Skip to content

英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

  • Contact
  • Privacy Policy
  • 自己紹介 / About me

タグ: A Rank

羊と鋼の森

Posted on 2018年6月10日2020年2月13日 by cool-jupiter

羊と鋼の森 85点

2018年6月9日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:山崎賢人 三浦友和 鈴木亮平 上白石萌音 上白石萌歌
監督:橋本光二郎

漫画、それも特に少女漫画の映画化に際しての御用達俳優としての地位を一頃確立してしまっていた山崎賢人が遂に殻を破った。間違いなく山崎のこれまでのキャリアにおけるベストである。そして2018年はまだ半分を消化していないにもかかわらず、Jovianは本作を年間最高の邦画として推したいと思う。

雪が降りしきる北海道の学校で、何とか食べていける職業につければと漠然と考える山崎賢人演じる外村直樹は三浦友和演じる調律師と出会い、その仕事振りに魂を揺さぶられるほどの衝撃を受け、同じ道を志すために東京の調律学校を2年かけて卒業し、地元の街の楽器店に就職する。そこで、鈴木亮平演じる先輩調律師やピアノに励む上白石姉妹らとの厳しくも美しい関係を通じて成長をしていく。

これだけだと典型的なビルドゥングスロマンなのだが、何よりも小説という文字媒体で音楽、そしてピアノの調律を描いていたものを、さらに映像化しようというのだ。眩暈がしそうな労苦だ。

マリー・シェーファーというカナダ人作曲家が提唱した「サウンドスケープ」という概念がある。音の風景、音風景、音景などと訳されることが多い。音という要素が景色として理解される瞬間というのは、誰もが一度は経験したことがあると思う。本作ではピアノの音をしばしば森の風景に翻訳する。それが主人公の外村のバックグラウンドに密接に関わっているからだ。音が人間の感覚に与える豊饒な影響については『すばらしき映画音楽たち』に詳しいので、興味を抱かれる向きは是非DVDなどで観賞を。本作はクライマックスの手前でジョン・ケージの”4分33秒”を彷彿させるシーンがあり、音楽方面に造詣が深い観客をも深く満足させる力を持っている。

それだけではなく、この映画はビジュアルストーリーテリングのお手本、教材にも成りうる作品であるとも評価できる。冒頭から、陰鬱とも言える暗いシーンが続く。それは語りのトーンの暗さではなく、視覚的な暗さでもある。その中でも、窓だけが一際明るく、その向こうに雪や新緑、光などのナチュラルな風景の広がりを感じさせ、外の世界とこちらの世界の接点としてのガジェットとして効果的に機能している。また登場人物の顔にも不自然、不必要とも言える照明が当たらず、服装も地味もしくは単色に抑えられ、否が応にもピアノの黒鍵と白鍵のコントラストを観る者に想起させる。それゆえに音の先に広がる豊饒な風景の色彩が一層の迫力と臨場感、説得力を以って我々に迫って来るのだ。

この映画はお仕事ムービーでもある。アニメ・ゴジラは世界の世界性を問いかけてきたが、ハイデガー哲学のもう一つの柱は道具である。道具的存在と道具の道具性。道具的連関。世界は道具でつながり、道具は素材から作られ、素材は自然から生まれる。劇中で外村が言う、「この道なら世界に出ていけると思う」という世界は、国際社会ではなく、生活世界、あるいはマルクスの言う【歴史】そのものだ。主人公の外村が自分に対しての自信の無さと、それは間違いであるということを厳しく優しく諭す鈴木亮平のキャラクター。仕事に自信を持ち始めた時、仕事に慣れ始めた時の陥穽。視覚や触覚の動員。コミュニケーションの大切さと、それを重視し過ぎてはいけないという教訓。感覚の言語化。調律という職業、職務を通じてこれらが描かれていくのだが、それは調律師に限ったことではなく、仕事や人間関係などのあらゆる面において応用されうる、また基本でもある事柄がさりげなく、それでいて大胆に開陳される。職業人も、そして中高生や大学生にこそ観てほしいと切に願う。

