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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: B Rank

『 渇きと偽り 』 -乾いた大地の人間関係-

Posted on 2022年9月27日 by cool-jupiter

渇きと偽り 70点
2022年9月25日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:エリック・バナ
監督:ロバート・コノリー

 

サイモン・ベイカー主演・監督『 ブレス あの波の向こうへ 』以来のオーストラリア映画の劇場鑑賞。

 

あらすじ

連邦警察官アーロン・フォーク(エリック・バナ)は旧友ルークの葬儀に参列するため、20年ぶりに故郷の小さな町に帰ってきた。ルークは自身の妻子を射殺した後に自殺したとされていた。プライベートで捜査に乗り出したフォークは、自分たちの若い頃に起きたある事件と、今回の事件がつながっているのではないかと感じ始め・・・

 

ポジティブ・サイド

どこまでも無慈悲に広がる乾いた大地が、よそ者を拒むかのように画面を支配する。主人公のアーロンも全く歓迎されない。アメリカの警察映画などで、FBIが片田舎の地元警察や地元住民に相手にされないのと同じような展開で、それ自体は珍しくもなんともない。本作はそこに、アーロン達の身に起きた過去のある事件を効果的に織り交ぜてくる。これによって、中央と田舎の対立以上の火種が事件そして町に潜んでいることが浮き彫りになってくる。

 

アーロン自身の捜査によって少しずつルークの事件の情報の断片が手に入ってくるが、それと並行するようにアーロン自身の過去の回想シーンが挿入される。なぜアーロンはこれほど町で歓迎されないのか。逆になにがアーロン自身をこれほど捜査に駆り立てるのか。そのあたりの事情が徐々に明らかになるペースが絶妙である。「なるほど」と「それは何だ?」と感じさせる塩梅がちょうどよい。脚本および編集の妙味だなと感じる。

 

怪しげな人間やきな臭い人間関係が浮かび上がっては消えていく。まるで町そのものが大きな闇を抱え込んでいるかのように、アーロンの捜査はいいところまで行くたびに袋小路に入ってしまう。しかし終盤に思いがけない形で真相に迫るヒントが浮上、物語は一気に最終盤へ。コロナ大流行前の世界のニュースといえば、オーストラリアの超大規模森林火災だったことを覚えている人も多いだろう。そうした大災害の予感を感じさせるクライマックスは、それまで散々干ばつに悩まされてきた土地および住民の描写のおかげで、より迫力を増していると感じた。

 

ミステリ風味たっぷりのサスペンス、サスペンス風味たっぷりのミステリとも言える。こうしたジャンルを好む向きなら、本作を鑑賞しない手はない。

 

ネガティブ・サイド

序盤の展開にもう少しテンポの良さが欲しい。少し眠気を誘われてしまった。

 

ティーンエイジャーのアーロンと現在のアーロンがまったく似ていない。なんかもう顔も体も骨格レベルで別人である。もう少し顔かたちが似た若い俳優はいなかったのか。

 

ネタバレを避けるため詳しくは書けないが、過去の事件の真相と現在の事件の繋がり方(と言っていいのかどうか・・・)には拍子抜けである。現在の事件の真犯人が最後に自暴自棄になってやろうとしたことは「まじでそれはヤバい」感があったが、犯行の理由はあまりにもありきたり。もっと衝撃的な真相が欲しかった。

 

総評

サスペンスは最後まで持続するが、ミステリ部分のカタルシスが最後はとても弱い。ただし、ちょっぴり残念な真相に至るまでの展開は very mysterious and suspensful 。様々な人間関係や人間模様は徐々にあらわになる中盤の展開は間違いなく一級品。警察ジャンルが好きな人ならきっと楽しめるはず。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

second nature

「第二の性分・習性」の意。しばしば become second nature という形で使う。

Practice this move until it becomes second nature to you.
この動きが自然にできるようになるまで練習しなさい。

スポーツ、あるいは演奏や美術品・工芸品作成の指導時に使うことが多そうな表現である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, エリック・バナ, オーストラリア, サスペンス, ミステリ, 監督:ロバート・コノリー, 配給会社:イオンエンターテイメントLeave a Comment on 『 渇きと偽り 』 -乾いた大地の人間関係-

『 よだかの片想い 』 -大人版『花束みたいな恋をした』-

Posted on 2022年9月24日 by cool-jupiter

よだかの片想い 75点
2022年9月23日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:松井玲奈 中島歩
監督:安川有果

テアトル梅田に別れを告げるべく、チケットを購入。かなり多くの来場者があり、多くの人が名残惜しんでいる感じがした。

 

あらすじ

左ほほに大きなあざを持つアイコ(松井玲奈)は大学院で研究ひと筋の毎日を送っていた。ある日、彼女への取材に基づいた『 顔が私に教えてくれたこと 』という書籍に映画化の話が持ち上がる。監督予定の飛坂(中島歩)と触れ合ううちに、アイコは次第に飛坂に惹かれていくが・・・

ポジティブ・サイド

『 花束みたいな恋をした 』は若者の情熱に身を任せるような恋とその終わりの物語だったが、本作はそれの大人版である。島本理生の小説が原作ということだが、『 RED 』や『 ナラタージュ 』のような官能的な面が強いストーリーではない。しかし、主人公が何かから解放されるストーリーであるという点では共通していると感じた。

 

映画で顔にコンプレックスを抱く女性というと『 累 かさね 』が思い出される。顔の美醜で人間の価値が決まるとは思いたくないが、ルッキズムが存在すること自体は事実。自分の顔面に悩んだり、あるいはすれ違うだけの他人の顔を採点したことのない人などいないだろう。

