パラレルワールド・ラブストーリー 20点
2019年6月2日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:玉森裕太 吉岡里帆 染谷将太
監督:森義隆
最初のトレイラーを観た時は、「なんか駄目っぽい」という印象だった。Jovianはそもそも東野圭吾との相性が良くないのだ。だが監督が『 聖の青春 』の森義隆ということで少し期待感が高まった。しかし、2つ目か3つ目のトレイラーの「こっちが・・・現実だ・・・」という玉森の台詞にがっくりさせられた。並行世界の物語ではなく、仮想現実または妄想・空想の世界の物語であることがバレてしまったからだ。それでも鑑賞を決断したのは、このトレイラー自体も misleading のための仕掛けではないかと思ったからだ。そして、このタイトルはmisleadingであり、かつmisleadingではなかった。
あらすじ
敦賀崇史(玉森裕太)は恋人の津野麻由子(吉岡里帆)と同棲していた。しかし、目覚めると麻由子は親友の三輪智彦(染谷将太)の恋人になっていた。二つの世界を行き来する崇史。いったい彼の見ている現実とは何なのか・・・
ポジティブ・サイド
吉岡里帆のベッドシーン。肝心の部分は見せてもらえないが、誰もが『 娼年 』のような映画に出演して、すっぽんぽんになれるわけではない。そんなことになったら、ラブシーンの価値が下がるだけである。吉岡ファンならば、劇場鑑賞はありであろう。音響の良い映画館ならば、吐息の音をリアルに感じられるかもしれない。
構成も悪くない。序盤でCG丸出しの山手線と京浜東北線が二手に分かれていく様は、確かに世界の分岐、パラレルワールドの存在を感じさせてくれた。わずか一駅だけの間、並走する電車の中に運命的な相手を見いだせれば、それは相当にロマンティックなことだろう。JR西日本では、宝塚線の快速と神戸線の快速が、しばしば尼崎駅をほぼ同時刻に発車して、この物語と同じように並走する。交わりそうで交わらない線が、思いがけない形で交わる時、人が正常でいられなくなるのは無理からぬことなのかもしれない。
ネガティブ・サイド
以下、ネタばれに類する記述あり
残念ながら様々な面でリアリティを欠き過ぎている。冒頭からファンタジー路線ではなく、脳科学に関する業務の話が専門的な用語を交えてポンポンと飛び出してくるが、これはsciencyではあってもscientificではなかった。というよりも、記憶を改変・改編させるのに大袈裟な装置を使う必然性が見つからない。根気良く催眠療法的なセッションを繰り返してはいけないのだろうか。また、脳の特定部位の励起状態を別領域に転写する、それを光刺激を与えることで特定遺伝子を刺激することでその状態を生み出せるなどという説明があるが、完全に意味不明だ。光刺激を目に入れないところが分からないし、百歩譲って皮膚に光を照射、メラニンへの刺激経由で脳に影響を波及させるというなら話は分からないでもないが、そもそも照射装置が見当たらない。また、色々な電極やコードらしきものが光を放つにしても、髪の毛ふさふさの頭には効果は極小だろう。
他にも、記憶の分類を劇中でしっかり行わないため、記憶改変のインパクトが強く感じられない。あるキャラクターが出身地に関する記憶を改変されてしまうのだが、エピソード記憶をいじくることが可能というインパクトは個人的には大きかった。しかし、劇中の、しかも白衣を着てラボで働くような連中が事の重大性を全く認識していないかのように振る舞うのは不可解極まりない。人間の記憶ほどあてにならないものはない。それは、亡国の政治家や官僚の答弁を聞けば、よくよく分かることである。また、記憶改変によって周辺記憶と齟齬をきたした場合には、自分に都合の良いように話を置換してしまう“ドミノ効果”なるものもイマイチ分からない。これこそまさに“バタフライ・エフェクト”で、その効果・影響の大きさなど知る由もないではないか。なぜ智彦はこんな危険な効果を指して「100%大丈夫だ」などと断言できるのか。サンプル数が1とか2という段階で、こんなことを言えてしまうとは本当に科学者なのか。また、会社の上層部もこの研究や装置については把握していたようだが、ならば何故こんな危険性が未知数の代物を、一研究者が自由に使えてしまう状況を放置するのか。複数役員の承認、それも指紋や声紋、虹彩による認証などを必要とするようなものに思えるが、課長または部長級に見える男性が監視らしき真似ごとをするのみ。麻由子も監視するならちゃんと監視しろ。スリープ状態になってしまう恐れがあるのだから、呑気に電話報告するにしても、尾行ぐらいしろ。巨大企業の危機管理とは思えない杜撰さ。リアリティがとにかく足りない。
だが、何よりも不可解なのは、キャラクターの行動原理だ。それこそ「恋愛感情」というもので済ませてしまえばよいのだが、あまりにも醜い面が噴出しすぎている。友情よりも恋愛に走る崇史は誰も批判や非難はできない。しかし、レイプは完全に犯罪ではないか。麻由子とベッドインできない智彦には同情するが、だからといって自ら身をひこうなどとは思えない。障がいを揶揄するつもりは一切ないが、乙武氏でも立派に不倫・不貞行為はできるのだ。何をくよくよしているのだ。
ラストはそれこそ『 バタフライ・エフェクト 』の丸パクリ。様々な可能性を残して、観る側の想像力に委ねるのは、ここまで来るともはやクリシェを通り越して、製作者側の怠慢である。
総評
駄作である。『 プラチナデータ 』級の科学的不可解さが満載である。「記憶」または「タイムトラベル」を巡る物語の序盤は常に面白いものだ。しかし、本作はストーリーの根幹を支えるべき科学的リアリティとキャラクターの人間性の酷さによって、それなりに良い食材が、最後まで食べるのが苦痛なフルコースになってしまった。残念至極である。記憶をテーマにした映画や小説はそれこそ無数にある。よほどの東野圭吾ファンでなければ、これを選択する意味は無い。