それにしても山崎は橋本監督と相性が良いのだろうか。繊細かつ些細な演技をこの監督の作品では見せることができるのに、なぜ他の作品では判で押したような紋切り型のキャラクターになってしまうのだろうか。やはり監督の演出のセンスとこだわりなのか。たとえば同監督の『 orange オレンジ 』はそれほどの良作ではないが(失礼!)、随所にリアリティある演出が観られた。一例として、土屋太鳳の独白とも言える語りかけに無言を貫くシーンで、山崎の喉が良いタイミングで動くのだ。心理学に詳しい人なら、観念運動について知っているだろう。人間の思考はしばしば筋肉の動きに連動するが、それが最も顕著に表れる身体部位は喉なのである。同じく、刺激(光に限らない)に対する脳の反応として最もよく現れる運動の一つが瞬きである。本作では山崎の瞬きが実に効果的に映し出されており、これは橋本監督の知識、教養の広さと深さ、そして演出へのプロフェッショナリズムを山崎に叩き込んでいることの証明に思えてならない。三浦や鈴木が演技を通じて山崎を導いたように。

観終った時、主人公の名前が外村直樹であることと道具的存在者の意味について、余裕のある方は考えてみてほしい。宮下奈都という作家の哲学的識見の広さと深さ、そして橋本光二郎という監督の表現力の大きさに、畏敬の念を抱くはずだ。そして久石譲の作るピアノの旋律に、「懐かしさ」を感じてほしい。それは明るく、静かに、澄んでいるから。音楽という空気の振動でしかないものが、いかにして芸術足り得るのか。それを生みだす道具としての楽器が、どれほど複雑玄妙に作られ、維持されているのか。物質としてのピアノと芸術としての音楽をつなぐ存在として立ち現れる調律師に、あなたは自分と世界の関わりを観るに違いない。これは、文句なしの大傑作である。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 山崎賢人, 日本, 監督:橋本光二郎, 配給会社:東宝Leave a Comment on 羊と鋼の森

女神の見えざる手

Posted on 2018年6月8日2020年2月13日 by cool-jupiter

女神の見えざる手 85点

2017年10月22日 大阪ステーションシネマおよびブルーレイにて観賞
出演:ジェシカ・チャステイン マーク・ストロング クリスティーン・バランスキー
監督:ジョン・マッデン

ロビイスト映画の、これは白眉である。『 シン・ゴジラ 』並みのポリティカル・サスペンスであり、『ア・フュー・グッドメン』のようなスリラーでもある。銃メーカーがロビイング活動を請け負う会社に、女性が銃に対しても抱くイメージを変えてほしいと依頼するところから物語は始まる。銃を持つことで手に入れられる安心、強い母親のイメージ、それらを前面に押し出してほしいという依頼をしかし、ジェシカ・チャステイン演じるエリザベス・スローンは一笑に付す。ここから彼女は所属する大手ロビー会社を退社。マーク・ストロング率いる小さなロビー会社に移籍し、銃規制法案に働きかけていく。

冒頭に、“Lobbying is about foresight. About anticipating your opponent’s moves and devising counter measures. The winner plots one step ahead of the opposition. And plays her trump card just after they play theirs. It’s about making sure you surprise them. And they don’t surprise you.”という独白がある(実際には聴聞会のリハーサルだが)。この台詞の意味をよくよく噛みしめて今後の物語展開を見守って欲しい。予想してほしいではなく、見守って欲しいと願うのは、エリザベスの孤高の強さと弱さをその目に焼き付けてほしいからだ。話の展開を予想して、当たった外れたと一喜一憂することにさほどの意味は無い。少なくともこの映画に関しては。なぜなら、このストーリーの先が読める人は、余程のすれっからしか、さもなければロビイストだからだ。

それにしても、このエリザベス・スローンというキャラクターは異色である。2016~2017年にかけては、特に女性の女性性を大きく覆すような映画が多数公開されてきた(最も分かりやすい例は『ワンダーウーマン』と『ドリーム』か)ように感じるが、その中でも最も輝いているのは、おそらくこの Miss Sloane であろう。敵も味方も欺き、睡眠時間も削り、ストレス解消と言えば男娼を買うことで、勝つためなら法律違反も厭わないその姿勢は、観る者に問いかける。「あなたはここまでやりますか?」と。同時に、「ここまでやって勝った先に、いったい何があるのか?」という問いも必然的に発生する。彼女が求めたのは勝利なのか、それとも自己満足だったのか、それとも安息だったのか。ラストシーンで、彼女の目線の先にある者/物はいったい誰/何であったのか。