 

本作は、しかし、アイコという主人公に単純なコンプレックスを付与しなかった。アイコは小学校の授業中に顔のあざを「琵琶湖そっくり」とクラスメイト達に揶揄されるが、そこで自分が注目を集めたことを密かに喜んでいた。アイコが傷ついたのは「お前たち、なんて酷いこを言うんだ!」と怒った教師が原因だった。これはかなり意表を突く設定だ。顔にあざがあって可哀そう、という話ではないのだ。だからといって、アイコがまったくあざに囚われることなく生きているわけでもない。そのあたりの塩梅が素晴らしく、松井玲奈がアイコというキャラクターを正に血肉化していた。

 

アイコの love interest である飛坂を演じた中島歩は『 愛なのに 』の浮気男役が印象的だったが、今作でもその真逆の真摯な男。しかし、彼の本命は実は・・・という複雑な役を好演していた。初対面のアイコに対して、映画監督の透徹した眼力でアイコの生き様を見通すシーンには震えた。飛坂の不器用に見える生き方がアイコのそれと通底するものがあり、互いに惹かれ合っていく過程にも説得力があった。

 

この二人の間に割って入る存在が早い段階で示唆されていて、しかも実はその存在も・・・という展開には意表を突かれた。なるほどねえ。確かに飛坂はそういうキャラだよなあ、と納得した。アイコのかなり遅めの初恋とそれに浮かれる気持ち、そして不安になる気持ち、飛坂の恋愛に関する優先順位のつけ方というか、価値観・哲学といったものが徐々にすれ違う展開も生々しい。

 

本作は映画というよりも芝居のようで、映像や音楽、音響の面で見せ場を作ることがほとんどない。カメラワークと役者同士の演技合戦で場面が進んでいく。それが非常に心地よい。ドラマチックな要素は削ぎ落すことで、逆に人間ドラマを際立たせている。安川監督とJovianは波長が合っていると感じた。

 

いつかアイコにとってこの恋は『 ちょっと思い出しただけ 』になるのだろう。そう予感させるような、ある意味で非常に清々しい幕切れだった。

ネガティブ・サイド

序盤にこれ見よがしに、大人と子どもでアイコに対する見方が違うというシーンを挿入するが、これは必要だっただろうか?

 

大学院の後輩が良い奴すぎ。上映時間を2分増やして、ここでサブプロットを一つ追求しても良かったのにと感じる。

 

終盤の展開が唐突すぎる。大学院の先輩に3分、飛坂に5分を費やして、上記の後輩との描写2分を加えて、上映時間を10分プラスできたはず。それで110分、ちょうどよい長さになる。

総評

大学院の教授の「人間は変わることはできるけれど、違う人間にはなれない」という言葉が刺さる。あざがあっても、あざがなくても、自分は自分。『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』は自分から逃避する物語だったが、今作は自分に回帰していく物語。ラストシーンの美しさという点では今年の邦画ではピカイチ。ミニシアターでしか上映されていないが、だからこそ多くの人に観てほしい作品に仕上がっている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

bruise

「あざ」の意。I got a big bruise on my forearm. = 前腕のところに大きなあざができちゃった、のように使う。bruise like a peach = 桃のようにあざができる = ひどく傷つきやすい、というイディオムもある。これは身体的にも精神的にも使える表現。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ラブロマンス, 中島歩, 日本, 松井玲奈, 監督:安川有果, 配給会社:ラビットハウスLeave a Comment on 『 よだかの片想い 』 -大人版『花束みたいな恋をした』-

『 岸和田少年愚連隊 岸和田少年野球団 』 -Take me out to the ballgame-

Posted on 2022年9月19日 by cool-jupiter

岸和田少年愚連隊 岸和田少年野球団 70点
2022年9月19日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:遠藤章造 長田融季 小野浩史 辻󠄀本賢人
監督:渡辺武

『 岸和田少年愚連隊 望郷 』と主要キャストは同じ。しかし、今度は野球。それもそれで一つの青春の形か。

 

あらすじ

ガス(遠藤章造)は新聞記事で、かつて一緒に野球をした友人・隆二(辻󠄀本賢人)が飛行機事故で死亡したことを知る。ガスは少年時代にやっていた野球を思い出し、思い出の品である青いグローブを手に、隆二と過ごした日々を回想する・・・

 

ポジティブ・サイド

前作で竹中直人演じる親父が出ていったところから始まっている。世界観を共有する作品というものは良いものである。

 

今回の主役はガス。リイチでもユウジでも小鉄でもなく、ガスが主人公。少年時代を演じる小野浩史のガスの再現度が素晴らしく高く、まさに岸和田のガキンチョという感じである。野球が下手くそな演技も堂に入っているし、ケンカのシーンの迫力もある。これはなかなか良かった。前作は『 岸和田少年愚連隊 』や『 岸和田少年愚連隊 血煙り純情篇 』では中学生あるいはそれ以後を大人の芸人が演じていて、それゆえに極端なケンカのシーンも演じることができた。『 望郷 』はそのあたりの描写が竹中直人以外は弱く、子ども同士のケンカ描写はなし。気付けばリイチの顔面に傷ができているばかりだった。

 

本作のケンカの見せ場は大きく二つ。一つはガスが隆二のグローブを盗んだサダ軍団の一員を叩きのめすシーン。もう一つは、試合中の大乱闘。子ども同士のケンカを俯瞰の映像で捉えたりすると、小競り合いにすらなっていないものも多い。本作はそこをかなり踏み込んで、本当に1970年当時の岸和田の悪ガキどものケンカの光景にリアリティを与えている。

 

