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ネガティブ・サイド

登場人物があまりにも少ないせいで、オリビアの感情の欠落が周囲の人間にどのように受けとめられてきたのか、あるいは受け入れられずにきたのかが分からなかった。ちょっとエキセントリックな奴、と思われるだけならいいが、「サラブレッドを殺した奴」というのはちょっと違うと思う。走れなくなった馬を安楽死させるのは、割とよく知られた事実であるし、レースに勝てず気性が穏やかな馬は、乗馬クラブに行き、レースに勝てず気性が荒い馬は動物園で肉食動物のエサにされている。これもよく知られた事実である。馬を殺したこと、その方法が残虐であったことを指してアマンダを「ヤバい奴」に認定するのはちょっと納得がいかなかった。これはJovianの実家がかつては焼肉屋で、Jovian自身も小学校6年生の時に牛の屠殺場に実際に親子で見学に行った経験を持つからかもしれない。

 

継父を殺したいほど憎く思っている背景の描写も弱い。登場シーンからして張りつめた空気が二人の間に漂っているが、そうした緊張感の漲るシーンをもう2,3か所、時間にして2~3分ほどでよいので、各所に挿入されていれば、劇中に二つ存在する真夜中のシーンのサスペンスがもっと盛り上がったのにと思う。

 

総評

女は怖い。つくづくそう感じさせてくれる。女性に対して満腔の敬意と言い知れぬ恐怖を抱くJovianのような小市民は、本作のような女の物語を非常に怖く、危うく感じる。これはネガティブにではなく、作品に対するポジティブな賛辞である。小市民男性は本作を観て、男と言う生き物のケツの穴の小ささを再確認しよう。亭主関白を自認する人は観ないことをお勧めする。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

outside the box

 

しばしば think outside the box という使い方をする。直訳すれば「箱の外で考える」だが、意訳すれば「固定観念にとらわれることなく考える」、「既存の枠組みを超えて思考する」ということ。これができるかどうかが、学生にとっても社会人にとっても、ますます重要になってくるだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アニャ・テイラー=ジョイ, アメリカ, オリビア・クック, サスペンス, 監督:コリー・フィンリー, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 サラブレッド 』 -一筋縄ではいかない女の友情-

『 アンダー・ユア・ベッド 』 -もっとキモメンをキャスティングせよ-

Posted on 2019年10月3日2020年4月11日 by cool-jupiter

アンダー・ユア・ベッド 65点
2019年9月29日 シネ・リーブル神戸にて鑑賞
出演:高良健吾 西川可奈子
監督:安里麻里

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ストーカーという人種、ストーキングという行為が認知されたのは、日本では比較的最近ではないだろうか。一方的に思慕の念を募らせるのは、ある意味では美しいが、それが犯罪を構成するところまで行ってしまっては、止まるに止まれなくなる。『 君が君で君だ 』はそうした止まれない、しかし思慕の対象には近づかない男たちの物語だった。それでは本作はどうか。ベッドの下にまで潜り込む男の物語である。

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あらすじ

彼は誰からも存在を忘れられた男だった。しかし、19歳の大学生の頃、ただ一人自分のことを名前で、「三井くん」(高良健吾)と呼んでくれた千尋(西川可奈子)とマンデリンを飲むことができた。その思い出に浸ること11年、30歳になった三井はもう一度だけ千尋に会いたいと願い、彼女を探し出す。しかし、見つけたのはボロボロに変わり果てた千尋だった・・・

 

ポジティブ・サイド

まずは西川可奈子を称賛しようではないか。『 火口のふたり 』の瀧内公美に優るとも劣らない脱ぎっぷりと濡れ場(というよりレイプか)、そして暴力的・被虐的シーンを演じ切った。19歳の大学生からボロボロに疲れ切った30歳の一児の母までを、わずか1時間30分という間で自在に行き来した(ように編集で見せているわけだが)のは、メイクアップ・アーティストや衣装、照明の力を借りてこそではあるが、やはり本人の繊細な演技によるところが大きい。大学生の頃のくるくると変わる表情とはじける笑顔には、三井ならずともコロッといってしまうであろう。

 