それにしてもジェシカ・チャステインという稀代の女優はここに来て、一気に花開いた感がある。『 ゼロ・ダーク・サーティ 』や『 モリーズ・ゲーム 』でも同工異曲のキャラを演じきったが、『 ヘルプ 心がつなぐストーリー 』では少し抜けたようでいて芯に強さのあるキャラも演じた。『 スノーホワイト 氷の王国 』のような微妙な作品に出演したこともあるが、作品のそのものの完成度の低さが、彼女自身の演技力や存在感を棄損したことは一度もない。希有な女優であると言える。何でもかんでもアメリカ様の後追いをする島国の、政治に危機意識を持つ人、キャリアに対して妥協を許したくない人にはぜひ観てほしい逸品である。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, サスペンス, ジェシカ・チャステイン, フランス, 監督:ジョン・マッデン, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 女神の見えざる手

レディ・バード

Posted on 2018年6月4日2020年1月10日 by cool-jupiter

レディ・バード 80点 

2018年6月3日 東宝シネマズ梅田にて観賞
主演:シアーシャ・ローナン ローリー・メトカーフ
監督:グレタ・ガーウィグ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180604001904j:plain

青春の一時期を鮮やかに切り取った作品だ。というか、切り取るという表現がこれほどハマる作品も珍しい。なぜなら、次から次へとシーンが流れて行き、「えっ、さっきの話はどうなった?」のような、ある意味でも唐突とも言える展開が怒涛のように押し寄せる。とある演劇の先生の突然のフェードアウトや、ボーイフレンドとのあるべき修羅場シーンなどを予想しても、それらが全く描写されないのだ。なるほど、厳格なカトリック・スクールに抑圧される少女を描く話でも、少女から大人の女への成長物語というわけでもない。これは母親と娘の物語なのだ。

冒頭の車中のシーン、二人して『 怒りの葡萄 』の朗読テープを聞き、感涙するのだが、その直後に激しい言い争いへと発展、シアーシャ・ローナン演じるレディ・バード(本名クリスティン)は、走っている車から飛び降りて骨折してしまう。若気の無分別というか、生まれ育ったサクラメントを飛び出して、大学は文化のあるニューヨークに行きたい、というのは日本の地方在住の高校生にも共通する心情(東京の私立大学は定員抑制や、定員以上の入学者を取ると補助金減額などの処置で苦しんでいるようだが)。車から飛び出してしまうのも、狭い家族という人間関係から解放されたいことのアナロジーになっている。自分のことを執拗に「レディ・バード」と呼んで欲しがることなどは、その最たるものだろう。子どもなのにレディ扱いを求め、人間なのに鳥のように飛べると信じたがっている。可愛いと思うべきか、厄介な年頃だと思うべきか。まあ実際のLady Birdというのはテントウムシを指すわけだが。親の心、子知らずという言葉が思い浮かぶ。だからといって全く理解し合えない母娘というわけでもない。料理で揉めたかと思えば、一緒に買い物にも行くし、性体験の時期についてアドバイスを求めたりもする。「ディテールをしっかりと見ていけば、この世に普通の人間はいない」と喝破したのはイッセー尾形だったが、レディ・バードの在り方、振る舞いは、全ての子ども以上大人未満、思春期前後の人間に見られる普遍的な要素を凝縮したものなのだ。

厳格なスクール・コードへの挑戦、生命倫理、道徳への反抗、異性への興味と接近、友情と対立、嘘と真実、地元や家族との別離、新しい環境への順応、価値観の破壊と新たな価値観・世界観への目覚めなど、あらゆる人間が、おそらくは青春時代に経験する、言わば通過儀礼、イニシエーションの物語なのだ。その軸にあるのは友情や異性や家族ですらなく、母親なのだ。この映画では、一瞬一瞬に対して驚くべきほどのバックストーリーがあるのにも関わらず、それらが描写されることは全くと言っていいほど無い。一例として、兄のミゲルの存在がある。マイケルではなくミゲル。そして顔つきも明らかにヒスパニック系。そしてガールフレンドと同居。そこそこ良い大学を卒業したにもかかわらず、スーパーでレジ打ちのバイト。一体この兄は家族の中でどういう立場なのか。しかし、これらのバックグラウンドは一切スクリーンには映し出されない。こうした構成になっていることを物語の早い段階で飲み込んでおかないと、ストーリーテリングの面で置いてけぼりを喰らうこと必定である。しかし、それさえ覚悟しておけば、豊饒な物語の流れに身を任せるだけで、青春の追体験から親としての苦悩の再認識まで可能な、観る者の心に必ず何かを残す名作に出会うことができる。個人的には車の運転シーンが特に印象深かった。Jovianとレディ・バードが全く同じ物の見方をしていたからだ。このように、物語のどこかで必ず何かを呼び起こしてくれる力を持った作品で、中学生以上にお勧めをしたい。特に、母と娘のペアで観れば面白いのではないか。

