さよならはスローボールで 75点
2025年10月26日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:キース・ウィリアム・リチャーズ
監督:カーソン・ランド
妻に「草野球の何がおもろいん?」と言われたが、それでもチケット購入。

あらすじ
アメリカの片田舎。ソルジャーズ・スタジアムは中学校建設のため取り壊しに。いつもそこで試合をしていたアドラーズとリバードッグズの面々は様々な思いを胸にラストゲームに臨む・・・

ポジティブ・サイド
おっさんたちがグダグダの草野球をする。それだけの映画なのに、胸に湧き上がってくるこのノスタルジアは何なのか。20代のころ、大学の先輩、同級生、後輩たちと参戦していた三鷹市民リーグを思い出した(ソフトボールだったが)。
野球が他のスポーツと大きく異なる点として
(1)攻めと守りがはっきりと分かれている
(2)太っていてもプレーできる
(3)プレー中にだらだら喋ることができる
(4)プレーの合間に余裕をもって飲食できる
(5)中年になってもプレーできる
(6)詳細なスコアカードがつけられる
などが挙げられる。ゴルフのように(2)が当てはまるものもあるし、(3)もゴルフに当てはまったりするが、これだけおっさん向きなスポーツはなかなかない。個人的には(6)が最も重要かつ独特であると思う。テニスのスコアカードを見て、そのポイントの詳細を思い浮かべるのは難しいが、野球は何となくそれができてしまう。
本作には草野球に興じるおっさん(一部若手もいる)、その試合を見守る者、そしてその試合を理解できない者の三種類の人間たちがいる。本作はその誰にも特別なドラマを用意しない。いや、一人だけいたか。それはスコアラーのフラニー。もし本作に主人公がいるとすれば、それはフラニー。何故なのかは、ぜひ劇場で鑑賞して確かめてほしい。
本作は野球映画であるが、とにかく野球は余白のスポーツ。本作ではプレーもフィーチャーされるが、それ以上にプレーしていない場面がフォーカスされている。外野でただ一人だけ佇立し、物思いに耽る。外野席の見物客に「うるせー、邪魔だ」と悪態をつく。あるいはベンチで野球談議に興じる。あるいは二階席でどうでもいい世間話をする。そうした無意味に思える時間も、これが最後の試合だと思うと、妙に愛おしく、そして腹立たしいものにも感じられる。この感覚は何か。これは少年時代への回帰なのだ。あるいは、売上だ、納期だ、業務改善だ、新人育成だと追い立てられることのない場所への一時的な避難、がちがちの上下関係に縛られた会社やビジネスという世界からの逃避なのだ。そしてチームメイト、あるいは対戦相手と出会うのは一種の同窓会なのである。
同窓会から帰りたくない、という経験はだれしもあるだろう。そんな切なさを押し殺して、黙々とプレーを続ける男たちの姿は見る者の胸を打つ。なかには「こんなゲームはさっさと終わらせよう」という者もいるのだが、それも当たり前の反応。いい年したおっさんがいつまで少年の気分に浸りたがっているのか。それもまっとうな批判だ。とにかく、本作の良さは観ないことには分からない。『 さよならはスローボールで 』とは誰がつけた邦題なのか分からないが、なかなかのセンスではないか。
ネガティブ・サイド
途中でさっそうと現れ、いつの間にやら消えていくリリーフピッチャーの正体をその場で明かしてほしかった。
フードトラックで何でピザを売っているのか?そこはホットドッグであるべきではないのか。
総評
非常に面白かった。ビッグプレーがあるわけでもなく、劇的な試合展開や思いもよらぬ人間関係が明らかになったりするわけでもない。おっさんたちが飽きることなく試合をしていく様がこれほど愛おしく感じられるとは。何の変哲もない男たちの向こうに、とてもありふれた、しかし尊ぶべきドラマがある。『 パターソン 』を楽しめた人なら、本作も問題なく楽しめるに違いない。
Jovian先生のワンポイント英会話レッスン
lose track of time
時を忘れるの意。”Damn, this party was so fun that I lost track of time. Gotta run. Or I will break my curfew. Have a good one, guys!”「ああもう、パーティー楽しすぎて時間を忘れてた。もう行くわ。門限やべえ。じゃあな」 のように使う。
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