原作の小説もそうであるが、千尋に生まれたばかりの子どもがいるという設定の妙が生きている。その子が話せるようになったら、一巻の終わりだからである。だからこそ、『 君が君で君だ 』の三人組にはなかったタイムリミットが三井にはあり、それゆえに三井のストーキングはエスカレートしていく。この見せ方は実に巧みである。

 

原作小説には結構細かく描写されていた千尋の夫の職場での良い人っぷりをばっさりとカットしたところもグッドジョブだ。物語に不必要なぜい肉はいらない。

 

オムツを吐いて、ベッドの下に息を殺して潜む。それはおぞましい行為である。憧れの女性が乱暴に犯される声を聞き、ベッドの振動をその掌で感じ取る。そのことにえもいわれぬ興奮を覚える三井に、どうやって共感せよというのか。それが、物語が加速していくにつれ、できるようになるのである。この絶妙な見せ方に興味がある人は、ぜひ劇場へ足を運ばれたい。

 

ネガティブ・サイド

0歳の乳児がいるにしては、千尋が貧乳である。もちろん、そういう女性もいるにはいるだろうが、極度のストレスのせいで母乳も出せないという描写が欲しかったところである。ストーカーの怖いところは、現実離れした妄執にある。ならば、それ以外の部分は出来うる限り現実に即しているべきである。それが出来ないのなら、それを納得させるだけの描写や演出を挿入するべきである。

 

高良健吾は素晴らしい役者であるが、今作に限ってはミスキャストだと思われる。何故なら、いくら暗い、存在感の薄い男を演出しても、高良自身の面構えの良さが、三井というストーカーの負の面を中和してしまう。もちろん、外見が人間の中身を表すわけではないは、妄執という面では、変則的ストーカー(?)ものの小説および映画にもなった『 モンスター 』(主演:高岡早紀)という優れた先行作品がある。例えば、高良の顔の良さをほんの少しでも隠せるようなメイクおよび照明の使い方があったのではないだろうか。江戸川乱歩の『 人間椅子 』ではないが、こうした物語には醜男を配置すべきである。

 

原作とやや異なるラストも個人的には気に入らない。三井のレーゾンデートルでもある「喫茶店で一緒にコーヒーを飲んだ」という思い出が砕かれる瞬間が描かれるべきだった。もしくは編集でカットしたのだろうか。ラストシーンの三井の実存の回復のためにも、敢えて奈落の底に突き落とすような物語展開が直前に欲しかったと思う。

 

総評

ストーキングという行為にはある意味での普遍性がありそうだ。そうした営為が犯罪として認知されるようになったのは法律の整備やプライバシー意識の醸成などが背景にあるだろうが、なによりもテクノロジーの力により、録音、録画、動画撮影に盗聴までもが容易になったことが大きい。三井のような行為は、やろうと思えば誰でも出来るのだ。中島梓は『 コミュニケーション不全症候群 』で、我々が最終的に求めてやまず、それでも手に入らないものとして「他者」を挙げた。他者からの承認である。企業研修では存在承認や行動承認がアホの一つ覚えのように繰り返し叫ばれている。2001年刊の原作小説が現代に映画化される意味は確かに見出せる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I want to be beside her permanently.

「ずっと隣にいたい」 そんな三井の純愛とも狂気とも知れない気持ちが切なさと共に迫ってくる。ずっと=forever と暗記している人が多いが、ちょっと違う。Permanentlyも押さえておきたい語彙。パーマをかけるのパーマである。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, スリラー, 日本, 監督:安里麻里, 西川可奈子, 配給会社:KADOKAWA, 高良健吾Leave a Comment on 『 アンダー・ユア・ベッド 』 -もっとキモメンをキャスティングせよ-

『 ピクセル 』 -レトロゲーマーのノスタルジー映画 -

Posted on 2019年9月29日 by cool-jupiter

ピクセル 65点
2019年9月23日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:アダム・サンドラー ミシェル・モナハン ピーター・ディンクレイジ
監督:クリス・コロンバス

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カーラ・デルヴィーニュとアシュリー・ベンソンの交際1年のニュースに、彼の国の自由さを感じた。Pretty Little Liarsの主要キャストのその後を追いかけようと、『 トゥルース・オア・デア 殺人ゲーム 』に続いて、トローヤン・ベリサリオの『 マーターズ 』を探しているも、クソ映画との評判のせいか見つからず。ならば、劇場で観たこちらを最鑑賞。