主演のシアーシャ・ローナンはウェス・アンダーソンの『グランド・ブダペスト・ホテル』で初めて観たが、『ブルックリン』、本作と、着実に演技者としてのキャリアを積み重ねていっており、今後が本当に楽しみだ。『 君の名前で僕を呼んで 』のティモシー・シャラメは、本作ではガラリと役風を変えてきた。『ちはやふる』シリーズの新田真剣佑も『 OVER DRIVE 』で穏やかキャラから凶暴キャラに変身して見せたが、渡辺謙、真田広之に続いてハリウッドに行って、シャラメと共演してくれないかな。その時は監督はグレタ・ガーウィグで、『犬ケ島』のテイストで男と男の奇妙な友情みたいなテーマで。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, シアーシャ・ローナン, ヒューマンドラマ, 監督:グレタ・ガーウィグ, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on レディ・バード

デッドプール

Posted on 2018年6月3日2020年2月13日 by cool-jupiter

デッドプール 80点

2016年6月 東宝シネマズ梅田 109シネマズHAT神戸その他およびブルーレイにて鑑賞
主演:ライアン・レイノルズ
監督:ティム・ミラー

のっけからブッ飛ばされる映画である。アメコミでキャラクターの存在自体は聞いたことはあったし、X-MEN映画でもウルヴァリンと激闘を演じていたので、予備知識ゼロではなかった。それでも劇場で観た時の衝撃は忘れられないものがあった。

何よりも第4の壁の超え方に、あまりにも遠慮が無い。Jovianが初めて第4の壁を経験したのは映画『ネバーエンディング・ストーリー』だったが、この物語にはそれこそしっかりとした Build-Up があった。日本でも古畑任三郎が視聴者に語りかけてきたり、近年だと『ウルフ・オブ・ウォールストリート』でディカプリオが観客に話しかけてきたが、デッドプールの節操の無さには文字通り度肝を抜かれる思いがした。なぜならストーリーと一切関係の無いことで話しかけてきたからだ。

そうして観客をポカーンとさせておいたまま、カーチェイスアクションとバトルシーンに雪崩れ込んでいく。CG全開のファイトとはいえ、グロシーンの連発にR指定映画であることを思い出す。DCやマーベルには決してできない演出が炸裂する。そこから一気に回想シーンへ。ここでようやく人心地ついた観客は、じっくりとラブ・ストーリーが醸成・・・されるシーンを楽しめるわけではない。なぜなら、やはりこれはR指定映画。いきなりのベッドインから、あれよあれよの時間の経過、そして残酷な運命の瞬間と、傭兵ウェイド・ウィルソンがミュータントに変貌する瞬間までが一気にジェット・コースターのように展開される。 

Jovianのお気に入りのシーンは、T・J・ミラーとのコントそのものの掛け合い。男の淡い友情がさらりと描かれる名シーンであると感じている。“To you, Mr. Pool. Deadpool. That sounds like a fuckin’ franchise.という台詞には、紛れもなくシリーズ化への希望が込められた映画で、ミラーも実はここで密かに第4の壁を壊していた、ということを『デッドプール2』を観たうえで本作を見返すと、そう思えてくるのだ。

アメコミ映画では割と珍しく本格的な刀アクションを見せてくれ、誰もがやりたくて、しかしできなかった首切断からのサッカーボールをキックを実現してくれたりと、とにかくR指定映画作りを役者もスタッフも満喫していた様子がうかがえる。