今の若い世代には意味不明かもしれないが、カズ山本が小学生役で出てきているのは何度見ても笑ってしまう。近鉄戦士だというところが大阪人にとってはたまらないだろうし、また一つの大きなノスタルジーを感じるポイントにもなっている。

 

また隆二=辻󠄀本賢人で、若い世代はこれまた知らないだろうが、15歳にして阪神タイガースに入団した期待の星だった。当時は結構騒がれていた、少なくとも阪神ファンの間では。Jovianは星野仙一の阪神監督就任でファンを解脱して、ロッテファンになったのだ、もしも辻󠄀本が現在の佐々木朗希のようにロッテに入団していれば、そして吉井理人のような理論派のコーチと出会えていれば・・・と、一瞬だけ想像してしまった。栴檀は双葉より芳し。こんな小さな体で、それなりの球が投げられていたのだから、阪神球団はしっかりと育て上げるべきだった。

 

アホな大人に翻弄される子どもたちの物語だが、そのメッセージは「変わらないでいることが嬉しいこともある」ということ。岸和田少年愚連隊は、作品によって人物やエピソードは違えど、色褪せることのないアホな青春の思い出の物語。ほっぺたに強烈ビンタを食らわされた女子と、何故か付き合っていたりする。フィクションだけれどもリアル。今でも昭和のままな街区が残る尼崎市民は、本シリーズがとても愛おしい。

 

ネガティブ・サイド

さすがに子どもを使っての賭博はないわ。作品自体の瑕疵というより、これを観る自分の視点が大人になってしまったんやろうね。維新のIR構想も気に入らんし。『 岸和田少年愚連隊 』の卒業式で塩見三省がチュンバたちを次から次に張り倒していったのは、教育者としての複雑な思いの表れとしてある程度は共感できたが、子どもを使って大人が金儲けするのはアカンわ。

 

安西ひろこのエセ関西弁も耳障り。鈴木紗理奈みたいなコテコテの大阪人をキャスティングせんかいな。

 

エアガン使うジジイもなあ・・・子どもが拳あるいはバットで戦ってるのに、大人が銃器とは・・・ 悪魔のコスプレもくだらなかった。

 

総評

野球映画は結構たくさん作られてきたが、これはその中でも異色の作品。非常に淡い男の友情が心地よい。小学生や中学生の頃は、友達と過ごす時間が本当にかけがえのないものだった。そのことを思い出させてくれる。変わらないでいてくれることが嬉しい。そう言ってくれる、あるいはそう伝えられる友人が自分には何人いるだろうか。自分は誰かの中で美しい思い出になれているのだろうか。そんなノスタルジックな気持ちにさせてくれる作品だ。

 

Jovian先生のワンポイントラテン語レッスン

Mens sana in corpore sano

(古典ラテン語なら)メーンス・サーナー・イン・コㇽポレ・サーノーと読む。mens = mind、sana = sane または sound、in の後ろの corpore は奪格なので、この in はそのまま英語でも in = 中に、の意。sano は corpora が中性なので、それに合わせて中性・奪格になっている。全体の意味は A healty mind in a healthy body である。健全な肉体に健全な精神が宿れかし、というのが定番の日本語訳。mens = mind から「dementia って、だから認知症なのか?」と思えた人は、英語学習の上級者である。 

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2000年代, B Rank, 小野浩史, 日本, 監督:渡辺武, 辻󠄀本賢人, 遠藤章造, 配給会社:ドラゴン・フィルム=セディックインターナショナル, 長田融季, 青春Leave a Comment on 『 岸和田少年愚連隊 岸和田少年野球団 』 -Take me out to the ballgame-

『 岸和田少年愚連隊 望郷 』 -1969年の日本の片隅-

Posted on 2022年9月18日 by cool-jupiter

岸和田少年愚連隊 望郷 70点
2022年9月16日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:長田融季 竹中直人 烏丸せつこ 高岡早紀 
監督:三池崇史

これもノスタルジーに駆られて再鑑賞。しかし、現代の目で見ると、相当に違和感を覚える描写が多数。時代が確実に移り変わっている。

 

あらすじ

岸和田の少年、リイチ(長田融季)の名前の由来は麻雀のリーチ。粗野で豪放な父・俊夫(竹中直人)がつけたもの。立派な悪童に育ったリイチだが、ある時、父がストリッパーを家に連れて帰ってきてしまい、愛想を尽かした母は家を出てしまう。寄る辺ないリイチは担任の伊藤先生(高岡早紀)のもとを訪ねるが・・・

 

ポジティブ・サイド

今回のリイチは小学生。長田融季が悪童の雰囲気をしっかり醸し出している。第二次性徴期前の少年と男の境目という、この時にしか撮れない作品が撮れたという印象。父に歯向かいたくても歯向かえない。母に甘えたくても甘えられない。そうした難しい年頃の男子を、まさに難しい年頃の男子が演じただけではない。本人の役の理解や監督の演出もあって、岸和田少年リイチとして説得力のあるキャラクター像を打ち出せていた。

 

竹中直人が粗暴で下品な父親役を好演した。関東人のはずなのに、ネイティブ南大阪人と見紛う芝居で、役への没入感が素晴らしかった。このダメ親父自身が、自分の父親、リイチの祖父と絶妙な距離感を保っていて、時を経るごとに変化する父と息子の関係と時を経ても変化しない父と息子の関係を、時にシリアスに、時にユーモラスに見せる。これは脚本と演出の勝利だろう。

 

いつものリョーコに当たる人物が、今回は小学校の担任。それを高岡早紀(若い!)が魅力たっぷりに演じる。この恋とも憧れとも微妙に違う、名状しがたい感情を先生に対して抱く。これも小学生男子あるあるだろう。