 

あらすじ 

サム(アダム・サンドラー)はゲームの天才少年だった。長じてもゲームに興じ、妻に逃げられた冴えない中年のサムは、ある時、ホワイトハウスに召集される。かつて宇宙に送られたメッセージに含まれたゲーム映像が宣戦布告と受け取られ、宇宙人がゲームの形式で地球を攻撃してきたのだ。サムたちはこの危機をクリアできるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

ドンキーコングやパックマンが隆盛を極めた時期とJovianが小学生になる、つまりゲームをプレーできるようになる時期は微妙にずれていた。が、ここに登場するゲームはどれもこれも懐かしいものばかりである。特にスペースインベーダーは親父と銭湯に行った時に、よくプレーさせてもらったし、百円玉を山と積んだオッサンのプレーを傍で眺めていたこともある。古き良き時代という言葉は好きではないが、ノスタルジックな気持ちにさせてくる映画であることは間違いない。特にアラフォーには刺さる作品であろう。

 

本作は子どもであり続けることと大人になることの両方が追求される、ユニークな作品でもある。主人公のサムは子どもの頃から大好きだったゲームに大人になっても興じているが、彼は世界大会の決勝で敗れたことが、抜けない棘のように心に刺さったままなのだ。その棘が抜ける瞬間こそが作品にとってもサムというキャラクターの成長にとってもハイライトなのである。一個人の内面の変化が世界の危機を救う(または引き起こす)というのは、『 新世紀エヴァンゲリオン 』に象徴されるように、オタクの好物テーマなのである。そのことをクリス・コロンバス監督はよく理解している。オタクの好きなレトロゲームをふんだんに使い、リアルに再現しているから面白いのではない。オタクが苦手とする心の成長をドラマチックに描いているから面白いのである。

 

だからといって、オタクの生態を美化しているわけでもない。特にサムの友人ラドローによる米軍精鋭への pep talk の脱線ぶりはたくまざるユーモアを生み出している。『 ハクソー・リッジ 』ではヴィンス・ヴォーンが恐ろしくも面白おかしい鬼軍曹を好演したが、あちらは毒の効いたユーモア。こちらはコミュ障の哀れさとみじめさが笑える形で爆発する。笑ってはいけないはずなのに、笑ってしまう。

 

もちろん、ロマンスもあるので安心してほしい。ピーター・ディンクレイジの趣味はちょっと理解できないが、ラドローの趣味は理解できる。もちろん、逆の意見もあるだろう。大切なことは、「愛」の形の多様性を認めることだ。そんな教訓も得られるエンタメ作品である。

 

ネガティブ・サイド

地球人は、やはり宇宙人による侵略を受けないと一つにまとまることができない生物なのだろうか。これは『 インディペンデンス・デイ 』以来、いやそれ以前から、ずっと立てられ続け、そして答えを出せていない問いである。ID4から幾星霜、我々の間の分断は進むばかりである。日陰者たちが活躍する物語には胸がスカッとするものの、現実の人間社会の問題は何一つ解決しないという寂しさも残る。最後に残るハイブリッドは素晴らしいと思うが、アダム・サンドラーとミシェル・モナハンのロマンスも描いて欲しかったと思う。

 

街中にピクセルが放たれた時こそ、米軍兵士が活躍する場で、そこにスペクタクルがあるべきだったと思う。なぜなら、屈強なソルジャーたちを大活躍させながらも、やっぱり最後はアーケイダーズでないと手に負えないという流れが欲しかったからだ。イギリスの対センチピードでそうなったが、あれはゲームのルールを軍人が理解できていなかったからで、ルール関係なしの市街戦なら、米軍兵士の独壇場だったはず。そこで彼らを大活躍させ、しかし、最後はやはりレトロゲームでないと決着がつけられない、という流れの方がもっとノレたと思うのだが。

 

総評

二度目の鑑賞だが、フツーに面白い。ただし、あくまでフツーの面白さであって、それ以上ではないので注意。今の若い世代では何のことやら分からない描写もあるだろう。個人的には、中学生ぐらいの頃だったか、『 スーパーマリオクラブ 』で日米のマリオカートのチャンピオン同士のマッチレースで、全米王者(子ども)が日本王者(子ども)を圧倒したのを思い出した。ゲームでもやはりアメリカは王国なのである。だからといって日本のゲーマーが劣るわけではない。かつてゲーマーだった少年少女であれば、レンタルや配信で一度はチェックされたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Did I do good?