またクレイジーと言えるほどの小ネタが投入されており(それは続編も継承した路線)、初見では笑えなくとも、その他のメジャー作品(アメコミに限らない)を観るたびに、何らかのオマージュを見つけることができるかもしれない。逆に、熱心なアメコミファン、映画ファンであれば、3分に1回は笑える、あるいは感心させられる映画であるとも言える。

これまで数人のカナダ人にライアン・レイノルズについて尋ねてみたことがあるが、「カナダでライアンと言えば、レイノルズじゃなくてゴズリングだぞ」、「悪い役者ではないが、出演作のほとんどがゴミ(garbage)だ」、「誰だ、そいつは?」など散々な評価であった。だが本作によって遂にライアン・レイノルズは代表作を得たと言ってもよいだろう。

今作を際立たせている要素にBGMがある。特にヒロインのヴァネッサとの関係性の構築は、ほとんど全てベッド上で行われるが、ニール・セダカの“Calendar Girl”があまりにもハマっている。またデッドプールの大ピンチシーンで流れてくるChicagoの“You’re the inspiration”のディスト―ションは、まんまプールのダメージと精神状態を表現する素晴らしい演出。エンディングで流れるWham!の“Careless Whisper”は、今になって聞き返すと寂しさがしみじみと込み上げてくる。

とにかく傑作である。頭を空っぽにして楽しんでも良いし、あらゆるカメオや小ネタを見逃すまいと鵜の目鷹の目で観賞してもよい。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, アメリカ, ライアン・レイノルズ, 監督:ティム・ミラー, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on デッドプール

ゲティ家の身代金

Posted on 2018年5月27日2020年2月13日 by cool-jupiter

『ゲティ家の身代金』 80点
2018年5月27日 MOVIX尼崎にて観賞
主演:ミシェル・ウィリアムズ クリストファー・プラマー マーク・ウォールバーグ
監督:リドリー・スコット

ケビン・スペイシーのセクハラ騒動からクリストファー・プラマーを起用してのわずか数日間での再撮影と、果たして映画としての完成度はどうなのだ? ぱっと見て継ぎ接ぎパッチワークになっているのではないかとの懸念もあったが、それは杞憂であったようだ。というよりも、クリストファー・プラマーの起用がプラスに作用したとすら言える。もちろんケビン・スペイシーが名優であることには疑問の余地は無いが、プラマーの卓越した存在感と演技力なくして、この映画の真の完成はなかったとすら思えてくれる。

ある程度のフィクション化が加えられているとはいえ、これは実話に基づく物語である。取材は綿密に行っているであろうし、当時の世相の反映や、大道具から小道具に至るまでの再現性の高さも見どころであったが、それらは全てクリアされていた。当り前ではあるが、携帯電話の無かった時代の電話のやりとり、その不便さと緊迫感、またゲティ家邸内の公衆電話に至るまで、電話というものの便利さと恐ろしさは、一定以上の年代の人々にノスタルジーを覚えさせることだろう。

主役のミシェル・ウィリアムズは『 マンチェスター・バイ・ザ・シー 』や『 グレイテスト・ショーマン 』でも揺るぎない演技を見せ、今最も旬な女優であることを印象付けたが、今作ではその地位をさらに確固たるものにしたようだ。母は強しを体現するシーンあり、シェイクスピアばりの「弱き物、汝の名は女なり」を体現するシーンありと役者としての幅広さと奥深さを見せる。

トレイラーからも明らかだったように、ジャン・ポール・ゲティは身代金を払うつもりは一切無かった。その身代金もあの手この手で値切りながら、さらには身代金の受け渡しを使って、節税対策にまで乗り出す始末。金持ちの金持ちたる所以とも言えるが、その一方で美術品の蒐集には並々ならぬ執念を見せ、誘拐騒動の最中にも、その入手経路から表には出せない絵画を150万ドルで購入するなど、金の使い方が異様であることをこれでもかとばかりに観客に見せつける。彼が美術品・芸術品に対しての哲学を語る場面は出色である。ラテン語で“Ars longa, vita brevis”、英語では“Art is long, life is short.”と言うが、芸術作品に現れる永遠性、美の普遍性に異様に執着する様は、観客に容易に彼の過去の人間関係のあれやこれやを容易に想起させる。尋常ではない額の金を稼ぐことで失ってきた人間性がどれほどあるのか、そのことに思いを致す時、我々は慄然とする。また、誘拐事件を通じて孫の親権などにまでくちばしを突っ込んでくるその無神経さに我々は辟易させられるのだが、そのような石油帝国の支配者が崩れ落ちるのは、忠実な僕とも言うべきマーク・ウォルバーグから。人間関係のパズルピースが実は正しくはまっていなかった時、盤石の態勢と思われた帝国が崩壊する時、老人は真の孤独を知る。その時にこそ我々は知る。老ゲティスが求めたのは、真に愛せる対象なのであったのだと。そしてそのことを見事なまでに証明してくれたのが、実は誘拐犯の一人であった。