 

『 岸和田少年愚連隊 』シリーズは、一つの時代のごく狭い地域に焦点を当てた物語だが、随所に普遍的な要素が挿入されているのが面白い。20世紀半ばの岸和田という狭すぎる範囲の物語にノスタルジーを感じるのは、そこに誰もが共感できる普遍性が認められるからだ。

 

ライバルのサダとの闘いや、友情、思春期、いびつながらも丸く収まり、そしてまた壊れていくことを予感させる家族など、ハチャメチャながらどこか胸を打つ物語。クライマックスではエンニオ・モリコーネを彷彿させるBGMで、時代を際立たせながらも、闘う男の生き様という普遍性を浮かび上がらせた。まさに若き三池崇史の面目躍如の一作。

 

ネガティブ・サイド

ピアノ線が見えてしまうシーンがあるのはVHSではなくDVDだから?いや、画質は関係ないか。映画でいちばん映ってはいけないのはカメラマンだが、その次に映ってはいけないのは、特殊効果や特殊技術。この「部屋からガッシャーン」のシーンは大幅減点である。

 

リイチとサダたちの最後のケンカを真正面から映し出すのは難しかったか。子どもがどつき合う描写は challenging だろうが、だからこそ挑んでほしかった。

 

万博でなんとなく大団円に持っていくのはチープに感じた。これはJovianが維新嫌いだからという私情も入っているか。

 

総評

小学生であってもリイチはリイチ。竹中直人が父親役として大暴れするが、本作で初めてリイチは(文学的な意味での)父親殺しを経験し、同時に和解もする。言葉そのままの意味で「岸和田少年」の物語である。前二作を気に入ったという人は、本作もぜひ鑑賞すべし。リイチというキャラを別角度から見ても、やはりリイチはリイチなのだ。それを確認できるだけで本作は収穫である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

leave home

家出する、の意。home の前に a や the は不要である。父ちゃんも母ちゃんもリイチも、とにかく本作では皆が家出する。変な家族であるが、それもそれで一つの家族像だ。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 1990年代, B Rank, 日本, 烏丸せつこ, 監督:三池崇史, 竹中直人, 配給会社:松竹, 長田融季, 青春, 高岡早紀Leave a Comment on 『 岸和田少年愚連隊 望郷 』 -1969年の日本の片隅-

『 岸和田少年愚連隊 血煙り純情篇 』 -走ってるんじゃない、止まれないんだ-

Posted on 2022年9月9日 by cool-jupiter

岸和田少年愚連隊 血煙り純情篇 70点
2022年9月7日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:千原浩史 千原せいじ 鈴木紗理奈 北村一輝
監督:三池崇史

大学の後期開講前という超繁忙期のため簡易レビュー。

 

あらすじ

リイチ(千原浩史)は中学を卒業。岸和田の街でテキヤをして生計を立てていた。しかし、恋人のリョーコ(鈴木紗理奈)と別れ、別の女と付き合い始めたことで、リイチは徐々に自分らしさを失い始めて・・・

 

ポジティブ・サイド

ストーリーは『 岸和田少年愚連隊 』の方が面白いと感じるが、リイチとリョーコというキャラクターの掘り下げに関しては本作の方が上回っている。少々ポップな路線を追うようになってしまう前の三池崇史作品ゆえに、暴力的な描写には結構な迫力がある。

 

千原ジュニアとせいじの二人が岸和田の悪ガキを好演。恋人を捨てて別の女に走る男と、親友の恋人の友達と恋仲になる男という対比が面白い。岸和田少年愚連隊というのは、青春をひとつのテーマにしているが、青春から抜け出せない男と、青春を青春として卒業していく女のコントラストも鮮やかだ。

 

リョーコはやっぱり関西人が演じた方がいい。その意味では鈴木紗理奈は適役。この時点で映画は半分成功したようなもの。

 

関西人キャストでコテコテの関西映画を観るのは、ストレス解消にちょうどいい。ちょっとバイオレンスが過ぎるケンカのシーンと、ショッキングな終盤の展開を除けば、以外に本作の間口は広い。2000年以降生まれの若い世代にも観てほしい。

 

ネガティブ・サイド

フラメンコダンスのシーンは不用。

 

リイチとリョーコの再会のために、重要キャラに退場願うというプロットはちょっと頂けない。前作同様に警察にパクられて・・・は、それはそれで二番煎じか。

 

総評

Jovian妻は大阪の南部出身だが、岸和田駅が高架になる前、つまり本作が映し出す岸和田駅前のような南海沿線の街並みを懐かしく思い出したらしい(ちなみに妻の高校は『 セトウツミ 』の高校)。大阪人なら必見・・・とまでは言わないが、是非見てほしい作品。移ろいゆく人の心と、だんじり祭りに象徴される変わらない岸和田のコントラストを味わってほしい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Don’t be.