 

「俺は上手くやったかな?」 goodは基本的に形容詞なので、文法的には少々おかしい。しかしそんな事を気にしていては、外国語の運用能力など身につかない。言語学習は基本的にネイティブスピーカーの真似をすることである。これと同じような台詞は『 ベイビー・ドライバー 』でも聞こえる。ジョン・ハムがアンセル・エルゴートに“You did good, kid.”と言う台詞がそれである。機会を見て、一度使えば身に着く簡単フレーズだろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アダム・サンドラー, アメリカ, コメディ, ピーター・ディンクレイジ, ミシェル・モナハン, 監督:クリス・コロンバス, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメントLeave a Comment on 『 ピクセル 』 -レトロゲーマーのノスタルジー映画 -

『 ゴーストランドの惨劇 』 -変化球ホラー映画-

Posted on 2019年9月10日2020年4月11日 by cool-jupiter
『 ゴーストランドの惨劇 』 -変化球ホラー映画-

ゴーストランドの惨劇 65点
2019年9月5日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:クリスタル・リード アナスタシア・フィリップス エミリア・ジョーンズ テイラー・ヒックソン
監督:パスカル・ロジェ

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劇場の新作予告での非常にユニークな宣伝文句に惹かれた。すなわち【2度と見たくないけど、2回観たくなる】に。また、【 姉妹が その家で再会した時 あの惨劇が再び訪れる―などという ありきたりのホラーでは終わらない 】や【 観る者を弄ぶ絶望のトリック 】という挑発的な惹句にもそそられた。結果はどうか。まあまあであった。

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あらすじ

叔母の家を相続したベス(エミリア・ジョーンズ)とヴェラ(テイラー・ヒックソン)の姉妹とその母と共に人里離れた屋敷に移り住んできた。しかし、キャンディ屋に扮した異常な二人組の侵入により、屋敷は惨劇の場に。母は娘たちを守らんと決死の抵抗を試みて・・・

 

ポジティブ・サイド

確かに凡百のホラー映画とは違う。そこに『 キャビン 』との共通点を感じる。ネタバレになりかねないので白字で書くが、本作を観て以下の作品を思い出した。

 

『 バタフライ・エフェクト 』

『 ミスター・ノーバディー 』

『 スプリット 』

『 カメラを止めるな! 』

 

残暑も厳しいし、サメかゾンビか、それとも普通のホラー映画でも観るか、のような軽いノリで鑑賞する作品ではない。かといって、骨の髄までホラー映画ファンでなければ観てはならないのかというと、そんなことはない。確かに、タイトルにある惨劇の名に恥じないキツイ描写はあるが、本作の真価はそこにあるのではない。Jovianが脚本家なら、このtwistを最後の最後に持ってきて、観客をflabbergastedな状態に放置して終わりにしてしまうことだろう。そして、それも脚本執筆段階では選択肢にあったはずだ。しかし本作の製作者たちは、ジェットコースター的な展開を選択した。真相が明かされたところからが本番なのだ。普通の90分のホラー映画文法に従えば、最初の15~30分でキャラクターと舞台を説明/描写する。30~70分で惨劇を描く。70~90分で窮地を脱してエンディングとなるだろう。だが、本作はそこをひっくり返した。惨劇の開始までが圧倒的に短く、窮地を脱するまでが最も長いのだ。それでいて90分に収めてしまうのだから、パスカル・ロジェ監督の手腕は見事である。

 

主演のエミリア・ジョーンズはまさに人形のような可愛らしさで、やはりホラー映画は美少女または美女の顔が苦痛にゆがむのを眺めて悦に入るための小道具であることを実感。そうした王道、場合によってはこの上なく陳腐な展開を、超絶技巧で圧縮してしまった本作は、近年のホラーの中でも出色の出来である。ベスの最後の意味深な台詞にもにやり。ホラー映画にこそ余韻が必要なのである。

 