チンクアンタという男は悪党でありながらも、誘拐したポールに感情移入し、典型的なリマ症候群を発症させる。彼にとってある時点から身代金はどうでもよくなり、ただポールの身の安全を願い、さらにはそれを交渉相手に伝えてしまう、また実際に手助けしてしまうなどの行動にまで出てしまう。これは何も珍しいことではなく、ある程度以上の年齢の人間ならペルーの日本大使館占拠事件を思い起こして、容易に理解できることだろう。

この作品が炙り出すのは、誘拐事件の卑劣さや恐ろしさではなく、まして金の魔力でもない。金そのものはただの道具もしくは手段である。端的に言えば、金は幸せになるために必要なものであって、金そのものに幸せを見出すことはできないのだ。金だけで幸せになることはできないが、金無くして幸せになることも困難だ。ある絵画を抱きしめながら事切れるゲティ老を目の当たりにする時、観る者の胸には悲しみが去来する。なぜなら、幸せになれるのに幸せになれなかった人間の哀れさに心から同情するからだ。幸福の意味を問い直してくる傑作である。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, クリストファー・プラマー, サスペンス, ミシェル・ウィリアムズ, 監督:リドリー・スコット, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on ゲティ家の身代金

『 君の名前で僕を呼んで 』 -映像美と音声美と一夏の恋-

Posted on 2018年5月17日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:君の名前で僕を呼んで 80点場
所:2018年5月6日 MOVIX尼崎にて観賞
主演:アーミー・ハマー ティモシー・シャラメ
監督:ルカ・グァダニーノ

*注意 本文中に本作および他作品のネタバレあり

部隊は1983年の北イタリア、大学教授が大学院生のオリヴァーを別荘に招くところから物語は始まる。知的かつマッチョな大学院生(アーミー・ハマー)は教授の息子のエリオ(ティモシー・シャラメ)と徐々に距離を縮めていく。公開前や公開当初はゲイ同士の恋愛と誤解する向きもあったようだが、主演の2人はストレートもしくはバイセクシュアルである。惹かれ合うきっかけなど何でもいい。男が女に最初に、かつ最も強力に惹かれるのは往々にしてフィジカル面の魅力だ。そのことを恐ろしいほど分かりやすく我々アホな男性映画ファンに突き付けてきたのは『ゴーストバスターズ』(2016)だった。ヘムズワース演じるアホなイケメン受付男を救うのに、なぜ彼女らはあれほど血道を上げたのか。

本作品は逆に、男同士が惹かれ合うのにどれほど重大な理由が必要なのかを大いに疑問視する。北イタリアでの一夏のアバンチュールだと言ってしまえばそれまでなのだが、それがあまりにも美しく描かれている。ここでいう美しさとは”自然な美しさ”ということ。開放的・解放的な気分になって、ついついベッドインしてしまいました、的なノリではなく、芸術論や歴史的な認識に纏わる知的な会話から、一緒に街までサイクリングするなど、観る者がゆっくりと彼らの交流に同調していけるように描かれているのだ。『無伴奏』はお互いが雄になって相手を激しく求め過ぎていたように見えたし『怒り』では一方の男が他方の男を乱暴に犯しているように見えた。もちろん、異なる物語の似たようなシーンを比較しても意味は無いのだが、相手のことを徐々に、しかし確実に好きになっていくというプロセスを邦画2作は欠いていた。この交流の美しさは是非多くの映画ファンに味わってほしいと思う。