Sorry と言われて、誤る必要はないのにと感じたら、Don’t be. と返そう。Don’t be sorry. の略である。ちなみに劇中でリョーコが言う「謝ったらアカン」というのは、Don’t say that. もしくは You can’t say that. だろうと思う。ニュアンスが全然違うので注意のこと。

 

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Posted in 未分類Tagged 2020年代, B Rank, 北村一輝, 千原せいじ, 千原浩史, 日本, 監督:三池崇史, 配給会社:シネマ・ドゥ・シネマ, 鈴木紗理奈, 青春Leave a Comment on 『 岸和田少年愚連隊 血煙り純情篇 』 -走ってるんじゃない、止まれないんだ-

『 岸和田少年愚連隊 』 -良い子は真似をしないように-

Posted on 2022年9月4日 by cool-jupiter

岸和田少年愚連隊 70点
2022年9月1日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:矢部浩之 岡村隆史 大河内奈々子 秋野暢子
監督:井筒和幸

『 トップガン マーヴェリック 』が “Bang a Gong (Get It on)” が聞こえてきたことで、タイムスリップした気分になった人は多かったはず。そういえば、この曲が印象的に使われている邦画があったなと思い出し、TSUTAYAで本作を借りてきた。 

 

あらすじ

チュンバ(矢部浩之)と小鉄(岡村隆史)は悪ガキ中学生。仲間たちと一緒に岸和田の町で他校の不良とのケンカに明け暮れる毎日を送っていた。ある時、宿敵サダに小鉄が襲撃され、チュンバも焼きを入れられてしまう。しかし、懲りない二人はサダへの復讐に乗り出して・・・

 

ポジティブ・サイド

最初はVHSで観たと記憶している。1970年代の岸和田のことは知らないが、1980年代の尼崎は覚えているJovianからすれば、実にリアリティに溢れる作品である。

 

漫画および映画『 少年時代 』でも生々しく描かれたように、一世代や二世代前の日本は暴力に溢れていた。それをシリアスに描くのか、それともユーモラスに描くのか。後者が許されてしまうのは、大阪の、特に岸和田という独特なコスモロジーが働く地域を描き出したからこそだろう。

 

下手をしたら死ぬぐらいのバイオレンスを振るっているのに、矢部と岡村のお笑い芸人ふたりが主演を張ることでそれが不思議と中和されている。殴っては殴り返され、殴り返されたら、さらに殴り返すという、単純明快なプロットで進んでいくのが心地よい。拳での殴り合いから、石ころ、野球のバットから植木鉢まで、生活感ありありのケンカである。よく死なないなと感心するやら呆れるやら。

 

おかん役の秋野暢子と、恋人役の大河内奈々子演じるリョーコが、それぞれチュンバと絶妙な距離感で接している。少年から男になる。しかし、三つ子の魂百まで。ケンカに明け暮れた日々、仲間との鮮烈な青春の思い出は消せない。アホとしか言えない男どものアホとしか言えない生き様を見て笑うしかないが、命を文字通りに燃やすような日々を送ったことがない普通の人間は、そこにちょっぴり嫉妬してしまう。「そんなわけないやろ?」って?それがそうやねん。

 

ナイナイだけではなく、木下ほうかや宮迫博之など、現代ではアウトに近くなってしまった俳優や芸能人が出ていたり、塩見三省や大杉連などの北野武映画の常連、政治家になった山本太郎など、豪華キャストが脇を固めている。邦画ファンならびに南大阪人はぜひ鑑賞しよう。

 

ネガティブ・サイド

ストーリーの単調さが玉に瑕。他校の不良とのケンカだけでなく、悪友のガイラやサイとの淡い友情や、小鉄とチュンバの家族との絡みなども必要だった。特に小鉄とチュンバの仲たがいの直前の、「あんな家行って何すんねん」という台詞に説得力を持たせるために、小鉄がチュンバの家にいるシーンは一瞬だけでも映すべきだったろう。

 

塩見三省演じる中学教師の熱量と高校の先生の無機質さの対比も欲しかった。韓国映画の描く父親像ほどではないが、チュンバや小鉄の屈折した青春の影響は第一に岸和田の街と時代の空気、第二に家族、特に父親との関係が大いに暗示されている。カオルちゃんなど、年長の男性たちの青少年に与える影響にもう少しフォーカスがあってしかるべきだったと感じる。

 

総評

時代の一側面を(どれぐらい正確であるかはさておき)鮮やかに活写した作品である。元大阪府警で生活安全課に長く務めたJovian義父に、1970年代の大阪、特に南部の風俗習慣について尋ねてみたい。そう思わせるパワフルな作品。令和の若者が本作を観ても意味がサッパリ分からないだろうが、燃えるような青春の熱さだけでも伝われば、本作は十分に時代を超えた役割を果たすのだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

go one’s separate ways

別々の道を行く、の意。チュンバが小鉄に言う「なんや、こっからは別々かい」を私訳するなら、Are we going our separate ways from here? となるだろうか。芸能人カップルなどが離婚するときに「これからは別々の道を歩むことになりました」と聞いたら、They will go their separate ways. と脳内英作文をしてみよう。 

 

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Posted in 未分類Tagged 1990年代, B Rank, 大河内奈々子, 岡村隆史, 日本, 監督:井筒和幸, 矢部浩之, 秋野暢子, 配給会社:松竹, 配給会社:松竹富士, 青春Leave a Comment on 『 岸和田少年愚連隊 』 -良い子は真似をしないように-

『 NOPE / ノープ 』 -ジョーダン・ピール世界へようこそ-

Posted on 2022年8月28日 by cool-jupiter

NOPE  / ノープ 70点
2022年8月27日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ダニエル・カルーヤ キキ・パーマー スティーブン・ユアン ブランドン・ペレア
監督:ジョーダン・ピール

Jovianは矢追純一世代だったので、UFOには一時期かなりハマっていた。そのUFOをジョーダン・ピールが料理するというのだから、観ないわけにはいかない。

 

あらすじ

馬の飼育と調教を生業にするヘイウッド家の父が、謎の死を遂げる。長男OJ(ダニエル・カルーヤ)は、父の死と空に一瞬見えた謎の飛行物体が関連していると確信。妹のエム(キキ・パーマー)と共に、謎の物体をカメラに収めようと考えるが・・・