ネガティブ・サイド

展開は途中までは陳腐そのものであるが、こけおどし的な手法の多用も陳腐である。つまり、ジャンプスケアが多すぎるのである。いつになったら「怖い」と「びっくりする」をホラー製作者たちは区別するようになるのか。『 来る 』や『 貞子 』が怖くないのも、作り手が怖がらせようと意識しすぎるからだ。視覚的に怖がらせるのであれば、『 エクソシスト 』の、ベッド上で、膝から上だけでドッタンバッタンするシーン、首が180度回転するシーン、仰向けのまま階段を這い降りるシーンでもう十分に怖い。そうではなく、もっと映画を観終わってからも誰かに心臓を握りしめられているような感覚を味わわせてほしいのだ。例えば『 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 』の意味不明なラストのテント内のシーンが、序盤の街の声を思い出すことによって、とてつもなく恐ろしいものに変貌したり、あるいは黒沢清監督の『 CURE 』のラストシーンの一見何気ない行動をとっているように見えるウェイトレスなど、考えることによって生まれてしまう恐怖感が、もっと欲しいのだ。

 

個人的に他にも気になったのは、オープニングがまるっきり『 レディ・バード 』だったこと。これもこれで、一種のホラー映画のオープニングあるあるなのだろうか。母と娘の関係を深読みしすぎてしまったようである。これは狙ったmisleadingなのだろうか。

 

総評 

ホラー映画ファンならば劇場へGoだ。美少女好きな映画ファンも劇場へGoだ。幽霊はちょっと・・・という方には朗報だ!本作はそのタイトルにもかかわらず、幽霊は出てこない!とにかく劇場にGoだ!

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I can’t wrap my mind around ~

 

wrap one’s head around ~ = ~を理解する、という慣用表現。

 

Once you are able to wrap your head around Blade Runner, go for 2001: A Space Odyssey.

I still can’t wrap my head around what this company is aiming to do with this project.

 

等のような使い方をする。自分でも練習してみよう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アナスタシア・フィリップス, エミリア・ジョーンズ, カナダ, クリスタル・リード, スリラー, テイラー・ヒックソン, フランス, ホラー, 監督:パスカル・ロジェ, 配給会社:アルバトロス・フィルムLeave a Comment on 『 ゴーストランドの惨劇 』 -変化球ホラー映画-

『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』 -パラレル・ワールド・ハリウッド・ストーリー-

Posted on 2019年9月6日2020年4月11日 by cool-jupiter

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 65点
2019年9月1日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:レオナルド・ディカプリオ ブラッド・ピット マーゴット・ロビー
監督:クエンティン・タランティーノ

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映画のタイトルとは何か。それは映画のプロットの究極の要約であり、映画のキャッチコピーでもある。つまり、これは昔話なのだ。昔話については『 サッドヒルを掘り返せ 』で少し触れた。端的に言えば、昔話とは心の原風景の物語である。そう、これはタランティーノの心の原風景にあるハリウッドの物語なのだ。

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あらすじ

リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)は俳優。そのスタントマンのクリス・ブース(ブラッド・ピット)はショーファーにしてシャペロン、公私にわたって兄弟以上妻未満のパートナーだった。だが、プロデューサーからはイタリアで映画に出演しろと言われ、リックは自分が落ち目であることを悟る。しかし、自宅の隣に『 ローズマリーの赤ちゃん 』の監督として絶大な人気を誇っていたロマン・ポランスキーとその妻にして女優のシャロン・テート(マーゴット・ロビー)が引っ越してきたことで、リックの役者魂は再び燃え上がり・・・

 

ポジティブ・サイド

レオナルド・ディカプリオは一作ごとに役者としての階段を駆け上がっていくようだ。どの作品を観ても、それがディカプリオの最高傑作のような気がしてくる。というのは、Jovianがディカプリの代表作の『 タイタニック 』を今もって未鑑賞だからなのだろうか。劇場公開時、Jovianは大学一年生だったが、当時のdream girlから「一緒に観に行こう」と言われて、それを言葉通りに受け取ってしまった。いつの間にか劇場公開は終わってしまっていた。少年老い易く、恋実り難し。

 