テクニカルな面で注目すべき点は2つ。一つはBGM。多くは合成されたり編集されたものだと思われるが、実に多くの小川のせせらぎ、木々のそよめき、牛の鳴き声、蝿の飛ぶ音などが効果的に使われていた。ほんの少しのオーガニックな音で、観客はその場にいるような気持ちになれるものなのだ。『ラ・ラ・ランド』の冒頭の高速道路のダンスシーンに、ほんのちょっとした風の音やクルマの走行音やクラクション、遠くの空から聞こえてくる飛行機のジェットエンジン音などがあれば、「あなたがこれから体験する世界は全て作りものですよ」的ながっかり感を味わわなくても済んだのだが。ぜひ本作では、映像美だけではなく音声の美も堪能してほしいと思う。

もう一つの注目点は、やたらと画面に映りこむ蝿だ。ほんの少しネタばれになるが、エンディングのシークエンスでエリオの肩にずっと蝿が止まっているのだ。これが何を意味するのかは見る者それぞれの解釈に委ねられるべきなのだろう。

この映画の結末部分のカタルシスは『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い 』に並ぶものがある。息子が男相手に一夏の秘め事に耽るのを、親としてはどう見守るべきなのか。ロッド・スチュワートの代表曲の一に”Killing of Georgie”というものがある。Georgieというゲイの男を人生を歌ったものだ。我が子がストレートでないということに戸惑う親は、ぜひ本作に触れてほしい。何かしらのインスピレーションを必ず受け取ることができるはずだ。

日本では、同性婚を巡っては自治体レベルで認めるところが出てきてはいるものの、国民全体で考えるべきという機運の高まりはまだ見られない。「同性とも結婚できるようになる」ということを何故か「同性と結婚せねばならぬ」と感じる人が多いようだ。また夫婦は必ず同姓であるべしという、ある意味で完全に世界に取り残された日本という国に住まう人に、なにかしらのインパクトを与えうる傑作としてお勧めできる。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アーミー・ハマー, アメリカ, イタリア, ティモシー・シャラメ, ブラジル, フランス, ロマンス, 監督:ルカ・グァダニーノ, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 君の名前で僕を呼んで 』 -映像美と音声美と一夏の恋-

投稿ナビゲーション

新しい投稿

最近の投稿

  • 『 時限病棟 』 -ピエロの恐怖再び-
  • 『 28年後… 』 -ツッコミどころ満載-
  • 『 ラブ・イン・ザ・ビッグシティ 』 -自分らしさを弱点と思う勿れ-
  • 『 近畿地方のある場所について 』 -やや竜頭蛇尾か-
  • 『 脱走 』 -南へ向かう理由とは-

最近のコメント

  • 『 i 』 -この世界にアイは存在するのか- に 岡潔数学体験館見守りタイ(ヒフミヨ巡礼道) より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に cool-jupiter より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に 匿名 より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に cool-jupiter より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に イワイリツコ より

アーカイブ

  • 2025年7月
  • 2025年6月
  • 2025年5月
  • 2025年4月
  • 2025年3月
  • 2025年2月
  • 2025年1月
  • 2024年12月
  • 2024年11月
  • 2024年10月
  • 2024年9月
  • 2024年8月
  • 2024年7月
  • 2024年6月
  • 2024年5月
  • 2024年4月
  • 2024年3月
  • 2024年2月
  • 2024年1月
  • 2023年12月
  • 2023年11月
  • 2023年10月
  • 2023年9月
  • 2023年8月
  • 2023年7月
  • 2023年6月
  • 2023年5月
  • 2023年4月
  • 2023年3月
  • 2023年2月
  • 2023年1月
  • 2022年12月
  • 2022年11月
  • 2022年10月
  • 2022年9月
  • 2022年8月
  • 2022年7月
  • 2022年6月
  • 2022年5月
  • 2022年4月
  • 2022年3月
  • 2022年2月
  • 2022年1月
  • 2021年12月
  • 2021年11月
  • 2021年10月
  • 2021年9月
  • 2021年8月
  • 2021年7月
  • 2021年6月
  • 2021年5月
  • 2021年4月
  • 2021年3月
  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月
  • 2020年6月
  • 2020年5月
  • 2020年4月
  • 2020年3月
  • 2020年2月
  • 2020年1月
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月

カテゴリー

  • テレビ
  • 国内
  • 国内
  • 映画
  • 書籍
  • 未分類
  • 海外
  • 英語

メタ情報

  • ログイン
  • 投稿フィード
  • コメントフィード
  • WordPress.org
Powered by Headline WordPress Theme