ポジティブ・サイド

予告や内容紹介の段階では、M・ナイト・シャマランの『 サイン 』のようなストーリーなのかと思った人は多くいそう。実際に似ているところもあったし、そうでないところもあった。いずれにせよ確実なのは、ジョーダン・ピールがまたしても非常にオリジナル作品を送り出してくれたことだ。

 

オープニングのTVショーはまったくもって意味不明。また映画の各段階で馬の名前が画面に大々的に表示される。これもこの段階では意図が見えない。しかし、後々これらが本作のテーマとダイレクトにつながっていることが分かる。

 

ハリウッドのはずれのはずれにある広大な馬の飼育場、その上空の雲の中に得体の知れない存在がいる。そして、それはどうやら人や馬を襲う。この正体不明の存在との闘争・・・ではなく、とにかくこいつを写真や映像にしてビッグになってやろう、というところが現代風で面白い。また、その奇妙なモチベーションに対しても、歴史的な説明が付け加えられているのが興味深い。

 

主人公OJを演じるダニエル・カルーヤは、『 ゲット・アウト 』とはガラリと異なる寡黙な男。しかし馬および野生動物に対する造詣が深く、そのことが物語上で大きな意味を持っている。また馬の調教師であるというバックグラウンドに対しても、歴史的な説明が付け加えられているのは興味深い。映画産業の初期の初期から現代に至るまで、我々は物語(往々にしてそれは事件)をカメラという媒体で撮られ、スクリーンという媒体に映写されるものだと思ってきた。しかし、本当の事件が自分の身にリアルに起きた時、人はどう対応するのか。これが本作の裏テーマなのではないかと思う。

 

徐々に正体を現すUFOと、それをカメラに収めようとするOJとMの兄妹や、奇妙な協力者エンジェル、自身の経験が裏目に出て被害に遭ってしまうジュープなど、それぞれの登場人物が物語に意味と味わいを与えている。個人的に最も印象に残るのは、後半に登場する老カメラマン。常にPCモニターで「あるもの」を見ているのだが、本作ではそれは痛烈な皮肉に見えてくる。UFOで始まり、ハリウッドの新たな神話の誕生で終わる。何を言っているのか分からない?だったら劇場で観るべし。

以下、マイナーなネタバレあり

 

ネガティブ・サイド

序盤から中盤にかけての展開がスリリングだったのに対して、終盤にかけての展開は少しテンポが落ちたと感じる。「あれは何だ?」、「もっとちゃんと見せろ」という中盤までのテンションが、後半にまで持ち越されていない。謎の存在をカメラに収めるというミッションに、途中で別キャラが入り込んでくるからだろう。もしも牧場の倉庫に主導のフィルムカメラが眠っていて「ひいひいひいお爺ちゃん、ありがとう!」という展開であれば、また異なる印象を受けたと思う。

 

これはトレーラーの罪なのだろうが、Mがしきりに “Don’t look, don’t look.” と言いながら歩くシーンは盛大なネタバレだった。

 

UFOが『 ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒 』的な変形を見せるのはちょっといただけない。もっと無機質なままで良かったのにと思う。写真に収めるべきは馬に乗ったOJであるべきだったと思う。

 

総評

『 ゲット・アウト 』のような意表を突いたSF的な要素もありながら、常に社会批判も盛り込んでくるのがジョーダン・ピール流。今作でも伝統的な映画業界やパパラッチ、YouTuber を皮肉る一方で、エンターテイメントとしての面白さもしっかり追求できている。ジャンルとしてはSF+ホラーになるのだろうが、このホラー映画は観る人を選ばない。ある意味で、『 ゲット・アウト 』や『 アス 』よりも、本作の方がジョーダン・ピール世界への入門編としては適しているかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Nope

No のくだけた言い方。No をクイックに歯切れよく発音すると、語尾に p の音がついてくる。同じことは Yes にも言える。これをインフォーマルに言うと Yep となる。いずれの表現もかなりカジュアルな表現なので、ビジネスの場では使わないようにしたい。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, B Rank, SF, アメリカ, キキ・パーマー, スティーブン・ユアン, ダニエル・カルーヤ, ブランドン・ペレア, ホラー, 監督:ジョーダン・ピール, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 NOPE / ノープ 』 -ジョーダン・ピール世界へようこそ-

『 マインド・ゲーム 』 -This Story Has Never Ended-

Posted on 2022年8月24日2022年8月24日 by cool-jupiter

マインド・ゲーム 75点
2022年8月22日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:今田耕司 前田沙耶香 藤井隆
監督:湯浅政明

『 犬王 』以来、ずっと観たいと思っていた本作を、ついに借りることができた。脳が溶けるような映像&物語体験であった。

 

あらすじ

幼なじみにして初恋の相手みょんちゃん(前田沙耶香)に再会した西(今田耕司)は、みょんちゃんの父親の借金の取り立てにきたヤクザに射殺されてしまう。あの世で神に出会った西は、神の言いつけに逆らって、現世に舞い戻るが・・・

 

ポジティブ・サイド

今田耕司の声だけで笑ってしまうが、物語自体も極めてクレイジーとしか言えない。幼馴染にして初恋の相手、中学の時には両想いになれたのに真剣交際に発展せず。あれよあれよという間にみょんは別の男と付き合い始め、cherry pop ・・・ 哀れ、西は漫画家を目指す。

 

20歳にして偶然にみょんと再会する西だが、みょんにはやはり他に男が。しかも婚約者。もうこの時点でヘタレの西に感情移入するしかない。さらにみょんの実家での西の妄想というか、手前勝手な思考回路はまるで『 君が君で君だ 』の尾崎豊(偽物)を思い起こさせる。Jovianはここで西に同化してしまった。自分でも同化している・・・ではなく、どうかしていると思うが、この西の物語を見届けたい、見届けなければならないという気分にさせられた。