Back on track. ディカプリオ演じるリック・ダルトンも、文字通り生涯最高の演技を劇中で披露する。『 ジャンゴ 繋がれざる者 』の解剖生理学の講義およびメイドの脅迫シーンに匹敵するように感じた。タランティーノとディカプリオにはgreat chemistryが存在するのは間違いない。彼が呟く“Rick Fucking Dalton”という一言は、『 ボヘミアン・ラプソディ 』でラミ・マレックがリハーサルの最後にクイーンのメンバーにエイズであることを告げた後に、自分はパフォーマーであり、“Freddie Fucking Mercury”だと宣言した一言と全く同じ意味とニュアンスだ。本作はリック・ダルトンではなく、レオナルド・ディカプリオその人の練習やリハーサル・シーンも垣間見え、レオ様ファンにとって貴重な資料的作品にも仕上がっている。

 

ブラッド・ピットはディカプリオの影法師的存在だが、最良の友人でもある。そして中盤に大きな見せ場が待っている。デヴィッド・フィンチャー監督の『 セブン 』と『 ファイト・クラブ 』を彷彿とさせるシークエンスは、サスペンスとテンションの山場である。そして最終盤にはタランティーノをタランティーノたらしめる最大の要素の一つ、すなわち“暴力”が爆発する。言葉そのままの意味で笑ってしまうほどにユーモラスで、しかし、BGM無しで鑑賞すれば、低級スナッフフィルムかと見紛うチープな凄惨さである。おまけの部分は『 ゴーストバスターズ 』的なギャグシーンである。

 

タランティーノが『 続・夕陽のガンマン 』を激賞していることはよく知られているが、本作は彼のマカロニ・ウェスタンへの愛着とオマージュに満ちている。タランティーノにとっての心の原風景は1960年代終盤のハリウッドとマカロニ・ウェスタンなのだろう。『 アンダー・ザ・シルバーレイク 』はハリウッドのアンダーグラウンドな面に光を当てた。『 ラ・ラ・ランド 』はロサンゼルスという土地へのラブレターだった。タランティーノは、ダークにしてチアフルなパラレル・ワールドのハリウッド世界がここに完成した。これでタランティーノも思い残すことが一つ減ったのだろう。『 マーウェン 』と同じく、芸術は人間よりも長く生きる。人間は変わるが、芸術は変わることなく存在し続ける。

 

ネガティブ・サイド

タランティーノはブルース・リーを一体何だと思っているのか。『 キル・ビル 』で見せたブルース・リーへのリスペクトは見せかけに過ぎなかったのか。それとも、タランティーノが評価するブルース・リーは俳優としてのブルース・リーであり、ブルース・リーその人の哲学や格闘能力ではなかったのか。ブルース・リーがハリウッドに及ぼした、そして現代にも残した影響の大きさを考えれば、本作におけるブルース・リーの扱いには賛否両論が出るだろう。というか、否が圧倒的に多いのではないだろうか。

 

“The Haunting of Sharon Tate”(邦題『 ハリウッド1969 シャロン・テートの亡霊 』)のニュースをたまたま読んでいたからよかったものの、Jovianの嫁さんはプロット全体を通じて何を言わんとしているのか、さっぱり分からなかったようである。確かに親切な作りであるとは言えない。ナタリー・ウッドをネタにするにしても、皆が皆、『 ウエストサイド物語 』などを観ているわけでもないはずだ。もう少し、この仮想のハリウッドについて説明的な要素が欲しかった。

 

総評

『 パルプ・フィクション 』のクオリティを期待してはならない。シャロン・テートやナタリー・ウッドについての知識がほんの少しでもあれば話は別だが、予備知識なしで観てしまうと、「各シーンは笑えたし、泣けたし、震えたけど、全体としては何だったんだ?」となってしまうだろう。劇場に向かうのであれば、これはクエンティン・タランティーノがハリウッドに関する記憶や思い出を自分なりに美化したパラレル・ワールド物語なのだと承知しておこう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’m sorry about that.

 

ディカプリオがこう言って涙を流すシーンがある。ポイントはaboutという前置詞である。be sorry about ~で、~について謝る、ごめん、すまない、などの意味になる。対して、be sorry for ~で、~を気の毒に思う、という感じの意味になる。前置詞に関しては覚えてしまうのが早道だが、文字だけではなく、状況とセットで覚えた方が断然良い。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, ブラック・コメディ, ブラッド・ピット, マーゴット・ロビー, レオナルド・ディカプリオ, 監督:クエンティン・タランティーノ, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメントLeave a Comment on 『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』 -パラレル・ワールド・ハリウッド・ストーリー-

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