 

ビックリするのは、その次の瞬間にあっさりと西が死んでしまうこと。正確には殺されるわけだが、まず殺される直前の緊迫した空気に戦慄させられる一方で、西の殺され方には不謹慎にも笑ってしまう。このテンションのジェットコースター的な上がり下がりが、物語の全編を通じて続いていく。

 

ストーリーは荒唐無稽もいいところだが、これらは全て西の人生観や世界観のメタファーだ。クジラはどう見ても西の胎内回帰願望だろう。母の子宮内で胎児でいることほどストレスフリーな生き方はない。騒音もなく、常にぬるま湯の中。呼吸をする必要もなく、食事を自分で用意する必要もない。しかし、そんな安楽な環境にいつまでもいられるはずはない。人は常に生み出されなければならない。西にもその時が来る。

 

本作のメッセージは、あまりにもストレートだ。死んだ気になれば、いつでも生まれかれるということだ。絵柄も独特、ストーリーも独特、キャラも独特。何もかもが既存のアニメや既存の映画という枠に囚われない、非常に自由な湯浅政明色の演出に染められている。さあ、脳が溶けてしまうようなトリッピーな映像世界を味わおうではないか。

 

ネガティブ・サイド

西とみょんちゃんのセックスシーンは、もっと婉曲的に描けなかったのだろうか。二人の身体が重なり合うところをもっと抽象的に描く方法はあったはず。機関車=ピストン運動のような非常に直接的かつ間接的案、もっと記号的な形で西とみょんのまぐわいを描く方法を湯浅監督には模索してほしかった。

 

ところどころでキャラクターが実写化されるのはノイズに感じた。島木譲二がヤクザの親分とか、笑えるのは笑えるが、それは面白いから笑っているのではなく、「しゃーないな」と思って笑っているのである。

 

総評

なんというか、『 トップガン マーヴェリック 』を鑑賞し続けているせいか、本作を観て “Don’t think. Just do.” という言葉が思い出された。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

kick one’s ass

「しばく」の意。標準語にするなら「ぶん殴る」か。俗説だが、アメリカ人はストリートファイトであっても蹴ることはあまりない。蹴るのは卑怯で、闘うなら拳だろうと思われているらしい。なんにせよ、kick one’s ass を能動態で日常会話で使うことはあまりないはず。実際は I got my ass kicked. = ぼろ負けした、のように受け身で使うことが多いだろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2000年代, B Rank, アニメ, コメディ, ファンタジー, 今田耕司, 前田沙耶香, 日本, 監督:湯浅政明, 藤井隆, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on 『 マインド・ゲーム 』 -This Story Has Never Ended-

『 フェイク 我は神なり 』 -信じる者は救われる?-

Posted on 2022年8月21日 by cool-jupiter

フェイク 我は神なり 70点
2022年8月19日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ヤン・イクチュン
監督:ヨン・サンホ

待てど暮らせど返却されない『 マインド・ゲーム 』。しゃーないので、前々から気になっていた本作をセレクト。

 

あらすじ

韓国の田舎の村。ダム建設のために近く水没する予定のこの村に、ミンチョル(ヤン・イクチュン)が帰ってきた。村では若いソン牧師が村人から崇敬を集めていた。しかし、その傍らには村人から補償金を巻き上げようとする詐欺師ギョンソクの姿があり・・・

 

ポジティブ・サイド

アニメではあるが、韓国映画の容赦ないテイストがこれでもかと詰め込まれている。『 はちどり 』の父親よりも暴力的なミンチョル。それを『 息もできない 』のヤン・イクチュンがけれんみタップリに演じるのだから笑おうにも笑えない。いや、笑ってしまうようなストーリーではないのだが、韓国の伝統的な父親像を体現するダメ親父が、確立された宗教的権威に挑むというのだから、普通は笑ってしまうだろう。しかし、この無茶なプロットを成立させるのも韓国映画の剛腕っぷりと言えようか。

 

能弁家のギョンソクと若い牧師のソンが立ち退き料を受け取った村人に、あの手この手で浄財をさせようという序盤が目を引く。「こんな馬鹿な手口に引っかかるとは、さすが韓国の田舎者」と感じたら、それだけで負けである。日本でも毎年のように数億円規模の詐欺集団が検挙されているが、逆に言えば野放しの詐欺集団もたくさんいるということである。個人を悪く言うものではないが、2021年に死去した細木数子などはギョンソクと同種の人間だろう。彼女がテレビで「地獄に落ちるぞ」と言うたびに、ああ、室町時代の坊主はこんな感じで庶民を食い物にしてたんやろなあ、と思っていたものである。

 

閑話休題。本作は、ろくでなしが語る真実と聖人君子がもたらすまやかしのどちらを信じるのかを我々に問いかけてくる。『 沈黙 サイレンス 』そのままに、神は黙して語らない。だからこそ、その代弁者としてのソン牧師や、そのスポークスマンであるギョンソクの言葉に村人は耳を傾ける。このあたりのイライラ感と、他人に対して粗野にしか振る舞えないミンチョルのイライラ感が合わさって、観ていて非常にストレスが溜まる。警察もとことん無能で、こいつら仕事する気あんのかいな?とイライラさせられる。このイライラが最高潮に達する時、すべてが破滅に向かって動き出す。この救いの無さは『 ソウル・ステーション パンデミック 』でも明らかだったヨン・サンホ監督の持ち味か。何を信じるのかではなく、信じるという営為そのものが持つ危うさが本作の肝である。

 

ネガティブ・サイド

アニメではなく実写でやるべきテーマ、かつストーリーだろう。ミンチョルのような粗野で暴力的な中年を演じられる俳優も、韓国にはいくらでも存在するだろう。『 息もできない 』のヤン・イクチュンが、そのまま本作のミンチョルを演じるところを是非とも見たかった。

 

これは一種のネタバレだが、字幕に問題ありである。おそらく翻訳者は気を利かせて、ある簡単な韓国語を別の言い方に訳してしまっているが、これによって終盤のあるシーンの驚きが減じてしまうことにつながっている。小さな親切が余計なお世話になることもある。

 

総評

日本の代議士、特に政権与党が旧統一教会(&創価学会)に汚染されまくっていて、なおかつ「知らなかった、今後は気を付ける」で済ませようとする国会議員の多さ、その神経の図太さには呆れるばかりである。そんな状況なものだから「旧統一教会によって救われた人もいる」という発言も大いにバッシングを浴びるわけだが、日本人はそもそも宗教とは何か、信仰とは何かを知らない。「日本人に哲学なし」とは中江兆民の言だが、これは「日本人に宗教なし」とも言い換えられるかもしれない。では宗教とは何か?その問いに対するひとつの答えが本作にはある。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

カ

Ka is go, Ke is stay. と昔、Korean American の非常勤講師に教わったことがある。さよなら=アンニョンヒ「カ」セヨは相手が去る時、アンニョンヒ「ケ」セヨは自分が去る(=相手が残る)時だ、と。本作では「カ」の一言で「帰れ」のように使っていた。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アニメ, サスペンス, ヤン・イクチュン, 監督:ヨン・サンホ, 配給会社:ブロードウェイ, 韓国Leave a Comment on 『 フェイク 我は神なり 』 -信じる者は救われる?-

『 ねむれ思い子 空のしとねに 』 -シンギュラリティ後にありうる未来か-

Posted on 2022年8月20日 by cool-jupiter

ねむれ思い子 空のしとねに 70点
2022年8月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:福島央俐音 井上喜久子 田中敦子
監督:栗栖直也

『 マインド・ゲーム 』がまだレンタルされている。いつになったら返却されるのか。すぐ近くにあった本作を、ジャケット裏のあらすじも読まずタイトルだけでレンタルする。

 

あらすじ

赤ん坊が生まれたばかりの夫婦が交通事故に遭い、子どもの織音(福島央俐音)だけが生き残った。それから19年後、警察から追われる織音を、エージェントのユリ(田中敦子)が逃亡を幇助する。そのまま実験用宇宙ステーションへ連れて行かれた織音は、事故当時の姿のままの母・里美(井上喜久子)と再会する・・・

 

ポジティブ・サイド

栗栖直哉が独力で作り上げたということに舌を巻く。それができるだけのテクノロジーが一般に普及し、だからこそ本作の設定にリアリティが付与されている。

 

何が何やら分からないままに序盤は進んでいくが、宇宙ステーションで織音が母・里美と再会するシーンにまず驚かされる。のみならず、その里美の正体が明かされ、なぜ織音が宇宙ステーションまで呼び出されたのか、その理由の壮大さにも圧倒される。

 

死者の復活、死者との交信あるいは語らいというのは、映画や小説などのフィクションの世界では割とありきたりなテーマではある。本作はそうしたジャンルでは陳腐ですらある愛や恐怖といった要素に、さらに謀略やアクションといった要素も盛り込んできた。スケール大きいなあと感心してしまう。

 

ついついナレーションで色々と説明したくなってしまうところをグッとこらえて、物語そのものにキャラクターを描かせた。そしてキャラクターが動くことで、物語も進んでいった。いつかハリウッドあたりが実写映画化するかもしれないという期待を抱かせる。

 

ネガティブ・サイド

いくつかのシーンが非常に陳腐だったというか、『 GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 』や『 AKIRA 』といった先行作品のシーンや構図をそのまま持ってきたように見えたのはマイナス。

 

アニメーションは日本のお家芸だが、『 あした世界が終わるとしても 』のようなユラユラと動くアニメキャラというのは個人的に気味が悪い。絵柄については賛否両論あるようだが、そこは別に気にならない。むしろ不気味の谷を感じさせる絵柄で、本作のテーマにも合っている。問題は、不自然な動き。

 

総評

設定にリアリティがある。一昔前なら完全な純SF扱いだっただろうが、人間の脳の仕組み、特に意識や記憶を司る部位の働きなどがどんどん解明され、また人工知能や超大容量記憶装置などが夢物語ではなくなっている現代において、本作が提示する世界観そして人間観は非常に示唆に富む。描写に陳腐なところがあったり、どこかで見たような構図があったりするが、気にしては負けである。『 JUNK HEAD 』の堀貴秀のような奇才が、まだまだ日本にはいる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

freak

劇中で里美が「化け物」呼ばわりされるが、これは monster ではなく freak だろう。『 ダークナイト 』でもジョーカーがギャングの一人から Freak 呼ばわりされていたように、人間ではあるが通常の人間ではない者、しばしば嫌悪感を催させる者を freak と呼ぶ。綾辻行人の『 フリークス 』を読めば、この言葉の意味がより強く実感できるだろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, SF, ヒューマンドラマ, 井上喜久子, 日本, 田中敦子, 監督:栗栖直哉, 福島央俐音, 配給会社:インターフィルムLeave a Comment on 『 ねむれ思い子 空のしとねに 』 -シンギュラリティ後にありうる未来か-

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